00:05
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社IBJ代表取締役社長 石坂茂氏でいらっしゃいます。
まずは経歴をご紹介させていただきます。
1971年、東京都浅草生まれ、東京大学経済学部卒業後、 株式会社日本工業銀行を入校されていらっしゃいます。
その後、2001年、ブライダルネット代表取締役社長に御就任。
その後、2006年、株式会社IBJを設立。
そして、2012年にはジャスダックに上場し、東証二部にその後上がられ、
2015年には東証一部に名が指定を変更されて上がられていらっしゃいます、 東証一部上場記号の社長様でいらっしゃいます。
石坂社長様、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身浅草ということで江戸っ子でいらっしゃると、そんな感じでいらっしゃいますか?
そうですね。ご先祖さんを辿ると、ちょうど私が浅草に出てきて5代目なんで、 喫水の江戸っ子だというふうに言えると思います。
完全な江戸っ子でいらっしゃいます。
小学校、中学校時代はどんな少年でいらっしゃったんですか?
小学校は地元の大統区立の学校だったんで、学級院やったり勉強はその辺にはできてたんですけれども、スポーツはまあまあかな。
確かに先生に頼まれてリーダーシップを取るような役割をすることは多かったですね。
地元が浅草だったんで、三者祭りだとか花火大会とかそういった祭り事は大好きで、
ずっとうちは商人の家系というか、そういった土地柄だったんですね。職人とか商人の多い。
だから、もう家で仕事をする親がいて、それを見て育ったんで、自分もそのまま店を継いで働くんだろうなと思ってましたね。
中学から市立の学校に行くことになったんで、そちらに行ったら何か勉強はそんなに順位的にはできなくなっちゃって、
どちらかというと活発になってきて、スポーツであったり、学校のイベントなんかに精を出すような、そういった学生だったと思います。
じゃあ、小学校の時は優等生だったんですか?
まあまあ、そうですね。
中学時代はどんなスポーツをやられていましたか?
中学・高校を通じて柔道をやってました。
まだ昔、何十年も前だから、武道って結構今よりは盛んだったんですね。
ちょうどこの収録中、東京オリンピックやってる最中でございますね。
03:03
すごく興奮して毎日、平日は見れなかったけど、安倍兄弟の試合なんかずっと夢中になって見てました。
少年時代は金メダル目指してみたいな、そんな感じで出してたんですか?
それはないですね。新学校だったから、本当に都大会に出て、
あとは地域別とかで入賞できればいいやとか、
スポーツができる学校にあわよくば勝って人は吹かせようとか、そういう感じだったから。
なるほど、そうじゃないですか。
高校時代は何か思い出とかございますか?
高校時代も中高一貫の男子校だったんで、
本当になんかまだ昔の話だけど、バンカラな気風が残っていて、
ずいぶんやんちゃなこととか無茶なこともしましたけど、
ただ、やっぱり運動部をずっと続けてたんで、部活中心の生活だったですね。
なるほど、ありがとうございます。
その後、東京大学にオススメになっていらっしゃると思うんですか?
ということは、中学・高校の中でも頭良い側なのかなという感じがするんですか?
成績は全然、中の波の波か波の気ぐらいだったんですけど、
最初から浪人が確定していて、高校時代は勉強以外のことに精を出して、
高校終わってから勉強集中してやろうっていう、そんなタイプだったですね。
でも東大受かられるっていうのは、浪人中に相当努力をされてるってことですか?
1年間は勉強のことだけ考えようと思って、結構その時だけは真面目にやってたと思います。
なるほど、ありがとうございます。
大学時代はどんなことをしたなという思い出とかございますか?
大学時代は経済学部だったんですけど、本当に勉強したのはテストの前と3年生から4年生にかけてぐらいだったんで、
あとはやっぱりスポーツやったり、友達との遊びに教じてたんで、楽しい学生生活だったですね。
何かサークルとか体育会とかそういうのはやられたんですか?
その時はですね、まだ日本に入ってきて間もないラクロスっていうスポーツをやってました。
俺はやっぱり運動部だったんで、毎日やってて、
20歳過ぎたぐらいになんで俺これ運動部やってるのかなってちょっと疑問に思ったりしたと思ったんだけど。
東大でイケメンでいらっしゃって、ラクロスっていうと表になられたんじゃないですか?
普通ですね。普通に彼女がいたり、当時はまだ携帯電話なんかもなかったから、
彼女のお父さんお母さんにどうやって取り入ろうとか、そんなことを考えてたような記憶があります。
ありがとうございます。その後、日本工業銀行にお勧めになったんですが、
06:00
日本工業銀行を選ばれた理由というのは何かございますか?
