音楽雑誌の編集者としては、何歳から何歳くらいまでやっていらっしゃるんですか?
82年から85年にアリーナを辞めて、フリーランスでいろんな雑誌で書いたりしている途中から、
学研のThe Best Hitという音楽雑誌の編集に関わるように
フリーでやりながら
編集に関わるようになって、最終的に編集部に所属することになったんです。
そこまで、それは何年くらいなんですか?
91年までです。
10年近い?
そうですね。トータルで約10年です。
20代、30代前分くらいまで関わっているんですね。
先ほど、今とまた違うかもしれないとおっしゃったので、そこを聞きたかったんです。
20代から30代の末美さんがインタビューされたものと、
もし今、音楽雑誌の編集者だったら、そのインタビューは明らかに違うでしょうね。
違いますね。
ですよね。
ただ、今はあんまり音楽雑誌の編集者はやりたくないですね。
音楽をやっている人も、素敵な人たくさんいらっしゃるんですけど、
由美子さんみたいに、いろんなジャンルの人にインタビューしたいですよね。
そうですね。
限ったことにしない。
そういった理由でも、音楽という括りで、別に絞らなくてもいいんじゃないかということですね。
なので、僕はサインスタイルブックという雑誌、地方誌を編集長と、
ほとんど僕がインタビューを執筆したんですけど、の雑誌があって、
それは本当にいろんなジャンルの方に来ました。
それは東京からこちらの鳥取県の与那子に戻ってから、それをやってらっしゃるということですよね。
でも、その写真を見させていただいた時に、
相川七瀬さんとか、表紙に奥田民雄さんとかが出ているというのは、
過去の繋がりで出ていただいているんですよね。
そうです。
すごいなと思いまして。
でも、音楽雑誌ではないってことですよね。
そうですね。役者さんとかもインタビューしてますし。
へー。
そうなんですね。
役者さんもそうだし、地元のいろんな洋服屋さんのオーナーとか、
いろんなジャンルの人のインタビューをそこでやらせてもらったり。
音楽の枠を取っ払って、自分の興味があるところで。
そうです。
そこは、スタイルブックは何年くらいまでやったんでしょうか。
スタイルブックは短かったですね。
というのが、すごく一番調子に乗っている時に売上が良くて、
地方紙なのに、新宿の国の木の木屋さんで平積みされていた地方紙なんですよ。
へー、そうなんですか。
今はないけど渋谷の青山ブックセンターとか、
いろんな大手書店さんで平積みをされた地方紙ですごく調子に乗ってたんですよ。
調子に乗ってた。
通販が始まったタイミングぐらいの時代背景で、
全国津々浦々と海外からもオーダーをいただいたりしてた地方紙で、
めっちゃくちゃ調子に乗ってたんですけど、
その時に父親が突然事故で多回をしていなくなっちゃって、
ある年の8月、真夏に1週間ぐらい東京出張して、
いろんなブッキングを重ねて、
及川光弘さんのインタビューなど長いインタビューをしてて、
インタビューが終わった直後に連絡が入って、
それはもう飛行機も何もない時間になってしまって、
1人でホテルに一泊朝まで待つっていう時に、
すごい一晩考えてですね、
ちょこで亡くなったので何も予期してないわけですよ。
ただ後で振り返ったら、1週間10日ぐらい前に、
父親が海が見えるいい墓地を見つけてきたんだよって。
え、そうなの?って聞いたところ、
だから10日後に本人が突然この世からいなくなるんですけど、
なんか遺言のようになってしまったので、
そこの言われてた墓地行ったら確かに海が見える、大船も見える、
これはここに墓地作る場合に道はないしと思って作ったんですけど、
そういうことがあって、話戻しますと、
人はいつ死ぬかわからないっていうのを強烈に思ったんですよ。
その日も。
で、生きてるうちにやりたいことやりたいなっていうふうに思ったんですよね。
で、スパーッと雑誌を辞めて。
それできっかけでもう辞めたんですか?
辞めました。
だって結局売上がすごいってことですよね。
めっちゃ調子に乗ってました。
やりたいことやろうと思って、神さんが有名だった
レディスのカジュアルショップを国道雑誌に出したんです。
全然違うじゃないですか。
全然違います。
それも奥様の希望で。
でもなんていうのかな、そうなんですけど、
夫婦それぞれいろんな考え方があっていいんですけど、
僕は結婚したら同じ時間を共有したいって思ってて、
でも調子に乗ってるときって出張とかすごく楽しくて、
全然家にいないみたいな。
もうちょっと夫婦一緒にいれる時間をどうやったら作れるかなと思ったときに、
夫婦二人で洋服屋をやったら、
もういいやっていう。
あそこまで一緒にいない方がいいでしょ。
でもパートナーシップに求めてたのは、
やっぱりできるだけ共有する時間が欲しいっていうところに、
その日も絆されたってことですよね。
そこに行ったってことですよね。
めちゃくちゃそこ人生の分岐点ですね。
父は分岐点でした。
もちろん次の日からってことではなくて、
取材をやっててので、その雑誌を作り終えてからなんですけれども、
あそこは完全に分岐点ですね。
そうなんですね。
神さんが腰を壊す2016年までお店をずっと二人でやってて、
その年、神さんが腰を壊しても無理ってなった時に、
それこそ得意としてた出版の仕事というか文章の仕事。
今は出版プロデュースとか編集者とか、
あとはもっと言うと、合わせて広告代理業もやってますっていうところを、
ずっと今そこから繋がってるんですけど。
そういうことなんですね。
でも、人はいつ死ぬか分からないって気を持ったっていうことで、
やりたいことをやろうと思って。
だから今の出版プロデュースはもちろんやりたいことでやってらっしゃると思うんですよ。
確かに本当にそうですよね。
だって自分だっていつ死ぬか分からないですもんね。
僕は結構若い時に近い人をたくさん亡くしてるんですよ。
なんか変えてらっしゃいましたよね。
なので、そういうのもやっぱり決断するのが大きかったんですね。
で、とどめが父親の突然の死だったので。
そういうことですね。
そうなんですよ。
いやー、なんかそれも全部意味があるって言うんですけど、
それを自分の中で解釈して馴染ませていくのに、
でもすぐに整理できないものじゃないですか。
できないですね。
それはもう自分一人でも整理できないし、
誰かがいてっていう話だともっと難しくなっちゃうので、
ただ、熱というか気持ちっていうかが伝わればと思います。
急にまた話変わりますが、
スレミさんとの、これ話に入れるつもりは全然なかったんですけど、