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2023-11-22 30:32

ep55 制限があるから生まれる創造性。100年たっても色褪せないチャップリンの無声映画や、マンガみたいな絵巻物

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音がない「無声」映画でも、多重露光という撮影の仕方だったり、活動弁士だったりと、創造性ひとつで豊かな体験にできる。昔の絵巻物は、今みてもマンガみたい

100年前のチャップリンの無声映画とそのメッセージ性

日本の無声映画と活動弁士のパフォーマンス

1898年「いくつもの頭を持つ男」という1分くらいの映画

自分の頭を切っていくつも並べて、その頭たちと本体がしゃべるという映像の創造性

制作に3-4年。技術があってもなくても昔から人の創造性は豊か

高校の文化祭で8mmフィルムで映画制作

ノストラダムスをテーマにしたが、先生は気に入らなかった

無声映画は動きと情景で明らかに分かるようになっている

音や声の表現によって同じ映像でも全然違うものになる

チャップリンは遠くにいてもどこにいるかはっきり分かる

日曜洋画劇場でチャップリン、学校でチャップリン

モダンタイムズは資本主義社会を風刺、ライムライトになると喜劇王より役者になった

日本でも身体を使った笑い(植木等、森繁久弥)があったが徐々に身体性が失われ、普通の俳優へ

高田純次を目指したい

友人の小学校の同窓会に、同級生のフリをして参加したら意外といけた

やまと絵展:百鬼夜行絵巻や土蜘蛛草紙など、今でいう漫画やSFみたいなものがたくさん

おならで億万長者になった人を真似たけどダメだった人の話を描いた絵巻物(福富草紙)


エピソード内で取り上げた情報へのリンク:


プロダクトマネジメントとプロダクト開発組織づくりを専門とする及川卓也。アメリカ・ニューヨークでスタートアップ投資する関信浩。マーケティング・広報・プロダクトマネジメントを幅広く手掛ける上野美香。テクノロジー業界で働く3人が、気になる話題を毎回、異なった視点で語り合います。

XCrossing website https://x-crossing.com/

XCrossing Official X account (former Twitter) @x_crossing_

及川卓也 @takoratta

関信浩 @NobuhiroSeki

上野美香 @mikamika59

サマリー

最近見たクリエイティブ作品の感動と、昔のフィルム映画の制作について話し合われます。チャップリンの無声映画や日本の無声映画の魅力について深く探求されます。チャップリンの無声映画の表現力や喜劇の風刺についてお話になられるエピソードが紹介されます。昔の喜劇芸人と現代の喜劇芸人の比較についてもお話になります。100年たっても色褪せないチャップリンの無声映画や、マンガみたいな絵巻物を通じて、創造性が制限されることで生まれる魅力について語られています。

