1. 余白のエクリチュール
  2. 日記の効用とは?記録と忘却の..
2025-10-17 47:50

日記の効用とは?記録と忘却の装置

#23 / 日記は流行っている気がする / 内沼さんとか三宅さんの日記推し感が強い / コロナ禍以降から勢いがある? / 日記が2種類ある? / 自分用のアナログ日記と交換日記 / 交換日記が人格形成に影響した? / ハロプロのメンバーになりきって書かれた日記? / 「ジャーナル」はおすすめしない / 日記を書ける人の気持ちがわからない / 日記には辛い気持ちを抱えながら具体を書く派 / どういう時に見返す? / 書き殴ることでのストレス発散 / 日記はテキストの書き方が普段と違う / 具体で書き残すことに意味はある? / SNSは日記とは少し違う? / 「世の中の解像度を上げたいから、日記を書きたい」 / 交換日記と手紙の違いは? / 「いろんなことを忘れた方が良いのでは?」 / 日記は外部記憶媒体? / Xでも日記が流行っている気がする? / 一般人の動画配信サービスも流行っている / 日記から感じる”本当”っぽい手触り / 写真が結構普通に好きじゃない / 思い出にはモノが必要? / 男性のエッセイ好きってあまりいない? / エッセイってそもそもどういうの? / エッセイ的なものがPodcastに寄っていっている?(そもそも今井さんのPodcastでそういう話をしていました:雑談の編集と男性エッセイスト不在の仮説 - 編集者のハイポシシス 14:42ぐらいから) / 字が汚い問題


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普通の会社員2人が様々なテーマの感想や解釈を交わしながら、埋まりきらない“分かり合えなさ”さえも楽しむ記録。

発信が溢れる時代だからこそ、“聴くこと”に価値を置く。まだお互いのこともよく知らない2人が、互いの余白に触れながら楽しむ対話を、あなたも。


▼クレジット

やぎしょーご Shogo Yagi @sho5_midday ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sho5_midday⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

𝑃𝑜𝑚𝑃𝑜𝑚 🍮@pompomreading ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/pompomreading⁠

サマリー

日記をテーマにしたこのエピソードでは、コロナ以降の日記の流行やストレス発散としての役割について語られています。内沼さんとしょうごさんはそれぞれの日記の書き方やその意味について深く掘り下げています。日記は自己理解を深めるための重要な手段として機能しています。参加者たちはアナログとデジタルの日記の違いや、具体的な出来事を記録することの意義について各自の経験を共有します。このエピソードでは、日記を書くことが人々の記憶や感情の整理にどのように役立つかを探求しています。また、日記やSNSがどのように生活の記録として機能し、共感を生み出す媒体となっているかについても言及されています。日記の効用について探り、思い出や記憶がどのように形作られるかに焦点を当てています。また、男性と女性のエッセイの違いや、エッセイとポッドキャストの関係についても考察されています。このエピソードでは、日記の効用や記録と忘却について掘り下げ、デジタル空間での記憶の扱いに関する考えが語られています。

日記の流行とコロナ
はい、始まりました。余白のエクリチュール、略して余白ちゅる。
この番組では、普通の会社員の2人が様々なテーマに対して、それぞれの感想や解釈をゆるく交わしながら、対応を深めていきます。
今回のテーマは、日記について語ろうです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
日記ね、日記。
日記ね。
僕が結構気になっている話題。
そうですね。それはあれですか、最近なんか日記が流行ってるかもよ、みたいな流れになってるから、ちょっと気になる。
うーん、そうですね。2つある気がしていて、1個はおっしゃる通り、この後出てくるかもしれないですけど、
内沼さんとか、ファンのお客さんって内沼さんとか、なんか日記、日記でしょってずっと言ってる気がするし、
まあなんか、三宅さんとかも日記書くといいよ、みたいなことは言ってる気がする。
っていうので、なんか最近やっぱね、日記書こうぜ、という圧をなんか感じるのが1個と、
もう1個は、でも同じようなもんかな、でもやっぱりコロナぐらいからやっぱり日記的な、やっぱなんかちょっとこう、
まあ1つのストレス発散なのかもしれないけど、ちゃんとこうなんか残しておいた方がいいよとか、そういう場があった方がいいよみたいな話はなんかあるような気がしていて、
まあそれらから日記はなんか、ずっと頭の片隅にある話だなという感じですかね。
異なる日記の取り組み
そうですね、外観私も同じですね、ちょっとコロナぐらいから書こうみたいな感じが出てきた気はするんですけど、
