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自分で決めたのに、人のせいにしてた昔の話
2026-10-16 26:57

自分で決めたのに、人のせいにしてた昔の話

転勤について、ほぼ同じタイミングで2通もレターをいただきました。なんだか、すごいです!(笑)

私だったらどうするかな〜と考えていたら、だいきについてベトナムへ行った頃の記憶を振り返ってみました。

自分で行くって決めたはずなのに、いつの間にか「全部だいきのせい」になってた私…

今なら「あなたは自由だよ」って伝えたいなぁ。

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サマリー

裕美は、転勤や引っ越しについて届いた2通のレターに答え、自身のベトナム生活を振り返る。大輝が銀行を辞めてベトナムのベンチャー企業へ転職すると決めた際、裕美も広告代理店で築き始めたキャリアを手放して同行した。現地では広告会社を2週間ほどで辞め、雑誌「リアン」の企画も白紙になるなど仕事が続かず、家に閉じこもって孤独を感じていた。自分で同行を決めたはずなのに、いつしかキャリアや苦しい生活を大輝のせいだと考える「被害者モード」になり、夫婦の喧嘩や離婚危機にもつながったという。今なら、オンラインの仕事や旅行、発信など自分で人とつながる方法を活用し、「あなたは自由だから、やりたいことをやりなさい」と当時の自分に伝えたいと話す。また、働いていない間の家賃や生活費を大輝に頼り、貯金を旅行に使ってもよかったと振り返り、我慢した分だけ人のせいにしていたのではないかと語る。最後に、レターをくれた人の引っ越しについて、方角やエネルギーの影響をみて対策を送ると述べ、外側の要因も含めて少しでも楽になってほしいと伝えた。

転勤について届いた2通のレター
みなさん、こんにちは。 裕美です。
えー、前髪をめちゃくちゃ切ってみました。 どうでしょうか?
なんか、大眉で結構思い切って切ったんやけど、 その後、友達にね、会う機会が何回かあったんですけど、
全員ノーリアクションやって、 あれ、なんか私、前髪こんなに大眉にしてんのに、誰も気づいてんのかと思って、
あの、自分で喋ってみました。
はい、今日はですね、レターにお答えしていきたいと思います。 大変お待たせいたしました。
今日のレターは、なんと2通あって、 あのね、ほぼ同じタイミングで、ほぼ同じ内容が来たの。
これ、すごくないですか? なんか、あんのかな?
ということでね、早速まずレターを読んでいきたいと思います。
えー、1通目、特命さん、ありがとうございます。
えー、渡辺夫婦さん、
こんにちはー、私これ、お名前見えてるんで誰かわかってるんですけど、 あの時はありがとうございました。
えー、初レター、緊張しますが失礼します。
自分で予想してた以上にストレスを感じています。
海の近くで住みたくて、子育てを田舎でしたかった私にとって、 徳島県という場所はとても素敵で理想的な場所です。
しかし、それ以上に環境が変わること、新しい人との関わり、 二歩時が終わらず、ごちゃつく部屋などなどが、
私をダークサイドへ引っ張って、どうもテンションが上がりません。
お笑い。
渡辺夫婦さんは、バンライフに加え、お引っ越しも複数回経験されていると思いますが、
由美さんは、住む場所が変わるということをどのように捉えていますか?
というレターが1通目です。ありがとうございます。
で、このまま2通目いきます。
えー、こちらも、
鍋友ネームピーコさん、ありがとうございます。
由美さん、こんにちは。
こんにちはー。
渡辺夫婦のYouTubeを初期から見ており、スタンドFMもずっと聞いてます。
大好きです。
わーお、ありがとうございます。
由美さんだったらどうする?のレターを送ります。
ありがとうございます。嬉しい。
夫が転勤族だった場合、由美さんは、その都度知らない土地についていくことをどう感じるか?
また、ついていき続ける選択をするかどうか?