感動したクリエイティブ作品
Mika Ueno
XCrossing、英語でスクランブル交差点を意味します。
趣味も世代も、住んできた街も違う3人が、スクランブル交差点で出会うように、様々な話題を聞かせる、おしゃべりの交差点です。
今日のXCrossingであなたが出会うのは、どんな話題でしょう?
Takuya Oikawa
おはようございます。及川です。
依然として、中高生のプログラミング学習サービス、JASMINE TEA頑張っております。
Nobuhiro Seki
おはようございます。ニューヨークからお届けしております、関です。
シックスアパートではなく、投資の分支をやっております。また間違えました。
Mika Ueno
いいですね。こんにちは、上野美香です。
マーケティング、プロダクトマネジメントなどの支援をしている、フリーランスです。
今でも間違えてしまうというね。
レジとかレストランとかで、それがルーティンになっている人って、もう潜在意識で無意識で言ってしまうのってありますよね。
例えば、お支払い方法を先に言ってるんですけど、お支払いは何になさいますかって必ず聞かれるとか、
これはこうでお願いしますって先に言ってるんですけど、もうその仕事のルーティンがあるから、それでドンとやっぱり同じこと聞いてきちゃって、
あ、これは袋いるんでしたよねとか、そういう擦り込まれてるというか、自分にプログラミングされてるっていうのを感じる時はありますね。
Nobuhiro Seki
人前で喋るのは多分、シックスアパートの時しかしてないんですよね。今の会社ってしてないから、会社名を名乗ることがないんですよ。
だから口が多分、あんまり慣れてないんですね、きっとね。
Mika Ueno
会社名、確かに。私、フリーのが今になってはもう長くなっちゃったんですけど、
確かに最初は何々の何々って言ってたから、会社名付けてないようにって挨拶だったんで、
フリーになりたての時は、名刺から肩書きが消えるわけじゃないですか。
だから、それはすごく最初、慣れるのは時間がかかりましたね。
でも今となっては何々乗ってるのを言う方が、自分が違和感を感じるかもしれない。
ここの会社は私社員じゃないしなっていう、お手伝いしてもらってるだけだしなっていう、
なんか帰属感がないので、そこのところは寂しい感じもするんですけど、
でも何々乗って言う言い方がないのか、なくなったのはありますね、感じるのはあるかもしれない。
Nobuhiro Seki
関でSの音で、シックスアパートのSの音だから言いやすいんですよ。
っていうのはありますよね。
スッとSノートが入った時に、あれもう自分の名前言ったなと思った時に、
スッと言い換えるのがそっちになっちゃうのがあると思います。
今の時もSノートが入った時に、あ、言っちゃったと思ったんですよね。
でも止まらないから止めなかったんですけど、言う直前に、
あ、違う会社の名前を言おうとしてるのはわかりました。
しかし口はもうそのまま言ってるので止められませんみたいな。
Mika Ueno
ところで。今ふと思い出したような話題全然変わりますけど、
最近、昔の100年以上前のものっていうかクリエイティブを見て、
なんか人間の考えることってやっぱ同じなんだなって思って、
すごく感動したのがいくつか、二つあってですね。
一つはチャプリンの無声映画なんですけど、
1910何年代とかなんですよね。
チャプリンはもちろん名前を知っているんですけど、
無声映画をその短編10何分ありますけど、
それをフルで見たっていうのは初めてだったんですよ。
それは無声映画に超一流の声優さんがその場でアテレコをするっていうイベントだったんですね。
そのイベント自体も90歳になられる羽佐間道夫さんっていうレジェンド声優さんが主催しているやつで、
チャプリンの映画を二つか三つ取り上げて、
そこに何人かの声優さんがその場でアテレコしていくって。
もちろん台本ある人もいるし、台本なしで本当にその場でアドリブつけてる人もいるし、
私はその声優さんのパフォーマンスを見に行ったつもりだったんですけど、
やっぱそのチャプリンの無声映画っていうのに、
100年以上前にこれ作ったのかっていうところにすごいびっくりしたのと、
ちゃんとメッセージ性がすごいです。音ないんですけど、反戦映画を作ったりとか、
全部コメディである療養所を舞台にして、
お金持ちとそこに来てるご婦人たちとのちょっと皮肉なところを描いたりとかっていう、
ちゃんとそれが描かれてて、すごいなと思いました。
