皆さんようこそ、薬トレラボへ。この研究所は、筋トレをこじらした薬剤師が薬の代わりになるような役に立つ情報や議論をお届けする番組です。では、本日もよろしくお願いします、西極さん。
どうもー!薬局を経営しながら、パーソナルトレーナーとしても活動中のKINGジム西極でーす!
そして、ファシリテーターを務めますKINGジムエンジニアの佐坂です。本日もよろしくお願いしまーす。
お願いしまーす!
上に向かって、おやっしゃーす!みたいなね、最近の流行りなのかもしれないですけどね。
今日、久しぶりにカメラ、なんだ、ビデオ繋ぎながらだから、あれじゃないですか。
いつもは声だけで、西極さんが、まあでも声の向きで大体わかるんですけどね。
そうですね。
じゃあ、西極さん、今日は早速、ちょっと研究レポートの発表お願いしてもいいですか?
はい。今日はですね、厳しい筋トレ学です。
厳しい筋トレ学。
なんか聞いたことあるワードじゃないですか。
なんか聞いたことがあるワードっていうか、なんか音なんだけど。
音ですね。
なるほど、筋トレ学。うん、なるほどね。厳しい筋トレ学。
はい。
なんかちょっと音聞いたことあるなーと思って、ちょっと思い出したんですけど。
はい。
ポッドキャストにね、やさしい民族学っていうね、あのポッドキャストがあるんですよ。
はい。
うん。なので今日は、そのやさしい民族学から、岸澤さんをお迎えしております。どうぞよろしくお願いします。
こんにちはー。えっと、やさしい。
こんにちはー。
ちょっと待って、もう面白すぎてちょっと笑いこらえらんなかった。はい。
岸澤さん、初めまして。あ、違う違う。お世話になっております。
やさしい民族学の岸澤です。よろしくお願いします。
お願いしまーす。
お願いしまーす。
ということで、あのやさしい民族学の岸澤さんを、今日は西極さん、厳しい。
厳しい筋トレ学でやっていきます。
もう完全にカウンターのようなね、正反対のような研究レポートになってますが、ね。
あの、今日はですね、目次があります。
お、目次。はいはいはい。お願いします。
えー、一つ目はですね、コラボのきっかけ、やさみん岸澤さんについてです。
おー、ね。まずね、ご紹介ということで、はい。
二つ目、岸澤、筋トレを始めるってよ。
ちょっと待って、大丈夫か。もう決めちゃってるけど大丈夫か。
勝手に入ってますね。
決めちゃってるけど大丈夫か。
三つ目、ポッドキャストの伸ばし方。
めっちゃ最後コンサイルみたいになってるよ。
今日じゃあ、今日この三本立てで。
そうですね。
予定通りいけばこの三本立てということで。
そうです。はい。
わかりました。
まず一つ目のコラボのきっかけと、やさみん、やさしい民族学岸澤さんについてということなんですけど、
我々の出会いとしてはあれかな、ポッドキャストウィークエンドですかね。
そうです。
そうですね。
西極さんにお会いしたのは、ポッドキャストウィークエンドで初めてですよね。
そうですね。
まあまあ、でも佐坂さんも初めてだけど、佐坂さんたちとはポッドキャストーク、佐坂さんがやってるポッドキャストークでご紹介、やさしい民族学をご紹介いただいて、
それで知って、私がポッドキャストークをいっぱい聞いたっていう。
ありがとうございます。
そこからですね。
貴重なリスナーさんなんです。
実は。
岸澤さんのチャンネルはすごいですもんね。
だから紹介させてもらったんだけど。
3つ目にですね、だからこそポッドキャストの伸ばし方というリアルな。
最後にね、ちょっといろいろ、やさしい民族学どうやってやってるのかなってところをちょっとね、聞いていきたいっていうのはあるんですけど。
最近ちょっとなかなか更新ができてなくて、ぽつぽつって感じですけど。
あとあれですよね。
やさしい民族学の紹介をたぶんした方がいいんですよね。
そうですね。
手短に話すと、やさしい民族学は、私岸澤が民族学の研究をしていて、
身近な物事から民族学を優しくお伝えする、紹介するっていう番組になってます。
