キャンプの話
カタラジオ
今週も始まりました、医師と企画者が緩く語るエセインテリジェントな実験型ラジオ番組、カタラジオの時間がやってまいりました。
緩い進行のミントでございます。
スペシャリ担当、山上です。
山上さん始まりましたね。
始まってしまいましたね。
早く本編に行きたくて仕方がないってことですね。
せっかくゴールデンウィークなのにゴールデンウィークの話でもしましょうよ。
前週の話だとグランピング行ってたんだっけ?
そうそう。長野の飯塚高原のグランプロック飯塚みたいなグランピング。
グランピングっていうのは最近流行りの、すべて用意してくれるブルジョアスなキャンプみたいな。
なにブルジョアス?
ブルジョアスキャンプみたいな。グラマラスキャンピングの逆なんだよね。
そうね、グラマラスなんですよね。
普通キャンプっていうとテントの中に寝袋とか敷いてっていうのをイメージするじゃないですか。
ベッドがあるんですよ、ベッド。ベッドが2個置いてあって。
で、飯もバーベキューとかも全部持ってきてくれて、朝ごはんもテントの中に持ってきてくれて。
そんなになの?
あ、そうそうそうそう。
あらそう。
自分特に何もやることないみたいな。
それ楽しいんだけどね。
でも一応大自然の中で寝てるっていう感覚だけを気軽に味わえる。
写真見せてもらったけど、夜の芝生にランタンが浮かんでるみたいな。
モンゴルの遊牧民になったような気分だよね。
いいなこれ、すごい異国情緒あふれてるな。これ長野県か本当にっていう。日本じゃないみたいな。
ちょっと文化的に日本と切り離された感じが面白いですよ。
そうそうそう。高原だから夜すごく寒くて。
いいですね。
ミントさんはガチなキャンプの方に行かれたと。
僕はブルジョアではない。庶民的なキャンプ。
どこに行ったの?キャンプは。
庄司湖ってわかります?川口湖の隣だね。
山梨?
そう山梨県。ちょうど富士山が見える。
いいね。
湖の小鳥山キャンプ場。
そうなんですね。
いわゆるベーシックなキャンプだけど、今回はギアで新しいのを一つ追加して。
ギアね。
あれです。ハリケーンランプってわかります?
全然わかんない。何それ。
ランタンの一種なんですけど。ランタンって燃料とか着火方法に応じて3種類ぐらいに分かれるんだよね。
そうなんだ。
最近は一般的なのがLEDランタン。要は電池で動く、バッテリーで動くLED電球ですよっていうのが主流。安全だし長持ちするしっていうのが主流なんだけど。
ちょっとやっぱり趣を求めたいじゃないですか。
そうだね。せっかく雰囲気出したいよね。
そうそうそう。なのでパラフィンオイルとか豆油とかを使って、アルコールランプみたいな感じ。アルコールじゃないんだけど。
色変わるってこと?
色は変わらないかな。色は変わらない。どちらかというとオレンジっぽいのがあるんだけど、帯みたいなのをつけて、そこに氷で染み込んで、そこに火をつけて、もうオールドスクールみたいな。
なるほどね。
ランタンを導入しました。いい光出てましたよ。
いいね。雰囲気を演出するにはすごい良さそうだよね。
そうそうそうそうなんだよ。でね、しばらく放っておくとだんだんコススが溜まってきて暗くなってくるっていう。
いいオシャレな。なるほどね。そこにひと手間あったほうが楽しそうだね。
そうそうそう。でね、その名前がハリケーンランプっていうのは結構風に強かったりとか、それから燃料が長持ちするとかって言って。
そう、いくつかあるランタンの中だと明るさはちょっと弱いし、どちらかというと暗めなんだけれども。
はいはい。
そうそう。あの弱くて優しい光がずっと長持ちするよっていうのでね。
あ、ハリケーンなの。
情緒をね、体験するのがすごい良い。
はいはい。ランプフォアハリケーンってことなわけね。
そうそうそう。ハリケーンの時でも使えるランプだよっていう。
そう、今ギアって言ったけど、俺も一回そういうキャンプやろうって思ったことあるんだけど、なんかキャンプのギア揃え始めたらさ、グランピングより全然お金かかんない?あれめっちゃ高くない?一個一個。
あ、そうね。だからこれはもうこればっかり初期投資じゃないですけど、まず整えないといけないのがある。
なるほどね。
うん。まあ整えちゃうよ。キャンプ場数が安いと。
なるほど。俺はその勇気が出ずにグランピングに行き続けて消耗しておりますわ。
さすが資本家会議。
いやいやいや。そんなことはございません。
はい始まりました。こんなご時世だからこそ。このコーナーは様々な人の時世の苦を紹介し、それを我々なりに自由に解釈していこうというコーナーです。
人間は自分の人生の終幕にどんな台詞を放つ。コロナ、戦争と嫌でも生と死がつやつく。こんなご時世だからこそ。ささるパンチラインを紹介できたらいいなと思います。
はい。いいですね。もう今日はね後ろが詰まってるのでサクッといっちゃいましょうか。
はい。
和歌の話
さて、ではでは今週はどんなご時世なんでしょうか。
遂に行く。日とは兼ねて聞きしかど。
昨日、今日とは思わざりしよ。
和歌ですか。
和歌です。
和歌と言うことは。
どれも田の句なんでしょう。
これね、有原の成平さんってご存知ですか。
僕が苦手な時代の方ですね。有原らしいですよね。
有原さんはね、実は平安時代の歌人ですね。
六花繊って聞いたことある?
六花繊ってなんだっけ。有名な歌人だよね。
そうそうそう。有名な歌人なんだけど。俺も何って言われたらあんまりわかんないんだけど。
他には小野の小松とか、冬屋の靖ひげとか、大友のなんとかのですね。
多分高校ぐらいの時に六花繊を覚える五郎なんか確か高校の校文の先生が言ってた気がするんだけど。
ちょっと忘れちゃいましたけど。
六花繊はすごい和歌が上手かった方。
どんな方だったかというと、天皇家の地を引いたんだけど、自ら天皇家の地を降りて辞めて。
有原瀬、一般の瀬を名乗って生活されてた方。
そんな降りることできるんだね。
そうそうそう。伊勢物語っていうお話の主人公。
要は伊勢物語ってのは有原薙姫さんの実話をもとに作られてるんだけど。
和歌中心の恋愛世界
九州の女性と沖縄を流した色好みの気候子。3733人の女性と関係を持った。
すごいね。
楽はないけど和歌は上手かった。これ面白いよね。楽はないけど和歌は上手いっていう。
当時で言う和歌っていうのは別にその学問ができるできないの。あれじゃなかったんだなっていう。
これカラオケ上手いみたいな感じ?
たぶんそんな感じだよね。俺が思うのは当時で言う和歌っていうのはLINEみたいな感じなんだ。
なんかすごいチラチラしてるけどLINEだけ上手いみたいな。音楽読むのめっちゃ上手いみたいな。
たぶん今で言うそういう感じの方なんだ。
なるほどね。返信早いみたいな。
その返信マメな。マメな男で文章もすごい上手いみたいな。
面白いですね。
そんな方が読んだ曲が、さきほどの。
ついに行く道とは兼ねて危機しかど、昨日今日とは思わざりしよう。
どういう曲かというと、ついに私死んじゃいますけど、いつか死ぬとは分かっていたけど、
昨日今日のこととは思わなかったよ。なんともあってない曲ですけど、
この方どういうふうに亡くなったかというと、880年7月9日、56歳で、
歴史、池に落ちてその後死期を悟った時に読んだ歌ということです。
どういうこと?歴史ってやべえやべえ溺れそうってなりながらこれ読んだってこと?
さすがにね、読めないんだけど、歴史って実は、
俺も歴史だったりした患者さん救急ガイドで見たことあるんだけど、
本当に溺れちゃっても助かんないパターンと、
溺れた後に肺の中とかに水が入って肺炎とか起こしてそのまま弱ってなくなっていくパターンがある。
多分後者じゃないのかなみたいな予想。
後者も歴史の肺に入るんですね。
そうそう、歴史によって肺炎を起こして死んだみたいな。
そういうことか。
その割には、あっきゃらかんとしてますよね。
そうそう、すごい楽しんでいた割に、死ぬときが意外とあっきゃらかんとお亡くなりになったんだなと。
面白いよね。
当時の、この人すごいウキナを流したことで有名だったんだけど、
当時の恋愛は和歌中心で、気になる異性がいたら、まず男性が和歌を送って、
その和歌を気に入ったら女性が返事をするって世界線だったらしい。
ライン交換しようみたいなことですか。
そうそうそう、まさに。
和歌を送って、でも全然和歌が微妙だったりしたら、
ラインのテクが全然ダメだったら帰ってこないみたいな。
どっちかというとストーリーズみたいな感じですかね。
平安時代と歴史の思い出
ストーリーだね。
反応してもらえないわみたいなことですね。
そうそうそう。
面白いですね。
そうそう、そういう世界で。
なんかね、すごい繊細でマメな男だったらしいんだけど、平安時代から変わってないなと思って、
すごいほっこりしてたの、これ書きながら。
なるほどね。面白いですね。
なんかさ、当時の人たちにとって和歌のフォーマットっていうのが、
どれくらい非日常フォーマットだったのかが掴みきれないからさ、
これどう受け止めていいのかってさ、ちょっと距離感あるよね。
なるほどね。
この言葉がスーッて出てくるものなのかさ、
とはいえカッコつけて言ってるようなものなのか、
なんか分かんないところがまた面白いですよね。
確かに確かに確かに。
すごいでもなんかもう当時やっぱ平安800年代とかだから、
まあまああの想像だけども、娯楽もね、けまりと和歌ぐらいしかなかったんじゃない?
まあでもすごい和歌中心で、恋愛とかはすごい和歌中心で進んでいた時代だった。
確かにね。
なんか時間軸がある感じはそんなに意識してない感じが出てくるね。
基本的に京都は思わざるでしょ。
そうそうそう。
まさかこれが京都?
