1. 伊藤由美子のCozy Space
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2025-09-14 33:21

第241回「変わる自分、変わらない想い〜あの頃の自分に伝えたい〜」シンガーソングライター:Ryoさん(前編)

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▶️ 2025年9月マンスリーゲスト

『シンガーソングライター』Ryoさん

◆目次

()-オープニング

()-アフ朗くんのココだけの話

()-初出演の4年前を振り返って

()- 製作活動について

()-プロデュース業への興味関心

()-木製フルート奏者の森川健士さん

との出会い

()- 20代と今との違い

()-エンディング

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◉Ryoさん プロフィール

2003年からシンガーソングライターとして活動。2009年に映画挿入歌を歌い全国デビューを果たし多数のテレビ、ラジオ等のメディアに出演。しかし、音楽に対して楽しく向き合えなくなり、一度音楽から離れ、ゼロから自分自身を磨こうと、様々な面での師匠達と出逢い、自分を作り上げ、10年振りに音楽活動を再開。現在は、中京圏を中心に活動し、愛知北FM84.2放送にて、毎週月曜日13時30~「犬山音楽占術」ナビゲーター、自身のYouTubeチャンネル【Loistaaチャンネル】、プロデュースや楽曲提供等、活動の幅を拡げている

⭕️Ryoオフィシャルサイト

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◉愛知北FMにて第1・第3月曜日

13:00~13:30 放送

『伊藤由美子のCozy Space』

番組YouTubeチャンネル

(Ryoさんゲスト回)

※番組内のBGMは全て著作権フリーの楽曲利用

サマリー

シンガーソングライターのRyoさんは、4年前の自分との変化や成長について語り、当時の楽曲やキャラクターに対する思いを振り返っています。彼は過去の経験から得た気づきをもとに、現在の音楽活動におけるアプローチの変化についても触れています。Ryoさんは自身の音楽作りの変化や成長について語り、過去の自己を振り返りながら、音楽や表現力の向上を感じ、新しい刺激を受けている様子を語っています。このエピソードでRyoさんは自己の成長や周囲の人々への感謝について話し、過去の自分に伝えたい思いを振り返ります。彼は音楽と人間としての成長が密接に結びついていると感じています。