それで、民族学っていうのは、文献資料に残りにくかった普通の人たちがどうやって暮らしてきたかっていう歴史を知る、明らかにしていくっていう、
広い意味での歴史学、学校で習うような文献史学とはちょっと違う、もうちょっと広い意味での歴史学っていうような学問になってます。
はい。初めましての方もね、きっといっぱいいらっしゃると思うので。
そうですね。だから歴史学なんだけど、たぶん我々が聞く、よく聞く歴史っていうのは、たぶん昔で言うと本当にすごい人たち、
結果を残した人たちとか、もう本当に貴族の人たちとか、そういう人たちしか文献に残せなかった。
そうですね。
っていうところがあるんですね。
平たく言うと政治史ですよね。政治の歴史。
なのでやっぱ政治のこととか行政のことは、まあ今でも、むしろ今は違くなってきてるのかもしれないですけど、
資料で文字で残して、決めていったりとか、後から分かるようにしていったから、分かるわけですよね。
はい。
でも普通の暮らしの中ではそんな、そもそもね、墨も紙もその筆も持ってない人たちが多かった時代がね、もちろんあるし、
あとこう、今の私たちの生活自体も、まあSNSとか、もう何でも書き残せるけど、普通の生活はいちいち書き残しはしないですよね。
しない。確かに。
その意味では、なんか昔は書くものがなくて今はあるから、なんか今は何でもわかるかっていうと、
まあ今でも、なんか日常の当たり前すぎることは、そんなにみんな文字では残さないので、
まあだからこそ調査とかをして、あのきちんと残しておくとか、
っていうことをしていくことが、まあ厳密に言うと色々な研究の方法とか考え方はあるんですけど、
ただやっぱりその、私たちがやっていることって、なかなか文字で残らないからこそ、
まあね、例えばこう明治時代の人から聞いてくれてる資料があると、今役に立つし、
今聞いて、聞いておけばまあまた100年後ぐらいに、なんかこんな生活してたらしいよとかわかるし、
なんかそういったこう、普通だとなかなか文字資料では残らないようなことを、
まあ調べておいて、それをこう、何だろうな収集比較して、
こう暮らしの移り変わりを見ていくっていうような学問ですね。
岸田さんってそもそもそういうのに興味があったんですか?その民族学みたいなの、歴史?
そうですね、私の場合は、子供の時に漫画、日本史とか、異人漫画とかあるじゃないですか。
あるあるある。
なんかああいうのが手に取りやすいところにあって、
で、特にその漫画日本史とかって、ナレーション役みたいなのって、一般人みたいに出てくるじゃないですか。
特に想像してもらうと、さすかさんとかわかるかもしれないけど、
なんか縄文時代とか一番最初の方とかって、なんかモブみたいなのが、
ここはこうやって住んでたんだよみたいなのとか、
うんうんうん、わかるわかる。
言ったりする役が、まあ進行上必要ってことなんだと思うんですけど、
そうですよね、うん、絶対。
そういうの読んでると、歴史をやると、普通の人たちの歴史もわかるんじゃないかって感覚で読んでたんですね、その子供岸沢は。
なるほど、そういうことね、その日本の歴史とかっていう本で、そういう解説をしてくれるんじゃないかと期待をしてたわけだ。
モブキャラとかも出てくるから、
そういうの、その普通の人の暮らしもわかるんじゃないかって思ってたら、やっぱり小学校中学年とか高学年になって歴史の授業やっていくと、
まあわからないと、
そう、全然出てこないじゃんみたいな、
全く出てこないですよね、みんなもうトップというかね、そういう有名な人たちにしかね焦点が当たらないですからね、教科書館も。
すげえな。
そうで、そのどうやって平民は暮らしてた、いわゆる平民、普通の人は暮らしてたのかっていうのは気になってはいたんですけど、
まあどうやって研究すればいい、研究というかどうやったら知ることができるのかも子供の時わかんないじゃないですか。
確かにわかんない。
まあそれでもやーっとしてたんですけど、民族学っていうのにあって、これならそのやりたいことできそうだなっていうふうに思ったっていう流れで始めてますね。
それは何歳の時ですか?
