1. YCAMぐるぐるラジオ
  2. YCAM ぐるぐるラジオ Season3 #8
2025-03-06 48:35

YCAM ぐるぐるラジオ Season3 #8

前回に続き、YCAMで開催中の展覧会「Dance Floor as Study Room—したたかにたゆたう」のグラフィックデザインを担当いただいた、長嶋りかこさんをゲストにお迎えしました。

後半はぐるぐる相談室。

ダンサーの笹本龍史さんのお悩み「余裕を持つにはどうすれば?」、山口市立中央図書館のスタッフ末永眞央さんのお悩み「アナログとデジタルの使い分け」について、そして長嶋さん自身のお悩み「老いと創作」についてぐるぐるお話しました。

収録日:2024/11/14

サマリー

YCAMぐるぐるラジオのエピソードでは、永島莉佳子さんが過去のゲストから寄せられたお悩みについて議論します。今回取り上げられる相談は、「余裕を持つためにはどうしたらいいか」と「アナログとデジタルの使い分け」です。それぞれの視点から興味関心が広がるプロセスが探求されます。このエピソードでは、デジタルとフィジカルの情報処理に対する苦手意識や、創作活動における老いの影響について考察されます。主に、情報のヒエラルキーや整理の難しさ、テクノロジーに対する関心の違い、子育てや老化が創作に及ぼす影響が議論されます。また、自分の得意分野や創造性についても語られ、工夫や集中の重要性が強調されています。特に、物を作ることやその過程における自己表現の重要性が説明され、他者との関わりが創作にどのように影響を与えるかが示されています。さらに、長島さんは自著『いろいろと形のずっと手前で』の販売方法や印刷プロセスについて語り、読者に向けた特別なメッセージを伝えています。グルグル相談室のコーナーでは、リスナーからの疑問や悩みが募集されています。

余裕を持つための考察
YCAM
ここまでお話をお伺いしたんですけれども、この後はぐるぐる相談室のお話を伺っていきたいと思います。
本日は、永島莉佳子さんの事務所にお邪魔して収録させていただいているんですけれども、後半のぐるぐる相談室に行きたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。このコーナーは、YCAMぐるぐるラジオ宛に届いた疑問・質問・お悩みを一緒に考えてみるというコーナーです。
永島さん、引き続きよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今、過去のゲストから寄せられているお悩みがございまして、今日は2つ聞いていきたいなと思っています。
1個目のお悩みが、Season3のシャープ4の回、坂本良次さんから寄せられているお悩みで、なかなか新しいことに関心を持てないんだと。
でも、それって余裕がないからかもしれないなと。
じゃあ、余裕を持つためにはどうしたらいいんだろうというお悩みでございます。
すごい、しょっぱいお顔をした。
余裕を持つためにはどうしたらいいんだろうということで、シャープ4の時に、春樹とかは生活の中でどこか削れる時間がないかなと。
映画を初めて1.2倍速で見てみたみたいな話もしてたんですけど。
この日限りでした。
この日限りだったんだ。そうなったんだ。1回だけ?
1回だけ。
それはやっぱり良くなかった。
もう忘れてましたね。1.2倍速で見てたことを。
そうなの?
その習慣はあんまり長続きしなかったね。
そうですね。
長島さんは余裕今あるなって感じ?
ないないない。
ないなって感じ?
そうなんですね。
多分、睡眠を削ったりとかすれば生まれてくるんだよね、時間は。
なるほど。
でも、睡眠削ると、私8時間寝ないとダメみたいで、風邪ひいちゃうんですよ。
すごい。
もう分かったの。確実にそうだって分かって。
前は、1回子供を寝かしつけした後に、もう1回起きて仕事するとか、自分のことをするとかしたんだけど、確実に風邪ひくわけ。
体調崩すと、次の日とかエグすぎて。
私が風邪ひいてたって、ご飯作んなきゃいけないし、子供の世話しなきゃいけないし、誰も何もしてくれないし。
私が動かないと息子が立ち行かなくなるから。
結局、私がやるのであれば、私の体がまず大事だから。
8時間寝ると、風邪ひかないってことが分かって。
すごい。シンプルですね。
睡眠大事。絶対そこはもう今、確保してて。
どんなに忙しくても、8時間絶対寝るんですよ。
前はそんなことなかったんだけど、大体前は5、6時間で、朝起きて一言目疲れたって言ってる。
分かる。
昨日4時に寝ちゃって、目がパキパキになっちゃったかもしれないです。
朝7時くらいに起きちゃったから、3時間くらいしか寝なかった。
行けるっちゃ行けるじゃん。
行けるっちゃ行ける。
行けるっちゃ行けるんだけど、私44になって、もう行けなくて。
行けなくなった。そうなんだ。
いつ頃からですか?
本当に子供を産んでからかも。
体力を全部彼に持ってかれるみたいなところがあって。
なるほど。
もうダメになっちゃった。できなくなっちゃった。
だからもう8時間は絶対でしょ?
だから削るってなると、ないんですよ。だから削れるところ。
削れるところがない。
ない。だから、このお悩みで出てた余裕、私もないんですよ。余裕なくて。
余裕が欲しい理由って、興味を広げるみたいな話だったじゃないですか、そもそも。
私そういえば興味広がってんのかなって思ったら、そんなに広がってないんですけど、
大体でもその興味の広がり方って、仕事きっかけだったりとかするのもあるのと、
あとは余裕がないと、今度自分の中で興味関心が出てくることって、すごい切迫した内容になってくるわけ。
もう必然性があること。自分にとっての必然性があることとか。
例えば?
