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2024-05-22 13:47

第383回 上田桂司氏(株式会社ASNOVA代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社ASNOVAの上田桂司氏にお越し頂きました。

2013年に足場レンタル業で創業。需要があると見込んでいたが、閑散期だったので注文がない期間が数ヶ月続く。
しかし、繁忙期に入ってから注文が殺到。そこから成長を続け、上場を決断するエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/
■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ





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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ASNOVAの代表取締役社長 上田桂司様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1975年、福井県生まれ、3Aコーポレーションに入社後、上田県紀株式会社にご入社に当たっていらっしゃいます。
その後、そちらの会社で専務取締役を御就任。
その後、2013年に日本レンテクトを設立、現在のASNOVA3を設立し、代表取締役社長に御就任なさっていらっしゃいます。
その後、2022年には名古屋商店取引所に上場をなさり、2023年には東証グローブ市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
上田社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は福井県というと福井県のどちらでいらっしゃるんですか。
福井県の鶴ヶ市というところで、人口が6万人弱の非常に田舎といいますか、海しかないようなところで、すぐ山も後ろにありますけども、とにかく人口は少ない、非常に小さな町ですね。
なるほど。今回の新幹線が通ったところで。
そうです。なんで新幹線が行ったのかなと、本当に不思議に思うぐらい。その先が決まってないから、鶴ヶが一応終着になってますけども、静かな綺麗な海があってですね、そういった町なんですけど、ただ一方で原子力発電所。
原子力発電所が多くある地域で、経済そのものも原子力発電所で潤っているといった、昔からそういった地域になりますね。
なるほど。ありがとうございます。鶴ヶで幼少期もお過ごしになっていらっしゃるんですか。
そうです。鶴ヶで生まれて、ずっと鶴ヶにいた感じですね。
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
鶴ヶは田舎ですから、都会にあるような私立の小中があるわけでもなく、公立の学校しかないですし、部活動といってもサッカー部すらもなかった地域ですかね。野球とそういうのが盛んなところで。
あと山があるので、スキー場が近いので、大体みんなスポーツも共通したものをしているというような地域ですし、遊ぶところもそんなにない。
遊ぶと言ったら自然と遊ぶところでしかないですし、今名古屋に来て思うのが、子どもたちはいろんな選択肢がありますけれども、そういった選択肢があまりないと言ったらいいのかな。
03:13
なるほど。運動とかやる活発なお子様でいらっしゃったんですか。
そうです。周りに塾とか行っている子はほとんどいないですし、中学校受験は聞いたこともないですし、高校も地元の高校に行くもんだみたいな、そんな感覚でしたし、あまり周りに勉強している友達なんかもほとんどいなかったので、私自身も勉強しなかったし、あんまり得じゃなかったですね、正直言いますと。
なるほど、ありがとうございます。中学時代はどんなことして過ごしたのか、お思いでございますか。
中学も至って普通です。本当に得なかもなく不可もなく過ごしている感じで、将来何になるとかそういったこともなく、いずれ恐らくこの鶴ヶ谷に住んで、当時はもう既に父親が商売してたので、
正直言うと過ぎたくは全くなかったので、嫌だなあと思いながらも、外に出るっていうような感覚値があまりなかったので、嫌々ながらもせざるを得ないのかなっていうような、その程度の感覚でしたね。
なるほど、ありがとうございます。高校も鶴ヶ谷の高校で。
そうです、高校も鶴ヶ谷の高校に行っている感じですね。
高校時代はどんなことして過ごしたのか、お思いでございますか。
ほとんど際立った何かに専念したってこともなく、なんかのんびりしてた感じです。
学生時代は特殊性すべきことは本当になくて、よく周りの経営者の友人とかを話すと、それこそみんなびっくりするのが、小学生、中学生の頃から企業を目指してたっていう方も非常に多いんですけど、すごく意欲的な人が多いんですけど、私の場合は全くないですね。
だから今回の企業に関しても、あまり本音言うと、もう正直なこと申し訳ないけど、私は商売したくなかったので、珍しいのかもしれません。
私の周りの、特に上場している会社の社長さんの話をしていると、味方によってはあまり意欲的じゃないような、だけども、決してそれだけじゃないのかなというふうに思います。
