1. 森川美穂のシンプルライフ
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2024-07-10 32:56

#2 デビューはアイドル / 森川美穂のシンプルライフ

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教室/ブルーな嵐/赤い涙/サーフサイド・ブリーズ~真夏の風/姫様ズーム・イン/ダーリン(1985年版)/ダーリン(2023年版)/黄昏のLove Letter

『森川美穂のシンプルライフ』
歌手の森川美穂が、歌うことについて、そして日々の暮らしのなかで今感じていることについてお話ししていきます。毎週水曜日午前更新。

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【森川美穂 プロフィール】
1985年シングル『教室』でデビュー。『おんなになあれ』、『PRIDE』、『ブルーウォーター』(NHKアニメ『ふしぎの海のナディア』オープニングテーマ)など、数多くの楽曲をリリース。また、『森川美穂の青春放送局』をはじめ様々な番組でラジオパーソナリティーも務めたほか、『RENT』(モーリーン役)、劇団四季『アイーダ』(アムネリス役)など、ミュージカルの舞台にも出演。現在は大阪芸術大学の教授として、後進の指導にもあたっている。自身のライブやアルバム制作も精力的に行いながら、歌い手として日々邁進中!
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『森川美穂のシンプルライフ』
皆さまいかがお過ごしでしょうか。森川美穂です。
先週からスタートしました『森川美穂のシンプルライフ』。今回が2回目となりますが、
いやなんかね、あのそうだね、喋る、話す自伝みたいな感じでやっていこうみたいなことを、たぶん先週お話ししたと思うんですけども。
今日はまずこのデビューですね。私の1985年7月21日に『教室』というシングル曲でデビューしたんですけれども、そこからちょっとね、
説明というか、紹介していこうかなと思うんですけど、まずですね、このデビュー、歌手デビュー。
1985年にデビューしたわけですけれども、ちょうどまだ当時17歳になったばっかりだったんですけれども、このデビューのきっかけなんですけど、
当時ね、今はそのなんだろう、SNSとかなんかいろんなことが、いろんなもので、デビューのきっかけとか結構、
あと情報とか、そのいっぱい多分あると思うんですけど、私の時代って本当に何もなかったので、まあかろうじて雑誌、雑誌とか、なんかそんなかな、雑誌かな、雑誌よく見てたな、『デビュー』という雑誌があったんですよね、昔。
その『デビュー』を見たわけじゃないんですけども、私は本当に歌い手になるつもりでいたので、いろんな歌番組が昔よくあったんでね、素人の人が出るような番組が結構たくさんあって、それに結構いろいろ出してたんですよね。
で、たまたま小学生の時に出たテレビの番組とかの方からご連絡いただいたりとかしてたんですけど、やっぱりいろんなオーディションとか受けに来ると、なんかいつも見る人とか、なんかそういうのがあるじゃないですか。
で、たまたまね、なんかのねオーディションの時にね、友達、友達というか知り合いになった女の子が、「美穂ちゃん、こういうのあるよ!」って言ってチラシくれたんですよ。で、それがヤマハのザ・デビューっていうオーディションのチラシだったんです。
で、「あ、そうなんだ。ヤマハかぁ。ヤマハって言ったらピアノだよなぁ。」みたいな感じで、「じゃあちょっと時間あったら受けに行こうかなぁ。」と思ってて、でもその日ね、別のオーディションに行ってたんです。テレビの。
で、私も多分もうそのザ・デビューのオーディションの最終日で、もう締め切り、もうギリギリだったんですよ。で、急いで私行って、バーって走って行って、それで受付したんですね。
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そしたらもう一人なんか全然知らない女の子と2人だったんですよ。もうね、最後の最後だったから。で、オーディションを受けますってなって、「じゃあこちらにどうぞ」って言われて、お部屋に通されて、そしたらそのもう一人の女の子が、「ちょっとトイレ行ってきていいですか?」って言って出て行っちゃったんですね。
もうそのまま帰ってこなかったんですよ。たぶん2人だし、なんか緊張したのか、やっぱりやめとこうって思ったのかわかんないんですけど、結局私一人でオーディション受けることになって、で、そのオーディションの審査員が後に大学の教員に誘ってくださった私の恩師となる太田先生っていう先生だったんですけど、
で、太田先生の前で歌って、で、その時私何歌ったと思います?なんと沖田浩之の『E気持』歌ったんですよ。
なんで?私もなんで?ってちょっと自分ですごい不思議なんですけど、思うんですけど、その時はもうすごい大好きだったんですね。あの歌がなんか。で、わかんないんですけど、とりあえず受けたんですよ。
そしたらなんかそれね中学1年生の時ね。で、そしたら東京に全国大会決勝があるから行きましょうって言われて、それではぁみたいな感じで連れて行かれたんですね。
で、一緒に行ったのが小林千絵さんっていう、今のねまたアイドル活動されてますけれども、後に私の大先輩となるわけなんですけれども、デビュー82年組かな?確かそんなだったかな?