00:08
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
Ryoの過去と現在
伊藤由美子のCozy Space第241回、2025年9月のゲストは、シンガーソングライターのRyoさんです。
Ryoさんへのインタビューは、第241回と第242回の前半・後半に分けてお届けします。
今回は、インタビュー前の和やかな雑談から始まり、Ryoさんへのインタビュー前半は、この番組に4年前に出演していただいたときから、今日までの変化についてお話ししていただいています。
では早速、Ryoさんのお話をお聞きください。
5分でボッドキャストっていうのもありえない。Ryoの今日の一人言って。
昔やってましたよ。自分のホームページで、まだこういうのがそこまでないとき、本当に自分でホームページを簡易で作れるやつで作って、そこにボイスを投稿できたんですよ。昔。
で、一人で一人言を本当に喋ってました。ダジャレとか。
なんでそこでダジャレなの?なんでダジャレなの?
なんでダジャレだったか。なんか変な自信があったんですよ。そのとき。自分がダジャレ言ったら面白いじゃないかと。
それ何?それ何?勘違いだった?
勘違いだと思いました。ただの。別に面白くないですよ。
聞いた人なのに。
ありましたよ。コメント。
コメントどんな感じですか?
あ、またか。なんでダジャレ言うのっていう人やっぱりいましたね。
ほんと?
いました。いました。
それこそ、アフロくんが誕生したときもすごい批判でしたもん。
え、そうなの?
すごい批判。批判っていうか、なんでそんなことするのってほぼ周りの人から言われてた。
りょうさんがプロデュースした、あの、ズラズラっていうか、アフロくんのことを。
若いときはもうほんとに外見をビシッともっと決めてて、もうかっこいい路線で行こうかなとか思ってたときもあった。
事務所もそっち推しで。
そうですね。そういう感じで行けみたいな。
そこでアフロくんが出てきたんで、え?っていう。
アフロくん事務所にはOKもらわずにやっちゃったの?
自分でいろいろやっちゃってたんで、あれですけど、あの、このりょうが崩れるっていう。
それこそほんとに一緒に出てた女性のアーティストの方からも言われました。
あ、そうなんだ。
もったいないことしてるとか言って。えぇー。
でもなんかやりたいことだったんで、まあでも。
あれじゃない?時代が早かったんじゃないの?
もしかしたら。
もしかしたらね。今とちょっと違うよね。きっとそれって。
20年は前でしょ。きっと。
もう20年くらい前ですね。
なんでそんなにわざわざ自分がそういうキャラクター演じて笑わせる必要あるの?って言われて。
いやー、やりたいもんな。
それだけですね。
なんか周りからとやかく言われたくなかったんで、当時は。
もうとにかく自分に自信がありましたし。
やりたいことなんで、特に事務所とかもそうですけど。
周りからやるなって言われるのがすごい嫌いだったんで。
うーん。いや、やる。
いや、やります。僕は。
でも本当にやりたいことだったんだよね。だって今も生き残ってる。
一人で。また出てきましたけどね。
途中から不倫しようかなって思いましたけどね。
いや、でもまた復活してるわけだから。
復活したもんなー。
なんかその寮でのキャラクターで、一応最初はああいう曲。
まあ、ああいう曲ちょっと聴いてないとわからないですけど、ちょっとノリノリな。
ディスコチックな曲を一応自分でも作って歌ってたんですよ。
そしたら合わなかったんです。
自分の風貌と合わなくて。
うーん。と思った時に、
違うキャラクター作っちゃおうっていうので、
もうハマったんですよ。ぴったり。
その時にちょうどというか、
キシダンさんのボーカルの綾野孝司さんが
DJおずまっていうのをやってたんですよ。
で、それ見てこれだと思って。
DJおずまさんはちょっとプチアフロみたいな感じだったんですけど、
それを見てもっとデカくしたいっていうので、
あれがアフロくんが誕生した。
とにかくその時に大きいアフロずっと探してました。
ずっと探してました。今みたいにアマゾンとか。
そこまでなかったと思うんで。
とにかく東急ハンズ行ったり、
ドンキホーテ行ったり。
