こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第248回。
2025年12月のゲストは、フルート奏者の森川健士さんです。
森川健士さんへのインタビューは、第247回と第248回の前半・後半に分けてお届けしています。
森川さんへのインタビュー後半は、ジストニアを発症したときのことや森川さんにとっての居心地の良い場についてお話ししていただいています。
では早速森川健士さんのお話をお聞きください。
ちょっと話が変わるんですけど、森川さんは愛知県出身ということで、名古屋芸術大学を卒業されているんですけど、
大学生活の中で、3年生の時にジストニアを発症されたということで、2年間休学されたんですよ。
懐かしい話ですね。
10年まではいかないけど、若いな。
8年くらい前のことですかね。
最近ではそういった話もすることがなくなってきて、自分の中でも克服してきたなっていうと、もちろんまだまだ引っかかるところもあるんですけれども、
あんまりオープンに言わなくなってきたというか。
そういうことですね。
自分の中でも乗り越えたフェーズに来たのかな。
そういうことですね。自分の中ではね。
実際には本当に大変だったと思う。その当時はね。自分の中では。
それも今乗り越えてきたのかなっていうお話があったので、あえて聞いてるんですけど、
そういったジストニアだけじゃなくて、いろいろ目指してる中で病気になったりとか、ちょっと挫折しがちになっちゃったりとか、どうしようと思ってらっしゃる方も聞く方の中でいらっしゃる可能性があるので、
そういった方のためにお聞きしてるんですけど、フルートはだいぶ前からやってらっしゃるんでしょうね。
フルート自体は小学校の、ちょっと覚えてないですけど。
ジュニアコングルとかで入所されてるのも見たので、受賞歴を。
だから小学校の頃からやってらっしゃる。
ずっと普通に老けてたわけじゃないですか。
そうですね。
ある日突然なんか動かなくなるって感じなんですか?
急に来たなっていう感じはあるんですけども、今思うと半年ぐらい前からなんか兆候っぽいのはあったなっていう感じは。
なんかあんまり調子よくないなっていう感じは。
そうなんですよね。絶対に苦労しないところで苦労するっていうのが何回かあります。
演奏してる中でね。
それが僕右利きなんですけど、左手の薬指だったんですよ。
もともと弱いじゃないですか。
そうですね。もともとそんなにがっつり使うような指ではないですよね。
利き手じゃない方の使わない、使いにくい指なので、それが原因かなって思ってたんですよ。
普段使わない指で嫌な指だから指が動かないんだよなと思ってたら、半年ぐらい経って急に。
じわじわと来たんですけど、ある日急にっていう感じですかね。
なんかダメだこれ。
ちょっと普通じゃないぞっていうことに気付いたんですか。
明らかにこれは利き手じゃないから弱いとかじゃないぞっていうのがある現場がありまして。
本番のリハーサル中だったんですけど、その本番を降りるわけにはいかなかったので、なんとか苦労をしながら。
やり切ったその日は。
やり切って、ただ僕の中であんまりジストによってワードがなくて。
ただほっとけば治るじゃないですか。ちょっと使いすぎたのかな。
炎症をちょっと起こしたかなとか、そんなような感じの感覚だった。
しんどいだけかなと思って、様子見ればいいかなと思ってたんですけど、
横に座ってた古人の動機の男の子がいるんですけど、彼に病院に今すぐ行けって。
背中を押してもらえって。
まず近くの整形会行ったんですね。
骨とか筋肉とかかなって最初は思ったので行って。
そしたら骨に異常ないですよ。筋肉も異常ないですよ。
ちょっとこれはアジストニアっていうのかもしれませんね。
そこでちょっと弱くなった。
そこからちょっと大きい病院に。
そこに手の専門家がいますって紹介状書いてもらって、そこへ行って、その手の専門家に見てもらったんですけども、
これは明らかに物理的な要因じゃないというか。
骨とか筋肉じゃ絶対ないから、これはここでもあんまり見れないっていう感じで。
東京にこういう音楽家のアジストニアを研究している方が見えるので、そこにちょっと行ってみてはどうですかってので、
また紹介状書いてもらって、東京までちょっと視察に行って、
そしたらその瞬間にドクターがこれはもうそういう病気だから。
そうなんですね。
どうやって向き合うか考えていかなきゃいけないっていうところで、
まあ、期待してたんですよ。
いや、そんなことないよ。
ね、大丈夫だよっていうね。
そうなんです。ほっとけば治るよっていうのを期待してたので、
もうその診察後に東京で一人でボロボロ泣いて。
ああ、そうなんですね。
懐かしいですね。
今笑ってないからいいよね。
その当時は本当に。
そうなんですよ。
真っ黒になる、真っ暗闇の中に放り込まれたって感じぐらいショックだったじゃないですか。
泣くっていうことは。
いやもう、手があるのに動かないっていうところ。
むしろもう左手が切り落とされたとかで、
泣くなったら諦めは作れない。
