師走の由来と現代の感覚
1340、5回に1回、シミポタとは離れた話もさせていただいておりますが、早いですね。
12月1日、師走がやってまいりました。今年も今月1回で終了、25年も終わりということですが、
師走というふうに聞くとですね、何か慌ただしいイメージを持っているわけでございますけれども、
師走という言葉は旧歴の12月をもともと表す言葉だったそうでございまして、師匠が走るというふうに書いて、師走と読みます。
「師馳せ月(しはせづき)」というのが伝じたという説が有力ですが、師匠というのは僧侶のことでですね、年末に読経などの仏事のために忙しく走り回ることということで、
ご僧侶ですら忙しく走り回るんだよという意味での師走という言葉だというふうに確か認識していますが、
ちょっと師走になって思ったんですけど、みなさん師匠っているんですかね。師匠という言葉わかるのかなと、これからの若い人たちがね、と思います。
卒業シーズンになると、仰げば尊し我が師の恩というふうに言うんですけど、そんな歌はもう歌わなくなってきていると思いますので、
先生のことを師匠だと思っていることはね、あんまりないんじゃないかな、先生は先生、教員って思っているんじゃないかなと思うとですね、
若い人たちが師匠という感覚がわかるのかなと。で、例えば●●道と言われるね、例えば茶道とか武士道とか剣道もそうですね、柔道もそうですけど、
そういう道と呼ばれるものに関しては、師匠がいてですね、その師匠に弟子入りをして、その師匠から学ぶ、盗むということがあると思います。
職人の世界でも師匠でみたいな。芸人の世界でもね、師匠についてというふうに言いますが、最近は芸人さんも師匠いない人が多いですよね。
じゃあ一般の方に師匠というそういう感覚があるのかどうかというのがね、ちょっとこれから考えていかなきゃいけないと思うんですけど、やっぱりいろんな徳があるんですが、
例えば、主人の徳が、いわゆる上下関係、主従の関係というのでは、社会の中に結構ありますよね、上下関係。
親徳という意味での、親の徳みたいのがありますよね。これは絶対誰もが必ず親がいてということになります。
親がいないとこの世に生を受けないわけですから。
で、主人の徳、その親の徳、そして師匠の徳というのがあるわけでして、この3つを仏教では主師親と言いまして三徳と言います。
師匠というのがあんまりイメージわけへんようになっているんじゃないかなと思っている次第です。皆さんに師匠っていらっしゃいますか。
でも、その師匠と弟子ということを持ってらっしゃる方は、実はすごく強い方やなというふうに思ったりもしているんですよ。
皆さんどう思われるでしょうか。
5回に1回シミポタとは関係なく、師走からそんな話を飛ばしてみました。
今日も聞いていただいてありがとうございます。師走もがんばろう。