演劇公演への参加
屋根裏ハイツ
みなさん、こんにちは。屋根裏ハイツのポッドキャスト、屋根裏ラジオ第28回をお届けします。
このポッドキャストは、劇団屋根裏ハイツのメンバーたちが、演劇2割、それ以外8割ぐらいの気持ちで、いろいろなテーマについてダラダラ喋るポッドキャストです。
本日のテーマは、演劇の2割の方ですね。
2割かいですね。
実際どうですか?
実際何割だろうね。そろそろ統計取れんじゃない?
屋根裏ハイツ
5割ぐらい喋ってると思いますけどね。
しょうがないよね。
しょうがない。
屋根裏ハイツ
言ってはいるけど、しょうがないよ。
そうなっちゃうよね。
共通言語が演劇しかねえんだからね。
屋根裏ハイツ
そこまでじゃないか。
何かというと、村長こと村岡佳奈が、4月の頭ですね。あれ今月だったんだね。結構前のことに反映しているけれども。
読み上げますね。
ちょっと今、団体名が分からない。
難しいね。
屋根裏ハイツ
日本社団法人日本ろう芸術協会の演劇公演の恋愛という舞台に村岡が出演していて、大地さんも僕もそれを見てるし、村岡もちろん出てるしで、
ここの感想戦ではないんだけど、村岡とかに経験をシェアしてもらいたいなという回ですね。
手話と演出の工夫
経験のシェアね。
屋根裏ハイツ
感想のシェアと村岡の経験のシェアをしていく。
ちょっと守秘義務とかもあると思うんで、そんなに。
守秘義務?
屋根裏ハイツ
いや、守秘義務というか個人情報とかもあると思うんで。
あるかな。
あるよあるよ。
話すことが。
屋根裏ハイツ
個人情報。
その辺をね、注意しながら話さないといけない。
注意します。
もうちょっと、かなり村岡が特殊な立場で、特殊な立場というか、での参加だという気はするので。
なんか唯一の聴者でしたもんね。
そうですね。
屋根裏ハイツ
だからなんか不思議というか、変わった立場の体験をしてるような気もするなという。
ある意味、僕たち自分自身に近いのはもちろん村岡なので、聴者という意味では、そういう人が手話だけの現場でどういう体験をしたのかとかは、気にはなるなという感じがありますね。
はい。
屋根裏ハイツ
恋愛自体は30分のオムニバスが3本みたいな公演で、それぞれ作演とキャストも全部違うみたいな感じで。
かなりバリエーション豊かというか、温度差がすさまじい。
すごい全然違う3本。
屋根裏ハイツ
3本で、ちょっと気狂いそうになりましたけど。
風邪ひいちゃう。
屋根裏ハイツ
風邪ひいちゃう感じがすごいしましたけど。
そうね。
村岡のが、いわゆるなんか会話劇みたいな唯一。
かなりナチュラル志向な部分が多い。
屋根裏ハイツ
会話劇でしたね。
勝手にアフタートークをしてるみたいな状態ですね。
屋根裏ハイツ
じゃあ、村岡さん。
何から聞こうかな。
そうですね。
どう?
考えようと思ってたんで。
屋根裏ハイツ
考えようと思ってた?話すこと?
話すこと。
屋根裏ハイツ
うっすら聞いたのは、台本を自分である種翻訳するみたいなことを知ったみたいなことを聞いた気がする。
今回は3作品ともそう。
実際どうなのかはわからないんだが、
ろう演劇の台本は結局日本語で書かれているから、
それを手話で実際会話するために、日本手話に翻訳をしなきゃいけなくて、
その作業、なんか大変。
それは、私は結局ネイティブじゃないから、
実際、演出の和美さんにマンツーマンで、ここはどう表現するかみたいなのを相談して、
全部台本の下に手話ラベルって言って、手話ではこう表現するみたいなのをメモ。
一セリフ一セリフちゃんとメモしていかないと、自分はちょっとできなかったみたいな感じです。
他の人はでもそうじゃないから、普通にそのままやってるから、
どうやってセリフ覚えてるのかなっていうのは気になった。
けどそれ聞く時間なかった。
屋根裏ハイツ
それはでも、メモ取ってないってことは、
普通に日本語で書かれた台本を読みながら同時翻訳できるみたいな状態なんでしょうね、ネイティブの方だったら。
それで別に、
準備はしてるんだろうけどね。
屋根裏ハイツ
別にメモとかはしなくてもできるぐらい。
だから実際、シーン稽古していく中で、
今のところこの手話使ってたけど違う表現でやってくれないみたいなオーダーとかはあったりした。
その単語は使わないで、違う単語で使えないかなみたいな。
屋根裏ハイツ
それ演出からですか?
演出から。
すごいありそうだよね。ニュアンスが変わるもんね、みたいなことだよね。
そうそうそう、そういうことだと思う。
屋根裏ハイツ
なるほどね。
俳優自身がやった手話に対してってことか。
そう、そう翻訳したけど違う翻訳の仕方でもう一回やってみようとか、
あと結局翻訳するってことは自然と読解は入ってくるじゃないですか。
その解釈の違いみたいなところとかも、
その稽古の中で見えてくるみたいなのは面白いなって。
普通に日本語のセリフを日本語のまま読んでると、
ニュアンスで取ることもある、ニュアンスでわかる解釈とかもあるけど、
一回会話が挟まるっていうか、
ここってどういう意味で捉えましたみたいなのが、
翻訳になるとその翻訳の時点にニュアンスとか解釈が組み込まれてるから、
そうですよね。
そう捉えたんだみたいなのが、話は早いなって思って見てた。
なるほど、面白いですね。
屋根裏ハイツ
それ普通の現場だと絶対起きないよね。
起きない。
屋根裏ハイツ
セリフは一旦セリフ通り口に、音としては絶対口に出すからさ。
そこに言葉、それこそ解釈とか読み方の議論はその後発生はするけど、
言語レベルでは発生しないもんね。
ね、そうそう。ここが面白いな。
屋根裏ハイツ
そこは全然違います。
言語の特異性
新作翻訳劇に母語話者がいる状態みたいなことが日常的になるってことだよね。
翻訳前の言語の母語話者が。
でもみんなそこは常に、視覚的な読みとの面では日本語が読めるわけだし、
それをどう表現するかが毎回起こるってことだね。
なんか立ち上げ方が、面白いですねそれ。
うん、それは面白いか。
これでも。
起きない。想像も何が起きるのかが、もうちょっと想像ができないっていう感じがするな。
結局、実際日本語で書かれてるけど、書いてる人もろう者だから。
そうだよね。
で、なんか結構、私が出てた前半の方のシーンは、結構日本語的な言い回しになっちゃったっていう風に言ってて。
そのセリフが。
それは誰が?作家が?