83年組かな?なんだけど、千絵ちゃんと一緒に大阪から、あともう一人誰かいたと思うんですけど覚えてないんですけど行ったんですね。で、東京行って歌って、で、その時はまだ私中学1年生13歳だったのでちょっと年齢が若すぎるから、
太田先生のもとで3年間、中学3年間ちょっとレッスンを受けなさいって言われて、で、ヤマハで3年間太田先生のお世話になることになったわけなんですね。
で、後に母から聞いたのは、月謝を一回も払ってないってことを聞きました。
たぶん特待生的な感じだったと思うんですけど、もう本当にデビューしてずいぶん後からですよ。
そういえば、なんかあの時もなんかいろいろね、月謝も大変だったでしょって聞いたら、「いや、あんた月謝払ってないわよ私」って言われて、「え?」みたいな。「いらないって言われたから払ってないわよ」って。本当に?みたいな。
もうずーっと後になってから知ったんですけど、で、そのヤマハで3年間ずっと歌のレッスンを毎週行ってて、で、中3になった頃に、
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そうなんですよ、そろそろ進路を決めなきゃいけない。で、中学でも、私スポーツすごいしてたんでね、
当時あの卓球のね、卓球部の先生が、体育の先生なんですけど卓球部の先生がいらっしゃって、結構その本当に日本代表クラスになるレベルの方が中学校の教員でいらっしゃったんですよ。
で、その先生が、お前、お前って言われてたからね、お前、あの、あれかって言って、女の先生ですよ、女の先生。「お前、あの、進路決まったのか」って言われたから、いやまだ決まってないんですよね。
でも私東京に行くんで、まだ決まってないのに東京に行くんでとか言って、中学3年生になった時に言ってたら、
「推薦入れてやるから、お前、高校行け、体育行け」って言われて、は?みたいな、「体育では学校行かないですよ」って言って、「いや行け」って言って、なんかよくわかんないけど、そういうなんか結構大胆な先生多かったですね、昔ね。
で、なんかまあその時は、「いやいや行かないです、行かないです」なんて言ってたんですよ。でもそろそろ私もな、中学卒業した後どうするかってちょっと決めなきゃいけないなっていうのはちょっと心の中で思ってたんですね。
そしたら、ある日、またあの、いやある日、その昔テレビに、小学生の時によくテレビ出てたんですけど、そのテレビの関係の方から、レコード会社の方とかが連絡があって、
ちょっと歌をね、もうそろそろその中学3年生ぐらいになってるだろうから、ちょっと歌を1回聴かせてもらえないかって連絡があって、
で、「あ、わかりました」って言ったんですよ。そしたら歌って、当時ね、小学生の時によく一緒の番組で一緒に歌歌ってた女の子たちとか男の子たちも来てて、何人か来てて、
うわー久しぶりだねーなんて言ってて、そしたらその子たちと一緒に歌って、そしたら後日電話かかってきて、
で、「東京に来ませんか?」って、デビューを前提にね、「東京いらっしゃいませんか?」って言われたんですね。で、実は私その時、
「いやあのちょっとヤマハに今通わせてもらってるんで、ちょっと相談してみます」って言って、言ったんですよ。
で、「わかりました」そしたらヤマハに1回電話したんですね。で、かくかくしかじかで、あのちょっとあのそろそろ進路を決めなきゃいけないんですけども、どうですかねって話をしたら、
いやあのまだやっぱりヤマハって、すごいその若い10いくつの人を東京に呼んでっていうシステムがちょっとないと。
だからちょっとねあの大阪で行ってもらって、デビューしてで仕事の時だけ東京に来るみたいなスタイルはどうかなって言われたから、
いや実はこないだこうこうで、レコード会社の方に誘っていただいたんです。
で、もしヤマハが東京に呼んでくれないんだったら、あの私もそちらに行こうと思いますって言って、もう普通に、それは本当にそう思ってたんでそう言ったんですよ。
そしたら、「え?」とか言って向こうで、「え?ちょっと待ってちょっと待って、もう一回電話するからちょっとちょっと待ってて」って言ってもう一回電話切って、
