Mika Ueno
XCrossing、英語でスクランブル交差点を意味します。
趣味も世代も、住んできた街も違う3人が、スクランブル交差点で出会うように、様々な話題を聞かせる、おしゃべりの交差点です。
今日のXCrossingであなたが出会うのは、どんな話題でしょう?
Takuya Oikawa
おはようございます。及川です。
依然として、中高生のプログラミング学習サービス、JASMINE TEA頑張っております。
Nobuhiro Seki
おはようございます。ニューヨークからお届けしております、関です。
シックスアパートではなく、投資の分支をやっております。また間違えました。
Mika Ueno
いいですね。こんにちは、上野美香です。
マーケティング、プロダクトマネジメントなどの支援をしている、フリーランスです。
今でも間違えてしまうというね。
レジとかレストランとかで、それがルーティンになっている人って、もう潜在意識で無意識で言ってしまうのってありますよね。
例えば、お支払い方法を先に言ってるんですけど、お支払いは何になさいますかって必ず聞かれるとか、
これはこうでお願いしますって先に言ってるんですけど、もうその仕事のルーティンがあるから、それでドンとやっぱり同じこと聞いてきちゃって、
あ、これは袋いるんでしたよねとか、そういう擦り込まれてるというか、自分にプログラミングされてるっていうのを感じる時はありますね。
Nobuhiro Seki
人前で喋るのは多分、シックスアパートの時しかしてないんですよね。今の会社ってしてないから、会社名を名乗ることがないんですよ。
だから口が多分、あんまり慣れてないんですね、きっとね。
Mika Ueno
会社名、確かに。私、フリーのが今になってはもう長くなっちゃったんですけど、
確かに最初は何々の何々って言ってたから、会社名付けてないようにって挨拶だったんで、
フリーになりたての時は、名刺から肩書きが消えるわけじゃないですか。
だから、それはすごく最初、慣れるのは時間がかかりましたね。
でも今となっては何々乗ってるのを言う方が、自分が違和感を感じるかもしれない。
ここの会社は私社員じゃないしなっていう、お手伝いしてもらってるだけだしなっていう、
なんか帰属感がないので、そこのところは寂しい感じもするんですけど、
でも何々乗って言う言い方がないのか、なくなったのはありますね、感じるのはあるかもしれない。
Nobuhiro Seki
関でSの音で、シックスアパートのSの音だから言いやすいんですよ。
っていうのはありますよね。
スッとSノートが入った時に、あれもう自分の名前言ったなと思った時に、
スッと言い換えるのがそっちになっちゃうのがあると思います。
今の時もSノートが入った時に、あ、言っちゃったと思ったんですよね。
でも止まらないから止めなかったんですけど、言う直前に、
あ、違う会社の名前を言おうとしてるのはわかりました。
しかし口はもうそのまま言ってるので止められませんみたいな。
Mika Ueno
ところで。今ふと思い出したような話題全然変わりますけど、
最近、昔の100年以上前のものっていうかクリエイティブを見て、
なんか人間の考えることってやっぱ同じなんだなって思って、
すごく感動したのがいくつか、二つあってですね。
一つはチャプリンの無声映画なんですけど、
1910何年代とかなんですよね。
チャプリンはもちろん名前を知っているんですけど、
無声映画をその短編10何分ありますけど、
それをフルで見たっていうのは初めてだったんですよ。
それは無声映画に超一流の声優さんがその場でアテレコをするっていうイベントだったんですね。
そのイベント自体も90歳になられる羽佐間道夫さんっていうレジェンド声優さんが主催しているやつで、
チャプリンの映画を二つか三つ取り上げて、
そこに何人かの声優さんがその場でアテレコしていくって。
もちろん台本ある人もいるし、台本なしで本当にその場でアドリブつけてる人もいるし、
私はその声優さんのパフォーマンスを見に行ったつもりだったんですけど、
やっぱそのチャプリンの無声映画っていうのに、
100年以上前にこれ作ったのかっていうところにすごいびっくりしたのと、
ちゃんとメッセージ性がすごいです。音ないんですけど、反戦映画を作ったりとか、
全部コメディである療養所を舞台にして、
お金持ちとそこに来てるご婦人たちとのちょっと皮肉なところを描いたりとかっていう、
