ほりべっていう名前でやってるんですけど、 ほりべが本名じゃないっていうのは、
よく知られたネタ的な感じになってきてるかなと思って。
最近、バーとか行ったときに ほりべって言うんですみたいな感じで、
みんな呼んでくれるんで、 名乗ったりもしてたんですね。
ただ、結構最近、ほりべさんですかみたいな感じで 言われることもありがたいことにありまして、
それを言われたときに、 ほりべって苗字っぽいじゃないですか。
全然苗字っぽい名前じゃなかったら、 ペンネームなんかなとかってあるんです。
ほりべがなぜほりべになったのか、 関係ない名前なのにほりべになったかって、
またちょっとエピソード、 過去にも話してるんですけど。
僕が逆にほりべだってことを 知らない人と言うときに、
ほりべさんとか言われたときに ちょっと困るかもと思って、
困るっていうか自分はテンパるなと思って、
最近、新しくこれから会う人には ほりべですと名乗んないようにしてて、
自分の名前に近いもので 名乗るようにしてるんですね。
みなさんはほりべ本名じゃないっていうのを まず知っておいていただきたいっていうのはあるんですけど、
この前はほりべさんですよねって言っていただいて、
その方に横田寺町も 聞いてくださってたんですね。
ほりべさんに伝えたいことがあったんですって 言われて何かなと思ったら、
こちょーしのぶの会ありがとうございます みたいなこと言って、
こちょーしのぶの会っていうのは 横田寺町の過去の会で、
こちょーしのぶさんがゲストに来られた っていう定義の会があるんですね。
自分の中ではその会すごい好きだったし、
横田寺町の半分一人でやってるけど、
自由にやってるっていうのの象徴的な配信で 自分としては好きだったんですけど、
それを好きだって言ってくださる方がいて、
できないときとかに聞くと元気もらえるんです みたいな。
その場では普通にありがたかったんですけど、
こちょーしのぶの会ありがとうございますって 全然知らない人が来たら、
それもそれでちょっと暗号っぽいですよね。
そういうリスナーの方との繋がりとか、 ラジオを聴いてるもの、
配信してるものの繋がり感でしか 通じない会話なんですけど、
でもそういうどの配信が好きですとか そういう話が言い合えるのって、
割とラジオをやっててよかったな みたいな思うところもあって、
そういう暗号を増やしていく みたいなことでもあるのかなと思いました。
なので名前で呼ばなくても こちょーしのぶの会好きなものです、
みたいな言ってくれれば何となく、
聞いてくださったことなのかな みたいなふうに思えるので、
逆に自分が他の方に話しかけようと思うときとかは、
ちょっとそういう話し方をしてもいいかな とか思いました。
それはそれでもあんまりそんな 急に話しかけられるみたいなのって、
そんなにないからテンパるはテンパるんですけど、
フォームというか味方の味方色が強い方なんだな っていうのはそれでわかるので、
改めて声をかけてくださって ありがとうございましたという話でした。
ちなみに冒頭のやり取り、
こっちは忍ぶ云々っていうのは、
つい先日たまたまザットンさんと会う機会があって、
初対面だったんで、そのときにちょっと会話をしたときの エピソードでした。
そのときも声かけていただきまして、 ありがとうございました。
その説はということで。
読書会の感想をいただいたときは、 別に会ってなかったんですけど、
でも会って感想を言い合ったみたいな感覚が 僕の中でも生まれてたんで、
安心して会話できましたね。
ありがとうございました。
ということで、2通目ですね。
ちょっとコメントをいただいた順ではないんですが、
次にお読みしたいのが、
TTさんのコメントを引用リツイートでいただけたので、
こちらがですね。
読書感想文にさらに考察を加えていくことで、
奥行きのある書評になっていて聞き応えありました。
過去、うかつに読むと自分が振り出されるとはよく言ったもので、
思いっきり自分の性格があらわになっていて、 恥ずかしくもありました。
会員ナンバーに002として是非楽しみにしています。
ということで、ありがとうございます。
あと、追加もいただいていて、
特に後編は堀部さんの名言オンパレードでした。
印象深かったのを列挙します。
5つ挙げていただきました。ありがとうございます。
何かをしなかったことは他の何かをしていたこと。