すごくないですか?この続けて2通、転勤の話って、なんかすごいなと思って。
はい、レター戻ります。
なぜこの質問をしたかというと、
私の夫が転勤族だからです。
5から10年くらいの頻度で転勤があります。
今は転勤してきて5年ほど経ちました。
転職してなんとかなじもうと頑張り、
親も友達もいない愛知で、
子供も産み育てています。
私は新しい環境が苦手、安定を求めるので、正直夫の転勤は辛いです。
また、新卒の会社では同期に負けたくない、出世したいと思って頑張っていたのに、
夫の転勤でリセットされて、きっと一生役職もつかず、
働くことにも少し悲しさを感じています。
でもその反面、新しい土地に来たからこそ、
出会えた場所や人もあり、いい経験ができるとも感じています。
由美さんの視点から見た、転勤族の妻が知りたいなと思っています。
よろしくお願いします。
ということで、特命さんとピーコさん、ありがとうございます。
今日は転勤というか、引っ越しとかについて、由美ならどうする?というのをお答えしていこうと思います。
私は大輝と一緒に仕事をしているので、
フリーランスも今年でなんと9年目なんですよ。
もうそんなに経ってたかってびっくりしてたんですけど、
大輝が転勤なんでついてきてくださいっていうのが今後ほぼない。
何かが起きない限り。
なので結構自分ごとに落とし込むのがなかなか難しいテーマではあったんですけど。
思い返せば、結婚して直後にベトナムについていったなと思って、
その経験あったわと思って、今日その話をぜひしたいんですけど。
ベトナムに行くことになったのは、
大輝が元々銀行に勤めていたんだけれども、
何を思ったのか?何を思ったのか?ってもう知ってるんだけど。
何を思ったのか?
銀行を辞めて、キャリア全部捨てて、
ベトナムのベンチャー企業で働いてみたいんだと。
オシャリですね。
なので、銀行の転勤でベトナムに行ったとかじゃなくて、
大輝は転職をして、自分でベトナムのベンチャーを選んで、
そこに行くって決めたおかげで、
おかげで私がそこについていくことになったのね。
広告代理店で築いたキャリアと全国2位の経験
その時、私は元々新卒で銀行に入社して、
その後、銀行つらすぎて本当に1年ちょっとで辞めて、
その後、広告代理店に勤めてた。
お二人のレッターを読んで、当時のことを思い出してたんだけど、
最初、広告代理ってめちゃくちゃつらくて、
もう全然成績上がらないし、
先輩とかはみんな仕事できるし、
アポトリ大会とかいうのがあるんだよね。
営業してたんだよ、広告の。
そのアポトリ大会何時から何時みたいなのが決まってて、
今掲載してないお客様の、
私はネイルサロンが担当だったんだけど、
ネイルと後、まつげサロン担当やって、
リストが配られるんですよ、みんなに。
よし、これを100件電話して、みたいな。
体育会計だよね、広告って。本当に体育会計で。
分かりました、言って電話する。
電話すると、やっぱ当たり前なんやけど、
そんな日中ね、施術中ですよ、向こうのスタッフさんはみんな。
施術中の中に、
すいません、ドコドコ会社の〜で明け子です。
で、もうめげてる時間はない。
めげてる時間なくて、OK、好きって。
わーって電話して、やってて、
でもそんなんでも全然アポも取れず、
100件やって、どこもアポ取れないみたいなのも結構あって、
最初マジでしんどかったよね、それ。
もうやめようかな、みたいな。何回も思ってたんだけど、
半年経った頃に、
今もやってるか分かんないんだけど、
新人のロールプレイの大会みたいなのがあって、
先輩に想像のネイルサロンとかになってもらって、
そこの資料とかも渡されて、
その資料を見ながら、どういう改善点がありますよってアプローチしていくみたいな、
ロールプレイングの大会があったのよ。
大会なので、関西エリアだけじゃなくて、
全国で東京まで行って、みんな集まってきて、
そこでやるっていう大会があったんだけど、
すごいうちのチームはそれにめちゃくちゃ力を入れてくれてて、
