当事者意識の重要性
皆さんこんにちは。やす@衰退国の地方サバイバー魂がお送りするすすめマイウェイラジオ。
本日は、当事者という認識がないとというテーマでお送りさせていただきます。
前回放送させていただいたPTAのメンバーの方々の様子を見ていて感じたことから、もう少し深掘りをした回となります。
ざっくりと前回の放送内容をおさらいすると、初めて小学校1年生の息子の学校のPTA組織に関わることになりました。
1週間ちょっとLINEだとか、あとは懇談会説明会などを経て、まだ数週間の1週間ちょっとのやりとりだったんですけれども、
もしかしてこれダメな組織かもなと思ってしまったという話です。
そこでは任意団体あるあるなんですけれども、構成する人次第で一瞬でやっぱりダメになっていく可能性があって、そういう怖さってやっぱりあるんだなという話をさせていただいたんですけれども、
思いまして、それを整理してみたんですよね。結局、当事者であるという認識がある人とない人で分岐点といいますか、分かれ目になっているのかもなと思いまして、
当事者であるという認識がないまま、例えばそういった地方の遅延団体の中心側のプレーヤーになっちゃうと、環境に左右された結果こうなったから、
ごめんなさいにでもお願いしますねみたいな、ちょっと他人事というか、他の人の協力を得ているという認識が薄い、私も大変なのよみたいな認識が前面のほうに出てきちゃうのかなと。
これ、当事者意識がある人というのは、この置かれた環境がどうであれ、自分が誰かにお願いする案件として捉えたときに失礼がないかだとか困らせてしまわないかだとか、その辺を考えた上で、もちろん状況が許されない場合もあるんです。
あるんですけど、だったらそれなりの誠意を示すだとか、丁寧な対応をするだとか、ものを考えるだとか、そういった動きになるはずで、その当事者性がないということなんだなとふと思われたんですよね。
教育とリーダーシップ
よく考えていってみると、僕が今関わっている地域の見守り活動をやる全代表とかもそうだったんですよね。自分が当事者でみんなを協力をいただいている立場のはずなのに、その感覚が薄いから、いろいろと圧力だとか、おかしな話が結構上がっていたりして、
これってもうちょっと広げていくと、地域のことだとか、公共的な領域という、コミュニティの話にも結構つながっていくのかもなと思いました。
もうちょっと深掘りをしてですね、でも果たして当事者性って何なんだろうなって思ったときに、僕自身そんなものは大学入ったときとかもあったのかなっていう疑問があって、
高校生とか中学生とか振り返ってみると、日本の社会のシステム的なものなのかもしれない、学校の中で組織に属すことはいろいろと勉強をするんですよね。クラスだとか部活だとか、その中でどう動くべきかみたいなのがあるんですけれども、そういう界隈の言葉でいくとリーダーシップ教育みたいなところになるんですかね。
部活とかに所属したときに、そういった経験を得る人って大体部長さんだとかチームリーダーだとかになった人なんですよね。そういった人たちは自分たちで何かを決めて、それをみんなに伝える。その結果起こったことに対しては自分に意見が来てしまう。
そこでさらにちゃんと俺が決めたことに対しての意見だから反省するべきところはするし、みたいないう経験からもしかしたらその当事者としての意識というのは使われるかもしれないんですけど、僕自身は多分なかったですね。
ぶっちゃけて言うと、中学も高校も適当に部活に所属して、クラスにも所属して、要領よくと言いますか、何かの矢表に立つことなく、手抜きするとか手抜きするし、楽しく過ごして、大学生になって、社会人になって、
いつの間にか自分で言ったことに対して批判とか浴びることもあれば失敗することもあって、さらに言うと自分発信で誰かに協力してもらわなきゃいけないことだとか、環境的に誰かに迷惑かけてるけどそれは自分発信でお願いしていることで、
だから謝るべきところは謝らなきゃいけないし、丁寧に対応する人は対応するみたいな、そんな経験がある中でだんだん当事者意識みたいなものができてきたなと思いました。
でもこれって学校の組織から上がって、やっぱりその組織の中で何かを決定するなのか責任を取るみたいなポジションというか、そういう経験がないまま行ってしまうと、下手した30代になってもそういった認識のないままになっちゃうのかもしれないし、
今回感じたPTAのお父さんお母さんって30代から40代ですか、いろんなバリエーションで幅があるもんで、やっぱりその経験値と言いますか、その意味でいくと当事者性の認識がないまま周りの環境の中で振り回されてても、私これをその中でもちゃんと言われたことはやっててみたいな。
そういったぐらいまでのスタンスしかないみたいな状況も生まれやすいのかもしれないなと思いました。
その段で考えていくと、チャレンジすると傷を負うだとか、メンタル強くなるとかって、でもそれって多分もうちょっと普通のことなんだと思うんですよ。
特にこれほど日本が戦後間もなくとか、サラリー満率が今もう50%60%以上になってきてるので、組織に属した人としてどう当事者意識を持つかみたいな問題意識も出ていったり会社の組織研修とか人員研修とかでもあると思うんですけれども、
もっとその前は全然会社に属してるとかいう雇われ人って2割とかの時代がずっと続いていたわけで、そういった時代からするともう皆さん自分の野望で稼いでいたり自分の判断で物事決めて仕事していたり、
失敗しては責任を掘るというよりも追わざるを得ないみたいな社会が当たり前だったと思うんですよね。
なので、そういった人たちが見つめる地域のこと、要は自分も関わっているエリアのことだとか、公共的な話ですね、学校の運営とかも多分そうなんです。
地域のこととかも多分同じような話で、今、会社の人材開発だとか新人研修だとか社員教育の中でオーディション的な意識をいかに持たせるかみたいなことがテーマになっているような、
この今の日本っていうのはやっぱりもうちょっとその辺を意識してブローチだとか考えていかないと社会が回らなくなるのかなというふうに、
PTAのことからちょっと深掘りしていって自分なりに一つ気づいたことがあったという、そんなお話を今回していただきました。
当事者意識。だから自分も強い方ではないので、やっぱり抜けるだけは抜けますし、でも40にもなって子供の親にもなっているのでいますね。
賃貸不動産会社とかで働いているといろんなお客さん、入居者さんだとかを見るので、何かおかしいなっていう人にはやっぱりそういったところある。
そういった社会はバリエーションが広いので、そのままお年寄りになっちゃっている方もいれば若いのにその辺が秩序されている方、
僕も至らないところあるので見習うべきだなっていう人もいるしということにちょっと最近気が付いたといったところです。
皆さんもぜひ何かコメントですかご意見ですとか、経験談だとかいただけると嬉しいです。
それではまた次回もよろしくお願いいたします。
安田とすいたいこくの地方サバイバー魂でした。