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そしたらしばらくしたからまたその方から電話が来て、「わかった、じゃあもう高校入学する時に東京に呼ぶから、
あのもうそうするからって言われて、そっち断ってください」って言われて、本当ですかって言ってよかったって言って、それでデビューが決まったんです。
それから東京に上京してから、ダンスのレッスン、ボーカルのレッスン、それからメイクレッスンも私は週に1回受けに行ってました。
あのメイクのレッスンがもう、私にとっては修行でしたね。あれは。
もう行くと、あのまあ資生堂のね、研究所みたいなところに連れて行かれて、そこで資生堂の製品いいじゃないですか、私も今資生堂使ってますけど、
資生堂のこうね、その美容部員の方がお化粧してくださるんですよ。で、眉はこう描いてとか、でも私その時までお化粧一回もしたことないし、
そもそも本当に化粧めんどくさくてもう絶対絶対無理と思ってたから、はーって言って、それね1年ぐらい行きましたよ。でもねほとんど身になってないと思います。
そんなことをしながら、でダンスレッスンも行って、でダンスに行ったらダンスに行ったで、
ね、当時あのセイントフォーっていうねものすごい、もうアクロバットみたいなことをやりながら歌うあのアイドルのグループがいたんですけど、そういう人たちと一緒になってやるもんだから、
私ダンスも本当にちゃんとやったことないし、ジャズダンスとか本当もう全然興味ないし、えーと思って、もう本当にいやいや1年行きました。
唯一楽しかったのは、えっと乃木坂にあるあのボーカルの先生のところに、週2回かな、週2回行ってたのかな、3回だったかな、なんかそんなもんかな、行って、でその後にいつも先生が淹れてくださるあのコーヒーがとても美味しかったんですね。
で、そのコーヒーを飲みながら2人でいろいろお話しして、で、デビューが決まった時に先生のレッスンが最後になるよってなった時に先生が、「あの、美穂ちゃん本当今までなんかいろいろ頑張ってきたね」って言って、
で「もう君にね、あの後必要なのはね、あの年齢だよ」って言われたんですよ。で、どういう意味?って年齢って、まあその時私まだ16歳か、16歳でしたから、「年齢がね、歌をね成長させてくれるよ」って言ってくださったんですね。
でそれでデビューが決まって、ヤマハからバップレコードで教室という楽曲でデビューすることになりました。これがまあデビューまでの流れですね。
ただね、こう、デビューってね、やっぱりね、私まさかアイドルでデビューすると思ってなかったんですよ、実は。本当に1ミリも。
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で83年、私がデビューする2年前に、ヤマハからは初のアイドル、小林千絵さんがデビューされました。その前後にチェッカーズがちょうどヤマハからデビューしてるんですね。
だからまあそのちょっとこうアイドルの流れがもしかしたらあったのかもしれないですね。だからまあ私もただあのアイドルだよとは言われてないのでね、当時も。デビュー曲はこれだよって言ってもらったのが教室だったんで、いい曲だなぁと思って。
でカップリングも『級友』ってすごくしっとりしている曲だなぁと思って、一生懸命歌ったわけですよ。
でもなんか気づくとなんかスカートが衣装になってたりとかするんですね。まあそもそも言うとスカート私本当に苦手で、今はもうはきますけど、もう本当に苦手だったんですよ。
よくよく考えてみれば小学校6年生になった時にあの私引っ越しをしてるんですね。で、転校したんですよ。だから5年生終わって6年生の始業式の日に、新しい学校に転校したんですよ。
でその学校がなんと制服があった学校だったんです。普通の公立の小学校だったんですけど。でねもうその制服とかと手続きするのに母と一緒に小学校行って、でその時に制服がありますって言われて、え?みたいな。
もしやスカートですかって聞いたらそうですって言うから、えーとか言って、あのズボンはダメなんですかって聞いたんですね先生に。ちょっとそれは認めてないですって言うから、えーでも私スカート履きたくないんだけどみたいな感じでだいぶごねたんですけど、ダメでスカートで登校したんですけど、それくらいもう本当にねスカートが本当に嫌だったんですよめちゃくちゃ。