フィルム映画の制作
Mika Ueno
そのチャプリンの無声映画と同時に、もう一人の活弁士っていう方も来ていて、
日本の無声映画もあるじゃないですか。
昭和?もっと前かな。
その阪東妻三郎って知ってるよね。
すごい有名な板妻の無声映画があって、
それにも活弁士の方がそれで説明をつけてくっていうのがあったんですけど、
それもものすごい昔の映画で、
兄弟とかおじさんが決闘に行ってるんだけど、自分はお酒飲んで過ごしちゃって、
翌朝にその手紙を受け取って、現場に行ったらもう殺されてて
じゃあ仇討ちだみたいな、そういう時代劇みたいな内容なんですけど
最初えーと思って、興味出るかなと思ったんですけど、
その活弁士の方の説明がすごくて、ずっと引き込まれちゃったんですよね。
その無声映画自体がすごいなと思ったんですけど。
フランスで一番最初に作られた映像で、無声映画なんですけど、1分くらいの映像で、「いくつもの頭を持つ男」っていうやつなんですけど、
1898年の映画なんですよ。1分くらいしかないんですけど、これあるマジシャンの人が出てきて、自分の頭をポーンと切って、それをテーブルに置いていって、
その頭が3つ置かれるんですけど、楽しそうに話したりとかして、自分は首がなくなった真ん中の本体はギターを弾いたりとかしつつ、うるさいなーとか、フライパンで叩いていくとか、
そういう映像なんですけど、音が全然ついていない。これに羽佐間さん、羽佐間道夫さんがアテレコをするっていうやつだったんですけど、
そのアテレコももちろんすごかったんですけど、この1898年に作られている、フランスで作られたサイレント映画が、今見ても首切ってる、すごいよく見るとね、もちろん黒い布被ってるとかわかるんですけど、今に通ずる創造性じゃないですか。
それが技術があろうがなかろうが、人間の考えることとか、想像力とかっていうのは変わんないんだなと思いました、本当に。すっごいここに感動して、これを作るのに、羽佐間さんのお話だと3年とか4年とかかけたらしいんですよね、この50秒、1分のものを作るのに。
そこに技術があるないっていうのではなく、この100何年前にこれを発想している人がいて、情熱と執念を固めつけて作っている人がいてっていうのがすごいなと思いました。今はその技術がもっと実現できるものがたくさんあるんで、想像力がバーンと広がっているっていう、そういうことなんだなと思いましたね。ちょっと感動しちゃった。
Nobuhiro Seki
やっぱりこれマジシャンとかの延長なんでしょうね。
Mika Ueno
ああ、そうですね。
Nobuhiro Seki
結局、マジシャンとかもそうじゃないですか、そのトリックがあって、人が錯覚しそうなことをいつも考えてやってるわけじゃないですか。だから多分それをフィルムでやったらどうできるかっていうことを考えてやったとかなのかなと思って今見てましたけどね。
僕も高校の時って文化祭で映画を撮ってたんですけど、2回くらい撮ったのかな。それこそ8ミリのやつを。録画機は誰かが持ってて、文化祭の費用でフィルムを買って、撮って、建造して、切って繋ぐみたいなことをやってましたね。
だから今実家に帰るとその切れ端とか残ってるんですよね。こうやって切れ端を見ると40年前の友達とか映ってるわけですよね。
音声は全部アフレコなんで、音声トラックがついてるんですけど、もちろんその場合撮ってるんだけど、全部切って繋いで長くしたやつを今度は見ながら当てるっていうのをやって、
最終的に文化祭の日に上映するみたいなことをやりましたけど。
本当にフィルムを見てて、ここだと思って切って、カシャカシャってなってるやつを2つ繋いでテープで繋ぐんですけど、っていうのをやるのは今思うとむちゃくちゃ地味な仕事ですよね。
だから夜中とかずっとかかるんですよ。もう全然終わんないから。切って、こうやって見て、また切って、テープではめて、全部繋いで見ると不自然だからまた切ってみたいなことやってて。
Mika Ueno
本当すごいですよね。それが映画作りの常識っていうか、それでずっとやってきたんですもんね。
今デジタルとかに慣れると、一瞬でそれができちゃうから、昔の人ってどんだけ苦労してっていうふうに思うんですけど、でも当時は当時でそれが普通だったから、
映像作品の制作経験
Mika Ueno
それで編集する人とか音当てる人とかっていうのは、そのプロがいたわけで、人間の能力ってすごいなと思いますね。
Nobuhiro Seki