その脚本の佐藤さんが、結構日本語的な表現になっちゃったから、手話にするのが結構大変かもしれないみたいなのは、稽古の序盤で話したときに言ってて、
なるほどねって。
それはでも、私はわからなかったけど、わからないっていうか、じゃあ前半と後半で違うかって言われたらわからなかったんだけど。
なるほどね。
でもまあ、確かに。で、結局書かれてるセリフから、ちょっと実際手話のときはカットしたりとか、違うのを付け足したりとかっていう操作をしてた。
で、実際の字幕と、字幕で出てた台本上のと、実際私たちがもらってる台本は、たぶん内容違う、あんまちゃんと見れてないけど、ちょっと違うんじゃないか。
屋根裏ハイツ
まあやっぱすごいね。作るときも翻訳してるし、見せるときもちょっとずつ翻訳が入ってるみたいな、そういう状態なんだ。
すごい。
手が入って、なんかそれいいこと、いいことだなと。
なんか、え、あの、これなんか初歩的な質問なんですけど、文法みたいなもの、なんだっけ、俺これ、なんか、その日本語的な言葉になっちゃったみたいなときってさ、
手話だと何がないんだろうって思って今、何かがないのか、代わりに表現の仕方が違うのかみたいなときに、言葉のつなぎってどうやってんのかなっていうのは。
あー、ね、これ、それはね、私もなんかちゃんとわかってない部分が大きいんだけど、なんかその、あの、日本語と文法のその、順番?主語?
はいはい。
あの順番は一緒で、SVOは一緒。
あ、SOVか。
SOVは一緒なんだけど、一緒。
すごい細かいこと言うと、その助詞がないとか、何々かとかは日本手話ではないんだけど、あとなんかその、日本語は結構曖昧に言えるところが、手話でやるんだったら、
主語じゃないもんね。
あ、そうそうそう。手話でやるんだったら、主語は絶対必要だし、
あと、なんかその、なんかね、その、日本語だとぼかせる部分が、手話で話すんだったら、そこぼかさないです、みたいなのが結構あって。
へー。
なんかその、削るもそうだけど、ここ多分これ足さないと伝わらないみたいなことが。
うんうん。
その、日本語でこう文章で読むとわかるんだけど、実際日本手話で話すときってそこの情報を加えるよね、みたいな話とかも結構あったりして。
へー。
それってあるんですか、なんか、例えば。
例えばだよね。例えば欲しいよね。
屋根裏ハイツ
音声で今、音声でさらにいけるんですかっていう、その例えが思いついたとして、音声で説明が難しい。
でも何ですか、あの、大地さんに聞きたいこととしてはさ、あの、日本語がやっぱ自然言語の中ではやっぱその特殊。
あー、主語ない系。
屋根裏ハイツ
何ですかね、その主語がないとか曖昧に喋るとか語順が変わってもみたいな。
そういうのってやっぱ日本語特有の特殊さみたいなものが多分ある程度あって、そういう意味だとなんか手話の方がいわゆる普通、なんか日本語以外の言語とかの方がやっぱ近いのかな、なんか作りとしてはね。
語順自由な言語は割とあるイメージはあるけどね、英語がむしろかなりストイックというか。
屋根裏ハイツ
厳密?
なんか、あの、ドイツ語とかだって動詞が2番目なだけであとは割と自由じゃなかったっけ。
屋根裏ハイツ
主語が曖昧とかはやっぱ日本語的な。
気がするよね。
分かんない。
だからなんか日本手話もどちらかというとそういう、なんかむしろ普通の言語的な、日本語以外の言語的な文法になんか接近はするのかなみたいなことを今聞いて。
確かに。
屋根裏ハイツ
思いました。
なんでむしろ主語が必要なんだろうみたいなね、気は。なんかその、するよね日本手話。
私みたいなのが。でもやっぱ分かんないってことは、だから絶対必要っていうことなのはなんかその、分かんないっていうことだよね、だから。
うん、ね、そうだったよね。
屋根裏ハイツ
まあでも、やっぱ言語一般本当はそうなんじゃないですか。日本語の方が特殊でみたいな気がしますけどねっていう。
だからあれか、日本語的に書いちゃったっていうその脚本家の方のやつは多分そういう表現とかなのかな。
そういうちょっと曖昧な表現とかが日本語的になりすぎちゃったから日本手話に変換するときにはちょっとよっこい設定しないといけないかもっていうのはそういう意味なのか。
とかもあるのか。
なんかあのさ、これはのオリザさんのよくやるの、竿を取ってっていうさ。
はいはい、竿取って。
竿、竿、竿、みたいな、その竿みたいなさ、その繰り返すとかってさ、繰り返して強調するみたいなのっていうのがこう日本語の割と特有というか、
英語とかだと脅威で示す。
屋根裏ハイツ
うん、アクセントとか強調することで。
それがこう何回か繰り返したりすることでみたいなのって、確かに手話だとその同じ身振りをずっとやるっていうのはなんかちょっと変なような気もする。どっちなんだろうと思って。
でもね、でもさ、その話しててさ、普段その稽古場とかで休憩中とかに話してるときはさ、全然そういうやりとりはあったよね、なんかね。
竿、竿、竿って。
竿、竿、竿、みたいな。竿、竿、竿。竿、竿、竿あったと思う。
し、なんかそれはあと、えー、えー、あの、で、それは自然だよねっていう話も一回してて。
あ、そうなんだ。
屋根裏ハイツ
なるほどね。
えー。
だからその、お、手話でセリフ言うんだったら主語って必要だよねとかこう、ちゃんとこう、文法みたいな話もしつつ、でもなんか実際。
日常会話では別に。
そうそうそう。とか、あとこの関係性。
例えば今回その恋愛っていうテーマの作品で、その、ちょ、私ともう一人、あの、恋人役の人がいて、最初の会話とか、とかは特にその、もう関係性がちゃんとできてて、コミュニケーションの取り方も多分もう決まって、なんか。
うん。
手話の表現とコミュニケーション
その二人特有のものがあるから、なんか本来だったら、あの、本当に他人だったら伝わらないようなことも、例えば顔、アイコンタクトだけで伝わったりとか。
うんうん。
したりするよね、みたいな話もしてる。
あー、なるほどね。なんかさ、あの、すごい、これはでもなんか、その翻訳、再翻訳の問題なのかもわかんないけど、その字幕に、僕が見た回は、まあ原田くんもそうだと思うけど、字幕がついてる回。
