対話の重要性
はい、1290、5回に1回、シミポタとは違う話もさせていただいているのですが、
先日、いろんなお話をお仲間としている中でね、
世の中がどんどん変わっていくね、という話をしていましてね、
政治の枠組みもどんどん変わっていくわけですし、
より良くなっていくならばね、変化していくことはとても良いことだというふうに思うんですが、
人と人とが理解をするときにね、なかなか自分と他人とは考え方が違うわけで、
それを埋めていくには、やっぱり対話がとても大切だというふうに思います。
対話をして、それで意思を疎通していって、初めて相手のことが理解できたり、
理解できないということが分かったり、ということだと思うんですが、
それをですね、よく話せば分かるじゃないかという言い方をするんですよね。
話せば分かる。
でも、その話せば分かるということは、もちろん先ほど言ったように、
対話の大切さを言っているわけなんですが、対話をして話してみてですね、
なんだこれは、全然やっぱり考え方が違うぞということで、
理解ができるということもあれば、全く違うんだということを理解するということもね、
先ほど言ったようにあるわけでございます。
さらには、話してみてもよく分からない、
えー、なんか理解できへん、なんでそういうふうに考えるんだろう、
なぜこんなに違うんだろうということを感じてしまうのもまた人間なんですよね。
そんなときに、話せば分かるというのはね、
会話の話すという字を書いて話せば分かるなんですが、
もう一個のはなせば分かるもあるよねという話をしています。
それはどういうことかというと、切り離すの離すの方ですね。
えー、切り離すの離すを書いて離せば分かるっていう。
離れてみることで分かることってあるよねっていう話をしてて、
あーなるほど、そんなことあるよねと思ってすごく共感したので、
今日こうやって喋っています。
えー、喋って分かるの話せば分かるではなくて、
えー、切り離すの離せば分かるもあるよねっていう。
離れてみることによって、
あ、こんな形やったんかとか、あ、こんな大きさやったんかとか、
ある意味ね、客観的に見てみるということも必要なんじゃないかと。
会話の大切さとともに一旦客観的に見てみるという、
どっちの話せば分かるも大事なんじゃないかみたいな話をしてみました。
皆さん、話せば分かる、どんなふうに考えますか?
はい、5日に1回シミポタとは関係ない話でした。