育児とか、男女の不平等だったりとか。自分にとっての切迫性を持って興味関心があることっていうことだけにどんどんフォーカスされるようになってきて、
そうすると興味が枝半に分かれてくるんですよ。なんでこういう社会の構造になってんの?とかもそうだし、
こっちの業界だとそこどうなってんだろう?とか、あと権力って何?とか、あと家族ってどういうもの?とか、
アナログとデジタルの使い分け
そうするといろんな方向に分かれてくるようになって、興味がじわじわ広がっていくみたいなのはあるかも。
それは結構本質的な自分の興味みたいな感じになってきて、自分のいずれ背骨になってくるものみたいな感じなんですけど、
一方でもうちょっと興味関心の広がり方として、もうちょっと刹那的なものっていうと、
単純に対人で、すごい私が興味ある人が興味を持っていることか何かみたいなことで影響を受けたりとか、でもその程度かもしれない。
確かにそれ結構あるかも。長島さんと打ち合わせの時に、それこそブレーディー美香子さんの本面白かったよって紹介してもらって、読んでて、めっちゃおもろーってなったりとか。
嬉しい。
そうありますね。人づてに興味が広がることもあるし。
でも切迫した悩みから徐々に枝葉になっていく時って、切迫してる時って、切迫してるその悩みが、なんか掻き消しなきゃってそこで終わっちゃうの?枝葉になる。
終わんない。
終わんないんですね。
なぜになっていくから。なぜこれが起きてるんだろうって思うと、私ら結構本になっていくんだけど、
なぜだなぜだって思って、その関係する本を読んでいくみたいな感じ。
なるほどなるほど。だから切迫のイメージがちょっと違ったのかもしれない。
なるほど。
お腹空いて、そういう切迫かなって思いきや、もう少し社会的なこと?切迫?
でもすごい個人的なことでもあるんだけど、社会的なところに行く、もっと手前のところで完全に個人的な切迫した理由なの。
例えば、お母さんと仲悪いなとか。自分がね、母親とうまくいってないなとか。ってなると、なぜ母と娘はうまくいかないのかとか。
で、そうするとだんだん折り起こしていくと、結構家制度とか関係してきたりとか。家制度で、やっぱり家族の中で母親というものが全部家事と育児とかバーってやってると、お母さんにタスクがいっぱいになっちゃって。
お母さんという存在が、もう基本余裕がないわけ。余裕がないと常にこう、機嫌悪いし。シンプルに機嫌悪いし。
強く当たられるとかね。
誰かをコントロールしようとした時に、力で恐怖とか、強制とか、あなたこれ何々しなさいっていう。
共感というよりは、強制によってその人をコントロールするみたいなコミュニケーションになりがちだし。
あと、娘の方が、お母さんとしてはちょっと自分を投影しやすいみたいなのもあったりとかして。それでコントロールしがちとか。
1個の悩みからいろんな背景を、背景が全部紐づいたりとかするから、それで広がってたりとかする。
確かに余裕ない時って、逆にどんどん視野が狭くなって、何でこれしてくれないんだろうみたいな。
結果、自分に何かしてほしいとか、自分ができないとかの方になっちゃうなあっていう。自分もそうだなって思うんですけど。
逆にそれがすごい視野を広げるんですね。社会とか、何でそのせいとなってるんだろうみたいな感じで。
面白い。聞いてて思ったのは、余裕がない時に、もうちょっとそれを考えてみるみたいな、漠然とした不安のまま持っておくと、
よりどんどん余裕が心にもなくなっちゃう気もして。
それをもう少し細かくほぐしていくと、自分の中でこれが原因かもとか、言葉にして。
もしかしたらその時に考えたことって後々変わるかもしれないけど、一旦そこで自分が落ち着くみたいな。
そういう心の余裕の持たせ方あるんだなって思って。あるんだなって思って、自分もそういう時あるなって思って。
そっかそっか。
あとなんか、それをせざるを得ないみたいな感じかも、私の場合は。
もうそれをしないと、ちょっと不安。解決できない。知りたいから、知るために枝葉広げていくみたいな感じかも。
分かんないから、分かりたいと思って。
だから、興味。興味の広げ。
何だっけ、違うか。余裕を持つことが必要な気がするっていうお悩みね。
でもそう、余裕って言った時に、でも上手く言えない。上手く言えない、ごめん。
余裕の持てなさを認めるっていうのも一つあるのかもしれないですね。
そうかもね。
自分今余裕ないかも、とかって、そもそも余裕ないと、結構気づけん時あるかもしれない。
そうだよね。
なんかでも、忙しくて余裕ない時の方が、いろいろ興味なキャッチできるのあるよね。
本当?
余裕があると、意外とずっと寝てるみたいな。
ニートンの時とか、やばかったですね。
そっか。
寝てた?