えっと、内沼さん、私は日記を結構書いてきた派なんですよ、もうずっと、中学の時から。
すごい、まじ?すごい。
はい、私2種類あって日記が、自分が書いてきてます。
そっから面白い。
面白いっていうか、1個は1人で自分でアナログで書く日記、で、もう1個は交換日記で友達と書く日記を書いてきたんですよ。
でも交換日記は、でもね、小学生ぐらいからやってて、で、今は、今もずっと続けてるってわけじゃないんですよ。
えっと、小学生の時に、なんかね、あのキャラクターの、なんかいろいろ交換日記のノートが出てたんですよ、こういう、もうフォーマットが決まってて、
なんか今日はきれいな文章とか、
そう、今日はなんか良かったこと悪かったことみたいな、フォーマット決まってるやつで、なんか3人ぐらいで回していくみたいな、そういうのもやってたり、
あとは、えっと、これね、この前ちょうど、たまたま私の友達と日記の話になって、
えっと、私が中学校の時に仲のいい友達2人と交換日記をしてたんですよ。
で、これは、えっと、全然、もうなんか、A4ノート、ただのA4ノートに書いていくってやつで、
それがね、私の結構、なんか、なんだろう、人格とまでは行かないけど、そういうなんか形成に結構なんか関わってきたんだっていうのをこの前気づいたんですよね。
すごい。
はい、で、結構それも面白くて、なんか私、ハロプロがすごい好きなんですけど、
友達がハロプロがすごい好きで、なんかその私が日記に関して何をしてたかっていうと、
その自分の日記を、そのハロプロのメンバーになりきって日記を書くってやつやってて、
はい、根的さすぎてわかんないんだけど、すげえなそれ。
なんか今日のこういうのあったこととか、なんかこういうことがあったみたいで、おすすめ曲これだよみたいななんか、日記だけどラジオ形式みたいになってて、
今日のおすすめのビッグチューニングみたいなことやってて、で、なんか面白いなって思ったのが、
なんかそのハロプロのメンバーに語らせるんですけど、自分のことを語るときに、そのなんか日記の日記に直接自分のことを書くんじゃなくて、
そのハロプロのメンバーが、この人からお便りが来ましたで、その人が自分なんですよ。
で、そのお便りが来たときに、そのハロプロのメンバーに自分のことを語らせるみたいな、
なんかちょっと一枚なんかそのハロプロのメンバーがお便りが来たときに、
多分でも直接自分のこと、今振り返るに、直接自分のことを書くのは、なんか中学生だったし、
ちょっとなんか、いや、あのやりづらいけど、そこでなんか一枚かわせることによって伝えていたのかなというふうに自分の気持ちを伝えていたのかなみたいなことを思いましたね。
日記の具体性とストレス発散
友達も同じようにそういうことしてて。
いや、めっちゃ面白いのだが、なんかいきなりすげえ話になったな。
なるほどな。
確かに。
いやいや、いいんだけど。
もうちょっとさ、比較面的な話をしましょう。
日記、僕はだから日記は、ちゃんとした日記は多分人生で一回も書いたことがないと思います。
アナログでってこと?
いや、アナログでもデジタルでも日記と自覚があるものは一個もないです。
で、一応なんか日記もどきみたいのはやってて、iPhoneでジャーナルっていうアプリがあると思っていて、
一応日記的なやつで、一日一回通知が来て、なんか書きましょうみたいなやつがあって、
それがiPhoneにおけるAI機能の活用が云々みたいなのを見て、
じゃあなんか一応使ってみるかと思って、一応それは使ってるけど、
ほとんど機能、日記としての役割は果たせてなくて、毎日なんか今日はクソだったとか、
そういうことだけを書いている謎のメモ帳、メモ帳でもなんでもないんだけど、
になってるっていうのが、Cって言うなら日記というレベルで。
そうなの?それ気になるんですけど、そこにAIがどう関わるんですか?
それはね、あまり面白くない話。
覚えてないんですけど、何だったかな、ちょっと覚えてないんですけど、
でもそこの情報、だからあれか、そのジャーナルは俺が行った場所とか、
そういうマップ情報を一日の通知の時に、今日ここ行きましたよとか出してくるんですよ。
あと写真とか、今日まだAIって言ったのか分かんないけど、
写真とか動画とか、それを出してきたりするんで、
そういうのでAIみたいな話もあったと思うし、
何だったかな、ちょっと記憶が全く定かではないですけど、
そこに溜め込んだ情報をもとに何かやってくれるっていうような話があって、
そういうのは好きなんで、一応やってみるかって思ってやったのかな。
でもマジクソなんで、やんないほうが良いですよ。
そうなんだ。
全然何も別にメリットがない気がするし。
何も生み出さないそこから、ただただ溜まってくれるんですよ。
超イマイチだから、何も、
別に超余談でイマイチ情報を一個言うと、
写真とか動画とか撮ったのを勝手に、
今日これ撮りましたみたいなの入れてくるんですけど、
とりあえずそのまま保存しようとすると、
動画とかが重すぎると容量が多すぎるんで消してくださいとか言われて、
知らんから、それくらいそっちで調整してくれよみたいな。
それくらいイマイチなんで、別に誰もオススメは一切してないですけど、
そういうのがありますぐらい。
その時にしょうごさんは具体のことを書くんですか?
