1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第242回「歌手だった父、そし..
2025-09-28 29:36

第242回「歌手だった父、そして母から受け継いだもの」シンガーソングライター:Ryoさん(後編)

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▶️ 2025年9月マンスリーゲスト

『シンガーソングライター』Ryoさん

◆目次

()-オープニング

()-歌手だったお父さまについて

()-お母さまとの思い出

()-変化してきた人生観

()-今のRyoさんにとって、

居心地の良い場とは?

()-この4年間で増えた趣味

()-エンディング

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◉Ryoさん プロフィール

2003年からシンガーソングライターとして活動。2009年に映画挿入歌を歌い全国デビューを果たし多数のテレビ、ラジオ等のメディアに出演。しかし、音楽に対して楽しく向き合えなくなり、一度音楽から離れ、ゼロから自分自身を磨こうと、様々な面での師匠達と出逢い、自分を作り上げ、10年振りに音楽活動を再開。現在は、中京圏を中心に活動し、愛知北FM84.2放送にて、毎週月曜日13時30~「犬山音楽占術」ナビゲーター、自身のYouTubeチャンネル【Loistaaチャンネル】、プロデュースや楽曲提供等、活動の幅を拡げている

⭕️Ryoオフィシャルサイト

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◉愛知北FMにて第1・第3月曜日

13:00~13:30 放送

『伊藤由美子のCozy Space』

番組YouTubeチャンネル

(Ryoさんゲスト回)

※番組内のBGMは全て著作権フリーの楽曲利用

サマリー

シンガーソングライターのRyoさんは、父から受け継いだ音楽への情熱や、母の陽気な性格について語っています。父は演歌歌手として活躍し、Ryoさんはその影響を受けて音楽の道を選びました。母の陽気な性格がRyoさんに与えた影響についても触れています。また、Ryoさんは父母から受け継いだ音楽の世界や、読書を通じて広がった創作の幅の重要性について言及しています。音楽とプールの監修員の仕事を通じて得た経験が歌詞に反映されており、彼の居心地の良い空間が音楽活動の楽しさを増していることも語られています。さらに、Ryoさんは理想のライブバーを開く夢に向けて、歌や料理、カクテルを学ぶ努力を続けています。