それこそ自分で作ろうかなと思って。
ちっちゃいアフロいっぱい買って縫ったりしてました。
結構努力してますね。
すごいね。
衣装もやっぱり奇抜な方がいいなと思って。
今はすごいキラキラになりましたけど、
そこまでスパンコールっていうのも見つけられなかったので、
女性用のベリーダンスで着てるような、
あれをアフロくんに着せて歌って踊って。
いろんな歴史があるんだね。
やってましたね。
いろんな歴史があるね。
もう20年ぐらい経ちますね。
そうだな。
アフロくん生誕20周年記念ライブ。
あいつだけじゃちょっときついですね。
ちょっと体力が落ちてきてますね。
って言ってました。
これいきなりアフロくんの話から入ってますけど。
結構アフロくんと梁さんが全く違う人物だと思ってる人も実はいるっていう。
でも分かんないんじゃないですか。
本当に最初の頃もこの梁は隠してアフロくんだけ出てたりしてたんで。
本当に分かんないんですね。
本当にもうキャラ作りして、
もともと喋ると分かっちゃうんで、
あんまり喋らなかったキャラだったんです。
だからラジオに出るとかは絶対なかったです。
当時は言われてましたけど、ラジオ出てこいって。
あとはそこらへん歩いてこいとか言われたんです。
それで電車乗れとか。
途中から事務所OKだったの?
その時はどうだったの?事務所入ってるか入ってないかとか。
まだジューディーやってた時かもしれないですし。
それで路上やったらもう本当に一気に100人ぐらい集まっちゃって。
ちょっと有名な路上のところでやったら一気に集まりすぎちゃって。
ポリスが来ましたね。
じゃあ今度は新宿駅ぐらいのあたりでやったら。
でも今変わった方々たくさんいらっしゃいますもんね。
だからちょっと珍しくなるかもしれないですよね。
昔よりは。
でもそれでもインパクトあるかもね。
あるか。
犬山の城下町、歩いた時は確かにすごかったですね。
犬山城下町ね。すごかったもんね。
あれはすごかったです。
歩いた時はあそこもすごかったから。
まだ需要があるかもしれない。
いきなりポッドキャストインタビュー。
りょうさんプロデュースのアフロー君からの話になってますが。
りょうさんって私のこのポッドキャスト番組4年ぐらい前の
2021年の7月のマンスリーゲストで配信してるんでしょ。
その時も夏でした?
夏ですね。
すごい。
そうなんです。
だからそこから4年なんですよね。
4年経ちましたか。
4年早いですね。
そうですね。4年間のうちにいろいろあったとは思うんですけど。
成長したかしら。
してると思いますけどね。きっと。
その時の本当にちょっと記憶がないですけど。
たぶんまだまだ荒かったと思います。
荒かったと思いますか。
荒かったと思いますね。
しょっちゅう俺って言ってたと思います。
いいじゃないですか。俺ダメなんですか。
僕って言えって。やっぱりこういうところでは。
それこそ前の事務所とか言われてました。
そうなんですか。そういうキャラクターで。
キャラクターというかなんか俺って言うなって言われて。
そうなんですか。
なんでかわからなかったですけど。
そっか。理由が欲しかったね。
でもテレビとか見るとみなさん僕って言ってたりする人が多いんで。
確かにね。多いかもね。芸人さんとかは別かもしれないけど。
芸能界は僕なのかっていう。
じゃあ今日は自由に僕でも俺でもいいですけど。
その時のアレで。
その時のアレで。
4年経ったということでね。
だいぶ考え方また変わったと思います。
そうですか。
また師匠に教えてもらったこともいっぱいありますし。
音楽観の変化
歌のところでいくと自分の中で4年間の間に何が変わったと思いますか?
ガラリと変わったと思います。
それはどのあたりが変わった?
結構このユミコさんに教えられた部分もありますよ。
そうですか。何を教えました?
ポッドキャストじゃないほかの工事スペースですか?に出て。
愛知機体組の方にも半年に一遍くらい出ていただいてるんですよ。
ですよね。
それで気づかされたこといっぱいありますもん。
そうなんですか。役に立ってます?
かなり。
具体的に今思い浮かぶことは?
まず本当に自分の曲ってすごい良いなと思ってたんですよ。当時は。
ずっと封印じゃないですけど歌わない期間が10年くらいあって
