1. 余白のエクリチュール
  2. 美が規範になるとき ── 会社員..
2026-01-30 49:50

美が規範になるとき ── 会社員の倫理はどのようにして形作られるのか

#38 / 美意識について語ろう / 美意識にずっと興味がある / 芸術作品に”美”を感じる? / 美に触れて変わった経験はある? / 作品そのものよりもその周辺に目がいく / 知識があれば楽しめる? /  音のリズム、文章のリズム / “美”へのアンテナが低い? / 規範としての”美”の影響 / 真善美 / 美意識はどこからやってきた? / 佐藤雅彦の「作り方を作る」 / “決められたことをちゃんとやる” / 自分の中の“当たり前” / 善=倫理規範に当たる? / その人における”当たり前”はどのように生まれるのだろうか? / 会議前に資料を準備する?/ 組織における”規範” / 歴か規模か / 規範は存在するのか /「規範を相対化する知恵を身につけることが一番大事」 / いかに意思決定者を説得するか /  会社のビジョン問題 / 上層部と若手のギャップ /目に見える”問題”にならない限り人はなかなか動かない / サイエンス=定量ではなく別の道筋はないのか? / 山口周を呼ぶ / 会社員がどうやってやりたいことを実現していくか


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異なる時間や場所を生きてきた2人が、まだお互いをよく知らないところから始めたPodcast。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。様々なテーマの感想や解釈を起点に、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ余白をあなたも。


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やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、美意識とその探求について語られています。芸術作品に対してどういった美を感じるのか、またそれに関わる価値観について深く掘り下げられています。美術館での体験や知識の重要性も考慮されており、リズムや機能性に対する受け止め方についても触れられています。このエピソードでは、美が個々の価値観や社会的規範に与える影響を探っています。美術や文化資本がどのように個人の倫理や美意識を形成するのか、さらに社会における遅刻やルールへの認識の違いについても触れられています。ポッドキャストでは、企業における倫理や価値観の形成について議論が交わされており、特に働く環境の規範がどのように影響を与えるかに焦点が当てられています。参加者たちは、組織内の当たり前を築くプロセスや、意思決定者の役割について意見を交換し、現代のビジネスにおける美意識の重要性についても考察しています。このエピソードでは、企業内での若手社員のビジョンや倫理意識の共有の難しさについて語られています。組織が問題を起こさなければ変革が難しいとされ、ビジョンの重要性とその伝達方法が探求されています。また、会社員の倫理や美意識がどのように形成されるのかについても議論がなされており、起業するモチベーションや企業内での個人の主張についての考察が展開されています。

美意識の探求
はい、始まりました。 余白のエクリチュール、略してよはちゅる。
今回は、美意識について語ろうです。 よろしくお願いします。
お願いします。
はい、えーと、これは私が持ってきたテーマです。
で、これは、もうなんか、よはちゅるを始める前から、もうずっと、ずっとなんか私の人生で興味があることです。
人が何に対して美意識を持ってるのかとか、どういうふうに感じてるのかっていうのは、もう本当に興味があります。
へー。
ずっとなんか、それを聞いてみたいっていう気持ちは、本当にすごいあるなって思ってて。
はい。
はい、私がひとりがた理解で、この前の美意識について話したんですけど、
それは、美術とか芸術作品において、自分が何に美を感じるかとか、そういう話をしたんですよね。
で、今回は、そういう話もしたいんですけど、なんかどういう、芸術作品にそもそも美しさって感じるかとか、
その、どういう、もう感じるのだとしたら、どういうものに感じるのかとか、っていう話もしたいし、
プラス、私がそのひとりがた理解で話せなかった、もう話せなかったけど興味があるものとして、
自分の中にある真善美っていう、まあ価値観があるんですけど、
それは、なんかどういうところに現れるのかっていうのは、すっごい気になるなって思ってて、話してみたいなって思って、今回持ってきました。
芸術作品との関わり
はい。
はーい。
お願いします。
はい、お願いします。
難しい、難しいんだよな。
どこから、どこから話しますか?
じゃあ、最初のは多分わかりやすいから、その、なんか芸術作品にそもそも美って感じるのかとか、
感じるとしたら、何、どういうものに感じるかとか、のを知りたいです。
いやー、たぶんね、感じないんですよ。
あんまり。
なんかね、そういうのかなとは思ってた、もしかして。
ほとんど、ほとんど。
それは予想できない。
予想できない。
一応ね、その美術館とか、なんかそういうのに、行かないわけではない。
たまに、たまにっつっても本当にあれだけど、行くこともあるんですけど、
なんかまあ、アート作品みたいなのを行かしてもいいかもしれないけど、
なんかそれで、なんかこれすごいいいなとか、そういうの思うこと本当にないんだよな。
ちょっとそれ、まず気になるんですけど、美術館に行くときっていうのは、
何かの展覧会とかあるじゃないですか、美術館で。
はいはいはい。
それで、なんか話題になってるから行こうとか、いうふうに行くんですか?
そう、そうだと思います。
で、それって、見るのって絵ですか?
それとも工芸品とか、いろいろあると思うんですけど、絵を見るんですかね?