民族学を知ったのはもう高校3年ぐらいになってからですね。
だから進路とかもどうしようかなーみたいな時だったので、ほんとちょうど良かったなーって思ってます。
民族学って研究費とかって国から出るんですか?
私も気になる。
まああの課金費で通ればもらえますけど、私はほんと野良なので、課金費は申請して通ればなので、野良だったので全然ノーマネーで、ノーマネーというか、だから慈悲ですよね。
研究がしたいからその別のお仕事しながら、そのお金で研究費に当ててたみたいな感じですか?
そうですね、はい。
はー、そっかそっかそっか。
そっか、岸田さんは野良研究者だったんですか?
そうですね、はい。
まあまあその、在野研究者っていう言葉があるんですけど、野にいるって書いて在野。
でまあ民族学はそもそもは、あの西洋学問の枠組みの中にない学問なので、
そうするとその日本の大学って、その西洋のアカデミズムの枠組みをまあ持ってきているので、
はいはいはい。
大体の大学の中には民族学の授業ないんですよね。
あ、そっか、ないのか。
まあそれ、だって我々も、まあもちろんやってないもんね。
でまあ便宜的に、その文化人類学の中に民族学を入れたりして、
あのー、している大学もあるし、
あと多分課金費とかの計上の上では、その文化人類学の中に設定されてるんですよね、民族学って。
あ、そうなんですか。
まあでもそれは本当現実的なお金とかの問題の話であって、学問の分類とちょっと違ったりするんですけど、
っていうところで、まあ皆さんこうお金は集う、なんていうんだ、募りながらやってる。
まああとあれですね、民族学の背景としては、やっぱその大学のアカデミズムとはちょっと違う流れでできた学問だから、
だから昔の民族学研究者は、まあ最初の方はみんな在野ですよ。
はいはいはい。
柳田邦夫だって、あの大学では教え、まああの、農政学は教えてましたけど、
民族学を作った頃は、まあただの人。
ただのおじさんだったので、まあ元官僚の、でも官僚を辞めたただのおじさんみたいな。
おじさんね。
柳田邦夫っていうのは、民族学のまあ父と言われてるような人っていうことで間違いないですかね。
そうそうそう。
ファシリテーターちゃんと。
ということなんです。西極さん分かりますか?
分かりません。
一応西極さんにね、ちょっと民族学を。
でもリスナーの方は多分僕よりだと思うんですよ。
そうですよね。
へえ、面白いしね。
まあそういう流れもあって、民族学をやってる方は残余の方も多くて、私も野良でしたっていう話ですね。
はい。
だから、研究方法として、まあなんか先ほどね、いっぱいあるって言ってたけど、やっぱりその文献に残ってないってことは、
あとはもう句伝、要するにその口、その場所に行って教えてもらうみたいのがもうメインになってくるっていうような感じでいいんですかね。
そうですね。まあ何を調べる、何を研究するかにもよるんですけど、
まあ私がやってるようなことは基本的にフィールドワークをして聞くことが必要なので、
まあただ文献、まあそれこそその小尻綾っていう、まあ昔書かれた文献とかがこうギューとまとまってるようなものを見て、
まあ例えばその平安時代とか鎌倉時代とかそのくらいの時のものの資料ももちろん使ったりもしますし、
あとはその昭和明治以降ぐらいにあの少しずつ調査されているものもあって、でそれが昭和の後期とかになると、
まあ比較的こう市町村で調査されてたりもするので、
そういった資料、そういったその先行の調査してくれている資料ももちろんあるので、
そういったものをまあありがたく使わせていただきながら、自分の調査したものも足しながらあの分析していくっていう感じですね。
そうしたらそれで言うと西極さん、僕らがねやってたあの科学系の、僕ら理系ですけど、そういうのともまあ似てるよね。
だって我々は論文見て、一部この論文のここの部分は使えるけど、まあ自分の実験としてはまた新しい要素も必要だから、
論文の内容、だから先行者がやってくれたものを参考にしながら、まあ研究やるってことで、やっぱまあ、もちろん我々はそのフィールドワークみたいなことはしなかったですけど、
そういう同じというかね、研究者としては確かに広い範囲ではなんか似てるなっていう感じで思います。
そうですね、あのなんか私最近ツイッターで上手な表現だなって思ったことが、なんか研究ってこうみんながなんか先に集まって作業をしているところに後から来た人が、
今どこまで何をやったのかなっていうのを見て、自分の役割を考えて作業するみたいな感じですよって言ってる人がいて、めちゃくちゃそうだなと思って。
そうですよね、確かにね。
論文ってこう先行研究はこういう流れがあってここまではわかってるんですけど、それに対して私はあのこういうところがまだわからないと思ってますとか、
まあ先行研究にちょっと問題があると思ってますとか、さらにこういったところをより明らかにしていきたいです。
だからこういう方法で検証します検証結果ですみたいな感じに書いていくから、これまでやってきたことと同じことやったら新しくないけど、これまでやってきたことを踏まえて踏まえないのも違うし、
踏まえた上で私はこうやって一歩でも半歩でも研究を進めましたよっていうものを出すのが研究っていう意味では、文系、文理系も同じですよねと思ってますね。
あーそっかそっか。
それでは岸澤さんは研究、まあ今ね大学院に最近入られたという。
はい、入りました。
ということで、だからまあ研究室で研究者としてやっていくこれからはっていう感じなんですか?