屋根裏ハイツ
うん。
見たんですね。で、字幕に対して、やっぱ手話の見ぶりが少ないなっていう印象は、すごいその。
あー。
あの、村岡たちのやつはすごい思ったよね。なんか特に最初の二人の会話は。
そう、なんか。
それはたぶんその関係性とかによるのかなっていうのを勝手に想像したんですけど。
うん。し、あとその日本手話ってその、手の振りだけじゃなくて。
うん。
言語が。
うんうん。
その顔の表情とか。
うんうんうん。
上半身のちょっとした動きみたいなのも文法にあるよっていうのは。
うんうんうん。
あって。
だからその、手振りつけなくても顔だけで、あの、何か、あの、ちゃんと普通に言語として伝えられてる部分とかもあったりするみたいな。
演劇における身体表現
あーなるほど。じゃあ、こう、まあ今こう、その、全く手話にこう見慣れていない私が見ているよりも多くの情報を伝えているってことですね。
うん、っていうこともある。
うんうんうん。
あ、ちょ、そう、実際ね、その字幕見れてないからあれだけど。
うんうんうん。
あ、で、その実際書かれているセリフを、その、か、あの、カットではなくて、カッコにしてて。
その、手話、えーと、手、なんか手話単語とかを使ってじゃなくて、顔とか反応とかでこのセリフ表現してください、みたいなのもやってたりして。
ありがとうっていうのを顔だけでやれ、みたいな。
あ、そうそうそうそう。
あー。
へー。あ、それはでもその、戯曲の指示だよね?として。
あ、えっと、いや、えっと、演出として。戯曲に書かれてるけど、ここは、あの、セリフではなくて、みたいな。
うんうんうん。
反応で伝わるね、みたいな。
あー面白いですね。
なんかそういう作業かもしれない、その、日本語的、そうね。日本語でもそうだけどね。
まあでもなんかそこまで言葉を変えることはまあ、珍しいっちゃ珍しいかもね。
うん。
なんか、基本はその、それをどう言うかで何とかしようとする感じはあるけど。
あーそうね。
まあそれもあるし、まあでもどっちもあるか。あるけど。
うんうん。
でもなんかこう大胆に、大胆に切れる気がした、今、聞いてて。
そう、なんかすごい大胆に切った。大胆に切ってた、結構。
もうそのこと言わなくてもいいよ、とかが、なんか、一動作。
うーん。
なんかそういう。
そうそうそうそう。
そういうレベルの。
うん。
あれ?みたいな、でも今うんにした?みたいな。
あ、そうそうそう。
そういう外が。
あ、そういう感じ。
オッケーになりそうな気が、聞いててましたね、今。
そう。え?それ、今言う?おー。あの、顔だけでやって?みたいな感じ。
あー、なるほどね。
屋根裏ハイツ
うーん。
え、しょうがなくない?っていう、相手の反応もその顔だけでやる?みたいな。
あ、でもなんかそうだったよね。
そうそうそうそう。たぶんそう。あ、思い出した。
だから、え?みたいな、なんか、その、これでいけんだ?みたいな、驚きが。
それでいいんだ?みたいな。
結構あったんだよね、なんか。
そう、なんかそれってさ、そのさ、だから、母語話者じゃないからさ、え、これって本当にイケてんのかな?みたいな。
確かに。
不安はあるんだけど。
確かに。
なんかどうだったんだろうね、その、実際の。
見てる人にとってね。
見てる人にとってね。
屋根裏ハイツ
なんか、翻訳ともなんかもう違う領域な気もするね。
うん。
なんかそのさ、書かれてる台本のやり取りをやって!みたいな状態っていうか。
そうそう。
そのオーダーとして、その台本の台詞を一時一句言うみたいなことがないというかさ。
確かに。
そう。
身体で表現してに近い。
そうそうそう。
当たり前だけど、その。
うん。
だから、動きで表現してっていうさ、その、母語話者、日本語音声言語のさ、稽古場だとすごいネタみたいになっちゃいそうなさ。
うーん。
こういうことがリアルに。
そう。
引き続きで行われうる。
うん。
うん。
で、すごいなんか、いいです。なんか面白そう。
屋根裏ハイツ
ね。
それはなんか全然そのさ、戯曲に向き合い方が全然。
うん。
屋根裏ハイツ
違うなっていうのが面白いなと今聞いて。
うん。
うん。
思いました。
思った。
うん。
でもかといってじゃあ、あの、毎回、例えばちょっと長めのセリフ。
その、例えば、その私の相手役の人がデモの時の。
うん。
デモに参加したっていう設定だったんですけど。
デモに参加してて。
私が通訳としていて、恋人役の人にちょっと内緒で来てもらって、デモに参加してもらったみたいな。
で、そのデモに参加した時の、その、ろう者として参加した時の感覚というか、みたいなのを話してくれてるシーンで、
ちょっと長めの手話があったけど、あれって結構毎回一緒で、ちゃんとセリフとして毎回一緒で。
だからその、書かれてることから飛躍して、毎回身体表現をしてるんだじゃなくて、ちゃんとセリフには寄ってるっていうのが、
不思議というか、だからどうやって覚えてんだろうなってすごい思った。
でも基本はだからそうやって、翻訳したものを再現してるわけだよね。
だから自分の中で身振りを作って、それを毎回やるってことだよね。
観客との関係性
毎回やるっていう。
じゃあなんか、ごめん、今回ちょっと違っちゃったみたい、間違えちゃったみたいなことが普通に起こるみたいな。
なるほどな。
すごい、なんかおもしろい、不思議。
屋根裏ハイツ
そうなんだ、なんかその作品を鑑賞した1個人の感想としては、なんか普通に演劇だなっていう思ったんだけど、
作られ方はなんかやっぱ全然違うなと今聞いてて、思いましたね。
うん、なんか同じような、そんなに違うのかもしれないけど、
なんかプロセスの中で起こってることが違いそう。
個々の俳優にもだし。
確かに稽古場で、じゃあそれ顔でやってみたいなことは稽古で起きないからね、音声の方がさ。
稽古だと。
なんか確かに、そのテキストっていうか台本との向き合い方はなんか違うのかもとは。
私はなんかその終わった直後とかは別にそんな普通、普段の聴者だけの演劇とそんなに感覚としては変わってないような気もしてたんだけど、
確かにそういう台本との向き合い方っていうか、付き合い方みたいなのは違うかもね。