まあ、あんまそこにあれはないかもしれない。こだわりはなくて。
自分からこれを行こうみたいなのって、あんまないんですよ。
なんか本当になんか、あるとしたら、自分からあるとしたら、
自分は普通にそういう美術館に行くというのは、自分の普段の生活の中でしない行為なんで、
じゃあ、意図的に自分がしないことをしてみようという意味で行くっていうケースがあったりするんで、
まあ、ぶっちゃけ対象は何でもよい。
そうなんだ、なんか福祉層を見たいっていう。
全然そういうのじゃない。
それが1、ルート1。で、ルート2は誰かが行くっていうから、全然行きますよっていうのがルート2っていう感じなんで、
なんだろうね、何かこういう目的があってとか、こういうのをやりたいからとかっていうのはほとんどないかも。
そうなんだ、そこでじゃあ、それがないとして、じゃあ行ったときに何かその自分の何かが変わった経験とか、そういうのってありますか?何を感じますか?そのとき。
いやー、ない、ないよな。
何があるかな。
今思い出した話を適当に話すと、ちょっと前にヨーロッパに旅行に行きました。
で、フランスとか行ってルーブル美術館とか行ったんですけど、絵がいっぱいあるなと思う。
そうなんだ。
モナリザの絵とかありましたけど、どっちかというと人がいっぱいいるなとか、そういう方向に目が行っちゃうんだよね。
あー、なるほど。
そっちかというと、絵を巡る、その周辺の何がしかみたいなことに、どうしても興味が行ってしまう。
ルーブル美術館というものの、なんかあれだとか、あれもすげー人いっぱい来てるし、チケットとかも時間で区切られてて、すごいいろんな人が時間ごとに入ってとか、
そういう、どうしても本そのものじゃない方に興味、関心が行っちゃうっていうことの方が多いですね。
あー、なるほど。その空間がどういう風に作られてるかっていうか、
そうそうそう。
人の動線とか、それを巡るシステムがどうなってるかとか、そういう話。
あんまり良くないなっていう気もしてるんですけど、
絵とかに関してはね、それそのものにどういう、単純に知識がないっていうのもでかいんだと思うんだけど、
それをどう見ていいのかがあんまわかんないんだよねーって思っちゃうかな。
リズムと機能性
せやさん、今気になったのが、知識があればじゃあ楽しめるって思うタイプですか。それもなんか私すっごい気になってて。
思うタイプ。
まあそうなんだろうなと思ってるっていう感じかな。
なんていうか、これも一種の知識なんだと思うんだけど、
アート作品みたいのって、やっぱだからそれまでの歴史とかそういうものに対して、
このタイミングでこういうのが描かれたからすごいんだみたいなものとかって結構あるんだと思うんですね。
それに顕著なんだと思うんですけど、だからなんかそれがわかってないで見たところで、
要はなんていうか、そのもの、絵そのものだったら別にネットで見れるわけじゃないですか。
それとリアルで見ることの違い、どこにどういう、何を見出すのかみたいなのって、なんかむずいなって思うんですよね。
話が逸れたかもしれないけど。
いやいやいや、そうなんですよ本当に。
わかるわかる、なんかその、私も実際なんか絵見る、絵見るアプリとかもあるんですよ。
え、それはどういうこと?
え、ちょっと待って。
デイリーアートっていう。
絵を解説してくれるとか?
絵を解説してくれて、
そう、なんかこの絵は、毎日その絵が紹介されて、
この絵は、この年にこの人が作りました。
こういう背景で作りました。
みたいなことが書いてあって、私確かになんか、それでもいいなって。
これでも全然なんか楽しめるなっていうのはあるんですよね。
だからなんか、ちょっと私の話になるんですけど、
描かれた絵なんかそのものの、なんかそれがなんかすごく精緻に描かれてるとか、
なんかすごい色彩が良いとかっていうのは、結構もうなんかこのスマホでも楽しめるなっていうのはあって、
私はもうちょっとその、なんか絵が展示されてる空間とか、
そこに至るまでの、なんかその絵の、その作品が配置されてる、
なんかどういう風に展示されてるかとか、
そういうところを見る方が好きかなっていうのはなんかある。
ちょっとこれ私の話になるんですけどね。
なんかこれは音楽とかも全部そうなんですけど、
作り手だと視点が変わるんだろうなと思うわけですよ。
なんかその絵を描く人とかがそういう絵を見ると、
やっぱなんかその、ここのやっぱ色使いはちょっと違うわみたいなのとかがなんかあるんじゃなかろうかと思うんですけど、
別にそういうのじゃなければ、なんかそこは見て取れるのって、
だからもうスマホと何が違うんだっけって言ったら、
やっぱそのリアル空間にあることであるわけであって、
そのリアル空間がどういう空間であってとか、
そういうことを考える方がまだなんか意味があるとちょっと違うけど、
なんかそういうことの方が楽しめるのかなっていう感じは、今聞いていても思いますけどね。
そうですね。
なんかその絵じゃないんですけど、
なんか見に行く、その作り手が何か作ったものに対して美を感じるっていうのはなんかありますか?
その美しさ。
別に芸術作品じゃなくて、これに美を感じるんだとか、
それともなんか自分はこれにすごく引き付けられてるけど、
それは美とはまた違うよなっていう話があったら、それも聞きたいです。
うーんとね、一応自分の中での仮説は、美というものに対しての意識は結構低いと思います。
なんかその美を感じるみたいなのって多分あんまなくて、
じゃあ何に自分が魅力を感じるかっていうと、
なんか前のエピソードでも話したかもしれないけど、
自分はね多分リズムなんだと思うんですよ。
リズムって。
なんかね、音楽とかもそうなんですけど、
リズムに対しての感覚はそれなりにある気はしていて、
リズムもいわゆる音のリズムだけじゃないと思うんですよね。
例えば文章のリズムみたいな言い方とかもそうだと思うんですけど、
いきなり普通に文章が合ってる中で、
明らかにリズムを崩した一文が入ってたりすると、
おおって思ったりするしとか、そういうのも含めて、
そういう意味でのリズムに関しては結構興味があるし、
なんとなく良い悪いみたいなことを思うことはある気はするんだけど、
いわゆる美、美しいとかっていうものは、
美的感覚が本当に著しく低いんだと思うんですよね。
基本全部情報に変換しちゃうから。
情報に変換するってのは私全く分かんないんですけど、
それはどういうことなんですか?