いざやっぱり人前で歌おうってなった時に
改めて歌詞を見た時に
軽い。
軽いなというか浅いんですよ。
若いからでしょ。
若いからだと思うんですけど
人生経験やら何やらが少ない歌詞だなっていうのと
ちょっと自己中ではないですけど
ちょっと自信に満ち溢れすぎた
思いが詰まりすぎて
ちょっとこれ聴いてる人は弾いちゃうんじゃないかなみたいな
なんか当時はそこまで
誰かのために歌ってますけど
なんか自分の歌ってっていう方が
大きかったんですよね。
誰かのことを考えてとか
それこそ深堀さんのお話聞きましたけど
深堀さんね。
やっぱり相手のことを楽しませたいとか思ってたんですけど
やっぱりどこかで自分の歌が強すぎて
ちょっと伝わりづらい歌詞を書いてたかなとか
いろいろ本当に思いました。
改めて自分の歌を分析することがなかったんで
だからまずそこに気づけたことで
やっぱりちょっと歌詞も変えていかないといけないし
それこそ曲調も若い。
当時はアコースティックストリートで流行ったりもしてたんで
ゆずさんとかじゅうくんさんとか
そこら辺を目指してやってた時があったんで
そういう路線で行こうと思ってたんですけど
音楽と自己の変化
どうも自分はちょっと違うかと思い始めたのは
本当にここ数年ぐらいです。
じゃあ全然この曲作り
全く今コンテから違う感じ?
もう違います。変わりました。
それこそ全く今違うものを作ってます。
そうですか。
全く違います。自分でもびっくりします。
こんな歌詞を書けるようになったんだっていう歌詞を書いてます。
本当に数々のご縁と師匠たちに感謝です。
こんなに歓声って変わってたんだと思いました。
そうなんですね。
すごいって自分で思いました。
りょうさんの難面が変わってたから
それが出てくるってことですもんね。
だと思いますね。
やっと深い歌詞が書けるようになった。
今でもストレートの歌詞しか書けないんですけど
わかりやすいというか
なかなか比喩表現とか難しくて
うーんと思ってたんですけど
最近そこらへんもうまく織り混ぜて作れるようになってきて
より表現力が高まったというか
歌い方もだいぶ表現力が高くなったかなとは思ってるんです。
昔に比べたら。
音楽業界での学び
前ダンシャリしてた時に
MDウォークマンが出てきて
懐かしいですね。ちっちゃいやつ。
どっさり。
僕が一番最初にボイストレーニングしてた時
まだMDが主流だったんで
MDに録音して
それ聞いて
ここダメだなあそこダメだなあ
みたいな感じでやってたんで
それがどっさり出てきて聞いたら
あー!
これ多分出せないなっていうレベルです。
そのレベルでしたね。
全部棒読みの歌い方みたいな感じで
欲望があんまりない?
欲望なしです。ゼロです。
その時はそれが自分のベストだと思ってやってたんですよね?
ベストだったと思いますけどね。
それこそ本当に
なんで自分売れないんだろうと思ってたくらいですから
なんで他の人売れて自分売れないのかなって
ずっと思ってたくらいの自信に満ち溢れて
いや、これはないな。
これは出せないな。
いつか出すかなと思ってますけど
だいぶ前ですよね?
でもその後に
ポッドキャストのインタビューを4年前に受けて
受けていただいた時から
さらにここでまた進化してるわけですよね?
変わったと思います。
シンガーソングライター、りょうが
シンガーソングライター
本当に曲作りはガラリと
それこそ本当にゆみ子さんの番組で
出会った方々、その音楽の方々
ゲストの方々ね
ゲストの方々ね、プロもミュージシャンもね
そこからやっぱりいろんな刺激を受けまして
こういう曲の作り方あるんだとか
こういう歌詞の書き方あるんだとか
こういう曲のジャンルあるかとか
やっぱりいろいろ感じさせてもらうことが多かったので
今までそんなにしょっちゅう
そんなすごい方と会う機会がなかったんで
そもそも
自分でライブはやったりはしてましたけど
やっぱり自分がやるライブって
同じぐらいの方々というか
刺激を受けることもたくさんありますけど
またやっぱり慰め合うことが多かったんで
年齢も近い方が多かったんですかね
また頑張ろうぜみたいな感じが多かったですけど
やっぱりデーベテランの方々
かなり年齢もちょっと上の方ね