なるほど。ありがとうございます。大学は行かれました?
実は勉強が全くできなかったので、学校の申請でも行ったんですけども、本当は実は行きたくなくて、両親というか、あまり学歴がなかったので、子どもだけが行ってほしいと思ったんでしょうね。
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私もそれに流れのって、特段夢もなかったので、スーッと行ったような感じです。
なるほど。大学時代はどんなことして過ごしたなんて思えたことはありますか?
ずっとバイトしてましたね、朝から晩まで。学校に行ってという割には学費が出なかったので、生活するためにずっと働いてた。
それが一つもしかしたら、いろんな仕事に対する意識が変わった瞬間だったのかもしれません。
なるほど。どんなアルバイトをなさっていらっしゃったんでしょうか?
あらゆることをしました。そのときちょっと意識したのは、将来ちょっと意識したので、アルバイトならいろいろ転職しやすいので、いろいろな経験値を積みたいと思ったものですから、
それこそ営業職であったり、よくある居酒屋のアルバイトから、警備員から、引っ越しのアルバイトから、もうたくさんしましたね。
いわゆる世の中のことを知ってみたいというところがあったので、時間給云々というよりかは、どちらかというとビジネスモデルを知りたいというような感じですかね。
という感じでパンパンアルバイトを軽減していたという感じでした。
学ぼうと思ってアルバイトを選んでいらっしゃったということですか?
その感覚は強かったです。とはいえ生活費を稼がなきゃいけないので、という形でしたね。
なるほど、ありがとうございます。その後、3Aコーポレーションさんにご入社になりました。
そうです。一旦は仕事をサラリーマンに就いたんですけど、先ほども言いましたけど、私は商売する気は全くなかったので、一旦就職はしたんですが、仕事の手伝いを始めたんです。
ですが、人口6万人ほどの街ですから市場が大きくないので、やはりどんどんどんどん私の感覚では将来的には縮小していくんじゃないかなと、この会社そのものは。
かつ、すでに競争がすごかったので、この競争には大手にはとてもかなうもんではないというのは、もう肌感覚でわかったもんですから。なので、この足場レンタルというのを始めたきっかけにもなります。
その次の上田ケンキさんでの思い出なんてございますでしょうか?
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10機のレンタルがメインだったので、10機の資格を持って実際オペをしたりとか、私も10機運搬したりとか、それこそ溶接したりとか、いろんなことをやっていくんですけども、
本音で言うと毎日が楽しかった、仕事にやりがいを感じたかというと、それほど感じることもなく、実際は大手のレンタル会社さんが福井県に進出してきていましたので、お客さんへのサービスの違いというのはどちらかというと単価ですね。
単価競争にもすごく陥ってたこともあり、不安な毎日というんですかね、思い出というと。このままずっと仕事をしててもやりがいを感じないっていうことと、おそらく未来がないっていうことの不安さっていうのがずっと悶々としてあったというような、そんな思い出がしかないんですかね、やっぱり。
なるほど、ありがとうございます。その後、日本レンテクトさん、今の明日のおばさんを創業なさってらっしゃると思うんですけど、これ何かきっかけとかございましたでしょうか。
純粋にその仕事をして、お客さんからありがたいと思われる存在になりたかったっていうんですかね。ただただ競争だけして、過等競争の中でせみぎわをするんじゃなくて、本当に世の中にとって必要なビジネスというもの、仕事というものを自分でして、
シンプルなんですけど、お客さんからありがたいとは、ありがとうと言われるような仕事を見つけてやっていきたい。そうじゃないと、将来的に長く繁栄していくという、成長する、生き残れる会社っていうのはもう存在しないんじゃないかなっていうのはすごく感じてて。
そんな中でこの足場レンタル、そのとき初めて知ったんですけども、足場が世の中に非常に不足しているっていうことと、それから当社が今扱っているくさびしき足場っていうものが非常に人気があって、だけどもどこにもレンタルしてるところがないというところに、すごく社会性というものを非常に感じたんです。
この世の中に必要なビジネスである社会性に一つかけてみようというところがちょっとあって、先ほど言いましたけど、ずっと不安をどちらかというと早く払拭したいっていうところもあって、かつ、実は一番初めて始めたのが京都で始めたんです。
この縮小して原子力発電所に依存しているこの地域では、もし万が一何かあったときには依存して、とにかく依存度が高いので、もし何か違う経済の流れが来たときに一気にもう縮小していくって怖さもあったものですから、やはり市場の大きなところに出ていこうというところもあって、割と決心が固まるのが早かったですね。
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本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。
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