こういうことがあって、嫌って。
書かない。今日はクソだったしか書かない。
毎日クソだったって書いてある。
日記って分かんない。
日記書ける人の気持ちが本当分かんないんですよ。
なんで書けるんだろうって思ってて。
先話しちゃうと、なんていうか、
この後SNSの話をするかもしれないけど、
それはちょっと別なあれがあるんですけど、
誰に向けてでもないものに対して思考を巡らせて、
思考を巡らせるのはまあいいんですけど、
それを文字化するっていうことが、テキスト化するってことが、
僕は本当に億劫なんですよ。
だから何か具体のことを思い返して、
それを自分のためだけにテキスト化するっていうことは、
本当に意味がないことだなって思っちゃってると思っちゃっていて、
やりたくないからクソだったで終わらせるんですよね。
そうなんだ。ちょっと待って、
これは私の日記のつけ方と全然違うから。
そうなんだと思う。
俺は日記じゃないと思ってます、僕のは。
ちょっと私の話をするとですね、
私は日記をつけるときに、
しょうもさんが言ったみたいな具体のことをいちいち書くんですよ。
これが嫌にしても、これが嫌だったっていうことを書きます。
それは何のためにやってるかっていうと、
まず自分のストレスを発散するため、これが一番。
やっぱそうなんだ。
もう一個は、これを見てから思い返したときに、
こういうことがあって嫌だったんだっていうことを、
ちゃんと思い出せるためっていうか、
この前ディスコードでメモフリートさんが書いてくれたのがそうだなって思って、
前日記を書いてるけど、
そのときの日記がニュアンスが全く思い出せないみたいな話をしてて、
私も昔はそうだったんですよ。
日記を書くときに、嫌だったことの具体をいちいち書き起こして文字にして、
それを自分で確認する作業ってめちゃくちゃストレスなんですよね。
嫌なことは忘れたいから。
だけどそれを、その具体を書かずに、
これが嫌だったとか、やんわりしたまま書いとくと、
後で自分が何でこの人に対して嫌だったかって思ったかが、
全く分かんなくなるんですよ。
それを私がその経験があって、そのときに、
これはちょっと良くないなって思ったんですよね。
この人に対して嫌だなって思ったけど、
これって何で自分がここで嫌だったのかが、
全然見えないから、
もし同じようなことが後々あったときに、
自分の感情の対処の仕方が上手くはならないな、
みたいなことを思ったんですよね。
なので、それから私は日記を書くときは、
もう具体のことを、
嫌だけど、そのときは辛いけど、
ちゃんと書くようにしてる。
これ自分のために書くようにしてるっていうのはあります。
なるほどな。
ちょっといろいろ聞きたいけど、
1個ストレス発散っていうのはわかる。
具体を書くって話は結構気になっていて、
何から言おうかな。
まず聞くと、見返すっていうことはあるんですか?
あります。めちゃくちゃあります。
それはどういうときに見返すんですか?
例えば、私がこの人にされて嫌だったみたいなことがあったときに、
じゃあ同じようなことがまたその人からあったとするじゃないですか。
で、そのときに見返します。
で、そのときに自分の中で納得したいっていうのはあるかも。
この人はやっぱりこういうことが昔もあって、
やっぱりこの人ってこういう人なんだな、
自分もこういうことで嫌だと思うんだな、みたいな。
で、見返したいっていうのは、あともう1個は、
成長の記録っていうと違うけど、
自分が見返したときに、
このときはこんなことで嫌だなって思ってたけど、
日記の意味と効果
今は全然思わなくなったな、みたいな。
そういう日記をつけておくことで、
結構昔のことを客観的に見れるし、
昔の自分と今の自分の差異が結構わかるんですよ、
それをつけておくことで。
で、自分がここは何かちょっと音になったかもな、みたいな。
音を納得したいのも、そういう気持ちかな、つけてますね。
いや、それはわかるんだけど、もうちょっと聞きたいのは、
その日記はアナログの話でしたっけ?デジタルの話でしたっけ?
アナログですね、これは。
アナログで、いやすごい具体の話を聞いちゃうけど、
何か嫌なことをされました。
前も嫌なことをされた気がするって言って見返すときって、
いつだかわかんないじゃないですか。
それはどうやって探すんですか?
結構わかりますよ。
あ、てかつけてるからあんのかな。
多分、つけてるから、この時にバーってかき殴った記憶があるから、
これって何かこの日だったよな、みたいなことを。
へー、そうなんだ。
私が三宅さんと違うなって思ったのは、
三宅さんも前、ノートか何かで書いてたかわかんないですけど、
三宅さんは誰にも見られないデジタルの場所で書いてたんですよ。
それが違うなって思って、
自分のストレス破損とかめっちゃわかるんですけど、
私がデジタルとアナログの違いがあるなって思ってて、
アナログは何だろうな、かき殴るっていう、
その心体性があって、
それがそのままストレス破損につながるし、
あとは書き殴るときに字もめっちゃ汚いんですよ。
それを見返したときに、
自分の字の汚さで自分がどれだけ乱されていたかっていうのが、
それもわかるから結構いいんですよね、私的には。
なるほどな。
字の汚さって話はちょっと話したいことがあるんだが、
ちょっとそれるから、もし後で時間があったら掘り返してください。
本題に戻すと。
ちょっと俺が消せないっていうか、
もうちょっと知りたいのは、
それは例えば忘れるために書き殴ってますっていう表現をすると、
あってます?
忘れるためにではないですね。
違うんだ。
私は自分の自己理解のため、
自分はこういうことに傷ついたというか、
イライラしたとか、
そういうことを確かめるために書いてます。
忘れるためではないですね。
でも逆に日記を書かなければ、
自分の感情の整理ができないから、
整理ができないまま、もやもやしたままで、
逆にその中ずっと覚えてるっていうのはあるかもしれないです。
なるほど。
ちょっと話を発展させると、
ちょっと前のエピソードでポムさんはテキストとか話すときは、
基本考えたことを出力しますみたいな話があったと思うんですけど、
その話と日記の話ってどう繋がります?
