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2025-02-22 1:05:01

YCAM ぐるぐるラジオ Season3 #7

今回はYCAMで開催中の展覧会「Dance Floor as Study Room—したたかにたゆたう」のグラフィックデザインを担当いただいた、長嶋りかこさんをゲストにお迎えして、今回のグラフィックデザインに込めたことや、デザインと子育ての両立についてなど、たっぷりお話を伺いました。

収録日:2024/11/14

参考URL:

・Dance Floor as Study Room—したたかにたゆたう|山口情報芸術センター[YCAM] 

https://www.ycam.jp/events/2024/dance-floor-as-study-room/

・Rikako Nagashima (village®) 

https://www.rikako-nagashima.com/

・『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ | 単行本 - 文藝春秋

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913926

サマリー

YCAMぐるぐるラジオのエピソードでは、デザイナーの永島梨花子さんがゲストとして迎えられ、デザインの仕事や活動が深く掘り下げられています。また、展覧会「ダンスフロアアズスタディールーム」についてやデザインの責任についても触れられています。YCAMでの就職のリアリティや展覧会のデザインについて話し合われ、ウェンデリーファンオルデンボルフの新作展についても言及されています。権力構造や多様性の考え方がテーマとして展開され、社会的弱者の視点からの議論が行われます。 このエピソードでは、デザイナーとしてのキャリアにおける困難や、母親になることが仕事に与える影響について語られています。特に女性のキャリアに関する視点や、社会的な不平等への認識が深まります。働き方や育児に関する女性特有の体験と、その背後にある社会の仕組みについても深く掘り下げられています。具体的には、男女の違いや女性が働く上で直面する困難、そして社会全体が抱える価値観のアンバランスについて考察されています。 デザインや資本主義と自然の関係についても語られ、特に曲線と直線の対比が象徴的に表現されています。さらに、ウェンテリンさんのチラシデザインに使用された色やその意味についても論じられています。YCAMのエピソードでは、長島理子子さんが生花物の制作について語り、チームでの協力の重要性が強調されています。

YCAMぐるぐるラジオの紹介
YCAMぐるぐるラジオ Season3、2024年11月14日木曜日、今日は東京のデザイン事務所
Village Rからお届けしています。現場にいるのは、YCAM教育普及担当の山岡大一と大葉はるきです。よろしくお願いします。
このラジオでは、YCAMのスタッフがナビゲーターとなり、YCAMに訪れる様々なクリエイターをゲストに迎え、一緒にテクノロジーのこと、アートのこと、生活のことについて様々な問いを立てたり、悩みを相談したり、そんな頭をぐるぐる動かしている様子を発信します。
めちゃめちゃ収録が久しぶりです。
なんかもう忘れちゃいました。
こんなことを言ってたなって、今思いながら読んでた。
読み心地がね、久しぶりだなっていう。
確かにね。夏前だったもんな。
そうだよね。しばらく期間空いちゃったんですけど、今日はね、YCAMを離れて、めちゃめちゃ飛び出し、東京に来ているわけなんですけども、
先に言っておくと、今日収録する内容はデジタル配信サービスSpotifyで2回に分けて公開予定です。
今皆さんSpotifyで聞いていると思うんですけど、まずはパート1が公開されて、しばらくしたらパート2がまた公開されるという形になります。
今回、次回、そしてこれからもよろしくお願いします。今後とも。
ゲストインタビューの進行
またね、継続的に出るので。
そうですね。聞いてください。
本日はゲストとしてデザイナーの永島梨花子さんにご参加いただいています。
はい。
今お茶入れてる。
お茶を入れつつ。
ご参加いただいてますっていうか、僕らが事務所にお邪魔してる形になるので。
ようこそ。
お邪魔してます。
お邪魔してます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
今日のお品書きなんですけども、最初にゲストインタビューを行います。
これはいつもの恒例なんですけども、YCAMや山口にまつわる様々なゲストをお迎えして、
普段の活動やその裏側を教えてもらうっていうコーナーです。
YCAMでは、2024年11月30日から、ウェンデリン・ファン・オルデンボルフさんの展覧会、
ダンスフロアアズスタディールーム、したたかに体唄うという展覧会を開催するんですけど、
今回は展覧会のフライヤー、フライヤーって分かるかな?チラシですね。
今回は展覧会のフライヤー、チラシのデザインや会場サインを担当していただいた永島さんに、
今回のデザインに込めた思いであったり、そもそもデザイナーってどんなお仕事なのかとか、
どうして始めようと思ったのかとか、もろもろ自己紹介も含めて、いろんなことをお聞きできればなと思っています。
ぐるぐる相談室が、たぶん次のパートになると思うんですけど、
YCAMぐるぐるラジオ宛に届いた疑問・質問・お悩みをみんなでシェアして、一緒に考えてみるというコーナーです。
今回、ゲストの永島さんと、過去回のゲストから寄せられたお悩みを中心にぐるぐるお話をする予定です。
デザインにおける責任
聞いている皆さんも、一緒に頭をぐるぐるしてもらえればなと思います。
最初のコーナーに行きますか。
ゲストインタビュー。
簡単に永島梨河子さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
本人目の前にいるんですけど、事前にいただいているプロフィールを、はるきが見上げてくれます。
お願いします。
永島梨河子さん、1980年生まれ、2003年武蔵野美術大学、視覚伝達デザイン科卒。
デザイン事務所ビレッジ代表、VI計画、サイン計画、ブックデザインなど視覚言語を起塾としながら活動し、
対象のコンセプトや思想の仲介となって視覚情報へと翻訳する。
出産を経て、育児とデザインの仕事の両立の困難さから見えてくる社会への眼差しを綴った初の書籍、
色と形のずっと手前でを、2020年7月に村畑出版より出版です。
改めてよろしくお願いします。
合ってますか?
合ってる合ってる。
よかった。
なんか、プロフィールも中にもいろいろあるんですけども、デザイン事務所作られたのはいつからですか?
2013かな。
じゃあもう11年目くらい?
そうそう。
中島さんは、その紹介する時にはデザイナーになるんですよね?
グラフィックデザイナーになる。
グラフィックデザイナー。
もともとは代理店にいた時はアートディレクターって言ってたんだけど。
アートディレクター。
ニュアンス違うんですか?
違うんですよね。私の中では確実に違って。
そうなんですか?
アートディレクターって割と全体を見ます、みたいな。
例えばカメラマンがいたり、いろんなスタッフがかかる中でそこも見ますよ、とか。
例えば空間に関することがあったら空間も全体を統括して見ますよ、みたいな。
割とその上の方からいろんなものを統括して見て、
実務作業とかは別に本人がやらなくても良くて、
例えばアートディレクターがいたらその下にグラフィックデザイナーがいるし、みたいな感じなんだけど。
だからずっとアートディレクターを名乗ってたんだけど、
それこそ私が大体辞める間際に、スキーマ建築事務所の長坂じょうさんと知り合って、
え、りここちゃんってアートディレクターって名乗ってるけど、
アートディレクターってアートのこと全部わかってんの?って言われて。
こわすね。
こわしつもんでしょ。
こわしつもんですね。
私も背筋が凍ったわけ。
ちなみに先輩?