そう。
突然降ってきた。
突然。
そうそうそう。
昨日今日ってのは面白いよね。
そのなんか、要は今日、昨日今日っていう表現がさ。
今日明日じゃないんだみたいな。
そうそうそう。今日明日じゃないんだっていう。
過去に、だから死がちょっと、死を過ぎつつあるみたいな感じなんだろうね。
もう昨日溺れて今日苦しくてみたいな。
はいはいはいはい。
ちょっともうその出来事というか、鳥以外になった出来事が過ぎつつあるっていう、もう行ってしまいそうな状況っていうところですね。
まさに、まさにその死につつあるような状況。
大変ですよね。
そうそうそう。
面白いな。
例えばね、自分が溺れてもう死ぬってなった時に、そんな明らかに死を受け入れることができるかなって思ったら、なかなか難しいんじゃないかなと。
逆にその、だから歴史がどういう状態なのかあんまり想像ついてないんですけど、そんな余裕あるのかっていうのも。
確かにね。
そうそうそう。
脳と記憶の再現
いや多分ね、熱も出てすごい苦しいと思うんだけど、宇宙のさ、脳の、まあ意識の話も繋がるけど、脳の宇宙の概念を知ってからさ、その内側からその人の世界をちょっと覗くようになったわけよ。
なるほど。
前の夏目漱石の時にも言ってたけど、いわゆる夏目漱石の脳を見ることによって、この脳がこういう素晴らしい小説だったりとかを生んで、みたいなことを思って。
この人もさ、いわゆるいろんな恋愛をして、いろんな和歌を読んで、この脳が読んだわけじゃん。
で、前漱石さんの時も話したけど、その記憶みたいのをさ、何らかの方法でまた再現できるみたいな。
脳に何か、その保存された脳に何か突っ込んだら、その人が見た記憶みたいのをさ、プロジェクターに映せるみたいな。
最近その意識の本を読んでから、脳っていうものをなんかハードディスクみたいに見るようになってしまって。
そうそう。だから、なんかこの人の脳にいろいろ、大体突っ込んだら、この平安時代の情景を追体験できたりするのかな、みたいなことを思って。
すげーとなっておりました。
ふわっとした心の形になってますけど大丈夫ですかね。
うん、確かにね。
それをなんか、どういうものとして取り出せるのかね、っていうのがすごい気になるよね。
記憶だったり経験だったり体験だったりさ。
物質的な能が意識を生み出すメカニズムについて
それってでもさ、できそうじゃない?その脳を。
必ず考えたっていう痕跡があるわけじゃん。
その考えた痕跡を何か映像に落とし込む技術って脳波とか、当時の流れた脳波の痕跡をまた新しく電気信号にして、
映像に落とし込むみたいな技術って、理論上できそうだなって思うんだけど、どうだろう?
確かにね。
そのあたりが、ちょっと僕も勉強不足でまだまだわからんところでもあるんですけど、
ある人の脳の中で起きている、例えばシナプスの発火なのか、ある記憶の回路なのかわからないけど、
それがさ、全く別の脳において同じ発火のパターンだったりが同じことを意味するのかどうかとかがやっぱりわかんないじゃないですか。
確かにね。
それが永遠に移植できる最小の単位というかミニマムな状態なんなんだみたいなことを突き詰めていけばいくほどさ、
それって自分が認識している、意識している主体そのものと切っても切れないんじゃない?みたいな気持ちになっていく。
その物体自体で自分自身も意識を経験しているっていう、切り離せなさんみたいなのがどこかにあるんじゃないかと勘ぐってしまうなーって思いながら聞いてて。
なるほど、この有原さんの脳を復元した時の脳波動の電気信号と夏目漱石の脳を復元した時の電気信号はまた別のものを表しているみたいな。
すごく雑に言うとね、多分そういうことなのかなと思った時に、それ自体を取り出すっていう時にさ、その取り出すっていう行為自体にも一個変換がかかっているわけだからさ、
俳句や小説などの文化を通じて考える脳の発火部位の違い
自生の句を読むみたいな変換はもしかしたらちょっと知的に高度な変換かもしれないけど、それと多かれ少なかれ、何か似通っている関数をかましてアウトプットを取り出すっていうことだから、
その関数なんなん?みたいな、そんな気持ちになるなーっていう、今の話はね。
でもいつかね、そういう技術ができた時にこの自生の句を読んだ背景みたいなのをさ、
俺らが今まで扱ってきた人間の刺激を本当に追体験できたらめちゃくちゃ面白いなみたいな。
まあそうだよね、映像として見られたらね、どんどん単純にしたいみたいな。
自生の句はそれを知るための一個の手がかりなのかもしれない。
そうだね、その句で映像を想像するような。
いやそう、でもやっぱ俳句ってすごい視覚的だね。改めて読んでもらったけど。
あー。
言葉の意味とかじゃないじゃん、これ。この今回の句もそうだけど。
あー、確かに確かに。
なんかさ、次通り読んでいくと結構、うんうんって感じじゃん。書き下していくと。
でもさ、この俳句をさ、聞いてこの映像を俺たちに浮かぶじゃん。
浮かぶというか、なんとなくこういう感じなんだって。たったこのね、31文字で浮かぶけど、これって日本人なのかね。
例えば外人、日本語をすごいわかる、デイブ・スペクターみたいな、日本のことすごいわかる外人とかがこれ聞いたらどう思うのかなみたいな。
まあ確かにね。質的には違うかもしれないよね。
結局言えばこの俳句聞いたときの日本人の脳と外人の脳の刺激されるFMRIとか使って発火する部位って同じなのかなみたいなことを考えると。
確かにね。
日本人特有のレセプターみたいなのが、俳句レセプターみたいなのがあったら思うんですよね。
俳句レセプターがあったら。
俳句読んでるとき聞いてるときだけ発火する脳の部位があるかもしれないじゃん。
うん、確かに確かに。
例えばハリーポッターみたいな独特の世界観を持った小説を読んだときに、結構みんな本を読んでるときはそれぞれの頭の中で世界を想像しながら読むじゃないですか。
確かに確かに。
映像化したときにそれが思ってたものと一緒だ、違うみたいな。そういうのが盛り上がるみたいなのあるじゃん。
あるあるある。
あの体験とかはちょっと違うよね。
すでに誰かの言葉によって語られたものを脳の頭の中で再現してるんだけど、やっぱりちょっとずつそれって違うみたいな。
なるほどね。
外人が映画見たときの発火してる部位と日本人が俳句聞いたときの発火してる部位が同じだったらすごく面白い。
映像を何かしら、映画見てるじゃなくて小説か。
外人がハリーポッター読んでるときに発火してる部位と日本人が俳句読んでるときの発火部位が同じだったら逆に俳句ってすげーってなるよね。
あんだけの小説と同じような部位をたった31文字で光らす日本の文化よ。
確かにね。それ以前にね、そもそも文字を読むときに頭の中で何が起きてるのか自体よくわかんないしね。
意識についての探究へ
確かに。
まずはそれを知るところからですね。
はいはいはい。もう二人とも意識の話がしたくてさっそく意識の方に。
意識の話はしてない。
意識の方に意識が行ってしまってるというすごい状態になっておりますので、三田さんじゃあ進めちゃってください。
はい。今週も良いご時世でございました。
はい。
我輩は能であるのか?
なんか最後ポヘッて感じになりましたね。
ポヘッと堅いタイトルに落とすところをつけたわけでございますが。
はい。ということで始まりました。
特集ですねこれはね。コーナーというかね。
そうだね。
我輩は能であるかという特集名になりました。
この特集では物質である能、答えですよね能ね。
物質である能が自分を認識して感じたり考えたり判断したりすることのできる我輩の主ともいえる意識という不思議な現象を生み出すというこのメカニズムについて本を読むことで迫っていきたいなという風に考えております。
はい。
いよいよ始まりました。
始まりましたね。第2の本編だね。進化論に次ぐ。
そうだね。ラジオ進化論に次ぐ我輩は能であるのかと。
いよいよ新スリーズ開幕でございます。
はい。ということで前回はね。実はもうすでにイントロ回やっておりまして。
はいはい。
山上くんや僕の意識についての素朴な興味だったり関心だったり。
あるいはね。これからどんな本を読んでいくのかなというところの紹介をやってまいりましたというところで。
予告通り今回は読書本編に入っていければなというところでございます。
入っていきましょう。意識の深淵に。
準備はいかがでしょうか。
物質が意識を持つ疑問
バッチリでございます。もう意識に入り込むことに意識を先ほどから集中させてまいりますので。噛みまくってますけど。
うまいこと言いたいがたまにうまくいかないみたいなね。
そうそうそうそう。
まあまあまあ意識するとうまくいかないみたいな話もあるかもね。
うまいね。
ではではどんな本なのかというところで。
まあ一応ねこれ前回もちらっと触れましたけれども改めてになりますけれども本の紹介から入れればなと思います。
はい今読んでいるのは意識はいつ生まれるのかというタイトルの本です。
書いたのがですね精神科医であり神経科学者のジュリオトノーニさんという方とそれから医者であり神経生理学者のマルチェロマスミンと。
これ両方ともイタリア人でしたね。前回ちょっと出身わからんよと言ってましたけどイタリア人ですね。
この方々が書いたこれ一般向けのねいわゆるサイエンス本という感じですね。
でポイントは彼らが2004年でしたっけに論文で公開された意識の情報統合理論通称IITというのがあるんですけれど
このですね咀嚼を一般向けにやった解説本だよというところで非常にいろんな人からね参照されていたりとかよく読まれている本だよというところですね。
今回この本が全9章かな9つの章に分かれていてその前にね始めに的なやつと終わりに的なやつがくっついてるんですけど
今ねyoutubeで見てる人は全体の章立てが見えてるかなと思いますけれども
これね全9章が前半と後半に大きく分かれていてちょうど真ん中にあるのがね第5章になるんですけど
これを鍵となる理論というところでこの理論がキーとなって前半4章で展開された問いというのが答えとして変換されるという
まあある種ね超都会的な構造になってますよというのが今章の構成のね特徴になってますというところですね。
これ面白いよねこの構成ね
この本自体にね仕掛けがしてあるっていうね
そうそうそうそうなんだよそうなんだよだからこのなんか論の展開自体もねこうスリーディングで楽しめる構成になってるよ
真ん中に行くにつれてこう密になってくってことだよねこう12345456が密になっているような感じなんだよね
だからなんかイメージで言うと1章から4章に向けてなんか抽象的な話からどんどんどんどんこう例えば臨床的な話とか具体的な話になっていって
で最後にこう最後の真ん中でこう理論が展開されるとそれを踏まえて具体の話からどんどん解決していって
最後にすごく抽象的で概念的な話を解いてこの本の旅を終えるという構成になっている
1章のものすごく抽象的なでもかなり印象的な問いに対して9章で答えが返ってくると思ったらもうワクワク止まりませんよ
