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私が毎年エンディングノートを書くきっかけになった過去の話
2026-04-13 22:14

私が毎年エンディングノートを書くきっかけになった過去の話

※重たい話なので、状況をみて後日URL限定にするかもしれません。

みなさん、明日って来るって思いますよね。
今日が終わったら明日がくる。
本当でしょうか?

4月は私の中で大きな喪失感がある月です。
そしてそれと同時に大切な家族へ伝えたいことを伝える月です。

この放送を聞いて、少しでも『残された人』を思うことに繋がれば幸いです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
親の介護、まだまだ先だと思ってませんか?
親との会話の時間、とってますか?
キャリア、育児、家庭に忙しい私たち。
だけど、介護はいつ始まるかわからない。
だから『話そう』

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📖聴くエンディングノート Life Design Noteについて📖
Life Design NoteのBASEのリンク先🔗(内容が見れます)
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やまとゆきInstagram🔗(動画でノートの内容が見れます)
https://www.instagram.com/yuki_yamato723?igsh=YWd1b3MzYmFrdzJq&utm_source=qr


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サマリー

現役主任ケアマネージャーであるやまとゆきさんが、毎年エンディングノートを更新するきっかけとなった、5年前に経験した先輩ケアマネージャーの突然の死について語るエピソード。4月の出来事として、先輩の急逝、遺族との対面、そして「もっと長生きしてね」という言葉に衝撃を受け、自身も大切な家族のために、万が一の際に困らないよう、そして残された家族への想いを託すためにエンディングノートを書き始めた経緯を明かす。リスナーにも、大切な家族のために、エンディングノートを書くきっかけにしてほしいと呼びかけている。

