はい、始まりました。余白のエクリチュール、略してよはちゅる。
今回のテーマは、キレるについて語ろうです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
はい。
キレる。
キレるですね。
これは、私がテーマとして持ってきたんですけど、ちょっとこのテーマ、なんで持ってきたかっていうと、
しょうごさんが、たびたびこのよはちゅるで、私に対してキレてほしいってことを言ってます。
で、それが、私にとってですね。
で、それがね、私がそれを聞いた時に思ったのが、私はなんかキレれないんじゃないかって思って、
自分の今のキレるっていう認識があるんですけど、キレるに対しての。
その認識を書き換えない限り、私ってなんかキレれないんじゃないかなっていうことを思いました。
なので、そのキレるっていうのが、自分にとって何なのかとか、しょうごさんにとって何なのかっていうのを聞きたいなって思って、
このテーマを持ってきました。
なるほど。
はい。で、ちょっと早速なんですけども、私にとってのキレるっていうのが何なのかっていうのを、ちょっと先に話したいんですけど、
私にとってのキレるっていうのは、ただただ怒るとかじゃなくて、
その先の、相手の関与を引き受けるとか、相手との関係を更新するっていう手段としてのキレるっていうのがあるんですよ。
うん。
で、自分がキレるっていうときに、自分の皮膚感覚とか身体感覚でのキレるから、理性を共有して、
それを何かしらの声にしたり、態度にしたり、変換したりっていうのがあると思うんですけど、
それが、私が結構、私は人がどうかはわかんないんですけど、
なんか微細なキレっていうのが無数にあって、それが皮膚の下で動いてる感覚があるんですけど、
それを出すかどうかっていうのは、人によるし、場合によるし、出さないことのほうがすごく多いんですよね。
うん。
なので、そのキレるっていうのを、じゃあキレてって言われて、キレるっていうのは難しいんですよ。
まあ、そうですよね。
はい。
はい。
それ結構、なんか理性とか自分のなんか倫理的な価値判断で、それを抑えてるっていう自覚はあるので、それは難しいなっていうのを思ってます。
で、えーと、まあその、しょうごさん的に、なんか私がそのなんかキレるっていうのは、
その、何がその私のそのキレを表出させるのを阻害してるかっていうと、
そのキレ、微細なキレがあったときに、それはなんかまあ3段階くらいあると思ってて、その微細なキレがまず1段階目にあります。
で、その後にその、なんだろうな、
それに対して、その人の、あの、言動の背景とか意図とか理由とかを考えて、
で、その、その過程で、あの、え、それをなんか考えてたら、それが考えるのがまあ2段階目だとして、
だから2.5段階目くらいに、それを考えてたときに、自己を変えりみるっていうのが同時にあって、
あ、じゃあこれってなんか私の方がおかしいんじゃないかみたいな、私がなんかそういうふうに思う方がおかしいのか。
で、その結果、人それぞれだよね、仕方ないよねって、が3段階目にきて、結局なんか何も出さないっていうのが、私はすっごくあるんですよ。
まずね、それがしょうごさん的にはあるのかどうかっていうのを聞いてみたいなって思ってます。
なるほどね。ちょっと待ってくださいね。難しいなあ。
あの、いや、なんかね、すごい、めっちゃまず面白いなと思って聞いてるんですけど、どうしようかなあ。
んーと、ま、まず、ちょっと大前提、僕がじゃあキレるについて思ってることをシンプルに話すと、
たぶんそんなにずれてないなと思ったんですけど、まだ大きく2つに分けるとすると、いわゆるキレるは、なんかもう本当に感情的にキレるっていう話と、
少しパフォーマティブにキレるっていう話があると思ってるんですよね。
うん、パフォーマティブに。
感情的な方は本当に何も考えず、ただただキレるみたいな話と、パフォーマティブな方はどっちかというと、たぶんさっきポムさんが言ってくれたことに近い気がするんですけど、
何らかその先を見据えた上でキレる。今この場でキレた方が、ちょっと仕事をイメージしていえば、
例えば定裁的に、今ここでキレとかないとこっちのメンツが立たないみたいなケースもあると思うんですよ。
特に上の立場とかになると。そういう時とかのキレるみたいなものもあるなと思っていて、
どっちかと言えばポムさんに期待しているのは前者の、前者というか、ごめんパフォーマティブな方を期待をしているっていうのが言った僕のコメントですと。
それに対して確かにポムさんが言って。
違わない。
そうなんだ。そこはじゃあそうだとして、ただちょっと今そこからまたちょっと違う話をしてくれたなという感覚があり、
ただその微細なキレみたいな話は結構面白いなと思って今聞いてました。あんまりその感覚は僕にはなかった。
しょうこさんが微細なキレを抱くって感覚がないってこと?