音楽への情熱
こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第242回。
2025年9月のゲストは、シンガーソングライターのRyoさんです。
Ryoさんへのインタビューは、第241回と第242回の前半・後半に分けてお届けしています。
Ryoさんへのインタビュー後半は、Ryoさんの子両親のことや、Ryoさんにとっての居心地の良い場についてお話ししていただいています。
では早速、Ryoさんのお話をお聞きください。
ちょっと話変わりますけど、Ryoさんのお父さんも歌手だったんですよね?
そうですね。
そこって演歌歌手だったんですよね?
演歌歌手だったんですよね。ちょっと今、もう亡くなっちゃいましたけど、
矢城明さんと同期で一緒にやってたぐらい。
そうなんですか。
すごかった人みたいなんですけど、僕は知らないです。そのすごかった時代は。
もうレコードとかは家にありましたけど、それこそ見たことないカセットテープみたいな、そういうのとかはどっさりあったんですけど、
これがお父さんっていう、
繋がってなかったの?
なかったです。
歌うまいなぁと思ってました。
それは歌手だからね。
ギター弾くなぁとかは思ってましたけど、それぐらいでしか思ってなくて、
で、僕が音楽をやりたいって言ったのが16、17ぐらいだったんですけど、
その時まで正直お父さんの話したくなかったっていうか、あまり好きじゃなかったんで、
お父さんのことあんまり好きじゃなかったんで、あんまり話したくなかったですし、
ただ、音楽のことだから話しとかないといけないよなっていうので、話したらすごい喜んでくれて、
本当に背晴れが、自分の後を継ぐみたいな、それぐらい喜んでくれて、
そっから初めてですね、ちゃんとお父さんと話すようになったの。
そうなんですね、それきっかけでね。
それきっかけで、それこそギターってどうやって弾いたらいいのとかも聞くようになりましたし、
どういう風に歌ったらいいのとかも聞いたら、好きに歌えって言われましたけど、
そんな高い指導はなく。
好きなように歌えっていう風にしか言われなかったですけど、
ただやっぱり、いろんな歌は聴けってその時にも言われてたんですけど、
その時でもまだやっぱり僕は頑固だったんで、
いやいや、っていう感じでしたけど、
もう自分の好きなやるわで終わっちゃったんですよ。
そうなんですね。
別に俺ってお父さんから教えてもらうっていうことはなかったんですけど、
とにかく喜んでくれたもんで、
それだったら、うちのお父さんがガンで亡くなっちゃったんですけど、
その時に初めに親孝行しようと思って、
お父さんに向けて頑張れっていう歌を応援歌みたいなの作って、
プレゼントしたらすごい喜んでくれて、
これは売れるぞって。
そういうこと言ってくれたもんだから、
自分も自信がどんどん湧き上がってきちゃって、
兄弟たちもすごい良い曲だよ、これは売れるよみたいな、
はやしちゃってくれたんで、
あ、いけるなって。
それでまた変な自信を持ったっていうのもありますけど、
でもやっぱりすごい喜んでくれたので、
それはすごい嬉しかったんですけど、
でも実際その歌がきっかけでとは言ってくれてたんですけど、
そのお父さんも。
実際最初嫁3ヶ月って言われてて、
じゃあ早く曲作らなきゃと思って渡したら、
そっから3年?2年?
そうなんですか。
長く。
ずっと俺は曲のおかげだって言ってくれてたんで、
それは嬉しかったんですけど、
そうなんですね。
音楽の力ってすごいなとは思いましたね、
それは当時から。
本当に嬉しかったんでしょうね。
本当に嬉しかったんだと思いますね。
本当に喋らなかったんで、
どちらかって嫌いでしたから、
ただそこでお父さんがやってきた、
演歌会でやってきたこととかも、
いろんな話聞かせてもらいましたし、
でもその時は、
ああそうなんだっていうふうにしか聞いてなかったんですけど、
今思えばやっぱり大先輩ですから、
もっとちゃんとお話聞いとけばよかったなって思いますけどね、
今でこそ。
でもやっぱりそういったお父さんの地位を受け継いで、
音楽の道に行こうかなっていうのがあったかもしれないですね。
もしかしたら、
ちっちゃい頃から音楽とは触れ合ってたんで、
やっぱりそのままお父さんの影響かもしれないですけど、
歌詞かどうかはちっちゃい頃は分かってなくても、
歌ってるなっていうぐらいね。
それぐらいだったんですけどね。
今思えば、
本当にもうちょっといろんな話聞いとけばよかったかなとかも思いつつ、