ちゃんとそれが描かれてて、すごいなと思いました。
Mika Ueno
そのチャプリンの無声映画と同時に、もう一人の活弁士っていう方も来ていて、
日本の無声映画もあるじゃないですか。
昭和?もっと前かな。
その阪東妻三郎って知ってるよね。
すごい有名な板妻の無声映画があって、
それにも活弁士の方がそれで説明をつけてくっていうのがあったんですけど、
それもものすごい昔の映画で、
兄弟とかおじさんが決闘に行ってるんだけど、自分はお酒飲んで過ごしちゃって、
翌朝にその手紙を受け取って、現場に行ったらもう殺されてて
じゃあ仇討ちだみたいな、そういう時代劇みたいな内容なんですけど
最初えーと思って、興味出るかなと思ったんですけど、
その活弁士の方の説明がすごくて、ずっと引き込まれちゃったんですよね。
その無声映画自体がすごいなと思ったんですけど。
フランスで一番最初に作られた映像で、無声映画なんですけど、1分くらいの映像で、「いくつもの頭を持つ男」っていうやつなんですけど、
1898年の映画なんですよ。1分くらいしかないんですけど、これあるマジシャンの人が出てきて、自分の頭をポーンと切って、それをテーブルに置いていって、
その頭が3つ置かれるんですけど、楽しそうに話したりとかして、自分は首がなくなった真ん中の本体はギターを弾いたりとかしつつ、うるさいなーとか、フライパンで叩いていくとか、
そういう映像なんですけど、音が全然ついていない。これに羽佐間さん、羽佐間道夫さんがアテレコをするっていうやつだったんですけど、
そのアテレコももちろんすごかったんですけど、この1898年に作られている、フランスで作られたサイレント映画が、今見ても首切ってる、すごいよく見るとね、もちろん黒い布被ってるとかわかるんですけど、今に通ずる創造性じゃないですか。
それが技術があろうがなかろうが、人間の考えることとか、想像力とかっていうのは変わんないんだなと思いました、本当に。すっごいここに感動して、これを作るのに、羽佐間さんのお話だと3年とか4年とかかけたらしいんですよね、この50秒、1分のものを作るのに。
そこに技術があるないっていうのではなく、この100何年前にこれを発想している人がいて、情熱と執念を固めつけて作っている人がいてっていうのがすごいなと思いました。今はその技術がもっと実現できるものがたくさんあるんで、想像力がバーンと広がっているっていう、そういうことなんだなと思いましたね。ちょっと感動しちゃった。
Nobuhiro Seki
やっぱりこれマジシャンとかの延長なんでしょうね。
Mika Ueno
ああ、そうですね。
Nobuhiro Seki
結局、マジシャンとかもそうじゃないですか、そのトリックがあって、人が錯覚しそうなことをいつも考えてやってるわけじゃないですか。だから多分それをフィルムでやったらどうできるかっていうことを考えてやったとかなのかなと思って今見てましたけどね。
僕も高校の時って文化祭で映画を撮ってたんですけど、2回くらい撮ったのかな。それこそ8ミリのやつを。録画機は誰かが持ってて、文化祭の費用でフィルムを買って、撮って、建造して、切って繋ぐみたいなことをやってましたね。
だから今実家に帰るとその切れ端とか残ってるんですよね。こうやって切れ端を見ると40年前の友達とか映ってるわけですよね。
音声は全部アフレコなんで、音声トラックがついてるんですけど、もちろんその場合撮ってるんだけど、全部切って繋いで長くしたやつを今度は見ながら当てるっていうのをやって、
最終的に文化祭の日に上映するみたいなことをやりましたけど。
本当にフィルムを見てて、ここだと思って切って、カシャカシャってなってるやつを2つ繋いでテープで繋ぐんですけど、っていうのをやるのは今思うとむちゃくちゃ地味な仕事ですよね。
だから夜中とかずっとかかるんですよ。もう全然終わんないから。切って、こうやって見て、また切って、テープではめて、全部繋いで見ると不自然だからまた切ってみたいなことやってて。
Mika Ueno
本当すごいですよね。それが映画作りの常識っていうか、それでずっとやってきたんですもんね。
今デジタルとかに慣れると、一瞬でそれができちゃうから、昔の人ってどんだけ苦労してっていうふうに思うんですけど、でも当時は当時でそれが普通だったから、
Mika Ueno
それで編集する人とか音当てる人とかっていうのは、そのプロがいたわけで、人間の能力ってすごいなと思いますね。
