こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第242回。
2025年9月のゲストは、シンガーソングライターのRyoさんです。
Ryoさんへのインタビューは、第241回と第242回の前半・後半に分けてお届けしています。
Ryoさんへのインタビュー後半は、Ryoさんの子両親のことや、Ryoさんにとっての居心地の良い場についてお話ししていただいています。
では早速、Ryoさんのお話をお聞きください。
ちょっと話変わりますけど、Ryoさんのお父さんも歌手だったんですよね?
そうですね。
そこって演歌歌手だったんですよね?
演歌歌手だったんですよね。ちょっと今、もう亡くなっちゃいましたけど、
矢城明さんと同期で一緒にやってたぐらい。
そうなんですか。
すごかった人みたいなんですけど、僕は知らないです。そのすごかった時代は。
もうレコードとかは家にありましたけど、それこそ見たことないカセットテープみたいな、そういうのとかはどっさりあったんですけど、
これがお父さんっていう、
繋がってなかったの?
なかったです。
歌うまいなぁと思ってました。
それは歌手だからね。
ギター弾くなぁとかは思ってましたけど、それぐらいでしか思ってなくて、
で、僕が音楽をやりたいって言ったのが16、17ぐらいだったんですけど、
その時まで正直お父さんの話したくなかったっていうか、あまり好きじゃなかったんで、
お父さんのことあんまり好きじゃなかったんで、あんまり話したくなかったですし、
ただ、音楽のことだから話しとかないといけないよなっていうので、話したらすごい喜んでくれて、
本当に背晴れが、自分の後を継ぐみたいな、それぐらい喜んでくれて、
そっから初めてですね、ちゃんとお父さんと話すようになったの。
そうなんですね、それきっかけでね。
それきっかけで、それこそギターってどうやって弾いたらいいのとかも聞くようになりましたし、
どういう風に歌ったらいいのとかも聞いたら、好きに歌えって言われましたけど、
そんな高い指導はなく。
好きなように歌えっていう風にしか言われなかったですけど、
ただやっぱり、いろんな歌は聴けってその時にも言われてたんですけど、
その時でもまだやっぱり僕は頑固だったんで、
いやいや、っていう感じでしたけど、
もう自分の好きなやるわで終わっちゃったんですよ。
そうなんですね。
別に俺ってお父さんから教えてもらうっていうことはなかったんですけど、
とにかく喜んでくれたもんで、
それだったら、うちのお父さんがガンで亡くなっちゃったんですけど、
その時に初めに親孝行しようと思って、
お父さんに向けて頑張れっていう歌を応援歌みたいなの作って、
プレゼントしたらすごい喜んでくれて、
これは売れるぞって。
そういうこと言ってくれたもんだから、
自分も自信がどんどん湧き上がってきちゃって、
兄弟たちもすごい良い曲だよ、これは売れるよみたいな、
はやしちゃってくれたんで、
あ、いけるなって。
それでまた変な自信を持ったっていうのもありますけど、
でもやっぱりすごい喜んでくれたので、
それはすごい嬉しかったんですけど、
でも実際その歌がきっかけでとは言ってくれてたんですけど、
そのお父さんも。
実際最初嫁3ヶ月って言われてて、
じゃあ早く曲作らなきゃと思って渡したら、
そっから3年?2年?
そうなんですか。
長く。
ずっと俺は曲のおかげだって言ってくれてたんで、
それは嬉しかったんですけど、
そうなんですね。
音楽の力ってすごいなとは思いましたね、
それは当時から。
本当に嬉しかったんでしょうね。
本当に嬉しかったんだと思いますね。
本当に喋らなかったんで、
どちらかって嫌いでしたから、
ただそこでお父さんがやってきた、
演歌会でやってきたこととかも、
いろんな話聞かせてもらいましたし、
でもその時は、
ああそうなんだっていうふうにしか聞いてなかったんですけど、
今思えばやっぱり大先輩ですから、
もっとちゃんとお話聞いとけばよかったなって思いますけどね、
今でこそ。
でもやっぱりそういったお父さんの地位を受け継いで、
音楽の道に行こうかなっていうのがあったかもしれないですね。
もしかしたら、
ちっちゃい頃から音楽とは触れ合ってたんで、
やっぱりそのままお父さんの影響かもしれないですけど、
歌詞かどうかはちっちゃい頃は分かってなくても、
歌ってるなっていうぐらいね。
それぐらいだったんですけどね。
今思えば、
本当にもうちょっといろんな話聞いとけばよかったかなとかも思いつつ、
でも当時は気づけないんですよね。
でもその曲っていうのは今も?
一応一枚だけレコードが残ってて、
それこそ今自分がやってるラジオ番組でも一回流したかな?
そうなんですか。
流しましたね。
でも遠藤実さんが曲提供してるんですよ。
僕が持ってる一枚のレコードは遠藤実さんが提供してて、
お父さんが歌ってる。
そうなんですか。
これ本当に多分すごかった方なんだろうなと思うんですよ。
うちのお父さん。
全然分かんないですけど。
だからもうちょっと話ちゃんと聞いとけばよかったかっていうので。
でもね、見てますね。きっとね。
見てますからね。
見てると思いますよ。
とりあえず頑張ってます。
今ね、お父さんにメッセージね。
とりあえず頑張ってます。
嬉しいと思うけどね、また音楽ね。
そうですね。
途中やっぱ封印してて、またやりだしたんですね。
そうですね。
過去もあるから。
応援してくださった方は本当に今までもいっぱいいたので、
やっぱり何かしらで恩返しはしたいなと思ってるので、
やっぱり世に出ていくか、ヒット曲を何か出すか、
そこらへんは死ぬまでにいきたいなと思ってます。
いつまでって決めちゃうとなかなか難しいので、
作らなきゃって言って作れるものでもないなっていうのが
余計に感じるんで、
本当に昔みたいにここに空中に文字が浮かんでくるぐらい、
今、どんどん降りてくるんで、
これもう書いとかなきゃみたいな。
当時ボイスレコーダーなんか持ってなかったんで、
ずっとそのメロディーを口ずさみながら家に帰って録音してたんですけど、
今もう携帯で、
今もうデータがパンパンです。
それぐらい、もう録音しとかなきゃとか、
本当にそういう状況に何てかなってるんで、
すごいですね。
今、やれと言わんばかりに進んでいけって言わんばかりにね。
今やらなかったら、
おそらくもうやれないなっていうふうに自分で思ってるぐらい、
すごいインスピレーション湧いてるんで、
これはやっぱりいろんな方々に聞いていただきたいなと思いますね。
そうですよね。
そのなんかまた世に出して、
それを聞いてくれる人がいるから、
そこがね、やっぱりね、
自分だけで楽しむものじゃないかもね。
そこがまた面白いですよね。
今はもう本当に、
昔CD出すって言ったらやっぱり事務所に所属して、
レコード会社と契約してとかでしたけど、
今は一応自分で配信できたりはしちゃってますので、
皆さんに聞いてもらえる機会は増えたのかなと思いますけど、
そうですよね。
やっぱりちょっといいものを皆さんに提供したいなと思いますね。
感慨深いです。