武蔵の兵法の教え
みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
今日はね、タッサ稽古にね、行けなかったのです。
なんかね、ずっとそこには行ってないところなのでね。
まあ、最初行く勇気っていうのがね、またね。
もう2年ぐらい伺ってないのでね。
ちょっとなんだか、いや2年もじゃないですね。半年ぐらいですね。
それっきりになっているので、ちょっと伺わなければと思っているのですが、
今日はお茶の稽古日と、今日は画学の稽古もあるので、少し慌ただしいんですけれどもね。
五輪の書、宮本武蔵著を読み進めていくと、次第に面白くなってきておりますね。
どういうところが面白いかと言いますと、
武蔵の捉え方っていうのは、万事に至り役立つように教えることです。
これ兵法の誠の道なりっていう一行が出てきたんですね。
地の薪の、まだ最初の方なんですけれどもね。
昨日読んだその後を見てみますと、ちょっと原文を読みますね。
大方、武士の思う心をはるかに、武士はただ死ぬるという道をたしなむことを覚ゆるほどの儀なり。
死する道においては武士ばかりに限らず、出家にいても女にいても百姓以下に至るまで義理を知り、恥を思い、死ぬるところを思い切ることは、その差別なきものなり。
武士の兵法を行う道は何事においても人に優れるところを基とし、
あるいは一心の切り合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君のため我が身のため名を挙げ身を立てむと思う。
これ兵法の徳を持ってなり、また世の間に兵法の道を習いても、
まことの時訳、まことの時、訳には立つまじきと思う心はあるべし、その儀においては何時にても訳に立つように稽古し、
晩時に至り、訳に立つよう教ゆること、これ兵法のまことの道なり、とあるんですね。
何時にても訳に立つように稽古し、剣道の稽古を、球道の稽古とかしておりましても、
例えば書道の稽古、ピアノの稽古にも、訳に立つように稽古しなければいけない。
ということは、何か本質的な法則というのがあると思うんですね。
それに従えば、どの道、本当に武士の習得しなければいけない科目というのが非常に多くございましたよね。
いくつでしたっけ、すごくありましたですよね。
それをね、剣術とか兵法だけを習って、また全く新しい考えで絵画を習う、
また全く新しい頭で書を習い、算術を習い、舞を習い、馬術を習い、球道を習い、それじゃないんだというふうに書いてますね。
教える方も、その師座の高さというんでしょうかね、一段階も二段階も、上から見下ろした感覚で、
この方法であれば、どの道に行っても大丈夫だよという、そういう法則を持っているんだと思うんですね。
だから、どこに行っても大丈夫なように教えなければいけないと、非常に抽象的になるかもわからないんですが、
全部に通用する何か、宇宙的な法則というのを知っているのかもわからないですね。
その次に、まだこれね、前段階というか、本編に入ってくる前の段階で、概要を説明しているみたいな部分なんですけれどもね。
一、兵法の道ということ、というところでね、途中でね、第二段落あたりの最後の方で、
剣術と他の技術の必要性
剣術一辺の理までにては、剣術も知りがたし、もちろん戦の方にはかなうべからず、ってあるんですよね。
これ、どういうことを書いているかと言いますと、剣術だけでは一対一の戦いさえも捉え尽くせない、まして他人数の合戦に即応することはできない、というふうに書いてあるんですね。
これをね、真逆のことを言っていらっしゃる方がいらっしゃるんです。
野牛田島の紙、胸のり、あの有名な兵法家伝書ですね。私は兵法家伝書の写しの記帳書を書き写してきたんですけれどもね、非常に大量な文章でしたね。
そのどこら辺に入っていたかというのは、全然だから記憶にないんですが、これね、注釈を読みますと、兵法家伝書にね、