うーん、まあ研究の方の割合を増やしていきたいなとは思ってます。
そっかそっか。
まあいわゆるそのこれまで何ですかライスワークとライフワークみたいな感じで、まあその普通の仕事は編集者とかライターとして生活、生計は立ててたんですけど、でその研究ではお金は稼げないので、まあ両方やるみたいな。
でまあなんかライフワークっていうとなんか趣味みたいに思われちゃうかもしれないですけどそういうことじゃなく、まあでもその自分としてはこう研究の方にこう心はそっちの方が重いわけなんですよね。
でやってきたんですけど、まあちょっとより研究の方に重心を移していけたらいいなとは思いながら、まああのそのバランスをまあ今後少しずつ変えていくって感じですかね。
なんかそれめちゃくちゃうちと似てますね。
本当その通りですね。
でそのまあうちはまあラジオの方は知ってると思うんですけどその生活習慣病ですね改善するっていうまあちょっと新しい領域に、まあ実際に実績があるからできるけどただ認知がないからですね。
その中でこうまあさっきおっしゃってたように生計というか生活費とかそういうお金とどうリンクさせるかっていうのってちょっと汚い話に聞こえるけどでも実際大事だから。
めちゃくちゃ大事なんだよね。
それをこうなんて言うんですかね僕も今一瞬で汚い話でちょっと出ちゃったけどでもこれって世の中の認識って実際そうじゃないですか。
そのお金と関わってくるとちょっとぐってこう眉を潜めるじゃないけどでもそれってその先にそれぞれの人がプロを磨いて豊かな文明があるからですね。
なんか何ですかねすごく苦悩っていうかあれですよね大変な領域ですよねこのお金とこう新しいことの掛け合わせってですね。
そうですね。
今のめちゃくちゃすごい共感しますよね。
嬉しい。
大変ですよねこのなんかお金っていうもの生活費ですねあの吉澤さんという生活をどうこう将来のためになるものでけど認識がなさすぎて掛け合わせてやっていくかって。
攻めすぎると良くないしじゃあ守りすぎるっていうか考えなさすぎるとなんかそれもまた違いますもんね。
でもなんかやっぱりそのきちんとその私の場合は民族学を研究として深めていくことも大事だしその一方でその一般の人が認知していなかったら学問としてもその限界があるなって思ってて。
だからこそポッドキャストをやってるんですけど。
例えばこうお医者さんこれなんかいろんなとこでも言ってるかもしれないんですけどお医者さんとかがとかまあ医学とか医療をする人とか医療研究者がすごいって思われる一般の人もなんかすごい頭いい人なんでしょ勉強いっぱいしたんでしょみたいなイメージがあると思うんですけど。
彼らがそう思われてるので一般の人が例えば薬を使えるとか真薬で治る病気が増えたとか手術の仕方がなんか改善されてよりこう今までならちょっと難しかったものも治せるようになったみたいな形でこう一般の人の還元されてるから医学ってなんかすごい。
すごいらしいって思われてると思うんですけど。
だから民族学がまあ私が普通の研究者で研究しかしませんっていうやるのは多分簡単だと思うんですけど。
なんかそうしてそれだけでその研究の世界だけでやっていたらじゃあ結局その社会にどうやって還元できるのかとか一般の人が民族学を使うとこんなことができるこんな考え方とかをこうなんだろうな視野を広く持てることができるとかそこら辺を知ってもらうその功能みたいなことがを知ってもらわなかったらその研究って
その民族学の研究って結局何がわかるんですか意味あるんですかみたいなまあよくあるその人文系無駄問題みたいな話になっちゃうと思ってて
だからその自分が深く研究することと横に広げていくことって両方やらなくちゃいけないと思ってて