直感的にはそう思ったんですけど、聞きながら考えていたのは、その微細なキレというのを、振り返り会とかでも話しましたけど、
それを違和感という言葉に言い換えられるのだとすると、それは多分結構あるなって気がするんですけど。
そうなんですよ。私もそれ考えてて、これってその微細なキレイコール違和感のことだなって思ったんです。
やっぱそうなんだ。
そうなんです。それだとやっぱりいっぱいある。
でもなんかその違和感っていうのはやっぱり自分の中で閉じたものっていうか、それをなんか表出しないから、やっぱなんかそれがなんか判断ができなくて、
自分がおかしいのかみたいな。ずっと判断しないまま来たなみたいなことがあるんですよ、私の人生で。
だからなんか、自分がこれっておかしいのかっていうのが、よくわかんないみたいな。
それはまあそうでしょうね。それなりにあるんだろうな。
俺もあんのかな。なんかほんまわかんないんだよな。
なんかね、自分の場合はそこまでだからちゃんと考えてないのかもしれないけど、その微細なキレイに対して、そうね、違和感。
それをある種パフォーマティブに出す。出した方が良ければ出すっていうのは、そんなにそこから距離がない感じがする。
ですけど、さっきのぽんぽんさんの話聞いてると、ぽんぽんさんはその間に2段階ぐらいの何がしかがあり、結構そこの距離があるようには聞こえたかな。
そうですね。それがあることで、それを出すことが阻かられるみたいな。
この前なんかその、なんか違和感を表明するように筋肉が発達してないみたいな話をしたんですけど、
それはそうですね。それもありつつ、私はもうちょっとそっちの人の言動背景とかを想像して考えるから、それによってその違和感が減衰していくみたいな。
あ、違和感が減衰していくじゃないな。それは違うな。
違和感は残ったまま、なんか自分を顧みることで、なんか自分の、なんかちょっとそれに対して、なんかその表出するってことがなくなるなみたいなのは思ってはいる。
自分を顧みるっていうところがちょっと引っかかってるんですけど、それをもう少し言うとどういうことになります?
なんかその、ずれっていうのがめちゃくちゃあるとありますね、その人と人の間のずれはめちゃくちゃあって、
で、なんかそれを、ずれたことをずれだねっていちいち表明しないとかの方が幸せだなって思うときもすっごくあるんですよ。
だから、なんかそれで、なんか自分がなんか合わないなとか、なんか違う、それなんか違うのではって思ったことを、
でもそのなんかずれをそのまま抱えておくでも良いんですけど、なんかその、なんだろうな、そのたぶんずれを補正、ずれをなんか補正しちゃうっていうか、
なんかその、そのなんか意識が働くのかなって思ってて、なんかだから、だからなんか相手が悪いとかなんか違うとかじゃなくて、
自分にもなんか違うところがあるんじゃないかみたいなっていうのを、なんかそのずれの補正として使うっていうのもあるし、
なんかそもそも私が自分を顧みるっていう作業がめっちゃ好きっていうのはあって、それでやってるっていうのはあります。
うーんと、うーんと、そうだな、なんかそのずれを補正するみたいな話はまあわかるというか、
それがなんだろうな、そこにあるのは前提としてずれてない方が良いっていう話なのかなと聞いていて思いました。
そうそうですね、なんかずれ、なんかそれってなんだろうな、自分が、えっと私、そもそもその人のその価値観とかっていうのは、
社会的に規定されたモノプラと、その自分が実行で内面的に持ってる価値観っていうのは違っていて、
でもそれをなんか同時に持ってるのが人間だと思ってるんですよね。
で、それがその私は、そのどっちかというと社会的な規範としてずれない方がいいっていうのを持ってるって思ってます。
で、でもこの個人の私としては、いやずれも面白いじゃんとかはもちろん思ってるっていう、なんかその2つがあるっていう感じですね。
そうか、なんかもう少し、もう一面深掘りたかったんだけどここ深掘っちゃうと、
おっしゃる通り社会的な規範としてずれてない方がいいはその通りだと思うんだが、
僕の感覚的には、だからこそそのずれをパフォーマティブに出した方がいいケースっていうのもなんか結構増えているような気がしていて、
だからこそ自分はそういうことを意図的にやるケースも、まあなきにしもあらずなんですけど、
なんかそこら辺の感覚は何かあったりしますか?