全然先輩。
全然先輩。
こないだは明らかになったけど、10個上で。
同い年の子から言われたら、いやー、みたいな感じで言えるけど、
ほいってなりますよね。
もう全然上だし、このほうが全然キャリアあるし、当然。
で、アートディレクターって全部わかってるってこと?って言われて、
すいません、ちょっとわかってません。
そうすぎ。
わかってませんって思って、そうすると私たちは何に責任を持ってんのかなって思って。
確かに大典時代はいろんな人たちに指示を出したりとか、確かにそういうことをしてたんだけど、
じゃあその人たちより私が何かを知ってるかって言うと、別に知らないしなって思って。
なんか知らないのに、なんとなくざっくり考え方だけ提示して、
でも各ジャンルに対しての知識があまりになさすぎるから、
私アートディレクターって名乗っちゃいけない気がすると思って。
責任の所在をはっきりしたくて、じゃないと多分社会に出たときに掛け算がしづらいと思って。
誰かと一緒に何かを作るってなったときに、お前は何者なのって言ったときに、
なんかアートディレクターだとちょっとこう、なんとでも言えちゃうっていうか、
なんか、
広くて、
うん、広くて、
掛けやすい素材じゃないみたいな。
で、ちょっと嫌かもと思って、
せめてグラフィックデザインだけは責任の所在を自分にしっかり持って、
私はこれに何があってもケツ吹きますみたいな状況を作ったほうがいいなと思って、
それでグラフィックデザイナーって名乗ろうと思って、
だから会社辞めてからずっとグラフィックデザイナーって言ってて、
で、実際グラフィックデザイナーって名乗ると、やっぱりずっとグラフィックデザインやってる先人たちがいるじゃない。
いる。
そうすると、やっぱり全然知らないな、私ってなるわけ。
何にも知らないってなって、
そうすると、やっぱり一旦そこをちょっとフォーカスしてちゃんとやろうってなるし、
代理店っていう曖昧な場所にいただけに、
そういう風にしたって感じ。
でも、聞いてて全然一言じゃないなって思って、
思った?
なんで?
僕、名刺にね、エデュケーターって書いてあるんですよ。
広いのよ、エデュケーターって。
確かに。
そうなんです。
日本語に訳すとさ、教育者だし、
ちょっと役割でかいかもな、とか思った。
思った?
アートディレクター、教育のことわかってんの?って言われたら、
たぶん、あの、すいません、わかりませんでしたって、言っちゃうと思うな。
なんかね、私それ、背筋が伸びたのがもう1個あって、
それこそ10年前ぐらいに、
北川フラムさんの肩書きがアートディレクターだったっけ?
北川フラムさんってアートディレクターって言うんだ。
もう絶対名乗れないなって思った。
同じ肩書き名乗れねえなって。
名乗れねえなって思って、それもあった。
なるほど。
でも別に今、アートディレクターを名乗ってる人に、
別に私はそういう眼差しを向けるわけではないの。
アートわかってないし。
お前わかってんの?みたいな感じで見てるわけではなくて、
私自身はそう思ったから、私自身はそうしてるって感じ。
自分にしっくりくる、なんかこう、なんでしょうね、
服みたいなのを想像しました、でも。
そうだね。
でかかったみたいな。
でかかった。
ちゃんとジャストサイズの服見つけたみたいな感じ。
でかいし、だいぶきらびやかな感じがあって、
ちょっとこう、フィットしなかった。
面白い。
エデュケーターね。
うん、確かに。
でかいんですよね。
でかい。
政治しかいないみたいな。
でもこないだほら、今こういうこと考えてるんですよとか言って、
資料見せてもらったじゃないですか。
そうですね。
対話を用いた鑑賞のプログラムについて、
自分が調べてることとか考えてることっていうのを、
なんかの打ち合わせ。
そうそう。
そうですね。
多分これこの後お話すると思うんですけど、
下高に立るダンスフロアーズスタディールームの関連イベント。
で、長嶋理香子さんにね、
登壇していただくイベントがあって、
一緒に考えるミーティングっていうイベントのミーティングをしたんですよね。
そうなんです。
で、その時に、そうそうどういうことしようかって言って、
で、なんか普段自分が対話を用いた鑑賞ってよくやってるんだけど、
どういうものができるかなーの話をした時に、
資料をお見せしたんですよね。
そうなんですよ。
私がその打ち合わせ、ちょっと申し訳ないことに手ぶらで参加しちゃって、
ノーアイディアで挑んでしまって、
で、その時に山岡さんがいっぱいいろいろアイディア出してくれて、
で、その時に面白いなって、いろんな面白いアイディアがあって、
で、その時に、ちなみにこういうことも他でもやってるよみたいなので、
そうですね。事例とかね。
事例をね、これまでの教育プログラムの事例とかを見せてくれて、
エデュケーターでした。
お!ありがとうございます。
エデュケーターでしたよね。
いやでもなんか、そうだなー、
名前に育てられるところもあるけど、
でもなんか名前がでかすぎると、困る場面も、
なんか持て余しちゃうところって結構あるから、
あるね。
なんかそれ、自分にこうフィットする感じで、
見つかったってめっちゃいいなって思って。
エデュケーターっていう名前に、ちょっと僕もでかすぎるなって思いつつ、
なんだろうなー、学校の先生とかも、
先生とかとちょっと違うなと思ってて、
なんか、教育に関係してる人ぐらいの広い領域で、
自分が面白いと思ったことを都度やれるといいなって思ってるから、
今はエデュケーターって名乗ってるけど、
なんかもうちょっとフィットする名前が、いつか見つかりたいなって思った。
気になって思いました。
なるほどなー。
なんかあんまり多分、まだちゃんと働いて、
最近ちゃんと働き始めたって感じなんで、
YCAMでの肩書きと役割
そうですね、YCAM就職して2年経ったって感じなんで、
まだあんまり肩書きのリアリティがずっとないっていう感じはありますね。
なんかどうしますかって言われても、
ちょっと一旦お任せしますっていうふうにしちゃいますね。
YCAMの名刺って自分で決めるの?