お手伝いさせていただいたりとかで
なるほどって思うことたくさんありましたから
歌そのものもあるんだけど
トーク自体もそこからやっぱり学べることってありますよね
だいぶそれこそずっと
本当に何十年もやられてる
続けていくってことは大変ですもんね
音楽業界でね
正直僕も今のお仕事やって
それで音楽も趣味でいいかなって思ってたぐらい
時期があったってことですよね
そこでまたよし頑張るぞって思えたのは
やっぱりそういういろんなきっかけがあったから
とりあえずちょっともう一回
とにかく今ちょっともう一回頑張ってみようかな
と思ってますけどね
ちょっと前にお聞きしたんですけど
新しい曲がね結構次から次にできてますってことでね
今5、6曲本当に2ヶ月ぐらいで
今5、6曲7曲目
アルバム1枚できますね
できそうですね
今ちょっとあのやっぱり一人じゃ
なかなか難しいところもあるんで
ちょっとお手伝いをしていただいてるっていうのもありますけど
歌詞をちょっと提供していただこうっていうので
それはちょっと後々公表できたらなと思いますけど
それもいいですよね
自分で作って歌うのもいいんだけど
やっぱり人から提供された曲を歌うっていうのも
また一つ勉強になっていくんじゃないかなと思うんですけど
それこそ本当に20代
自分で自信に満ちあふれてた時は
カバー歌う意味がわからなかったですもん
カラオケとかはいけましたけど
人前でカバーをなんで歌うんだろうって思ってて
自分で曲作れるのに
自分はですけど
その意味もわからず
他の人の歌聞いたりはしてましたけど
ほぼ聞かず
自分はこうしたいっていうのだけ
ダーってやってたんで
他の人の感性も何も入ってきてなかったんですよね
ここ最近自分のyoutubeで
カバー歌わせてもらってますけど
改めてやっぱり歌詞の書き方とか
表現の仕方とか
すごく勉強になるなと思って
youtubeチャンネルやってらっしゃいますけど
高橋まり子さんの曲だったりとか
そうですね
それこそお仕事のお師匠様に
高橋まり子さんのコンサートに連れてっていただいて
曲は知ってたんですけど
わざわざ聴きに行くっていうことはしてなかったんで
絶対に聴いた方がいいって言われて
そっからもう虜ですもんね
もうそっからどういう歌詞書いてんだろうとか
どういう風にこういう曲調にしたのかなとか
自分で自然に分析するようになって
すごい大きいですねそれ
でかいと思いますね
高橋まり子さんがどうやってどういう気持ちで歌ってるんだろうとか
そういうこともきっと全部
出演されてるテレビとかも録画したりして
どういう風に喋ってるんだろうとか
全部聞いたりして
すごい勉強するようになりましたもんね
他の方の歌を聴くようになって
今までは本当にこのCDから聞こえてきた音を
そのまんま歌うっていうか
モノマネじゃないですけど
そのまんま聞こえてきただけ
歌うっていう感じだったんですけど
今はそこにこの欲望を乗せれるようになったんで
自分なりの霊っていう
このアーティストなりの
この歌を歌えるようになってきたんで
これが20代だったらなとは思いますけど
今の年齢だからこそ
そう今だからなんですよね
新たな音楽の展開
深みが出てきてるっていうところもあるかもしれないですね
言われてもおそらくわからなかったと思うんですよね
正直事務所の人たちからも言われてたんですよ
こうしろあーしろとは言われてたんですけど
全然いいです
アフロ君やりますみたいな
もう本当にやっぱり
すごい方々のご師匠様に出会って
やっぱりこの方々が言ってるから間違いないなって
思えたんで自分が
素直に聞けましたけど
当時はもうダメでしたね
そうなんですね
最初アフロ君っていうプロデュースを
若い時にしたっていう話があると思うんですけど
今もプロデュース的なことは
興味ある方ですか?
とりあえずやれれば
楽しくできればなと思って
アフロ君とマブダチなのか
他の番組でキャサリンというキャラクターの方がいらっしゃいますけど
その方とキャサリンとアフロ君
僕がプロデュースして
フィーバーナイトという歌を作りましたけど
あれはやっぱり楽しいなと思ったんで
機会があれば
それこそ僕も曲提供したりしていけたらなと思って
その後にもまた違う新しい展開が出てくるかもしれないですね