でも当時は気づけないんですよね。
でもその曲っていうのは今も?
一応一枚だけレコードが残ってて、
それこそ今自分がやってるラジオ番組でも一回流したかな?
そうなんですか。
流しましたね。
でも遠藤実さんが曲提供してるんですよ。
僕が持ってる一枚のレコードは遠藤実さんが提供してて、
お父さんが歌ってる。
そうなんですか。
これ本当に多分すごかった方なんだろうなと思うんですよ。
うちのお父さん。
全然分かんないですけど。
だからもうちょっと話ちゃんと聞いとけばよかったかっていうので。
でもね、見てますね。きっとね。
見てますからね。
見てると思いますよ。
とりあえず頑張ってます。
今ね、お父さんにメッセージね。
とりあえず頑張ってます。
嬉しいと思うけどね、また音楽ね。
そうですね。
途中やっぱ封印してて、またやりだしたんですね。
そうですね。
過去もあるから。
応援してくださった方は本当に今までもいっぱいいたので、
やっぱり何かしらで恩返しはしたいなと思ってるので、
やっぱり世に出ていくか、ヒット曲を何か出すか、
そこらへんは死ぬまでにいきたいなと思ってます。
いつまでって決めちゃうとなかなか難しいので、
作らなきゃって言って作れるものでもないなっていうのが
余計に感じるんで、
本当に昔みたいにここに空中に文字が浮かんでくるぐらい、
今、どんどん降りてくるんで、
これもう書いとかなきゃみたいな。
当時ボイスレコーダーなんか持ってなかったんで、
ずっとそのメロディーを口ずさみながら家に帰って録音してたんですけど、
今もう携帯で、
今もうデータがパンパンです。
それぐらい、もう録音しとかなきゃとか、
本当にそういう状況に何てかなってるんで、
すごいですね。
今、やれと言わんばかりに進んでいけって言わんばかりにね。
今やらなかったら、
おそらくもうやれないなっていうふうに自分で思ってるぐらい、
すごいインスピレーション湧いてるんで、
これはやっぱりいろんな方々に聞いていただきたいなと思いますね。
そうですよね。
そのなんかまた世に出して、
それを聞いてくれる人がいるから、
そこがね、やっぱりね、
自分だけで楽しむものじゃないかもね。
そこがまた面白いですよね。
今はもう本当に、
昔CD出すって言ったらやっぱり事務所に所属して、
レコード会社と契約してとかでしたけど、
今は一応自分で配信できたりはしちゃってますので、
皆さんに聞いてもらえる機会は増えたのかなと思いますけど、
そうですよね。
やっぱりちょっといいものを皆さんに提供したいなと思いますね。
感慨深いです。
母の陽気な性格
今のお父さんのお話を伺いましたけど、
お母さんってどういう方なんですか?
お母さんは普通と言えば普通ですね。
普通だろうか。
お母さんは沖縄の方で、
お父さんは北海道の方で、
横浜で出会ってとか、
それはそれで何か曲にできそうですけどね。
どういう経緯でとは詳しく聞いてないですけど、
もうザ沖縄ですね、うちのお母さんは。
陽気な感じ?
陽気ですね。ずーっと陽気ですね。
じゃあ、りょうさんはお母さんの陽気の感じを受け継いでる?
あるかもしれないですね。
テレビこうやって何もついてなくても急に笑い出したりする。
どういうこと?
よく分かんないですよね。
急に笑い出す?
みんななんでお母さんが笑ってんの?
いや、なんか面白かったから。
思い出し笑いしてるんだよ、一人で。
思い出し笑いしたり、
よく分かんないけど笑ったりしてるんで、
そこらへんは受け継いだかもしれないですけどね。
陽気といえば陽気ですね。
陽気だわ。
うちはどちらかというとみんな陽気なのかな?
兄弟の方も?
陽気かもしれないですね。
でもここ最近、そうだな、絶対会ってないですけど、帰れてないんであれですけど、
そこらへんの陽気さは受け継いでるかもしれないですね。
仕事やり始めて余計に陽気って大事だなって思ったんで、
若い時は何も気にしなかったんですよ。
誰から嫌なこと言われたりしても何にも気にしなかったんで、
それもそれで強いですね。
精神的な面は今よりかは強かったと思います。
今はやっぱり相手のことをより考えるようになってしまったので、
こう言ったらいけなかったよなとか、そんな気使うことなかった。
よくなかったと思います。
何言われても何にも気にしなかったです。
音楽と仕事の経験
それこそ僕のホームページ荒らされたんですよ。
誹謗中傷とかじゃないんですけど、すごい荒らされて、
いろんなこと書かれたりもしたんですけど、逆に嬉しかったです。