やっぱりあの時も、僕はなぜかわからないですけど、カメラマンとかになることが多いんですよ。
それもカメラと編集になってて、台本を作ったかな。でも監督ではなくてみたいな感じで、
監督との仕事の分けがあったわけじゃないんですけど、でもその頃からよく思うと、フィルムを切って編集するとかって、編集作業なんかいつも知らないうちに僕がやることになってたって今思うとありますね。
Mika Ueno
繋がってますね。
Nobuhiro Seki
1年中1の時も、その時はまだそれもできなかったんで、スライドショーだったんですよ。
だから写真を全部撮って、ポジで撮って、スライドになるじゃないですか。
で、スライドがカチャッと押すと、次の画面にカチャッと映るやつがあるじゃないですか。
わかります?プロジェクターに投影してて、ボタンを押すと次のやつができます。
音声は別撮りしてて、カセットテープで撮ってて、で、カセットテープを流して、ナレーションがあって、
まさにノストラダムスだったんですけど、この男がノストラダムス、千何百何十何年からみたいな、そういうナレーションが入ってて、カチャッと押すわけですね。
で、次に、1999年ナアの月みたいなやつを出して、音声作る時も音楽を入れたりとかするから結構編集で面白いんですけど、
次にどういう絵を入れるかって、パワフルですよね。だからどういう絵を入れたかいいかって話をやってて。
で、11でそれをやって、すごいクラスの10人ぐらいですごい盛り上がって、出し戻しで決めたんですよ。
そしたら、他人の先生がノストラダムスがすごい気にならなかったらしくて、残りの人、要するに10人できるよねって感じで。
残りの人たちは反戦っていうタイトルで、スライドやショーをやってる間に、隙間時間に壁に展示をしましょうと。
内容は反戦ですとか、いかにも社会の先生とかがありがちな、あれなんですけど。
残りの30人とかいきなり夏休みに広島とかに行ったんですよ、みんなで。
で、そのいろんなところ、ドームとかに行って、その時に見た話とかをやって、壁とかにこういうことやっちゃいけないと思いますみたいなことを貼ってあるんですけど。
その間残りの10人のチームはひたすら友達の家に行って、ナレーションしたり音楽フレコしたりとか、どういう絵がいいかみたいなことをやってたから、
同じクラスなのに完全に先生で2つの出し物に分けられちゃって。
だから僕らのやってることは非常に、全体の中でいうと、文化祭はもっと学習すべきですみたいな感じで。
要するに、ノスタダムスって別にエンターテイメントじゃないですか。
僕らで言うと、半分エンターテイメントで半分歴史で半分信じてるみたいな感じなんですけど。
中一とかだから。
だからそれをもっと掘り下げて作りたいとかって、一応真面目にやってるんだけど、先生はタイトルの決め方がもうすでに気に入らないわけですよ。
そんな中一で文化祭で展示やれって言ってるのに、なんでそんなノスタダムス内容でやんだよみたいな感じで。
でもこの今のいくつもの頭を持つ男を見て、僕らはこういう扱いだったんだなと思いましたよね。
Mika Ueno
人の原動力は中二病ですからね。いいんですよ。
Nobuhiro Seki
面白かったですけどね。やってるほうがね。
Mika Ueno
そうでしょうね。それが一番ですよね。
Nobuhiro Seki
だから制作活動は面白かったですね。
Mika Ueno
両方経験できてるのはすごいですよね
アプリの無性映画も音がないっていうのは、すごい判定でもあるんですよね。
セリフがないから、全部動きとその情景で伝えなきゃいけないじゃないですか。
チャップリンの無声映画
Mika Ueno
それを何十分も作っているんですけど、動きで明らかに分かるようにしているっていうのが、
これすごい音がなくて、モーションだけで伝えるって私たちも今やるとしたらすごい大変なわけで、そこにちゃんとメッセージ数入れなきゃいけない。
し、それを笑わせるものであるっていうのは、いやすごいことやってたんだな。
チャプリンっていう人はと思いましたね。
で、そこにさらに声は声で当てるってことになると、その声の表現力というのはまた別にあって、その無性映画に別の人たちが声を当てると全然違うものになるんですよね。
それはそれでまたすごい表現力というか、
映像をどういう解釈にも持っていけるっていう、その力もありますよね
Nobuhiro Seki
チャプリンとかはやっぱりちょっと舞台っぽいですよね。
で、画面出てきて、遠くにいても絶対分かるじゃないですか、動きで。