えっとそのずれをパフォーマティブに出すっていうのが、私が最初に言った切れるっていうのが人によって違うっていうところにつながるんですけど、
それが、というのとその関係を更新するっていうのを一緒に言ったんですけど、それにつながってきてて、
パフォーマティブに切れるっていうのをやるのは、私は仲のいい人とか、これからもその関係を続けていきたい人に対してはそれをやるんですよね。
で、そうじゃない人にはもうしないっていうのをやってて、それが、そのものをちょっといろいろ考えたんですけど、
えっとその、私がなんか違うとか、それなんかおかしいんじゃないっていうことを、仲のいい人に対してはすぐ言ってこうしてほしいとか、
で、そしたらそれがなんか今までのその経験上、それがそのよりその関係が更新されたな、更新につながったなっていうのがきっかけとしてあったっていうのはあって。
なので、それは、自分の中ではそれを言うことにしてる。
で、でもその仲良くない人に対しては、もうこれでいいんだって思って、で、なんかそのキレが沈殿していって、
で、なかなかだからこそ、なんかもうそのキレの沈殿が自分の給与量を超えたときに、もう距離を置くっていうのが、で、なんかもうその距離が離れたままみたいなのがすごい人生であったんですよね。
で、なんかその私がそのパフォーマティブにすらもうキレれないって、キレないって人は、なんかその自分がそれ、あなたに対してこれが嫌だって伝えることこそ、伝えることすらもなんか自分の弱みになるとか、
なんかその間違ってるよっていうのを、これ本当に嫌いな人に対してなんですけど、間違ってるとかその伝えて、相手がそれをなんか私の言葉をきっかけに、
それを顧みて成長する機会すら与えたくないとか、そういうなんかリソースを割きたくないみたいなことを思っちゃうんですよ。
だから、なんかそのパフォーマティブにキレるっていうのは結構人によりまして、その関係性をこの人とは更新したいとか、でももうなんかもうその私とはもう関係ないから、もう別にこの人にはそういうこと言わないでいいみたいなことを思う。
それは全然違和感ない。
自分の考えを更新するためにもその違和感っていうのを表明したいという気持ちはすっごくあります。
なるほどね、それはめっちゃ面白いっていうか、僕もなんかそんなことイメージしながら今話してたんですけど、
やっぱり環境っていうか、今この収録は妹を顔出しなしでやってるわけですけど、
それの状態でやるのはむずいですよね。
一方でじゃあその状態でやれるやり方はあるのかとか、どうしたらできるのかみたいなことは興味がある。
そう、それを考えたいなって、この場を実験の場として考えてるなってのはすっごいあって、そうなんですよね。
だからそれはなんだろうな、なんかその話を単純になんか話す回数とか時間を重ねていければいいようなのか、
もしくはなんかどこかでそれをなんか超える、なんだろうな、その時間とか、それをなんか飛び越えるような話ができた時にいいと思えるのかわかんないですね。難しいな。
いやーなんかやっぱり、ちょっと全然あえて違う話をしてみるんですけど、
なんか直近テキスト読んでて、インタビュー記事だったんですよ。
で、ちょっと詳細はあえて省くんですけど、なんかまあおそらくちょっと少し著者に対して、著者っていうかインタビュー、インタビューを受ける人に対して、
少し突っ込んだ問いをかける、たたすっていうことを裏テーマに置いているであろうようなインタビューで、結構突っ込んだ質問がされていた。
インタビューってまあ、絵として結構、アーティストのインタビューとかだと決まりきった質問だけして終わってるケースとかあるから、読んでもあんまり面白くねえなみたいなこと思うケースもあるんだけど、
まあまあそういうのとはちょっと違ったものを狙ったんだろうと、勝手に推察したインタビューがあって、
ただね、やっぱりね、それを、そういうのを、内容的には多分そこそこ面白いんだと思ったんですよ。
なんかやっぱり、ちょっと他では出てないようなニュアンスが出てたりもしていたんだけど、やっぱね、それをテキストで読んでもなんか違えなって思っちゃったんだよね。
で、やっぱりなんかその、
っていうのは、
その中でも、結局だからそこで、そこで多分狙ってるものって、その普通の、なんていうか、質問で出てくるありきたりな答えとかじゃなくて、