大軍を率いて合戦して勝つと、立ち合いの兵法と変わるべからず。立ち二つに立ち合い、切り合いで勝つ心をもって、大軍の合戦に勝ち、大軍の合戦の心をもって立ち合いの兵法に勝つべし。
これはね、前線のね、兵士の考えだと思うんですね。
将棋で言えば風の兵士はその考えでいいと思うんですけれども、
武蔵のおっしゃるには兵法となれば、その一対一の勝負の理論だけで勝てるわけがないっていうふうにおっしゃってるんですよ。
で、稽古の場合も、世の中のどの道にも当てはまるような理論で教えなければいけない。で、学ぶ方もそういうふうにまだ学ばなければいけないというふうに書かれてあるんですね。
で、続きを読みますと、世の中を見るに、書下を売り物にしたて、和紙を売り物のように思い、書道具につけても売り物をこしらゆる心、花、実の二つにして花よりも実の少なきところなり、
とりわけ、この兵法の道に色を飾り、花を咲かせて、術をてらい、あるいは一道場、二道場など、など言いて、この道を教え、この道を習いて、良縁と思うこと、誰か言う、生病法は大傷の下、誠なるべし。
生病法は大傷の下、これ今も言いますですよね。
本当に、明治、明治じゃないわ、江戸初期の1582年生まれの宮本武蔵なわけですが、
その後ですね、
道具を求め、その良し悪しの利を得て、都政を贈る、いずれも秋内の道、その身その身の稼ぎ、その利をもって世を渡るなり、これ秋内の道なり、
三つには侍の道、武士においては様々な兵具をこしらえ、兵具しなじなの徳を極めたらんこそ武士の道なるべけれ。
兵具もまたたしなまず、その具その具の量も覚えざること、武家は少々たしなみの浅き者か。
四つには皇の道、大工の道においては種々様々な道具を巧みにこしらえ、その具その具をよく使い覚え、墨金をもってその煞をただし、暇もなくその業をして世を渡る。
これ四農交渉四つの道なり、兵法大工の道にたとえていいあらわすなり、大工にたとゆること、家ということにつきてのぎなり、
家というより大工の道にたとえたり、大工は大きに匠と書く、なれば兵法の道、大きなる匠によりて大工になぞらえて書きあらわすなり、戦の法を学ばなければならない、
大工の道にたとえていいあらわすなり、家ということにつきてのぎなり、大工は大工の道にたとえたり、家ということにつきてのぎなり、大工は大工にたとえていいあらわすなり、戦の法を学ばなければならない、
師匠と弟子の関係
そういう章に入っていくのですけれども、世の中に教えて歩いている人たちのレベルの低いことというお話から始まって、
死の交渉と四つの道があるけれども、その幸の分、大工の統領を武将の大将にたとえて解説していくんでしょうね、今後、この後ね。
師匠は針となって、弟子は糸となって絶えず稽古あるべきことなりと書いてあるんですね。
だから、師匠は針となってなので、師匠が先々進む道を弟子はくっついて追いついていくのでしょうかね。
ですので、師匠の技量であるとか、考え方の崇高さであるとか、そういった様々なことは弟子を圧倒して先に行くような人でなければいけないということですよね。
そういう状態で絶えず稽古しなければいけない。そういうふうになった場合に、師匠なしというのは、なんとなく武蔵にとって師匠がないというのは、なんとなく分かる気はいたしますね。
持って生まれがだいぶあったんでしょうね。その頭の良さも含めてね。
まだほんのわずかしか読んでおりませんが、そういうふうに思いました。
次からは、その大工の当領としての天下の金をわきまえというところの平方の道、大工に例えてあることというところに入っていきます。
では皆様、週末を楽しくお過ごしいただきますように。
なんだか少し寒くなってきましたが、紅葉はどうなるんでしょうね、今年もね。
なんだか秋が毎年毎年短くなりますが、その短い秋をどうにかして楽しむ方法を考えて、家の中で秋を表現できるように頑張りたいと思います。
ではごきげんよう。