Nobuhiro Seki
やっぱりあの時も、僕はなぜかわからないですけど、カメラマンとかになることが多いんですよ。
それもカメラと編集になってて、台本を作ったかな。でも監督ではなくてみたいな感じで、
監督との仕事の分けがあったわけじゃないんですけど、でもその頃からよく思うと、フィルムを切って編集するとかって、編集作業なんかいつも知らないうちに僕がやることになってたって今思うとありますね。
Mika Ueno
繋がってますね。
Nobuhiro Seki
1年中1の時も、その時はまだそれもできなかったんで、スライドショーだったんですよ。
だから写真を全部撮って、ポジで撮って、スライドになるじゃないですか。
で、スライドがカチャッと押すと、次の画面にカチャッと映るやつがあるじゃないですか。
わかります?プロジェクターに投影してて、ボタンを押すと次のやつができます。
音声は別撮りしてて、カセットテープで撮ってて、で、カセットテープを流して、ナレーションがあって、
まさにノストラダムスだったんですけど、この男がノストラダムス、千何百何十何年からみたいな、そういうナレーションが入ってて、カチャッと押すわけですね。
で、次に、1999年ナアの月みたいなやつを出して、音声作る時も音楽を入れたりとかするから結構編集で面白いんですけど、
次にどういう絵を入れるかって、パワフルですよね。だからどういう絵を入れたかいいかって話をやってて。
で、11でそれをやって、すごいクラスの10人ぐらいですごい盛り上がって、出し戻しで決めたんですよ。
そしたら、他人の先生がノストラダムスがすごい気にならなかったらしくて、残りの人、要するに10人できるよねって感じで。
残りの人たちは反戦っていうタイトルで、スライドやショーをやってる間に、隙間時間に壁に展示をしましょうと。
内容は反戦ですとか、いかにも社会の先生とかがありがちな、あれなんですけど。
残りの30人とかいきなり夏休みに広島とかに行ったんですよ、みんなで。
で、そのいろんなところ、ドームとかに行って、その時に見た話とかをやって、壁とかにこういうことやっちゃいけないと思いますみたいなことを貼ってあるんですけど。
その間残りの10人のチームはひたすら友達の家に行って、ナレーションしたり音楽フレコしたりとか、どういう絵がいいかみたいなことをやってたから、
同じクラスなのに完全に先生で2つの出し物に分けられちゃって。
だから僕らのやってることは非常に、全体の中でいうと、文化祭はもっと学習すべきですみたいな感じで。
要するに、ノスタダムスって別にエンターテイメントじゃないですか。
僕らで言うと、半分エンターテイメントで半分歴史で半分信じてるみたいな感じなんですけど。
中一とかだから。
だからそれをもっと掘り下げて作りたいとかって、一応真面目にやってるんだけど、先生はタイトルの決め方がもうすでに気に入らないわけですよ。
そんな中一で文化祭で展示やれって言ってるのに、なんでそんなノスタダムス内容でやんだよみたいな感じで。
でもこの今のいくつもの頭を持つ男を見て、僕らはこういう扱いだったんだなと思いましたよね。
Mika Ueno
人の原動力は中二病ですからね。いいんですよ。
Nobuhiro Seki
面白かったですけどね。やってるほうがね。
Mika Ueno
そうでしょうね。それが一番ですよね。
Nobuhiro Seki
だから制作活動は面白かったですね。
Mika Ueno
両方経験できてるのはすごいですよね
アプリの無性映画も音がないっていうのは、すごい判定でもあるんですよね。
セリフがないから、全部動きとその情景で伝えなきゃいけないじゃないですか。
Nobuhiro Seki
でもやっぱり逆に言うと
洋画劇場とかで見てるやつとかっていうのはやっぱり
風刺のやつばっかり
っていう印象がありますよね
要はだから笑わす中に風刺です
例えば最初に見たのは覚えてモダンタイムスですけど、モダンタイムスとかって言うとやっぱりあれって量産、資本主義社会みたいなものを明らかに封鎖してるし、黄金狂時代とかね、そういうのもやっぱりまさにそんな感じなんで、むしろライムライトぐらいになってくると急に喜劇法じゃなくてちょっと普通の役者みたいになっちゃってる感じもしたっていう記憶があって、やっぱりちょっと晩年変わってきてるかなーみたいなことはちょっと
