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こんにちは、ゆみです。今日もラジオを撮っていきたいなと思います。
ちょっと遠いかな。このラジオは、普段人間関係とか、そんなことに伴奏しているコーチの私が、普段の気づき、あれやこれを発信しているラジオになっています。
今日はどんな話をしようかなというところですが、嫉妬みたいなところをテーマにしてみたいなと思っていて、
皆さん嫉妬ってしますかというところですが、いかがでしょう。
まあ、しますよね。なんかめっちゃ私もするんですけど、いや、するんですかって聞かれるけど、します。めちゃくちゃ。
まあ、羨ましい。いいなって思います。
で、なんかまあ例えばね、なんかこの人が褒められててすごいな、いいなとか思うし、
なんか他の人がですね、うまくいってるっていうのを見ると、やっぱり羨ましいなとかすごく思うわけなんですよね。
で、なんで嫉妬って存在するのかみたいなことをちょっと私も考えていて、
結構やっぱり最近こういう勉強をずっとしてるだけなんですけど、勉強好きで申し訳ないって感じなんですけど、
申し訳ないことないんだけどね。
で、なんかまあ嫉妬ってなんで存在するかなというふうに思った時に、なんかまあやっぱり結構過去の経験とかが大きいわけなんですけど、
なんかあの、なんか嫉妬ってなんだろうな、なんでダメなのって話になってくるんですけど、別に悪いことじゃないと思うんですよね。
なんかあの、前提言うと、やっぱり嫉妬すると他者が羨ましいってなって、
なんかまああの借り立てられるというか、じゃあ違うことを自分なりこうなんだろうな成長しなきゃみたいな思いがあって、
なんかあの頑張っていくみたいなことをやれるのが嫉妬というね、なんか感情の役割だなって思ったりはするんですよね。
やっぱり何か羨まとかいいなとか思うっていうことは、なんかある種こう自分自身をなんか借り立てるみたいなきっかけにもなっていくわけなんですけど、
でもなんか嫉妬がなぜ苦しいのかって話になったときに、なんか結論としてやっぱり出てくるのは、
他者を見ていいなって思うっていうことは、今の自分ではダメなのかもしれないっていう自己否定が入ってくるからちょっとしんどいのかなと思うわけなんですよね。
で、他者を見て羨ましい、じゃあ今の自分はダメなんだとか、あの周りがやっぱり羨むのような人にならないと自分は愛されないかもしれないとか、
なんかあのこのままの自分ではいてはいけないのかもしれないっていう自己否定ぽさをなんか感じ取ると苦しくなるっていうのが、この嫉妬の厄介な感情だなと思ったりはします。
で、なんか実際にその今の自分の否定するっていうことは、こうこれはなんか恐れの感情から生まれる成長にもやっぱりつながっていくので、悪いことではないんですよね。さっき言ってたように。
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あのうまく健康的に回っていくときは、やっぱり嫉妬すれば、なんかこうなんだろうな、いいなと思ってそれに借り立てられて成長するみたいなことができるから、
なんかそれもそれでいい役割はなっているんだけど、でもそれをずっと続けていくっていうと、だんだんやっぱりさっき言ってたように自己否定が重なっていくから、だからしんどくなるんですよね。
これが例えば何か、年に何か数回ぐらいですってなったら割と健康的かなと思うけど、毎日人に嫉妬してて、毎日人が羨ましくて、
毎日何かいいないいな、じゃあ自分はダメだなって、ずっと毎日自分否定してたらそりゃしんどいよねって話なんですよ。
だから人を羨むことがダメっていうメッセージは私は違うと思うんだけど、ただ一定健康的に人を羨むっていうのは大事だよねみたいなところですよね。
で、なんかどんなときにやっぱり嫉妬って生まれてくるといいのかみたいなこととかっていうのは結構自分の中でそれも結論出すしかないかなって思ったりはするんですけど、