ロールプレイがあるぞと、絶対1位取ってこいって言って、
もう1ヶ月か2ヶ月くらい、それにめちゃくちゃ時間を費やしてくれたよね。
どの先輩も対応してくれて、いいよ私やるよって言って、
何回も何回もお願いして、
それも結構ドラマやってんけど、泣きながら、
1回大泣きした覚えてて、先輩がネイルサロンのオーナー役でやってくれたんだけど、
ロールプレイ終わった後にどうだったって聞かれて、
泣きながらね、もうこのサロンの人が何をしたいのか分かりませんとか言って泣いて、
泣いたら先輩もそうやんなみたいなめっちゃ寄り添ってくれて、
でも先輩らがすごい支えてくれて、
同期もめっちゃ頑張ってたし、
みんなの頑張ってる姿とかもすごい勇気もらって、
マジでガチでやったのよ、それを。
何回も何回もロールプレイしてるうちに、
ようやくその会社が使ってる資料の見方とかだんだん分かり始めてきて、
だんだん自分でもあれ?って思うくらい提案ができるようになり、
その大会でマジでハイになって、全国で2位取れたの。
本当は1位が良かったんだけど、1位はもっとすごい男の子が1位を取りまして、
でも2位でも快挙だって言ってよくやったって言って、
ユミよくやったぞってすごい褒めてもらえてめっちゃ嬉しかった。
その体験からめちゃくちゃ変わったのよ、仕事の姿勢というか。
自信がついたのか、そもそもやっぱり読めるようになったからようやく。
どういう提案をすればお客様の収益につながるかっていうのもだんだん分かり始めて、
かつ、100件アポ取るっていう時に、
あ、じゃあ100件アポ取るじゃん。
100件電話ガーってやってアポ取ってこいとか、
飛び込みの時間とかもあったのよ。何時から何時も最低何件飛び込んでこいって。
アポ取るまで帰ってくんなみたいな、そういう感じののもあったんだけど、
その時もどうやったら効率よくアポ取れるかなって考えた時に、
そうだ、誰もまだ電話してない新しくオープンしたサロンを私は徹底的に探し当てて、
それやればいいんだって思って、
ここではちょっと情報を濁すんだけど、
どうやったら新店オープンを先輩同期含めて誰よりも早く見つけられるかっていうのにめちゃくちゃ時間割いて、
それの方法を一つ見つけたのよ。
見つけてめちゃくちゃ早いの。
もうちょっとでもSNSとかでお客様っていうかオーナーさんが、
オープンしますよって匂わせた段階でもう私分かってるから、
よっしゃーっつって即電話とか即メールとかして即アポ取ってってやってたら、
やっぱりそのリストはさ、もうほんと何年もずっとかけ続けてるところだから、
もういいよっていうのがいっぱい溜まってるわけ。
そりゃそうだよね、もう断り続けてるのにずっと電話かかってくるからさ、
もううちにかけないでって言ってるでしょみたいなとか何回も怒られたことあるし、
でもそうですよねみたいな、でも申し訳ないです、私それ聞いてもないし、
初めてかけたんですみたいな、この会社からいっぱいかけてるけど、
私は初めてかけたんです、すいませんって言ってないけど、
心の中でね、すいませんってもうごめんなさいって思ってたんだけど、
やっぱり初めましての人だと話を聞いてくれるんですよ、
すごいなんかありがとうございますみたいな、一回話聞いてみたいですって、
誰よりも早くね、やっぱ声かけてるからアポが取れやすくなって、
そっからね、その新人のロールプレイ大会とやり方を変えてから、
成績がね、だんだん上がり始めて、
で、なんか気づいたらいつも新規取れてる、みたいな感じになり始めてたのよ。
で、会社の人たちもね、広告代理店だからね、結構パリピな人多くて、
当時の私は結構一匹狼って感じだったので、そんってしてたんだけど、
それでも、やっぱ信頼できる先輩もいたし、
めちゃくちゃ大事にしてくれてたし、めっちゃ愛してくれてたし、
同期も良きライバルって感じで、
なんかね、すごい楽しいし、やりきりたいなっていう気持ちだったのね。
で、どんな形態だったかな?