こんなに注目してくれるんだ。
そのマインドは結構必要かもしれないですけど。
今でもそこら辺はありますけど、
そういうのも何にも気にしなかったです。
誰も言っちゃいけない言葉とか恐らく言ってたと思うんですよ。
相手を傷つけてしまってたと思うんですけど、
そんなのも何にも気にしなかったんで、
人間としては良くなかったなと思います。
その細やかな部分がわかるからこそ歌詞も書けますよね。
だと思います。本当にそう思います。
ここでこういう風に書いたらきっと刺さるだろうなとか、
こういう風に書いた方がより情景が浮かぶだろうなとか、
そういうのを今余計に考えて書いてるんで、
当時は本当に何もバーって書いて、
よし!歌うぞ!って言う。
聞け!聞け!俺の歌聞け!みたいな。
体育会系なりですね。
どちらかというと体育会系だったと思います。
バイトとかやってて、ボールの監修員とかやってましたけど、
みなさん体育会系だったんで、
俺の命令聞け!みたいな。
お前年下だろ!っていうぐらいの、
変な縦社会みたいな感じで、
動いてたところはあるかもしれないですね。
今はちょっとイメージできないけどね。
そうですね。
夏になったら毎年真っ黒でしたし、
そうなんですか?色白の岩さんがいた。
本当にもう黒光りしてるぐらい、
当時ガングロギャルとかが流行ってた時とかですか、
ナチュラルで日光でガングロだったんで、
もうそっちの部類に入ってましたけど、
今では考えられないですけど、
今はもう紫外線にどうやって当たらないようにするか。
お肌のためにね。
本当にそこら辺も変わりましたね。
変わったなぁ。
まさかのインタビューしてる中で、
プールの監修員のバイトをやってたって厚みになったんですけど。
4年ぐらいやってました。
そんなにやってたんですね。
やってて途中2年、監修長になって。
そんなに?出世しちゃったんですか。
出世してやってましたね。
少男のプールでやってました。
その時は。
若かったなぁ。
若かったと思う。
思い出話に浸ってましたけど。
若かったと思いますよ。
そうなんですね。
そうだなぁ。
いろいろ申し訳なくなりますね。
当時。
これ本当に聞いてほしい。
タイ語スリップさせて。
自分に聞かせたい。
ちゃんと周りに感謝しなさい。
っていうのを聞かせてあげたいですね。
そうなんですね。
りょうさんね。
まさかのシンガーソングライターの
曲作りの話から
プールの監修員までの話に
行くとは思わなかったんですけど。
いろいろやってきましたね。
そう思うと。
いろいろバイトもして。
経験はしないとなっていうので。
そこは事務所の人からも言われましたけど。
とにかくいろいろ経験して。
経験を詰めって言われて。
それがやっぱり歌に
生かされるからって言われてたんですけど。
当時は本当に分かんなかったですね。
居心地の良い空間
何がこれ意味あるのかとか。
それこそ解体屋さんとかもやったりして。
そうなんですか。
とにかく何でも。
飲食店。
そういう力系とか。
いろんなことやって。
これが何の音楽に役に立つのかなって。
当時は思っちゃってたんで。
余計に気づけないですよね。
気づけないです。
本当にこんな辛いことやって。
意味あるのかなとか。
やっぱり思っちゃってましたから。
ちょっと良くないですね。
当時の自分は。
そうですね。
前も出ていただいた時に
聞いたんですけど。
質問ね。
この番組
必ず聞く質問がありまして。
伊藤美子のコーディスペース。
コーディスペースっていうのは
居心地の良い場っていう意味なんですけど。
今のりょうさんにとって。
今か。
居心地の良い場は何ですか?
って聞かれたらどう答えます?
当時というか前に出た時
なんて答えたんだろう。
家って答えたよね。
家って言ってましたよ。
それはもしかしたら変わらないかもしれないですね。
今また自分でその空間を
また違った空間に
作り上げてるんで。
居心地が良いって言うと
今はその音楽をしてる時の
空間かもしれないですね。
家で?
家で。
それこそ後は
音楽を聞きに行った時。
自分がその好きな
音楽とかを聞きに行った時は
そこがまた
居心地の良い空間になるかもしれないですし。
今は
自分にとってこの
何ですかね
プラスになるっていうか
そういうところを全部居心地が
よく感じてるかもしれない。
当時は家のみ
家だけが
自分の居心地良い空間でしたけど
今はそうやってコンサート
行ってる時の空間も
すごい良いなって思いますし
音楽に携わってる