想像力の欠如の攻撃性。
恵まれている人なりの恵まれなさ。
己の傲慢さに向きを挙げました。
良い人でないことによる価値の暴落。
ありがとうございます。
ちょっと後半。
多分これってあれですね。
まさにMOMOのパパの話の周りがやっぱり出てきたかなっていうので、
何かをしなかったことは他の何かをしていたことっていうのは、
MOMOのパパを評価するのであれば、
もっとできたこととか、
すべきだったことってあるんじゃないかっていう視点は多分あるし、
そういう論が生まれるようなふうにも書かれていた気がするんですけど、
でもやっぱり結構お父さんが頑張っていたというか、
これを言う前に、言う時にちょっと自分が考えてたのが、
自分の親のことで、
自分の親もすごくアクティブに自分に何かを施そうとしてくれる姿勢があった人かっていうと、
そうじゃなかったんですけど、
一生懸命にそもそもまず家庭を回そうとしてくれていたなっていうのがあって、
そこはすごく感謝しているし、尊敬できるなと思う部分でもあるんですけど、
それに近いような描写とかって、
映画とか漫画とかで出てくるんですね。
教育、ザ教育みたいなことは子供にしていない。
そもそも家庭とか家計を回すのに精一杯でみたいな親の像ってあると思うんですけど、
そういうのを表して、これネグレクトなんじゃないかみたいなふうな会話になったことが過去あって、
要素を切り取ると、確かにそういうふうに受け取られるのも仕方ないと思いつつ、
でも全部時間って限られている中で、
さらに追加して何かをやるみたいなことは、
仮に自分が親よりもさらに高次元の存在だったとしてもできなかったなと思って、
何かをしていなかったってことは他の何かをしていたことだよなっていうのはずっと思うことなんですよね。
だし実際そうじゃないですか。時間って24時間しかなくて、1年って365日しかなくて、
その中で何かをするっていう選択の、何かをするしないっていう選択の連続なわけだから、
そういうことを思っていたっていうのを拾っていただけたっていうのはありがたいなと思います。
想像力の欠如っていうのはですね、想像力の欠如の攻撃性っていうのは、
何かをするときに想像力が欠けてたからこういうことをしちゃったんじゃないかみたいな論が一定ある気がするんですけど、
それでもあかねきれないところも多くて、結局はまず知るっていうフェーズが絶対必要になる、
そういうことを言った気がします。
あとは恵まれてる人なりの恵まれに去っても、さっきと同じようなことですね。
何かをしているってことは何かを知らないってことなので、
あと己のごまさに向き合ってたのはいつも僕やっていると。
でも結構炙り出しみたいなところでね。
そもそも芸術とか芸術鑑賞みたいなのって、
ごまさではないにせよ自分の感性に向き合うっていうことだと思うんですよね。
自分が何を考えたかなとか、別に芸術作品に向き合わない限らないかもしれないですけど、
空気の銭湯に久しぶりに行って、やっぱり水風呂がちょっと怖いんですよね。
怖いっていうか不安な気持ちになって、何かわかんないけど怪我するんじゃないかみたいな滑ったりして、
ただお湯に入った時はそんなことは思わなくて、
違いは本当に水の温度だけじゃないですか。
なんで水風呂に入った時だけこんなことを思うんだろうなと思うんですけど、
そもそも水風呂に入る時に自分はそういうことを思うなっていうことに気づくというか、
それもある意味、自分一人では気づけなかったことというか、
何かに触れたことで自分の感性に刺激があって、
その感情の変化みたいなのに向き合うっていうところが、
本読んだりとかしても結構あるような、それはひとつ怖さでもあるけど面白さでもある。
ので、己の怖さに向き合ってもひとつの体験としてあったなという。
あと良い人でないことによる価値の娯楽っていうのは、
価値っていうのは何に置くかっていうところでもあると思うんですが、
繰り返しになっちゃうので、前回も聞いてみて、
もしここで気になった方とかが前回聞いてなくて、
まず聞いてみたという方はよかったら聞いてみてください。
TTSさんもナンバー2なので、002、2つ目の感想をいただきまして、
感想文みたいなところを書くのに気が引けるけどみたいな感じでも書いてくださって、
他のものを引用しつつとかね、僕の普段の配信が意識の流れというか、
ストリームオブコンシャスでしたっけ?