独特の動きでチャプリンがどこにいるのか絶対分かるっていう。
あれはすごくですよね。
チャプリンというのは映画制作しているわけですね。
映画制作してない人は映画騒音が大きいんですけども、
映画騒音が大きなと思う人は映画騒音を人生で見ることができるんですよね、
Mika Ueno
歩き方とかね
わざとね、足を広げて歩くじゃないですか
初めて通して見た時に
あ、チャップリンだってやっぱりわかるんですよね本当に
Takuya Oikawa
チャップリンってだからやっぱり
映画制作のプロでもあり
もう一つは世界の喜劇王なんですよね
だから多分今の歩き方の部分とか
そちらの映画っていうのは特に
映画だけじゃなくやっぱり喜劇王としての
チャップリンの話なのかなと
だから多分あれですよ
喜劇芸人の影響
Takuya Oikawa
コント55号の萩本欽一さんとか
チャップリンにすごい影響を受けてるんじゃないですかね
Mika Ueno
おー
Takuya Oikawa
コント55号のって言っても誰もわかんないな
Nobuhiro Seki
わかりますよ
Mika Ueno
わかるわかるわかりますよ
Takuya Oikawa
2人はわかるけど若い人は全然わかんない
Nobuhiro Seki
なんで55号かとかね
そういう話かも絶対わかんないですよね
Takuya Oikawa
絶対わかんないですよね
Mika Ueno
なんで55なの
Takuya Oikawa
王貞治ですよ
Nobuhiro Seki
ホームラン55本
そうなんだ
Mika Ueno
そうなんだ
Nobuhiro Seki
子供の頃にねなんか僕やっぱり
よく日曜洋画劇場とかやったじゃないですか
テレビで
でやっぱりチャップリンのやつって
定期的にやってたから
Takuya Oikawa
やってましたね
Mika Ueno
やってた?
Nobuhiro Seki
やってました僕
Takuya Oikawa
昔結構ねなんか
白黒のやつとかも出てた
ヒッチコックとかもね
Nobuhiro Seki
たまにやっぱり出てて
Mika Ueno
その時無声のまま放送されるんですか
Nobuhiro Seki
無声だったと思うんですよ
Mika Ueno
ほんと
Takuya Oikawa
チャップリンって有声のやつもあるんですよね
Nobuhiro Seki
ありますありますあります
Takuya Oikawa
そっちが流れてたかもしんないですね
僕なんか小学校か
でも多分中学だな
学校で見たんですよねチャップリンを
無声画を
なんかすごい面白かった記憶があって
Nobuhiro Seki
いやでもやっぱり
子供とかでもわかりますよね
まずあの動きがおかしいから笑っちゃうし
特にね喜劇ね
は本当に
大体こう
人をひたすらバカにするみたいな
ことをするからすごい面白いですよね
子供がやっぱり好きですよね
Takuya Oikawa
でもなんかちょっと
風刺が効いていたり
ほろっとさせたりっていうところで
Mika Ueno
ちゃんとドラマがあるんですよね
あの反戦映画って言われているものも
当時イギリスが
第一次世界大戦に入るような時期
だったんですけど
そのイギリス人として
戦争現地の様子を
面白おかしく描くわけですよ
防空壕みたいなところに入ってるんですけど
そこに雨が降ってきて
ズバーンとか言って
ベッドが全部水の中に入ってたみたいな
そういう
わかりやすい笑いとかなんですけど
でもそれでもそこがいいっていうんじゃなくて
ちゃんと考えようよとこの戦いが
敵軍も出てくるんですね
ドイツとかも
そういう描き方をしているのはなんか
その
当時の雰囲気っていうか
機運の中でそれを作ったっていうのは相当な
チャレンジというかね
すごいことだと思いますよね
喜劇の変遷
Nobuhiro Seki
でもやっぱり逆に言うと
洋画劇場とかで見てるやつとかっていうのはやっぱり
風刺のやつばっかり
っていう印象がありますよね
要はだから笑わす中に風刺です
例えば最初に見たのは覚えてモダンタイムスですけど、モダンタイムスとかって言うとやっぱりあれって量産、資本主義社会みたいなものを明らかに封鎖してるし、黄金狂時代とかね、そういうのもやっぱりまさにそんな感じなんで、むしろライムライトぐらいになってくると急に喜劇法じゃなくてちょっと普通の役者みたいになっちゃってる感じもしたっていう記憶があって、やっぱりちょっと晩年変わってきてるかなーみたいなことはちょっと