いや本当ですよねだからね今日はその中でも特に前半4章ですね問いにフォーカスする4章というところを押さえていきたいなというところで
まずはねちょっと1章から4章までまあすでに僕ら2人とも読んでるのでどんな印象でしたというところをねちょっと具体なフレーズにお願いしますね
そうだね1章しますうまいことやります
どうでした印象
1章から4章
2章から4章
なんかねとりあえず面白すぎでしょまずまず持って具体的なこと言えないけどなんか概念を新しい概念をぶつけられるってこんなに楽しいんだっていう
日常の遭遇新体験アハ体験アハ体験っておかしいなでもなんかあのタナトルを知った時のあの衝撃またプレイバックみたいな
はいはいはい
なんだこの感覚ってなった
確かに確かにタナトルについてはねもうこのラジオを聞いてくださっている方は散々出てきているかと思いますけどね
自分がいつか死んでしまうんだってことをこう改めて認識した時にねうわぁ死ぬのかやべえって思うっていう感覚をね
タナトルっていう風に読んでますけれども今回この意識についてもそのタナトルみたいなこうなんていうか
何て言うんですかこれは壮大な感覚になるというところがあるってことね
自分の存在を揺るがすようななんかそういう感覚だよね
そうなんだよねいやそうなんですよということでちょっと今の話がもう早速で第1章の話に重なってくるので
ちょっとどんなこと書いてあったのかなと一旦僕の方から思い出しも兼ねて1章から4章までちょっとおさらいしてみたいと思います
お願いします
読んでる人は内容のおさらい初めて読む人はまあこんなこと書いてあったのかとまずねトピックベースでちょっと掴んでいただければなというところです
最初に第1章これがね手のひらに乗った脳というタイトルですこれは結構ね印象的なタイトルだよね
ちょっと前回もね山上くんとなんか意識のその原体験みたいな話をしたときにねその解剖をしたときにこう手の上に脳が乗っかってるみたいな話をしてましたけど
まさにね今回の著者のお二人もあの医者としてそういう解剖実習っていうのかなを経験していく中で
直感的になんでこの物質である脳が意識を持つんだってことをねビビビッと感じちゃうわけですよね
そういった感覚っていうのを非常に何て言うんだろうまさかこれがサイエンスの本だとはみたいな直感的な感覚をね
そうだね
記述してるっていうのがすごい面白い
感覚に訴えてくるんだよね第1章は
そうそうっていうのがね本当に初発の問いみたいな感じだねこの本を貫いている彼らの根源的なこの問いは何なのかみたいな
そういう一章になってます
なんでこの物質が意識を持つんだって
そうそうそうなんですよここちょっとね最初に掘っていきたいなと思います
ま一旦ちょっと全体ざっと見ましょうかね
疑問の出どころと既存の理論
はいはい
で2章がじゃあそういったなんで物質が意識を持つんだみたいな疑問が生じる理由ってところにアプローチするよというところで
まあ疑問の出どころにはいくつかあるよっていうのを既存の理論とかを紹介しながら教えてくれるという章ですね
で大きく分けて哲学者はこの問題どういうふうに通ってきたのかって話と
あとはもうちょっとね実践的なというか実証的な分野で生理学者がどういうふうに問いを投げかけてきたのかというところが紹介されるというのが2章ですね
で3章は今がどちらかというと理論的な枠組みの話だったんですけど
もう少し臨床に寄った知見から脳と意識あるいは意識がある状態とない状態
あるいは生と死の境界線みたいなところがどういうふうにあるのかなっていうのを考察入れていくよっていうのが3章ですね
そこで意識があるってどういうことなのみたいなところがより具体的な事例をもとに明らかになっていくという感じですね
で今回の最後4章がですね真っ先に抑えておきたい事柄という題になってるんですけど
結構この意識だったり脳の領域っていうのは一般的にね知られてるんだけど知られてるだけじゃないかな
認識されてるんだけど知られてることが少ないみたいな問題がいっぱいあるよということで
謎として残ってるのに無視されてるとか研究所なかなか扱いづらいから意図的に無視されてるものも含めて
いくつかねそういうファクターだったりとかトピックがあったりすると思うんですけど
そういったことを確認しつつ理論がね道を開いていく可能性があるんじゃないのっていう最後
ある種決意表明じゃないですけどねこの本の目指していく方向性みたいなものが示されると
そんな感じの4章になってございました
という風に言ってしまうとなんか非常にね表面をさらっただけというか
この本の面白さになかなか迫れんなというところなのでちょっとね各章から
めちゃめちゃここ面白かったよねって話を問いの形で取り出していけるといいのかなって思ってたりしますけれども
いやーこれはむずいねこの本の勢いを読まずして伝えるってめちゃくちゃむずいね
この本はでもねまず一つ本当にみんな読んでほしい
まじで感覚に訴えてくる普段全然本読まない人とかでもこれねすげー読みやすいのよ
なんでかっていうともうこの世界に没入できるからもう1章読んだだけで
なるほどっていうこのねトノーニュワールドに吸い込まれてしまう
今1章っていうと1章の前のねそもそも導入の時点ですごいからね
読者の皆様のところでさこの医学生が脳を手に取った時に
確かだと思ってたことがこう全て崩れ落ちていくみたいな
そうてか俺は医学生で脳を手に持ってるはずなのにさ
この感覚に落ち着かないのは俺いかに踏まずに解剖実習やってたのか
自分は恥じたもんなんかあれ確かにこの本にさ頭蓋骨を解剖実習で
頭蓋骨取り外してドンとなることとか書いてあったじゃん
あれも覚えてるのよ確かに首切って頭蓋骨ボンと置いたら
なんか天板ゴンってなったんだ確かに頭結構重いんだよなって
確かに脳出てきたなそう言えば確かに蹴り離したなって今思い出して
で今この本読んで改めてあの時の記憶を思い返すとやべえってなった
なるほどねなんかこの著者がさすごく意識して書いてるなと思ったのはさ
やっぱり脳のことあるいは意識のことを書こうとすると
分析的な書きっぷりになったりとかしてしまうこともあるじゃない
だけど彼はさその鮮明な驚きというか脳が意識を持つってやばくねっていうのをさ
本当にその直感的に表現しようっていうところをさ
もうすごくなんていうのを捉えしてるというか
なんか医学生の日記みたいだよ
そうそうそうまさに昨日脳を取り出して初めて取り出してみたかのような表現がいっぱい出てくるんだよね
そう日記みたいだから俺らもこの世界に没入しやすいんだよね
一緒に追体験できるんだね文章読みながら
そうなんですよそうなんですよ
みんても分かる?みんてもこれ読みながらなんとなく
俺はほら実際やってるからさなんとなくイメージできるけど
みんていもこの蹴り離して脳が出てきて脳を手に持つ感覚って
この殿井さんとシェアできた?
そうそうそうだからそれがさ
やっぱこの象徴的なのがね
宇宙から見た脳と意識
21ページとかに書いてあるんだけど
意識の謎を一つも切り捨てずに
何らかの気高い振る舞いをきっかけに
意識の神秘を感じることはできるだろうかって書いてて
すげえ面白いなと思ったんだけど
そのさこの意識って捉えどころの無さも含めて意識じゃんみたいなことを
ちゃんと研究だったりとかさ実証的な
しかもね本当に医者として実際に自分がさ
現場に立つっていう体験も含めて
それをまるっとこの本の中に収めようっていう気概が
めちゃくちゃすごいんですよね
でそれを表現するための方法としてすごい面白いのが
この一章実は脳の話から始まんないんだよね
そう宇宙から始まるっていう
宇宙の話から始まる
宇宙飛行士が初めて地球を外から眺めた時の衝撃を
ひたすら列すんだよね
これはあれだよね
だからこんぐらいやべえ感覚だぜってことを
シェアしたいんだよね
多分脳持ったって言っても分かんないから
宇宙から地球見て親指立てたら地球隠れるってやばくねっていう
その時のやばさと似てるぜってことを
シェアしたいんだよねこの人
そうなんですよ宇宙飛行士でね
ニール・アームストロングさんとかのね
言葉を引用しながら
親指を立てたら地球がすっぽり隠れてしまうみたいな
そういう表現の中から
地球の外に出て地球を感じるってこういうことなんだ
っていうようなことが書かれたテキストが
たくさん引用されてるんだよね
これも分かるよね
愛情も悩みも世界中の問題も
この一本の指向こうに隠れるんだ
ジム・ラベルってこれとかも
確かにな宇宙来てえなってなるけどねこれも
そうなんだよ
ここで表現されてることと脳を外から見た時の表現で
すごい似てるなと思うのやっぱあれだよね
いろんな出来事だったりとか現象が
この中に収まってしまってるのかっていう
なんていうの
儚さ
そう儚さもあるし
スケールのギャップというかさ
なんかそういう衝撃を
彼も表現してるけど
めまいみたいな言い方をしてたじゃない
そうだね
そのめまいを起点に
これを解き明かそうっていう
やっぱこの本の問題設定というかさ
本書の目指すところ
これがやっぱすごい
素敵だなって思う
いいよね
ロマンがあるよね
なんかでもすごい
俺はすごいこの人の感覚にすぐすって入ったのが
自分を重ねることができたのが
現に俺たち棚取ってさ
同じようなめまいがするような棚取り
っていう感覚に出会った後に
そこに関して真面目にちょっと
和田さん呼んだりして
棚取りとはなんぞやって議論してるじゃん
それと多分結構似たような方向性というか
やべえ
何ともなく自分の存在を揺るがすような
やべえ感覚を感じて
そこにちょっと科学的に切り込んでいこうっていう
やり方はすごい分かるというか
そうなんだよね
だからこの本はサイエンス本でありながら
意識っていうもう
とにかく主観的な現象について
それをもうその謎のままにね
あれのままに感じたいっていう
そのなんていうのかな
欲望みたいな感じだよね
もうちょっと言葉を選べずに
ありのまま
日記なんか情熱的なんだよね
そうそうそう
そうなのよ
意識日記なんだよこれは
そうなんですよ
だからその感じがやっぱなんだろう
僕らが棚取るという概念を作りながら
その死を思う気持ちについてさ
考えた時の感覚とすごい近いから
そこがやっぱ一番グッとくるポイントらしい
一生こそがこの本のかなめさ
そうそうそう
なんか俺たちだみたいな
これだって
この入り口あってこその後の全てだっていう
この正直さというかね
この感じがやっぱりすごく心地いいよね
心地いい
なんかこの格好つけて
理路整然といようとかっていうのと
全然違うんだよね
そうなんかだから
要は語らずの感覚だよね
なんか酒飲みながら語り明かしてる感覚で
この感覚に二人の男が襲われてるんだよね
そうそうやばいんだよやばいんだよって言ったら
なんか飲みやり言ってるみたいな
感じなんだけど
それがなんかその飲みやり言ってるってちょっと語弊があるけど
軽さを伴うやばいじゃないんだよね
この実体験を伴う
これはマジでやばいんだよみたいな
そうそうそう
説得力あるんだよ
この感覚は何て呼びます?山上さん
え?言っちゃっていい?
あるんですか?
