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耳の痛い言葉、という話です。今回、1回、シミポタとは離れた話もさせていただいていますが、
いろいろ仕事をやっていったり、人生においても、やっぱり判断をせなあかん時というのがあるんですけれども、
その時にアドバイスを受けるわけでございますが、耳の痛い話をしてくださる方がいらっしゃるわけでございます。
ありがたい。耳の痛い話をですね、あえて自分にとってつらい話をやっぱり聞いていかなあかんなって思うんですけど、
やっぱりつらいなという、ちょっと愚痴です。皆さんどうですか?
相談をする時とか、指導を受けるというかね、本当に人生の起動を相談する時にですね、
先輩やったり、尊敬する仲間やったり、大事な師匠やったり、そういった方に相談をされる方も多いのではないでしょうか。
その時に、やっぱり自分が求めている答えというのは、実は自分の中にあるのかもしれませんから、
それを認めてほしいというか、承認欲求というかね、そういう形でこうしようと思うんですけどどうでしょうか?
って言った時に、それはええなと、その通りや、それでいこうやって、こういうふうに頑張ってごらんとかアドバイスいただくというパターンもあるかと思いますけども、
何を言っているんだと、君の考え方は間違っているよと、それはこうではなくてこうなんだって、
黒やと思っているものを白やと言われたり、白やと思っていることを黒やと言われることもあるかもしれません。
それは君がこういうことだから、そういうふうに黒に見えるんだ、でも本当は白なんだよっていうふうに言われた時に、
それを分かりましたというふうに述べるかどうか、大事ですね。
やっぱり本気で相談するんだったらば、相談を受ける側も命削って相談を受けるわけですから、
命かけてその相談に応えようとされているならば、相談をする側はやっぱり腹を決めてですね、
自分が黒やと思っていても白やというふうに言われたら、分かりました。
白で行きますっていうぐらいの預けるというか、腹の決まりがないとあかんのじゃないかなと、
僕は思うんですけど、なかなかそうはいかないですけどね。
自分黒やと思ったら黒やって言ってほしいから、そこが人間の甘いところだと思いますけど、
でも黒やと思っていても白やって言われた時に分かりましたって言い先よく腹をくくって、
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そこまで信頼をして、そこまで命かけて相談できるかっていうようなことがあるんじゃないかなって思うわけです。
重たい?重たいね。そんな話ないかな。結構あるような気がするんですけどね。
人生のキロに立った時にどう判断するか。耳の痛い話をしてくださる方は本当にありがたい。
でも辛い。でも耳の痛い話を聞いてまた考える。また腹決めていくってことが大事かなというようなことでございました。
今日は重たい話ありがとうございました。