そう。どういう肩書きにするか。
あ、そうなんだ。いいね。
だからそれも、何を背負うかを自分で決めるってことだもんね。
そうですね。
そういうことだね。
アーティストって言っちゃえばアーティストだもんね。
あー、そうですね。
それもすごい私は、
たまにデザインとアートってよく言われるじゃん、比較されて。
例えばこうやって私が本を書いたりするときに、
本もそうだし、たまに展示もやったりすると、
別に依頼されてなくて、自分から発信するってなったときに、
アーティストのようなことをやりたいのか、みたいなことを言われることがあるわけ。
でも、分類として分けたときにどういうふうにやりたいのか、みたいなことをやることがあるんだけど、
やっぱりデザイナーだなとは思ってて、
本当にアーティストがやってる生き方を見ると、
本当に気合い入ってるじゃないですか。
気合い入ってる。
そこには到底たどり着かないなって思うから。
でも、永島さんのことも、周りの人結構気合い入ってるなって思うんじゃないかと思うんですかね。
横並びで同じ業界の人とか、デザインの界隈の人からすると、確かに気合い入って見えるところも多分あると思うの。
ストロングスタイルだねって言われたこともあるし。
僕は最近、その本を出されたタイミングで、いろいろトーク番組とか、そういうことはYouTubeだったりラジオとかで出演されてるのを聞いて、
結構イメージと違って、すごい柔らかさっていうかしなやかさすごい感じで、
もっと結構ガッツリガチみたいな。シャキーンみたいな感じの人だと思ってたから。
プロフィールド写真が横向いてシャキーンって。
あれでもめっちゃかっこいいですよね。すごい好き。
それがすごい意外でとても嬉しかった。
なんか嬉しかったです。生きてるって思った。
生きてる。
ちょっといろいろ役割とか、自分の肩書きの話にもなったんですけども、
ウェンデリーファンオルデンボルフ展の紹介
今回、ウェンデリーファンオルデンボルフさんのダンスフロアアズスタディルームしたたかにたゆたうの展覧会のフライヤーとか会場サインをお願いしますっていう風に、
今回最初にお声掛けした時のことって覚えてたりします?
みとめさんから連絡いただいたのかな、担当の。
マイカムのディレイターのみとめさんですね。
ちょうどその時、本を書き終わって、確かもう発売とかしてる時だったと思うので、
めちゃくちゃ今関心がある内容だから、来たと思って。
すごい嬉しかったのを覚えてるし、一緒になんかできないかなとか思ったりもした、その時に。
一応ウェンデリーさんの展覧会のことを簡単にちょっとご紹介するとですね、
今回の展覧会は、オランダの現代美術を代表するアーティストの一人、ウェンデリーファンオルデンボルフさんの新作を発表する展覧会なんです。
2024年の11月の30日から来年の3月15日まで開催する予定でして、
先ほど中島さんからもめっちゃ関心のあるところって話があったんですが、
ウェンデリーさんはこれまで映像作品やインスタレーションの作品を制作されていて、
いずれも人種差別とかジェンダー問題とか歴史とか植民地主義とか、
もろもろ支配的な言説とか権力構造に対峙する作品っていうのを発表してきたんです。
中島さんの中で、自分とめっちゃ関心がリンクする部分ってどこらへんで聞いていいですか?
そうですね、やっぱりその、
さっき言ってたみたいに権力構造じゃないけど、横の多様性じゃなくて縦の多様性。
これは完全に私の言葉じゃないんですけど。
それこそプレディー美加子さんがそんなこと言ってたんですけど。
以前打ち合わせの時にプレディー美加子さんの他社の靴を履くって紹介いただいて。
そう、横の多様性は多分すごく大事にされるべき考え方だと思うんだけど、
縦の構造ってどうしても上は下を重んぱからないんだけど、下は上を重んぱかったりするじゃないですか。
見えやすくて。そうすると上からはその力によって下をどうにでもできちゃうし、
でも下は何とかしようとか、上にも上の立場があるよなとかって考えてしがちなんだけど、
実際は結局上の思うようになってしまってるみたいなことが起こってしまうから、
やっぱりこの縦のラインの多様性に関しては結構注意が必要っていうことを言ってて、
私もそれすごく思ってて。
ちょっと待って、まだあんまりわかってなくて、横の多様性ってそもそもどういうものなんだろう。
横はほら、いろいろさ、単純にこういう人もいて、ああいう人もいて、単純に個性として。
権力構造と多様性の議論
いろんな人いるなっていう。
そうそう、いろんな人いるな。でも縦だとやっぱり貧困とかさ、差別とか。
会社とか。
会社?会社?
会社?
会社?
社長、政務みたいな。部長。
それもあるかもね。どうしても自然に権利フォールができちゃうようなところ。
その縦の多様性の時に、力がこう、バランスが取れてないんじゃないかという感じ?
そう、横の場合は認め合うみたいなことが割としやすいと思うんだけど、
縦の場合って認め合うっていうのがちょっと起こりづらくなってきちゃったりとかするときない?
なんか、そうですね。
政治とかもそうなんじゃない?
ああ、そうかも。税金高いなとか思ったりするときもあるし、そうね。
だからどうしても既得権益みたいなものがあったときに、それを持ってる人はそれを凝視してるから、
それに対して、無頓着でそれを凝視することに対して、その下の人たちに対してのことよりも、
下の人たちは、あの人たちはいい思いしてるなってことは見やすいんだけど、
でも、あの人たちにもあの人たちの生活があるしなとか、例えばね。
例えば政治家に対しても、でもあの人たちだって頑張ってるじゃない?みたいなことを言う人もいたりとかするじゃん。
でも、頑張ってるのはみんな頑張ってるはずなのに、
でも、柔らかいそういうバランスを意外と向けがちで、
でも、それって上からすると思うツボっていうか。
しやすくなっちゃう。
その配慮っていうものが、下から上に行く場合は、結構上から下の構造に変に作用しちゃうっていうか。
なるほど。もし聞いてて思ったのは、本当に自分が思ってることをふたしちゃう感じとかあるのかなと思って、
私がこんなこと言っちゃダメかなとかを過剰に感じすぎちゃって、言葉をストップしちゃうみたいな。
そうだと思う。今すごいわかりやすい。
例えばさ、セクハラの発言がありましたみたいにね。
なった時に、された方からすると、今私がこの発言をすると場が凍ってしまうとか。
例えばね、私がこれをやめてほしいっていうことで、この場が凍ってしまうんだったら私は我慢しようみたいなのは多分縦の構造だと思う。
自分がすごい、あ、でも具体的に思い浮かんだ。
自分がすごい嫌なことされた時とか、すごい理不尽なことを扱いを受けた時に、でもこの人には家帰ったら、そのお子さんもいて、
自分がここでこの人について、すごくこれが嫌だったって表明しちゃうことで、家族が不利益を感じちゃうのかな、じゃあ黙っとこうみたいなことを感じた時、あったりもして。