今の話だと結構その時の話と違う出力の仕方をしてるように聞こえたんですけど。
そうですね。それは明確に私が違いがあるなって思うのは、
自分のために書くのか、
自分のためにというか、
人に見せるか見せないかの違いですね。
見せるだけは、見せるっていう前提だから、
アナログとデジタルの違い
自分の中で考えて書くっていうのがあるんですけど、
日記の時は確かに考えながら書いてないです。
そもそもですよ、日記を書く時って、
思考の順番として、
まず具体があって、
具体をバーって書いて、
これはされたって書いて、
その後に自分の考えが来るんですよ。
その具体を書いてる時に自分の思考を思い出すじゃないですけど、
そんな湧き上がるって感じになって。
分かる。
でもノットとか書く時は、
まずは具体というよりもこういう考えが、
相対としてこういう考えがありますみたいなのが、
4割とワーってあって、
それをトレースじゃないけど、
書いていくっていう感じですかね。
その違いかな。
でもそれはなんとなく理解できた。
やっぱそうなんだな。
じゃあポムさんは、
毎日なのか分かんないけど、
基本的に日記を書く時間みたいのがあるってことですか。
ありますね。夜寝る前に。
やっぱそういうあれなんだ。
それがずっと学生の時から続いている。
そうそう。
面白い。
逆にハッピーな時はあんまり書かないって、
ちょっとネガティブな時に書くって感じですかね。
なるほどな。
しょうごさんは何なんだろう、
具体を書くことに意味が見出せないですか、
そういう話があったけど、
逆に私はそれが分かんない。
いくつかの話が多分あるんだけど、
何だろうな、
ちょっと抽象的な話からすると、
なんていうか僕は、
具体を書き残しておくことに、
少なくとも日記という形で具体を書き残しておくことに、
あんまり意義を感じられないんだよな、やっぱり。
さっきのようなポムさんなんかされたみたいな話で、
それがまた次会った時にこれを見返したら、
学びになるじゃないですか、みたいなことを言ってもらったという理解なんですけど、
あんまりそれ自体がしっくりこなくて、
本当に学びになってるんだったら、
別に具体化書き起こされてなくても、
思い出せるっしょっていう、
若干的な考え方をしている。
忘れたんだったら、そのレベルだよねっていう気がしていて、
なんかね、そこら辺で線を引いているかもしれない、俺は。
もし嫌なことがあった時に、
じゃあその具体を書き残さずに、
その時にしょうもさんは考えるは考えるけど、
別に何かどこにも書き起こさない?
頭の中で考えて、
でもそこで得られたものはそのまま、
多分それが大きければずっと残るから、
それで良しとしている。
ベースはそうで、
ちょっと話が飛んじゃうので、
後で話したほうがいいかもしれないけど、
それがもう少し、
自分だけ話じゃないなみたいなことであれば、
SNSに残すっていうのが僕の多分行動原理。
例えばですよ、しょうもさんはよく私ついてみますけど、
大体のこと書いてるじゃないですか、
それでもそれってことですね。
そういうことです。
そうなんだ。
あれは具体をやや抽象化して、
具体書きすぎるとやっぱ表があるから、
抽象化したり、やや歪曲したりして書いているわけですけど、
そういうことですね。
そうなんだ。
私から見てるとそれが日記に見えるって感じだったんですけど、
あれは俺の中では具体ではないから、
逆にあれを見返すってことはしてないですけど、
i.xとかに残しておくと、
交換日記の魅力
Zlogっていうサービスで後で検索できたりするようにしてるんで、
これを見た時に、
この時ああいうことがあったなって思い出せれば思い出せるし、
思い出せなかったらそこまでだっただろうなみたいな、
いうような割り切りをしてる感じですね。
そうなんだ。
でもそのZlogのサービスで見返すというか、
それを未来でそれを目に触れるみたいなことはやってるんですね。
だから逆、多分逆で、
ポムさんと行動原理が逆で、逆でもないか、
同じかもしれなくて、
何かあった時に過去何かこういうのがあったなと思ったら
そのワードで検索して、
これがあったなっていうのを引っ張ってくるって感じですね。
それは似てる気がする。
ただあんまり具体で覚えてるわけじゃないから、
ワードで引っ掛けて何とかする。
だからさっき聞いたアナログなのかデジタルなのかっていうのは
僕の中ではかなり大きい違いで、
アナログだと僕は絶対無理だから。
そうか、検索可能性がないですもんね、アナログは。
そうです、そうです。
自分が覚えてればいけるけど。
そうなんだな。
日記、そうね。
裸ポムさんの周りに日記書いてる人は多い感じはします?
どうなんだろうな。
私の友達はあんまり日記を書いてないんですけど、
これから書きたいなみたいなことを言ってて。
自分の世の中の解像度を上げたいから日記を書きたいみたいなことを言ってましたね。
世の中の解像度を上げたいから日記を書きたい。
このロジックはめっちゃ気になるな。
気になる。
気になる。
私も全然そこをあんまり深く踏み込まなかったんですけど、
面白いねって感じで言ったんですけど、
ちょっとこれ話が広がっちゃうんですけど、
その友達がそういうこと言ってたから、
私交換日記をしようねって言って、
交換日記をやることになりました。
でもまだやってない。
やってないけど、
上坂亜佑美さんの、
平梨沙さんの友達じゃないかもしれないっていう本を読んで、
交換日記なんですけど、
めっちゃいいなって思ったから、
私も友達がちょうどその言語化を、
言語化じゃないな、
自分で文章を書きたいみたいなこと言ってたから、
ちょうどいいじゃんと思って、
交換日記をしようかなって思ってます。
ちょっと話がずれちゃったけど。
話をさらにずれちゃうことを、話を今しようと思っちゃったけど、
交換日記って手紙と何が違うんですかね?