やっぱりそのカクカク動きながらやってるとかっていう中に、裏に実はメッセージが隠されてますとかっていうのがやっぱりちょっと彼の心骨頂なのかなーみたいなことはなんか子供頃に思いましたけどね。
Mika Ueno
今挙げてくれたタイトルだけでももう知ってるし、内幕とか見たことないんですけど、必ずタイトルは聞いたことだし、まずタイトルかっこいいですよね。インパクト強いし。
Takuya Oikawa
なんかその喜劇人が最後は普通の役者になったり、なんなら人格者みたいになって、社会におけるオピニオンリーダーみたいになっていくっていうのは普通にあるらしいんですよ。
で、小林信彦さんっていう作家というかがいらっしゃって、で中学ぐらいの時、ここから日本の喜劇とか世界の喜劇とかっていう文庫を出されてるんですね。
で、それ読んだら、やっぱり例えば日本においても植木等さんだとか、いろんな人が結構身体を使った馬鹿げて本当にくだらない喜劇をやられていたような方々が芸人さんですね。
それが晩年になるとしっかりした役者をやる。特に森繁久弥がそうなんですよね。で、そういう形になっていくっていうのはやっぱり身体勢が失われるところがあるんですよね。
さっきのチャップリンの話にしても、身体がやっぱり動かなくなってきて、身体を使った笑いっていうのができなくなってきたりするところもあり、だんだんとそういった普通の俳優になっていくというのが定番のパターンとしてあるみたいですね。
Mika Ueno
なるほど。そうやって思い返してみると、今もそういう役者さんいますね。竹中直人さんもそうだしね。片岡鶴太郎さんとかもそうだしね。
まあ、なんかああいうのはそうだなと思いながら、静まで馬鹿やってる人を見るのも、それはそれで素敵だなと思いますよね。
かっこいいですよね。
Nobuhiro Seki
やろうとしてんの、あの人。散歩してる人、最近。
Mika Ueno
散歩してる人。
Takuya Oikawa
高田順次ですね、高田順次。
Nobuhiro Seki
よく正解わかってくれた。
Takuya Oikawa
いや、僕ね、高田順次大好きなんですよ。僕は高田順次みたいな人になりたくて、半分くらい慣れてるかなと。あそこまで一気に達してないけど、基本的にネタとしてしか考えないし、笑いを取ることしか考えないし。
Nobuhiro Seki
それはなんかでわかりますよ。それを目指してるのはよくわかる。
Takuya Oikawa
人間のクズのクズって自覚してるところとか、本当に。
Mika Ueno
その笑いを取るところをもっとここでクロッシングさせていただいて全然いいんですけど。
Nobuhiro Seki
あそこまで踏み込むのはやっぱりすごいなかなか大変ですよね。
Takuya Oikawa
いやー、それだったらあれですよ。やっぱり自己紹介のところから、なんか普通においかたくやでしていってダメなんですよ。
Nobuhiro Seki
そうですよね。
Takuya Oikawa
レオナルド・ディカプリオですとかね。そういうこと言わなきゃいけないんですよ。
Nobuhiro Seki
それやったら完全に言ったなと思いますけどね。まだそこには行ってないですね。
Takuya Oikawa
照れがあるところはダメですね。
Mika Ueno
全乗っかりしていきましょうね、私も関さんもね。
Nobuhiro Seki
たしかに高田さんはね、照れがないですからね。それはすごいですよね。
そこまで含む芸風と言ってしまえばそれまですけど、確かにそういう人って周りに若干いるんですよね。
うちのおじとかもやっぱりああいう感じなんですよ。
だからもう、昔の話を聞いてると、車を運転したら、検問かなんかで車を止められたらしいんですよ。
トランク開けろって言われて、本当にトランク開けなきゃいけないんですか?開けなさいとか言って、本当ですか?みたいな。
そういう時に平気でそういうことをやるらしいんですよね。
本当にやって開けて普通に何もありませんでしたみたいなね。そういうのをやるらしいんですけど。
そういうの平気でずっとやって、今90ぐらいですけど、未だに会うとそんな感じですね。そこまではできないけど。
Takuya Oikawa
警官にやる勇気ないな。マークされたら面倒だもん、その後。
Mika Ueno
すごいですね。
Nobuhiro Seki
そういうことやってました。
Mika Ueno
関西の人とかだったりするんですか?
