伊藤由美子のCozy Space第241回、2025年9月のゲストは、シンガーソングライターのRyoさんです。
Ryoさんへのインタビューは、第241回と第242回の前半・後半に分けてお届けします。
今回は、インタビュー前の和やかな雑談から始まり、Ryoさんへのインタビュー前半は、この番組に4年前に出演していただいたときから、今日までの変化についてお話ししていただいています。
では早速、Ryoさんのお話をお聞きください。
5分でボッドキャストっていうのもありえない。Ryoの今日の一人言って。
昔やってましたよ。自分のホームページで、まだこういうのがそこまでないとき、本当に自分でホームページを簡易で作れるやつで作って、そこにボイスを投稿できたんですよ。昔。
で、一人で一人言を本当に喋ってました。ダジャレとか。
なんでそこでダジャレなの?なんでダジャレなの?
なんでダジャレだったか。なんか変な自信があったんですよ。そのとき。自分がダジャレ言ったら面白いじゃないかと。
それ何?それ何?勘違いだった?
勘違いだと思いました。ただの。別に面白くないですよ。
聞いた人なのに。
ありましたよ。コメント。
コメントどんな感じですか?
あ、またか。なんでダジャレ言うのっていう人やっぱりいましたね。
ほんと?
いました。いました。
それこそ、アフロくんが誕生したときもすごい批判でしたもん。
え、そうなの?
すごい批判。批判っていうか、なんでそんなことするのってほぼ周りの人から言われてた。
りょうさんがプロデュースした、あの、ズラズラっていうか、アフロくんのことを。
若いときはもうほんとに外見をビシッともっと決めてて、もうかっこいい路線で行こうかなとか思ってたときもあった。
事務所もそっち推しで。
そうですね。そういう感じで行けみたいな。
そこでアフロくんが出てきたんで、え?っていう。
アフロくん事務所にはOKもらわずにやっちゃったの?
自分でいろいろやっちゃってたんで、あれですけど、あの、このりょうが崩れるっていう。
それこそほんとに一緒に出てた女性のアーティストの方からも言われました。
あ、そうなんだ。
もったいないことしてるとか言って。えぇー。
でもなんかやりたいことだったんで、まあでも。
あれじゃない?時代が早かったんじゃないの?
もしかしたら。
もしかしたらね。今とちょっと違うよね。きっとそれって。
20年は前でしょ。きっと。
もう20年くらい前ですね。
なんでそんなにわざわざ自分がそういうキャラクター演じて笑わせる必要あるの?って言われて。
いやー、やりたいもんな。
それだけですね。
なんか周りからとやかく言われたくなかったんで、当時は。
もうとにかく自分に自信がありましたし。
やりたいことなんで、特に事務所とかもそうですけど。
周りからやるなって言われるのがすごい嫌いだったんで。
うーん。いや、やる。
いや、やります。僕は。
でも本当にやりたいことだったんだよね。だって今も生き残ってる。
一人で。また出てきましたけどね。
途中から不倫しようかなって思いましたけどね。
いや、でもまた復活してるわけだから。
復活したもんなー。
なんかその寮でのキャラクターで、一応最初はああいう曲。
まあ、ああいう曲ちょっと聴いてないとわからないですけど、ちょっとノリノリな。
ディスコチックな曲を一応自分でも作って歌ってたんですよ。
そしたら合わなかったんです。
自分の風貌と合わなくて。
うーん。と思った時に、
違うキャラクター作っちゃおうっていうので、
もうハマったんですよ。ぴったり。
その時にちょうどというか、
キシダンさんのボーカルの綾野孝司さんが
DJおずまっていうのをやってたんですよ。
で、それ見てこれだと思って。
DJおずまさんはちょっとプチアフロみたいな感じだったんですけど、
それを見てもっとデカくしたいっていうので、
あれがアフロくんが誕生した。
とにかくその時に大きいアフロずっと探してました。
ずっと探してました。今みたいにアマゾンとか。
そこまでなかったと思うんで。
とにかく東急ハンズ行ったり、
ドンキホーテ行ったり。
それこそ自分で作ろうかなと思って。
ちっちゃいアフロいっぱい買って縫ったりしてました。
結構努力してますね。
すごいね。
衣装もやっぱり奇抜な方がいいなと思って。
今はすごいキラキラになりましたけど、
そこまでスパンコールっていうのも見つけられなかったので、
女性用のベリーダンスで着てるような、
あれをアフロくんに着せて歌って踊って。
いろんな歴史があるんだね。
やってましたね。
いろんな歴史があるね。
もう20年ぐらい経ちますね。
そうだな。
アフロくん生誕20周年記念ライブ。
あいつだけじゃちょっときついですね。
ちょっと体力が落ちてきてますね。
って言ってました。
これいきなりアフロくんの話から入ってますけど。
結構アフロくんと梁さんが全く違う人物だと思ってる人も実はいるっていう。
でも分かんないんじゃないですか。
本当に最初の頃もこの梁は隠してアフロくんだけ出てたりしてたんで。
本当に分かんないんですね。
本当にもうキャラ作りして、
もともと喋ると分かっちゃうんで、
あんまり喋らなかったキャラだったんです。
だからラジオに出るとかは絶対なかったです。
当時は言われてましたけど、ラジオ出てこいって。
あとはそこらへん歩いてこいとか言われたんです。
それで電車乗れとか。
途中から事務所OKだったの?
その時はどうだったの?事務所入ってるか入ってないかとか。
まだジューディーやってた時かもしれないですし。
それで路上やったらもう本当に一気に100人ぐらい集まっちゃって。
ちょっと有名な路上のところでやったら一気に集まりすぎちゃって。
ポリスが来ましたね。
じゃあ今度は新宿駅ぐらいのあたりでやったら。
でも今変わった方々たくさんいらっしゃいますもんね。
だからちょっと珍しくなるかもしれないですよね。
昔よりは。
でもそれでもインパクトあるかもね。
あるか。
犬山の城下町、歩いた時は確かにすごかったですね。
犬山城下町ね。すごかったもんね。
あれはすごかったです。
歩いた時はあそこもすごかったから。
まだ需要があるかもしれない。
いきなりポッドキャストインタビュー。
りょうさんプロデュースのアフロー君からの話になってますが。
りょうさんって私のこのポッドキャスト番組4年ぐらい前の
2021年の7月のマンスリーゲストで配信してるんでしょ。
その時も夏でした?
夏ですね。
すごい。
そうなんです。
だからそこから4年なんですよね。
4年経ちましたか。
4年早いですね。
そうですね。4年間のうちにいろいろあったとは思うんですけど。
成長したかしら。
してると思いますけどね。きっと。
その時の本当にちょっと記憶がないですけど。
たぶんまだまだ荒かったと思います。
荒かったと思いますか。
荒かったと思いますね。
しょっちゅう俺って言ってたと思います。
いいじゃないですか。俺ダメなんですか。
僕って言えって。やっぱりこういうところでは。
それこそ前の事務所とか言われてました。
そうなんですか。そういうキャラクターで。
キャラクターというかなんか俺って言うなって言われて。
そうなんですか。
なんでかわからなかったですけど。
そっか。理由が欲しかったね。
でもテレビとか見るとみなさん僕って言ってたりする人が多いんで。
確かにね。多いかもね。芸人さんとかは別かもしれないけど。
芸能界は僕なのかっていう。
じゃあ今日は自由に僕でも俺でもいいですけど。
その時のアレで。
その時のアレで。
4年経ったということでね。
だいぶ考え方また変わったと思います。
そうですか。
また師匠に教えてもらったこともいっぱいありますし。