一応いいネーミングを考えてきまして
コピーライダー山上が
ちなみにまずこの感覚がどの感覚かを整理するために
視聴者の皆さんに
この感覚どんな感覚かというと
脳っていうものを持った時に
その脳の中に
一つの宇宙
脳の中にいろんな経験だったり愛情だったり
いろんな一つの人生が詰まっていたという感覚
例えば前回の
夏目漱石さんの話ですると
夏目漱石の脳を見た時に
この脳の中から
ぼっちゃんが生まれ我が輩は猫がであるが生まれ
この脳がいろんな夏目漱石の
60年くらいの人生っていう
一つの宇宙を雇ってたんだ
でも今目の前にいるのはただの脳じゃんって
なんで?
っていう感覚のことを
セレブルと呼ぶことにしました
セレブル
セレブル
セレブル
これは由来は?
ダイノのことを
セレブラムって言うんですよ
英語で
これ読み進めてって言ったら分かるけど
俺この一章に勝手に自分でタイトルを付けて
はいはい面白いねそれ
ミスターダイノ
ミスターダイノ
そうそうそう
それ誰のこと言ってんすか?
手のひらに乗ったNO
ミスターダイノが
ダイノさんに
ダイノって一つの人間みたいなもんじゃん
ダイノって人格をね
そうそうダイノっていう
ダイノさんに敬意を表して
こいつは人間だからミスターダイノ
っていうタイトルにして
一章はミスターダイノの章だから
ダイノといえばセレブラム
だからもうセレブラムが
ヤベェ ダイノはヤベェっていう
結局ダイノはヤベェじゃん
ダイノはヤベェ
カナドリはCヤベェじゃん
宇宙ヤベェもあるけど
宇宙のやつはね
今回のヤベェのは脳というより
小脳は切り捨てても大丈夫ってくだりが
あとから出てくるじゃん
ちょっと若干ネタバレではありますが
ダイノが意識の意志を
貫ってんじゃないかって
そうそう
だからダイノヤベェってことで
セレブル
名称どうでしょう
セレブルいいんじゃないですか
セレブルはセレブレーション的な
祝福する的な感覚もあっていいですね
なるほどね
ダイノの我々が今意識がある状態を
祝福しましょうという
セレブリティじゃないんですよね
そうそうセレブルの方で
最初に発したグランピングの具合ではないんですよね
じゃあブルジョー的な価値観を
一旦捨てまして
ブルジョー的な価値観捨てて
小脳のように捨てて
ダイノヤベェセレブル
概念が誕生いたしました
いいじゃないですかセレブル
セレブッダー
いいですね
今回このコーナーというか
この特集のタイトルを
ちょうど前回
漱石さんの話を触れたという
きっかけもヒントもありつつ
今回タイトルを
我輩はNOであるかという
ふうにしたじゃないですか
ここに込めた意味も今の話に
ちょっと結構
バチッとはまる部分あるんじゃないかなと思ってて
そうだね
イッショー
ミスターダイノって話をしてくれたけど
手のひらに乗ったNOって現代なんだよね
そうだね
ここが結構面白いなと思ってて
地球の話
宇宙飛行士が初めて地球を見たときの話はまさにそうなんだけど
結構さ
このイッショーの面白いところってさ
今までずっとその
ダイノの内側の人格としてしか
NOだったりは
意識体験みたいなものをさ
経験してこなかった人が
外に出てそれを客観視したときに
あっこれって
意識っていうすごいこうなんか
豊かな体験だと思ってたものが
物質と意識の関係についての問題提起
あっものだったんだってこと
対象化されるっていう
この感覚だよね
まさにセレブルで表されてもそうじゃん
ダイノっていうものだったの
俺の意識はみたいな
そうそうそう
要はただ物質
本文にも多分あったけど
輪郭があって重さがある
物質であるNOが
どうしてこんなに豊かな体験を
持ってる意識を持つんだっていう
このギャップだよね一番
セレブルで重要なのは
本当に
皆さんネットとかでNOの
画像とか見たらいいけど本当にモノなんだよ
白いモノ
なんていうかぷにぷに豆腐みたいな
なんでこれがそう今ミントが同じこと
言ったこと同じこと言ったけどなんでこれが
意識宿せんねんっていう
同じこと繰り返しちゃうぐらいやべぇんだよ
だから今多分セレブってんだよね
セレブって
そうなんだよね
だからやっぱりこの本の
要でもあり肝でもあり
一番やっぱ僕らにとって
バシッと入ってきたのは
この問題提起だよね
なんで物質が意識を持つんだっていうところに
ちゃんと最初の問題を置いている
ってところが
圧倒的に他のNOに関する
あるいは意識に関する本とは違うところだよね
そうそうそう
この本の1章で
なんか序章だっけ
これ全部読んだら
意識が
NOが意識を宿す理由に関して
なんとなく分かってくるみたいなこと書いてあったじゃん
覚えてる?
今俺らセレブってるけど
これもしかして9章まで読んだら
セレブらなくなる説ある
なるほど
だってこの意識の仕組みさえ分かっちゃえば
ごめん1章の最後だ
27ページの
この試みに成功した暁には
NOを手のひらに乗せても
そこまでギョッとしないはずだ
その物体に意味が感じられるだろうか
って書いてある
これもしかしてセレブるって
3回収録限定の概念になっちゃうかもしれない
これ9章まで読んだら
いやこんなことではセレブらねえぞってなっちゃうかもしれない
でも一方で
ちょっと前に書いてあるのが面白くてさ
およそ意識の科学的説明の名に
値するものは
データや数字で証明し得るのみならず
目的に納得でき不値落ちるもので
なければならないっていうのが書いてある
これも僕ちょっと好きなんですよ
この一章の指名の言葉の中で
NOだったり意識の話を
客観的事実として記述する
っていうのは当然クリア
しなければいけないんだけど
僕らのこの意識体験
そのものを扱ってるということを
ちゃんと咀嚼しようという
試みが見られて僕はこの一文が
すごい好きでした
確かにね
逆に
心身の関係についての既存の学説の紹介
その一文もそうだけど俺は逆に
意識っていうこの謎めいた概念
例えば
なんで心臓って意識宿せないの?
って聞かれて答えれないじゃん
例えばさっきも
何回もネタバラしてるからついでに言っちゃうと
小脳がなんで意識宿せないの?って言われて答えれないじゃん
それをさ
数字で証明できたらやばくね
小脳はこうこう
この数字がいくつだから
心臓はこうこうこの値がいくつだから
意識を持てませんっていうふうにさ
言えたら結構やばくね
意識を持ってる度合いみたいな
数値化できたらやばくねって
俺普通にこれ読んでて思ったの
そうだね
意識を持ってるってどういうことなのかを
定義しにいこうとしてるわけだからね
むしろ感覚として踏み落ちるもそうだけど
むしろこの感覚でしかなかった意識が
数値化されるってやばくねって
俺らその
医者が意識を評価するときも
ステレオタイプというか
喋ったら目が開けるとか
そういう型にはめてしかできなくて
要はボンボンボンと
飛び飛びの評価なわけよ
間の感覚とかなくて
とてもじゃないけど数値化なんていう
意識の数値化なんてことを
僕8年間医者してきて
やったことなんてないので
もしこの人の意識指数は
いくつですみたいなのが現れたら
それはもう確信的な概念だなって
医療界の革命が起きるなみたいな
ことを思った一章で
ございました
今の話は面白いですね
そしてそういった疑問が
生まれてくる背景には何があるのか
っていう話がまさに2章でね
少し展開される
わけなんですよね
2章いっちゃいましょう
2章は実は
既存の学説の紹介みたいな
経路が強い
ようになってますよっていうところなんだよね
これは
おそらくデカルトさんだよね
心身に言論みたいなこと
言ったのがね
我思うゆえに我ありみたいなさ
ことを多分デカルトは言ってて
あれは意識の
体験っていうのを
ある種の精神活動みたいなところに
還元していって
思うというところが私の起源なんだよ
みたいなそういうことを
言わんとしてたのがデカルトさんだったかな
そうそう
精神と肉体のリンクは
日本の消化体っていう場所で行われてますよ
ってことを一つ提起してたけど
それも結構曖昧な指摘で
そんなことはないでしょってことを後日
後から
後世で否定されてるわけだよね
だからデカルトはある部分では
クリティカルな問いを発したし
ある部分では特に生理学的な観点では
間違ってた推論をしてたよみたいな話が
紹介されてるんだけど
彼が立脚してた考え方は何かっていうと
心身に言論中やつなんですよね
これがよく哲学者が
提起してる問題で
要は心っていうものと
脳という体の物体だよね
というものが
それぞれ存在してるんですよみたいなことを
哲学的ゾンビと意識の問題
言ってるっていうのが
心身に言論っていう考え方
この本の中で紹介されてるのは
心身に言論的なアプローチを
科学に寄ってたかって
心身に言論的に解こうとするのには
もう限界があるんじゃないのみたいな話が
直近の
哲学文脈での問いの
出どころになってるんですよ
っていうのが紹介されますと
いうところにして
その中でいくつか面白い
例とかも出てきててね
例えば哲学的ゾンビみたいな例が
出ました哲学的ゾンビ
これは面白かったね
外から見た時に全く意識を持ってる人間と
同じ振る舞いするんだけど実は
主観的体験として
意識を持ってないってやつが
いたとしたらどうなんだみたいな思考実験
そうそうそう
哲学的ゾンビという名前の思考実験なわけね
そうそうそう
哲学的ゾンビっていうものを仮定したら
意識をどういう風に理解できるだろうかみたいな話だったり
あるんですけどここら辺で出てくるのは
すごく雑に
整理するとさ
外から見た時に意識のありなしって
分かるんかいどうなんかいみたいなね
そういう話がひたすら展開されるんだよね
哲学的ゾンビっていうのは
意識がないんだよね
意識がないけど意識がある人間と
同じ振る舞いをするような人と
本当に意識がある人間を
区別できるかっていう話だけど
できないんだよね
そうできないんだけど
これまでのそれこそデカルトさんとかが
言ってきた考え方だと
心と脳は別々のものじゃんって
脳移植と意識の別の観点
言ってるから今みたいな状態が成立しえちゃうんだよね
思考実験できない
そこに問題があるんじゃないのって話もあるし
その中でいやいやいや