すごい寝れるんですけど。
今日も10時間寝てきたんですけど。
夜から朝にかけて10時間寝て、また昼寝も3時間して、みたいなことできちゃうんですけど。
赤ちゃんじゃん。
めちゃ寝るよね。
ニートンの時、本当何も物考えられないみたいな。
寝るか、テレビ見るか、みたいな。
YouTube見るか、とかなっちゃうんですけど。
働いてると、それをしないから、仕事のことを考えたりとか。
余裕があると、自分のことを考えてしまう。
家に入っちゃうってこと?
そうなんです。
忙しいと、それが外に向けたりとか、誰か対象の人に向けて思考を巡らすことができるから、
私も忙しい方が、ちょっとありがたいぐらいだなっていう風に。
たまに休みがあるぐらいの方がいいのかもなっていう風に。
なんか聞いてて、時間があるのと余裕があるのって結構違うんだなって思ったし、
確かに考え込みすぎちゃうのも、それはそれで問題だと。
なるほど。
という。というでしまったかな。
ちなみに、僕は映画は全然2倍速で見る時もあるし。
本当?
あるある。
それって何?声とか早くなっちゃう?
早くなる早くなる。
耳が慣れるのすごいですよね。最初は本当に聞こえないんですけど、2倍速だんだん聞こえるように。
なんかでも、役者の間合いとかそういうの無視ってこと?
それは自分の脳内で保管します。
面白そうなんだ。
ここで本当は2倍の間合いを想像しながら見てる。
本当?
そうなんです。
どういう基準に2倍にするんですか?
そうだな。見なきゃいけないけど気が進まない時に2倍で見たりとかするかな。
たまに仕事で見なきゃいけないとか。
でも結構忙しいみたいな。
情報として入れなきゃいけないからね。
だけど、でも2倍で見るのを2回やるとかもあるんですよ。
どっちがいいんだろうと思いますか?
本当だね。1回でよかった。
結局、当売の時間になってるんですけど。
2回見ることによって改めて、最初のシーンこうだったんだとか、
無事発見することも多かったりするから、
普通に当売で見る時もあるし、必ずしも2倍がダメだと結構自分は思わない派かもな。
監督からしたら迷惑な話ですけどね。
そんな感じで、2つ目のお悩みに行ってもいいですか?
2つ目のお悩みは、アナログとデジタルの使い分けってどうしてますか?っていうお悩みです。
これはシーズン3のシャープ6の回で、山口中央図書館の末永真夫さんから寄せられたお悩みです。
これもともと何かというと、図書館で末永さんは働かれてるんですが、
最近電子書籍の貸し出しをしている図書館の取り組みって増えてるらしくて、
プライベートでも仕事でも、皆さんってどういう風にアナログとかデジタルを使い分けてますか?っていう質問だったんです。
深くうなずいておられますけれども。
読書のスタイル
できるだけギリギリまで最新のデジタルを使いたくない派なんですよ。
そうなんですね。
とりあえず、このお悩みを出してくださってる、図書館の末永さんで言うと、本で言えば私は紙は絶対。
電子書籍はちょっと無理。全然読めない。
そもそも読めない?
読めない。
読めないって何?
疲れちゃうし。
疲れちゃう、そうか。
全然読めなくて、読んだ漢字にならない。
何になるの?
なんか、ヤフーニュースみたいな感じになっちゃう。
だから、やっぱり紙だと、
残らないって感じですか?
その状態で入れたくなくて、その情報を。
だからもう読まないかも。絶対紙で買う。
そうなんですね。
だいたい今どこまで行ってるかみたいなことも分かるじゃん。
分かるし。
紙ね。今半分くらいまで読めば。
全体の総量、これから起こるであろう時間がなんとなく物質として手元にありながら、
今ここを読んでいるって思うと、
ここから先の時間がここまであるみたいなことも含めて体感としてあるじゃん。
本だと。
でも中盤になると、ここからあとこれしかないみたいな。
この中でどういう展開が起きるんだろうみたいなこともそうだけど、
情報処理の課題
ちょっと先を少し予感しながら読む感じもあるじゃん。紙だと。
電子だとそうもいかないじゃん。ページ数出てると思うけど。
ページ数出てて、パーセンテージも一応出れば出るんだけどね。
無理。
無理?そうなの?そうなんだ。
無理。
同じは同じじゃないですか?半分とか。
いや無理。
そうなの?何が違うの?
フィジカルじゃないと無理かも。パーセンテージ。
信じられないって感じ?
それマジで。
本当に50%みたいな。
数字が本当に弱くて、私ね、表とかダメなの。
そうなんですね。
仕事でも、ウェブの仕事で条件をバーって予見を出して、整理しなきゃいけないみたいなときがあって、バーって表になってるんだけど、何も入ってこないの、情報が。
本当に苦手で、そういうデジタル化されたものとか、整理されたものがすごい苦手で。
でもさ、そのグラフって別に、モニターで表示されたら入ってこないけど、紙で印刷されてたらどうですか?