YouTubeチャンネルにも出てましたけど
私の番組にも
愛知期タイムの番組にも出てくれた
森川たけしさん
フルート奏者の
たけし君のおかげもあって
また今は全然違ったイメージが湧いてるんで
フルートの音色を想像してると
こういうメロディーにしようとか
こういう曲調にしようとか
やっぱり一緒にやりたいなっていうので
来年
曲ができすぎたんで
できすぎてるんで
まとめて
たけし君と合わせて
新しい音楽を提供できたら
またこれは楽しいんじゃないかなと思ってます
そうですね
フルート奏者ってさっき言いましたけど
フルート奏者って言うと
フルートの音を皆さんイメージすると思うんですけど
彼はフルート奏者でも
なかなか個性的なフルート奏者なんで
ですよね
尺八のような音を出す
それが面白いなと思って
ちょっとこの本当に和の歌でもいいし
洋の歌でもいいのかなっていうので
僕の中でもすごい色々
このアイディアが浮かんできてるんで
これまた一緒にやったら
全然違う曲もできて
見せ方も変わってくるのかなと思いつつ
ちょっと楽しみなんですよね
たけし君とは
そんなに前から知り合いじゃなかったじゃないですか
それこそユミコさんの工事スペースで
本当にすれ違い
あの時に紹介したんですけど
本当にスッスッっていうぐらいですね
ちょうど僕も
セリーヌ・ディオンさんのMy Heart Will Go Onは
すごい好きだったんで
フルートを吹いてもらえたらいいなっていうぐらいで
ちょっとファって
その時にお話しして
My Heart Will Go Onの
フルートを吹いてくれませんか?
いいですよっていう
本当にちょっとそれだけの
あれだったんですけど
そっからちょっとコンタクトとって
本当にたけし君も
がっつりちゃんと練習してくれたみたいで
そうですね、もう彼ね
本当真面目ですもんね
真面目すぎて
高生年だからね
真面目すぎて
真面目すぎて大丈夫かっていうぐらい
そこでYouTubeにも出てもらいましたけど
本当にこういう感じでファっと話して
そうですよね
自己の成長と感謝
ちょっと対談させてもらって
結局本当に一番最初に
YouTube出てもらった時は
8時間ぐらい一緒にいたんじゃないですかね
そうなんですか
なんだかんだで
昼間から夜
ご飯食べてカフェ行ってとかで
ずっと喋ってましたから
本当に何だろう
初めてとは思えないぐらい
すごいお互いがしっくりきたんですね
男女だったらもうすぐパパと男女になってたぐらい
それぐらい
おーっていう
そこら辺の関係がうまくあったな
なんかきっとそうなんでしょうね
フィットしたんでしょうね
どちらかと言うと僕は
年上の方々とお付き合いすることが
お仕事でもそうなんですけど
多いんで
竹内くん10個ぐらい一緒ですかね
20代後半です
久々に弟が来たなっていう
感覚で喋れてるっていうのもありますけど
確かに確かに
YouTube見た時にそんな感じはしましたね
そこら辺もあるのかもしれないですけど
一緒にいいものをつけ上げていこうぜ
っていう
そういうのもあり
ちょっと楽しみですね
そういった本当にフィットした人との出会いがあり
その人と一緒に何かを作っていくっていうのは
いいものがやっぱりできやすいですよね
できやすいですね
一人じゃやっぱり限界です
なかなか限界だなって感じてますね
いろんな人の力とか助けが入った方が
いいものできるなと思いますね
確かにね
今でこそそういうふうに思えるんだと思いますけど
やっぱりいろんな方々の助けは本当にありがたいなと思います
必要だなって思いますね
きっとその助けはお互いなんでしょう
そうですね
本当にありがたいなと思います
ずっと本当にこの周りの人たちに感謝ばっかりですね
ずっと感謝してますね
本当に20代の自分に聞かせてあげて
今の言葉は?
音楽と人間形成
ちゃんと周りに感謝しなさいっていう
そこが大きく変わったところですか?
変わったと思いますね
ありがとう、ごめんなさい
ちゃんと言えなかったと思います
おざなりにしてたつもりはないですけど
ちょっと弱かったなと思います
周りの人たちすごい助けてくれてたんですよ
当時も
自分でできるしみたいな
そういうのもつっぱねてた感じ?
あったと思いますね