正社員じゃなくて、多分契約社員とかで、
なんか3年って決まってて、その3年やりきった後に正社員になる人もいるし、
そこの経験活かして、自分の授業をやったりとか、別のところで転職したりとか、
まあそれは自由なんだけど、
とにかく3年って決まってて、3年やりきりたいっていう気持ちになってました。
大輝とベトナムへ行く決断
で、それがいい感じになり始めた。
1年ちょっと経った時に大輝がベトナム行きますと言ってて、
でもついて行きますと。
私は自分で決めたの。ついて行きますって。
で、会社もとっても名残惜しかったんだけど、
もう作ってたキャリアも捨てて、大輝について行く決断をした。
自分で決めたはず。今言ってて気づいたんだけど、自分で決めてたね。
なんだけど、ベトナム行って、
当時はベトナムでキャリアの続きを作りたくて、
やっぱり空白期間あると怖かったから、
ベトナムでも日本人向けの求人っていうのがあるから、
ベトナムの広告系を結構見て、そこで働こうかなとか、
求人を登録したら、求人をやってる会社の方から、
うちに働きませんか?みたいな声をかけてくれたりとか、
いろいろあったんだけど、やっぱり広告がいいですって、求人じゃなくて。
広告掲載がいいですって、それを断って、
現地での仕事と雑誌「リアン」の頓挫
結局ベトナムで一瞬広告代理って務めたのよ。
勤めたんだけど、やっぱりベトナム人のこと、働くこととか、
日本で自分がやってたこととのギャップみたいな感じで、
すごい勢いで辞めたんだよね、私が。
もう2週間とかだったと思う。
合わないというか、ダメだって思って辞めて、
そうか、この辺の話したことなかったね。
その後、でもずっと諦めきれなくて、
別の会社に面接行って、
そこでもう社長さんが出てきてくれて、
その社長さんと話して、
私本当は広告媒体を作りたいんだと言ったら、
めっちゃ面白いじゃん、みたいなの言ってくれて、
一緒に作るかってなって、
試しに、じゃあユミちゃんが作ってみてって言って、
分かりましたって言って、
いろんなお店に、もう自分一人でアプを取りに行って、
写真撮って、強み聞いて、文章を作って、
写真と文章を作って、
もうデザインから全部やって、
1回、2本覚えてるわ、リアンっていうね。
ベトナムってフランスとすごく縁が強いから、
フランス語で縁っていう意味だったはずなんだけど、
リアンっていう雑誌を作りましたが、
さあこれから印刷だぞっていう時に、
そのまま社長さんの気持ちが変わって、
やっぱり広告は撤退しようと思うみたいな。
ああ、やっぱりそうかみたいな。
結局、1回作った分の給料はもらえたんだけど、
そこからね、その社長さんとはご縁がなくなり、
っていうようなベトナム生活を過ごしてて、
私の続くキャリアのようなものは、
ベトナムでは何も作り出せなかった。
今思い出したけど、
お店をいろいろアポ取ってる中で、
よく名前覚えてるな、私。
ベトナムでママラっていう、
中材のお母さん方のチームみたいなのがあって、
その方々が多分何か作って、
何か売ってたりとかしてたはず。
そこだけ記憶曖昧なんかいって感じなんだけど。
それをやってて、それも取材させてもらって、
また素敵なもの作りますねって言って、
やってたんだけど、
すいません、雑誌自体の企画が白紙に戻っちゃって、
前回取材させていただいたんですけど、
もうできなくなっちゃったんですって言ったら、
めっちゃ温かいメールくれてさ、
よく頑張りましたね、みたいな。
全然いいよ、ありがとね、みたいな。
くれたのがすっごい嬉しかったのを、
なんか今思い出した。
なんかとっても素敵な方だった。
あの方々元気にしてるかな。
初めまして、ポッと出て取材させて、みたいな来て、
こんな温かい言葉かけてくれるのすごかったよね。
孤独と被害者モード、夫婦の危機
で、なんせベトナムだから仕事はうまくいかず。
で、そうなってくるとですね、
だんだん被害者モードも爆発してくるわけ。
で、結構早い段階でそれ起こって、
ベトナムは私もう6ヶ月しかいなかったんだけど、
多分最初の2,3ヶ月とかで、
もうそれが一気にバババって起きて、
転職する、ダメだった、で辞める。
で、雑誌を作ろうとする、でもオジャンになる。
が、多分最初の3ヶ月くらいで終わって、
で、もうね、そっからね、
もうベトナムで働くのなんてもういいよ、みたいな。
なんか拗ねちゃって。
で、もう大輝マンは朝早く行って、夜遅く帰ってくる。
で、休みも1日しかない。