なんか、今それが分かんなくなっちゃった。
それもね、ちょっと友達と話してて、
どっちにしようって言ったんですけど、
交換日記だと何が一番違うかっていうのは、
自分が書いたことが残るんですよ、交換日記だと。
それが一番大きいです。
手紙だともう相手に言っちゃってもそのままじゃないですか。
で、自分が何を相手に伝えたかっていうのが分からない。
ので、それを残したいっていうのがあって。
アーカイブ性がある。
一つの日記帳の中に書かれていくから残るってことを言ってます。
へー、なるほどね。
そうなんです。
なので、友達がこういうことを書きました。
で、自分がこういうことを書きました。
それに対して友達がこういうことを書きましたっていうのが、
交換日記だと2人の書いたことが全て残るから、
どういう文脈でこういう話になったのかっていうのが分かるんですよね。
実際、私も友達と手紙を大学の時にその友達と交換してたんですけど、
自分が書いたことが分かんないから、
記憶と忘却の重要性
やっぱり私は自分が書いたこととか思ったことを記録したいんだと思います。
そうそう、俺もそれ聞こうと思った今。
そう、それはないのかな。
いや、分かんないけど、でも三宅さんもそういうこと言ってますよね。
アーカイブにとにかく強い興味があるって言ってるのは、
多分似たような思考なんだろうなと思っていて。
分かるんだけど、
僕がちょっと最初の方に言った忘れるために書いてるんですかみたいな話が
ちょっと近いかもしれなくて、
僕は色んなことを忘れた方がいいと最近すら思ってるんですよね。
そこが根本的に違うかもしれないな、もしかして。
それはどういうことですか。
多分もう3週ぐらい回ってるんだと思うんですけど、
やっぱり何て言えばいいかな。
ちょっと極端な例をまず出しちゃうと、
人間全てを記憶してたら多分頭おかしくなると思うんですよ。
そういう病気の人とかも病気もあってる気がするんですけど。
しかし仕事においてとかでも、
頭の中に考えてることがいっぱいあるとスループとか落ちると思っていて、
やっぱり適度にちゃんと忘れておく。
必要な時に思い出せるという状態にしておく方が健全だと思ってるんですね。
なんで僕はあんまり必要以上のことを覚えないようにする。
さっきの話と近いかもしれないですけど、
別に忘れてもいいと僕は思っていて、
ネットの記事とかもそうなんですけど、
結局本当に重要だったら何回も流れてくるから、
それで何回も忘れてたら覚えるじゃんって思ってるから、
一回あったことをことさらにちゃんと記録したり、
覚えようという意識をしてないっていう感じかな。
話せたかな。
なるほどね。
それはなんかあれだな、
しょうごさんが前にポッドキャストを聞くときに、
なんかもう外族で聞いて、
全く同じ考えですね。
そういうことね。
それはそれでも自分の必要な情報は、
もう自分の中に残っていたものが自分の必要な情報だから、
それ以外は切り捨てるって感じなのか。
それがいいかどうかは全然わからないけど、
もう最近はそういうふうに結構ありきってますね。
今私めっちゃなるほどって思ったのが、
忘れるのを話で、
もしかしたら私は自分が日記を書くことが、
日記を外部記憶媒体みたいにしてるのかなと思って、
それを書くことで、
多分ね、私最初はそうじゃないって思ったんですけど、
今なんかめっちゃそうかなって思って、
私はなんか母にお母さんにすごい、
本当あなたって本当に必要ないことすぐ忘れるよねって言われて、
そうなんだ。
そうなんですよ。
だからね、お母さんは覚えてるけど、
私がなんかもう本当になんか、
私は全然覚えてないってこと言われるんですけど、
多分そうなんですよ。
私も覚えてると、
嫌なこととかも覚えてると、
もうなんか精神的にやっぱダメなんですよね。
それはもう自分の中で大きなストレスになっちゃうから、
多分それをやっぱり整理することで、
整理して書き出してのことで、
多分もうその気持ちにキリをつけたりとか消化したいんだと思う。
で、それをその証拠として日記を残しておいて、
引き出す時にも自分の頭の中にそれを残しておかずに、
引き出す必要性があった時に、
それを見て引き出すみたいなことをやってるのかなって今めっちゃ思いました。
なんとなくそれはそんな気がするっていうか、
日記と外部記憶媒体
そういう人は多そうな気がするし、
それ以外に日記という媒体なのか、
もしくは友達との会話での愚痴なのかとか、
なんか出力の仕方はいろいろあると思うんですけど、
なんかそういうことをやってる人は多いんだろうなって感覚はあり。
はい、そうなんですよね。
なんか自分の話はもうちょっとそれるんですけど、
Xとか見てると結構その日記的にXを使ってる人っていうか、
画像1枚で今日の日記、何月何日、これやり…
あ、そうなの?
はい。なんか有名な人がいるんですけど、
何月何日でウサギのキャラクターがいて、
ウサギのキャラクターを毎日描いてるんですよ。
で、そこに吹き出しが1個あって、
今日はこういう日だった、吹き出しがないから今日はこういう日だったみたいな。
結構リンクかかっときますね。
それが結構フォロワーさんも多いんですよ。
だからなんかね、それをでも見たいという欲求はちょっとまた別の話になるんですけど、
それがなんか流行ってるのは何でだろうみたいなことは思いますね。
それは流行ってるのは何でだろう?