なんか、例えば絵があったときに、
これは誰、あえてするとするんですよ。
これは誰が描いたもので、どういう背景で、
さっき言った裏にある知識みたいな話ですよね。
そういう方向に全部変換しちゃうから、
そのものを見て、この絵が構図がとか、この色彩がとか、
ビビってたらそういうことなんじゃないかなと思って、
勝手に解釈してるんですけど、
そういう、それを美しいと思うとか、
あんまりそういうことにならないんだよな。
だから自分のファッションとかもそうですよ。
別に僕ユニクロで何でもいいと思っちゃうし、
こういうファッションがいいとかほとんどない。
部屋のレイアウトとかもそうですね。
人生で凝ったことは一度もない。
あ、そうなんだ。レイアウトもいいんだ。
そう、なんていうか、何だろう、
置物的な、置物と違う気がするけど、
でもそういうのあんじゃないですか、
こういうのを部屋に置いときたいみたいな、
そういうの何にもない。
なるほど、なんかあれか、
機能的なものの方が、
もっと機能性の部分に、
美を感じるっていうのもまた違うと思うんですけど、
用の美っていう概念があると思うんですけど、
そっちなのかな、
使うこととか、手に馴染むとか。
それもちょっと違うんだよ。
そこまで別にそんなに意識してない。
最低限の機能性みたいのは求めるんだけど、
いわゆるガジェットオタクみたいのとも全然違うし、
そういう地位に行くと、
その機能性みたいのを突き詰めると、
ガジェットオタクみたいな方に行くと思うんですよね、
ミニマリズムとか。
別にそういうのでもないけど、
なんとなく最低限の、
あれは仕ときたいぐらいでしかないので、
何だろうね、
あんまり、
美意識の形成
やっぱりその美というものに対する価値観が低いんだよね、
たぶん。
へー、そうなんですね。
それもずっとそう。
ずっとそうなのかな。
美って結構すごく、
自分のがいいと思うとか、
悪いと思うのに関わらず、
結構社会的に規定されてきたものっていうのはあると思うんですね。
美術の教科書を見て、
これが良いのだって思わされたり、
美術家に飾られた絵が好評で良いのだと思わされたりってのがあると思うんですけど、
そこが自分の、
それを別に今までの人生でそれが良いのだと思ったことはないっていうか、
それが社会的な規範が自分の中に取り込まれるとか、
そういう経験ってあんまりなかったんですか。
私は結構、自分の美が大事だと言いつつも、
やっぱりそういうところで形作られてきたものは、
すごく自分自身あるなって思ってるんですね。
この教科書に載ってる絵が美しいとか、
この抽象画の、
天秤で描いてるそこが美しいんだって私は思うんですけど、
それは結構教科書的な規範を勝手に思わされたからこそ、
自分は今それに対して美を感じるんだみたいなことを思うんですけど。
なるほどね。
回答はないですね、たぶん。
なんだろうな、こういう言い方するとちょっとあれかもしれないけど、
文化資本的なものが僕にはほとんどないんだと思います。
例えば小さい頃に美術館みたいなことに行った記憶は1ミリもないし、
親も多分そういうものには興味が一切ないんですよ。
映画とかまで落としてもほとんど少ない。
数える限りぐらいしかない。
教科書の話にしても、
僕は今聞いていて思ったのは、
それも僕は情報的に凄く処理してたんだろうなと思っていて、
結局テストでテーマを取るための勉強しかしてなかった。
なるほどね。
それが自分の価値観によるとか、そういうのじゃなかったな。
この絵は何年のもので、こういう評価がされてますみたいな、
教科書的な記憶だけをしているので、
それが自分の価値観に影響してるみたいなのがないかもしれない。
なるほどね。そうなんだ。
文化資本と倫理
そっか、わかった。
映画は美術に対してとか、
世で美しいとされているものに対しての、
それはめでるみたいな気持ちはない。
っていうのはわかりました。
わかりましたって言ってもわかんないけど。
そうしたところで、私が気になるのは、
もうちょっと精神的な美の話で、
真善美っていう価値観に対して、
どう思ってるのかっていうのはすごい気になってて、
普通の私が思ってるのは、
私しょうごさんはすごい美意識を持った人だと思ってるんですよ。
で、それがどこから来たのかっていうのが気になってて、
それがなんかその、
さっき話した美術的な関心が、
何か変換されてそうなっているのか、
またなんかもっと別のところから生まれたものなのか、
ところが気になっていたところではある。
なるほどね。
面白いな、面白いなって思ったし、
今考えてたら、なんとなく自分でもわかってきたことがあるなと思うんですけど。
素晴らしい。
なんて言おうかな。
ちょっとあえて別の話からすると、
ちょっと前に佐藤正彦展ってやってました、横浜で。
僕はこの人のことはあんまり知らなかったんですけど、
電通とかにもいらっしゃって結構有名な、
なんて言ったらいいんだ、
一応wikipediaにはメディアクリエイターとか書いてあるけど、
クリエイティブディレクターとか、なんかすごいいろいろやってる人で、
なんかちょっとこの人に考え方が近いかもしれませんっていうのを今から話そうと思います。
気になる。この人の考え方全然知らないから。
そうなんだ。
この人は作り方を作るみたいなことをおっしゃってたりする。
これの知識しかないです、私。
なんかね、ちょっと本とかも、
展覧会じゃない、なんていうんだ、
展示をやってたんで、そこの本も読んだんですけど、