心は別のもので測ったりできるんですよ
なればそこに対する一つの解決を
提示できるかもしれないし
でも今そういうことに例えば哲学者は
そういう問いに絡められてますよ
っていう話が紹介されるし
一方でね生理学者が抱えてる問い
みたいなのも紹介されるんですよね
ああはいはい
あれブルーブレインの話か
そうそうブルーブレインとかの話ができて
ブルーブレインってどんな話だっけ
ブルーブレインってのはね
多分どっかの収録で俺話したがみ子って覚えてる
がみ子
俺がなんだっけ
エジソンの話だっけ
エジソンの答えだ
山上くんの意識をAIみたいな
シリコンがみ子に移植したときに
どこに山上くんの意識があるんだっけ
みたいな試行実験をしたらしい
まさにそう
ここに書いてくれたブルーブレインプロジェクトってのが
まさにエジソンのときに試行した
試行実験とまさに同じで
俺は結局永遠の命を手に入れた
って思ってて
まあもうおかしな前提だけど
それをオーガニックな山上から
シリコン人形
ピノコみたいながみ子という
シリコン人形の山上に臓器とか脳を全部移植したときに
俺は
永遠の命を手に入れることができるのか
って話で
まったく同じことを考えてる
スイスのノーザンヌ校
スイス前方工科大学
ノーザンヌ校の科学者たちが
結局がみ子と同じようなことを考えて
何年も前からブルーブレインといって
脳の一部支柱をすべて
軽素でできた
モジュールに
移し変えていくみたいな
実験をしてて
さてと
その状態である契約をしましょうと
人間の体が弱っていったときに
あと数時間で死ぬってなったときに
自分の脳を
いわゆるその軽素
ブルーブレインと同じ
脳移植と意識の問題点
その軽素のモジュールに全部
一個一個切って張って切って張って
移し変えて
臓器とかも年を取らない不老不死の体に
移し変えてあげましょうという
契約書にあなたはサインしますか
という試行事件があって
ここには
しないと書かれてるんだよね
なんでかというと
自分のニューロンが
すべてコピーされたからといって
何らかの感情
つまり意識が移植されるという
保証はどこにあるんだという風に
この著者は書いてるんだけど
これそうね
面白いよねこれ何を言ってるかというと
要は脳が
置き換え可能かどうかっていう議論を
してるんですよね
例えば
心臓が悪くなりましたよってなったら
心臓移植みたいな概念があるよとか
他の臓器でも
その機能が低下してきたときに
移植して別物で置き換える
あるいはペースメーカーみたいなものをサポートするとか
そういった概念って結構ね
今度は一般的なやつがあるよという
そうね心移植とかも全然あるからね
そうそうで脳っていうところに
関して同じことが起き得るかどうか
っていう問いをね
今後の脳にさん達はなりかけてくるわけですよね
まさに本当にこれ普通に
医学の世界の話だけど
肝移植心移植腎移植
心臓感情とか全然ある話なんだけど
脳移植なんてものはありません
やった人いないし
多分
どういった理由かわからないけど脳移植ってものは
ない
脳移植しちゃうと
意識が別物になるからなんだろうね
仮に脳移植が
できるって考えたときに
どっちを
主語にするのかっていう話も
あるよね
脳移植じゃなくて
脳にとってしたら体全部移植だよね
脳以外移植だよね
脳移植がミントの脳を
俺に移したときそれはミントなのか山神なのか
って話でしょ
そうそうそう
そうだよね
みたいな話にもなるし逆に今回の
ブルーブレインみたいに置き換えていく
ってことが仮にできたとしても
やらないんじゃねっていうことをね
言ってるわけですよね
意識と記憶の関係
これは結局エディションのときに俺が言ってた話だけど
ミントの脳を
俺に移したら
俺の体で考えることはミントというか
ミントの記憶って残ってないのかなみたいな
もうミントでも俺でもない
全然別の人格が生まれて
ミントだった頃の記憶だったりで
なくなっちゃうのかな
なくなっちゃうよって言ってるのがこの本なんだよね
そうねこれはちょっと
記憶の話を持ち込むとまたややこくなるかなと
そうだねまた別の
思うんだけれども
ここで言ってるのは
あるメカニズムみたいなものが
機能としてちゃんと成立してますよ
っていうことと
そこで起きていることから
生成される意識体験
ある種の主観みたいなもの
体験できる主観みたいなものって
なんかこう
どこに立脚してるんだっけ
みたいな話なんだよねきっとね
うんうんそうだね
そうそうそう
例えばこの本の中でどこまで
触れてたか若干おぼろげなんだが
例えば半分だけ交換したときに
どっちに意識が宿ってるのか
意識宿ってると言えるのかどうなのかみたいな話もある
能力を切ったみたいな話
そうじゃなくて
能力の話は別であったんだけど
意識という
一つの
全体を
統合してる部分がどこなのかみたいな
話の議論にもなりそうだなって
能だけじゃねえって話
そうそうそうそれもそうだし
能が半分だけ置き換えられた状態において
山上くんの意識がそこにあると
言えるのかみたいな話もあるだろうし
意識の住所はどこなのかって話でしょ
この2章の最後に
そうそうそうそうそう
結局その能だけ移しても
意識が移ったと言えるのかっていう
能と意識の関係性
結局この体全部の中に
意識の秘密
意識の住所が
細かく使用されてるかもしれないから
能だけ移しても結局
意識が移らないかもしれないっていう話だよね
そうなんだよね
だからある能が起こしてるメカニズム
心臓で言ったら
心臓は
白動することによって
循環っていう機能を
起こしてますよっていうのは
心臓の説明として多分正しいと思うんだけど
能がある時に
能は意識という機能を果たしてますよ
っていう言い方が
正しいのか正しくないのかみたいな話になるわけだよね
はいはいはい
旗から見ると能は正常に機能していて
そこで意識が機能していて
例えば手を開いたことに対して
目の前でさ手をパッとやられたことに対して
瞬きするとかさ
何かしらの反応を返すみたいなことだけを見ると
ちゃんと意識機能してるじゃん
って言えそうなんだけれども
もっと本人の体験っていう観点からすると
それは俺じゃなくない?
俺の体験じゃなくない?
っていう気持ちになっちゃうっていうことが
ところにこの意識の
大事なポイントがあるんじゃないの?みたいな
そういう問題っていうか
結局白動も動詞だし
反射も動詞だけど
反射する白動するだけど
意識するじゃないか意識するってまた別の意味になっちゃうから
意識が状態だから
また別の機能
というあれでは説明できないかも
英語で言うと
Hearみたいな感じ
意識されるみたいな
受動動詞
っていうの忘れたけど
意識って言葉伝えが
受動の意味を含んじゃってるから
これに関してはもう
能動的に
心臓の白動とかとはまた別の
意味がになっちゃうんだよね
みたいな話が
つまりここでね
2章で話題になってるのは
疑問の出自がどこなのか
っていう話だったんだよね
整理するとね
さっきの心心心と脳
っていうもの意識と脳ってものを
分けるっていうことに課題があるんじゃないか
という哲学者の話だったりとか
そもそも分けたとて
機能が分かったとてそこに主観
という問題がいずれ
依然として残ってるんじゃないかみたいな話が
生理学者みたいなレイヤーから見てもあるよ
というのが疑問の
根源にあるんじゃないかという話でした
閉じ込められて
これは非常にもどかしいんですけれど
読んでいっても
1章から4章までには答えが出てこないと
そうなんだよ
今日のラジオは聞いててももやもやするだけだから
もやっとし続けて終わる
もやっと感をシェアしたい
そうだね
これでもかっていうくらい
もやもやとする疑問を
投げかけられ続けて終わるっていう感じ
2章の
2章の謎は8章で解けるんだよね
超都会式に
超都会式1章が9章2章が8章
3章が7章という対応関係だよね
ということでちょっと3章の方にも
スライドしていきましょうか
3章は閉じ込められて
というタイトルですね
ちょっとしさ深いタイトルですよね
ここで言ってるのは
結構具体的な事例が
ここにも出てくるんだよね
これまでで一番具体的かもしれない
結構知見としては
臨床的な2人とも医者だっていうこともあって
臨床的な知見から
意識というものに対してアプローチしていこうと
結構彼らが問題視しているのは
意識と脳って
明らかにお隣さんというか
意識があるから脳があるよね
脳があるから意識があるよねみたいな
非常に密接な関係があることは
もう地面のものなんだが
じゃあ何が知られているのかというと
意外と少ないんですよみたいな
この3章の
最初の話題提起としては
ありますよね
3章の例と麻酔による意識の消失
3章は結構医者的だよね
割と3章読んでるときはずっと
頭の中にICUのベッド病床に
残ったという患者さんのイメージしながら
この章を読み進めております
そうだよね3章の例は
結構面白かったですよね
手術中に意識を取り戻した
麻酔会の話が出てくるんだよね
そうそうそう
本人が麻酔会
麻酔会が患者さんで
患者さんになって
手術を受けると
手術中に不幸なことに意識が戻っちゃうんだよね
意識戻っちゃうけど
結局手術中って
神経ブロックされて
体動かせないし
人工呼吸器繋がれてるから声も出せなくて
でも人工呼吸器で
肺が膨らんだりしぼんだりしてるような状態
だけど
何も自分は声を出せないから
本当に早く終われと思うことしかできない
苦痛の何時間が
続いたっていう話
コミュニケーション可能性が
立たれてる状態なのに
自分を観察する主体としての
意識は
作動してるみたいな
そういう状態のことを言ってるんですよね
結構衝撃的だったのは
観測できないだけで
そういう現象は
結構起きてるんじゃないのか
っていう話が書いてあって
びっくりしましたね
俺もオペをしたり
全身麻酔にオペする人間じゃないから
知らなかったんだけど
麻酔っていうのは結局
健忘作用は
実中の記憶を消すっていう作用もあるから
実中に患者さんが
めちゃくちゃ恐怖してて
でも手術終わったら忘れてるって可能性は
十分あるんだよ
これ結構恐ろしいこと書いてる
麻酔って記憶に作用するの?