いや、まあそれはわかんないけど。
まあでもそういうことですよね。
あるのに動かないっていうそのもどかしさ。
それもだって使うわけですからね。
そうなんですよ。
フルート浮き上げで。
自分の表現するものは急に奪われてしまったので、
もう本当にどうしようっていうところで。
まあ、懐かしいですね。
本当に懐かしいしか出てこないんですよ。
本当にそれこそ本当に当時は、
左手なんて無くなればいいのにってずっと思ってたんですよ。
逆に無くなったら楽器絶対諦めれるじゃないですか。
いやあ、その言葉に胸が痛いと思っちゃった今。
無かったらこんなにもすっぱり諦められるのに。
楽器を持てるせいでやっぱり希望を持っちゃうんですよね。
ああ、そういうことですね。
いや、もしかしたら明日は動くかもしれないっていうのの連続で。
もういっそなんかボコボコにしようかなって。
左手を自分の意志で再起不動にしようかなって思った時もあったぐらいには、
本当に当時はもうなんで動かないんだお前みたいな。
そういうことですね。悔しさとかいろんなものが混ざり合ってる感情で。
できてたことがあったら急にできなくなる。
それもだってフルートを演奏してる最中ってことは、
そういったフルート奏者としてずっと進んでいこうと思ってたってことですよね。
そうですね。
僕としては、当時の僕の先生がドイツ留学してた方で、
こっちに帰ってきて指導されてたんですけれども、
お前留学行けよ。ドイツに行って学んでこいよっていう話が出てた時だったんですね。
僕の中では言語の壁とか、思い切りがつきにくいところではあったので、
チャレンジしたいなっていう気持ちがあったところだったので、
やっぱりいろいろと夢立たれたなというか。
もう終わりやろフルートっていうのはどっかで思ってはいたんです。
でもやっぱり、どっかでまだやめたくないっていうのもずっとあって、
どうしていこうかなみたいな。
本当にずっと楽器しかやってこなかったので、
他にスキルが特別あるわけでもなくて、
本当に自分の表現したいもの、やりたいこと、表現方法を取られてしまったなって。
なんですかね、歌う人だったら声が切れてなくなるみたいな、
そういう感じだなっていうところだったんですけれども。
2年間休学されるわけじゃないですか。
それもやっぱり大きな決断なんじゃないかなと思うんですけど、
この2年のうちにどういうふうに自分の気持ちとか、
実際のいろんな行動をしていって、副学に至るんですか。
まず、なぜ2年間かっていうのが、
在籍するに2年間までしか休学が1年のうちにできないっていうのがあって。
例えば、自分が今2年生で休学しました。
2年休学して3年生になりました。
そしてまた2年休学ができるんですけども、
1学年につき2年間しかできないっていうので、
僕に残されたのは2年間だと思ったんですね。
ここで復帰ができなかったらもう辞めるしかないなっていう、
本当に機嫌つきな自分にタイムリミットを作って挑んだわけですけど、
もう始めはまずテンションが上がらないので。
そもそもですよね。
もう何しようみたいな。
服と泣くので。楽器持つと泣いちゃうので。
もう持てない日々で。
でもやっぱりその頃から教える仕事は少ししていたので、
教えることを教えられるので、そこに求めてくれる人がいたので、
そこを休むわけにはいかないなっていうと、
やっぱり楽器さらなきゃいけない時間はあった中での休学ね。
でも当時ちょうどコロナが流行り始めた年だったので、
仕事自体もありがたいことに僕としては、当事者としては大変だったと思うんですけども、
僕の中では周りが活動できないっていうのはすごい、
こんなこと言ってはたぶん怒られるんですけれども、
心はすごい救われたと。
みんなが普通に活動できる中で自分が活動できないっていうのがきついですもんね、実際には。
周りの人の活躍を聞きながらそれに耐えるっていうのは本当にしんどかっただろうなっていうので、
おそらくこれを聞いてる人の中で、
何を言ってんだお前!っていう人もいるかもしれないんですけれども、
僕の精神は多少…
でもそれって本音ですよね、本当の意味での。
それってその立場になったら皆さんがそう思うかもしれない。
いやー絶対思いますよ。
私も今もしかして聞いて自分がその立場だったら思っちゃうだろうなと思います?やっぱり。
そこは一つの救いではあったんですけども、
ただ周りがうまくいかないからって言って自分がうまくいくわけではないので、
自分の病気がどうなるか。
本当に治すためにいろいろ病院に行ったりとか、
本当にいろんな方向で何が効くかわからない病気って言われてるので。
なんか原因不明なんでしょうね、色調べてることとか。
一応不明とは言われてますね、精神的なものだったりとか、
オーバーワークだったりとかいろんなことを言われてますけれども、
実際の自分に何が影響してなったかっていうのはわからないんですけれども、
僕の中でその時間にすごく勉強ができたっていうのは良かったなと思ってます。
具体的にはフルートの総合とかそういったものを勉強されてたりとかしたんですか?