紙の方が、でも紙でなってるときに、その情報のヒエラルキーが入ってきちゃうわけ、自分の中で。
なんでこの情報には本当はヒエラルキーがあるのに、この表上では全部10日に扱ってるんだと思って、レイアウト部に腹立ってきて。
すごいイライラしてくる。
デザイナー。
何この表と思って。バカじゃないの?みたいな。
どこを見てほしいの?みたいな気持ちになってきちゃって。すごいイライラしてきちゃって。
それ言われると、電子書籍って割と一般的なもので、どのレイアウトと結構同じっていうか。
軸味も良さでもあるんですけど、フォントの大きさを変えれるとか、そもそもフォントを変えれるとか。
読んでるときも白背景、黒背景とかも自分で設定できたりするところは良さでもあるけど、逆にそれが同じにしてんじゃねえぞみたいな気持ちにもなるってことですね。
面白い。
必ずレイアウトする側としては、私が扱ってるものって情報じゃん一応。情報をどうやって視覚的に出すかっていう仕事だから。
そのもらった情報が、情報にはやっぱり意図的に編集の視点がちょっと入るわけ。
全てをさっと編集できるわけではないけど、見ながらどれが重要でどれが重要でないのかみたいなことを、なんとなく判断していくじゃん。
なのに、この表というものは、全てを透過にして、どれを伝えたいのかも分からないし。
その表見たいな。
そうなの。
デジタルと老い
あと単純に情報の処理能力が弱いっていうのもあるかもしれない。
デジタルは本当にちょっと苦手で、マック、うちのマック事務所立ち上げてから未だにそれ使ってるんですよ。
同じやつ使ってるんですか?
10年前くらいに事務所立ち上げたって話があったんですけど。
だから最近スラックが使えなくなっちゃって。
やばい。
スタッフの稲田くんが、スラック使えないんですけどってなって、さすがにそれはまずいなって。
スカイブとの連絡とかね、スラックでお願いしますのときありますもんね。
稲田くんからずっとちょいちょい、そうそうマックがちょっとやばいんじゃないかっていう、不言はいただいてたんですけど。
ちょっと動きがもっさりし始めてるんじゃないかみたいな。
まだいけるんじゃないかって思ったんだけど、さすがにまずいかなって思って、今年買えるぐらい。
それぐらいデジタルはずっと、まだ使えるじゃんみたいな気持ちになっちゃって、なかなか新しいものにしないんですよ。
あと例えば、よく新しいサービスとか出てくるじゃないですか、常々。
例えばSNSとかだったら、すぐ新しい何かが出たら、割とみんなワーって移行したりするじゃないですか。
行く派、行く派。自分も。
全く行かない派なんですよ。
行かない派なんですね。
はるきんも行く派?
私は行けない。
行けない派?じゃあ同じ。
私もテクノロジー苦手です。
あ、本当?
ワイカムにいるのに。
本当に何もできない。画面に映すのことさえわからないです。
パソコンから画面に映すのをいつもやってもらってます。
1DMIをどうやって繋いで、同じ画面が表示されちゃって、ミラーリングというのになってるらしいんだかみたいな。
そこはバランスですね。
そうですね。いいバランスですね。
そうですね。いいバランスで働いてるんですけど。
それを長く使ってたら変わるんですか?iMacとかも。
長く使ってたら変わるか?
10年経ってたじゃないですか。
結局私がやってる作業がそんなに新しいものを使っている人からすると、いやそんなことないよって言われそうだけど、
私がやってる作業がそんなに新しい技術を必要とするって感じがあって。
でも、たぶん筆を持ち替えたら違う絵が描けるみたいなこともあるかもしれないから、
その技術によって変わる部分もたぶん絶対あるんだと思うんだけど、
ちょっと関心が薄いっていうところがあるかもしれない。
だから手法とかそういうのにあんまり興味がいかないのかもしれない。
どっちかというとその目的とか。
そうそう。何のためにみたいな。そっちにすごく興味があるから。
なるほど。
その先のツールに関しての興味がちょっと薄いのかもしれない。
面白い。
あとはさっきの新しいものに関して言うと、
だいたいみんな新しいものに行って、そのままそれが主流になることもあるけど、
やっぱり行かないときもあるじゃないですか。
ありますね。
やっぱり新しいものって結果一番古くなったりとかするじゃないですか。
だから一旦様子見。
なるほど。
一旦様子見して結構飛びつかない。
なるほど。
それ聞いてかっこいいなとも思ったんですけど、
自分は割とその飛びつきがちではあるかな。
でもフットワークがいいってことだよね。きっと。
ありがとうございます。
フットワークが悪いかもしれない。
フットワークがいいと言えばいいんですけど、チャラいみたいな感じで言うとチャラいかもしれない。
誠実だなという感じがしました。
まあ、異様だよね。
そうですね。手段が目的化しているとも言えちゃうかもしれないから。
逆にデジタルでしかできないなとか、これは頼ってるみたいなのあったりします?
いや、なんだろう。これちょっと今すごい抽象的な質問だったかもしれない。
なんだろう。
うわ、すごいバカっぽいこと言っちゃいそうだけど、コピー&ペーストの大量の。
確かに。
大量にバーってやるみたいなのとか、時を戻すコマンドZ。
何ちょっと今。
なんかあの、私、例えばここで水をこぼしちゃったとして、脳内やばいって思った時に脳内でコマンドZしちゃったりとかしたりとか。
全然戻んない。早く雑巾を持ってきて。
だからコマンドZとか。
想像してなかった。
なんだろう。
同じもの量産、そういう均質化みたいなこととかはデジタルなのかな。
でもデジタルでも固有性とかがどんどん出るようにはなってきてるでしょ、きっと。
ちょっとよくわかってないけど。
なんだっけ、あれありますよね。
NFT。
あれらしい。
NFTね。
NFTアートとかね、ありますけれども。
それぞれのデータに固有番号が割り振られ、一つだけの画像というのがね。
なんだっけ、ラファエル・ローゼンってあるだっけ。
電子で作品をずっと作ってる人、わかります?