で、毎日やっぱベンチャー企業ってサッカーのベンチャー企業だったんだけど、
サッカースクールね。
毎日走り回ってるからめちゃくちゃ体力も使ってて、
遊びに行くって言っても、
大輝は時間作って行ってくれてたんだけど、
やっぱ結構しんどそうやったりとかもして、
なんせ朝起きて、
大輝の方がもう早く出てるから大輝いない。
で、マンションに住んでたんだけど、
アパート、ハウスキーピングのね、
おばちゃんたちが入ってくるの、家の中に。
で、掃除して。
だから掃除する必要もないからさ、
掃除してもいいんだけど、
もう全部してくれるから、掃除も。
お皿洗いとかも全部してくれて、
で、おばちゃん見送って、
はぁ…みたいな。
はい、もうやることないです。
で、そのアパートの上にジムがついてたんだけど、
なんか走れますみたいな、ジムついてたんだけど、
なんか当時の私はね、もうほんとにね、
なんか人と喋ってないし、
で、なんていうの、
もう家から一歩も出ない生活になっちゃったから、
そのジムに行くのすら怖くなってて、
ジムに行って誰かいたらどうしようとか、
なんかそこ毎日行くの恥ずかしいなみたいなんで、
結局一回も行かなくて、そのジムも。
で、家から30分くらい歩いた、
コンカフェっていうね、めちゃくちゃ有名な、
可愛いカフェがあるんだけど、
そのベトナムのコンカフェに行って、
映画とか漫画読んだりして、
何をするわけでもなく帰ってきて、
っていう生活を多分2ヶ月くらい繰り返してて、
マジで孤独すぎて、もうつらみたいな。
そりゃね、振り返って思うことはいっぱいあるよ。
いや、当時の私にね、伝えたいことはいっぱいあるんだけど、
でも当時の私は、なんかもう、
なんていうの、自分でさっきも、
自分で決めたんだねって私繰り返したと思うけど、
自分で決めたくせに、
自分でベトナムに一緒に行くって決めたくせに、
なんか大輝に連れてこさされたみたいな、
被害者モードになってしまってて、
で、1回そう思い込むと、
もうなかなかそれが取れなくって、
もう私のキャリアが絶たれたのも、
こんな、なんか引きこもりみたいな生活してるのも、
もう全部大輝のせいみたいな、
になってしまい、
で、もう喧嘩が絶えなくなり、ラスト1ヶ月。
猛音で爆発して、
最初の1回の離婚危機だよね。
あの、一緒に私の誕生日にタイ旅行行った時に、
もう帰るって言って、
もう私帰るからなって言って、
本当に帰ったっていうのがあったんだけど、
そうだね、これ、今喋るまでは、
その、被害者に私はなってしまったから、
やっぱそれを回避するために、
自分で決めたっていう感覚が欲しいよねって、
ラジオ撮る前はね、思ってて、
その話をしようと思ってたんだけど、
いざ喋ってびっくりしたのは、
自分でちゃんと決めたって覚えてたこと。
で、自分で決めたのに、
いつからか人のせいにし始めてたっていうことに、
今ちょっとびっくりしてて、
ワオって思って、
まあね、やっぱそうなるとね、かなりきついよね。
自分は自由だと気づく振り返り
なんか、私のキャリアをあなたに奪われたじゃないけどさ、
で、そんなはずないし、自分で決めてるのに、
そうなってしまってた。
で、あの時期が一番苦しかった、結婚生活の中で、
大輝のことを傷つけたこともめちゃくちゃ苦しいし、
今思い出してもウッてなるぐらい。
だし、なんか、もう引きこもって、
人とのコミュニケーション力ゼロになるぐらい、
上にあるジムに行くのすら怖いとか、
電話かけるのも怖いとか、
もうそこまで行っちゃってたから、
なんだろうね、どうしたらよかったんだろうね、私は。
もし、今の私が、大輝がベトナム行きたいって言って、
行くとしたら、
大輝、ベトナム行きたいって何で言ったんだ、それ。
わかんないけど、タイとかだったらめっちゃ嬉しいよね。
タイ大好きだから。
大輝、タイとか言ったら、
まあいいや、ベトナム行かなきゃいけない状況になったとして、
でもやっぱ状況違うから全然違うね。
今、私別にオンラインでお仕事をさせていただいてるから、
仕事ができなくなるとかもないし、
結構ね、一番大きいのってキャリアかも。
当時はこうやって、
フリーランスなんていう選択があることは知ってたけど、
自分がそれで生きていけると思ってなかったから、
履歴書に空白期間空けちゃダメだろうとかさ、
履歴書に転職いっぱい書いてちゃダメだろうとかさ、
そういうことにめちゃくちゃ縛られてた気がする。
でも今はそうじゃない、いろんな選択があって、