なんか私の場合は、これまで例えば私は過去の経験で、お兄ちゃんがすごい可愛がられるみたいなことが結構過程としてあったから、
その嫉妬っていう感情がやっぱりないと、なんか私は愛されないんじゃないかなみたいなことがあって、なんか結構怖くなってたっていうのがあるんだけど、
でも少しそういう自分の中にいる嫉妬っていう役割がそれがあったから、自分の中で頑張って努力しようとか、親に見てもらいたいなと思って頑張って努力する自分が生まれたから、
なんかそれはそれで役割になってくれてありがとうねって思ったりはするわけなんですけど、
でももうなんかその役割ってやらなくても、今はわりと私結構元気だよとか、なんかでっかくなったから、なんかそんなことしなくても大丈夫だよみたいなことを自分に対して投げかけられるようになってくると、
わりとなんかそんなふうには、なんか嫉妬って、そんなに毎日しなくても大丈夫というか、
そんなに頑張らなくても、なんか人のこと、自分のことを毎日否定しなくても、わりとこうなんだろう、私は今生きて生きてるし、
かつ周りの人にもちゃんと、なんだろうね、しっかり見てくれてる人いるなっていうのも実感するし、
なんか何よりも私が私自身のことをしっかり見てあげられてるなみたいな感じのことを思うから、
なんかこのあたりは、人を必要以上にやっぱり羨まなくて大丈夫みたいなところですかね。
で、よく私自身も他のコーチとか、やっぱりめちゃくちゃ売れてる人とか、やっぱり稼いでるなとか、
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めっちゃ成功してるように見えるコーチみたいなの見ると、羨ましいってなるけど、
じゃあイコール、自分が頑張ってないかって言うと全然そうではないなってやっぱりすごく思うし、
でも逆に行動量をもっと増やさないとなみたいなことは思うわけですよ。
なんかやっぱり他社のコーチとか見てると。
自分を否定するのではなくて、何がその人の成功要因になってるのかっていうのを参考にするのはいいと思うんですよね。
他社を羨ましいと思うのであれば、存在意義で見るのではなくて、行動量で見たりとか、
やっていることペースで見ていくと、自分のことを必要以上に否定せずに、建設的に考えられるんじゃないかなって思ったりはします。
嫉妬ってうまく活用すれば自分の成長ポイントになっていくから、
無駄に嫉妬している自分はダメなんだって思わなくて大丈夫だよっていうのを言いたくて。
嫉妬している自分が情けないなとか、こんなことを考えている日もあるんだったら行動すればいいじゃんって思っちゃったりする自分もいると思うんですよね。
自分に対する汚い感情を持つことに対しての嫌悪感っていうのも、やっぱりしっかり消化をした方がいいんだろうなっていうのは最近すごく私も思うようになって、
必要以上に見つめる必要はないですよ。
でもただそれが自分自身を殺すような感覚になっているのであれば、それによって自分が苦しいと思うんだったら手放す時期はきっと来てるんですよね。
今それで苦しいんだったら確実に手放す時期なんですよ。
例えば嫉妬している自分が嫌だなって思う時っていうのは、その嫌悪感の、自分に対する嫌悪感、もうやめたくなってるんですよね間違いなく。
その嫌悪感を頑張って、何かしら役割があって、嫌悪感がないと多分人をこのままだったら傷つけるとか、
嫉妬ばっかりしている自分がいたら周りに嫌われちゃうとか、そういうものから守るために嫌悪感っていうものが生まれてきたはずなんだけど、
でもそれを続けていけばいくほど自分が逆にまた、他者を大切にしすぎて自分を大切にできてないみたいなこととか、
人を傷つけちゃいけないっていう思いが強すぎたりとか、結局自分を否定し続けるっていう苦しさが生まれちゃうと思うので、
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そういうこともやらなくても大丈夫なんだっていうことですね。