僕がそこで思ったのは、
この人はルールを作る。
ちょっとごめんなさい、全然厳密じゃないかもしれないけど、
自分なりのルールを作ることにすごく意識が強い人なんだろうなと思ったんですよね。
デザインとかも、すごい自分なりのルール、決まりを作って、
その決まりに当てはめたCMとかね、
こういうロジックって言ったらちょっとあれなんだけど、
こういう決まりを作って、ちょっと具体は思い出せないんですけど、
ピタゴラスイッチとかもそうじゃないですか。
ピタゴラスイッチとかも、あれもちょっとうまく説明できないけど、
何らかの規範があって、その中でクレイティビティを
いかに生み出せるかみたいな、そういうチャレンジと言い換えてもいい気がします。
今チャッピーに聞いたら、ピタゴラスイッチは原因からきっかけが可視化されるもので、
別に面白い雰囲気を作ってなくて、因果が連続するというルールだけを設定している。
その面白さ、ルールが正しく動作したという複散物として面白さが現れるみたいな話をしている。
でもそうそう、そういうことだと思う。
この人ってなんていうか、いわゆるアーティスティックなのとはちょっと違う文脈だと思っていて、
その仕組みみたいなことを作る。
ピタゴラスイッチも、ああいう舞台装置を一体作ったことによって、
その枠組みの中でこういうことをやったら面白いんじゃないかっていうことを作り出したのはすごいことなんだと思うんですよね。
っていうのが佐藤雅彦の話で。
なんとなくそれに近いんじゃないかって自分が思っているのが、
Bみたいなことは全然考えたことがないんですけど、
決められたことをちゃんとやるみたいなことは人生としてずっとやってきていることなんです、僕は。
さっき言った勉強みたいな話もそうなんですけど。
テストで点を取るのはテストで点を取らなければいけないぐらいな脅迫観念を持っていた。
脅迫観念とまで言うんですね。
多分そうだと思う。
それが俺の中では当たり前だったから、テスト勉強をするみたいなのが当たり前だったし、
みたいなことはあった。
結果としてだから、僕の記憶が合ってるかわかんないけど、
少なくとも中学以降は基本的にテストの成績、5とか4とかあると思うんですけど、
基本全部ずっとそれだったと思う。
それくらい脅迫観念を持って一応やってたと思う。
めっちゃやってたわけじゃないけどね。
でもあんなの授業をちゃんと受けていればだいたい点取れるじゃないですか。
そういう方向ね。
天才とかそういうのじゃなくて。
そういうのじゃなくて、やればできんじゃんみたいな。
だからやればいいんだよみたいな話を結構やってたと思う。
で、何だっけ。
だからそういうのと勉強してると思うんですけど、
自分の中で決まりを作ってその通りにやるべきだみたいなのは結構強いんだと思うんですよね。
だからちょっとなんかうまく説明が今できないけど、
その佐藤雅彦的な、何となく自分の中でのロジックみたいなのは結構強固にあるので、
それを当てはめるとか、それに当てはまってるかどうか、
自分が面白いと思うもののそのロジックみたいなのがあったりするから、
それに当てはまってるかどうかみたいなのには敏感なのかもしれず、
それが一つの自分の美意識みたいなものかもしれない。
みたいなことをちょっと考えてました。
ルールと認識の違い
それはね、私がまさに思ってたことなんですよ。
そうなんだ。
私が思ってた、翔太の美意識っていうのが、
これがね、私が真善美の中のどれに当たるのか、
善なのかもしれないけど、
どう振る舞うのかっていう倫理的な価値基準が、
善というカテゴリーに含まれるのかなって思ってて、
その真善美っていうのは、
美意識っていうものが真善美を包括してると私は思ってるので、
それが翔太さんでいう倫理的なっていうのは、
私が思ってるのが翔太さんは自分で決めた、
例えばですけど、
毎月音楽のブログを書くとか、
毎週とか、
ああいうのって、
翔太さんが自分で内部規範として決めたものに照らして、
行動してるっていうところがあるなと思って、
それがなんか私は、
翔太さんに対して美意識を持ってると感じてるポイントだったんですよ。
なるほどね。
はい。
それはなんかすごい納得、納得です。
あんまり真善美っていうことを考えたことはないんですけど、
僕自身が。
でもそうなんだと思うし、
僕からすればそれは当たり前のことだと思っている感じかな。
でもさ、
私はそれを美意識だねって感じつつも、
それが当たり前だというのは、
結構すごいなって思ってるんですよ。
だからそれが翔太さん的には、
よく自分は当たり前だと思ってやってるって言ってるけど、
それはなんか私にとっては当たり前ではないし、
ないから、
その当たり前だと思う思い、
考えっていうか規範っていうか、
そういうのがどういうところから出てくるのかなっていうのは、
すごい気になってるところです。
そこはなんか私の中で見えてないところ。
そうね。
それは結構自分の中でも課題認識があって、
課題認識ですか、
そこまででかいものじゃないけどあって、
自分の当たり前が全然世間の当たり前じゃないっていうことは、
この10年ぐらいの仕事として、
すごく痛感をしている。
この前のエピソードとか話したけど、
遅刻をするなんて、
俺からしたら基本のは、
もちろん別に俺もすることあるんだけど、
仕事において遅刻をするみたいなことは、
基本あってはならないことぐらいに思っているから。
別にそんなに、
世の中一般で見たときに、