その彼がNFTやって、それがまたバーって見せたりとかするんだけど、
でも結果今彼、描いてますよね、絵を。
逆に。
逆に。
逆に描いてる、確か。
って考えると、今長嶋さんはアナログにめっちゃご終身ですけど、
もしかしたら何年後にめちゃめちゃデジタルになっていくかもしれないですね。
バキバキの。
めちゃめちゃVRの機材とか被ってる可能性あるよ。
でもほら、もともとの脳が理系じゃないと無理じゃない。
理系じゃないと無理か、僕文系ですけどね。
え、はるきめっちゃでもうなずいてる。
いや、マジでわかんない。
あ、わかる?
めっちゃわかります。
結局理系の人じゃないとテクノロジー好きじゃないと思ってます。
そう思う。
あ、そうなのね。
そうなの。
私もそう思う。
入ってこないよね、頭に。
全然。
私も数字全然わかんないんですよ。
どうやってメール読んでんの、あと二人とも。
メールは読める。
あ、メールは読めるんだ。
メールは読める。
そうなんだ。
数字がちょっと。
でもそんな数字は使うこともないんですよね。
たまにある。
あ、そうなんですか。
あとほら、サイン計画とかやってると図面とか見なきゃいけないし。
あ、そうですね。
数値が。
数値苦手。
なるほど。
デジタルのデジットって数えるっていう意味ですけど。
あ、そうなんですか。
そう、だけど。
数えられない。
なるほどね、そこが結構苦手っていうのは面白い。
なるほど。
なんか建築家の友人が言ってたんだけど、
何か物を把握するときに採寸すると安心するって言ってた。
採寸すると安心する?
そう、ここにあるコップをコップとして把握するためには、まず測るんだって。
で、数字にすると理解したっていう認識になるって言ってた。
へー、面白い。
分かるって測るなんですか、その人にとって。
そうなの。面白いよね。
へー、面白い。
測るって、測るじゃないね。
測れないんです。
測れない。
面白いよね、なんかいろんな把握の仕方があるんだなと思って。
なるほど、でも聞いて思ったのは、確かに理解に近づいたときって、
なんか、測れなさが見えたとき、分かったときにちょっと近づいたかもって思う。
なるほど。
測れなさというか、分からなさが分かったとき。
なるほど。
マジで分からないときって、分からないことさえ分からないじゃないですか。
なんかそういう感じなのかな。
でもすごい素敵に言ってくれました。
よかったね。
全然もう。
ちょっと過剰に歩み寄りすぎたみたいだね、これは。
そろそろじゃあ、長島さんのお名前を聞いてみようかな。
なんか私は、創作と老いについて。
創作と老いについて、何それ面白そう。
創作と老いについて、みんなどう考えを持っているのかなっていうのを聞いてみたいなと思って。
私は妊娠して、体が変わって、ままならなくなって変わっていって、
そしてその育児で時間がままならなくなって、時間が減っていっちゃって、
そのままならなさと創作っていうのをどうやって折り合いつけるのかみたいなことを、
もうこの5年間ずっとやってるんだけど、
物理的な時間とか空間とか、資金とかもそうだし、
そういうものをやりくりしなきゃいけないっていう状況が、子育てによって発生してたわけ。
そうすると、これは老いとか病とか、そういうものが自分に訪れた時に、もっと同じことが多分起きるなと思って、
老いていった時にどんどん。
いろんな条件がさらに増えちゃう。
そうそう。条件増えていくし、物理的な時間がどんどん減っていくこともそうだし。
今8時間寝なきゃだけど、もしかしたら12時間寝なきゃならないかもしれないし。
若さと万能感の変化
寝なきゃいけないかもしれないし、動きが単純に遅くなるからさ。
自分の体感の時間も変わってくるかもしれない。
めっちゃ早い。おじいちゃんになってより早くなったことって見たことないですもんね。
そう。何かをするにもすごい時間がかかるだろうし、あとは単純に覚えられないとかさ。
記憶がどんどん定着しなくなったりとかさ。
できなくなることしかないじゃん。
それって私が子育てしてて起きたことなの。できなくなったっていうことが。
そうすると老いもそうだし、みんな来るじゃん老いって。
みんな創作と老いってどう考えてるんだろうっていうのを知りたいと思って。
それで言うと創作と老いの話につながるかはわかんないけど、
でもこれまで具体的に言うと35年くらい生きてて、
徹夜行けたんですよ。
徹夜とか行けた。
だし、できることがどんどん増えていくっていう感じがあったんだけど、
徹夜したら翌日めっちゃ体調悪くなるようになるときに、できないことが増えたっていうのは、
確かにそれめっちゃ思ったかも。
今いくつ?
今37です。
若くもない。
じゃあ今年26になりました。
若い。
全然万能。
できること増えててる感じする?
得意分野の探求
いやでも、たぶんそもそもあんまりできることなくて私。
そうなの?