そういうものでもあるんじゃないかみたいな見解もいただきまして、
とても勉強になりました。ありがとうございます。
次の、次回も楽しみにしてますということで、
ありがとうございますといったコメントいただけて本当によかったです。
で、お次が、前編後編で2個いただいてるので両方読みます。
なこたていちご、はこちゃんさんから読書会。
お便り読んでいただいてありがとうございます。
恋愛リアリティー長の再現度高い。聞きにくい番組。
これはですね、僕の配信、よこたていちごが、
ある種聞きづらさがあるみたいなコメント、感想もあって、
聞きにくい番組ということですね。
確かに写実的な文章でしたね。これはデトピアの話です。
暴力に関する見解。
暴、かっこ暴、かっことじ、力、力の種類の豊富さはこの小説の特徴か。
かっこ怪物。言葉にすると洗脳の一種っぽい。
デトピアで主人公のことを怪物というふうに形容する人がいたりしたんですけど、
このまま2つ目のコメントを読ませていただくと、
実際な感想会後編。パチパチパチ。
ももの父親の否定的な感性。経験のない創造発明に近い。
ももパパとミスユニバースの違い。
お前が305回。
これは僕が呼び方が何回出てきたかって話ですね。
あと信仰宗教っぽい教師っていう感想も出てきていて、
あとは配信者としての視点。
これもちょっと後ほど紹介しますが、
フォトさんの感想の中でできた視点ですね。
あといろんな感想聞けて楽しかったです。
長時間収録お疲れ様でしたということで。
ありがとうございますね。嫌いな言葉。
ぽちゃんさんも感想をいただいて。
いつも感想を送っていただいて、
その後にツイートで発射タグ付きのコメントもいただけてありがとうございます。
長時間収録お疲れ様でしたというのは、
久しぶりに頑張ったなっていうか、
僕はあんまり頑張ったかどうか別に出たもののクオリティとは独立したものだと思うんですけど、
収録時間自体もそうだけど、
結構それまでの手前にこういうことに触れようとか、
こういう視点で語るとどうかなみたいなのを結構組み立てる時間が今回あって、
そこがだから自分としてはすごい楽しいところではありつつ、
悩んだところはすごいあったんですよね。
だから配信ごとに間が空いてしまったんですけど、
でもそこについと、あと本当にいろんな感想とかいろんな視点が入ってたっていうのは本当にそうで、
ちょっと拾わせていただくと、
暴力に関する見解。
暴力の種類の豊かさはこの小説の特徴かもっていうところで、
まさにこの暴力っていうものがどういうふうに扱われるか、
それが国とルールっていうもので、
国とルールをキーワードにそういうものが語られるじゃないかっていうのが割とコアにあって、
小説のね。
それが許される場所を求めてるっていうのが主人公キースのそういう物語だったんですけども、
自分の方が動かなきゃいけないっていうのが、
動かなきゃいけないんだというものが前提にある気がするんだが、
逆に言うとルールの方を変えるっていうのは難しいのかっていうか、
そういう選択肢もあると思うんですけど、
ただ変えられないことはないと思うんですけど、
ルールの方に変わってもらおうとすると結構ロングスパンな話で、
人生の中で一回変わるかどうかみたいな話だと思うんですよね。
それが変われば良いけど、変わったことを観測できない人もいるはず。
そういう難しさっていうとシンプルなんですけど、
そういうのを全体的に語られているというか、
さらっと語られているっていうのがこの小説かなと思います。
桃パパとミス・ユニバースの違いっていうところだと、
桃の父親の否定的な感性とか経験のない想像発明に近いっていうのは、
何度も出てきたかもしれないですけど、そういう切り取りというか、
そういう編集で書かれているっていうので、
ある種それが書き手のスキルでもあるかもしれないんですけど、
否定的に取られるっていうものの裏側には、
マイノリティの取り向き合い方の作法じゃないですけど、
そういうのがあるような感じがあって、
そこの型にはまってないと原点みたいな、
ちょっと成人性みたいなの、精錬性みたいなのを求められている感じが、
ベースが高いところにある気もしています。
いろんな当事者生徒が出てきて、