Nobuhiro Seki
全然普通に東京の人ですね。
Mika Ueno
誰かから聞いたんですけど、今韓国とかで大阪がバズってるみたいなこと聞いたんですけど、
例えばこれ、すれ違う時にエスカレーターとかで降りた時に手を出すとハイラッチしてくれるとか、道歩いてる時に銃でドーンと打つとワーとかやってくれるとか、そういう人たちがいるみたいな。
確かに大阪はそうかもしれないけど、全部が全部そうじゃないみたいなこと誰が言ってたの?
そういうテレビ番組よくありますからね。大阪に行っていきなり、おばちゃんとかにこうやってやると、だいたいほとんどああーってやるっていうね、そういう。
Nobuhiro Seki
東京でやると全く相手されませんみたいなやつがよくある番組ですよね。
Mika Ueno
いかにウケるっていうかね、ウケることがかっこいいっていう価値観とかありますよね。
Nobuhiro Seki
だから、僕も大学生ぐらいのときかな、大阪の友達に行ったときに、ちょうどその友達が、小学校のときに同窓会があるんだよとか言って、来ないとかって言われて、
僕ずっと同窓会の最初の3、40分ぐらいは同窓生として振る舞ったんですよ。
もう20歳ぐらいだから10歳ぐらいのことみんな覚えてないじゃないですか。覚えてないというかみんな変わってるじゃないですか。
だから、その同窓会に行って、僕は全然関係ないんだけど、いたじゃん席ってとかって言って、ずっとそれをやるっていうのを1時間ぐらいやらされて、
で、1時間ぐらいして、実は関西弁喋れないから、途中で分かっちゃうんですよね。
なんかすごい無茶苦茶標準語やんみたいなこと言われるんですけど、あの後すぐ東京行ったからさみたいな感じでずっとそれでやってて、
1時間ぐらいして、実はすいません、今日いきなり参加しろって言われて参加しましたみたいな。
Mika Ueno
うわ、1時間もやったんだ、すごいですね。
Nobuhiro Seki
そう、そう、やったことありますね。
でもね、結構みんなそれはそれでね、適当に話してればなんとかなるっていうか、別にそんな覚えてないじゃないですか。
覚えてない感じのクラスだったっぽいんですけど、だから割と適当に話を合わせてれば全然OKだったっていうことはちょっと1回やったことありますね。
ごめんなさい、1回じゃない、2回やったことあるな。
Mika Ueno
やってるね。
Nobuhiro Seki
なんか早稲田大学の大学4年の時に早稲田大学のサークルの1年生のふりをして入るっていうのをやったこともあって、それも全然気づかれなかったです。
それはもう当たり前でしょ、だって1年生っぽい振る舞ってるから、新入生っていう。
もちろんその時も2人だけ知ってる人はいたんですけど、途中になって実はって言ってくれたんですけど、それまではもう1年生のふりをしてずっと、その頃には普通に酒飲んでんじゃんみたいなそういうのありますけど。
でもそれもある意味なんかインプロみたいなもんですよね。
ずっとインプロしてるみたいな感じなんですよ。
バンバン振られてくわけですよ、全然。
どうしてうち来ることにしたのって言われたけど。
Mika Ueno
お笑いライブみたいなもんですね。