1996年に設立した当初は参加者は多くても10名規模ぐらいだったそうです。
当時は大会数も限られており、
主要レースは大田原か板橋シティマラソン、
昔の名前だと荒川清マラソンの2大会ということで、
そこのレースに向けていいタイムを残すために設立をされたということでした。
当時から30キロの練習スタイルというのはあったんですけれども、
二部構成で実施をされていたようです。
前半は下流方面へ8.5キロまでずっと下っていって、
戻ってきて17キロを一定ペースで走っていたようです。
今だと5キロまでしか下りって行かないんですけど、
実はその先にも500メートルごとに多摩サブのラインが引かれているんですよ。
ただ調布の道路の改修とか舗装とかが過去何年もあって、
それで多分ほとんど今は消えていると思うんですけれども、
当時は8.5キロまで行って17キロ走ってスタート地点に戻ってきたようです。
一旦そこで休憩を挟んで今度は上流方面に6.5キロ行って、
戻ってきて13キロをビルドアップで走行していたようです。
6.5キロ行って終盤の4キロはキロ4までペースアップして、
ラスト2キロはフリーという設定だったらしいです。
ちょっとそれがいつまで設定されていたところまではわからないんですけれども、
距離表示というのは設立当時に計測されて引いたようです。
府中多摩川風の道って今は右側通行ルールが条例で決まっているんですけれども、
当時は左側通行だったので、
左側に数字が書かれているんですよ。
なので下流の方の左側を走っていくと数字が足し分1,2,3となっているので、
当時の名残が今もそのまま残っているというところですね。
そんな中、会員数も徐々に増えて、
どなたからかノンストップで30キロをしたいという声が出て、
それをきっかけで、さっきから話した給水テーブルというのが置かれて、
上流5キロ、下流5キロを起点とする3回折り返し方式に移行したようです。
2014年の私が入った時にはもうすでにこの方式になっていたので、
いつから切り替わったってところもですね、
2代目の会長にも聞いたところ、ちょっとその辺の記憶が曖昧だったようなんですけど、
そうですね。入った当時から玉サブのことがすごく好きで、
時間さえあれば毎週でも行こうかなと思っていたので、
当時の会長から何年目だったかな、4,5年くらい経ったくらいで副会長になってもらえないかということで、
その時は解諾して、副会長自体も結構長かったかなと。
私の前の会長の時の時代も結構長かったんですけれども、
1個前の会長がですね、2023年の年末に地元が確か宮城だったかと思うんですけれども、
宮城に戻るっていうのを練習会後に、私ともう一人の役員がいる前でポロッと宣言をして、
それを聞いた瞬間頭の中が真っ白になって、
当時の会長しんさんという方なんですけれども、前からもミスター玉サブと言われていて、
自分自身もすごく厳しいですし、他の方にもすごく鼓舞して、
頑張ろうというようなミスター玉サブと呼ばれていたような方で、
どんなに熱くても30キロ一人で走破するみたいな、不動の会長みたいな方が、
当時5年目とかやってたのかな、結構長く続いていたので、
私なんかもこのしんさんの会長時代がずっと長く続くのかなと思って、
腰ぎっちゃくのようにスネ夫のように会長の後ろから好き放題、
いろんなイベント企画してっていうのをやってたんですけど、
その会長が2023年の年末にちょっとお仕事辞めて、宮城の方に戻るとなって、
そうなると当然玉サブには通えないから、誰か会長をしなければってことがあったんですね、
2023年12月に。ちょうど会社設立して1年も満たないような時期で、
下の子供がまだ3歳4歳くらいだったから、私自身も仕事も家族も今テンテコ前だから、
会長なんかは私できませんということで、最初言われそうだったんですが断ったんですよ。
それで年明けて府中駅伝が確か2月の11日ぐらいにあるんですけども、
その時に新さんが私はもう宮城に帰るということで、
玉川サブスルーの会長は今期限りですという宣言をして、
その裏で府中駅伝の後の懇親会の時に他の役員からもどうしても私にやってほしいということで懇願されたので、