エンディングノートを毎年更新する理由
このチャンネルは介護福祉業界で約20年間働き、現役の主任ケアマネージャーである私、やまとゆきが、介護の話や自身で作ったノート、ライフデザインノートのお話をさせていただいております。
聞くエンディングノート、ライフデザインノートって一体なんだろう?と気になられた方は、概要欄にありますベースの販売ページまたは私のインスタグラムにて内容を公開しておりますので、そちらをどうぞご覧ください。
おはようございます。じゃなかったです。ごめんなさい。こんばんは。やまとゆきです。いつものクセというものはついて回るものですね。
今日はちょっと夜に公開をしようと思っておりまして、収録をしております。
今日の話なんですけれども、先にお断りを入れさせていただきたいと思います。
今日のお話は、亡くなるですとか、そういう結構センシティブな内容が話されております。
なので、今メンタル的に少ししんどいよという方ですとか、そもそもそういうお話は好きではないよという方はですね、もうこの時点でこの先の話をですね、聞いていただかなくても大丈夫です。
今回はエンディングノートに関わる私の考え方ですとか、それに至るまでの私の経験などをお話ししております。
そちらにご興味がある方はどうぞ最後までお聞きください。
私自身、エンディングノートを一年に一遍更新しているということをどこかでお話ししたことがあるかと思うんですけれども、
だいたいこの4月の末から5月の頭、ゴールデンウィークぐらいにちょっと時間をとって、一年に一遍エンディングノートの書き換えを行っております。
大きな内容は変わらなかったにしても、私、去年と自分の、去年の自分との変化っていうのがですね、アレルギーで花粉症デビューしたよとか、
あと、子どものもし習い事が増えていたとしたら、それのお金の引き落としがだいたい何日にここの口座から落ちるよとかっていう新しい情報だったりとか、
4月って色々と環境の変化がある月、日本だったら年度の始まりになってくるので、そういったところをきちんとまとめて残しておくために、
これはここから引き落とされるよとか、これは何年何月に始まったよとか、逆に、私何年か前の話になるんですけれども、
子ども園から小学校に上がったから、ここの口座からはもう引き落とされることがなくて、新しくここの口座から小学校のお金が引き落とされるようになったよとか、
そういったものとかをですね、上書き上書き上書きで保存しているエンディングノートになります。
それプラスそういったものを、変化があったこと、家庭内での変化があったことですとか、私の体の中で何か変化があったことだとか、
そういったところを記載していって、最後の最後に今思う私が亡くなった後にしてほしいこととか、
亡くなった時に大切な人へのあてているメッセージとかを毎年毎年綴っているというものに、それを一冊のノートにまとめて毎年毎年、
何年とかで一冊にしてるんじゃなくって、一冊のノートに2023年、4年、5年、6年みたいな感じでですね、
連なって見れるみたいな状態にしております。前書いたやつはもうほぼ前書いたやつで更新とかないので、そんな感じで、
どのノートを使ってるかって言ったら、もちろん本当に簡単、ダイソーのエンディングノート、自分ノートっていうのがあるのかな、
自分ノート、お金ノートっていうのがあって、そっちに書いて、後ろに白紙のページが何ページかあるので、そこに今の自分の気持ちを書いておくっていうのをしております。
エンディングノートを書き始めたきっかけ
で、私がこれを書き始めるようになったのが、つい本当最近5年前ぐらいなんですよね。
やっぱりいろいろなこと、出来事があったりとかして、自分が残された後って私は分からないから、死んじゃった後の世界は残っている人たちがどうするかで全て決まっていくので、
まあその人たちが好きなようにすればいいとは思うんだけれども、困らないようには絶対しないといけないと思うんですよね。
そして私がこのノートを書くようになった大きな大きなきっかけというものがあります。
今日はそのお話をさせていただきたいと思います。
少し今から私の過去のお話をしていきます。
ケアマネージャーとしてのキャリアと妊娠・産休
私がケアマネージャーという仕事を始めたのは、今から約10年近く前になります。
結婚をして、まあその体力的に現場での仕事がちょっと難しいかな、子供を授かりたいなと思ったので、
事務的な作業ができるケアマネージャーっていいなって思って、最初はそんな感じで始めているんですよ、ケアマネージャーの仕事をね。
で、一番最初に就職ケアマネージャーとして働き始めたのは、いろんな施設ですとか事業所が併設されている大きい会社のとある許諾介護支援事業所っていう感じだったんですよね。
で、配属をされて働いていて、2年目ぐらいになるとですね、急に管理者よろしくみたいなことを言われて管理者をやってみたりだとか、そんなこともありまして、
2年目、3年目ぐらいかな、2年目の終わりから3年目ぐらいにですね、私の妊娠が分かりまして、育児予算給を取るということになりました。
当時なんですけれども、私ともう一人の方が一緒に働いてくださっていたんですけれども、その方がもう退職が決まられていたんですよね。
で、人員的にもう一人いないと大幅な減産っていうところに、前もね、ケアマネージャーは当時は多分40人ちょっとが持てるのが限界だったのかな、だったから、私一人で40人、その人も30何人、私40人とか持ってたから、もう一人いれないと減産になっちゃう。
ただ、私が産休に入るまでは大丈夫だったので、私が産休育休を取っている間に新しい方が来られて、その方が管理者をやってくださっていたんですよね。
で、育休明けに復帰して、その方が初めましてってなって、ケア的にもその方の方がケアマネージャーとしてのケア量が長かったですし、何よりも年が上でしたし、先輩として、私は当時復帰直後は時短勤務をさせていただいておりましたので、管理者要件にも当てはまらないということで、
その方が、もう私が育休産休を取った時点で、管理者としてそちらの事業所に配属してくださったっていう感じだったんですよね。
で、やっぱりケアマネージャーってケアマネージャー同士じゃないとわからない制度のこととか話のこととか、どうやって対応するとか、社内外の方とのコミュニケーションとか、ここはどうやっていこうとか、ああやっていこうとかっていう話を、やっぱり2人ですることがとても多かったんです。
先輩ケアマネージャーの急逝
で、その方とですね、そうだな、1年くらいかな、仕事をずっとしてて、で、ある日、明日自分休むからよろしくって言われたんですよね。
あ、わかりましたって言って、で、次の日、その方お休みなんで、私も朝から施設の方の通院の送迎とかをしてたりしたんですよね。
で、午前中だったと思います。今でもはっきり覚えてるんですけども、電話がかかってきて、その人からお休みなのに、あれ、どうしたんだろうと思ったんですよね。
で、電話に出たら、あ、ごめん、何々事業所の何々さんから不在着信入ってたんだけど、ちょっと自分、もともと今日用事があるからっていうことで、電話に出れなかったんだよねって。