だけどなんか衣装スカートってなにこれみたいな感じで、しかもそのあの突然振付師の先生がやってきて、あのじゃあ美穂ちゃんこの教室に振りをつけますって言って、はい。
まあ一応なんかいろんな人たち振りついてるし、まあジュリーも言ったら帽子投げたりとかいろいろ振りつけてるから振りはつくんだろうなと思ってたんですけど、え?っていうような振りだったんで。
あの先生ちょっといいです。散々先生も全部、あの最初から最後まで全部振りを私の前で披露してくださって、こういう風になりますのでじゃあ今からちょっと一つずつ覚えていきましょうって言うから、いやちょっと先生本当に私振付嫌なんだけどって言って、え?ってなって、先生もえ?ってなって、2人でえ?ってなって、どういうこと?みたいな。
いや私だってあの振付とか本当にだってなんでそこまで踊らなきゃいけないんですか?って言って、なんか手をこうやって、もうあっちこっちあっち向いたりこっち向いたり、それ本当になんか歌をちょっとこうちゃんと歌いたいから、ちょっとちゃんと歌を歌いたいんですけど、みたいな感じになっちゃって。
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で、先生困っちゃって、え?みたいな、困ったなぁみたいな。でもね美穂ちゃん僕も一応あのギャラもらってきてるから、まぁとりあえず端折るから、じゃあちょっと覚えてって言って、もうすごくあのちょっとだけイントロとなんかサビのとこと、あとアウトロだけちょっと教わって、もうその日は終わりみたいな感じで。
でしたね。だからそれくらい、なんで振付なの?ってすごくなんか思ったのを今でも覚えてます。 ただその後ね、あの
そうだなその後にデビュー曲『教室』の後になんと私『ブルーの嵐』って曲を出してるんですよ。これは日本テレビの
ドラマ、『妻たちの課外授業』という不倫のドラマの 主題歌だったんですね。私は別に良い曲じゃんと思って、別に普通に歌ってたんですけど、その時ね、なんかあんま振りとかなかったんですよね。
うん、確かそうだったと思う。でその次の 曲がまた『赤い涙』って言ってまた学園物に戻るんですけど、それもね、ちょっとあんまりなんか
なかったんですよね。 でその後ですよ、その後からが問題ですよ。『サーフサイドブリーズ』、『姫様ズームイン』っていう曲があるんですけど、この辺りはもう
がっつり振りをつけられましたね。でももうそこまで来るとちょっとなんか楽しかったですね。『サーフサイドブリーズ』も『姫様ズームイン』も結構テンポのある曲だったので
あの結構ノリノリで振り付けつけて歌ってました。 でもあの自分の心の中ではやっぱりこうずっとこうあの
もやもやしてる部分がやっぱりあって そのアイドルを目指してきたわけではないし、そのアイドルになりたかったわけでもなかったわけなんですね。
なのでどういうふうにそのこの後自分がその20代入って30代になった時40代になった時に どうやって大人の歌手に変身していったらいいんだろうっていうことばっかり
10代の頃はあの特にやっぱりもう18とかになってくると、19とかになってくるとやっぱ焦りがすごく出てきて そういうのはあります。だから『姫様ズームイン』歌ってる時もすごく笑顔でニコニコ
あの歌ってましたけれどもコマーシャルソングにもなりましたしね いろんなところで歌わせていただいてプロモーションビデオとかもいろいろとってすごい楽しかったは楽しかったんです
けど この後私どういうふうにその大人の歌い手になっていくべきなのかみたいなことは自分の中では
常にテーマとして ありましたねー
でやっぱりあのアイドルって私の中では10代で終わりだと思ってたんですねずっと だけどね
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実はねそれが違うってこと最近わかったんですよ えっとね
何ヶ月か前 めっちゃ最近やん
実はここね、今日お便りもいただいてるんですけれども ジーザスさんという方ね