それすごい今、ビビッと思い出しました。
それに関心があって。
やっぱそうですね。だから最初から別にそんな関心があったわけじゃないんだけど、やっぱり子供を産んでから、産む前かな、妊娠して自分の体がこういろいろ変わってきて、
今まで普通に暮らしてたのにお腹が大きくなっていくことで、自分の体の変化がすごいたくさん出てきて、普通の生活がちょっとままならなくなってきた時に、
初めて今までままになってた時と対照的にままならない暮らしっていうのがだんだんビビッと見えてきて、
そうすると今まで見えてなかったこういう、どっちかというと社会的弱者とされる立場になった時に見えてくるものがあって、
マスとニッチの差異っていうのは結構明確にあるなっていうことを感じるようになって、っていうのもあるし、あとは私が実家がすごい貧乏で、
昔そこで暮らしてた時にすごい貧しいなって思ったことはなかったんだけど、
こうやって社会に出て、自分で働いて自分でお金を得ていったりした時に、なんて貧乏だったんだって思うわけ。
貧しさみたいなものが、でも社会でどうしても生まれてしまうっていうのがなんでなのかってこととか、
あと教育とかもそうだよね、教育を得たくても得られない人たちがどうしてもいるっていうことが、
お金をどれだけ得られるかみたいなこととも結構近くて、
うちのおじいちゃんとか、それも世代もあるけど、絶対口とか書けなかったし、
色事実が低い時代ではあるけど、やっぱり書けなかったりもしたし、
教育というものに接点を結べる人たちっていうのが、やっぱりそこにはちょっと差異がどうしても社会の中であるし、
お金のあるなしにも結構関係してたりもするし、貧しい地域だとどうしても教育って低質になっちゃったりもするし、
多様性もそうだし。
私、今言われて思ったんですけど、僕出身島根なんですよ。島根の出雲市っていうところで、
出雲大社はあるんだけど、僕の家の周りにはめちゃめちゃ田んぼしかなくて、
田んぼと風邪しかなくて、そういうもんだと思ってたんですけど、
インターネットに繋がったことによって、自分は何かをずっと掴み損ねてるんじゃないかみたいな感覚が、
漠然とした不安みたいなのが生まれて、
繋がったことで見えるみたいな。
繋がったことで見えたりとか、自分の住んでる場所が変わったり、
それこそね、出産で体が変わったりとかすると見えてくることってあるんですね。
あるんですねってか、あるなって思ったな。
そうだね、あるよね。
ちょうどそのタイミングくらいで展覧会のデザインを。
そうそう、その本を書き終わったくらいにちょうど展覧会の誘いがあって、
もうぜひやりたいなって。
ありがとうございます。
ちなみに、色と形のずっと手前で読ませてもらったんですけど、めちゃめちゃ面白くて。
よかったです。
すごい簡単に感想を伝えるのは結構難しいかもしれないんだけど、
長島さんは女性で、僕は自認男性で、
出産することもないし、
女性になって働くということは今のところ予定としてはないみたいな感じなんですよね。
だから自分には関係のないことなのかなっていう風に思ってたんだけど、
読んでいくと、これめちゃめちゃ自分に繋がってくる話じゃんっていうのが、
それこそすごく結ばれてきて、
過去のこととこれからの未来のことが、
同時にサンドイッチされてるみたいな気がしちゃいました。
なるほど。
うまく言えない部分もあるけど、めちゃめちゃ面白い本だったですね。
その書籍が出た後に、確かにその書籍の中では、
社会の中の衝突とか対立みたいなものも結構トピックとして入っていて。
単純に子育てするってなった時に、お父さんがいて、お母さんがいて、
そこでどうしても置かれてる状況がやっぱりちょっと違いすぎて、
社会の中で女性が置かれてる状況と男性が置かれてる状況がやっぱり違いすぎるから、
認識の違いも出てくるし、子育てだけじゃなくて家事とか、
そういうケアというワークに対しての認識のズレみたいなものがどうしても出てきちゃって、
これは別に彼が悪いというよりも、やっぱり社会だよなっていうふうになってくるし。
デザインと社会的状況
具体的なパートナーとかだけじゃなくて。
やっぱり、例えば貧困でその人がどうしても食べるものがなくて、
何かを盗んでそれを食べたってなった時に、
罪としてはその人が悪いってなったとしても、
本当にその人が罪なのかみたいなことあるじゃないか。
でも社会じゃないみたいな。
その人がどうしても貧しくならざるを得なかった状況っていうのは、
もっとたくさんの社会的な理由があって、
それからそれを選ばざるを得なかったみたいな状況が、
社会によってあったっていうことが前提としてあるんだけど、
どうしても罪としてはその人を責めてしまうんだけど、
そうじゃないはずっていうこともあって、
だから個人的なことを描くと絶対社会と繋がるなと思ったのね。
だから自分自身の個人に起きている全ての事象を描いていくと、
社会が今どういう状況なのかっていうことが絶対出てくるから、
忠実に個人に起きたことを描いていって、
社会はどうであるかっていうことを見えてくるような本になるといいなと思って、
今山子さんが言ってくれたような感想はすごく嬉しくて、
まさに過去とか未来とか、自分がいる社会にどうサンドイッチされているのかっていうのを、
見えてきたら嬉しいなと思う。
デザイナーとしての挑戦
詳細に描くっていうのは。
そう、詳細に描く。
ここまで言うんだってすごい思った。
言ってないこともあるけどね。
だけど、かなり自己開示をめちゃめちゃしているなって思って。
もちろん描いてないこともいっぱいあるから、
描いてることもあるけど描いてないこともあるから、
そのアンバランスもあるっちゃあるけど、
でもできるだけ描いて、伝えたいことが伝わるために描いてたっていう感じ。
今回フライヤーのデザイン担当してもらったじゃないですか。
その底に込めたこととかも聞きたいなと思いつつ、
どうしてデザイナーの人が本を書くっていうのは、
結構意外なことだと思うんですよ。
普通だったらデザインの本を書いたりとかすると思うんだけど、
デザインが上手くなったとか、
過去どういう仕事をしてましたとか、
こういう考え方でデザインをしてますみたいな本を作るのが普通だと思うんだけど、
まずデザインの仕事がそもそも成り立たなくなってきた。
成り立たせるんだけど、育児ですごい時間を取られてしまって、
今まで100%力を注いでた質量で時間を確保してってことができなくなっちゃったから、
それこそ息子がちっちゃいときなんて、
午前中で切り上げなきゃいけなかった仕事を。
デザインが成り立たなくなっちゃうって。
そういうこと。
生活がめちゃめちゃ変わっちゃって。
申請時期って生まれてすぐ数ヶ月間とかは、
本当に月切り24時間体制でずっとやってるし、
ゼロ歳、1歳とかなっても、息子の場合はちょっと繊細ちゃんで、
あんまり子供になかなかいけなくて、
