言葉の温度の重要性
1345を5回に1回、シミポタとは離れた話もさせていただいていますが、今日は言葉の温度という話をしてみたいと思います。
標準語で言葉の温度ではなくてですね、関西弁の言葉の温度の話です。
ついこの間ですね、久しぶりに会った友人がいましてですね、
結構しょっちゅう会っていたんですけど、1年ぶりぐらいに会って、
久しぶりですね、みたいな話をしておりましてね。
向こうの友人がですね、いま何やってんの?って、最近見えへんけど何してるん?みたいなことを聞いてくれまして、
こういうことをやっていますっていうね、シミポタの話もするんですけども、
ああそうですか、大阪市の仕事いいですねって言って、関西弁じゃなくて大阪市の仕事いいですねって言って、標準語で言ってくれたんですけどね。
そこにね、言葉の温度が感じないというか、関西弁じゃないからってことではないんですけど、
はっきり言って興味ないのやったら興味ないって言ってもらったほうがよかったなっていうふうにすごく思ったんですよ。
その人のことが嫌いになったわけでももちろんないんですけども、
そういうふうに何か合わせるだけの言葉だったらいらんかったなっていうふうに思って、
興味ないねん木村さんって言うてもらうほうが何ぼかよかったなというふうに思いました。
言葉の温度ってすごく大事やなというふうに思いまして、
それから例えばその後もですね、久しぶりに会った方と道でバッタリ出会ったときに、
やっぱり彼はですね、自転車に乗ってたんですけど、自転車を降りて、わざわざ降りて、
本当に久しぶりですねって言って、目を見て話をしてくれる。
そこに温度を感じるわけで、逆に僕が久しぶりの方にお会いしたときに、
お互いすれ違っていくときに話をするから、
後ろを振り向きながら喋るみたいなシチュエーションあるじゃないですか。
でもそのときにふっとやっぱり自分自身も気がついてですね、
後ろを向きながら半分振り返りながら喋るんじゃなくて、
完全にその方の方を向いて喋ろうと思って、向いて喋ったっていうことなんですけど、
やっぱり見た目から見えてくる、そして態度から、そして言葉から見えてくるこの言葉の温度、
相手に対する思い、リスペクト、関心の高さみたいなのは、
とっても相手に伝わるんだなということを改めて思った次第です。
皆さんどう思われますか?
言葉の温度、言葉の温度じゃなくて、言葉の温度の話でした。