そんなにおかしな話じゃないと思うんだけど、
結構ミクロで見ると、
それは全然普通に起きてるってことなんだなっていうのは、
最近よくわかってきたことで、
質問は、
それがどうやって育まれてきたのかみたいな話は、
それが最後のさっき自分が言ってきたことなんだと思っていて、
結局自分は、
学校においてテストで点を取ることは、
必要な、義務なのであるみたいなぐらいに思っていたから、
そこが多分、
それが6年、3年、3年、9年、12年とかを通して、
結構もう内面化されてるんだと思うんだよね。
最初がどうだったかっていうのはちょっとまた別なんだけど、
それをそういう決められたことはちゃんとやりましょうみたいなこととか、
あそこで言われてるじゃないですか、
廊下は走らないようにしましょうみたいなのと似てると思うんですけど、
とはいえみんな走りますよねみたいな話だと思うんですけどね。
一応決められたものに対してはちゃんとやるみたいなことが、
それが普通だと思ってたって感じなのかな。
企業内の倫理と価値観
確かに私も今振り返ってみて、
確かにテストは点を取るべきものだと思ってたけど、
それってなんで思ってたのか、それ側でも当たり前はあるか。
それはでもあれか。
普通に私で言うと親から高い点数を取れって言われてたからやってたみたいなところはあるから。
それが続いてる。
そういうのもあるだろうし、
そういう分かりやすくなくても点を取ったことによって、
何かポジティブな何かがあるってなると、
そういうフィードバックループが回るんだろうなっていうのは、
これは教育的な話だと思うけど。
それはまあそうですね。
だからこれが多分自分的には結局それで、
別にでかい生活じゃないけど、
何かうまくいきちゃってるんですよ。
この多分価値観で。
大成功してるわけじゃないけど、
高校とかもそれなりのとこ行って、
大学もそれなりのとこ行って、
企業もそれなりのとこ行って、
それなりに評価されてみたいな、
そういう人生を歩んできちゃってるから、
多分こういう価値観になってるんだと思う。
素晴らしい人生ですよ、それは。
だから客観的に見たらそうなんだろうね。
実は主観的に見たら別になんか、
普通じゃん?みたいに思っちゃう。
普通じゃない子とか、
徐々に承知の上で会えちゃってるけど。
そうね。そっか。
ちょっとなんか私も、
ここからどういうふうに展開してるかなって、
今迷ってるんですけど。
僕が気になるのは、
その人における当たり前ってどうやって生まれるんだろうな、
っていうのが気になる。
仕事においてもそうなんだけど、
例えばだから僕は、
打ち合わせをするんだったら、
事前に、
資料とまでは言わずとも、
メモ書きぐらいは用意しろよってのは、
普通に思う話、当たり前のことだと思うし、
例えば前職とかだったら、
それは比較的そういう規範があった気がする。
けど、前々職とか、
今の会社とかは、
そんなことはないし、
用意していくと良くないみたいな感じにも、
なってる気がしていて、
なんか、
これは俺の曲解かもしれないけど、
その場でみんなで、
用意どんで話しましょうよ。
持ってくと、
その流れに乗っちゃう。
これは自分自身もそう思う。
流れに乗っちゃって、
俺がイメージした結果にしかならないな、
みたいな思ったりもする。
みんな考えてこないから、
俺が出すと考えない、みたいなね。
そういう人それぞれの当たり前、
もしくはその組織における当たり前って、
どうやって育てられるんだろうな、
みたいなのが興味がある。
当たり前の形成プロセス
それはもう、
私もめちゃくちゃ興味があるところなんですけど、
ちなみに、
あれですか、
資料の話って、
三倉の話なんですけど、
資料を前の会社では、
用意したほうが、
一番良いのか、
一番悪いのか、
用意したほうがうまくいってたってことですよね。
だから、
用意してたってことなのかな。
っていうか、
あくまでチームの単位の話ですけど、
普通に打ち合わせの時間で、
考えるのって非効率ですよね、
っていうのが、
前提として共有されるものはあり、
だったら、
資料とでもないけど、
例えば今我々はGoogleドキュメントで、
ちょっとメモしてるわけですけど、
じゃあ事前に、
ディスカッションするんだったら、
それぞれどう思うか、
ドキュメントに書いておいて、
そこからスタートしましょう。
こういう話をするから、
事前に目を通して、
説明からはせずに、
議論からスタートしましょう、
みたいなのは、
一応普通に合意。
忙しくてできないみたいな話もあって、
ちょっと微妙なところはあるんだけど、
一応合意された前提だったと思う。
けど、
今は、
一応建前としては合意されてる気がするんだけど、
実態としてはほとんどそこは合意されてない、
っていうか、
仮に事前に資料見てねって言ったところで、
見ないし、
とかね、
とかとか、
みたいな。
なんか、私が今思ったのは、
私はその資料を、
ちょっと資料の、
今話をするんだけど、
ちょっとね、
一旦ね、資料の話をするんですけど、
私は、
資料を作る方が、
いいと思ってて、
それは別に、
やってねって言われたからやってるわけじゃなくて、
もちろん新人の頃とかは、
先輩のアドバイスとして受けたと思うんですけど、
なんかその、
やっぱ組織の規模って、
すごいあるなって思ってて、
私なんかちっちゃいから、
自分がやりたいことが、
やりたいようにやれるっていうのもあるし、
ないみたいな、基準がない。