そのためにはライスワークの方の編集とかライティングっていうのはその面白く物事を伝えるとかわかりやすく伝えるなんかこの企画を企画の意図がわかるように組み立てるみたいな
あの力としてはやっぱり自分の糧になっているとは思っててそれをこうなんていうのライスワークとライフワークの両方にこう使いながら
生活していくなんかもうどっちがなんか片方で使ったものはこの片方しか使えませんみたいな感じじゃなくやっぱり両方のためになるようにやっていかなきゃいけないなと思ってて
その意味ではその岸沢なんか研究全然進んでないじゃんあいつ遊んでるんだよみたいな感じ思うような同業者も絶対いると思うんですけど
でも申し訳ないけど生活のこともあるしでもその生活のことでやってることも一応私の中では民族学に還元できるようにやってるつもりなのでちょっとそこんとこお願いしますみたいな感じなんですね
民族学って今岸沢さんがおっしゃってたやつってそのなんか医療で言うと世の中にこう言ってしまえば困ってる人がわかりやすくいるわけじゃないですか
薬でないからとか言ってですね興味を持たれてその研究分野にも目が行くっていうお話だったと思うんですけど
絶対民族学の派生や結果が資料館みたいなところで結局絶対僕思いつくのそれくらいしかちょっと今ないんですけど
そういうとこでめっちゃ生きてるわけじゃないですか多分
民族資料館とか民族博物館みたいなイメージですか
とか大きい九州国立博物館とかのちょっとしたデータすら絶対民族学から引用してるとかあるじゃないですか
ああいうところが結果として提供できてるデータっていうことになるってことですよね多分
そういう人類のベースみたいなところがデータとしてしっかり示せるみたいな学問ってことですよね
そうですねそれももちろんあります
民族系の展示とかは多分世間的なイメージでは民族学の展示ってなると大体民具っていう有形民族資料ってなる
例えばすごくわかりやすく言うとよくあるものでは昭和の頃に使ってた道具とか
今使ってないけど昭和の時こういうなんかこう手動で動かす洗濯機あったよねとか洗濯板あったよねみたいなのとかがあってもっと遡ると
江戸時代にお米を脱穀してた道具とかそういったものとかが展示されていることが多くて
それを見ると民族学って古いもののことをやってる学問なんでしょみたいな感じに受け取られることが多いと思うし私もちゃんと研究というか学問するまではそう思ってたんですけど
一番のポイントは私たちの暮らしとか歴史ってずっと動き続けていて
その流れを知るとその文献資料からだけからわかることとはもうちょっと違う立体的な暮らしの歴史が見えてきますよっていうところで
もう絶対こう変わるもの変わらないものはないっていう観点でものを見ることとか
あと現代の例えば問題社会問題って言われていることが急にポコって出てきたわけじゃないわけじゃないですか
どうしてこの問題があるんだろうみたいなことで政策とかもできていくと思うんですけど
社会問題とかを解消するためにはじゃあこの問題がどうして生まれちゃったのかなっていう背景の部分を知ることがすごい大事だと思うんですけど
それは必ずしもその統計とか目に見えてるデータからだけではわからない部分もおそらくあって
じゃあ実際の人たちがどうやって暮らしていたのかっていう情報を集めて分析することも大事なんですけど
その時に民族学は役に立てると私は思ってるんですけど
私は思ってるし柳田邦を民族学を作って柳田邦をそういうために考えて作った学問なんですけど
そこの肝の部分があんまり伝わってないなって思ってて
ただただ昔のものを集めて紹介してくれる学問みたいに生まれちゃってるかなと思ってて
そうじゃなくてそれよりもその見方ものの資料の見方と考え方が一番その学問を特徴付けるものなので
それは週1くらいでやってるんですか?