屋根裏ハイツ
でもそうなんですね、だから僕は思ったのは、なんか村岡の演技?演技の経験みたいな、演技をする作品の稽古をする、そこで演技をするっていう経験自体が、
もうなんか全然違いそうだなと思ったけど、そこまででもないんだ。
そこまででもない、なんかその体感、その言語が違うぐらいの違いかなって思ってた、思ってるんだけど、でも違うかもしれない。
屋根裏ハイツ
かもしれない。
かもしれない。なんかその例えば、間の調整とかって全然普通に同じ感じでやりとりしてたなとか。
もうちょっと間を空けましょうかとか。
ここ間空けようかとか。
変わらないような気もするね。
なんかその視線がさ、そのお客さんの視線が今はこっちだから、じゃあもうちょっと待とうかっていうとかって、すごい同じこと言ってるって思ったりした。
今はこっちに集中してるとか、今それやっちゃうとちょっと視線ぶれちゃうなとか。
観客のね。
観客の、そうそう。
でも観客の視点をかなりさ、指定するっていうのが違うよね、かなり。演劇としてその、見ないと分からないっていう前提がね、あるから。
だからなんか要素として、やってることは一緒だけどその比率が違ったりするみたいな。
大事にすること。
屋根裏ハイツ
比率が違うって感じかもしれない。
なんかすごい面白かったのがさ、あの面白かったというか、村岡から話を聞いたときは、話を聞いてたときに想像してたことと、実際見たときに、見たときで結構印象違ったなってことなんだけど、としてこの後の話を話すんだけど。
なんかあの、手話だからお客さんにその手の情報、上半身の情報が見えないとダメだから、お客さんにかなり向かってやるみたいな、手話、俳優が。
で、それがかなり前提となるみたいな話を聞いてて。
で、ああそうなんだと思って見に行って、で実際1円目目はそうだった。かなり。というかまあそういう、そういう作品だったしね。
そういう作りにしてたよね。
そうそうそうそう。スピーチみたいな。
対お客さんみたいな。
で、村岡の出てるやつは、さっきちょっとナチュラルとか、いわゆる会話劇っぽい会話劇みたいな話があったけど、すごいなんか普通に会話劇として、あるぐらいの椅子がちょっとこう。
開いてるかなって。
開いて、整体しないようにはなってるけど、それもまあ別に結構普通の演劇もそうするじゃん。
そうね、普通にね。
顔の、現代口語演劇的な、どこ向いたってええんやみたいなことではなかったと思うけど、でもものすごくでも普通なものとして出力されてるなと思って。
なんかもっと客席に向かうことをかなり前提とすんのかなとかかなり思ってたけど、なんかそれとかも印象的ではありましたね。
なんかそれはすごい、設定上普通にカフェ、カフェでの会話みたいなところで、普通に、これなんかそのろう文化とかを、ろう者の人からレクチャーされることとかってことがあって、
その時にも言われて、印象に残ってるのが、そのろう者同士、ろう者とか手話で会話する人たちが飲みに行ったりとかカフェに行ったりするときってカウンター席は絶対選ばないっていうのがあって、絶対向き合うとかじゃないと疲れちゃうからっていうので聞かされてて、
でもそのカフェの席って普通だったら整体するけど、そうすると演劇として見えないから、じゃあどうしようねみたいな話をしてて、
で、なんかその私たちのチームはテラス席で、その客席側に開けた空間があるっていうイメージでいたら、開いてても演劇のために開いたとはならないんじゃないかみたいな作り方をしてたんだから。
その、客席に開くっていうのは演劇として必要なんだけど、それを自然に組み込むためにどうしようかみたいな操作をした。
まあ、それもやるけどね。やります。やるよねって言う。
ああ、やるやる。
やるよね。
そうだよね。でも、そっかそっか。観客にはもちろん動作が伝わんなきゃいけないけど、その動作が相手役にも伝わんなきゃいけないからね。
うんうん。
そこのやり取りを見てるわけだから、当たり前だけどそうだね。観客にだけ向いてても、そういう演技あるけど好きじゃない演技みたいな。
客席開くか。あ、これはね、音声。
音声。
日本語の、てかまあ、聴者の演劇でもあるじゃないですか。
うん。
全然、これすごいでも下手っぴな演劇だと思いますけど、その、隣の、え、全然俳優の話聞いてないけどこっちに向かってめっちゃ喋りかけてくんじゃんみたいな。
大学生の頃によくこう、見ていたような。
学生演劇のような感じだと思いますけど。
それはさ。
でもさ、それがさ、その、成り立っちゃうのって音声だからだよなって思う。
結局、音声でこっち向いてなくても、耳で情報は取れちゃうから、成り立ってるように感じちゃうというか、舞台上にいる人も。そこに違和感を感じないというか。
手話だとほんと見えないともう分からないから、みたいなところなのかな。
受け止めないとね。
受け止めないと。
終わりを受け止めないと。
これは確かに。
そうね。
手話と演劇の違い
でもなんか、その話も面白いし、あと最初に言ってたその、何ていうの、休憩中の会話とやっぱセリフの時考えてることは違うんだとかは、おもろいですね。
でも、それはあとさ、この作品でもなんか、描かれてるんだけど、聴者がいる場での手話と、ろう者だけの手話が全然違うみたいな。
屋根裏ハイツ
なるほど。
稽古場は私がいるから、全然その手話自体は別にそんなにできるわけじゃないから、私でも分かるようにやってくれてるんだなっていうのはすごい、稽古場でも感じてた。
それは確かに。
うん。
その実際シーンとかで、二人、ろう者二人だけのシーンになった時に、急にこうガラッと手話が変わるっていうのも、演出でもちろん変えてもいるけど、実際もそうだよなみたいな。
なんか、わーって、なんかゾッゾッとするというか。
まあ確かに、そこに一人、聴者としているのはなんか、ちょっとドキッとしたりはしそう。
ドキッとする、みたいなのはあった。それは、ゾッとしたけど面白いなって、その客観的に見たらすごい面白いなって思って。
すごい、だから既成の台本を翻訳するのも、プロセスも面白そうですね。
うん。
どう?わかんない?