でも、自分が出なかったから、そっちに電話あるかもしれないから、もしそっちかかってきたら、ちょっと対応お願いできるよって言われて、あ、わかりました。
で、何かもしやったとしたら、またお昼に電話するから、その時に教えてって言われて、あ、わかりましたって言って電話を切りました。今でも覚えてます。
そして、その日のお昼になりました。かかってこなかったなあ、そういえば、と思ったんですよね。それがもう気づいたのが2時ぐらいだったと思うんですけど。
で、あ、もしかしてお昼に電話ちょうだいって言われてたのかなと思って、私が。あ、これはこれはちょっと大変失礼なことをしてしまったと思って、電話をかけたんですよ、相手に。
あの先輩、先輩っていうか。かけたら、電話出られなくて、もともとね、用事があってお休みって聞いてたし、
もし私がそのお昼に自分の手が空くから電話ちょうだいって言われてたんだとしたら、あ、なんか都合が悪い時間に電話かけちゃったから申し訳ないなあと思って、
まあそれでも、次の日ですよね。出勤のご予定だから、まあその時でもいいか、みたいな感じでですね。
その日は時短だったので、4時過ぎに自宅に戻りました。
そして夜7時過ぎだったと思います。
いろんな施設があってっていう話のところの居宅介護支援事業所っていうふうに最初にお伝えしたと思うんですけども、あそこを統括している、私の会社の上司ですよね。
から連絡が入ったんですよ。珍しいの?って。もしもし?どうされました?って聞いたら、山本さんちょっと落ち着いて聞いてねって言われたんです。
はい、〇〇さんが倒れて緊急搬送されて、今病院のICUにいるって連絡が入った。
〇〇さんっていうのは私の先輩なんですよね。
で、その後にこう続きました。〇〇っていう疾患だったから、早ければ2週間ぐらいで退院ができるかなってご家族さんは言ってた。
それを聞いて私は、〇〇っていう疾患だったら、そうなんだなって思いました。
だからそれまでの間、なんとか一人で約80人近くの利用者さんをちょっと頑張ってもらえないかって言われました。
分かりました。それはもうね、その人の健康が第一ですし、そうやって守っていかないといけない環境だったから分かりました。
そして、あくる日仕事をして、で、通常の業務をして、で、いろんな手続きもして。
1週間後ぐらいでした。もう一度夜、所属庁から連絡がありました。
ヤマトさん、落ち着いて聞いてね。〇〇さんが亡くなったんだ。たった1週間でした。
私はその人が帰ってくるって信じてたから、最初は受け入れることもできなくて、だけど仕事はやっていかないといけないし、
いろいろと、いろんなことが、やっぱりご高齢の方を相手にしてるから、いろんなことが起きてそれに対処して、事業所との調整も取って、あれしてこれして。
どの事業所にも、その人が亡くなったって言えなかった。
先輩の死と向き合う日々
言ってしまったら、現実になってしまうんじゃないかと思って。
で、私はその日から、その人がいない事務所をどうにかこうにか回すことで、全てを忘れようというか、その時のいろんな感情っていうのを、押し殺して押し殺してやっていました。
そして、それは4月のお話でした。
私にとって4月というのは、この出来事がある2,3年前に母が亡くなっています。
同じ月に同じような思いをするのは、やっぱり苦しかったから、当時は丸々さんは本当に仕事がしんどいって言ってた、辛いって言ってた。
だから、そうやって嘘をついて仕事を休んで仕事を辞めて、どこかできっと元気に暮らしている、そう思ってました。
本当にそう思っていました。
通勤途中に見てる人がいたら、あれって思って、何々さんって声もかけそうになりました。
そうした状況が1週間、2週間と続いていき、机を整理しないといけない時期が来ました。
いろんな書類があって、個人情報もあるし、これはご家族さんのもとに返した方がいいっていう判断される書類もたくさんありました。
私物もいっぱいありました。
もともとご葬儀ですとか、そういったことに関しては、ご家族様から家族葬で行いますのでということで、参加はしませんでした。
私とその所属長が、後日ご家族様に連絡を取って、ご自宅にお伺いすることになりました。
お家にお邪魔して、最初に見えたのは、優しそうに笑っている丸々さんの笑顔の家でした。
そして、ご家族様に私物をお返しした時に、お世話になりました。
ありがとうございましたって言われた時に、ああ、本当だったんだって、この人いなくなっちゃったんだって。
初めてその時に実感が湧いて、もともと亡くなったっていう知らせがあった翌日、全体の朝のミーティングで、所属長からそのことも聞いていました。
関係各所には、亡くなったとは言わなかったけど、一心情の都合で退職したので、私が担当になりますっていうご挨拶もしました。
でも、私の中では、やっぱりどこかでずっと生きていると思ってた。
でも、実際ご家族さんに会った話を聞いて、私はその時初めて大声を上げて泣きました。
もう丸々さんに会えないんだ。もう丸々さんに話を聞くことができないんだ。
そんな思いで、所属長と一緒にご家族様にご挨拶して帰りました。
エンディングノートを書くことへの想い
今でも忘れられないのが、ご家族さんに最後に言ってくださった言葉です。
あなたは、あなたは、もっと長生きしてねって。
私が今回この話をしようと思ったのは、もうすぐこの人の年を超えるからです。
この人がいなくなった未来をずっと私は生きています。
そして、残された家族のどうすればよかったんだろう、ああすればよかったんだろうっていう話をたくさん聞いて、
私にも家族がいるから、大切な家族がいるから、世界で一番かわいい子供がいるから、
私が亡くなった後に、私が残せるもので困ってほしくないっていう思いがありました。
別にこの丸々さんは好きでこうなったわけじゃない。急だったと思う。
本人も多分もう納得も何もしてない。でも急に来るんです。
私だったかもしれない。丸々さんじゃなくて私だったかもしれない。
人間っていつ終わるか本当にわからないんです。
だから4月に私は、あの時感じた思いや、あの時ご家族さんに言われた思いと一緒にエンディングノートを書いています。
皆さんもこの放送を聞いて、ちょっとでもいい?
自分がいなくなった後の残された家族のことを少し思って、紙とペンがあればできます。
そんなに難しいこと、お金のこと、あれやこれやのことは書かなくていい。
自分がもしこうなって意思決定ができなくなったらこうしてほしい。
自分がもしこの世からいなくなったらこうやってあなたたちは生きていってほしい。
それを一行でもいい、一言でもいい、紙に書いて残して、
そしてそれがここにあるよって家族に教える。
そんなきっかけにこの放送がなればいいなと思います。
放送の締めくくり
今日は重たい話だったと思います。
最後まで聞いていただいた方本当にありがとうございます。
私の過去の出来事でした。
皆さんにとって、今日という夜が素敵な夜、そして迎える明日が素敵な朝になりますように。
それではまた次回。
22:14

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