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はいはい、私のコーナーでございます。 安岡信一の遠くへ行った。
毎週毎週、ちょっといろんなところに行ったのを話そうかなと、思って話し、今日はいろいろこう、
あのネタをね、用意してた。で、どれがいいですか?ってナナちゃんに聞いたら、 あ、この話がいいですって言われたので、
HEY!HEY!HEY!っていう昔音楽番組が、ダウンタウンの2人がやってた音楽番組に初めて出演させてもらったことがある。
それ1回きりだったんですけど、それ、えっと、もう2000年の、本当、2001年とかだったんじゃないかな、2000年だ、2000年の時だったかな、2000年だわ。
で、その当時やっぱりHEY!HEY!HEY!に出るっていうのは、その音楽をやっててね、
はい。 もう夢なわけよ。そりゃそうですよ。
え?って出れる時もえ?ってなったんだけど、 あの、それまでまだデビューして、
デビューする前はずっと路上ライブ、僕をやって、ストリート、そのそれこそ、なんで路上ライブやり始めたかっていうと、ライブハウスに出れるお金を持ってないのよ。
今でこそストリートライブってさ、何かそのパフォーマンスのね、できる場所だっていう一つの何かその、ブランディングみたいなものが成り立ってるじゃない。
でも、あの当時その、路上ミュージシャンって、俺らがやってた頃って、やっぱりそのライブハウスとかに出れない。
そんなお金もなくて、もうそのギターケース開けて、ギターをライブして、そこに投げ線入れてもらうような、なんかそんな感じの本当に路上ライブだったのよ。
で、当時19歳の、高校卒業してサッカーをね、それまで真剣にやってて、音楽は好きだったんだけど、
音楽をこう、ずっと弾いてるだけで自分でやろうとは思わなかったんだが、高校サッカーを引退した後にふっとその自分の人生、サッカーしかしかしてきたなかったからね。
あれっと思って、俺次何したいんだろうと。高校卒業時にもう本当すごく、でも結局専門学校に行ったの。
デザイナーの専門学校に行ったんだけど、インテリアの。
実はちょっと3ヶ月ぐらい。でも行って、本当それ親に申し訳なかったなと思うんだけど、3ヶ月ぐらいで辞めちゃったんだけど。
行って絵を描いてやってみたんだけど、やっぱりどうしても好きになれなかった。サッカー以上に好きになれるものがなくて。
と思ってる時に路上ライブをちょろっと始めて。
すごい転換。
そうそうそう。路上ライブをやり始めてさ、ギターもその辺ぐらいから覚え始めて。
家でまだ実家暮らしだったから、家で弾いてると親からはね、相当うるせえから中途半端な音を出しやがって。
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親は言うわけよ。家で弾くんじゃねえと。
家で弾けないからお金もないしだから路上ライブ行ってたのよ。
そこでまあちょっといろいろあって、うよ曲折有田が哲郎と出会って、って話になっていくじゃない。
そうなっていって自分たちはさ、どんどんどんどん、路上ライブで2人でやってるとさ、お客さんも増え始めてくるわけ。
そうすると若い時の俺らっていうのは、また若い時ってさ、健気も強いし、イケイケどんどんな気持ちで。
てっぺん取るぜ!ぐらいの感じの勢いがあったんだけど、親からすると、母みたいな。
もう二十歳も越えてるし、あんたいい加減もうちょっとそんなのやめて、働いてくれよと。
心配ですもんね、親としては。
そりゃそうだわな、だって。うちの親父からは、三歳?三歳の年は大学、普通の子なら大学卒業する年だから、そこまでは実家にいていいと。
二十三歳の誕生日の日にはもう家を出ていけと、言われてたのよ。
俺はろうじょうライブしかしてないし、お前の人生が知るかみたいな感じだったのよね。
親もさ、もう期待なんかしてないよ。ろうじょうライブなんかしててさ、ほんといい加減働いてほしいみたいな感じのところの時に、
ちょうど今でも覚えてるんだけど、実家でね、親がヘイヘイヘイを見てたの。
俺はイケイケだし、親のツネをかじりながらさ、ご飯食べてる時に、俺いつか出るからみたいなことを親にバツッと言ったんだよ。
そしたら親が、出てから言えこの野郎みたいなさ、バカじゃねえかお前って。
そりゃ親もそうなるよね。
こんな野郎と思って、その二十二歳の年にデビューしたの。
ギリギリでデビューしたのよ。
で、うちの相方も親から感動同然でもう切り離されちゃってるわけ。親もね。
そんな中でデビュー決まって、こっちももうあたふたあたふたしながらあれよあれよと、東京行くことになりましたみたいな。
えーみたいなもう。うちの相方も俺も。
それで行って、ヘイヘイヘイに出ることになったって。
その親に言った時に、電話でね、えーみたいな。
もう俺はもう、ほら見たことかと。ほら出てやったぜみたいな感じで。
でも実際にヘイヘイヘイの楽屋に行ったらさ、もう緊張なわけよ。
そうですよね。
楽屋には歌い人羽様みたいな髪が張ってあって、鉄路と二人でこうなって。
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で出てる、同じ時に出演したのが山崎正義さんとか、ジュリアン・ド・マリーさんとかプッチモニーさんとか。
プッチモニー懐かしい。
そうそう、あの時同じ階に出て。
えー。
そうでもう、えー同じ階に山崎正義さんいるんですかみたいな。
もう俺はもう大ファンだったから当時。
はいはいはい。
でマリンメイスのライブとか見に行ってたし。