人によってバラバラ。
だから、その通りにできるっていうのはあるけど、
やっぱその規範っていうのは、
組織が大きくなるがなるほどにつれて、
なんか生まれてくるのかなっていうのは、
すごい思いました。
なんかその人が言った、
その人が言ったことの、
ルールになるとかっていうのは、
その人の声が大きいからとか、
それがもう、
急に規範になっちゃうとか、
ちょっとなんか伝わってる気はしないんですけど。
今、意義あり。
なんかね、俺の感覚的には、
小さい組織であればあるほど、
そういう規範は、
勝手に生まれてきちゃわないかなって思うんだけど。
そんなことないのかな。
業務によって、
それがなんか、
業務の分担が、
その組織によって、
どうなってるか違うと思うんですけど、
うちは割と俗人化してるとこがあるから、
それはそうかもね。
それはそうかもね。
業務の役割が、
非常に、
明確に分かれているんだとしたら、
他の人の業務に口出すっていうことって、
あんまりできないんだと思うんで、
そうなるのかもしれないですね。
確かに。
そう、
私はそうなんだけど、
だからこそ、なんか、大きい組織の方が、
なんか、
その規範が使えるのかなって。
でもね、聞いてるとそういう感じでもないのか、
っていうのは思うんですけど、
わかんないな。
うーん、どうなんだろうね。
なんていうか、
もう少し前提の話に戻れば、
そもそも規模というよりかは、
歴が長い会社には、
そういうものが脈々と受け継がれている、
何かがあるっていうのはあると思うんです。
要は先輩から、
先輩を見て育つんで、
その先輩がどうやっていたかみたいなのは、
強くある。
っていうのは、
そういう感じはするね。
でもそれ以上のものが、
なんかあるのかな。
それ以上の何か、
その規範を形作るものは、
ない。
あるのかな。
結局なんか、人を見て、
人を見て、
その規範って形作られるから、
それが、
でも実はなんか、
その規範ってないのかもしれないですね。
人によってバラバラで、
対この人に対する規範はあって、
それがなんか、
3人ぐらいいれば、
これが何か組織の価値観だって、
思っちゃってるかもしれない。
でも実は他の人に話を聞くと、
全然何かそういうことなかったりとか、
あるのかもしれない。
それは多分そうだと思います。
僕の前職の先の話もしたけど、
それはあくまで、
ごく小さいチームの単位の話で、
僕が言ったさっきの規範は、
チームリーダーが全部決めてたと。
別にこの規範が、
チームの一歩外で言ったら当たり前かって言うと、
多分そうじゃなかったと思うから、
やっぱりなんか、
まあやっぱりすごいつまんない話だけど、
やっぱりその意思決定者の規範が、
そこでは重要視されるっていう、
美意識の重要性
まあそういうことだとは思うんですけどね。
そうですね。
それがやっぱり、
意思決定者が言ったことが、
最初に言ったことが、
形で作られて、
それに対して、
何か疑義を、
なんか唱える人とか、
きっかけがないと、
それが変わらないから、
なんか一番最初に言ったことが、
規範として作られてるのかなっていうのは、
なんか思うなあ。
なんか今の、
世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのかっていう本を、
読んでたんですけど、
これちょっとそう有名なやつで、
ちょっと昔の話なんですけど、
ここでもまさに言ってたのが、
その規範を相対化する、
知恵を身につけることが、
一番大事だよっていうのがあって、
ちょっと私は、
それだよなって思ってるんですけど、
まあそうだよなみたいな、
思ってるんですよね。
だからこそ、
それをどうしていけば、
それができるのかっていうのを、
考えなきゃいけないなっていうのは、
思うんですけど。
まあそうね。
なんか今の話にフォーカスしちゃうと、
なんかたぶんもともとの話題からはちょっと、
だいぶ小さくなっちゃってるかもしれないけど、
例えば仕事において、
何かの規範があって、
それを変えたいと思ったときに、
じゃあそれに、
とらわれないようにみたいな話って、
本当にむずいなって思うけどね。
やっぱり結局、
その意思決定者を説得しないといけない、
説得しないといけない、
っていう話になると思うんで、
その意思決定者の、
頭の外にある話だとしたら、
それをどうやって分からせるかみたいな話って、
すげー難しいと思うんで。
わかりますね。
なんかちょっと、
どうぞ。
私の仕事、会社の話するんですけど、
ちょっとあの、
はぐらおかして言うんですけど、
さっきもあったんですけど、
ビジョンを見直すって、
さっきの話あったじゃないですか。
あれで、
うちの会社ってビジョンが、
あるはあるんですけど、
会社の社長の人とか、
言ってることが、
すごく下の人に、
到達してないなって思ってたんですよね。
で、
それが私は、
なんかその、
就活時にアピールするにしても、
ずっとその、
ビジョンを、
提示するっていうのは、
すっごい大事なんじゃないかっていうのを、
言ってたんですよ。
言ってて、
若手社員の倫理意識
言ってたんですよ。
で、それがその、
私の周りの若手社員とは、
それが、
課題っていうのも、
おこがましいかもしれないですけど、
そのなんかそういう、
認識として、
共有されてたんですけど、
それはなんか、部門長に言っても、
なんか事業部長に言っても、
それをなんか、
理解してもらえないっていうか、