その時間はフルートを離れて、離れてじゃないですけど。
フルートじゃないところの勉強を進めてたっていう。
体の勉強をしたんですね。
体の勉強ですね。
どういう筋肉があってとか、ボディマッピングとかって言うんですけど、
自分の体がどう作用して、どういう風にそれが楽器にアプローチされてるのかとか、
そういうところを考える、勉強していくときに本当に素晴らしい人たちに
そこでお出会いって慰めてもらいながら、大丈夫だよって言ってもらいながら勉強していって、
その優しさにも救われながら、学んだことを活かしながら、
今にこうやって復帰できるようになったかなって思われるんですけど、
あとはその勉強に加えて木製に出会えたっていうのが、
木製フルートに出会えた。
それまではずっとシルバーだったんです。
で、体が悪くなった2年目に木製に出会えたんですね。
だから木製だと、前アイチキタイムの生放送出てた時に、
木製フルートだとその指がちゃんと動くってことで、
それが最初から分からなかったわけですもんね、もちろん。
たまたまってことですかね。
そうですね。たまたま、体の勉強をしているときに、
名古屋でもいっぱい講習会だったんですけど、東京が本場なので、東京にたくさん通ってたんですね。
で、その時に銀座に山野楽器っていう非常に大きなところがあって、
フルートをたくさん扱ってるところがあって、
せっかくやし寄るかっていうところ。
2年目近くなってきたのも休学が。
だいぶちょっとメンタルも取り戻してきて、
1年もしたのでちょっとうつくを取り戻して、
やっぱ拭きたいっていう気持ち出てくるんですよね。
拭けないけど拭きたいってなった。
なので、いろんな楽器に触れてみたいなって山野さんに言ったときに、
木製に出会った。この楽器ではなかったんですけど。
その時に木管だと不思議なことにやっぱり分厚いからとか太いからってのがあると思うんですけど、
指が動かしやすいって気づけたんですよね。
そこまではまさか太い楽器を持つことで良くなるなんて、
こんな単純なことで良くなるなんてって思ってなかったので、
全く視野に入れてなかったんですけれども、
山野さんで木製に出会えて、
また買いんですわー。
その時、浮かせてもらったのがドイツの楽器だったんですけども、
木製の300とか。
さすがに買えない。
高級車買えますね。
さすがに300の楽器は買えないぞっていうので、
ただでもやっぱり木製だと吹ける。
こうやったら希望が持てるかもしれないっていうので、
待ってたんですよね。
いろんな情報を得たりとか。
国産だとそこそこ安く買えるんですけれども、
やっぱり音がね、ちょっと自分好みじゃないものだったりとか。
木って金属に比べてより音色の変化が木材で変わったりとか、
製造工程で変わるなって感じが僕はするんですけれども、
自分に合う感っていうのがなかなか出てきてこれない。
指は動くけどなんか音もっさりしてる。
木の特有のなんかモクっとした感じが。
残りすぎるとなかなか使いづらいかなっていうところで、
ずっと探す日々だったんですね。
で、夏だったかな2年目の。
に、このボディだけ。
今のボディがパウウェルっていうアメリカのメーカーなんですけども、
高いですけれども、新品だと。
中古が出たんですね。
で、もうこれしかないと思って山野さんに買いに行って、
中古で買わせてもらって、
そこから僕の木管楽器、木管フルート人生が始まった。
そういうことなんですね。
本当に運命の出会いだったなっていう。
もうその当時はね、きっと本当にもう、
フルート消えなくなっちゃうんじゃないかって、
実装されて思ったと思うんですけど、
これって今だから言えちゃうのかもしれないけど、
私もその当時じゃないから言えちゃうのかもしれないけど、
結局その木製フルートに出会うためにわざわざ、
大変ですよ大変ですよ。
実装に発祥からそっちに、
もうちょっとスムーズに活かしてくれって思うかもしれないけど。
そう思いましたけどね。
でもそれはあるなと今では思ってます。
今では最初は指が動くからって言い始めた木製だったんですけども、
今ではもうこれが大好きで。
大好きなものに出会えたんですもんね。
そうなんですよ。
多分当時の僕だと何事も起きなかったら、
多分ずっとシルバーとか金属とかだったら別に不自由なかったので、
買い替えるつもりも全くなかったので、
何事もなかったらもしかしたらドイツに行って、
こういう脇道にそれた走歩をしないで、
ただ純粋なフルートを楽しんでる中も知れないですけど。
その当時はやっぱり暗闇の中っていう感じですよね、絶対。
発症した時って、え?って思う。
なんで自分が?みたいな。
本当に思いましたね。
なんで僕なんだよっていう。
何も悪いことしないじゃんみたいなね。
そうなんですよね。
でもそこを恨んでもしょうがないですけど。
その時はそういう感情にもなりやすいですよね、最初は。
そうですね。
怒りっていうか悲しみと怒りが混じったような。
多分そういうような感じになっちゃうんじゃないかなと思って。
そうですね。本当になんで。
なんで僕なんだよってすごい思いましたね。
本当にこんなこと言ってはあれですけど、
もっと音楽をちゃんとやろうと思ってない人だったら良かったのに。
あー、なるほどね。
どうしてこう。
特に僕、大学入った頃は結構下手くそだったというか。
あ、そうなんですか?
