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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、一般社団法人国際事業家協会代表理事小川真由氏様でいらっしゃいます。
まずは経歴のご紹介させていただきます。
企業初年度から月4000万の売上げを叩き出し、20代で数億円の売上げを作られた社長様でいらっしゃいます。
その後、平和活動などの社会貢献に従事されていらっしゃいます。
世界同時開催平和祭は、発足時半年で5大陸にわたり、現在30か国に支部を設立していらっしゃいます。
今、平和活動をやっていらっしゃいます美人社長様をお招きしました。小川社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは最初のご質問ですが、ご出身は東京の大田区という国をお聞きしておりますが、小学校のときはどんな症状でいらっしゃいましたでしょうか。
小学校のとき、結構小学校1年生、2年生くらいまではおとなしくはしていました。
授業中勝手に出ていっちゃったりはしていましたけど、3年生くらいからもうちょっとうるさくなったような気がしますね。
4年生くらいからクラス会議にかけられたりとか、いろいろ問題にされるような生徒だったと思います。
もともとは変わった子というか。
変わった子ですね。
やっぱり社長らしい感じですね。
そうかもしれないです。
中学時代はどんな子として過ごしたのか、思いでございますでしょうか。
中学時代は自分的な地味に過ごしたはずだったんですけど、結構やんちゃな学校だったので、同級生との喧嘩だったり揉め事はすごい多かった気がしますね。
同級生とは小柄な役者いますけど、喧嘩も強かったんですか。
喧嘩は強くないんですけど、だいたい1対1でやってもらえることがなくて、5対1、10対1、30対1みたいな感じです。
30対1でも勝つんですか。
30対1の方が安全なんですよ。
そうなんですか。
ウォッチしている人たちが半数以上いるので、逆に見てくれているから安全みたいな。
やっぱりそのところから社長気質というか企業化気質でいらっしゃったんですね。
企業化気質かどうかはわからないですけど、問題というか事件を巻き起こすタイプですね。
なるほど。ありがとうございます。
高校時代は、高校も東京の高校でよろしかったですか。
そうですね。
高校時代はどんなことをして過ごしたかと思いますか。
中学も高校もなんですけど、部活には基本的に入っていなくて、放課後自由にしていた感じですね。
アルバイトとかもなさっていらっしゃらなかったですか。
アルバイトはちょっとやってはやめるみたいな感じでした。
秋っぽい感じでしたか。
秋っぽい感じでしたか。
秋っぽいというか立ち仕事が苦手で、それこそ多摩地でアルバイトしていることも多かったんですけど。
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多摩地というのは、リスナーの方、ご存じない方もたまにいらっしゃいますが、
ウイズリ学者多摩地にございまして、今、多摩地で収録をしていますが、
多摩地は相当懐かしい感じですか。
多摩地は懐かしいですね。何箇所かもっとバイト先があります。
なるほど。ありがとうございます。
大学はどちらにも進学になったっていらっしゃいますか。
大学は東京の女子大学に進学しました。
なるほど。そちらを大学で選んだ理由は何かありましたか。
大学は多分、大学で学ぶことって社会であまり役に立たないだろうなと思っていたので、
基本的には人生の進路を決めるための時間の猶予を買うイメージで行ったので、
なるべく楽しい学部に進もうということで、選んだ結果、文芸学部というのを買って、
文学と芸術をやるんですけど、遊びの大学ですね。
宝塚見に行ったり、映画見て感想を書いたり、美術館見に行ったり、そういう学校ですね。
なるほど。前に和川社長に美術について私、ご指導いただいたことがあるんですが、
映画とかそういうのを見るのは好きだっていらっしゃったんですか。
美術館を積極的に見に行ったのは大学の頃からですね。
もうレポートを書かなきゃいけなかったんです。
お詳しいですね。文芸学部出身らしく。お詳しいのは授業とかで学んでいらっしゃったんですか。
そうですね。授業で扱うこともあったんですけど、基本的にはレポートベースだったので、
自分で見に行きなさいみたいな感じで、見に行って興味持った画家さんとかのレポートを書くって感じです。
和川社長の自由な気分に合ってらっしゃる。
そうですね。すごい楽しい大学でした。
なるほど。大学時代はどんなことをして過ごしたと思うでございますか。
大学時代は基本的に人生の進路を決めるために行っているので、
アルバイトそれこそ30種類ぐらいやって、いろんな活動をして、
結局どれもピンとこなかったので、大学4年の初めぐらいに起業した感じです。
じゃあ学生起業でらっしゃいましたね。
そうですね。
何で起業しようと思ったのか、きっかけとかそういうのはございましたか。
生きる術を探していて、自由で楽しく、しかも海外によく行く生活をしたかったので、
それってどうやったらいいんだろうなっていうのをずっと小学校ぐらいから模索していたんですけど、
周りに社長とかもいなかったので、人生の模索は15年ぐらいかかっているんですけど、
やっと社長たちとの縁にも恵まれて、社長っていう選択肢が見えたのが大学4年の時って感じですね。
最初のビジネスはどんなビジネスを選ばれたんですか。
最初は何でも屋みたいなのをやっていて、アルバイトみたいなノリで。
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案件を全部こなしていて、政治家の秘書の秘書とか脱税調査員とかいろんなのがあったんですけど、
その中の1個でFXのツール開発っていうのがあって、それが結果的にジョイントベンチャーになったみたいな感じですね。
なるほど。じゃあFXのツールが当たったみたいな。
そうですね。
何か起業するのに怖さとかそういうのはございませんでしたか。
特になかったですね。
なるほど。やっぱりちょっと今までの社長様と違って、小川社長は度胸も含めて素晴らしい感じでやってますね。
30対1で喧嘩したりするほうがよっぽど恐ろしいんで。
なるほど。ありがとうございます。ご苦労とかございませんでしたか。
苦労か、あったとは思うんですけど、幼少期から苦労といえば結構たくさんあったので、まひってた部分あるかもしれないですね。
じゃあ割と忍耐力とかストレス耐性みたいなのがお強い方だと。そんな感じでしょうか。
ストレス耐性強いですね。かなり。
なるほど。やっぱり社長らしい社長でございますね。
ありがとうございます。
その後、今の社団法人国際事業家協会をお作りになったんですが、これはどういう目的で設立なさったんですか。
目的は、1社目は株式だったんですけど、2社目何を作るかってなったときに、社団を作ってみたいなっていうのがあって、
当時の仲間と一緒に発足して、当時は何の事業でも使えるような名前でということで国際事業家協会という名前にして、
その後、平和活動の箱として利用させてもらっているという感じですね。
なるほど。本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
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経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。