その人に言っても、
なんかそれは、
もう別に、
それよりも、なんかやれることをやるんだとか、
なんか自分がそのなんか、
定められた目標に対して、
そのどうやっていくかしか、
もうちょっと自分は考えてないみたいな、
とか言われたんですね。
で、なんかその時に、
なんか、
どうしたら、
でもなんか若手の、
私の周りの、
5人とか、
他潜在的に、
それを抱えている人もいるかもしれないですけど、
少なくともその、
私の周りにいる若手は、
そういうことを思っているのに、
なんかなんでそれが、
なんか伝わらないんだろうみたいな、
ことをすっごい思ってて、
でなんか私は、
まあそれがもうないのが、
ビジョンとかがないのが、
もう別になくてよいでしょっていう規範が、
それが規範として、
あるとして、社会、会社の中で、
あるとして、
でも私は、それに対して、
自分はでもこう思うから、
このなんか自分の規範を、
規範の方を、
そう思う自分の、
こう考えるのを大事にしたいとか、
そういう気持ちがあって、
でもなんかそこで今バッティングしてたんですよ。
でなんかどうしたらいいんだろうみたいな、
ことを思ってて、
でなんかこれが良かったのが、
結果的に、私はなんかそれで、
ずっと、もうなんか、
2年目とかから、今の5年目に至るまで、
ずっとなんかそれを、
なんかもやもやしてて、
でもなんか、ついこの間、
その会社の中で、
1回なんかこれを、もう、
なんか抜本的に見直そうみたいな、
動きになったんですよ。
で、なんかその社長と、
社長以下、
部門長まで、
がなんかチーム組んで、
1回なんかその自分の会社の、
魅力とかを洗い出して、
その言葉に、
できる形にしようみたいな、
っていうのもなんか1個、
立ち上がったんですよ。だからなんか、
それはそれでまあ良かったんですけど、
その時に、これはなんか結果論として、
まあ良かったんですよ。だからそうなったから良かったけど、
なんかその、
なんか思ってることを、
どうやったら、
なんか伝えられるんだろうってのは、
めっちゃもう、
本当もうつらかったっていうか、
うちうちしてました。
問題形成の重要性
いやまあ面白い話です。
それが、
どういうきっかけで立ち上がったのかは、
結構重要な気がするけれど、
それはたぶんポルモさんから見えないんだろうと思うけど。
それはわかんないですけど。
まあだからその話は、
もう本当にその通りっていうか、
たぶん日本全国いろんなところで起きてる話なんだと、
思うっていうのは僕の感覚で、
それに対して僕が1個言えるのは、
やっぱり、
なんか前に
ノートにちょっと難しく書いたことに近いんですけど、
やっぱりだからなんかこうね、
問題が起きないと、
みんな動かないんですよ、
組織っていうの。
そのビジョンの話だったら、
ビジョンがないことによって、
具体的に目に見える形、みんなが合意できる形での問題が起きないと、
絶対人動かないんですよ。
絶対人動かないんですよ。
って僕はもう思っている。
へー。
そのビジョンがないことで、
採用人数が激減しましたとか、
採用人数が減って、
その理由はビジョンがないからですみたいのが、
もう可視化されるとかね。
だからそういうことすら、
起きないと、
たぶん動けなくて、
その例えばなんか、
さっきの話を僕が勝手に推察すると、
まあでもビジョンがないから、
ビジョンがないですとか、
ちょっとなんかボヤボヤしてるんです、
みたいな話なのかなと。
テオの若手が感じてたのかなと思うんですけど、
そのレベルだと伝わらない。
結局それが、
どの程度の影響があるのかみたいな。
人によっては、
ポムさんは多分違うと思うけど、
物事をでかく見せようとする人もいるから、
別に大したこともないのに、
ワーキャー騒いでるやつもいるから、
そういうのとか、
ポムさんがそういう風に思われてるわけじゃなくて、
ポムさんがそういう風に思われてるわけじゃないと思うけど、
そういうのとかを踏まえると、
結局やっぱり、
いろんな人がいる中で、
そういうものをちゃんと
前に進めていくためには、
問題を起こさないとダメなんだなっていうのは、
僕の最近の
気持ち。
だから、
それが致命傷だとまずいんだけど、
致命傷にならない形での問題を
うまく起こすっていう、
能力が必要なんだろうなって、
必要なんだろうなって、
ずっと思って。
え、そうなんだ。
ちょっとそれ私全然、
思いも及ばないところなんですけど、
そうなんだ。
でも、
それってなんか、
うまくやれるんですかね。
いや、わかんない。
それうまくやれるのかは、
わからないけど、
結局部門長レベルとかになってくると、
はっきり言って、
もっと他にやるべきことがあるっていう、
そういう優先順位の
判断なんだと思うんですよね。
となったら、
優先順位上げてもらうには、
問題を起こすしかない。
炎上プロジェクトと同じ話で、
あの、
このプロジェクトは明らかにおかしいけど、
自分が頑張ってどうにかするのか、
明らかにおかしいということを、
実際に炎上という形で見せて、
改善させるのかっていう、
わかりやすければそういう話だと思っていて。
そういうことですよね。
ただその、
課題形成っていうと、
ちょっと固く苦しい気がするけど、
そういうことは、
でも若手が5人なんだとしたら、
5人じゃダメなんだったら10人にする、
50人にする、100人にする、
そんな人はいるかわからないけど、
ビジョンの浸透とその課題
そういうこと?