アイドル時代のことを聞きたいのですが新人ショーレースに大人の事情で出れなかったと思いますが
森川さん自身は出たいと思っていましたでしょうか 85年は85年組は豊作でいろんなアイドルがデビューし今も他方面で活躍ご活躍の方が多いですが
83年組が団結してイベントをしたりライブをしているので 85年組も横のつながりで何か40周年に向けしてくださいっていうことでね
こんなあのお便りもいただいてるんですけどそうですよね ちょっと新人ショーレースのことを言うと新人ショーレースはやっぱりあの事務所それからレコード会社の
やっぱりあの 力というのはすごく大きくってヤマハなんてまぁ全然
あの入らないというかまぁ押せないそこまでのルートがないみたいな まぁただのねシンガーソングライターでポップコーン出身の世良公則さんとかいうこうね
クリスタルキングさんとかそういう方たちはこう多分出てたと思うんですけども アイドルの枠でのルートが多分おそらくもともとがなかったのでもう最初からそういうのは
なかったって特に新人賞レースに出る人たちっていうのはもう 2月3月にはもうデビューしてないと間に合わないんですよね
私なんか7月ですから最初からなんかそこのあの 枠にも入ってないしもうスタードラにも立ってないみたいな状態だったんだと思います
私も別にアイドル で出たいとはちょっとあまり思ってなかったのであの歌唱賞とか欲しいなとは思ってました
なんか 歌唱賞とかもう絶対獲るぜとは思ってました昔ね
でその85年組なんですけどあの そう今ね83年組の方々が皆さんすごいよく頑張っていらっしゃいますよね
松本明子さんとか先ほど出た小林千絵さんね 桑田靖子さん
などなど森尾由美さんとかもやってるのかな あの大沢逸美さんとかね、うんやってらっしゃるんですけども
まだそのやっぱりこう なんでしょうね私たち85年組って
そういえばあんまりなんか私横のつながり私ってか全然ないかも
全然ないかもしれない あの
実は去年と今年MXテレビさん主催のあの コンサートに出させていただいたんですね
でそれがえっとちょうど85年デビュー組で 浅香唯さんとそれから森口博子さんとそして私
森川美穂3人があのそれぞれのコーナーを持って自分の楽曲を歌って そして最後みんなで歌うみたいな
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で司会がクリス松村さんというねあの感じでお届けしたんですけど その時に
まあ特に浅香唯ちゃんのあのファンの方なんかはやっぱり法被着て こうあのなんだっけハチマキして応援してらっしゃってそれ見てるとあ
そうかなんかアイドルが10代までって思ってたのは私の勘違いかと思いました あのきっと応援する
応援してくださる側からするときっと一生アイドルでもいいんですよ だからそのねアイドルの定義がね多分もう私の頭の中でのアイドルとその世間一般
でいうアイドルの定義が多分違うと思うんですよね 例えばえっと今だとその自分のアイドルとかっていうといわゆる今でいう推し
みたいな感じのイメージだと思うんですよ でも私のアイドルっていうのはやっぱり松田聖子さんのような
わかります?もうなんかめちゃくちゃかわいらしい衣装を着て あの
可愛い声で歌うっていうのが私の中でのアイドルなんですね だからそこには私は
入らないなっていうのがあってアイドルにはそのアイドルになりたいと思ったことがない ないってことなんですよ
だけどこの間一緒にやったその あの人たちのファンの方とか見ててもそうなんでしょうね別にその
何歳になったからとかっていうことじゃなくて 多分ずっと推しなんだと思うんですよね
だからアイドルはアイドルでいいんじゃねって最近気づいたっていうね なんとどうしちゃったの私みたいな
でもやっぱり私の中でのアイドル像っていうのはそういった感じなので あまりまあ
興味はないかなぁ なんかやっぱガッツリ歌ったりとかもしたいし
やっぱ大人のなんかやっぱバラードもやっぱ歌いたいし
結構やっぱりこう 皆さんがそのね考え皆さんがというか私が思ってるアイドルとの路線とはちょっと違うかなと思うんですよね
でもこの85年組ね横のつながり何ができますかね 誰がいたのかもちょっとアレなんですけど今コマーシャルでたまにみんな井森美幸とか見