時間は全部今のところ
居心地が良いなって感じる
感じはしますね。
今の答えから
いくと
音楽をやること自体がすごく楽しい
楽しくなってますね。
4年前
インタビュー受けた時は
そこまでだったと思います。
多分ね。
もちろん好きだから
やってるってのは分かるんですけど
もう少し苦しみも感じながら
っていうところも
あったのかもしれないですよね。
その時ってまだ
やり始めました
っていうぐらいだったと思うんで
それこそ曲作ったり
とかまでは
やろうかなとそこまで思ってなかった
と思いますし
今は本当に
アーティストっぽいこと
してる
ちょっとしてるなっていう
感じがやっと出てきたのかな
って思いますね。
創作活動の時間も増えてるってことですよね。
大変増えたと思いますね。
仕事してる時は
やっぱり仕事を脳になってますけど
終わったらずっと
音楽のこと考えてます。
こういう歌詞出てきたから
メモっとこうとか
創作活動のようにシフト
自然にできてるってことですね。
こういう感じが今流行ってるのか
とか
今こういう曲調が求められてるのか
とかそういうのも
余計に
敏感になってるかもしれないですね。
本当にテレビ見なかったんですけど
やっぱり
今の世の中に求められてる
こととかは
知っといた方がいいのかなと思って
流行りに乗ろうか
とは思わないんですけど
やっぱり知っとくことで
また何か違う音楽ができるのかな
とかも思ったりして
本当に自分から取りに行ってる
って感じですね。
4年前は引きこもりだった
と思うんですよ。
もう家でじっとしてないな
っていう感じだったと思うんですけど
今は
家は家で自分でやっぱり
そういう好きな空間を作って
外に
行った時もやっぱりそれは
外からまた自分に
いいエネルギーをもらうように
そこはそこで
いい空間だなと思えるようになったので
今までは
跳ねのけてたところはあると思いますね。
趣味の増加と新たな挑戦
やっぱりもう家がいい
っていう感じがずっとあったので
もう早く家帰りたいな
ここの空間
なかなか楽しめないなとか
でも今それが
考え方が変わったんだと思いますね。
ここいい
っていうところは増えたと思います。
じゃあ
自分の世界が広がっていってるってことですよね。
広がっていってると思います。
趣味もやっぱりすごい増えました。
そうなんですか。増えたと思いますよ。
この例えば4年間で行くと
どういった趣味が増えたんですか。
もともと
本当に最初からの
夢というか
やろうって思っていることは
ライブ場を
開きたいなっていうのはずっとあったので
料理とかは
ずっとやってましたけど
それこそお仕事の
お師匠様がお酒を作れるので
お酒も
本当に
カクテルとかですか
作れたらいいなと思ってたんですけど
降りてはやってなかったんですよ。
でもここ
本当に3年ぐらいですか
10年ぐらいは
やっぱり
ちょろちょろ教えてもらってたんですけど
本格的にやろうと思って
本格的に勉強しようと思ったのは
ここ3、4年ぐらいだと思う。
3、4年やってたら結構いろんなカクテル
作れるんじゃないですか。
そこら辺も本当に感覚で
一滴違うだけで
味が変わっちゃうね。
それぐらい細かいんで。
それは
料理にも役に立ちますし
今までどちらかというよりも
入れすぎたとか
あれ忘れたとか
あったんですけど
今そこら辺も
またちょっと違った形でいい
料理の作り方が
できてきてるんで
それこそ
3、4年で
料理の仕方も変わりました。
そうなんですね。
変わりましたね。
料理の仕方、お酒
CDじゃなくて
レコードを聴く
っていう機会も増えましたし
またちょっとレコードが見直されて
今はね
音楽と読書の影響
流行ってるんですよね。
それは知らなかったんですけど
ずっとそのレコードも
やっぱり当時の
目閉じて聴いてると
そこで
録音してる映像とかが
見えたりしてくるんで
こういう感じで歌ってるんだ
とか
またそれはそれで
すっごいいいなって思うんで
全然違いますよね。
今のCDとかより
昔の針落として聴く
レコード
あれがいいんだと思いますね。
なんか
綺麗に聴くっていうのは
当たり前になってるのかもしれないですけど
そうですね。
また当時の
荒々しさとか
抑揚の仕方とか
勉強になることすごいいっぱいあるなと思って
降りて聴いたりもしてますし
そうですね。
興味持つことは
多くなったと思います。
あんまり周りに興味がなかった
のはあるんで
自分にも
余裕ができたってことですかね?
キャッパが増えたっていうか