もうどうでもいいや、キャリアどうでもいいっすってなってるし、
だから何だろうな、
多分今行ったとしたら、本当に今行ったとしたら、
それなりに楽しめそうなんだよね。
大輝が例えば現地で勤めてたとしても、
私自由に自分が使うお金は自分で稼いで、
周りの周辺の国をめっちゃ旅行してたと思う。
旅行してる内容をYouTubeとかにアップしたり、
こうやってラジオで喋ったりしてさ、
人と繋がれてる感覚っていうのを自分で作り出せてるような気がする。
けどそんなんもね、今だから思うのよ。
当時は思い出して、
よくもあんなに大輝を傷つけたなって怒ってる自分がね、
やっぱずっといるんだけど、
それでも精一杯だったねって、
かばってあげたい自分もいる。
人のせいにするぐらい本当にやりたいことやれなかったねって。
でもそれも私が選んだことで、
振り返ってもう良かったことにするしかないから。
今はあの時間があったからこそ結婚相談所をやれてると思うし、
あの時間があったからこそ、
夫婦のちゃんと本音で話し合って、
分かり合うってことがどれだけ奇跡で、
どれだけ尊くて、
奇跡で尊いことなんだけど、
どれだけ大切かっていうのも分かってるから。
当時はつらかったけど、振り返って、
あの時間は絶対必要だったなって今は思う。
話にまとまりがないんだけども、
一言で言うととっても気持ちが分かりますっていう。
キャリアが立たれてしまうこととか、
また不慣れで友達もいない家族もいないってなって、
レターいただいた方ね、子育てもしててってなって、
そりゃあね、私みたいにきっと誰かのせいにしたくなる瞬間もあるんじゃないかなって思う。
思うんだけど、今の私があのベトナムの自分に声かけてあげられるとしたら、
あなたは自由よって言いたい。
あなたは自由だから、そんな恐れないでやりたいことやりなさいって。
当時私働いてなかったんだけど、
家賃とか切磅してて、どんどん自分が日本で作ってきた貯金が減っていく。
それも恐怖やって、ゼロになったらどうするんだろうみたいな。
思ってたんだけど、甘えろと今だったら言いたい。
大器晩が稼いでて、私は収入ゼロなんだから、
家賃全部出してもらえと。
食費も全部出してもらえと。
あなたが貯金したお金で旅行してこいって言いたいね、今だったら。
だからこうしなきゃ履歴書開けちゃダメだとか、
家賃は働いてなくても切磅じゃなきゃとか、
不自由にしてたよね、自分自身を。
本当にやりたいって思ったことを勇気出なくて抑えてたりしてたから、
その辺も全部取っ払って自由だっていう前提で、
やりたいことも勇気出してやるんだってやってたら、きっと何か変わってたと思うし、
我慢した分だけ人のせいにしてたのかなって今思います。
っていう取り留めもない私のベトナム体験記でした。
ありがとうございます。
引っ越しの方角と対策
最初にレターいただいた特命さんが、
私誰か分かってたんでLINEさせていただいて、
青年月日を聞かせていただいたんだよね。
なんでそれ聞かせていただいたかっていうと、
引っ越しする方角あるでしょ。
方角がね、旧正規学っていうので、
良い方角か悪い方角かっていうのが分かるのよ。
その年によって違うんだけど、
引っ越しってめちゃくちゃ方角のエネルギーをめっちゃ浴びる行為だから、
調子が悪いですっておっしゃってたから、
もしかしてそれあるんじゃないかなと思って、
イベント来てくださったし、
誰に対してもやってるわけじゃないんだけど、
その方だから特別にちょっと見させていただいたんだが、
結果はですね、あまり良くない方向に引っ越しをされておりました。
対策はLINEで送ります。
LINEで送るのでまた見ておいてくださいね。
みんなもね、引っ越し前にね、結構方角とかあって、
方角って思ってるよりエネルギーめっちゃ強く浴びるから、
どうしようもない引っ越しでも対策はあるんで安心してください。
だから、特命さんそういうのもあったのかもしれないし、
送る対策でやってもらえたらちょっと楽になれっていうね。
自分の中だけじゃない外側の要因ってきっとあると思ってるから、
なんか楽になってくれたらいいなと思います。
喋りたいことは全部喋れました。
レター本当にありがとうございました。
引き続き募集しているのでよろしくお願いします。
では今日はそんな感じでありがとうございました。
ほなほな。
26:57

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