ますね 井森さんとかも全然変わってなくて相変わらずとっても綺麗で
でもやっぱりこう女優さんになられた方とかっていうのもね 大勢いらっしゃるしでもこの85年組ってね上手い人多かったんですよ
実はすごく歌がねとってもあの上手な方が多くて 私もまあねどっかでまた何かがあったら会えたらいいなぁとは思いますけれども
なかなかねこういうのをこう じゃあみんなで集まりましょうっていうのも本人たちがやらないと多分
無理なんだろうね そんな感じはします
さてあのアイドルの時代というかその今日はそのデビューの『教室』それから『ブルーの嵐』でそして『赤い涙』っていうね
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秋元康さん作曲作詞の音『赤い涙』そして『サーフサイドブリーズ』
~真夏の風、だったかななんかついてましたね で『姫様ズームイン』っていう楽曲までまあここが一番そのアイドルという枠の中で私の中で
のアイドル曲っていうのは多分ここのこの 5曲が多分一番アイドルっぽいんじゃないかなってちょっと思うんで
まあこれがアイドルというふうに迷わせていただくと ファーストアルバムがそんな感じでしたね
ファーストアルバム『多感世代』っていうタイトルであのアルバムを1枚出してるんです けれどもまあそうだねその中の
楽曲 は
もうちょっと忘れちゃったんだけどまぁ『教室』とかは入ってたと思うんですよ でももしかしたら『ブルーな嵐』入ってたのかな
それはちょっとわからないですねあと『赤い涙』とか入ってたかな
ちょっと思い出せないんですけれどもなんかねちょっと微妙なんですよね アルバムに入ってない楽曲ってもしかしたら
あると思うんですよ『サーフサイドブリーズ』とか『姫様ズームイン』ってもしかしたらアルバムに入ってないんじゃないかなと思うん
ですけど 多分ですけど記憶によると私の記憶によるとでも私の記憶って結構曖昧だから
なんか結構忘れてるしなと思って
でまぁそのねアイドル時代のねあの歌ってた17歳とか18歳の頃に歌ってた 歌を最近まぁあの歌う機会がまぁあるんですよ
うんそうなんですで実はえっと去年の 12月
にリリースしました『Brightest』っていうね ピアノ1本で歌うというねアルバムでこれにはそのちょうどアイドル時代の楽曲が歌われて
います 特に驚きなのは
『ダーリン』っていう曲がこのね『Brightest』ってアルバムに入ってるんですけどこの 『ダーリン』っていうこの歌こそがですね
今日冒頭に話しましたあのヤマハで太田先生に教わっていたあの時代にまさに あの歌ってた曲だったんですね
であれはもう練習曲で 歌わせていただいててでちょうどねヤマハってねあのまだポプコンがね結構
あの頑張ってた時代だったんでポプコンの応募曲みたいな形で全国からいろんな方々が あの曲を書いたよっていうので応募されてたりしたんですよね
その中の1曲がこの『ダーリン』って曲だったんですけど まぁタイトルからしてもそうなんですとても甘いラブソングなんですね
でまぁこれこの『ブライテスト』ってアルバムでピアノ1本で久しぶりに歌ってみたんですけど 最近ねそうやってこうね若い時代のあの10代の頃に歌ってた楽曲を
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まあもう一回ちょっと歌ったりなんかライブとかでもね結構歌ったりしてるんですけど そうですねあの私なんだろう一時期嫌だった時期あったんですよね
一時期なんかねもうねあのアイドル時代の歌歌うの嫌だって思ってた時が 結構長いことあったんですよ
っていうのは多分その自分の中でなんかまあいろんな意味でなんかいろんなことが消化できて なかったんだろうなって今になって思うんですけど
もうアイドルのなんだアイドルの歌を歌わなくちゃいけないのみたいな感じのなんか ちょっとところがちょっとあって歌ってなかった時期が長いことあって
でもまあそれを超えてもう私もね56歳になって
やっぱりこう なんでしょまあそういういろんなものを超えちゃうとねなんか逆にねまた全然違った