でカバーもしてるしさ、山崎さんいるんだみたいな。
でスタッフ自体で、山崎さんにちょっと挨拶させてもらっていいですかみたいな。挨拶させてもらって。
はいはいはい。
でいつかその山崎正義さんの服のスタイルがさ、デニムにTシャツにこうライブするっていうスタイルだった。
俺もそれ真似してやってたのよ。
そのくらいの憧れがあったんですね。
そうそうで、デニムを交換していただけませんかみたいな、いつかって言ったらいいよって。
その時は言ってくれたりとか、そのスタジオに行く前に挨拶があったりとかして。
で番組収録が始まる時に一箇所の大きな楽屋に集められて、打ち合わせがパッてあって。
その時ダウンタウンさんのお二人とかとお会いしたけど。
まあもうこっちとしてはさ、夢の場所に立ってるわけじゃない。
そんなとこにもう心臓それだけでバクバクで。
で収録始まりますってそのセットの裏にこう椅子が用意されていて、そこにこう皆さんと一緒に僕もこうね、こう座って。
で上からトコトコトコでーでーでーでーでーって音楽の同時にこう歩いてね、降りてくるんだけど。
もう頭の中真っ白よね。
緊張でですね。
もう真っ白それでぐわーっと後で自分でその番組のそのあれを見返した時に、うわーこれはすごいなところに俺行けたなーと思って。
それでまあ終わってテレビで放映されて、それを見て親がそのまあ号泣したと思うんだけど。
俺見たことかーみたいななんかね。
でもなんか親父は何も言わなかったけど、その出たことに関しては何も言わなかったんだけど。
なんかでもなんかこう親父は親父なりにこうよくやったなーみたいな感覚はあったんでしょうよ。
何も言わないけどなんかそういう空気をこう感じてた時になんかあれだったねなんかこう夢の場所に立たせてもらったんだけど。
自分でこう今考えると自分一人で夢を成し遂げたみたいな。
なんか当時若い時はそういう風に思ってたんだけど、なんかこう今この年になっていろいろ振り返った時に、
ああ夢ってなんかこう一人で叶えるもんじゃねーなーみたいな。
もちろん親も支えてくれたし、友達もねいたしスタッフの人もそうやっていろいろ僕らのために動いてくれて、
夢ってなんかいろんな一人で叶えるもんじゃないんだなーっていうのをねここ最近になってまたちょっと思いましたけども。
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どうやってヘイヘイヘイに出演する流れになったんですか?
それだっていろいろあるじゃない。
いろいろあるんか。
それは言えないよ。
言えないんだ。
言えないよそれはだってうちみたいな弱小事務所が勝ち取るまではやっぱスタッフもいろいろあったと思うよ。
事務所の方もじゃあバックアップしてくれて、もちろんお二人も。
そうだだってうちの事務所って言ったらうちしかいなかったんだ。
そうなんですね。
いや当時でっかいところに入ったんだけどすぐデビューして独立。
違う事務所を立てては僕らしかいない事務所だったの。事務所を作ったのよ。
そこに専務とスタッフはこう3人かな。
3、4人いたんだけど。
だからその人たちの給料も賄っていかないといけないし。
それはもう場所もよくやってきましたよ。
そうですよね。
それがレコード会社のホーライフレコードでやらせてもらったんで多分ホーライフのスター、営業の人とか宣伝の人とかみんな頑張ってあれしてくれたんだけど。
まあでもありがたいですよね。
トーク場面とかあるじゃないですか。
はいはい。
あの時もやっぱもう今の安岡さんみたいな感じでいっぱい喋られてた。
喋れるわけないでしょ。
22歳ですよ。
22歳の時。
23歳になった頃ぐらいですから。
それはもう全然記憶にないですよ。
本当ですか。
もう真っ白だから。
自分で映像見返してはーって。
どっちかっていうとそういうのはもううちの相方の方が肝が座ってたねやっぱり。
あー落ち着いていた。
うん、哲郎の方がドシッとしてた感じ。
年上僕なのに。
相方よりも年上なのにどっちかっていうと哲郎の方がやっぱドシッと構えてた部分がなんかちょっとあるかなと。
へー。
叩かれたかったけど叩かれなかったね。
なんかね叩かれたら売れるって言いますもんね。
あー叩かれなかったんだけどね。
いやーでもね浜ちゃんなんか思い出すと当時浜ちゃんも怖いとかダウンタウンのお二人怖いってイメージがあったんですよ。
確かに当時しかもまだとんがってる時期じゃないですか。
そうそうそうそう。
今はもう丸いですけど。
なんかねーなんかこう。
でも優しかったよ。
今なんか優しく迎え入れてくれてたんだなーっていうのが当時はもう緊張で何もそのなんていうの分からなかったけど。
見返して優しくしてくださってたんだなっていうのはちょっと後々になって分かったかな。
当時はもういっぱいいっぱいでしたよ。
いやーでもヘイヘイヘイに出演されるって相当すごいじゃないですか。
いやーだから当時本当にその夢の舞台に立たせてもらったっていうのがね。
ねー。
うーん自分でももう嬉しかったし。
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ねーなんかいつか恩返ししたいなーっていうふうに思ってましたけども。
いやまあそんな話でした今日は。ヘイヘイヘイ一番遠いところかもしんないな。
一番今まで話す中でブラジルよりも遠い世界の話だったのに。
距離というよりなんかね、存在的なところですね。
そうですね。こんなワンフルームでした。安岡慎長のトークへ行ったでした。
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