それで離れていってしまった方もいらっしゃいますし
でも自分は気にしてなかったんで
そういうことね
何にも気にしてなかったです
別にそれでいいと思いました
若さゆえだね
若さゆえです、本当にもう
でもこれに気づけたのは
いくつぐらい?
本当に仕事をやり始めて
いろんな方々と
本当に毎日いろんな方々と出会ってとか
相手のことを考えるようになってからだと思うので
20後半か
本当に30代入ってからだと思います
その間にもやっぱりそういう
痛い目にあったこともいっぱいあったってことですか?
痛い目だらけですね
本当に最初の頃は
いろんなものポキンポキン折られましたから
あの師匠たちに
だから鼻をへし折られたのね
どれだけ長かったか分かんないですけど
ポキンポキンポキンポキン折られて
自信喪失して
いきなり自信満々とか
自信喪失とかに
奈落の底に落とされたみたいな
落とされましたね
どうやって這い上がっていけばいいのかなと思ってたぐらい
今までの自分何だったのかなっていうぐらいまで落ちましたから
じゃあそうだったら
一から学びなさいということで
学ばせてもらって
本当に少しずつ人間を構築していったような感じですね
アーティストというよりかは
本当に人間として構築していって
っていう感じですね
今でもまだそうです
今でも気づかされることいっぱいありますし
生きてる間絶対そうですよね
一生かなって思いますね
全てが分かるってのが難しいですし
そういうのが分かってきて
本当にようやく
この音楽にも
やっとつながってきたのかなっていう感じはしてます
ただただ音楽だけやってきたら
おそらく僕はやめてたと思います
逆にね
やめてたと思います
途中で本当に自信ポキンって折られた時に
やめようと思いましたから
ただ最初この音楽で一緒に
いいもの持ってるから
それはやめるなって言われて
ただやっぱり色々学んでいけって言われたので
いろんな方の歌聴いたり
やっぱり自分で勉強したりとかも
降りてやっぱりやるようになりましたから
そしたらまた音楽の楽しさが分かってきたよね
またさらにいろんな方と出会って
またさらに今楽しくなってきてるので
今本当に検証演になるぐらいギター練習してます
懐かしいなぁこの感覚
そうなんですね
こうしなきゃいけなかったよだと思います
本当に
じゃあここからまた世に
りょうさんの歌が新しい曲が聴けるってことですよね
ちょっと出していけたらいいなと思います
今でこそたぶんそんなに年齢とかも
関係ないのかなっていう感じをして
正直20代の頃はいろいろ制限があったんで
何歳までにとか
売れなかったらやめた方がいいとか
先日事務所にも言われてましたから
もう目が25まで出なかったら
もう音楽やめた方がいいよとか
そういうのも言われてたんで
そういうのがずっとあったんで
やめようかなと思ったきっかけにもなりましたけど
ただ今はまたちょっと違いますもんね
そこまで関係ないのかなっていう風に
自分を見せる場所っていうのが自分で作れるしね
昔と違ってね
だから本当に一生やっていこうかなとは思ってますけど
そうなんですね
ちょっと話変わりますけど
梁さんのお父さんも歌手だったんですよね
そうですね
そこって演歌歌手だったんですよね
梁さんにご登場していただきました
次回のインタビュー後半は
梁さんのご両親のことや
梁さんにとっての居心地の良い場について
お話をしていただいています
以前梁さんにインタビューしたお話は
この番組の第40回から第43回で聞いていただけます
そちらもよかったら聞いてみてくださいね
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は
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新しく配信されたものがスムーズに聞けますので
番組登録をよろしくお願いします
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの
提供でお送りしました
それでは次回もお楽しみに
伊藤絵美子でした
33:21

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