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今回は、能・狂言というものについてお話ししたいと思います。
能というのは、もともとは古来から神様に奉納するための神事、そしてそれに伴う舞というものが元になったとも言われております。
それが歴史的にどんどん続いていって、室町時代に能という形で一つの芸能として回れるようになったというものなんですね。
どういうものかというと、まず大まかな内容としては、歌いながら踊る人というのがまずいるんですね。
その中にも主人公と脇役というものがいます。
主人公のことをして、して方と言ったりします。
またそれ以外の脇役の脇、それを助けるつれというものがいますね。
してと脇とつれというのが演者の役割分担としてあるんですね。
そのそれぞれが歌いながら踊るわけですね。
この踊りというのは非常に基本的にはゆったりとしていて、大らかな部分が多いんですけれども、
それだけではなくて、後ほどストーリー展開もお話しするんですけれども、非常に激しい舞も多いんですね。
この歌いには伴奏がつきます。
伴奏としては一つのコーラスのような部分として、自歌いというものがあります。
地面の歌い、歌いって陽極の陽ですね。
民謡の陽ですと書いて自歌いというのがありまして、
こちらがコーラスとして、例えばその話の流れをコーラスで語ったりだとか、
全体を盛り上げたりとか、そういうところがあったりいたします。
自歌というふうにも言う通り、要するにその、何て言うんですかね、
自能文にあたりますかね、セリフじゃない部分なんかを、
例えばその、この場所がどういう言われがある場所だとか、
そういうところを語るなんていう役割もあったりいたします。
それに加えて気楽としては笛と小つづみ、大つづみ、そして太鼓というものがあります。
つづみというのは、手で直接手のひらで叩くような太鼓のことでして、
肩の上に小さなつづみ、太鼓をのせまして、そこを手で叩くというものですね。
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非常に乾いた音がいたします。
それに対して太鼓というのはバチで叩くんですが、いわゆる祭りで叩くような太鼓とはちょっと違いまして、
少し擦るようにというか、押し付けるような感じで、それをまた何とか乾いたというんですかね、
何かこう、あまり響かない、響きをあえて抑えたような、そういうような音色がいたします。
笛は非常に甲高い音を出す横笛ですね。
そちらが使われております。
これで物語の始めと終わりをかたどったりとか、
あとはその息を読ましてきた時に、音楽を盛り上げるなんていう役割もいたしますね。
構成としてはですね、よくジョハキューと言われております。
ジョってジョ文のジョです。
ハというのは破壊の破です。
キューというのは急ぐという字です。
ジョハキューと言いますけれども、
このジョというのは非常にゆっくりなんですね。
この能の話というのは最初は非常にゆっくりなんです。
能というのは概ね前半と後半に分かれておりまして、前半はもう始終ずっとゆっくりなんですね。
それが後半に入ってちょっとずつこの勢いを増すんです。
そこでハというものになりまして、
そこから最後の本当に数分だけものすごく勢いが増すというか、
激しい踊りとか前になるわけなんですね。
大体そういうような構成になっております。
話の内容としては一応ミュージカルのようなものになってまして、
歌って舞の中に物語が入っているんですね。
最初に大体謎の人物が現れるんですね。
大体旅人が出てくるんですけれども、
旅人が謎の人物に出会って、
その人物から昔の様々な出来事を聞くんですね。
それが後半になったら、
実はその謎の人物が神様であるとか、
幽霊であるとか、
謎の存在であったり、
場合によっては化け物であるとか、
そういうものだってことが判明するんですね。
その正体を表して激しく踊るというような内容になっているんですね。
ですから、昔の故事って言うんですかね。
例えば、伊勢物語とか、
源氏物語とか、
そういう物語の中の登場人物がそこで出てきたりするんですね。
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実はその謎の人物の正体は、
源氏物語や伊勢物語の登場人物だったとか、
神様だったとか、化け物だったとか、
そういうことがあるってものなんです。
これ以上に見ていると、
最後はかなり激しいんですけれども、
衣装もすごく煌びやかであったりいたします。
煌びやかで非常に面白いんですね。
場合によってはカラクリがあって、
変身するように作られていたりですね。
非常にいろんなものがあるようですね。
曲も、曲って言い方をいたしますね。
一つのお話のことをですね。
曲にもいろんなものがありまして、
それには大抵、先ほど申し上げたように、
元ネタがあったりするんですね。
元ネタを知っていると、またそれはそれでもっと面白い、
面白みがあるっていうものになっております。
ただ、聞きに行ってもですね、
大体前半は眠かったりしますね。
非常にゆっくりなので、
個人的にはそれでもいいかなと思っています。
ゆっくりで、まるで夢を映す、
夢なのか現実なのかって、うとうとするんですが、
気がつくとですね、ものすごい激しい音に、
ちょっとずつ、ちょっとずつなっていって、
いつの間にか目が覚めるような激しい音楽になっていて、
そのまま一気に物語が終わるっていうね、
非常に幻想的な体験ができると思うんですね。
この脳の台本のことを陽極とも言います。
これ自体を歌われたりもするんですけれども、
こちら台本ですので、テキストで、文章でも読むことができますので、
その文章があれば、それを読みながらですね、聞いてみると、
少し物語を終えますので、
それはそれで楽しいかなと思います。
一方、狂言というところなんですけれども、
狂言はこの脳というものがですね、
よく多いのは脳を演目をやって、
その後に狂言をやって、
さらにその後に脳をもう一番やると、
このバンって言い方しますけどね、
もう一番やるというような構成が多いかと思います。
なんでかというと、脳をね、
神事でもありますから演目を演じるんですけれども、
やっぱりね、その間にちょっと休憩タイムが欲しくなるわけですね。
そこで演じられるのが狂言なんですが、
狂言というのはこれはコントですね。
非常に面白い滑稽なお話です。
語られる言葉もですね、
基本的には室町時代くらいの現代語、
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交語、話し言葉ですので、
非常に現代でも何となく分かったりするんですよ。
仮に分からなくてもですね、
演技は本当に演劇です。
演劇のようなパントマイムのようなものだとか、
そういうものに近い感じですかね。
でも小道具なんかもあるんですけれども、
その小道具なんかも使いながら、
見ていて楽しい演目なんですね。
ですから狂言はですね、単にコントとして楽しめます。
こちらは時間的にもですね、そんなに長くはない。
脳っていうのはだいたい2時間とかあったりするんですよ。
短くても1時間半くらいですかね。
でも狂言はだいたい30分とか40分とか、
そのあたりが多いんじゃないですかね。
ですので比較的短いお話として楽しめるということですね。
現代の言葉とも非常に近いので、
かなり見やすくなっているということでございます。
このような脳というものに対して、
特に重要な人物として、
神々、瀬阿弥という人がいらっしゃいますね。
彼らの手によって、
この脳というものが芸術として、
芸能と言うんですかね。
芸能として演じられるようになったというところで、
非常に大きいものでございます。
作品としては風刺家伝という作品がありまして、
その脳の論文ですね。
どのように脳を演じるべきかみたいなね、
そういうことが描かれた論文も出されております。
というような感じであります。
脳や狂言、見る機会もあるかと思いますので、
おすすめはテレビなんかでもやっていたりとか、
映像で見ることもできるんですけれども、
やはり実際の現場で見ないと、
なかなかわからない良さがあります。
というか、映像だと寝てしまうと思います。
あんまりこの良さがわかりにくいところもありますので、
ぜひとも実際に見る場面がありましたら、
ご覧いただければと思います。