嫉妬も一つ役割を持って生まれてきたし、その嫌悪感っていうのも必要な自分がいて、その時に役割を担ってきたってのはずなんだけど、
もうやらなくても大丈夫な時期が来ているから、今ちょっとそれが苦しくなってきている。
手放しの時期が来ているっていう時に、しっかりとそれを見つめてあげる必要があるよっていう話だと思うんですよね。
考え方として、もちろんそういうことを考えちゃうよっていう時はあると思うので、
私も極端なことはあまり言いたくないんですよ、正直ね。
割とちゃんと見つめ方みたいなのを本当は伝えたくて、いつもこの発信の時に迷うのは、
こうしたらいいよって極端に言いたくなくなるんだけど、でもこうしたらいいが欲しい人が多いんだなっていうのはすごくわかっているので、
伝えておこうかなと思うけど、嫉妬という感情が生まれた時はさっき言ってたみたいに、その人のやっていることを見てあげるっていうこと。
その人の価値ではなくて、価値がどうだ高いかではなくて、行動を見るっていうこと。
必要だなと思うものは取り入れるっていう考え方をやるといいなと思う。
で、嫌悪感が自分自身に湧くっていう時は、嫌悪感の存在を認めてあげるっていうところから始めていくといいなと思ったりはします。
どうしてもやっぱり、コーチっていう仕事をしている人っていうのは、特に私みたいな大臣支援職をやっている人は、
誰かを優先しないといけないみたいな感情になりやすいと思うんですよね。
自分を優先するっていうことに対する嫌悪感っていうのがすごいんだと思うんですよ。
だからそれぐらい他者のことを優先しないといけないって思うぐらい頑張ってきたんだな、私っていうふうに。
一つ認めてあげるっていうこと。
人に嫉妬するのはいけないって思っちゃうぐらい、私頑張ってきたんだなっていうこと。
それぐらいじゃないとやってこれなかったんだなっていうことを、一つ自分に声をかけてあげると、
結構このあたりは変わってくるかなと思ったりするし、
嫌悪感を逆に手放して、一つ問いを投げておくとしたら、
嫌悪感を手放して、自分に対してやってあげたいことがあるとしたら、
逆に何なんだろうかみたいなことも考えていくと、かなり変わってくると思ってて。
私の場合はね、私の自分自身の嫌悪感を手放した後に、
逆に自分にやってあげたいなと思うことは、やっぱりさっき言ってたみたいに、
頑張ってきたな私とか、ちょっとやっぱり今の自分抱きしめてあげたいわみたいな。
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キーとなっている自分。よしよし、わかったわかったって言ってあげたいみたいな感じに私はなったので、
それを結構自分の中で1日5分とかでも見つめてあげるようになってくると、
わりと行動としては穏やかになってくるし、
今やらないといけないこともサッとできるみたいな感じかなと思ったりはします。
例えばこういうふうにやればすぐ解決みたいな方法っていうのは、
あんまりなかったりするっていうのは言い方あれなんだけど、
結局は私はセッションとかでこういうのをがっつり扱うタイプなので、
本当に扱いたい人はぜひセッションに来てほしいなと思ってます。
だからこういう嫌悪感、自分に対する嫌悪感があって前に進めないんだよねみたいなときは、
わりと行動から扱って前に進んでしまうっていう人も全然いることもいるので、
必要以上に扱わなくていい人もいるんですよ、正直。
でも私が感覚として思っているのは、ここをしっかり癒してあげると、
逆に私自身の実感としては、わりと前に進みやすくなるタイプなので、私は。
もしこういうのがやってみたいよっていう人がいたら、
ぜひ今私LINE登録とかしてもらうと友達追加してもらって、
質問とか投げてもらうと回答とかできるようになっているので、
ぜひちょっとお気軽にお友達追加とかしてもらえると嬉しいなって思ったりします。
はい、では今日もちょっとすごい早口になっちゃったけど、
お話聞いてくれてありがとうございました。
由美でした。