なんかその人だけじゃなくて、いろいろいるんですよ。
で、なんかね、日記はなんか私をずっと描いてた身からすると別に流行ってるっていう認識はなくて、
ただただそのツイッターとかそういうプラットフォームができたから、
それがなんか表出されてるだけだなって思うんですけど、
でもそれがフォロワーが多いとなると、やっぱりそれを見たい欲求があるのかなって思って、
でもやっぱりあれかな、それを見ることで、
えーと、私が今思いついたのは、それに対して共感をしたいとか、
自分もこういうことあったなみたいな、
なんかこういう人もいる、同じようなことを思っている人がいるんだなっていうのを見たいっていうのと、
あとはなんか生活の手触りがやっぱり日記はあるなって思ってて、
私ちょっと話そうと思ったのが、エッセイと日記の違いがよくわからないなとは思ってたんですが、
でも日記の方が多分より装飾されてない形で、
その人のありのままの生活が見えるなっていうのがあって、
なんかそういうのを感じたいのかなっていうのは今すごい思いましたね。
なんかさ、今動画配信のサービスも一般人がやってるのがすごい流行ってるらしいんですよね。
なぎ線とかできるやつ?
うん、分かります。
たわいのない話をしてるんですよね。
私それニュースで見たんですけど、なんか今日これ買ったよとか、
なんか今この水槽にあるお魚がこんな感じだよとか、
全然、何だろうな、別に本当に一般の人のただの生活みたいなのを見て、
それに対してなぎ線とかしてる人がいて、
なんかね、やっぱ自分の生活に他者の生活があることでつながりが見れるみたいな、
それをなんか自分の生活にちょっと他者の生活を入り込ませておきたいみたいなことがあるのかなって思いましたね。
でも今の話はめっちゃ分かるなと思って聞いていて、
まず最初に僕も、僕はなんかそもそもエッセイというものがあんまりよく分かってない。
僕の人生の中でエッセイという言葉がなじみがあんまりなさすぎて、
なかなかないんですよ。
SNSと共感の作り方
だから離れることもなくて、ずっと自分の言葉としてエッセイ、
自分からエッセイという言葉が出てこない。
どういう時に使っていい言葉なのか分からないなと思うんですけど、
それは一旦置いとくとして、
日記の方がより生活に近い話だよねっていう整理の仕方は、
なんか分かるっていう気がしながら聞いてました。
で、僕の見たては、
なんで日記みたいのが流行るのかみたいな話は、
たぶん同じ話なんだけど、
まず一個はやっぱりインスタ映えみたいなところへの疲労はやっぱあるんだろうなという気がしています。
やっぱなんかこう、持っていくみたいなところに対する、
そこに対する危機感もそうでしょうし、
単純に自分自身もそれに疲れちゃってるっていうのがあり、
そういうのではない形が求められている、
求めているのがあるでしょうっていうのと、
多分それと表裏一体なんだけど、
やっぱり本物の話がしたいみたいな、
タイタンが言ったりする、
本当か、みたいなタイタンが言ったりするけど、
それと多分僕はイコールなんだと思っていて、
結局もう何がリアルで何がフェイクか分からなくなっている世の中なので、
なんか信用できる話が見たい、聞きたいっていう欲求は強いと思うんですよね。
で、なった時にそれが本当かどうかを置いとくとして、
やっぱり日記的な生活の手触りがある話っていうのは、
非常に本当っぽく見える、聞こえるので、
それを聞くことによって満たされる何かがあるんだろうなっていう感じがすごいするんですよね。
うん、ありますね。
確かにインスタとか見てても嘘じゃんってなって、
やっぱりそれって伝えるから、そうなんですよね。
なんかやっぱ安心したいっていうのはすごいありますよね、
この時代の空気感で安心したいっていうのはめっちゃある気がする。
そこで本物を見ることで。
もうちょっと話すと、その感じは俺は自分はあんまりよく分かってない感じもあって、
それは何でかっていうと、僕があんまりインスタを触ってないからだと思う。
もしかしたら。
あ、そうか、しょうもごさんってインスタがない世界で生きてるんだ。
そうですね。
だから時代的には僕が大学の頃にフェイスブックができているので、
多分同世代はインスタとかをやってる人が多いと思うんですけど、
別にめちゃめちゃ意識したわけじゃないけど、インスタを始める気にもなれず、
そもそも写真自体が嫌い、どちらかというと嫌いなので。
そうなんですか、何なんですか?
これはもう分かる人はめっちゃ分かると思うけど、
写真を撮るという行為の、さっきの話と同じかもしれない。
写真を撮って記録するということに対する意義があんまり見出せないんですよね。
そうなんだ、なんか前聞きかえかえで斎藤氏が、
何で人はコハンの写真を撮るのかみたいなのを言ってましたけど、それに何か通じる?
でも最近は分かってきたって感じなんですけど、
特に若い頃は本当に分からなかった、別に。
それ見てると、思い出とかなんないですか?
それさっきと全部同じなんですけど、
別に写真撮らなくても覚えてるものは覚えてるでしょって感じがするんですよ。
それは若かったなという気も自分の中であって、
その写真というのがあることによって会話の種になるみたいなことは大いにあるので、
それは言って必要だよねっていうのは分かるっていうスタンスですね。
確かに具体がないと共有ができないっていうか、
同じイメージを思い描いてもらえないみたいなのもあるのかもしれない。
そっか、翔太さんでいう思い出ってあれなんですね。
別に具体のものと何かしらの結びついてないんですね。
思い出と記憶の形成
結びついてる必要性があんまり感じられないんだよな。
そうなんだ。
私のお母さんがよく言ってるのが、思い出にもものが必要っていうのを言ってて。
面白い。
それをずっと聞いてきたから、やっぱりそれ派なんですよね。
別に旅行とか行って、何かちょっとでもハンカチでも何でもいいから買っておくと、
それを見ることで旅行の思い出が蘇るみたいなことがあっていいなと思うんですけど、
そういうことあんまりない。
それが本当にないんだと思うんですね。今聞いてても。
分かりますよ。ロジックはすごい分かるし、多分そうなんだろうなと思うけど、
物を起点に思い出す必要性、必然性があんまり感じられない。
僕は本当にどこまでも情報起点なんだと思います。考え方が。
会話してる中で、例えばどこどこの話みたいので、
あ、そこ行ったことありますみたいなことでいいのではって思っちゃうんですよね。
その時の話で思い出して、どこどこ行ったらよかったりするみたいな話とかで、
全然いいって思っちゃうんだよなって思って。
そうなんだ。そっか。
なんかその思い出を思い出す時に、じゃあどういう情報がしょうごさんの中にあるんですか?