デモとかもそういうことだと思うんですよね、結局。
そういうことじゃないと、
やっぱ人って動かないよねっていう、
そういうことなのかなって思いますけど。
結局なんかその、
定量的なところでしか判断されてないっていうのは、
もう事実として、
あるんだと思うんですけど、
なんか私がなんかそこで、
希望を捨てたくないなって思うのは、
今ちょっとこの、
世界のエリートをなぜ美意識を鍛えるのかっていうのを、
読んでるからでもあると思うんですけど、
これで言ってるのがその経営におけるアートとサイエンスで、
今そのサイエンスの、
これ2017年ですけど、
2017年においても、
サイエンスの割合が大きいって、
合理的な判断とか、
自主的な判断の方が、
それによる定量的な成果の方が、
重視される。
だから、
そうじゃなくて、
アートを取り入れようっていう、
アートの考えを取り入れようっていう、
それを推奨してる本なんですけど、
結局なんか今のその、
失敗させるっていうのも、
定量的に見せることで、
それを認識させる。
それがなんか軸になっちゃってるから、
そうじゃなくて、
失敗させた後で、
なんかその、
それをなんかその、
過去を回収する形で、
どういう風にいけばいいかって、
考える人じゃなくて、
もっとそのなんか、
未来を見据えて、
こういう風に、
していかないといけないっていうのを、
私のこれはすごいなんかもう、
理想論かもしれないけど、
そういう人が増えてほしいっていう、
みたいなのは、
これは私があれですよまだ、
本当に未熟なんですよっていうのは、
分かってる。
でもおっしゃる通りだと思いますよ。
今聞いたのは2つ言いたいことがあって、
僕が今さっき言った話を、
定量ということまでくくってほしくないなと、
思いました。
おっしゃる通りだと思うんですけど、
例えば、さっきの話は、
別に僕はあえて、
わかりやすく定量の話に持っていっただけで、
もうちょっと違う話にも持っていけるはずで、
例えばポンさんが、
社長に直談判して、
それこそ切れたっていうのは、
多分問題になるはずなんですよ。
でもそれは一つの、
若手がそこまでしなければならない、
切迫感を感じてるんだっていう問題になりうる可能性は、
決めてると思うんですね。
とか、
なんかその、
あくまでも定量は分かりやすいんだけど、
それ以外のルートがないかというと、
そういうわけではないんじゃないかなと思う。
そういう可能性も、
しょうごさんの中にはちゃんとある。
そうそう。
さっき前のエピソードで話した、
パフォーマティブに切れるみたいな話は、
これに本当に近い話だと思うんですよね。
それもすらも定量とくることもできるんだけど、
なんかそういう話があるなっていうのは、
もしくは、
それこそ、
例えば、
社長にそういうことを、
結局トップが分かってないと、
難しいっていうのはあるんだと思うから、
トップに分かってもらうために、
研修をするとか、
あるのかもしれないですね。
だからそれは、
そういう名目で言ったら通らないかもしれないけど、
もっと違う名目で、
やっぱり今、
サイエンスって、
最近美意識って来てるじゃないですか、
みたいな企画が、
通るのか知らないけど、
そういうロジックをうまく組み立てられれば、
そういう話を持って、
社長側がそれを理解、
面白いと思ってもらえれば、
社長こないだこんな話ありましたね、
それに対して、
うちってビジョンどうっすかね、
その時代に合ってるんすかね、
確かになってなるのか、
分かんないけど、
ルートは、
考えれば色々あるんだと思うな、
会社員の倫理と美意識
っていうのが言いたかった、
1個目。
で、
もう1つ思ったのは、
だからみんな会社辞めて、
起業するんだと思う、ただそれだけ。
結局やっぱり、
人に分かってもらうっていうのも本当に難しいから、
結局自分でやるしかない、
っていう結論に至ることの方が多いと思うんですよ。
そっか、
それを得て、
起業してるのか起業したい人は、
でもそうですよね。
別に100%そうだと思わないけど、
やっぱりそういう、
大企業とかで、
優秀な人がよく辞めるみたいな言説もあって、
それが事実かどうか置いとくとして、
もしそういうことがあるんだとしたら、
やっぱり自分の上に、
なんか回想がいっぱいあって、
結局自分が思ってることが、
なかなか伝わらないっていう現状の中で、
それでもやりたいことがあるんだったら、
もう辞めて、自分で会社を起こすしかないねっていう、
そういうことなんだと思うし、
それが別に良いことなのか悪いことなのか、
なかなか難しいと思うから、
会社としてもね、
なんか別に、
会社としても、結局本音は、
言うことを聞いて、
自分たちの言うことを、
聞いてくれるイエスマンの方が、
使いやすいのは確実なわけで、
やっぱりそれに対して、
あまりにも強く意義を申し立てるような人は、
邪魔だよねっていう、
考え方もあると思うんで、
それだったら辞めてもらったほうが、
ウィンウィンだねみたいな話は、
普通にあるはずなんだ。
とかね、
っていうのを聞いていて思いました。
ぽんさんも、
会社を起こすので、
でもね、
そこまでのね、
言動力とかもあるから、
そうなんですよ。
だから会社は普通にやってる。
そうなんですよ。
だから、
そういうことなんだと思いますよ。
あえて、
例は人民主義みたいなのに、
これなんだと思います。
僕からすれば。
会社員みたいな人が、
どうやって、
社会姿を実現していくか、
みたいなのを、
やっぱちょっと、
すごく悩んでるっていう実態は、
きっとあって、
それの一つのつがりどころが、
そういうものなんじゃないかなと、
僕は見てます。
起業のモチベーション
そうですね。
はい、ちょっと、
全然最初のピーとは全然違う話になったんですけど、
面白かったです。
良かったです。
いいですか?
はい。
ということで、いろいろと脱線しましたが、
今回はここまでです。
ヨハチュールではディスコードにて、
2人の放送後の感想を書いていたり、
リストの中に出てきた参考リンクを載せてたりするので、
ぜひお気軽に覗いてみてください。
お好きな場所であなたの感想を聞けると嬉しいです。
Xではハッシュタグはひらがなヨハチュール、
Googleホームでもお問い合わせも募集しています。
ディスコードとも合わせて概要欄にURLを記載していますので、
ぜひお待ちしています。
ソティファーの方はコメント欄でもお待ちしています。
美意識。
美意識とか、
美術館とかみんな、
美術館とかそういうものが一体、
どういう人たちがどういう時に行くのかとか、
正直よくわかんないんで、
こういう時に行きますとか、
行かないですとかあれば
聞いてみたいなと思いました。
聞きたいですね、本当。
何に美を感じるのかとか、
いつ何かそういう気持ちを持ったのか、
いつ何かその美を感じる心を持ったのかとか、
そういう話聞いてみたいです。
はい、じゃあぜひお願いします。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひお会いしましょう。さよなら。
ありがとうございます。
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