って僕知らなかったんですけど
これで
僕若干脱線するかもしれないけど
ちょっと思ったのは
自分が体験したんだけど
ある時間断面で見たときに
過去に起きた出来事だよね
過去に起きた出来事として
痛みを経験したんだけど
その痛みを経験した出来事を忘れてしまってるってことが
今起き得るよ麻酔をかけると
ネタの種じゃないですか
その痛みって自分にとって
あるものなのかないものなのかっていう問いが
そうだわな
結構ね僕はずーんと
のしかかってる
面白い名前つけえそうだよ
とのおにさんの話だと
術中認識取り戻すみたいなケースがあるよ
って話もあったし
ある結果的な手続きをとると
術中に
体のある一部分で反応を残すことが
できるっていう方法があるよっていう
血圧計を巻いてね
なんだっけ麻酔が回らなくするのか
みたいな
腕を圧迫して麻酔回らなくして
指先だけで反応できるようにするけど
結構それは
手術の手間とか考えてあんまりされてない
方法ですよっていう
現実的ではないんだけれど
目的を持ってそういう手術の取り方を
することができるよって話があって
その時に
今意識があるかないかってことを
手術中の患者さんに
問いかけると
反応できる部位が反応を
返してくれるっていう逸話が
紹介されるっていう
その率がなんと3人に1人とかっていうんだよね
それが
僕が思ったのはそれは彼の話だと
麻酔によって結局
その反応自体も忘れさせられているよう
健忘を引き起こさせているから
手術中に意識を取り戻した話
その記憶がないって言うんだけど
それは一つの推論だけど
別の推論もできるじゃんその反応自体が
あるでしょ反射的なものでさ
意識を経由してないっていうケースも
あるんじゃないのって僕は思ったりして
非常にもやもやしながら読む
なるほどね
俺は純粋にその麻酔
じゅっちゅうに目覚めましたって覚えてる人は
1000人に1人って書いてあるじゃん
でもじゅっちゅうにその
指をパクパクってする人は3人に1人って書いてあるじゃん
だから3000
にしたら分母3000分の1000と
3000分の3でしょ
3000分の997は
じゅっちゅうに痛み感じながら
忘れてるのかと思ってすげえなと思って
その痛みはないことになってる
そうそうそう麻酔やべえなって
オペこえーって
でもそれは結局
患者も知らないわけじゃん患者本人も知らないし
医者も知らないからブラックボックスなわけじゃん
でもそんなもんなんかね
手術ってそんなもんかって言ったらそんなもんなのかもしれない
その話がちょっと
しっさしてんのはさ
意識の確認と救急外来での対応
意識があるっていうことを
確認できるか
できないかって話だよねこれってね
医者がさ
意識をチェックするための
フローチャートみたいなの持ってたりとか
チェックしましょうとか言ってるけど
それで本当にこの人に意識があるって
確認できるのかっていう
話になっていくんじゃないかな
と思いますよね
医者目線で一応言っとくと
僕ら循環機内科やってるんですけど
当番で救急外来っていう
それこそなんか意識がないような
状態で運ばれてくる患者さんとか
最初は見なきゃいけなくて
あーってなってる人に最初に俺は確認するのは
呼びかけて目を開けるか
叩いて目を開けるかっていう
ジャパニーズコーマスケールっていう
JCSっていう
評価項目がありまして
それどんなもんかというと
何もせずに目が開いてれば
レベル
3段階なんだよね
意識の評価方法
意識レベル1が一番覚醒してる状態で
2があんまり覚醒してない
3はもう全然ダメって状態で
その定義は
1ってのが刺激しないでも覚醒してる
この前覚醒するのは目を開けるっていう
で2が
刺激すると覚醒する
その中でも呼びかけで目を覚ます
揺さぶりで目を覚ます
痛みを加えると目を覚ます
3ってのが
刺激しても目を開けないけど
その中でも分かれてて
痛み刺激を加えると腹にのける動作をする
次が痛み刺激をすると
ちょっと顔をしかめる
次が痛み刺激に全く反応しない
っていうそういう風に俺らは機械的に
意識の評価をして
今この人意識ないわとか
この人意識レベル3だわとか
そういう評価をしてるんだけど
意識の実験ファイル
これがもう型通りだから
俺らは型通りこうやって
今意識レベルいくつだって
話をしてるんだけど
実用に考えると
そういう風に観察できることから
意識を判断するしかないもんね
この本に読むと結局
本に読まなくても気づくことだけど
例えば手足を動かすみたいな
反応って
要は脳の神経切れてて
手足を動かせない人に関しては
全く評価できないわけで
意味がない
そうそうだから
医者がやってる評価ってのはあくまで
勘弁な評価ではあるんだけど
本当に勘弁な評価に過ぎないってことだよね
意識レベル確認の方法ともっともらすく
って言っておきながら
本当に意識レベルっていう
医者が持ってる尺度は
評価できるけど
本当にこの本でいう意識があるかどうか
評価できてない
っていう話を
もうちょっと深ぼるために
提出されてるのが意識の実験ファイルっていうのが
ワンツーセントなんですけど
これ面白かったですね
これ実験ファイルはどういうことを
話しましたっけ
これ結局これにサブタイトル付けると
意識を探せって感じだよね
ウォーイを探せみたいな
さっき二章のところでもちょっと言ってくれたけど
意識の住所がどこなのって話を
もうちょいね
意識的な観点で特定しようぜ
っていうのがこの意識の実験ファイル
シリーズでして
3段階に分かれてるんだよな
一番最初が
身動き取れるかどうか
今の山上くんが紹介してくれたような
いわゆる基礎的なレベルでの
意識の判定
身動きが取れなければ
意識がないのかっていう話だけど
いやそれは結局身動きが取れないような
神経が切れたりしてたら
意識があるけど
手足は動かせない可能性がある
だから身動きは意識とは関係ない
っていうのが意識の
実験ファイルレベル1だよ
そうでしたね
実験ファイルレベル2は
もうちょい踏み込むんだよね
仮に体が動かなかったとしても
何か反応してるでしょ
っていうところ
それをファンクショナルMRI
という機械で
要は脳の中の
何かを想像したときに
大体人間同じ場所が光る
例えば腹減ったと思ったときに
光る場所で大体同じみたいな
そういうような血流を
ファンクショナルMRIという画像検査
酸素消費量の変動を
見てるんだけど
それを使って結局
手足を動かせなくても
この本ではテニスをしている様子を
思い浮かべてくださいと言ったら
要は手足で動かせない人でも
テニスをしている様子を動かしている場所が
光ればそいつは意識があるっていう
できますよっていう風に言ってるんだけど
それに対する反論は
何かというと
結局意識がないような
状態になってる人って
脳の別の部分もやられてて
耳が聞こえなかったとか
あと
すごい損傷を受けちゃって
精神的にPTSDってもう
トラウマになっちゃってそんなこと思う余裕もないとか
あと単純に
こんな状態でなんでこの実験に協力しなきゃいけないんだって
やる気がないとか
そういったことで脳の
テニスをつける場所が光らないかもしれないから
ファンクショナルMRIでは
意識がないとは言えない
なるほどね
だからこの閉じ込められてっていうタイトルにも
ちょっとある通り
要は何かしらの
脳の中に意識みたいなものが
内側にあるっていう風に
仮定した時に外側との
やり取りの中で意識の有無を
判断してみようぜっていうのが
今のレベル1とレベル2でやろうとしている
そうそうそう
意識のレベル3について
レベル1はより具体的に肉体的な
フィジカルな反応
レベル2はもうちょっと電気信号とか
ニューロンの発火だったりとか
そういった脳の活動における反応を
見るというのがレベル2なんですね
それでも
正確じゃないんじゃないかっていう反応が
今あってそれを超えていくのは
レベル3
レベル3はもう頭蓋骨の中に入っていこう
っていう
中傷的に言ったけど具体的に言うと
脳波を見たりとか
ペットっていう脳の活動を
脳の活動量を
測るようなデバイスを使って
脳の活動量を意識ある人ない人で
比較していこうっていうのがレベル3
これちなみにちょっと
医学的な領域に
明るくない人のためにも
確認したいなと思うんですけど
さっきのニューロンの反応を見るのと
脳の活動量を見ること
何が違うんでしょうっけ
ニューロンの活動と同期性放電
ニューロンの活動を見て
事件ファイル2でやったのは
脳の酸素消費量
FMRで
ある場所で脳が
実際に脳の細胞が動いていれば
脳の酸素が消費されるはずだから
っていうのを見ているのが
2か
レベル2
レベル3で見ているのは
ニューロン同士が同期しているかどうか
脳の中にはたくさん
ニューロンという細胞みたいなものがあるわけ
それが同期して動いているかどうか
一緒に
一つだけじゃなくて他のやつも連携して
動いているかどうかを脳波で見ることができる
同期性の放電があるかどうか
意識と外界との関係
でもこれに関しては実は俺も
読む前から
これはおかしいでしょって思ったんだけど
これは実は転換の患者さんとかって
転換っていう病気があって
わーって発作が起きているときが
意識なくなるんだけど
転換の患者さんの
脳波で特徴的なのは周期性同期性放電
これ意識おかしいけど
キーワードみたいなんだけど
同期して脳波がババババって動くっていうのが
転換の患者さんの
脳波の特徴で
意識がない状態でも
脳波は同期して動きますよ
だから結局
脳波の同期を見ても無駄ですよ
っていうのが参照に対する反応
なるほどね
そう考えると意識があるっていう風に
外から見て
外から見て判断するためには
結構いろんなシステムというかさ
脳だけじゃなくて
体というシステム全体が
うまいことを全部噛み合っている状態
正常な状態を前提としないと
なかなか意識を確認できないねっていう
そんな感じがあります
そうなんだよな
かといって正常な状態で
睡眠
じゃあその正常な状態の睡眠と
覚醒で比べてみたらどうかっていうのも
この第3
この次元ファイル第3で言ってるんだけど
結局睡眠の時も脳の活動レベルは落ちない
同じように同期して動いちゃってると
だから結局睡眠と覚醒で比べても
意味がないよってことも書いてあったよね
意識と脳の活動
はいはいはい
だいぶもやっとしますね
問題提起されてるのに
意味がないよって言われ続けて
レベル3ステップも上がっちゃうわけですから
そうだよね
これどうなんですか
医学的に
普段患者さんとかと接してる中で
意識があるないって
どれくらい普段認識
意識しながら仕事してるものなんですか
なんか俺らも例えば
不鮮脈とかで心臓がしばらく止まっちゃって
頭にしばらく血液いかなくて
要はもう意識がない
呼吸はしてるけど
意識反応はないって状態
いわゆるこの本でいう植物状態って状態
でも脳死ではないんだよね
脳死は脳幹もやられちゃって
自発呼吸もできないから
呼吸ができてる状態ってのは
要は植物状態
植物状態で戻る可能性があるんだよ
だから例えば不鮮脈で来て
不鮮脈って
感動脈って心臓の血管が詰まったりして
起こるから
意識がない状態だけど家庭で
家庭で検査して心臓の血管治して
意識戻るの待つみたいな
毎日病棟行って何々サランって
今日戻らない何々サラン戻らない
1週間後くらいに戻った覚えてます?