やっぱりそのカクカク動きながらやってるとかっていう中に、裏に実はメッセージが隠されてますとかっていうのがやっぱりちょっと彼の心骨頂なのかなーみたいなことはなんか子供頃に思いましたけどね。
Mika Ueno
今挙げてくれたタイトルだけでももう知ってるし、内幕とか見たことないんですけど、必ずタイトルは聞いたことだし、まずタイトルかっこいいですよね。インパクト強いし。
Takuya Oikawa
なんかその喜劇人が最後は普通の役者になったり、なんなら人格者みたいになって、社会におけるオピニオンリーダーみたいになっていくっていうのは普通にあるらしいんですよ。
で、小林信彦さんっていう作家というかがいらっしゃって、で中学ぐらいの時、ここから日本の喜劇とか世界の喜劇とかっていう文庫を出されてるんですね。
で、それ読んだら、やっぱり例えば日本においても植木等さんだとか、いろんな人が結構身体を使った馬鹿げて本当にくだらない喜劇をやられていたような方々が芸人さんですね。
それが晩年になるとしっかりした役者をやる。特に森繁久弥がそうなんですよね。で、そういう形になっていくっていうのはやっぱり身体勢が失われるところがあるんですよね。
さっきのチャップリンの話にしても、身体がやっぱり動かなくなってきて、身体を使った笑いっていうのができなくなってきたりするところもあり、だんだんとそういった普通の俳優になっていくというのが定番のパターンとしてあるみたいですね。
Mika Ueno
なるほど。そうやって思い返してみると、今もそういう役者さんいますね。竹中直人さんもそうだしね。片岡鶴太郎さんとかもそうだしね。
まあ、なんかああいうのはそうだなと思いながら、静まで馬鹿やってる人を見るのも、それはそれで素敵だなと思いますよね。
かっこいいですよね。
Nobuhiro Seki
やろうとしてんの、あの人。散歩してる人、最近。
Mika Ueno
散歩してる人。
Takuya Oikawa
高田順次ですね、高田順次。
Nobuhiro Seki
よく正解わかってくれた。
Takuya Oikawa
いや、僕ね、高田順次大好きなんですよ。僕は高田順次みたいな人になりたくて、半分くらい慣れてるかなと。あそこまで一気に達してないけど、基本的にネタとしてしか考えないし、笑いを取ることしか考えないし。
Nobuhiro Seki
それはなんかでわかりますよ。それを目指してるのはよくわかる。
Takuya Oikawa
人間のクズのクズって自覚してるところとか、本当に。
Mika Ueno
その笑いを取るところをもっとここでクロッシングさせていただいて全然いいんですけど。
Nobuhiro Seki
あそこまで踏み込むのはやっぱりすごいなかなか大変ですよね。
Takuya Oikawa
いやー、それだったらあれですよ。やっぱり自己紹介のところから、なんか普通においかたくやでしていってダメなんですよ。
Nobuhiro Seki
そうですよね。
Takuya Oikawa
レオナルド・ディカプリオですとかね。そういうこと言わなきゃいけないんですよ。
Nobuhiro Seki
それやったら完全に言ったなと思いますけどね。まだそこには行ってないですね。
Takuya Oikawa
照れがあるところはダメですね。
Mika Ueno
全乗っかりしていきましょうね、私も関さんもね。
Nobuhiro Seki
たしかに高田さんはね、照れがないですからね。それはすごいですよね。
そこまで含む芸風と言ってしまえばそれまですけど、確かにそういう人って周りに若干いるんですよね。
うちのおじとかもやっぱりああいう感じなんですよ。
だからもう、昔の話を聞いてると、車を運転したら、検問かなんかで車を止められたらしいんですよ。
トランク開けろって言われて、本当にトランク開けなきゃいけないんですか?開けなさいとか言って、本当ですか?みたいな。
そういう時に平気でそういうことをやるらしいんですよね。
本当にやって開けて普通に何もありませんでしたみたいなね。そういうのをやるらしいんですけど。
そういうの平気でずっとやって、今90ぐらいですけど、未だに会うとそんな感じですね。そこまではできないけど。
Takuya Oikawa
警官にやる勇気ないな。マークされたら面倒だもん、その後。
Mika Ueno
すごいですね。
Nobuhiro Seki
そういうことやってました。
Mika Ueno
関西の人とかだったりするんですか?
Nobuhiro Seki
全然普通に東京の人ですね。