でも大学入れてるからね。
それはそうなんですけども、
自分の先生にもよく言われるんですけども、
入った時は割とどうしちゃもないというか。
ただ、本当に2年3年ですごい伸びたよっていう話をすごい言ってもらえる時期で、
そういうのもあって、留学してみたらっていうのもお話いただけたと思うんですけども、
本当に今が絶頂じゃないですけど、
ここが自分、今からもう本当にやっていくぞ。
今の自分が最高だって思ってる時にもう本当に全部崩れたので、
なんで俺なんだよっていう。
その当時はそういう感情だったんでしょうね。
そうですね。本当切れ事言ってらんないですから。
本当にもう何度左手がなくなればって思ったことかですけど。
でも結果的には今も乗り越えていろんな意味で。
そうですね。
独自の今のスタイルで。
そうですね。スタイルを確立する。
堀川たけしらっていうしかできないようなフルートの演奏者になってるわけじゃないですか。
そうですね。これを聞いたらあいつが吹いてるなって思ってもらえるっていうのが一つできつつあるのかなというところで、
これだったら世界のトッププレーヤーに負けないぞって言えるようなものっていうのが、
もちろんまだまだ研究は全然いるんですけれども、
ちょっとうつできるといいなーなんて思いながらやめようと思ったからこそじゃないですけど、
何者になることができるように挫折したけどこうなれたよっていうのが本当に、
辛い時期を過ごしてる人にもちょっとでも希望になれたらいいかなとは思うところはありますね。
今後の演奏生活においてもその経験はかなり生きてくると思いますよね。
そうですね。
メンタル的なところも乗り越えてきてるわけですから。
そうです。当時はでも、お前若いうちにこんな苦労してよかったなとか言われたんですけど、めちゃめちゃムカつきましたけど。
ふざけんなよお前。いいわけねえだろうよ。
それは本音ですよね。みんなも本当に声かけとして励まそうと思ったんですけど、実際はそうですよね。
気持ちは分かるんですけど。
実際は本当の本人はそういう気持ちですよね。
本当にこんなのなければない方がいいだろうってすごい思いますけどね。
若いうちから挫折始まるといいよ。うるせえんだよ。
それは本音ですよね。
今思うと本当にあの時期ってのは自分にとってはすごい大事な時期だったなと思います。
ただ人間は残念なことに忘れる生き物でございますので、私のフレッシュな挫折はもうないというか。
フレッシュな挫折って何か日本語言葉変ですけど。
一瞬分かんなかったですけど。
挫折したすごく辛かった時代とかやっぱりちょっと思い出として消えかかっているなって。
今は今で一生懸命歩んでいかなきゃいけないところなので。
昔にばっかり浸っていられないところはあります。
もちろん海外の旅の中身もやっぱり日々アップデートしていく。
自分の中でそのうち亡くなっていくんだろうなと思うとすごい寂しいところではあるんですけど。
きっと思い出さなくても残るのかなとは思いますが。
忘れられるからその痛みとか苦しみが忘れられるからまだ生きていけるのもあるし。
でもその中で絶対的に全部が忘れるわけじゃないっていうね。
今もちょっとお話ありましたけど。
どこかにやっぱり残ってるんで。
それはやっぱり無駄ではなく次に生かせるっていうところだと思うんですね。
そうですね。そういうことを感じる年になった時にはきっと苦労する年下の人に向かって苦労してよかったなとかいう側になるのかなとか。
かもしれないですよ。
森川さんね。今後だから次の展開としてこれをやりたいとかって具体的にあります?
これがやりたいですか。
そうですね。引き続きにはなるんですけどやっぱり曲として僕の学んでる尺八の古典として。