全然覚えてないですみたいなことは
全然稀ならずあることだ
だから普段別に心臓の
心臓の過だから
そんなに別に意識の状態が落ちまくってる
みたいな人は見ることないけど
俺たちが意識の確認するのは
心臓病が元で脳が一時的に
拒絶状態になって
意識が
しばらく落ちちゃった状態の人を
毎日見て意識のレベルを
さっき言ったJCSとかで評価していく
ってことはよくやってる
そうか
脳が拒絶状態で思い出しましたけど
それは整う時になるやつですよね
危ねえんだよ整うの
意識に
作用を働きかけてるってことだよね
そうだから意識
根源に働きかけるもので
気持ちいいからねって
そうね
そう考えると
さっき触れなかったけど
一生の最後の方に
物質がなんで意識を
持つんだみたいな話をする中で
結構面白い話が一個あって
脳が
必要としている栄養
アミノ酸と
武道糖と
なんとかって
それさえ供給してれば
脳は脳単体でも
活動できると
手のひらの上で夢を見るってやつ
今ねまさに
閉じ込められてのショーの最後でも
出てきましたけど要は夢を
見ているという風に考えると
別に外界との
コミュニケーションがなかったとしても
その内側で意識が生じているという風に
考えられるとすると
脳は普通に脳単体でさ
エネルギーを供給されてれば
脳の内側で夢を見ることができるんだ
みたいなことがささらっと書いてあってさ
すごいよね これやばいなって
だからまさに
ミスター大脳だよね
そうそうそう
セレブルですよ
今脳個人として言ってたけど脳は
人だよね
ミスター大脳さん
そうだよねそれは面白い
俺もそれ結構
衝撃よくて
だって夢見てるかもしんないでしょやばくない
そうなんだそうなんだ
夢見てるかもしんないってやばいよな
まあそうじゃないんだろうが
例えばこの前の話でできた
エジソンの脳とかアインクタインの脳とかが
脳の物質と意識の問題
どこかに保存されてるわけじゃない
あの内側で
何かしら意識的な
現象が起きていないとも
言い切れないみたいなわけでしょ
だからそう
夏目漱石の脳が
もしかしたら
今たぶん東大病院とかで保存してあるけど
はいはい
要はなんか下界の衝撃を感じ取って
今頭の中で小説書いてるかもしれないでしょ
そうなんだよね
だからあの中に
何百ページ分もの文章が
もしかしたら詰まってる可能性がある
新しい未公開作品がめっちゃあるかもしれないでしょ
やばい
これか
セレブル感覚これだよ
問題の構成と解明
やばいですよね
やばいよ
というような
話がつらつらと続いてきて
マジカの単体で
意識どうやって
観測すんねんみたいな
なってくるわけですけれど
ここでねその起義概念に
到達する前に4章でね
真っ先に押さえておきたいこと柄っていう
ものがちょっと事実の補足的な
感じでスッと差し込まれてるので
せっかくなのでちょっと確認しておきたいなと
いうところですと
これ何なのっていう話なんですけど
ちょっとね全体の構成から見ると
若干不思議な差し込みだな
っていう感もあったりは
するんだけど
なんか知識の閣議みたいな感じだよね
それは先進むための最低限
医学的な知識のシェアみたいな
そうそうそうそれで
この章があることが僕は比較的
信頼に足るな
って思いながら読んでたんだけど
やっぱりさっきも冒頭であったように
なんでこの物質である脳
っていうね
脂の塊みたいなやつが意識を持つんだ
みたいなそこに
最初の疑問というか興味を持っている
二人ならではだな
と思っていて
よく研究分野でもあると思うんですけど
研究しやすい領域の
研究って積み上がっていきやすいとかさ
あるじゃないですか
その中で意識と脳の問題
に関してはいくつかの問題が
目の前にあるにも関わらず
無視されてるんですよみたいな
脳の機能と処理
そういうことを言うのが
この四章の面白いところですね
大きく問題の
系としては三つあって
小脳と
腸皮質系という話題が
一つ
もう一つが睡眠と覚醒という話題
最後が夢
それぞれ少しずつ前半で
チラチラとできている話題ではあるかな
と思うんだけど
この三つの話題について
こういうファクトがあって
でもここはまだ解明しないよということを
事実確認みたいな感じでね
スーツ差し出してくれている
人ですよという
ここの
六章をチラッと見たんだけど
先日
ここの知識をしっかり共有しておかないと
6にスムーズに入れないから
そうだよね
ここはしっかり確認しておいたほうがいいと思う
ちょっと重ねての確認になりますけど
この本は冒頭も
お伝えしたとおり
五章を真ん中の
要として一章と九章
二章と八章三章と七章
四章と六章が
一緒になっているという構造になっている
この四章の話は
まさに六章の中で
解明されるということですね
もうちょっと一つずつ
サクッと見ていきますか
最初が性能と
思想・皮質系という
非常に噛みやすい
字面になっていますけど
思想・皮質系って言える?
思想・皮質系
思質って呼んじゃう
思質
思質はコレステロールによっちゃう
思想は目の床で
皮質は皮の質
そうだね皮の質だね
これって場所でいうとどこでしたっけ?
思想・皮質系
思想・皮質が大脳にあって
小脳が
小脳は大脳じゃない場所
脳の首のあたり
この辺にある
これあれだよね
前回まで進化論の特集やってたというところから
引きつけて話すと小脳は古い脳って
言ってるんですよね
そうそう小脳の方が昔から
比較的動物の中でも
プリミティブな機能を持っている
何かと言うと一度解説すると
小脳ってバランス取ったりとか
要はこのまっすぐ歩けるのは
小脳のおかげ
運動機能を使った
そうそう球投げたりとか
こういうのをスムーズに行えるのは
スムーズに喋れてるのも小脳のおかげで
ピエノとか練習してる時に
楽器やったことあったっけミンティ
バイオリンやってたよね
バイオリンやってる時にさ
慣れてきたらさ
ここの弦を押さえてるか考えないじゃん
それはもう小脳くんが
記憶してくれてるから
身体的な
全部身体だな
もうちょっと運動機能に近しい
そうそう運動とかの
スムーズに行えるようにしてくれてるのが小脳
逆にあれだよね
音とか視界とかは
ここでは司られてない
音とかは全部
ないの
高等用とか
外部の
インプットしかもいわゆる
情報を持ってそうなインプットって全部
インプットなんだけど
視覚情報とか聴覚情報とか
そういった何かしら情報量の
多いものの処理っていうのは
師匠 皮質系で
処理されてると
多分ミンティ収録終わったらまた調べてみたらいいけど
医学生が結構
毎回衝撃を受けるのは逆立ち小人
っていう
逆立ち小人って調べてもらったらよくて
ホームクルースだよね
脳の部位と対応してるんだよね
小脳と意識
そうそう
この部分はここで機能してるみたいな
俺最初あれ見た時
こんなことも分かってんだみたいな
だから脳の
脳の図が書いてあってその横に
逆立ちしてる小人が
書いてあるんだけど
その小人が顔を引き伸ばしたような
小人なんだけど
脳のこの場所は小人のこの鼻に当たって
脳のこの場所は足に当たっている
全部この脳の場所と
大脳の場所と
人間の感覚だったり
つかさせる場所は一対一対応で
決まってますよっていうのが
逆立ち小人の図なんだけど
小脳にはそういうのは全くないという
そうかそうか
特定の部位と紐づかないってこと
小脳はもうざっくり
3つぐらいに分かれてるんだ小脳チューブ
なんちゃらバランスをつかさせるとこと
運動をつかさせるとこと
ボンボンとざっくり3つぐらいに分かれてる
結構ざっくりした人のイメージ
小脳は
だいぶ脱線して深掘ってしまって
ごめんごめん でもそういう話があります
で面白いのは
ここで小脳と
思想皮質系のとこで一個の
命題というかテーゼが書かれていて
これ何かっていうと
小脳は意識をつかさどって
おらんと
いうことが言われてるんですよね
オペ中に小脳
使用とかで小脳をまるまる捨てた人も
意識は残ってますよっていう結構衝撃的な
話だよねこれね そうそう意識は残ってますよ
っていうのもそうだしいわゆる
健常的な意識体験を
そのまま残してますよ
みたいなそういう言い方で書かれて
いるんですよね
それが結構衝撃的
つまり意識
少なくとも我々が主体として
認識してる意識っていうのは
小脳側で担われてるんじゃないの
っていうこと
ここで明らかに
この話すげえ面白いなと思ってた
面白いなと思った一方で
ヤマハミ君がさっきどっかで
言ってたけど心臓に意識が
ないと言えるのかどうかみたいな話を
チラッと言ってたじゃない あっいたいた
あの話は僕はちょっと
結構面白いなと思って聞いていて
それ何かっていうとさ
僕らは確かに
コミュニケーションするためのツールと
アクセスできる大脳の
意識でもって
自分たちの体を制御しているかのように
思っているじゃないですか
でさっきミスター大脳
みたいな話をしてたと思うんだけど
ミスター小脳みたいな話が
仮にあった時にね
ミスター小脳の意識は
我々の大脳側の
意識からは知覚できないけど
あるっていう可能性を否定できないんじゃないの
ってちょっと思ったんですよ
なるほど
大脳側の意識には登らないってことね
ミスター小脳が持っている意識は
人格が別だっていう
比喩が結構面白いなと思ったから
それをあえて
引っ張らせてもらうと
大脳くんは
大脳くんで知覚できることしか
インプットできなくて
小脳くんはまた小脳くん
っていう意識を持っている可能性を
実は否定できないんじゃないのって
ちょっと思っちゃった
分かるけど
この本の定義している意識なのか
その小脳の持っている意識はって話
そうね、その問題はあるよね
小脳の持っている意識は
なんかまた
この本で定義されていない何かを持っている可能性は
あるよね
だって確かに
この本書いてあるけど
小脳には800億のニューロンがあって
大脳には200億のニューロンがあるって
そんな800億もニューロンあるところに
何もないはずないよなって俺も
思うんだけど
まあその
定義上の意識がたぶん大脳なんだよな
うんうんうん
そのあたりの話は5章6章でね
徐々に明らかになってくる
ちょっとそのあたりに委ねつつ
だから明らかになったことは
睡眠と覚醒時の違い
思想否定は意識を生み出すよ
これつまり大脳のことだよね
だけど小脳は意識を生み出せないよ
ということは大事です
でもなぜそうなのかは
今の事実が分かっている一方で
なぜそうなのかはよく分からない
とも同時に書いてある
このあたりが非常に
面白いところですよね
というのが一つ目のポイントだね
二つ目のファクトは
睡眠と覚醒時の違いについて
書かれてますよと
これもすでにさっきね山上くんが
閉じ込められてええなところでも
実はもうすでに触れてくれている部分だったり
するんですけど
昔
比較的最近までは
寝てる間は脳を休んでんじゃないの
と書かれてましたと
だけど実はそうじゃなくて寝てる間も
比較的活発に活動してるんだよ
っていうことが
書かれてますよね
ただその
脳波を
寝てる時と起きてる時で
脳の
電気信号の量は
ベクトルの大きさは同じだけど
種類が違うというか
その時の差分が
カリウムだったっけね
放出されてるか否か
みたいなところが
違いなんだよってことまでは分かっているが
その違いがあることによって
じゃあその意識体験がどう違うの
とかそのあたりまでの
関連性っていうのは
未だに分かってない
なんかのヒントになるかもしれないね
そういう書き方になってますね
これがどれくらい次の章で
開けるかないのかと
最後が夢
意識と脳
さっきミント言ったけど
夢は
いいよね
意識は脳の産物
っていうこのパンツライン
はいはいありましたね
意識は脳の産物
これはだから我輩は脳
であるのかというところに
まさにバチッとはまってくる
話題ではあるんですけど
言葉引用していい?