ならし保育期間というかすごい長くて、
1年ぐらいは朝9時に預けて11時にはもうお迎え行ってるみたいな感じだと思う。
2時間ぐらいしか正午に預けられなくて、
その後はすぐピックアップ行って、
それで事務所に連れてきて、
抱っこしながら仕事するみたいな感じだったから、
全然、小っちゃい頃はまだ寝ててくれたりとか、
それでも起きたりするから、結局忙しなきゃいけないんだけど、
ほとんど集中して仕事するってことができなくなっちゃって、
だから基本スタッフにやってもらって、
それをこうディレクションするみたいな感じにはなるんだけど、
あ、猫。
そうそう猫もいる。
猫ちゃんもいる。
今息子さんも、猫ちゃんもいます。
そうそう、だから第二の仕事がだんだんままならない感じになってきて、
だんだんその、
やばいやばいってなりますね。
やばいやばいってなるし、当然売上持ちで狂っちゃう。
仕事も断んなきゃいけないですよ。
受けたくても受けられないってなっちゃって、
で、断りするようになっていって、
そうすると、お金もどんどん減っていくし、
でもスタッフも雇ってるからお金払うのも。
めちゃめちゃリアルな話。
そうそうそう。
でなると、どうしようってなるから、
もちろん事務所は継続して細々やってくんだけど、
なんでこの本を書いたのかなんだけど、
デザイナーをやってるのに、デザインができない状況があるっていうことを、
書いた方がいいなって思ったの。
美大は9割くらいも女の子だし、
その子たちが、
そんなに多いですね。
そう、8割とか9割とか、
その子たちが社会に出たときに、もし仮にね、
子供でも産まなくてもどっちでもいいと思うけど、
産み台って選択肢を取ったときに、
こういう状況が待ってるよっていうことを、
やっぱ知った方が何か対策ができるかもしれないし、
その事前に何か手立てを自分で考えることもできるかもしれないし、
例えばパートナーに対してこういう状況があるんだけどって、
お互いにすり合わせることもできるかもしれないし、
パートナーの人も、もしかしたらこういう気持ちかもしれないって、
本を読んで思うかもしれないし。
なので、
例えばそういうジェンダーの不平等に対しての本っていうのは、
いろんな人たちが書いてると思うんだけど、
外学者も出してるし、小説家も書いてるとか、
いろんな人たちが書いてると思うんだけど、
グラフィックとかデザイナーが書いてはないから、
デザイナーが書いた時にどういう状況が起きるのかっていうことを、
確実に一個の例として示すことができるし、
女性の職場の環境
そうすると若い学生とかも、
こういうことになるのかっていうことが分かるといいのかなって思ったし、
あとはほら、大学ってほとんど先生が男性だったりするじゃん。
だから学生になって初めて接点を持つデザイナーの男性って、
デザイナーってものが男性だったりするわけじゃん。
そうすると社会に出た時にどうなるのかみたいな、
ロールモデルって学校にはないわけ。
そうか、想像なかなかしづらいですよね。
大学で働いてる女性っていうのがいないじゃない。
総量としてすごい少ないから、
そうすると学生からしても、
女の人のどうやって働いてるのかっていう見る機会は、
リアリティを持って見れる、
本当は一個の例だと思うんだけど、先生って。
でもそれがないし、
女性はどうしてるんだろうとかって思った時に、
聞ける人がいないみたいな状況があったりする。
そこまで考えられるきっかけをもらえるのすごいいいなって。
私も確かに女の子がすごい多いけど、
先生は1割しか女性はいないみたいな感じで、
就職することにはすごい、
うちの大学就職率ありますって言ってくれるけど、
じゃあその先のことって大学教えてくれないなみたいな。
みんな見てくれる先生はいるけど、
大学自体はそこまでは見てくれないみたいな。
だし先生たちもやっぱり、
その世代だったらもしかしたら、
家事いくつ全部丸投げしてる世代かもしれないし、
その先に女の子たちがどうなっていくのかみたいなことは、
先生たちも見えてない可能性があるね。
そっかそっか。
先生の経歴もね、結構バラバラだったりするし。
それは、本当にいろんな人がそれ紹介してた方がいい感じだね。
そう、私も学生の時、全然わかんなかったし。
自分が子供かどうかもわかってないけど、
若いからとりあえず目の前のことをやって、
なんとなくこう、いい未来しか描かないじゃん。
そうですね。
いい未来しか描かないし、
何でもやってやるみたいな、
どうにでもできるみたいな変な自信があるじゃない。
あるある。
だからなんとかなるだろうとか思ってたし、
でも実際だとどうにもならないみたいな状況があって、
これは絶対私だけじゃないっていうのもあったし、
デザイナーだけじゃなくて建築もそうだし、
アーティストだってそうだろうし、
ものづくりに関わる人たちが女性で、
もし子供を産むってなったら絶対同じような壁に打ち当たるし、
なんかその辺の話は、一応社会一般ではだんだんもちろん議論されるようになってきてるけど、
ものづくり界隈でそういう話がされてるかっていうと、
もしかしたらそうでもないかもしれない。
だからやっぱり建築事務所の個人事務所だったら、
やっぱりなかなか帰る時間が遅いとかさ、
それは当たり前のようにそういう生活は、
うちもそうだったけど、やっぱり遅くまで仕事をするっていうことがデフォルトで、
でもその生活を続けてたら絶対子供を産んで育てる暮らしにはならないわけ。
成り立たないですよね。
成り立たない。
だからやっぱり女の人がキャリアをもし積んでって、個人事務所とかでね、
いずれなんか自分で事務所を持つとかするとしても、
今誰かの事務所に属してる場合はやっぱり組織が変わらなきゃいけないから、
組織がどういう風に変えるべきかっていうことはちょっと参考になるかもしれない。
本を読んでもらうと。
なりそうなりそう。
なんかそれはすごく、自分は男性だけど、自分にとってもその辺りとか、
どういう風に、例えば一緒に働いている人が子供を持つとか、
もしかしたら自分もそうかもしれないけど、
その時にあらかじめ知っておきたかったっていうのを知れてすごい嬉しいって感じ。
これだからいつかそういう場合になった時に、真剣ゼミのように、
これ見たところだ!みたいな場面ありそうだなと思った。
ね、そうだよね。
なんか私話聞いてて思ったんですけど、
ものづくり界隈における女性のキャリアの話って、
確かにあんまりされてないなっていう気もする。
ちょっとわかんないけど、でもそんな気もする。
なんか女性のキャリアっていうよりかは、
女性のキャリアをすごく個人的な話を起点にされるっていうのって、
なんかなかなか読んだことなくて、僕自身は。
で、逆に言うと男性の仕事の話とかも、
めっちゃマッチョっていうか、
私はこんなに成功しましたみたいな、こういうふうにして。
それをめっちゃマッチョって言うの?