それで言うと、ちょっとあれだけどさ、私が2021年度に、映画美学校のアクターズコースに通ってた時も、
同期にろう者が3人いて、その終了公演はチェーホフの『かもめ』をやったんだけど、
それは、そのろう者のシーン、手話のシーンと日本語のシーンを分けてて、
手話のシーンはやっぱそのカモメを翻訳してて、その作業すごいね、すごかった。なんか大変そうだった、ほんとに。
屋根裏ハイツ
あーなるほど。
ほんとに大変そうだった。
確かに。
なんか、既成の台本、そうだね。
確かに。
なんだっけ、そうそうそう。
はい、だからその既成の台本を日本手話に翻訳していくプロセスみたいなのも、
なんか違うエキサイティングさがあるんだろうなと思ったっていう話です。
うん、ね、そう。
自分の戯曲がどう変換されるんだろうっていうのが、すごい繰り返したりするから、
あいづちの往復が人の戯曲より多いから、とか、なんか無駄なんだろうなっていう気が、
無駄っていうかなんかあんまりニュアンスを持たずに存在しちゃいそうだなって思いました。
面白そうだけどな、なんかほんとに、あの、ほんとにうなずきだけのシーンとか起こりそうで面白そう。
うなずいてるだけ。
恋愛をテーマとする理由
屋根裏ハイツ
あー、なるほどね。
なんかそれは、それはなんか面白そうだなって思う。みたいな。
そんなことあんのか。
あんじゃん。
そう、なんか余計な、余計なというかさ。
だってピラフ、ピラフ、平、炊飯器ピラフ、炊飯器ピラフだからね。
どうすんのかなみたいな、なんか。
これどうなるかな。
なんでもないじゃん。
面白そうだね。
なんでもないなって思って。
ね、面白そう。
あの、音声言語でもなんでもないんだけど。
なんでもないんだけど。
屋根裏ハイツ
音声言語ならあり得る会話だけど、
まあ音声言語でしかあり得ない会話の可能性ももちろんあるということですよね。
屋根裏ハイツ
その冗長さみたいなものが。
こんな、しなくてもいいよね、みたいな。
なんかその、ろう文化と長文化の違いみたいな話で印象に残ってるのがさ、
その、日本語、日本語話者で、
暑いねって言うと、エアコンつけようかってなるみたいな。
なんかこれはさ、なんか、まあ思うことはあるが、
なんかその、そういうなんかニュアンスで汲み取る文化じゃないですか。
屋根裏ハイツ
はいはい、まあまあ。
暑いね、エアコンつけようか。
でもろう文化はそれないから、暑いね、だから何になるっていう話が印象に残ってる。
エアコンつけてって言わないと、エアコンがつかない。
そうそうそう、とか、だからなんかその、意味のない、
わあ晴れたねとかも、それ何?みたいな、なんかなっちゃうみたいな。
そうなんだ。
そうなんだって思いながら聞いてたけど。
屋根裏ハイツ
それそうなんだーだな、なんかまだにわかにはこうフギ落ちてない。
全然稽古場で寒いなーとかは言ってるけどなーとか思いながら。
でも、なんかそういう話、なんか、
で、なんか、そういう話ってさ、
なんかさ、あの、分かんないよね。
分かんないよね。
その外国文化とさ、日本文化の違いとかを結構へーって聞いちゃったりするけどさ、
同じようなこと起こってそうだよね。
なんか、そうは言ってますけど、みたいな。
ああ、実際現場はもうちょっといろいろあるよっていうね。
もうちょっといろいろあったりするし、
あと日本、その、引き合いに出される日本文化って本当に日本文化かみたいな、
なんか日本語文化感みたいなこととかもあったりして。
屋根裏ハイツ
まあそうですね、なんかある側面をついてる気はするが、
なんか例外はいっぱいありそうみたいな。
ね、っていう、そうそうそう。
なんかだから文化の違いなのか個人の違いなのかみたいなところが、
結構、あの、より曖昧でわからないなって思うなーって思いました。
数字で。
結構そのね、
じゃあ稽古場とかで、あれ聴者はどうするのって聞かれるときに、
なんか自分は聴者代表にはなれないぞって思っちゃうっていうか。
屋根裏ハイツ
はいはいはい。
し、あの、自分も聞いちゃう。
その、ろう同士だとどうするのって聞くけど、
それってろう文化を聞いてるんじゃなくて、
多分その人の個人の場合で聞いてるなとか、
みたいななんかその、文化を学ぶってすごい曖昧だなって思ったな。
感想として。
で、思っていた。
屋根裏ハイツ
まあそうだね。
まあそれは、まあどこでも起こりうること。
どこでも起こる、そうだね。
なんか、手話、日本手話日本語じゃなくて、
まあ沖縄の人はどうしてるのみたいなそういう。
ね、そうそうそうそう。
屋根裏ハイツ
そのぐらいの話っていうか。
ね、そうだからね。
それを結構なんか、なんかすごく、あの、強く感じたというか。
うん。
なんか本当に、想像できない、想像できないすぎると、
へーになっちゃうみたいなところも、
なんかそうなのかなって思える時間が多かった気がする。
感想ですけど。
うん。
屋根裏ハイツ
なんかやっぱ聞かないと全然わかんない。
なんかやっぱ作品として見てると、やっぱその辺の機微は一切わかんない。
別に良いとか悪いとかじゃなくて、自分が聴者として、
まあ基本ろう者向けとして完全に作られてる演劇だったから、
まあ客席もそうだったし、
まあそういう風なプロセスで作られたこともわからないし、
まあそれこそ演技、聴者の演劇見るときに、
あ、この人上手いなとか、そういうことを思える感想とかが、
ある種通用しない感じは。
あー。
これが上手くできてるのか、少なくともやりとり?