それはケースバイケース。本当にケースバイケース。
本当に全然どうでもいいことの方が覚えてたりする可能性もあるしね。
それはなんか、あの時に写真撮っときゃよかったとか、そういうことって思ったりしないんですか?
思ったりしないかっていうと、するかもしれないけど、それも含めた思い出としては結構意味があるかなって思う。
なんかあの時写真撮っときゃよかったねっていう話題になるのはなんか面白くないですかって思っちゃう。
そうなんだ。面白いな。なんか全然違う気がする。
多分違うと思う。これは特殊ケースかもしれないけど、でも写真があんま好きじゃないっていう人はいていて、
その中では同じような考え方をしてる人は少なからずいるのではとは思いますけどね。
そうですね。そうなんだな。
エッセイのことをもうちょっと聞きたかったんですけど。
じゃあいいですよ。話して。
いいですか。私、体感的に男性のエッセイ好きってあんまりいないなみたいなことを思ってて、
それってもうあれですかね、インザメガチャーチで言ってたお茶的な問題とも同じかなって思ったんですけど、
女性はそのエッセイ、私のエッセイを結構好きなんですよ。作家さんのエッセイを読むのが好きで、
それって自分の挫折の経験とか、そこから得たこととか、あとは日常の気づきとか、
そういうことが描かれてるんですけど、それを見ることで自分のケアをしているみたいなのはすごいあるんですよね。
自分もこういうことあったなって、自分もこういうことをやったら、
同じようにしたら自分もうちょっとうまくできるんじゃないかみたいなことを思っているエッセイを見ながらっていうのはあるんですけど、
それがどうなんだろう。
ケア的なもので言うと。
ちょっとごめんなさい、うまく回答できるかわかんないけど、とりあえず僕がずっと今話そうと思ってたのは、
男性のエッセイストがいないのではみたいなことは、つどいのいまいさんが自分のポッドキャストで話していたことがあって、
多分そうなんだと思う。僕はエッセイというか、カタカナがなさすぎてわかんないんですけど、
なんかわかるっちゃわかる気はするなと思っていて、もしかして興味があればそれ聞いてもらえるといいかもしれないんですけど、
で、それは何でなのかっていう話は、確かにインザメガチャーチ、お茶問題的なのと通ずるのかもな。
なんか、しょうごさんはあんまりエッセイって自分のことが、なんだろうな、ささやかなこととかが書かれてるんですけど、あんまそういうことに興味がないみたいな感じ?
ささやかに。
なんだろう、なんかささやかな気づきとか、小さな幸せとか、そういうことがエッセイって書かれてるんですよね。
日常の延長線上にあるもの。
なんかそれよりも、それってなんだろうな、あんまり感情と思考で分けられるものでもないと思うんですけど、
エッセイはどっちかというと感情よりかなっていう気がしてて。
どっちよりって言いましたか?感情よりって言いましたか?
感情よりエッセイは。
自分のそこから得られた思考とか、なんかその社会的な問題に接続してとか、そういうことでエッセイないんですよね。
やっぱ、なんか自分のその半径何メートル以内のものを切り取って、なんかそれをただ記述していくみたいな。
あとその時に湧き起こった自分の比較的薙ぎの感情とか、なんかそういうものを書き取っている気はしてて。
エッセイのあれをやっぱ書き手さんにもよるけど、なんかどうなんだろうな、なんかそこら辺。
だからそれは多分明確に、多分おっしゃろうとしていることはあっている気がしていて、
ずっと僕はそこがよくわかんない感じがしてるっていうのは、やっぱエッセイは、あえて分けるとするとやっぱりおっしゃる通り、
その感情よりの話で、社会との接続があまりない話だと思うんですよね。
で、そういう類のエッセイは僕は興味があまり持ちづらいんですよ。
基本的に何か、社会とかそういうものと接続されているものが面白いと思うタイプなので、
そういう意味で多分エッセイっていうの、他に興味がないんだと思うんですけど、
ポムさんがちょっとちらっと言ったら、そうとも限らない気もしていて、なんか結構、
社会と接続があるエッセイもある気はしているからこそ、僕はエッセイというものがよくわかんなくなっちゃってるっていうのが多分、
ポッドキャストの可能性
実態で、なんですけど、おっしゃる通り、あまりにも感情によりすぎているものには、やっぱり興味が持ちづらいんですよね。
それをどう興味を持っていいかわかんないんだよなって思って。
あ、そうなんだ。
ちょっともうちょっと喋っちゃうと、今思ったのは、人起点だったらあり得るんだろうなと思うんですよね。
この人が好きだから、その人が些細なことにどう思うのかっていうのを知りたいっていうのだったらわかるんですけど、
僕はそういうことが非常に起きづらい人間なので、人から入るみたいなの。
だからあんまりそこに興味が持てないのかもしれない。
なるほどね。そうなんだな。それは人の、その人自身の特性って感じがしますけど、
エッセイで思ったのはやっぱ、なんかエッセイのやっぱ書き手にも本当によりますね。
しかもそれがちょっと性差があるかはあれですけど、私は女性のエッセイを比較的読んで、
で、感情によりなんだと思ったんですけど、若林さん、大鳥の若林さん違ったなって思って。
確かに若林さんは、何だっけ、
わからない、ちょっとタイトル忘れた。表参道のセレブ検討、え、なんちゃらかんちゃらって。