なんかこう考えていて、あなたも俺のようになると成功しますみたいな。
一本道でドーンみたいな上上がっていくみたいな。
そういうのってたまにちょっと賭けの怒りでいたりで読んだりもするじゃないですか。
僕自身あんまり、こんなこと言ってもわかんないけど、
昔めっちゃテツヤーとか、二鉄三鉄みたいなこととかも書いたりしたんです。
それはワイカメかどうかはちょっと一旦置いといて。
で、そうなった時にそれ続けられないなって思うし、
なんかそれがもしその強さみたいなものを、
その強さを男らしさだとするのであれば、
男らしさはいいかもみたいな。
自分は自分らしさの働き方ができればいいなって思うから、
なんかそれは、女性だから知りたいもあるし、
逆に言うと、男性でも自分の働き方も残していたりすると助かる人っていうのかもしれないなって思う。
そうだよね。
ちょっと長くなっちゃった。
いやいやいや、ほんとそうだと思う。
私が大手にいた時に、この言葉使いがいいかわからないけど、
男のように働くっていう感じがあったわけね、意識として。
女性の働き方の変化
周り男ばっかりだし、その人たちとリズムも合わせて、
それこそ二鉄三鉄もそうだし、
ずっと一緒に遅くまで働いてたっていうことがあって、
同じ体のように。
そうそう、同じ体のように働いてて、
性質があっても、PMSがあっても、ないものにするみたいな感じが当然だし、
気合で行こう。
気合で行こうみたいな。
でも実際、自分が子供を授かって、体が変わっていって気持ち悪くなったり、
頭が何にも考えられなくなっちゃったりとか、ボボーっとしちゃったりとかするんだけど、
明らかに体の変化が起きてくると、男性ではなかった、私はみたいな。
どんどん歩みも遅くなれば、仕事もだんだんうまくできなくなってきて、
気持ち悪いとかなんてできないみたいな。
そうなってくると、あれ、私は今まで男のように働いてたら、
なんで女性の体の声を聞かずに仕事してこなかったんだろうって思ったし、
かつ、なんで私は誰かになろうとしてたのかなって。
なんで私は私のように働くっていうことを、今山岡さんが言ったみたいに、
私は私のように働くってことがなんでできなかったんだろうと思って、
それがやっと体の変化で気付けたっていうのがあって、
自分が今こういう状況なんだったら、こういう状況でできることをしようっていう風にだんだん変わっていったっていうのもあるけど、
それがなかったら多分、誰かのように男性のように働くみたいな軸しか見えなくて、
それでちょっとやってただろうなと思う。
確かに。
なんか人のこと、自分のことが見えないって人のことも見えてなくなっちゃう気がするし。
育児と社会の関係
働き方って誰を追ってるのか全然わからないなっていう風に。
そうね。
でもなんかどこかの方角に向かって、誰かの走ってるところをちょっと目指しているような。
目指してるっていうか、そこのように働くんだろうなみたいな。
パターンとしては1,2,3の中で、たぶんそこで条件合わせて、自分は一人暮らししてて、
パートナーがいるかどうかっていうよりは、今のところ自分が好きなように働けるっていう人のパターンのように働いているみたいな感じが。
うん、するなーっていう。
その具体的にモデルがあるっていうよりかは、もう少しぼやーとした。
そう、モデルとかじゃない感じで、私の今の働き方は。
その時の基準みたいなのあったんですよね。
基準?
俺はかっこいいエルケーター像みたいな。
多分昔と今で結構違う気がする。
それこそなんか、もう最強で、バリバリで、グイグイのコラボレーションしまくってみたいな。
そういうのが昔だったと思う。
けど、なんか今はもうちょっと実直。
実直。
でもそれは本当にいろんな人を見る中で、解像度が上がるってすごいクリエイターっぽい、
クリエイティブ業界の人たちの言葉って感じするんですけど、解像度が上がる感じはしますね。
選択肢が増える感じする。
そんな感じ?この音楽なんか。
でもどうだろう。もっとぼやーっとしてるかも。
多分まだ見てる人たちが、まだ多分限られてる。
働いてる。
この社会で働いてるって人たちを見てる事例が多分もうちょっとまだ少ないから、
なんかもっとすごい輪郭がないものって見てるかな。
なるほどね。
確かに若い時に、こういう仕事したいなとかって向こうの方にあるわけ。
キラキラ光ってるものは。
で、ああいう風になりたいとか、ああいう仕事したいとか、そういう方向を向かってるんだけど、
やっぱりだいたい男性だったんだよね。
で、その人たちがどうやってその仕事ができる時間を確保してるのかっていうことがやっぱり見えなかったし、
みんなそれは見えないと思うんだけど、
蓋開けたらやっぱり、多分子育てなんかできないわけ。
その時代の人たちとか特にそうだと思うけど、
私今43とかだから、それで、
あ、44になりました。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
44になって、
私の世代より12、30とかって上の人たちを見ると、
だいたいその世代ってやっぱり育児丸投げタイプの世代でしょ。
大概、断定してあるんだけど。
ちょっと違うって人いたらね。
あ、言ってください。
教えてほしいですよね。
教えてください。
周りの人たちとかも、
カルチャーとか当時の。
そういうのを観護を見てもそうだったんだろうなと思うし、
その時間を確保してできる、
その熱量を持ってできるものと、
時間がなくて全然、
限定しながら自分の中で取捨選択をたくさんしてって、
その手の中に収まるものが数少ない中で、
作っていくものと、
まあそれは違うよねって思った。
手の中に収まるものが少ない。
少ない、やっぱりその、
いっぱいさ、自分の手の届く範囲っていうのは、
もう本当に動けないわけよ、私自身は。
例えば赤ちゃんを抱っこしてて、
ここからかき集められるものなんて、
もうたくさん知れてて、
赤ちゃんが例えば育ったとかしなくてよくて、
家事も育児もやらなくてよくて、
それはもうどこにでも行けるし、
どこでもこうやってかき集めることができるじゃん。
半径はもう私の手の届く範囲でしかないけど、
かつてすごいなと思ってた人たちが、
どうやってその、
自分が欲しいものとかを目指すこととか、
時間も含めてかき集められてたかっていうと、
やっぱりいろんな場所に自由に行ったりもできるし、
打ち込める時間もたくさんあっただろうし、
いろんな人と会って、
会って、いろんなものを吸収してアウトプットする時間もあって、
みたいなね、
やっぱり社会で置かれてる場所はちょっと違うっていうのはあるかなっていうのは、
後から思ったっていう感じ。
もちろんそれだけじゃない部分もあるとは思うけど、
でもそこを本人の才能だよねみたいな話で、
まるっとやっちゃうと危険と思ってて、
才能とかもちろんあると思うよ。
資本主義とデザインのジレンマ
それぞれ資質としてそれぞれの向いてる向いてないとかもあると思うけど、
前提として男女が今どういう状況なのかって話は丁寧にやっぱり紐解いて、
やっていかないと、
多分仕組みが変わっていったりとかしないと思うし、
なんか聞いてて思ったのは、
僕はすごい男性ボディだし、
生理とかも毎月来るわけじゃないし、
それに結構気づいた時があって、
てかバリバリみたいな感じで、
マジで分かんないですよそれね。
でなんかそれが全然違うんだなって、
体も違うし、
それはね、
痛い時があるって言ってたんですよね、
一緒に働いてるところでは。
それまでそのリアリティ全然なくて、
そうなんだみたいな。
で言ってくれてありがとうって思ったし、
その上でどうやってチームとして一番いい形でできるかなっていうのを、
一緒に探ってきたっていうのがありますね。
いいですねそれ。
いやそれすごい。
だから本当にチームとしてこの育児もそうだけど、
それともやって成り立たせるかっていうのは、
やっぱり一人じゃ無理だなって思って。
なるほどね。
それこそパートナーもそうだし、
周りの人たちとどうやってやっていくかっていうのは、
今は私の順番だけど、
今度違う誰かがそういう順番が来るかもしれないし、
そういう時にどういう仕組みを渡せるかとかさ、
どういうフォローができるかみたいなことも含めて、
そういった循環していくものかなと思うし、
そうかそうか。
この話はデザイナーのほうになぜ本をっていう話からされてるんだけど、
だから一つはそのモデルケースというか、
実際にデザイナーを目指す女性とか、
参考にする人がいなさすぎっていうのがあって、
自分がそれを提示しようっていうのがある。
あとあれかな、自分っていう個人を描くと社会を描くことになるから、
その社会の問題点みたいなことが見えてきたりとか。
そうですね。
だからさっき山岡さんが、
俺は男だけどでも感じるものがあったって言ってくれたみたいに、
結局社会はみんなのものだから、
私個人のことを描いたとしても、
何かしか接点が必ずあると思うし、
社会がだんだん見えてくると、
それぞれの場所でキャッチする社会がきっとあると思うし、
そういうものにできたらいいなっていうのも。
めっちゃいいなって思ったし、
具体的にこの商品を売るために課題を解決しましょうとかじゃなくて、
それしか見えてなかったら、
もしかしたら受けコンとか、
受けコンって何?