そのやりとりのレベルで上手くできてるかどうかとかは全然わかんないというか。
うん。
屋根裏ハイツ
なんかスタイルに対しての好みとかは。
うん。
屋根裏ハイツ
なんかある種演劇と普通の演劇と一緒だなとは思ったけど、
あ、やっぱ結局誇張、こういう演劇的な誇張っていうのは別に言語違わずある。
言語というか手話と発音する言語とで全然違うってことないんだなみたいな。
ある種演劇の文法みたいなものは全然一緒なんだなっていうこととか思いつつ、
でもそのやっぱりやりとり自体が上手くいってるのかとか、
村岡の手話が下手かどうかとかもわからないというか、
やっぱりネイティブの人が流暢なことはもちろんわかるんだが、
村岡の手話がどのぐらいそれに足りてないのかとかは、
あんまりよくわかんないみたいな状態で見てはいたなと思います。
確かに。
この人の演技好きだなとかはあったなというか、
この人の方が上手そうみたいなのはあったな。
上手そう。
上手そうっていうか良さそうみたいな。
それも好みでもあるかもしれないけど、
演技の姿のいい俳優さんだなみたいなのがわかるなと思いました、私は見てて。
これはでも好みも入るけど、
単純にだから、
この作品とこの作品みたいなのは比較しようがないくらい全然違うっていう話だったよね。
演出が全然違うし。
全然違う。
でもその同じ作品の中の出演者でも、
この人のがすごいいいなとかはあったなという印象はあった。
それこそ違いそうだったよね、演技スタイルがみんな。
全然違った。
一種格闘技戦だったよね、ちゃんと。
演出プランも違うしね。
脚本の質も全然違うんだろうけど。
脚本の質も全然違う。
同じ恋愛っていうテーマで全然違うの面白かった。
なんか全体傾向までそれぞれ違うチームが何してるか知らなかったから。
本番の1週間前ぐらいにやっと他のチームの始めてみて、
すごいびっくりした。
全然違う。
最初のやつってタイトルないの?これ。
あのね、タイトルが絵なんだよね、多分。
言葉じゃなかった。
絵。
そうそうそう、絵がピクチャーってことだよね。
そうそうそうそう。
ピクチャー、ピクチャーで描かれた。
屋根裏ハイツ
そういうことなんだ。
このコンビニが衝撃を受けました。
そういうことなんだよ。
でもそれは普通にね、意外性は全然ある、普通にあるタイトル。
イラストロゴ、イラストロゴにしたんですね、タイトルは。
なるほどね。
屋根裏ハイツ
最初のはでもなんか、結構一般論って感じ。
恋愛のね。
屋根裏ハイツ
恋愛についてのある種一般論みたいな、別にろう者と聴者で違わない、違わなさみたいな話で。
2本目の村岡のがある種、もうちょっと社会との関わりがあるというかさ、ろう者と聴者の立場と。
屋根裏ハイツ
社会との関わりみたいな。
3本目も別になんか、ならではみたいなことはもちろんないみたいな。
そういう意味だと2本目が一番を、もちろん感情移入しては見れましたけどね。
それはそうだね。
屋根裏ハイツ
興味を持って見れたというか。
なんか、当日パンフレットが配布されてあるんですけど、
2作目の佐藤さんが書いた、私が出てたやつは、
ろう者にとっての他者は聴者だって書いてあって、佐藤さんのコメントに。
なんかその属性として、
個別的な人物像というよりは属性としての人物像に執念していくようなイメージが根底にある。
ろう者にとっての他者は聴者であり、異質な他者を巡る関係性には様々な欲望や感情があります。って書いてあったから。
なんか、ちょっとごめん、まだちょっと深められないけど。
本当にだから、他者として聴者がいるのがでかそうだなってすごい、
って思います。
なんかでもそもそもさ、テーマが恋愛なのってさ、あれなんでしょ?
恋愛がテーマにならないんでしょ?
作品が少ないみたいな話。
それはそう、ろう者劇団っていくつかあるんだけど、
ろう者劇団の中でもラブストーリーってあんまり見ないなっていうのが、主催の人たちの印象。
で、扱っててもすごい古典だったりとかするらしい。
だから今回はあえて恋愛っていうのをテーマに、新作を書くのが面白いんじゃないかっていうので恋愛がテーマになった。
演劇における文化の理解
なんですね。
屋根裏ハイツ
なんで少ないんだろう。
ね。
でも、最近の演劇で恋愛あるか?
あるよ。
屋根裏ハイツ
演劇に限らず恋愛なんて一大油田ですよね。油田というか。
主軸じゃなくても絶対入ってるのか。
屋根裏ハイツ
まあ、それもありますね。
なんでだろうな。
屋根裏ハイツ
それはなんでだろうって考えると、確かに逆になんで恋愛物って多いんだろうみたいなこと。逆にね。
こっちが少ないのかこっちが多すぎるのかみたいな。
なんかそういう非対称性も気になるけど。
一大別とかですかね。
あんまりないっていうのがどういうないなのか、ちゃんとろう演劇をたくさん見たことがあるわけじゃないですか。
恋愛を描く難しさ
そうですね。どういう意味なのかもわかんないですね。ろう者同士の恋愛を描くとか、
屋根裏ハイツ
なんか語られ方の問題なのかというか、恋愛について考えるみたいな会話をそもそもろう者同士でしないとか、
そういうことの可能性もありますね。
屋根裏ハイツ
でもなんか、それこそ2作品目のなんかある種性的な指向の一つに聴者がなるみたいなものとかもなんかありそうって思いましたね。
もう選んでそういう人と付き合うみたいな。
屋根裏ハイツ
なんかありそうみたいな。
2作品目はなんかあるあるらしい。あるあるでゾッとするっていう。
あるあるなんだ。
うわーみたいな。あるらしいです。
そのうわーみたいなものがなんかきっとやっぱ恋愛を描く時の難しさだったりするのかもな。
屋根裏ハイツ
いやだから語りづらいみたいな。
例えばろう者の人が、実は聴者の人と付き合うみたいなのがマジョリティだった時に、それを大ぴらに語りづらいみたいなのもあったりするのかなみたいな。
だから恋愛という題材そのものが良くないとか、そこちょっと語りづらいんだよねみたいなことがあったりもしそうだな。
なんかでもこういう、基本観客もろう者を想定している。
まあでもそういう文化圏なのかな、基本もある。
ろう者劇団ってさ、そうやって、まあでもその方が多いか。
日本語字幕すらつかないみたいな。
どうなんだろうね。
まあそうですね、そのコミュニティ自体がどういう風な運営がされているのかも知らないなとは思いますね。
屋根裏ハイツ
私見たことあるやつはあって台本歌詞だし。
衝撃上でベースだと多分その、聴者の演劇もそれくらいだけど。
それぐらいの。
屋根裏ハイツ
ちょうど逆って感じ。
ちょうど逆ぐらいの。
こっちも字幕がついてるのはバレでみたいな。
屋根裏ハイツ
なるほどね。
文化的には今後はどうなんですか?