でも若林さんがキューバとかに行って、そのキューバとかに行って、自分の新自由主義に対する考えを、
ちょっとなんか熱い思いを語ってるんですけど、
そういうところはやっぱ普通その女性のエッセイの書き手の方にはないなって思って、
やっぱそのエッセイもいろいろあるんだなっていうのはすごい今思いましたね。
表参道のセレブ検討、カバーニア要塞のライン。
そうそうそうそう、それそれ。
いや、読んだことないけど。
若林さんと接続があった。
いや、これ読んだことないけど、多分僕が読んだらこれ面白いと思うんだろうなとは思うやつですね、これね。
面白いと思います、ぜひぜひ。
その後書きのね、DJ松永からの後書きがね、マジで最高だったから読んでほしい。
なんかちょっと、もうちょっと喋っちゃおう。
僕が津取の今井さんのやつの話聞いてて、確かにそうだよなと思った時に、
確かこの時に考えた記憶なんですけど、
なんか今僕はこういう若林さん的なエッセイみたいなものが、
ポッドキャストにどんどん寄ってってるような気がするんだよなっていう感じがするんですよね。
そうなんですか。
私はその体感、体感ない?ない?いや、あるのか。
え、なんかそれは。
男の人はエッセイ書かないけど、ポッドキャストならまだやってる人はなんかいそうな気がしなくもないっていう感じ。
なるほどね。
え、それってなんかまさに聞き換え会とかもそんな感じなのかもしれない。
そうそうそうそう。
そういうことを僕はこの時これ聞いて考えた気がするんですよね。
だからその中、エッセイとポッドキャストって近くない?みたいな風に思ったんだよなと。
確かに近い、近い。
それをもうなんかテキストでやってるか喋りでやってるかの違いかもしれない、もしかして。
内容は確かにすごく近いものがある。
うん、なんかね、それはこれをなんか思ったんだよな。
あ、じゃあ。
ポッドキャストがある。
じゃあもしかしたらテキストがもしかしたらこれからも書く人が増えるかもしれない。
わかんない。どうなんだろう。
いやだから、なんで今そうなってるのかっていうところはちょっと僕もそこまで考えが及んでおらず、
単純にテキストという媒体の問題なのか、もう少し違う話があるのかっていうのはどうなんだろうなーっていうのはちょっとまだわかんないな。
めっちゃ気になる。どうなんだろう。
それはちょっと、なんかこれからちょっと注目だなそれ。
めっちゃ気になる。
自分の体感としてはあんまり、え、どうやらなんかテキストと喋りの違いって何なんだろうっていうのはどうなんだろうな。
うん。
なんかこれはなんかめちゃくちゃ面白い話な気がする。
うん、なんかこれはね、ちょっともう少しちゃんと考えてみたら面白いかもしれないとは思いますね。
はい。
ちょっと考えよう。
いいすか?じゃあそんな感じ?
はい。ちょっと時間がいい感じなので。
時間がいい感じ。じゃあ一個だけ字が汚い問題をちょっと回収しとくと、
えーと僕の、これは僕の経験っていうか僕の過去なんですけど、
高校の時とか、僕は今もう本当に字を書くということをしません。
アナログで書くということはもう無理です。書けませんっていう状況ですけど、
高校の時とかはさすがにやっぱノートとか取んなきゃいけないから書いてました。
ただ僕は自分の字が汚すぎて自分でも読めないということが多々あるわけです。
そうなんですね。
そういう人は周りにいるんじゃないかなと思うんですけど、
こっから先はあんまりいないんじゃないかなと思っていて、
僕はそれをある種肯定してたんですよね。
もう読めなくてもいいと思っていて、
それは何でかっていうと、本編でさっきも話した話とやや通ずるんですけど、
だからその内容を覚えていたら、
エッセイの男女の違い
字が読めなくてもなんとなく思い出せるでしょみたいな、
そういう感覚を持っていたんですね、当時から。
思い出せなかったら、それはお前が悪いって自分自身に思っていた。
え?そうなんですね。
教科書でも何でも読んで思い出せっていうのを自分に課していたっていう感じ。
え?そうなんだ。は?
わかんないかもしれないけど。
なんかわかんなすぎて、どう言ったりするかって思っちゃうんですけど。
いいですけど、もはや字を書いても読めないんで、書いてませんって、そういう話ですね。
なんか私が外部記憶媒体みたいに使ってるって言ったんですけど、それがないってことか、しょうごさんは。
今はデジタル空間に全部寄せているという感じですね。
アノログでそれをするってことが絶対ありえないって感じですね。
そうなんだ。面白い。
そんな感じ。理解されたかはわかりませんが。
ちょっと長くなっちゃいましたけど、こんなところにしておきましょうか。
というわけで今回はここまでです。
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日記についてどう思ってるみたいな。
ぜひぜひ聞きたいです。
僕の字が汚い問題が通じたのかとか気になりますけど。
いろいろトピックいろいろあったんで、気になるところあればぜひお聞かせください。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
次回もぜひお会いしましょう。さようなら。
さようなら。
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