すごい。
日常生活で、ちょっと得意だなって思えることあんまりなくて、すごい不器用なんで。
できないことが増えたっていう感覚はあんまりないですね。
デフォルトがあんまりできることが少ないなっていう風に。
そうするとこれから増えていくよね、できることがね。
そうなるとすごいいいなって思ってます。
確かにそれで言うと僕は最初から結構、小学校の時も割と成績良かったりとかもして、
何でもいけるみたいな感じあったんだけど、それがだんだんテストの順位も落ちたりとか、
できないことが増えていってる感じは確かに徐々にある。
これヤバい。
そっちいいな。
ありがとう。
努力しないと増えていかないんでね。
それも余裕がないとできないかもしれないですよね。
あとね、どんどんできないことができてくることのいいことは、限界が出てくるじゃん。
限界が出てきた時に今度広げようというよりも深く掘っていくみたいなことをすると、
なんとなく逆に万能感が出てくるみたいなところがあるような気がして。
なんかその広く浅くじゃないから、もっと自分しかできないみたいなことになってくるじゃん、多分。
ありそう。
それはそれでいい面かもしれない。
そうかもしれないですね。
悪い面で言うとそれしかできないし、そこに固執したいみたいなこともあるかもしれないけど。
囚われ過ぎちゃわないように注意だけど。
創造性と職業
自分の得意分野とか専門性を自分で決めた時みたいな。
決めるとそこに対してめっちゃ集中できるけど。
かつそのジャンルの中でも人はそれぞれ違うから限界なんか誰もそれぞれ違うじゃん。
そうすると比べてたらキリがないじゃん。
自分よりできる人なんかいっぱいいるし。
そうするとあんまり比べなくなって、自分だからできること。
そういう意味で自分しかできない。
自分のこの体でできないことも含めて今できることみたいな。
範囲が広いと他の人が掘ってる穴が見えるけど、
自分だけの範囲になった時に掘ってる穴は自分のものになったりする。
なるほど。面白い。
でもそうかもな。
なんか自分もようやく最近、自分はここに特化しようみたいなところがちょっと見つかってきて。
エデュケーター。
エデュケーターの中でもなんかここかなとかっていうところを後ろ振り返りながら
よくこう通ってんだみたいな。
ここなんかじゃあ俺監視あんのかなっていうことが何度も見えてきて、
それはちょっと実感としてもあるなって。
ちなみに聞きたいんですけど、長嶋さんっていつまでデザイナーやりたいとかあります?
引退したいとかって。
全然なくて。
そうなんですね。
こないだうちの税理士さんがなんか保険の営業もやってて。
長嶋さん保険どうですかみたいな話もあって。
ちょっと話聞いてみようかなと思って話聞いてみたんですけど、
いつまでやりますかと言われて、いつ退職されて、いつ退職金準備しますかと。
えっ退職と思って。
全く概念としてないわけ退職という概念が私の場合は。
だから死ぬまでやるつもりなんですけどって思って。
だからその何かを作るっていうことにないじゃんそれを辞めるって。
だから退職とはみたいな。
自分が何かを生み出すみたいな行為自体は別にちっちゃい頃から気づいたらやってることだし、
それを辞めるということがよくわからないから、
それが職業的に成り立ってるかどうかはわかんないけど、
何かを作ることが結果グラフィックデザインという職業に結びついてから一応金を頂いたりしてるけど、
それがどんどん先細っていく可能性は大いにあるけど、
でもそれを辞めるってことはないだろうなと思う。
と思うとか言ってるけどわかんないよ。
急に病気とかしちゃってね。
でも病院のベッドでデザイン作業をできるかもしれない。
それこそマティスが病気になってベッドの上でさ、
キリエをね。
それからハサミになったみたいなさ。
ハサミ持ち替えてキリエになったみたいなさ。
そういうこともあるもんね。
作ることって終わりないのかなっていうのはちょっとわかんなくて。
でも飯作るのは、今日のカレーを作るのは終わりがある。
カレーが完成した。
だけど確かにご飯作り続けるのは死ぬまでやるかもなと思ったけど、
そういう感じ?
でもちょっと違うかも。
デザインの場合は依頼主がいたりとかするから、
依頼主歩きだったりとかするけど、
そうじゃなくて、例えば自分が今回文章を書いてみたりとかしたけど、
文章もデザインではないけど何かを作るっていう意味ではね、
創作の一部だったりとかするじゃないですか。
そうするとデザインという領域ではないにせよ、
そうやって言葉を用いながら何かを作るってことはするかもしれないし、
だから何でもいいんだと、何でもいいけど何か作りたいっていうのはやっぱりあって、
工夫と自己表現
それがかつ自分の持っている切迫性と掛け算されているものが、
最終的には残っていく気がしてて、
年取っていくね。
その時の切迫性っていうか、子供ができたら今こういう形だったらできるかもとか。
必然性と結びついていくって感じがする。
ダメって言われたらどうなります?
それやるなって。
もう作っちゃダメって。
もうダメって言われたら。
どうなるんだろうね。
どうなっちゃうんですかね。
想像したことあります?
でも作ってない時期も全然ある。
そうなんですね。
私高校生の時作ってない何も。
高校生の時はちょっと一瞬何もしてなくて。
その時の作ってないってどういう作ってない?
何も絵描いたりとかもしないし、
それまでは絵描いたり文章描いたり何かをやってるんだけど、
でも高校生の時は何もしてなかった。
知人というか高校生の友達には手紙書いたりもしたりするじゃないですか。
それと文章はやっぱ違う?