それぞれも比較できるものじゃない、それぞれのケースがあるだけ。
かつ、そういういろんな当事者が結構点で出てくるけど、
それらを比較するっていうよりかは、
それぞれ独立したものとして書いて、そういうふうに書いて、
例えばその親の桃パパがいて、桃パパじゃない親が、
比較できるような人が出てくるわけじゃない。
でもそれぞれ独立したものとして書いてるけど、
あえて対局にいるミス・ユニバースと比較してみるっていうのは、
視点としては面白いかなと思って話してみたっていうところが、
キースに関わったっていうところで共通点があるかなっていうところで、
ミス・ユニバースも結構変わった人っていうか、
おもれえ女だなっていう感じで、
急断されたりとかっていうシーンはあったけど、
最終的にはそもそもたぶんこんなにミス・ユニバースに
フォーカスを当てることもないのかもしれないし、
ミス・ユニバースのアンチですみたいな人もそろそろいないと思うんですけど、
ただやっぱりこういう性格の人がここに来るまでに
周りに迷惑をかけないできていたとは到底思えないなっていうのもあって、
それも書かれてない部分を勝手に捕捉して、
だけど書かれてないところにそういうことがあるかもしれないと思えて、
逆に言うとパパのところもこの部分しか書かれてないけど、
もちろん成人ではないんですけど、
でもやっぱり親父親にして桃があるなっていうのも思える。
一点思えるかなっていうのはあって、
だから比較できるもんじゃないものを無理矢理比較してもしょうがないって話かもしれないですけど、
結局その中で浮かび上がる、炙り出される自分と向き合えよって対峙してみてっていうのが、
この小説ってことかもしれませんねっていうことでちょっとまとめちゃいましょうかね。
ということでいつもコメントありがとうございました、箱ちゃん。
お次がですね、本来鍵垢なんで、
いつもはあんまり鍵垢の方のコメントっていただいても読んでなかったりとか、
お名前は伏せてとかってあるんですけど、
この方はお名前も込みで紹介したいなと思って、
一応ちょっと確認をしたらですね、鍵垢いただけたので、
晴れて紹介させていただければと思います。
これ飼いパン、飼い犬にパンを噛まれるアカウントで書いてくださってるんですが、
しゅうさんですね、コメントは、
他の人の感想を聞けるのってこんなに楽しいのか、びっくりびっくりびっくり、
癖になりそう…と同時に色んな人と喋りたくなる素敵な企画でした。
感想から引き出された堀江さんのエピソードトークが面白くて、
脳みそがうまいうまいという気持ちです。ありがとう。
こちらこそ皆さんの脳みそをいただけて美味しかったです。
他の人の感想を聞けるのって面白いですよね。
あとしゅうさんの読書時に発言する人格、
自分もあるんだけど言語化されて初めて知覚しました。
わかるゴッドになってしまうけど、大事なのは読書を通じて、
自分が何を考えたかというところもマジわかるという気持ちになり、
たまによくわかんないこと言うんだけど、そこも含めて、
今回シュキシュキチュッチュでした。
最後よくわかんないですけど。
大事なのは読書を通じて自分が何を考えたかというか、もっと言うと、
どんな抽象を得たか、それがもうまさに読書というか、
本当は全文を千円にしておいたらいいけど、
そんなことってできないじゃないですか、人間の極力の限界があるから。
だからどういうこととか、そこからどういう抽象を得て、
そこから自分が何を考えたか、どう考えるかというところが、
自分は読書の醍醐味だと思うし、
それをちゃんと皆さん文章にして書いてくださったっていうのが、
マジ尊いことなんだよっていうのを改めて繰り返したとともに、
コメントいただきましてありがとうございます。
読書記事で発言する人格っていうのは、
自分も他の方のコメントを聞いて、
比較したからこそ何か結構思えたことかなっていうのもあって、
自分としての収穫でした。面白かったですね。
シュウさんのコメントを見た方というか、
鉄さんとその後ね、
これもたまたまなんですけど、
とある場所でお会いすることがあって、読書館お疲れ様ですと、
自分もシュウさんと同じ感想だって、
俺もシュウ君と同じことを考えてたよみたいなことを言ってて、