Mika Ueno
誰かから聞いたんですけど、今韓国とかで大阪がバズってるみたいなこと聞いたんですけど、
例えばこれ、すれ違う時にエスカレーターとかで降りた時に手を出すとハイラッチしてくれるとか、道歩いてる時に銃でドーンと打つとワーとかやってくれるとか、そういう人たちがいるみたいな。
確かに大阪はそうかもしれないけど、全部が全部そうじゃないみたいなこと誰が言ってたの?
そういうテレビ番組よくありますからね。大阪に行っていきなり、おばちゃんとかにこうやってやると、だいたいほとんどああーってやるっていうね、そういう。
Nobuhiro Seki
東京でやると全く相手されませんみたいなやつがよくある番組ですよね。
Mika Ueno
いかにウケるっていうかね、ウケることがかっこいいっていう価値観とかありますよね。
Nobuhiro Seki
だから、僕も大学生ぐらいのときかな、大阪の友達に行ったときに、ちょうどその友達が、小学校のときに同窓会があるんだよとか言って、来ないとかって言われて、
僕ずっと同窓会の最初の3、40分ぐらいは同窓生として振る舞ったんですよ。
もう20歳ぐらいだから10歳ぐらいのことみんな覚えてないじゃないですか。覚えてないというかみんな変わってるじゃないですか。
だから、その同窓会に行って、僕は全然関係ないんだけど、いたじゃん席ってとかって言って、ずっとそれをやるっていうのを1時間ぐらいやらされて、
で、1時間ぐらいして、実は関西弁喋れないから、途中で分かっちゃうんですよね。
なんかすごい無茶苦茶標準語やんみたいなこと言われるんですけど、あの後すぐ東京行ったからさみたいな感じでずっとそれでやってて、
1時間ぐらいして、実はすいません、今日いきなり参加しろって言われて参加しましたみたいな。
Mika Ueno
うわ、1時間もやったんだ、すごいですね。
Nobuhiro Seki
そう、そう、やったことありますね。
でもね、結構みんなそれはそれでね、適当に話してればなんとかなるっていうか、別にそんな覚えてないじゃないですか。
覚えてない感じのクラスだったっぽいんですけど、だから割と適当に話を合わせてれば全然OKだったっていうことはちょっと1回やったことありますね。
ごめんなさい、1回じゃない、2回やったことあるな。
Mika Ueno
やってるね。
Nobuhiro Seki
なんか早稲田大学の大学4年の時に早稲田大学のサークルの1年生のふりをして入るっていうのをやったこともあって、それも全然気づかれなかったです。
それはもう当たり前でしょ、だって1年生っぽい振る舞ってるから、新入生っていう。
もちろんその時も2人だけ知ってる人はいたんですけど、途中になって実はって言ってくれたんですけど、それまではもう1年生のふりをしてずっと、その頃には普通に酒飲んでんじゃんみたいなそういうのありますけど。
でもそれもある意味なんかインプロみたいなもんですよね。
ずっとインプロしてるみたいな感じなんですよ。
バンバン振られてくわけですよ、全然。
どうしてうち来ることにしたのって言われたけど。
Mika Ueno
お笑いライブみたいなもんですね。
チャップリンの無声映画
Nobuhiro Seki
考えるんですけど、それはそれでなんかこう面白い体験でしたね、今思うとね。
一貫してその後も喋んなきゃいけないじゃないですか。
Mika Ueno
たぶんできないです、そういうの。
Nobuhiro Seki
それは照れがあるとバレちゃうんですよ。
Mika Ueno
演じるってことですもんね、それはね。
Nobuhiro Seki
そうそうそうそう。
Mika Ueno
演じるね。
Nobuhiro Seki
やってみたら面白いは面白いですね。
いろんなことわかりますね。
別にわかる必要ないかもしんないけど。
Mika Ueno
あのね、もう1個その無声映画ともう1個なんですけど、今まさにやってる、12月初めまでやってるんですけど、東京国立博物館で今「やまと絵展」っていうのやってるんですよ。
それは日本の絵巻物あるじゃないですか。
巻物が国宝級のほぼ全てみたいなのをやってるんですね。
それ4回期間分けて、もうあまりに量が多いから展示を変えてやるんですけど、そこにものすごいのがいっぱい出てくるんですけど。
源氏物語絵巻とか、あと鳥獣戯画とか出てくるんですけど、それを目当てで見に行ったんですけど、”見どころ”っていうのに出てこないようなものにすごいいたく感動したのが、百鬼夜行絵巻とか、百鬼夜行は目玉に出てくるんだけど、百鬼夜行絵巻とか、土蜘蛛を退治する源頼光の絵巻とか、いわゆる今で言うと漫画?