全然してないかも。
ちっちゃい頃ちょっと詩書いたりとかそういうのもしたんだけど、
でもそういうのもだんだん付き合う友達が変わったりしてくると、
だんだん恥ずかしくなってきちゃったりとかして。
自意識。
絵を描いたりとかすることもちょっと恥ずかしい感じになってきちゃって、
何もしてない時があった。
あと他に楽しいことがあったのかもね、その時期特有の。
でも大学どうするみたいな話になった時に、
迷わず美大しかないだろうなと思って美大を選んでいくんだけど、
やってないのは多分その時期だけだったかも。
作らないと自分が自分じゃいられないみたいな人っているじゃないですか。
あんまりまだこういうところで働いておきながらあれなんですけど、
ちょっと分かんないんですよね、正直。
依存してると思う、それに。
作ることに。
それをしないと自分が生きてる意味がないじゃないかみたいな。
逆にそれしかできないのに、それをしなくなったら何を、みたいな。
あ、でも音楽とか興味あるかも。
全然違う話になってきた。
でもそれも創作じゃん、結局。
だからその日々の中で、
そしたらあれかもね、料理とかもさ、
作るなって言われたら料理の中でどうやって創作するかみたいにシフトしていったりとかするかもね。
別の場所に創作を求めるみたいな。
その時の創作とかって何でしょうね、工夫みたいなことなのかな。
それが料理になるのか創作になるのかの違いは。
工夫の差かもね。
だからもっとこうしたらもっとこうな良くなるみたいなところの面白さがやっぱりあるじゃないですか。
文章扱っててもここをこう書いたらもっと豊かになるみたいなこともあるし。
それがただのメモになるのか、それが創作になるのかってその工夫のありなしって感じなのかな。
そうかもしれない。
だからその工夫しづけるってことでしょ。
押し死ぬまでやるってことじゃないですか。
そうかも。
ヤバ。
一番最初の子供の頃の記憶で何作ってたかなって思って。
3歳くらいの時に巾着を作ってたんですよ。
それすごい覚えてて。
渋くない?
巾着。
ガーゼで巾着作ってて。
その時の工夫をすごい覚えてるの。
この糸を通してギャザーみたいにするためにはここに輪っかがなきゃいけないけど、輪っか作れないな。
ここ切ればいいかと思って切ってそこに糸を互い違いに入れてギュッとしたのをすごい覚えてて。
それって工夫じゃないですか。
ここを擦ればこういう風にできるかもみたいな。
やっぱそこに喜びを結構覚えてて。
それがずっと続いてる気がする。
なるほど。
それってただ物を使い捨てるっていう感じじゃないですね。
このガーゼと私、組み合わせたら何ができるのを、使い捨てるとそういう風にはならないような気もするんですよ。
あとは明らかに良くなるわけ、工夫すると。
他のものとは違うものに絶対になるじゃないですか。
アプローチが変わるから。
そうすると例えば目の前の人がこれ面白いねって驚いたりとか、いいねって思う体験が積み重なるとそれが喜びになってくるし。
でも私は別に料理得意ではないんだけど、でもそれが料理においてそういう工夫を入れていくことで食べた人が美味しいって言ってくれたら多分すぐ上がるだろうし。
多分それによって相手がちょっと上がるっていうのは。
それが結構楽しいところとか。
あると思う。
やっぱ本書いて本読んだ人がすごい良かったとか、自分では言えなかった言葉を書いてくれたな気がするとか。
いろんな反応もらうんだけど、やっぱすごい嬉しいもんね。
そうですね。
書いて良かったと思うし。
作って終わりじゃなくて、やっぱり相手がいるかもしれない。
でも一方で一人でやるのもあるんだけど、誰にも見せないみたいな。
絵描いてるけど誰にも見せてないやつもあるし、あと文章でも誰にも見せてないものもあるし。
それで言うとやっぱり他者が入るときには必ずその工夫が入ってくるかもしれない。
でも自分のために描いた絵とかしても、自分が他者のように楽しむこともできたりするのかなと思ったりしたけど。
あとは一人で歌うカラオケみたいな感じがしてて、一人で絵描いたりするときは自分の園に入っちゃってるから。
でも見られたらちょっと恥ずかしいんだけど、でももう本当に一人で歌い上げるみたいな感じで書く。
ストレス発散みたいな。
自分のために歌うみたいな。
上手く歌えたな私みたいな。
それいいな。
お家で誰もいないのに僕はすごい鼻歌を歌うんですけど、その時間は結構好きだから。
全然長島さんと違うじゃなくて、どっかで重なってるところもありそうだなって思いました。
いろいろな人に聞きたいですね。
そうなんですよ。だって全員来るし。
そうですね。生まれたらね。
死ぬしな。そうですよね。
全員に聞いていきましょう。
全員には無理。またゲストの人にこれから何か聞いていこうかなと思って。
私は物作るのすごい苦手。私は作ってる感覚自分で、この仕事しててもあんまりないんですけど、
多分ちょっと作らないこともすごい大事にしてる。自分の中で。
作れないけどここにいるってこと。作らない人でもここにいれるってことを大事にしたいなっていう風に。
それは今、高校生の子が物を作ってないけど、こういう美術のこととか仕事にしたいなって思っててもできる場所を持っておきたいなっていう風に思っているんですけど。
でもその時は長島さんの話を聞いて、でもできなくてもやるしかない時もあるなって。
物を作らないとやらなければならない時もある時に工夫してどうにか形にするなっていう風に思って。
その工夫っていうのが覚えてるのすごいいいなっていう風に思って。
工夫したことでできるっていうことになってるなっていう風に思って、すごい今救われました。
作れない自分がここにいることでどうやったら良くなるかっていうのも工夫だね。
建築家の本木大輔くんっていう人が工夫の連続っていう本を出してるんですけど、
それはデザインとかDIYっていうもの、建築っていうものをもっと平たくして、DIYとか自分で何かを生み出すみたいな風にもうちょっと落として、
平たくして、てかつそれは単純に工夫だって言ってて。
そうだよね。工夫って言われると誰でもできることみたいな感じになるし、日々みんなの暮らしでやってることだったりするじゃないですか。
その本面白い。
工夫の連続。
本の販売と印刷プロセス
ちょっと皆さん是非、僕らもね、読んでみます。
そろそろ終わろうと思うんですけど、何か言い残したことあります?