闇バイトみたいな、
デザインだったりとかしたら最悪じゃないですか。
それによって社会が悪くなっちゃったり、
もちろんそういうことはないと思うんですけど、
狭いところを見ていることで発見できることもあるし、
解決できることもあるんだけど、
でもそれをもう少し広い視点で、
そもそもの地面をもう一回デザインし直すっていうか、
疑ってみるみたいなきっかけとして、
コンが出されたのかなっていうふうに思います。
そうだね、そもそもだから、
タイトルもね、色と形のずっと手前でっていうのは、
やっぱり色と形を作ることを生業にしてるのに、
でもそこに全然たどり着かない手前でわちゃわちゃしてるっていうことなんだけど、
手前でどういうことが起きてるのかっていうところは、
今言ってくれた地面の話だと思うんだけど、
地面のことをもうちょっと見てみるっていうことで言うと、
手前で起きてることって、
単純に今言ったみたいに仕事にたどり着かないよみたいな、
時間とか物理的な状況とかもあるけど、
もう一個この本でテーマにしてたのが、
資本主義のこととかも書いてたと思うんだけど、
都市というものが成り立っていることと、
自然というものがベースにあって享受している私たちっていうものがいる中で、
でも仕事の成り立ちっていうのは、
資本主義の社会をベースにして成り立っていて、
その中の勝ち軸で私たちは生きてるけど、
子供が生まれて起こっていることって、
ものすごいプリミティブなことばっかりだから、
もう全然真逆のことがたくさん起こってきて、
今まですごくパシッとした世界を、
マックで作ったり直線的なものを扱ってたらね、
急におしっこだうんちだみたいな話になってくるわけ。
毎日おしっことうんちに対峙してるみたいな。
めちゃめちゃ手前だ。
めちゃめちゃ手前で、
そして私のおっぱいから汁が出てくるっていう、
白い汁が出てくるっていう、
動物がどうやって命をつないできたのかみたいな、
本当に原始的な話を体感するような時間って、
デザインなんかしてたら、なんかしてたらって言ったらいいんだけど、
全然感じないわけ、そんなこと。
全く感じないし、
それとすごい真逆のこういう世界があって、
かつこれは全員が減ってきてることなのに、
この命を生んだり育んだりっていうこの時間は、
全員が減ってるものなのに、
社会では全くその状況とか、
そこで得られる価値観とか、
全く資本とは全く真逆の、
全然違う物差しがここに存在してるけど、
でも社会ではその物差しって全然機能してないっていうか、
デザインと自然の対比
ないものになってるっていうところがあるなと思ってて、
ないし見えない。
見えない、そうそうそうそう。
だからなんかそれをその手前でどういうことが地面で起きてるのかっていうことを、
詳しくこう書いてみるっていうことも、
なんか文章中で結構その直線と曲線っていう対局で、
結構象徴的に表現してたりとかするんだけど、
デザインとか資本主義とか都市とかっていうものを直線だとすると、
自然は曲線でメタファーとして言葉で描いてたりするんだけど、
その曲線を描き方っていうのは結構楽しみながらやったと思ったりとかして、
できるだけ私たちがどういう曲線を体に持ってるのかみたいなこととか、
考え方としてどういう曲線があるのかみたいなことは、
結構書けたらいいなと思ってやってた。
面白かった。
いつもしには曲線ばかりでましたね。
え、そうですよね。
そうだよね。
そうなんですね。田んぼもそうだし、
あぜ道だったりするし、
うちもデコボコしてるし。
デコボコも直線ですね。
そうですね。田んぼもさ、
田舎とかさ、ああいうもうちょっと昔の在り方だったらいいんだけど、
ちょっと工業的になってくるとやっぱり直線的になってくるじゃん。
そうですね。
人が手が入ってくると、
効率とか合理性とかを求め始めると、
どうしてもサーフェイスがどんどん直線的になってくるっていうのがあって、
使いやすくなる感じ。
そうそうそうそう。
それがまた象徴的で面白いなって。
そういうずっと手前のところで、
タイトルどういう風につけたのかなって気になってた。
タイトルは結構すぐ浮かんだんですよ。
そうですね。
なんかその本書く前から、
なんか色と形を作りたいのに、
すごいずっと手前にいるなって思ってた。
だからそれがそのまま本を書こうって思って、
タイトルはこれだなって思って、
すぐ決まって。
なるほどなるほど。
タイトルがすぐ決まったから、
向かう方向はなんとなく見えてて、
そこをピースを埋めるためにこう書いてたみたいな。
これあのめちゃめちゃもっとどんどん時間が。
無限に使いたいなって。
徹夜で修読したいなって。
これをこの後編集するのはけいなちゃんなんですよね。
そうだね。
ウェンテリンさんのフライヤーって、
すごく青と赤がグラデーションになっているのが印象的な、
フライヤーになっているものですけど、
なんかどうしてああいう形になったんですか?