漫画とかSFみたいなものがやっぱり平安時代とかいっぱいあるんですよ。
それ見てると、絵巻物として、もちろん芸術品として展示されてるから一部分しか見れないんですけど、普通に見ていくと、この先のストーリー見たいと思うんですね。
妖怪出てきたりとか、どでかい土蜘蛛が出てきて、人を殺してってみたいなやつがあって、ストーリーとして見たいっていうのと、
あと、すごい奇妙キテレツな形をしてるんだけど、人間の悪いところを食べてくれるっていう、実はいい神様みたいな描かれたかとしてるのもあって、めちゃくちゃ奇妙なものなんだけど、
人にとってはすごいいい神様だっていうのもあって、その先のストーリーも見たいとか、あってですね、それがめちゃくちゃ面白かったんですよね。
で、絵もすっごく妖怪が、色もはっきり描かれてるし、想像力豊かに描かれているんで、すごい面白いのと。
で、もう一個面白かったのが、人の病についてだけ描かれている絵巻物っていうのがあって、
当時の人たちから見たときに、例えば顔の半分、あざになってる女の人とか、あとは、上からも下からも、ちょっと汚い話でごめんなさい、下痢をしまくってる人の絵とかっていうのが、
病草紙だったかな、歯かな?歯を治療してる時にガーって血をいっぱい出ながら治療してる絵とか、
当時どういう病と人が苦しんでいたかみたいなものだけを扱ったものとかがあって、当時の風俗がわかるわけですよね。
それがまた、1000年以上前でも人間の営みは同じって思えるんですよ。
それをちゃんと絵にしている人たちもいるんで、それが芸術っていうかね、アートとして読まれていたっていうのがすごく面白くて。
映画みたいに、やっぱり無声映画みたいに動くもんじゃないんですけど、1000年以上前のやつがすごいね。今に通ずるものを感じて、ものすごい感動しました。
マンガみたいな絵巻物
Nobuhiro Seki
やっぱり当時からそれってエンターテイメントなんですね、きっとね。
Mika Ueno
そうそうそう、エンタメ。
ほうへ草紙っていうのがあって、おならで一攫千金したっていうストーリーがあって、
おならだけで生きて億万長者になりましたみたいな人がいると。
それを真似て、自分もおならブーブーして真似ようと思った人がいるんだけど、実はそんな簡単じゃなくて、その人が失敗していくみたいな、それを描いた漫画みたいなのもあって。
それが平安時代が鎌倉時代だから、ものすごい流行したんですって。
その描き方が今の漫画みたいで、それも展示されてましたけどね。
Nobuhiro Seki
たぶん、ほうへじゃなくて、ほうひだと思いますけどね。
Mika Ueno
ほうひ?放屁か。ひって読むんだ、そっか。
おならですみたいな、想像力は変わらないですよ、本当に。
何なら昔の方がSFとかそういうのがない分、そうやって描くっていうのはたくさんありますね。
Nobuhiro Seki
それって小説もそうですもんね。だって映像よりも小説を読んだ方が面白い時とかあるじゃないですか。
Mika Ueno
そうね、源氏物語なんかそうですもんね。
Nobuhiro Seki
面白いですよね。小説とか読んでても、僕は後から記憶を遡ると、割とシーンで覚えてるんですよね。
小説の中でもシーンの描写があるじゃないですか。どこどこでこうしてこうこうこうっていう風にやると、
自分の中で自分をそこに置いて、こういうシーンだったのかっていうのを何とか思いながら読んでるじゃないですか。
読む時って、例えば道を曲がったら何とかありましたみたいな。
でも後から小説のシーンとか思い出すときに、文字というより何とかそういうイメージで思い出すってことないですか。
Mika Ueno
ありますね。
Nobuhiro Seki
やっぱりその人間の想像力、ある意味想像力がたくましすぎるのが人間の問題なのかもしれないですけど、
でもすごいですね、やっぱりそういうところから自分の中でいろいろ保管していくわけですよね、頭の中にね。
Mika Ueno
それがどんどん伝わって、そういうものが土台になって人間が進化していくわけじゃないですか、文化的にも能力的にも。素晴らしいな。
Nobuhiro Seki
ちょっと今回文化っぽい話だったかな。
Mika Ueno
映画の話でした。
30:32

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