1. 内向ゲイと左右と上下(#ヨコタテラジオ)
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2022-11-05 15:06

#036 続・食事に興味がない話(補足)×共感の小道具としての〇〇…

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・飲み物とグミは好きかも
・共感できないものに見出す価値
・批判家欲求を満たすこと(への批判)
のとかとかそんな話。

#ヨコタテラジオ

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00:06
この番組は、いろんな意味でマイノリティ、30代内向人間の仕事や学びの感動、もやもやを重大無尽に発信していきます。
そんな横軸・縦軸の広がりから、聞いてくださった方々の脳みそに奥行きを開放させていけたら嬉しい、そんなゆるダウナーコンテンツです。
はい、ちょっとなんかいつもより巻き出話してる感じがするんですけど、今回ね、ちょっと時間がないって言いそうになったんですけど、
時間がないかどうかはさておき、ちょっと10分ぐらいで撮ってみようと思います。
多分10分を超えて15分ぐらいになるかなっていう感じなんですけど、10本を目標にやろうと思っています。
というのは、この後に家を出なきゃいけないから。
はい、ということでね、結構ね、この1週間何があったかっていうと、1週1の番組みたいになんかしてますけど、
わかんない、週2回更新するかもしれませんが、今回1週間ぶりになったんですが、
この1週間何があったかっていうと、すごい非常にたくさん会いましたね。
オンラインで会ったり、オフラインで会ったりっていうのもあるけど、新しい方もいれば新しくない方、既存というか、
元々友達だった人もいれば、新たに知り合いになった人もいるし、
学校の同級生とも初めてですね、授業でオンラインミーティングをするっていうのが半年経って初めて。
それは多分学校の方針なんですけど、最初の半年はテキストだけで進めてくださいっていう授業のやり方、スタイルで。
それが一旦終わって、新しい授業が10月から始まったんですが、それで初めてオンラインミーティングが始まったんですよね。
そこで全然関わりがなかった方々とつながってみて、みたいなこともあったりして。
私、結構近くにゲイの方がやってるお店があるんですけど、飲み屋ってほどではない、ご飯も食べれるお店なんで、
そういうのに足を踏み入れる度胸をつけようと思って、結構一人で行ったんですよね、先週今週と。
そしたらそれぞれで出会いというか接触があったんで、結構人間インプットが多かった週かなと思っています。
その中でラジオを聞いてくださっている方々も何名かいて、横立てラジオいつも聞いてますよとか、聞いてもよくわかんないから流し聞きで聞いてますとか、
あと2回聞かないと意味がわかんないから1回につき、2回1セットで聞いてるみたいな方々とかもいて、
受け止め方はそれぞれで、割と自分としては確率的に届くっていうよりかは、それぞれの中で形を変える液体みたいな感じで届けばいいなっていう風に思っていたので、
03:09
そこは喜ばしいことかなと思います。
結構反響というか、前回の僕のGearであること以外のマイノリティ制みたいな話をしたときに、食事に興味がないっていう話をしたんですね。
結構そこでそれについての言及されることが多くて、自分も食事に興味がありませんという話だったりとか、
あとは自分も興味がないときはあるけど、そこまでではないとか、
あとは本当に全然何も理解できなかったとか言って。
僕が外食しに行って、つい話に夢中になっていると、食事が提供されてもそれについての特別な反応ができないみたいな話をしたら、
それを表現するのにシステムとして予定されたことが起こってみたいなことを言ったら、それがずっと伝わりづらかったらしくて、
自分としてはあんまり横文字っていうかカタカナワードとかをなるべく使わないようにとかは心がけてはいるんですけど、
自分の中でそのとき思いつく限りではなるべく具体的に説明しているつもりなんですけど、
それがかえってわかりづらくなってるんだなっていうのも思いましたが、
今回のテーマは共感にしたいと思います。
食べ物とかも結局共感ツールとしての食事って結構あると思うんですよね。
共感ツールとしてのっていうのをつけたときに意味が変わっちゃうものって結構あるから、
例えば共感ツールとしてのゲームとか、共感ツールとしての映画とか、共感ツールとしてのいちゃいちゃとか、
いちゃいちゃよりもっと先でもいいかもしれないですけど、
そこにあるもの自体の機能だけじゃなくて、そこに人間であることによって社会性を付加して、
それをコミュニケーションの道具に使うみたいなことは結構あると思うんですけど、
僕が興味ないのはそこの部分かもしれないっていうのはちょっとありました。
なんでかって言うと、別においしいものが食べたくないとか、味が分かる人に比べたら分かんないと思うけど、
オニックのブリとかはそんなに違い分かんないし、油が多い、少ないぐらいしか分かんないけど、
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でも飲み物は好きなんですよ。前に言ったとこまで言ったかもしれないけど、
自販機があるとやっぱり嬉しくなるし、自販機があって、その裏にも自販機があって、
その10メートル先ぐらいにも自販機があって、またその裏にも自販機があってっていう駅あるじゃないですか。
ホームに自販機がどんどん連鎖されてる感じ。
ああいうのあるとテンション上がる感覚があるので、飲み物は好きなんですよ。
飲み物は飲みやすい食べ物。
飲みやすい、摂取しやすい食べ物っていう感覚なんですね、たぶん自分の中では。