ちょっと意外な回答だったりだとか、ちょっとその、なんだろうな、ニュアンスがすごく重要な話なんだと思うんですけど、
結局テキストに落としたときに、そのニュアンスってほとんどそぎ落とされるから、やっぱね、なんかその、そこがすごく平面的で、すごくもったいないなと思っちゃったんですよね。
で、結局多分これが、ポッドキャストなり、多分動画だと、多分全然違う見え方をする。
なんか前に、だいぶ前に、なんかの、なんか、ポッドキャストの収録をそのままテキスト化した記事を読んで、なんか全然面白くないなみたいな話をなんかした気もするんですけど、
やっぱなんかそういうものを感じて、やっぱなんかそのニュアンスみたいのをどう表現するかみたいな話と、トークでつながっている話な気がしていて、
でも何が言いたいかというと、やっぱり結局テキストよりも、そのリモートの音声なんかよりも、結局対面のリアルタイムのその場っていうものの方が情報量が多いのは確実なんで、
やっぱなんかそこを、なんかそれで同じような土俵で多分戦うとダメだなって感じがすごいするんだよなーみたいな。
めっちゃわかります。そうなんだよな。
結局対面では多分できるんだとしたら、それと同じやり方をこのリモートでやろうとしても多分うまくいかなくて、なんかそこに別の軸を、要素を入れないとうまくいかないんだろうと思うんだけど、
それは面白い話ですね。
だけど、まあでもなんかわかんないなって思ってる。
わかんないんですよね。そうなんですよ。わかんないところをすごいなんか後悔してるイメージが私はすっごいあります。
後悔してる?
後悔、あれですよ。海をですよ。
あーそういうことね。そっちね。そういうことね。なるほど、理解した。
これはね、多分あれと、ちょっと今パッと思い出した、なんか団地でトークイベントに関するやつをやってたらしくて、まだ聞いてないんですけど、多分それも近い話なんだと思うんですよ、やっぱりなんか。
ちょちょっとレイヤーは違うけど、やっぱりだからどうやってその人と人との会話の中での、なんだろうな。
ここで言うキキレみたいなものをどう生み出すのかみたいなものを、設計みたいなのってやっぱりすげえむずいなって思うっていう感じ。
本当そうですね。団地の中で、内沼さんのやってる本屋ビー&ビーっていうのが、毎日のようにイベントをやってて、
そう、でも内沼さんもわかんないって言ってたんですよ。
だからもう内沼さんがわかんないなら、本当は難しいんだろうなって思って、もうわかんない領域なんだろうなって思いますね。
これはね、ここで話してても何にも到達しなそうな、すげえでかい話題なんで、あれなんですけど。
もう一個だけ僕がずっといいかなっていうのが、この話、どこまで遡るか記憶にないんですけど、この話の流れにどっちに行くか迷ったんですけど、
もう一個たぶんぽんさんが結局、自分を変えりみるみたいなことを何とか言ってると思うんですけど、
それがずっとピンときてなくて、自分を変えりみるっていうのは、どういうあれなんだろう。
これは私がこういうことを言ったらどう思うであろうかとか、私はこんなことを言える立場であるのだろうかみたいな、そういうことを言ってるんですかね。
それともうちょっと違う何がしかがありますか。
そこに対して、確かに自分がこれ言っていいのだろうかとか、そういうのもあるんですけど、
それにプラスして、なんだろうな、例えばね、私が微細な気を感じるっていうのが、相手が時間を守らないとか、
自分が言ったことを後輩に対してとかの時に指示通りにしてないとか、そういうのとか、あと想像力ない人とかに対して、
そのなんかキレを感じる時に、そもそもなんかその人に余裕がないから、そういうふうなことになっちゃったんだよなとか、この人の持ってる価値観によってこういうふうな行動になったんだろうなとか、
そういうことに思いを馳せてしまって、でそのなんか、そういうことをなんか帰り見ずに、その相手にも何かしらの事情があったからそうなってるかもしれないのに、
そういうことを帰り、なんか見ずに、自分がなんかただ、その、なんかそれは相手がおかしいよって思っちゃう、なんか自分に対して、なんかそれって、なんか自分の方が相手のことを考えられてなかったんじゃないかみたいなことを思っちゃうみたいなこと。
おだしょー なるほどね。いや、めっちゃ興味深いなと思って聞いていたんですけど、まず思ってですね、あのミサイナキレとして出てきた例が、僕のミサイナキレと全然違ったっていうのはめっちゃ面白かったんですけど。