手話と演劇みたいなもので、今後も何かあるんですか?
やりたい。
やりたいし。
あとなんかさ、やりたいし、積極的にやっていきたいんですけど。
すごい理想はさ、普通にいたいよね、どっちも。
すごい言い回しが難しいんだけどさ。
じゃあろう者と聴者がタッグと見ました、公演とかっていうよりは、
なんか普通に見に行った舞台に聴者もいるしろう者もいるみたいなのがすごいやりたいんだけど。
ってなった時に、上演レベルでも客席も両方見て、どっちも楽しめる上演ってなんだろうも考えたいし、
どっちも普通にいられる稽古場ってなんだろうっていうのも考えたいよなっていう。
なんかさ、なんて言うんだろう。
まあね、通訳とかは絶対必要だしね。
そう、必要、なんかね、当たり前に、当たり前にいる状態にしたいんだけどなって。
屋根裏ハイツ
それってどうしたらなるんだろうって思ってる。
上演レベルでもその稽古場の上レベルでもっていうのは考えたいです。
日本手話の理解
なんか、言い方難しいな。
上演レベルってさ、例えばでも自然の場合、自然というか日常の場合は、母語というか日本語の音声だったら、
それを喋ってる人は日本語同士でしか喋らないじゃないですか。
英語だったら英語同士で喋るみたいなことにシチュエーションが限定されてくじゃん。
うん。
なんか、でもなんか僕すごい昔見た燐光群とかだと、日本語の後英語で喋ってるけど、それ全部字幕ではとりあえず出てるから、
なんか、演出としては、見る体感としては一応やり取りしたことになってるみたいな。
そういうのもあるよね。
屋根裏ハイツ
あれですか、ドライブマイカーで描かれるチェーホフ劇みたいな状態ですか。
あれって音声言語入ってんだっけ?
うん。
喋りながら、喋りと手話がなんかあったかも、普通に会話してるみたいに見えるんだっけ。
屋根裏ハイツ
あれは手話に限らず、相手には日本語で話しかけるけど、返答は普通に英語で返ってくるみたいな。
でもそういう感じ、そういう感じ、そういう感じ。
そういう感じですよね。
でもさ、だってさ。
それってどうなのとかはあるよね。
屋根裏ハイツ
そうそう、それってどうなのとかはあるある、全然あるよ。
何が起きてんの?みたいな。
屋根裏ハイツ
そうそう、どう、そうだよね。
うん。
屋根裏ハイツ
それ見たことない、まだ、まだ。
でも燐光群はそうだった、そういうの、前例はあるのか。
燐光群は、割とその、まあとにかく全部客席に向かって喋るし、
その、なんか英語と日本語と沖縄の言葉とみたいなのがこう。
うん。
ね、ちょっともう、あれですよ、僕中学生の時とか、もう15年とか20年近く前の昔話でございますけれどもね。
なんで?語りになっちゃった?
屋根裏ハイツ
語りの調子になっちゃった?
うん。
なんかそう、まあ、その想定は。
なんか、あの、手話が多めの平田オリザさん、オリザさんのなんか劇曲をやるとか、なんかおもろそうだなとかは昔思ったことはすごいあるけど。
あー。
あの、同時多発で手話から聞いていつも、なんかもう。
それ面白そうだね。
面白そうだなって一生思ってるけど。
なんか自劇団で十何人キャスティングする可能性ってないよなって思ってこう。
これ別のお話だけど。
まあね。
なんかそう、なんかさ、その、どうやったらいいのかなって思ってる中でさ、今回とかは私は一人聴者で、その、ろう者の座組に入ったけどさ、
うん。
それは、それはなんかさ、なんとかできるのって、
うん。
あの、視覚で情報が取れるから、その、何言ってるか分からなくても、
うん。
情報が飛び交ってるっていうことはさ、聴者は分かれるんだけどさ、
うん。
これなんか逆転した時に、その、本当に分からない。
かなり置いてからね。
そう、本当に分からないじゃないかっていうところでさ、
なんかだから、ね、その十何年前のその、異言語でコミュニケーション取れてるのもさ、それは一応音声言語だから、
どこで情報、その、出力が終わったかとかもさ、なんか分かるけど、
ああ、違うな、なんかなんて言うんだろうな。
多分これ、しかもそれは舞台だから、多分手話でやってもできるとは思うけど、
あの、うん、稽古版は別になんか多分、
ああ、それはね。
それはデザインされたものだから。
上演レベルでもさ、なんかその、じゃあ日本手話と日本語が、こう、なんかその演出って一回試したことあったんだけど、
うんうん。
なんかこれって、その、日本語話者は別にそれでもできるんだけど、
うんうん。
逆ってめちゃくちゃ難しいんだろうなって、その、ほんとさ、口だけ動いている状態で、
うんうん。
なんかその、何を言ってるか、何、どこを言ってるかすら想像、予想ができない。
その、日本手話だと、分からなくてもなんとなくこの辺とかって、
予想がつけられる、その予想のつけようがない状態で、
違う異言語でコミュニケーション取るってすごい難しいんだろうなって、
うんうん。
思うから、なんか、じゃあ、こう、同時に普通にいる状態ってどういう状態なんだろうなってすごい思ってる。
うん。
屋根裏ハイツ
なんか、全然変な思いつきなんですけど、別になんか通訳が常に必要とかじゃなくて、
違う言語を、違う言語を作るって言うと変ですけど、日本手話と日本語のクレオールみたいなもの。
クレオール?