あとやっぱり
本を読むようになりました。
漫画しか読まなかった
少年ジャンプは
毎週読んでますけど
そうですね。
小説読むと
最初の2行ぐらいでもう
寝てたんですか?
おやすみなさい
っていう感じだったんで
読めるようになりました。
どういうジャンルが多いんですか?
それも師匠に聞いて
師匠はいっぱい本読んでたんで
どういうのから入ったらいいですかね
僕は謎解きとか
ミステリーとかサスペンスとかは
好きなんで
そういうのから入ってみようか
というので少年探偵団から
読みやすいよっていうので
そしたらもう一気に
3冊ぐらい読んじゃいましたもん
最初から
それも読みやすい
それも読みやすい
想像しやすいんで
その本の世界の
想像しやすいって
歌にやっぱり
反映してくると思うね
だからもっと早く本読まないと
いけなかった
本読めって
事務所の人にも言われてました
言われてましたけど
いや、眠くなるから
読まないです
僕は漫画だけ読みますっていう
漫画からもだいぶインスピレーションは
得られるんで
いいです
お断りして
結構自分で
扉を閉めちゃってたんです
もっといろんな世界があったのに
楽しいですもん
この小説どんな感じかなっていうので
なるほどね
どんな世界がここに繰り広げられるんだろう
立ってこんなところに
すごい世界があると思うと
やっぱり曲も
広がりますね
そうだよね
すごい
今まで本当に自分の歌詞見直したときに
小さい世界なんですね
自分の中で処理してるだけの
世界なんで
自分の想いが
書かれてるだけが多かったんです
今までが
情景が
なかなか
追いつかないというか
自分だけの本当に自己満の
世界で歌っちゃってたな
っていうところで
相手に伝わってなかったなと思いまして
今はもう本当に
いろいろ広がってますね
本読めるって
すごいなと思いますね
これはやっぱり絶対
皆さん読んだほうがいいな
だって言葉
自体も読むことによって
やっぱり語彙が
多くなるってことですよね
本当に
昔の歌詞
一緒の言葉しか書いてなかった
また使い回しの
言葉は
知らないんだろうなっていう
そうですか
今は
いろんな言葉で書けますし
楽しいですね
本当にこういう表現したほうが
よりありがとう
感謝の言葉伝わるだろうなとかも
考えられるようになったんで
本当にそこら辺も
ありがたいですね
ありがたいですわ
本当に今の話聞いたのに
本も読むなり
カクテルも勉強し
勉強し
料理も
一からではないですけど
またちょっと
自分に合った料理の仕方も
やっぱり今勉強しつつ
ちょっと本当に
自分が最終的に
思い描いている理想像
そのライブバーをやりたい
っていうのがちょっとずつやっぱり今
近づいてきたかなって思ってますね
やっぱり
自分も歌っていきたいなっていう
ところが
ちょっとこの10年間くらいはなかったんで
ライブバーもやろうかどうか
迷っちゃってた
途中も封印してた
今はもうやっぱり
自分の店も
最終的にはですけど
そこで自分も歌って
美味しいお酒も美味しいつまみも
提供できたら
お客さんも幸せだろうな
っていうところを
ちょっと目指したいなっていう
それまでにも
たくさんの
新しい歌がきっと
生まれると思うので
ですね
今ね
2025年の
8月の終わりに
収録させていただいてますけど
ここからまた来年に向けて
いろいろ活動を
進めていかれると思いますので
やりたいですね
そうだな
なかなかこういう風に自分のこと
喋る機会がないんで
理想のライブバーを目指して
ありがたいと思いますね
ありがとうございます
どちらこそ
そうなんですね
本当に来年に向けてまた
音楽を楽しみながら
創作活動を続けていただければ
と思います
そこはちょっと頑張ります
ありがとうございました
ありがとうございました
りょうさんにご登場していただきました
りょうさんのことをもっと知りたい方は
概要欄に記載しておきますので
チェックしてみてくださいね
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は
podcast音声アプリの
フォローボタンをポチッと押していただくと
新しく配信されたものが
スムーズに聞けますので
番組登録をよろしくお願いします
この番組は
音楽事務所ロイスタープロダクションの
提供でお送りしました
それでは次回もお楽しみに
伊藤絵美子でした
29:36

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