そう言われたらやるしかないということで覚悟を決まって、
新さんの電撃引退があった後に来年私がやりますということで、
でも全然こんな大きな団体の会長になれる身分ではないし、
どうやったらいいかもわからないから皆さんごめんなさい、
もう手探りで来年からはやっていきますのでどうぞ温かく見守ってくださいみたいな感じで、
会長になったのが2024年でしたね。
そういう経緯があったんですね。
そうですね。
玉川サブスリー会って私で4代目で初代会長から2,3,4と、
結構ですね5年とかもうちょっとかなぐらいで会長がどんどん変わってるんですよ。
っていうのもまた特徴の一つなのかなと思って、
よく他のクラブとかだとオーナー社長じゃないけど設立した会長がそのままずっといるって場合もあるんですけれども、
玉サブって雇われ社長みたいな感じで代々いろんな会長が変わりつつ、
このクラブを継続して繁栄させていくみたいなところも魅力の一つなのかなっていうのも思ったので、
またいずれ私も次の会長に繋いでいきたいなとは思っていますところと、
電撃引退とかもなくある程度余裕を持って引き継ぎみたいなのをやっていけたらなぁなんていうのも、
今回この資材を受けるにあたってちょっと考えたところってところもありますね。
そのお話を聞くと、会社に例えるのはあまり適切ではないかもしれないんですけども、
やっぱり事業承継みたいなイメージでちゃんとされていて、
コミュニティが組織として続いているような印象を受けますね。
なので私の代になってから結構いろいろと俗人的な部分というところもあって、
具体的にはさっきの給水テーブルって各地がテーブルを自宅に持って帰って保管して、
これその人がその日持ってくるみたいな仕組みだったんですけども、
結構それって私もテーブル2,3台自分の自宅に住みに置いてるんですけども、
また妻にちょっと嫌な顔されたりっていうところもあったりとか、
今週誰が持ってくるのみたいなところも事前に調整しないといけないってところもあったので、
年間通してイベントが目指しているということで、やっぱり楽しいコミュニティですね。
そうですね。シーズン中も大きな大会、例えば東京マラソンとかは観戦に行ったりということで、
普段は走ることが多い中でも応援することでいろいろとエネルギーをもらったりというところもあるので、
意外と個人的には応援イベントがすごく好きだったりとかします。
その話でいうと、多摩サブのユニフォームが目立つんですよね。
だから東京マラソンとか、私も参加する筑波マラソンとか、かつたとか、
毎日多摩サブの方が走っている、私は多摩サブでもあるんですけども、
走っているとその人が目標になったりするし、必ずどこかで見かけるから、
それがすごい心強いというか。
そうですね。筑波とかでも多分5、60人くらい参加しますので、
多分宮崎さんと同等レベルの方も多くいる中で、
見慣れたユニフォームを見るというところは、走りながらも励みになりますよね。
ついていこうかなというところもあるので、そんな感じで。
レース中に声かけできるのも楽しいなと。
そうですよね。事前にスタート前に集合写真を撮ったりだとか、
そういうところができるのもクラブの魅力の一つですよね。
私も本当に入る前はフルマラソン一人で参加しているのも、
結構今思うと寂しかったなというのもあるので、
仲間と一緒に行くというところも全然気持ちが違いますよね。
あとはですね、たまたまサブスリーを目指す会が、
今後将来どんなクラブになっていきたいかとか、
もしそういったイメージとかがあれば最後に聞いてほしいなと思っています。
もうある程度はもう出来上がっているのかなというところもある中で、
やっぱりたまたまサブ愛って結構会員の中でもよく出るフレーズでもあるんですけど、
会員同士、お互い励まし合ったり、もちろん尊重し合いながらやっているというところ。
たまたまサブ愛って歩行者とか自転車の専用道路なので、
歩行者が道を譲ったりしてくれた時には、
ありがとうございますというような感謝する謙虚な気持ちみたいなところも、
大切にしてもらいたいなというところで、
さらに会員の方がたまたまサブ愛をもっと増えるというか、