このところから歌えるようになったっていうのは結構 大きいかなぁだから『ダーリン』って曲なんかも本当にちょっと一時期すごい
嫌でもほんと長いこと何十年も多分たってなかった歌だったと思うんですよ でもまあそれを今こう歌ってなんかすごくね優しい気持ちで歌えるんですよね
それがなんか自分でも何かをまた面白いなぁって ちょっと思いますね
あのこないだこないだじゃないなちょっと何ヶ月前だ 3ヶ月前かな『ロックンロールパーティー』をやったんでしょ
『ロックンロールパーティーライブ』っていうのをやったんですよ 私の曲をロックアレンジで歌うみたいなね
でその時にあの先ほどから出ている教室の後の出した『ブルーな嵐』っていう曲のカップリング ナンバー
昔は b 面と言ってましたレコードだったんでね b 面に入ってた『黄昏のラブレター』って曲をね あの
あのロックアレンジで歌ったりしたんですけどもうなんか楽しすぎましたね もうそうあそこまで突き抜けろってなっちゃうんですよねあそこまで突き抜けちゃうと逆に
もうなんか気持ちを良いみたいな なんかとかそうやってね昔の曲もねなんか結構メロディーもすごく素敵だし
でまぁ歌詞はちょっとなんかちょっとあの時代が出てる歌詞も あのいくつかありましたけれども
やっぱりね昔って例えば留守電なんかでもテープだったでしょ ねってテープとか出てくるんですよ歌詞にテープちゃうしってことでちょっと思いながら
突っ込みながら自分で歌ったりとかしてましたけどそういう時代をねこうやっぱりこう 感じさせる言葉ってワードがちょっとあったりなんかするんですけれどもそれでもやっぱり
こうなんか ドラムとベースとギターのみでやるであのロックアレンジのライブっていうのはもう
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めちゃくちゃ楽しかったですねちょっとまたこれ引き続き ちょっとどっかでやりたいなぁと思って思ってるんですけど
まぁそんなこんなでまぁいろいろとお話ししてきましたけれども いかがでしたでしょうか
実はあの今年もですね あのそうそう毎年ねファンクラブのライブっていうのをやってるんですよファンクラブライブ
ファンクラブに入ってくださっている方だけの ためにだけのライブっていうのをやってるんですけど
実は今年9月のファンクラブライブ 先ほど言いました私の中での永遠のアイドル
松田聖子さんの カバーを歌う松田聖子さんを歌うという
ライブを決行いたしますよしきましたね 私ね実はねちょっと声質的にはね多分ね
ちょっとね聖子さん似てると思うんですよね 一瞬のとこあここ似てると思うところが結構昔からあったりとかしたんですけど
まあ別に物真似じゃないのでね あのまあ私がその聖子さんの歌を歌わせていただきます
でこの選曲はですねなんとえっと私のところで今もうずっとねキーボードとかピアノ やってくださって野﨑洋一さん
野﨑洋一さんというと松田聖子さんのところのあの まあバンマスというかねもうサウンドプロデュースみたいなことをされてますけれどもコンサートでね
あの野崎さんが選曲してくださるということで まあ聖子さんの楽曲を知り尽くしている野崎さんだからこそ
こうねどんな曲を選んでくるのかっていうのがもう今からちょっとめちゃくちゃ楽しみ なんですけど
ちょっとその辺もね期待してていただきたいなと思います それを聞いてファンクラブに入りたいと思ったでしょうぜひぜひお待ちしております
はいということで今日の『森川美穂のシンプルライフ』いかがでしたでしょうか この『森川美穂のシンプルライフ』は毎週水曜日の午前中に新しいエピソードを配信しています
お聴きのポッドキャストアプリで番組をフォローしていただき 次回もねまた聞いていただけるととっても嬉しいです
番組メールフォームからですねお便りも募集しておりますので あの質問とかご意見ですね感想なんかでも結構です
はいぜひぜひいただきたいなと思います そしてあの最新のライブ情報は森川美穂公式ホームページをぜひご覧ください
それではまた来週お会いしましょう 森川美穂でした
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