おだしょー それ、ミサイナキレなんだ、それ。
おだしょー いやなんか、多分今のケースは、おっしゃることはめちゃくちゃわかるし、多分僕もめっちゃ考えてるんですよ。ただでもそれね、俺の場合ミサイナキレにすらなってないな、多分。
おだしょー もうね、全自動的に、全自動的にそういう、まあそれは、こういう、この人はこういうことをするんだねっていうファクトとして積み重ねられ、で、もうなんかその、僕のイメージする全体感の中で、まあ例えば遅刻してくるみたいな人なんだとしたら、この人はもう遅刻してくるから、それを前提とした何かしらの設計図に組み込まれるみたいなのが結構全自動的に走るから、
なんかね、そこに対して思考の余地がないかもしれない。
おだしょー ああ、なるほど。その人はもうそういう人なんだっていうのを、もう形作るための、で、これからそういう人だからこういうふうに判断しようっていう基準にするってことですね、それを。
おだしょー そう、なんかそうね、そこを思いを馳せるとかまでは、まああんまりいかないかな。まあよほどのことだったらあれだけど。
大平 それってもうなんか人生でずっとそうなんですか。私もなんかその、しょうごさんぐらいになると、そういうふうに、もうなんか割り切って考えるようになるのかな。
おだしょー いやあ、どうだろうなあ、どうだろうなあ、ちょっと待って。
大平 これって性格なのか、なんか今までのもうなんか人生経験なのか。
おだしょー いやあ、難しいなあ、どっちなんだろうなあ、ちょっとでも思い出せないなあ、どうだったんだろうなあ。
おだしょー まあ両方ある気はするんですけど、まあだから結局、なんか何回か話してると思いますけど、そのだから、僕の中で結構大きな経験だったのは3年目か4年目ぐらいに、
人ってもう分かり合えないんだなって仕事の中で思ったときの話は結構多分大きくて、逆に言うとそれまでは人っていうのは比較的分かり合えるものであるみたいなことを多分無意識的に思っていたから、
もしかしたらちょっと多分違う考え方をしていた気がするんですけど、今みたいな話があったときになんか遅れてきたのであれば、普通遅れないよねと。
だから遅れてきたってことは、なんかすごく何かがあって、しかもその遅れることも事前に言えないぐらいの重大な何かがありみたいなことを考えていたのかもしれないけど、
そこら辺は境に、ああまあそういう人もいるよねみたいなふうに思うようになったから、こうなってるのかもしれない。
なるほど、そういう。
さっきの問いにストレートに答えると、確かに経験なのかもしれないね。積み重ねていろんな人と会っていくと、そうなるのかもねって感じはするね。
そっか、自分にとってもうなんかめちゃくちゃ、そういう人もいて本当に理解しないんだっていう経験があると、諦めのモードでそれに対してどう対処していくかっていうモードに切り替わるときが来るのかもしれない。
うん、そうね。
なんだろうな。
聞いていて諦めって言葉でいいのかわかんないけど、やっぱりそうなんだなって思ってきたっていう感じ。人間社会って。
僕からすれば打ち合わせに1分でも遅れることは良くないことであり、遅れてきたらめっちゃごめんなさいっていう気持ちで来るのが基本、それが常識と思っているのが根幹にあるんですけど、
世の中8割ぐらいの人は多分そんなこと思ってなくて、1分ぐらい遅刻しても別に普通だよねっていう。
全然前が押したんでみたいな、いやそんな全然理由になってねえんだなみたいなことは全然思うんだけど。
え、前が押したのも理由にならないんですか?しょうがさんの中で。
いや、押すって言ってくれって思う。こっちは待ってるんだからっていう、そうそうそう。
それが当たり前かのようになさられると、なんか一芸だろってめっちゃ思う感じ。
なるほどね。
そっか。うん、そうだな。
それがなんか私の中では、そういうふうに、この人こういう人だねって思う時もあるけど、やっぱなんかそうじゃない人に対しては、どこかで希望を持ってるみたいな、そういうところがあるのかもしれない。
その中の良い人とか。
まあ、そりゃそうでしょうね。
希望ね、だからそこら辺も分かんなくなってきたなっていう感じがするな、やっぱり。
え、そうなんですか?
え、それはもう希望を持ってなくなる?