特にたまによくわかんないこと言うんだけど、
それも含めて面白いっていうところがマジで共感でしたっていう風に言ってくれました。
それででも聞いてくれたんだからありがたいよね。
シュウさんはどこがよくわからなかったのかっていうのはあれだけど、
確かに結構いろんなつき勝手いろいろ言ってたなっていうのはあるんですけど、
鉄さんの感想を読んだときに僕がなんか急に、
鈴木ジェロニモの話をしたんですよ。
鈴木ジェロニモさんっていう笑い芸人の方がいるんで、
その人も本を書いたりしてるんですけど、
黒いシーンが理解できずというか、
確かにどういう意図なのというか、
そもそもここを読み進めるのが
辛かったですみたいな人が多かったので、
ある意味一つ狙いのある文章でもあったのかなと
思うんですけど、想定の話とかポッドキャスターの
視点でというところは、実は7番目で書いていただくまで
誰も触られていなかったところだったので、
それとしてはすごくありがたかったです。
僕としてもその表紙みたいなところって、
本来一番最初に、買う前に目に入るところじゃないですか。
触れてもいいところであるかもしれないですけど、
そこを触れたかったので、タイトルとか現実作品とか、
例えば絵画とかを見るときに、絵画って見えているものは
全てだけど、一つタイトルも鑑賞の手助けになるなって
思ってるんで、まずパッと見て、そのあと僕
タイトルがどういうのなのっていうのは絶対気になるし、
皆さん大体タイトルつけてるんですね。
意思を持ってタイトルつけてないっていう場合もあるけど、
そういう意味で、絵画にとってのタイトルみたいなものが
小説にとっての表紙なのかなみたいなのもあるので、
表紙もだから鑑賞の一部としては入っていると
考えると、そこは触れたいなっていうのがあったんで、
そういう視点を入れていただけて、
ありがとうございます。助かりましたという感じですね。
あと、ポッドキャスターの視点でとか、
ポトさんご自身が普段どういうふうな気持ちで撮られているみたいな、
裏話的な視点も入れていただいて、
ポッドキャストをやる人としても分かるみたいなところもあれば、
自分と違うなっていうところもあれば、
リスナーとしてそういうことを聞けて嬉しいっていう人もいたと思うので、
ありがとうございます。
どっか役のなさ地説だみたいなところは全然、
多分他の人は普段やられないっていうことで書かれてるのかなと思うんですけど、
そういう地説とか技巧的なところが問われるものかっていうよりかは、
視点みたいなところの差っていうのがすごく大きいと思うので、
あんまりやらないことをやっていたっていう意味だとしたら、
そのきっかけになってすごくよかったなと思います。
あんまりお会いしたことはいくつかあったんですけど、
ちゃんとご承請ってお話しするみたいなところはなかったりしたので、
これとしてもこういうことを考える人なんだなっていうのを知れて、
脳みそをいただけてっていう感じでした。
デート兵の件は最後やっぱり語った中でも語れなかったところってあったよなっていうふうに、
それが一つデート兵の話、本当に最後の最後のほうに出てくる話で、
恋心や血縁まで武器になる切なさと恐怖を感じましたっていうところで、
この辺って最後にサラッと出てきて、本当に最後の1,2,3ページぐらいでサラッと、
サラッとかどうかは主観によるんですけど、
最後の最後に出てきて、ちょっと受け止めきれなかったというか、
やっぱり前回あれだけ話してもここ深掘りできてなかったなって改めて思ったので読み直したんですけど、
デート兵って何?って言って、
フランスが核実験のために将来的な加害者と被害者を強制的に引き分けにするために、
そういう仕組まれた命みたいな話が出てくるんですけど、
そのスターガイドとしているマルセルが、マルセルもそうだというような感じで、ミックスでっていう。
そういうミックスの話から、ミックスの子たちは振る舞いが可愛くなるんだっていう話で、
立ち位置が違うものの間で揺れ動くことがあるから、
それをどちらも崩壊させずに書きやすいことが多いっていう話でまさに出てきて、
キースもモモもミックスなんで、そういうところあるよなみたいな感じで、