夢を見ている時
脳が全てを担当する
脳は
脳膜の力を借りずに見て
足の力を借りずに歩く
すごくない?
そうなんだよね
すごい
当たり前のことだけど
これがさっきミントが言った
ホルマリン付ける脳が
夢を見ている可能性があるっていうことだよね
そうなんですね
別に足も目もなくても想像できるんだよ脳は
その後に続くのが
意識が今ここで生まれるためには
外部世界との交渉を
意識の情報統合理論化
しようとしない
意識は脳の産物であると
うわぁセレブル
セレブルよな
これセレブルよな本当に
やばいですね
すげーわ
これさ脳を
一回自分の神経細胞から
切り離して
脊髄とかから切り離して
もう一回くっつけるってできるの?
いやー
多分俺はちょっと
脳外科じゃないからそこを
間違ってたらごめんだけど
そんなことないんじゃないかな
あんまりやらないと思う聞いたことない
さっき脳移植できるかどうかみたいな話
ちょっと別の議論だと思うけど
一回切り離して自分自身の
頭
頭蓋の中に
もう一回収め直すっていうこととか
できるのかなと思って
ゲームで言うカセットをフーフーしてバシャってまた入れるみたいな
そうそうそう
そしたらなんか
どうなるんだろうね
その間に意識体験があったのかしら
みたいな話とかちょっと
確かにそれでさ
もし意識なくなるとしたらすごく
議論が進みそうじゃない
一回切り離して繋いでやらなくなるような意識ってのは
なんていうか
そこにヒントがあるって話になる
そうだねそうだね
いやーというところで
少しずつねこう事実関係が
見えてきましたよというところだけど
なんか結構あれだね
って読んでくるとさ僕らがさ
意識の話に立ち入る前から
話題に上がっていた
思考実験とか考え方とか
そうだね
ちょいちょい出てきてるなっていうのが
面白いですよね
エジソン・ガミ子の下り
ガミ子のね下りとかさ
あとタナトの話もさ意識がなくなる
意識認識する主体がなくなることが
死ぬことなのかしらみたいな話とか
確かに確かに確かに
とかね閉じ込められてるところね
ラインがさちょっとさっき触れなかったけど
心肺停止から脳死をね
シート振るふうに考えようみたいな話とかさ
しかもなんかロックトイン
シンドロームの話はどっかで捨てるよね多分
あったあった今多分4章の最後の
ところにもちょろっと出てくるんだよねロックトインシンドローム
ね
ロックトインしていても
目を動かすことができたりとかも何かしら
コミュニケーション法があったりとか
ってかそれあれか最近の収録で
なんだっけチャットCPDの
なんかショートの収録かなんかね
あったあった
俺なんかネイチャーの文載せた気がするもん
参考文献で働くと
そういう話とかも踏まえるとやっぱ
僕らの関心領域にやっぱ非常に
重なる研究をされてる先人
というところで
僕らは別に研究してるわけじゃないんですけど
でもなんか俺らが考えてるようなことを
なんか
被るフィールドだったね
そうですよね
そしてあれだよね
俺が結構この本
4章まで読んで感銘を受けたのは4章の最後
はいありましたね4章の最後
言っちゃってください山上さん
新理論で
道が開ける可能性に
関しては生物学で
著名な例がある
おやおや
生物が自然淘汰によって進化を遂げる
自称はチャールズ・ダーウィンが
種の起源を書く前にもその辺に
先人の研究と共通点
ゴロゴロ転がっていたはずである
すでに目の前にある
自称を新しい理論の光に照らして
解釈し整理することが
必要だったのだ
きたこれ きたこれですよ
いやダーウィンが引用されるとは
これもうなんかあれだよね
ダーウィンにさ
肩を押されたというか
なんかまさに
この本を読めと
チャールズ・ダーウィンが言っとらんかって感じだよね
いや本当ですよ本当ですよ
だからね
チャールズ・ダーウィンと
彼らこの2人の
共通点じゃないけど
やっぱり強烈な
原体験があるじゃない一つ
ダーウィンさんの場合は
あのビーグル号の そうビーグル号に乗って
ランドスケープの編成に伴って
生物種がこう
なんでこんな適応的なんだろうって思う
最初の初発の問い
みたいなのが強烈なわけじゃない
それを説明するために
適者生存のメカニズムだったりとか
自然生態化のメカニズムも
説明したと
ダーウィンさんらは
なんで物質が意識を持つんだよ
というのを脳を実際に
自分の手に乗せてみた経験から
強烈に感じていて
それを明らかにするために
意識の情報統合理論化
という
理論体系を構築するに至ったと
そうだからこれからは
一応言っとくと
意識の情報統合理論と新たな一般法則
あれだよね今までの問いを
今までの1章から4章までの問いを
解き明かすための
ダーウィンでいう自然淘汰の
則みたいのを
5章で
この2つが打ち立てる
新たな一般法則
それを意識の情報統合理論と呼ぶと
ちょっと僕
面白すぎて5章読んじゃったんだけど
すごい
次回も楽しみに
マジで
こんな風に考えて
意識を通識化するの
5章の打ち立てる理論・仮説
すごいっていう
ヤバってなった
ヤバい
マジでなんでこんな考えに至れるんだ
こいつらって思って
ただもんじゃねえって
すげえ失礼な言い方だけど
誰の目線で言ってんねえって感じ
ただもんじゃない
同じ医者として
すげえなって
ここはちょっと
なんていうか
希望があるというとあれですけど
理論が道を切り開く可能性について
しっかりと
ここで述べていただいて
面白いね
こういう風に考えると
こういう風に仮説が立てられるんじゃないの
っていうことから
いろんな実証的な結果を
得ることができるよねっていう話だと思うんで
それこそね
このラジオが始まった当初
機能法と円卓法みたいなのを
観察できる事実から
機能的にルールを解き明かしていく
っていう話もあるけど
今回は一個飛ばそうぜっていう話なわけですよね
そうだね
ある程度体系だった理論
っていうのを構築して
仮にこういう理論が成立してとすると
こうなるはずじゃないかっていう
現象をある種予測するような
仮説を立てる
ということが道を切り開く可能性が
あるんだよっていう風に
この4章の最後でね
そうだね
言ってるんですよね
法則
夢あるね
夢あるよ
これ今までの
1章から4章の
もやっとをさ
パッとカイトランマのごとく
解き明かす法則を
5章ってそんな長くないじゃないですか
そうなんだよね
そうすげえ
すごいとしか言えないこの5章に関しては
次回収録は
5章だけに焦点が当てていくので
本当にお楽しみにしていてください
次回は情報統合理論の解説
じっくりじっくり5章を深掘っていきたい
5章はまさに数学だもんね
見て読んだ?5章って
読みましたよ
これ数学じゃん
中学生とかでも分かるような
数学じゃんこれ
だから多分皆さん分かっていただけると思います
というところでね
この時間半に
わたって
1時間かにわたって
問いをひたすら
投げつけられてそんなこと考えたことも
なかったわっていう問いから
考えたことあるけど実際どうなんみたいな話まで
もやもやとさせ続けられて
きましたけれども
どうですかこの答えが出ないまま
じらされてる感じ
これね本当に
俺はもう手元にあるから最後まで
言っちゃったけど視聴者の皆さん
これ本当に買っちゃうんじゃない
この本の売り上げ上がっちゃうんじゃないのっていう
はい
気になるよ先が1週間待てないよって
なりそう ね本当ですよ
本当にこの世界に没入したらね
こんなスリリングな展開で
このお話を書いてくれたことに本当に感謝ですよね
いや本当に本当に
しかもこのカタラジオの
リスナーの方ね俺
自分の友達とかも聞いてくれる人いるから
結構医療関係者多かったりするかもしれないから
割と共感していただける
ことは多いんじゃないかな皆さんで
ちょっと思いながら
そうそうそう
僕は残念ながら
解剖実習で脳を取り上げたことがないタイプの
人間なので
そうだね大半がそうだと思うけど
そういう経験があるよという方が今回の
お話を聞いてどんなふうに感じた
というコメントいただけると
幸いでございます
お便りお便り
まだ来てないですよ
ではでは次回は
先ほども少し頭話ありましたけど
鍵となる理論
情報統合理論解説する
五章ということで
来週はこの一本立てで
一本立てとちょっと語弊があるのか
五章のみを読むよということですね
一緒に読みたい人は
本のリンクが概要欄に貼ってございます
ぜひぜひ一緒に本を買ってみましょう
一緒に楽しみましょう
ということでこのコーナー
閉めたいと思います
次回もお楽しみに
お楽しみに
語らずよ
はいお疲れ様でした
お疲れ様でした
どうですか
面白かったなんか白熱したわ
言いたいことがありすぎて
聞きたいことがありすぎて
なんでか
ちょっとこれね四章一本はきついね
長かったね
さすがにもう
一章一章で全然深掘りできちゃう
この本
そうなんだよね
あんまり深掘りすぎると問いの提示ですから
変なとこに聞かれないので
さらっと五章までいっちゃおうと
流れてきました
今回も危なかったじゃん
何回もいろんな方向に深掘りしそうになったと
ミントがぐって引き戻してくれたり
みたいなくだりが何回もあったじゃない
二章いこうかといったとき
山上さんすごい寂しそうな顔してたもんね
そうそうそう
もう一章
ほわほわ
抽象的な空間でフローティングしたいんだけど
みたいな
そのあたりはショーツとかで
意識の浮遊
スピンアップしちゃってもいいかもね一章の話
そうだね
九章か終わった暁に
いい感じにそのあたりを
フォローアップできたら楽しいかも
まさに前回のサムネじゃないけど
トゥーメンズフローティング
フローティングインザコンシャスネス
みたいな意識の中で
浮かんでる
前はほらサイバースペースだったけどさ
もしかしてあれですか
ミスターダイノとミスターショーノが浮かんでるんですか
あっ
なるほどあいつらミスターダイノとミスターショーノ
だからあれか
ラジオ版の話
ラジオ版の方はショーノが
ケギスやられちゃったわけね人になっちゃった
ダイノになっちゃったっていう
そういうことですか
いやいや
八百億のニューノンが
まあちょっとね
ということで非常に
深めどころの多い一冊でございますけど
次回もぜひぜひ
お楽しみにしていただければと
お楽しみにしてください
ではでは本日はこの辺で
おやすみなさい
おやすみなさい
by H.