クレオールって、あのなんかこう、言語、その、現地語と外国語が混ざってできる言語みたいなものとかを、なんかクレオールみたいなことを言ったりするんだけど。
うん。
なんか普段からミブリ、日本語を話しても大きくしたりしたら、なんか接近していったりするんだろうかみたいな。
屋根裏ハイツ
なんか普段の会話から取り入れるみたいな。
普段の会話。
屋根裏ハイツ
普段の日本語の言語に普通に、日本語、音声言語にだってミブリってあるじゃん。
うんうん。
そことかをこう。
そうする、なるほどね。
屋根裏ハイツ
なんか。
そうすると、あ。
屋根裏ハイツ
口先だけで喋んないようにするみたいな。
口をはっきり動かした方がいいとかはあるって言うよね。
あの、その、口が読める人はいる。
うん。
それがどのくらい。
屋根裏ハイツ
どのくらいなんすかね。
独身ができる人とかですよね。
独身ができる人って、どのくらいの割合なのかわかんないけどね。
それも人に多分よるよね。
うん。
まあでもそのなんか出演とかね、なんか自分たちでやるとしたらどうすんだろうなとか思うけど、
出演してもらう人によって考えなきゃいけないし、考えたらいいなとは思うし。
うんうん。
なんか5人ぐらいの会話劇で、なんかその聴者に寄ってしまうターンも、
逆に手話話者に寄ってしまうターンもあるみたいなのが描かれるのは、
なんかそれは自然に見れそうだなとは思いますけどね。
うんうん。
それでも同じ場所に別にいるっていうのは全然ありえそうだなとは思うけど。
ありえそう。
そうねー、そうねー。
屋根裏ハイツ
私が思ったのはその、なんか公共の支援があってとかなんかそういう話じゃなくて、
こうなんかエスペラントを作るみたいなさ人たちがいるわけじゃないですか。
うんうん。
その言語的な理想主義みたいな、言語的な人類の共通言語を作るみたいな、
理想主義としてのエスペラントみたいな。
うんうん。
屋根裏ハイツ
なんかそういうアプローチを真面目に考えるとかも、なんか全然ない子はないだろうなっていう気がしちゃうなっていう、
私だったら。
そうねー。
たぶんそのさ、日本語に身振りを付け足していくと行き着く先って日本語対応手話っていう手話になっていくと思うんだけど、
それは日本手話とはまた別で、完全に日本語をそのまま手話に置き直してる手話。
そうですね。
で、それはもうすでに使ってる人もいるし、
なんかそれが日本手話話者にはいろいろ思われるところもあったりするし、みたいなところもすでにあって、
なんかね、なんだろう。
テレビでやってるさ、選挙とかの時にさ出てくる手話ってさ、どっちなの?
NHKのやつとか。
NHKで下にワイプでやってるのがたぶん日本手話だと思う。
けどなんかこう、普通に、なんかね、すごいどっちも、
たぶんそのワイプは全然日本手話だと思う。
そのちゃんとそういう日本手話の資格を取ってる人、国家の取ってる人がやってんじゃないかな、あれは。
でも日常レベルで言うと本当にいろんな手話を使う人がいるから。
なんか、勉強しよう。
勉強します。
よく言われるはずの詞ですよ。日本手話と日本語対応手話は全然違う。
全然違う。
共同生活してたらたぶん手話に寄るよね、言語が。
そうだよね。
でもなんかこう、わかんないなちょっと。
どうやるんだ。なんかでもできるとは思うし、
それを書く時点で変じゃない意味で組み入れて書くってことなんだろうなとは思う。
日常っぽい会話の中に自然にいるってするなら、たぶんなんか。
東京ノートとかはたぶん容易にできそうだなって気が。
だってあれ多言語版めっちゃやってんじゃん。
多言語版もある。
だからその中で普通に手話があるって、普通にある風にできるだろうなとか。
動詞が来て、おしゃべりして、ちょっとできる人が間に入って、あ、みたいなのとか。
別にもうなんか、今すぐできそう。
そう、なんかそれでいい気もする。別に。
屋根裏ハイツ
自然というか。
自然に。
事さらに何か起き立たないよね、別に。
すごく普通にできそう。
たぶん音が聞こえてくるから反応するみたいなシーンがあったりするかもしれないから、そういう調節はもしかしたら必要かもしれないけど、すぐできそう、それは。
いやでもなんか、ほんとそれぐらい普通、すぐにっていうかすごく違和感なく見たい。
それは企画しないとちょっと。
出演者が多いんだよな。
屋根裏ハイツ
青年団の戯曲はね、基本多めっていう。
少ないやつはさ、ちゃんと関係性、なんかそういう話じゃないじゃん。
ろう演劇の試み
そうですね、そういうのが向いてる台本ではないね。
それはね、ずっと妄想してますね。5年ぐらい前から多分妄想してると思う。
屋根裏ハイツ
これシュアーでできるんだろうなって思う。やってそうってすごいずっと。
てかなんかもう、もうとっくにやってそうみたいな感じが。
もう20年前とかにやってそうみたいな気さえするけどな。
インターナショナルバージョンの前に先にやってそうだよね。
屋根裏ハイツ
やってんだろうね、知らないだけで。
そうかもしれない。知らないだけでとっくにやられてるかも。
屋根裏ハイツ
青年団本体がやってるかわかんないけどね。
うん、そうね。
試みとして。
試みとしては全然やってないでしょ。
そんな感じですか。
はい。引き続きなんかやっていきます。
はい。
屋根裏ハイツ
ありがとうございます。
ありがとうございます。
屋根裏ハイツ
シェアしてくれって。
シェアあり。
屋根裏ハイツ
シェアあり。
シェアハッピー。
屋根裏ハイツ
シェアハッピーですね。
シェアハッピー。
いやよかったね。離せてよかったです。ありがとうございます。
はい。
終わりましょう。
以上です。
ありがとうございました。
ワークショップと今後の活動
屋根裏ハイツ
ワークショップ今度あります、Yaneyura Heights。
よろしくお願いします。
どこまで届くか。
屋根裏ハイツ
ST Spotあります。よろしくお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。