でも自分分かるなんてないかもみたいな話があるんですけど、
結局その後に続く文章で、植民地ではいろんなものが兵器になるんだ。
獣、核、選挙権、性欲、愛、子供、ほぼ全ての行動が力関係の中で兵器になれるっていうのがあるんで、
まさにこれが本さんが書いていただいたような恋心とか血縁まで武器になる。
ミックスの子たちの笑顔とかもある意味、世界を温存していくための武器になってるっていうところで、
歴史上、子供が生まれたっていうことより前に戻ろうとすると、
その存在を否定することになるから、それ以上前には事実上戻れないっていうような、
そういう悔いの役目もあるよねっていうところが、
キーフレームの考えとも出てきてるのかなっていうので、
キーフレームもそんなに掘り下げられなかったんですけど、
もうちょっとそこも深掘りがあったのかなっていう感じで、
自分としても心残りだったので、そこを触れていただきましてありがとうございますという話でした。
マジで他の方全員に対してなんですけど、僕はやっぱり自分の意見が、
合ってる合ってないじゃないけど、他の人に否定されたらどうしようみたいなのってすごくあると思うんです。
なんかそれって社会的な生き物としては当然かなと思うし、
自分自身もあるし、実際この企画やった時あったんですけど、
でも、だからこそそれを乗り越えて文字にして送ってくれるっていうことが、
かっこいいというか尊いことなんですね。
自分の中ではすごく価値が高いんですよね。
だからこそ勝手に007と書いて、James Bondと書いて送ってるんですけど、
でもある意味みんなが賛同していただけたっていうことでもあるのかなと思って、
結構会ったことある方もない方もいるんですけど、
自分の中ではもうなんか会っちゃったっていう感じなんで、
直接にまたお会いできたら、この独特会の話じゃなくてもっと他の話もしてみたい方ばかりだなって思っておりますので、
楽しみにしています。とか言って会ったらめちゃ挙動しちゃうんですけど。
ということで改めてこの企画として感想をくださった方、斜めの方々。
あとは感想は送ってないけど読んでくださった方っていうのもさらにいるのかなと思いますし、
読めなかったけど次こそはっていう風な感じで、
興味を持っていただいてアンテナを見てるよっていう方もいらっしゃると思うんですけども、
そういった方まとめて今回の企画に乗ってくれてありがとうございました。
今回秋田川賞だっていうところで、同時辞書で2作あったんですけど、
実はもう一つ秋田川賞が野崎由依さんのゲータ全てを言ったは、
つい先週ぐらいに読む機会があって、なぜかっていうと新宿対面読書会っていうのがあるんですが、
そこの4月の課題本がゲータ全てを言っただったんですよ。
だったんで季節して秋田川賞を両方読む機会というか、言って感想を言うっていう機会があったんですよね。
それもそれですごい面白かったし、同時代制というか、同じ時代の中で書かれたものとしての共通点、
ただ結構文章の感じとか全然違うんですよね。
対照的って言っていいんじゃないかっていうような感じだったりするんで、
ご興味ある方もぜひ読んでみてほしいんですけども、
やっぱり読書会行ってほしいなっていうのを改めて思いましたね。
他の読書会とか読書会企画みたいなの参加したいし、ぜひしてみてほしいなっていうのもあります。
自分の思考が整理されるっていうのもあるし、無理だしじゃないですけど、
自分の感情と向き合うっていうのももちろんありますし、
それを比較して他の人の考えに触れることで新しい視点を得るとか、
そもそもこの人面白いな、この人の考え面白いなって人に出会えるっていうのもすごく大きな収穫だったりするんですね。
今回送ってくださった方々の中にもポッドキャストをやられている方、
ZATONさん、SHUさん、TETSUさん、POTOさん、面白い人なので、
それぞれの番組もよかったらリンクを貼ります。
概要欄に入っておくのでよかったら聞いてみてください。
ということは直接なり、Xじゃなくても次もお楽しみですっていうコメントをいただくこともあって、
僕はすごく嬉しいなと思います。
し、次もきっと楽しいんだろうなっていう期待もあるので、自分としても早くやりたいなっていうのはあるんですけど。