言い残したことありますかって怖い。
言い忘れたなとか。
じゃああれですかね。
いろいろと形のずっと手前でという本がですね、今も売ってるんですよ。
私のウェブサイトで買えたりもするし、本屋さんは大きな書店さんには下ろせてないんですけど、
小さな書店さんとかに置いてたりとか、置いてたり置いてなかったり。
うちのウェブサイトで買ってもらうのがいいのかなと思うので、もし興味あれば、是非検索して。
長島さんのウェブサイトから買ったら素敵な想定でトロールしました。
うちから頼んでくださると、やれ紙って本を印刷した時にどうしても出ちゃう廃棄物があるんですけど、
やれ紙、この本を刷った時のやれ紙で包装して、それで届くので、うちで買うとちょっと違います。
たぶんやれ紙って皆さん初めて聞いたと思うんですけど、ちょっと届くの楽しみにしててください。
どうしても印刷機を回す時に、印刷機のインクが安定するまで、印刷機を回さなきゃいけないんですよね。
ちょっと温めるみたいな感じで。
その間に刷られる印刷物っていうのは、全部破棄しなきゃいけないものだから、インクの量とかが調整されてなかったりとかして。
なので、その損紙を使ってる。
今話してて思い出したんですけど、ウェンデリンさんのグラフィックに関しては、
紫の色の耐油体があるじゃないですか、グラデーションの。
あれを印刷物でする時に、同じものがずっと量産されるっていう感じも、もしかしてこのコンセプトに合わないんじゃないかと思って。
印刷機で印刷する時に、毎回インクの量を変えたんですよ。
そんなことできるんですか?
要はやれ紙ができる時って、インクが安定するまでずっと出してるものだったりするけど。
インクは変えられるんですよね、量を。
一番適正な見え方になるために、毎回印刷機にベタ付けて立ち会って、インクの量を調整してもらって、
それで、これが色が一番いいですって言って、5を出したりするっていうプロセスがあるけど、
じゃあ、その5を出すオッケーラインをバラバラにして、
でも、くゆせのあるチラシを作った方が、今回のコンセプトに合ってるかもしれないと思って。
全部が一緒じゃなくて、バラバラになるんですね。
だから、よく見ると変わってる。
ちょっと見てみよう。
そう、よく見ると種類がある。
気づいてた?
全然。
気づいてなかったね、俺も。
実は、並べると分かるみたいなやつもすごい面白いですね。
そうだね、比較して分かるんだ。
なるほど。
ちょっとみんな、たぶんこれ聞いてくださってる方は、ベンデリンさんの展覧会ご覧になった方もいるかもしれないんですけれども、
その展覧会の作品のことだったりとか、フライヤーも思い出しながら聞いていただけたんじゃないかなと思います。
まだ見に行ってない方はぜひ、3月15日まで、2025年3月15日まで展覧会が開催しておりますので、ぜひご覧いただければと思います。
ここから先は事務連絡みたいな感じになるんですけれども、以上で中島さんとの収録はここら辺で終わりにしたいと思うんですが、
グルグル相談室
グルグル相談室のコーナーは皆さんからの疑問・質問・お悩みを引き続き大募集しておりますので、
日々どうしてなんだろうとか、他の人どうしてるんだろうなとか、そういう素朴なお悩み、切迫したお悩みから全然どうでもいいかもしれないみたいな、そういうお悩みでも大歓迎です。
ぜひお気軽に送ってもらえたらなと思います。
私、聞いてて、自分こうしてるよとか、創作統一のこととか、自分の友達こう言ってたなみたいなのでも大丈夫です。
何でもまた教えてもらえればなと思います。一緒にグルグルしましょう。
グルグル相談室へのメッセージの送り先は、メールアドレス、information at wacom.jp。
メールの件名は、Wacomグルグルラジオでお願いします。たくさんのメールお待ちしております。
2時間も過ぎてしまったんですけども、すみません。大丈夫ですか?
大丈夫です。面白かったです。
楽しかったですね。
ここまで聞いてくださった皆様、ありがとうございました。また次回のラジオでお会いしましょう。
さようなら。
48:35

コメント

スクロール