やっぱり人、ほんとに人と人って全然違えなっていう、最近はすごいすごい思ってる。
だから、接種してるものが違いすぎる。
ここで話したかな、年末ぐらいに高校の同級生、大体年一ぐらいで会う高校の同級生がいるんですけど、
それらは高校までずっと地元で、僕はちょっと都市の方に出ましたけど、私たちはずっと地元で、小島もずっと地元にしていて、家も地元で建てて子供を産んでみたいな人生を歩んでいる人たちと話した時に、
たまたま本屋、時間が余ったんで、本屋をぶらぶらしてたら、売れてるランキング上位に国宝の小説がありましたと。
で、僕からすれば、国宝なんていうのは、みんなが知っていて当たり前ぐらいに思っているわけですが、
それらはそれを見て、こういうのが人気なんだみたいなことを言ってたり、なんかこれ初めて見たわみたいな、なんかすごい映画売ってるんだみたいなことを言っていて、
マジかって思ったっていう、ここには国宝も届かないのかと、マジで知らなかったみたいなんで、
そうか、国宝って実写映画1位なんだけどみたいなことを言っても、そうなんだみたいな、もう全然ピンときてないみたいな、もう全然違うわけですよ、摂取しているものが。
みたいなことを見ると、やっぱり本当にそういうもんなんだなみたいな、自分が思っていることと同じであることの方が少ないみたいな、自分が思っている通りになることの方が少ないぐらいに最近は思っているから、
諦めとかともちょっと違うんだけど、そういうもんなんだなって最近ずっと思っている感じはあります。
なんか今それを聞いて思ったのが、私はそれが辛いから、そういうふうに思うのが辛いから、自分の周りを、自分が摂取しているものが同じみたいな人で固めたいなっていうのがすごいあって、
そういう人を選んで付き合ってるっていうのがすっごいあるなっていうのは、めっちゃ思いました。
普通そうなんじゃないですか、普通そうっていうか、多分そうなんだけど、僕もそういう側面は絶対あるけど、何ていうか階級みたいな話にでかく話を広げても、そういうことなんだと思うんですよ。
不裕層は不裕層と付き合うっていう、そういうのは、それはそうで、とはいえねみたいな。
そうか、だからこそ私はまだ、周りの人たちに希望を感じるっていうのはめっちゃあるのかもしれない。それはそれででも私の表示として持ってるから。
別に悪いと思わないし、むしろいいことなんだと思いますよ。そうでないと多分何かが変わる、何も変わるきっかけが持てないみたいなのがある気はしていて。
そうなんだよな。
仮に僕がさっきのちょっと仕事的な話にちょっと話を戻すと、仮に僕が経営者なんだったら、自動的に遅刻してきて、こいつはこういうやつなんだって思って、じゃあ次からそれをそうしようってしたらダメなんだと思うんですよ。
お前何遅れてきてんのみたいな話をして、そんな当たり前的にそんなことすんなよみたいなこととか、多分言わないとダメなんだろうと思うんですよね。
会社という組織の文化を作っていくのであれとかは思うけど、別に俺そこまでする義理ねえしみたいなね、とか思ってるからそこまでしないみたいなのはあるかも。
それはありますね。人に対してそこまでする義理があるのかっていうのを、それはあります、あると思います、わかる。
それがなんか自分の、自分の規範もそうだし、なんか自分が与えられた役割に対してそれをやる義理はないとか。
なんかその自分が持ってる、確かにそのパフォーマティブっていうのは、なんか自分の倫理的な規範もあるし、そうじゃなくて役割的なところもある。
そっか、それが私は今平社員だから全然そういうのもよくわかんないけど、そういうのはもしかしたらこれからわかるようになるかもしれないな。
どうなったらどうなるかわかんないけど、でもいろんな役割を持ってると、その中でここは許しちゃいけないんだなみたいなとこはあるんだろうと思うんだよね。
なんとなく。
それは子供とかもそうだかもしれないし、子供に対してこれは自分ができてないことかもしれないけど、実は子供に対してはこれ言わなきゃいけないよねみたいな話も絶対あったりする。
それはあるでしょうね。
そこでは叱るっていうことかもしれないけど、でもまあキレと似てるよねみたいなこともあるかもしれない。
いやー、あると思いますね。
ちょっとこの話はね、なんかちょっと結論が出ないままですけど、別になんか出なくて全然いいんですけど、
なんか自分の中ではこう、なんだろうな、キレルの話からこのポッドキャストにおいてそのキレルってどうしていったらいいんだろうかっていう話を、
まあちょっとそれはわかんないんですけど、それがまあ一個共有できたのは良かったなって思ってます。
僕からのリクエストとして、なんかねすごい不自然でもいいからパフォーマティブにキレみたいなのが出るんだったらなんか出してみてもいいかも気がしますけどね。