まず一番最初は確かね、
もし色を使うんだったら紫がいいみたいな、
バクとした話がちょっとあったんですよ。
ウェンテリンさん紫好きらしくて。
あとクイアを象徴する色として、
紫かピンクみたいな話があって、
それで紫をピックしたっていう経緯がありました。
そうなんですね。
っていうのは前提としてバクとしてあったんですけど、
ウェンテリンさん自身が紫好きだったんですね。
そう紫好きで、
前トゲンビでやった時も結構紫を使ってたりとかしたんですけど、
タイトルを今副題的にしたたかに変えたっていう言葉が入ってると思うんですけど、
それを担当の美留さんが日本語で示したいんだけど、
それを副題として、
英語がダンスフロアーズスタディイベントっていうのがあって、
それの副題をひらがなで示すか漢字で示すか迷っててって言ってて、
美留さんが言ってたんです。
ひらがなというものはかつては女性が使うものだったし、
漢字は男性が使うものだったし、どうしようかなとか言ってて、
なるほどねと思って、
それはどっちも使った方がいいんじゃないかなと思ったんですよ、その時に。
どっちも示して、
これはすごく対極に2つのものが対峙し合う構造が作れそうだから、
全く勝ち軸として違うものを2つ提示することができるし、
それが両サイドにあって、
それがだんだん混じり合うみたいな感じのグラフィックができたらいいなと思って、
そうすると色は、美留さんは紫が好きだって言ってたから、紫を解体すると青と赤になりますから、
青と赤を両サイドに置いて、
それがだんだんしたたかにたゆたうっていうタイトルらしい、
たゆたいの中に何か答えがあるんじゃないかっていうことだと思うから、
自分は今どこにいるんだろうね。
思考としてたゆたっていくことで、
したたかに生きていくことが、この世界をサバイブしていくことができるんじゃないかってこともあると思うし、
紫が色んな多様な紫があるようなグラフィックになるといいかなと思って、
それでああいうグラデーションのグラフィックにしたって感じ。
最初から紫ってのは、もう全面バーン紫とかじゃなくて、
最初から混じり合ってるものでもないし、
でも青と赤がやーっと混ざっていって紫になっていくって、
そういう意図があったんですね。
本の中でもすごい書いてたんですけど、
私グラデーションって言葉を本の中でも結構使ってて、
例えば男女の間で、どこで価値観の擦り合わせをしていくかってなったら、
やっぱりグラデーションだと思うんですよ。
異なる多様というものがいたときに、どうやって折り合いをつけるかって言ったら、
お互いに譲れるとこ譲れないとこっていうのを、お互いに考えながら調整していくじゃないですか。
それってやっぱりこれって決めるものではなくて、
抜き差しがあるものだと思うし、
だから歩み寄りの技術なんだなと思って、そこは。
昨日すごいめっちゃ思って、
タイトルとグラフィックの意図
今友人と一緒に、このぐるぐるラジオとは別でラジオをやってるんですよ。
それの字幕をつけるっていう作業をちょっとやろうと。
そのときに僕ともう一人やってる友人で、
和写を表記するかどうか。字幕に和写を表示するかどうか。
僕の名前と友人の名前。
セリフの前に加工付きで入れるかどうかっていうので、結構バチったんですよね。
僕は結構入れる派。
友人はあえて入れない派だったんですよ。
そこで対立して、対立して初めて、
なんで自分はこれがいいと思ってるのかっていうのを、
相手に説明しなきゃいけないことをして。
そうすると、自分は字幕は誰が読んでも伝わるようにあるから、
絶対和写あったほうがいいでしょってなったし、
だけど友人は友人で、その字幕に和写表記があったからといって、
その話している内容の面白さを、
例えば耳が聞こえない人、耳が聞こえづらい人とかが、
面白さをちゃんと享受できるのか。
本当に面白さを享受するには、和写を表記するで終わらせちゃダメで、
どこで言葉を区切ったり、会話の言葉とか意味内容だけじゃなくて、
テンポ感だったりとか、そういうのをもっと字幕で出したほうがいいんじゃないかっていう風に予定と受け取って、
話していって最初気づいたんですけど、だんだん折り合いがついていって、
で、僕も今それ納得して、最終今一旦和写は表記しないというルールになったんですけど、
そう、なんか対別しないと、自分がどこ立ってるかって結構わからんなって思う。
なるほど。
ごめんなさい、これちょっともともと話したいなって思って、用意しちゃってたやつ。
今の話?
今の話。
そうなんですよね。
そうだね。
まさにそういう折り合いをつけるっていうのが、ちょろちょろ気になったりして。
気づいたんだな。
対立することって結構あるじゃないですか。
あるあるある。ある。あるよね、いっぱい。
そう、メモにあったもんね。
対立良くないって思ってたんですよ。
でもその友人と話して、意外と対立も悪いもんじゃないかもなって、もう感じる。
いろんな背景の人がいるから、絶対同じにはならないもんね。
そうですね。
やっぱこう、今いいとこはどこなんだっていうところを、折り合いつけていくっていうことをしないと進まないもんね。
さっき資本主義の話ちょっと言ったからなんだけど、
資本主義っていうものがあったとして、対極に社会主義っていうものがあったときに、
資本主義はどんどん生き生きどんどん何かを作って壊して、そしてお金を生み出してっていう概念だけで生きていくみたいな感じがあって、
一方で、社会主義ってなったときに、やっぱりもうちょっとみんなを平等にとか、
経済の在り方としてはもう少し地球にとって優しいみたいなことを考えながら、
ものを生み出したりしていくっていうふうに変えることができるかもしれないみたいなことを、
哲学者の斉藤光平さんが言ってたりすると思うんですけど、
今今度それだとやっぱり社会が停滞しちゃうんじゃないかっていうので、
倫理資本主義っていうものがあるんじゃないかって、マルクス・ガブリエルって哲学者の人が言ってて、
それはその資本主義っていうものがもうベースとしてあって、
でも社会主義ってなるとどうしても停滞してしまうっていうことがあるから、
でも倫理的に、それこそその環境に対して優しいっていうこともそうだし、
倫理的な観点でこの資本主義というルールを活用しながら人間の欲望も満たしつつ、
でもやっぱりどうやって、
折り合いですね。
本当にだからそれはどうやって折り合いつけるかってことだと思うんだけど、
なんかそういうふうに、間を考えていくとまた新しい概念もできたりとかして、
それでまた前に進むってこともできるかもしれないし、
やっぱり対立してるだけだともう争いが起きちゃって、
前に進まなくなっちゃうし、
前に進むためにやっぱりどう折り合いつけるのかみたいなことが必要なのかなって思う。
対立はそもそも全く同じ人間はいないので、
うっすら全員対立してるような気もしてて、
その上で声出して対立を表明することとか、
特に大変なのが多分あれですね、
折り合いをつけるパート、あれめっちゃしんどそうですね。
政治的にも右派とか左派とかあったりするんだけど、
そこの中で固まって安心もある。
心地よさもある。
同じ考え方の近い人たちとして固まって安心もあるけど、
意外と違う人同士で話すと自分はおもろって思ったりとか、
こいつ意外とおもろ、みたいなのもめっちゃありそうだなって。
すごい難しいよね、全く意見の異なる人と話すってね。
難しいそう。
フィルターがすごい、最初のフィルターがすごいかかっちゃう、自分に。
でもどっちに言ってもちょっと分かり合えないかもなとか、
言語が違う、自分が使ってる言語と違うんだろうなって思っちゃうと、
言語を理解するところからっていうので、
すごい大変かもっていうふうに思っちゃう。
めちゃめちゃリアルだね、諦めちゃうときあるね。
あるよね。
諦めたくなっちゃうような状況を改めて掘り返して、
作品として改めて議論の素性にあげるっていうのが、
多分、ベンディさんの作品だと思うので、
改めてそのグラデーションの中の自分は今どこにいるんだろうとか、
作品を通して他の人と話してみようみたいな。
そういう考えてもらうきっかけ、話してもらうきっかけになると、
めっちゃいいなって思うし、
こんなこと言うのもあれですけど、
すごくチラシのグラフィックめっちゃ好きです。
いいと思うよ。めっちゃ好きです、あれ。
嬉しいですね、また。
そこにいるみくちゃんと一緒にやったの。
そうなんですね。
生花物の制作とチームワーク
グッジョブです。
アカウントのアカウント?
そうそうそうそう。
やってます、やってます。
ここ山口なのかなって思って。
長島理子子さんというふうにご紹介をしているんですけども、
生花物もビレ地の皆さんで一緒にチームで制作しているんだと思います。
そうです、私一人じゃできません。
ずるいわ。
そうです。
01:05:01

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