スーパーとかコンビニとか行って、買いたいもの買おうと思って、
フラッと入ると飲み物3,4個買ってたりとかしますね。
あとね、これは食べ物なんですけど、この前ちょっと仕事で疲れてるときに、
気分転換で外に行くっていうのもあるし、そのついでにコンビニでも行こうみたいなコンボが発生しちゃって。
何を買ってたかっていうと、グミをひたすら買ってましたね、タンパク質の塊みたいな。
あれ何?ゼラチン?
でもグミはね、油とかが入ってないし、結構タンパク質も多いんですよ。
だから一気に食べると、結構胃もたれするんですけど、
っていうのは食感?味じゃなくて食感みたいなところは、食事に求めているっていうのもあるのかもしれないですね。
シャリモニグミっていうのと、あとマロッシュっていうのすごい買ってました。
いろんな味があって。
シャリモニグミはね、シャリモニグミって、もう完全に食感が名前になってるんですけど、
普通のグミの感覚がモニで、それに対してちょっと大きめの砂糖みたいなのがついてるのがシャリで、
考えた人すごいなって思いました。タイトルもそうだし。
結構意外に流行ってるのかなっていうぐらい結構見るんで、
それのヨーグルト味か何かが好きで、すごい買ってました。
でも僕は目の前に食べ物があると、それこそね、食べ物、食事とか、何だろう、
出された課題みたいな感じで思っちゃうんですよね。
だから目の前にあると無心に食事モードになって、それを全部なくすまで食べるみたいな感じで食べちゃうんで。
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そう、だからちょっと人との食事の捉え方が違うなっていうのはあるんですけど、
そのね、やっぱり食感とか味もそうだけど、あと僕匂いも好きで、香水とかね、も好きなんですけど、
食感とか匂いってデジタル化っていうところが一番遠いところにありますね。
味もそうかもしれないけど、でも味って結構形容できる、
なんか言葉が結構多く表示されている、用意されている気がするんですよね。
だから結構味を検索するときに困るってことあんまりなくない?
何っぽいとか、分かんない、そんなに自分が検索しないから分かんないけど。
でもそこの共感できないものの価値というか、
その共感できなさみたいなのを自分は逆に求めているのかもしれないってことに、何となく気づきましたね。
なんかね、コミュニケーションというか、
なんて言ったっけさっき、共感ツールとしての食事みたいなところで言うと、
それとはまたちょっと思い向きが違うんですけど、
なんか食べ物とかになると批評する人が発生しますよね。
でも思ったのは、味って人格がないから安心して批判できるというか、
作った人みたいなのがバックグラウンドにあるとその頻度は減るのかもしれないけど、
その人たちにとっては食事はすごい、
尊い、崇高な文化だっていうのが前提にあるのかもしれないけど、
だから別に否定しても何も咎められないみたいなのがあるのかもしれないですが、
なんかね、批判家欲求みたいなのってやっぱり人間あるのかなっていうのを持っていて、
それに対しては味がね、実格がないから安心して批判できるっていう行動原理があるのかなっていうのを持っていますね。
ここの美術館に行ったときに帰りにお土産さんあるでしょ?
グッズショップ?お土産とは限らないよね。
グッズショップがあって、そこで自分が見てきた絵を片取ったトートバッグとかがあってて、
女性が連れの男性に関して、これどう?みたいな感じで言ったら、男性がすごいチープだねみたいな感じで言ってて、
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批判家そうだよねみたいな、美術館に来るような人は批判してやろうっていう気持ち高いよねっていう偏見かもしれないんですが、
思いつつ、批判するときのレパートリーがだいたいみんなチープって言わないっていうレパートリーの少なさを感じて、
やっぱり批判家欲求ってあって、何かを批判することで自分の立場安心しちゃうのか、
批判っていう行為の意味みたいのはあんまり関係なく、批判したっていう行為、チープだって言えば、
安心できるっていう、麻薬みたいな作用があるのかなと思ったんですが、
それもね、なんていうか、共感に通じるとこはあるのかなと思ったんですよ。
共感なのか非共感なのか分かりませんが、
僕はあんまり共感の重要性はあんまり考えてないというか、
共感がそんなに大事なものだとあんまり思ってないっていうか、共感できなさみたいなのも、
共感できなさも共感の一部だと言われたらそうかもしれないけど、
共感できなさのほうが僕は信用してるんですよね。
共感できなくたって、人間関係って強行にできると思うし、
他なんか共感できないものがあるほうが嬉しいんですよね。
というのは、この人を知れる余地がまだあるんだっていう、
ワクワク感みたいなのに変換することもできると思うんで。
なんていうかね、共感の話をしますと言いつつ、結局よくわかんない話をしましたが、
もうちょっと15分くらいなので、この辺でおしまいになるので。
でもね、僕も人に何かを誇示したいという気持ちはなくはないですよ。
これからね、紙を切りにいくんですけど、それもその一環だと思いますね。
自分のためというのもあるけど、
何かそのあった人の心をざわつかせないぐらいの見た目を整えてはいけないっていう、
社会の一員としての自覚があったりするので、そういう感じで今回は終わりにしたいと思います。
では、共感の話を自分なりに話していたつもりですが、皆さんいかがでしたでしょうか。
思うところ思わないところがあるかと思いますが、また何か聞かせていただけたら嬉しいです。
15:01
ありがとうございました。バイバイ。
15:06

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