週1、2ですね
月に6回お稽古あって
1回のお稽古は短いんですけど
あとそれのお稽古したら
練習して次のお稽古行くので
週にちょこちょこはやってるって感じですね
ふくらはぎが張っているとか
結構運動になってるんじゃないですかそれ
かなりね
でも時間としてはそんなには長くないですよ
どれくらいなんですか?
1回のお稽古は大体15分とか20分くらいなんです
そうなんだ
たぶん長くやっても覚えられないからだと思うんですね
結局振りを覚えていかないといけないので
練習は私そんなしてないけど
30分とかくらい練習して
また次のお稽古行くみたいな
10分1時間とかって感じですね
ちなみにちょっと疑問を言っていいですか?
民族学をめっちゃやるじゃないですか岸澤さん
めっちゃやる
当社員でお願いします
相対的には分かりませんが
モチベーションはめちゃくちゃ民族学が好きだからっていう
もうただ一つですか?
っていうのもなんでそれ聞いたかというと
佐々木さんも多分そうだと思うんですけど
運動してて自分の体の限界値が上がってる気がすごいするんですよ
だから運動してない自分のキャパだったら
たぶん今みたいにアクティブに動けてないんですよね
佐々木さんずっとエネルギーみなぎってる感じしますもんね
僕は裏では相当サボってますけどね
ただそうなんですよ本当おっしゃってるで
体力のキャパっていうかとりあえず行動量とか行動力もそうだし
そもそも熱量とか単純に体力はどうかわかんないですけど
何よりも行動力とかは上がったんですよ
やっぱり体を動かして筋肉が自信をくれてるんですよね
筋肉が自信をくれる
筋肉は裏切らないって言うけどあれマジで
なんて言うんですかね
唯一自信を着実に積み上げられて積み上げていけるものだと思うんですよ筋肉って
だからあのおかげで絶対動けてるものってあるんですけど
岸澤さんにその要素が加わったら無敵じゃないですか
無敵だよ
今の行動量とか行動力にプラスして
人生の熱量とか体力的なキャパが100から120ぐらいになったら
なんかすごいことになりそうじゃないですか
っていうあのなんて言うんですか提案なんですけど筋トレをする提案
筋肉の鍛える部位とかではないのかそういう
僕が思ったのは筋トレ自体に魅力を感じて
筋トレって何ですかボディ名体をしっかり刺激しておくみたいな習慣に
魅力を感じてもらうと全てが解決するの解決っていうか
よりこうポジティブに体に対するイメージができるのかなと思ったんですけど
なんかその民族学に対する熱量って本当ただそれが好きでやってるのか
なんて言うんですかねてかそうですよね多分
好きっていうのもありますし
もうちょっとただ正しい正しいっていう言葉ちょっと難しいんですけど
柳田邦夫の考えてることって素晴らしいなと思ってて
ただ彼の研究を前行停止するつもりもないんですけど
ただその彼が作ったものに有用性を感じていて
かつ彼がやろうとしたこと社会を良くしようっていうものとしての民族学学問のことを
現代ならもう一歩何か進めた形にできるんじゃないかというか
そうなってほしいなっていう風には思ってて
でもそのためには多分私とかその今の世代が頑張って検証していかないと
あの柳田のすごさっていうか彼が本当にそのこの学問を作って
良かったって言い方も平たく言えば良かったのか意味があるのかないのかってことも
検証できないと思うんですよ
彼は彼の時代の中では本当にできることはやってる全部やってると思うんですけど
その時代時代によって求められることとか変わってくると思うので
よりもっと科学的に実証しなきゃいけないとか
そのデータを明らかに持ってしなきゃいけないとかっていうようなことをやった上で
じゃあそれを社会実装していくためにはもっと大きいハードルがあったりするので
ちゃんと根拠がきちっとある結果があってこそ
社会実装してみますかみたいなことを行政とかがなんかこう取り合ってくれる
それもないのにこれはちゃんと有用性ありますみたいなこと言っても
でもそんなちょっと曖昧な感じのだと無理ですねみたいな感じに言われちゃうはずなので