これはですね、もちろん大学や部の先輩がいらして、
そういったOB訪問の機会を与えられたってことがきっかけにはなってたんですけれども、
銀行の中でも、日本の戦後の復興に貢献したり小説にもなっているぐらい、
結構国に影響を与える農夫士的な銀行員の集団ということで、
なんとなくそういう憧れを若い時に抱いたんですね。
先輩方、話しすると、入校してからもそうだったんですけど、
今思うと偉そうに天下国家について論じたりする人が多くて、結構面白かったなと思います。
何か日本工業銀行時代の思い出とかございますでしょうか。
ずっと東京生まれ東京育ちだったんですけれども、
入校して初日だったか2日目に仙台敷店の勤務を命じられて、
4年間東北で過ごしたんですね。仙台を中心にして秋田や山形、
そういった東北全県で仕事をすることになって、
日本の地域経済というものを地方の投資家であるとか、
事業会社の社長さんをお客様にして勉強させてもらったなというのは、
非常に人生のプラスになったと思います。
それから本社に戻ってきて、船舶金融、すなわち海運会社の担当だったんですけどね。
これも先ほど言ったような、そういった小説に出てくるような、
工銀のお家芸の部署で、ここで本当によく働きましたね。
その日のうちにもはほとんど帰れないぐらい働いてたんで、
今じゃちょっと考えられないけど、でもそれはそれで当時は僕は良かったなと思います。
日本工業銀行というと、ある意味、日本国の一番の銀行のザ・サラリーマンみたいなことで、
筆とブラックな感じでいらっしゃるぐらい。そんな感じでいらっしゃいますかね。
はい。
ありがとうございます。
その後、日本工業銀行をお辞めになって、
ブライダル・ネット代表取締役にもお付きになった。
これは創業と思ってよろしいですか?
そうですね。この時はですね、まず当時1999年に、
日本工業銀行と第一官業銀行、それから富士銀行が合併するという話が出たんですね。
若かったんで別にそういうことになるんだと思ったんですけれども、
銀行全体がまずなくなってしまうというような不思議な雰囲気に包まれたり、
先輩方も含めてなんとなく浮き足立つような雰囲気がありまして、
ただ一方で日本の中でインターネットの事業がたくさん出てきたり、
09:03
新しい銀行では解釈できなかったソフトウェアとかITという産業が出てきて、
そっちに興味を持ったんですよね。
そこでまず何をするか決めずに、もう辞めるきっかけがなくなっちゃうから、
結構好きな会社だったんで、若いうちに一回挑戦しようというか辞めて、
自分で事業やろうとか外の世界みたいなと思って退校したというのはきっかけで、
あんまり退職の仕方としてはお勧めしないですね。
人の事業のちょっと手伝いをしながら、ある出会いの掲示板の運営をしないかと言われて、
出会いの掲示板はちょっとあれだけど、結婚に関する仕事であれば、
日本社会にとっても大事だし、人に求められる仕事かなと思って、
それに取り組んでいったというのが正直なところです。
まだそこで企業というよりは、その掲示板をどう発展させるかというところからスタートしましたね。
冒頭の方でお父様の御商売をという話がありましたが、御商売をお次になろうとは思いはなかったんですか。
これはね、高校1年ぐらいまではもう親は大学行かなくてもいいぞっていうタイプだったんですよね。
家系では誰も大卒はいなくて、うちはもう本当に下町の商人の典型的な家庭だったんで、
そういうものだと思ってたんですけれども、
母親に上手く調子に乗せられて私立の学校に行ったり、大学受験して上手いこと行ったんで、
東大まで行ったから就職するんだろうな、お前もっていう雰囲気に両親もなったところから就職したもんですから、
もうそのまま実は勤め上げるつもりだったんですよね。
そんなに何か起業しようとか最初はなかったですね。
ただ、そういった両親の影響というか、商売人の血みたいなのがあったのが、
あまり独立するとか借金するとかに抵抗感が私はなかったんで、
安定を維持したいとかいうのも人よりは少なかったんで、
それであまり抵抗感なくそういった企業の世界に入っちゃったっていうところですね。
なるほど、ありがとうございます。
プライダルネットさんは今のIPデータの原型になるビジネス?
これは当時から大手のオーネット・ツバイ・サン・マリエ・ノッゼという結婚情報サービス会社があったんですけれども、
これをインターネットだけでやるインターネット専業の結婚情報サービスという日本で最初の取り組みだったと思います。
結婚を目的とし、既にある結婚情報サービスをインターネットだけで完結し、
12:07
10分の1の価格でやるという、ディスカウンターとして業界に参入したっていうのが最初だったんですね。
そのネットで運営したのはタイミングも良かったのと、いろいろなサポートにも恵まれて、
うまく黒字化し事業化ができたので、そこはネットのサービスとしてブライダル・ネットという会社を一区切りつけたんですね。
どのように区切りをつけたかというと、ヤフー・ジャパンさんからお声掛けいただいて、
ヤフー・ジャパンの子会社になった。一旦売却をしたんですね、2003年。
3年ぐらい運営してグループ会社の社長になりました。
ただそこで3年間ヤフーのブランドのサービスを作ったり、そのブライダル・ネットを活かしながらやってたんですけれども、
ネットだけのサービスというのは真似されやすいし、要するに参入商品が構築しづらい。
どんなに有名なブランドでやってもそうだと思ったんですね。
それから売上が上がって会員数が増えるんだけど、結婚カップルはなかなか出ないと。
マッチングはたくさん作るんだけれども、やはり大事な結婚という意思決定に至る人というのはほんのわずかだったんですよね。
だから、このままこの事業を続けていくのって僕にとって意義があるのかな、一生続けていける仕事だろうかって考えたときに、
日本の伝統的なナコードおばさん、結婚相談所の人たちに出会い、
そういった業態を研究していくと、ネットとリアルというと簡単なんだけども、
システムやアルゴリズムはネットを活用し、やはり人の重要な意思決定には手間暇がかっても、
このナコードさんたちを再構築して、人の手を活用しよう、そういうビジネスにしていきたいと思ったんですね。
そこでYahooから再独立して2006年に設立したのがIBJという会社なんです。
なるほど。石坂社長様の思いを受け継いでいるのがIBJさんと、こんな感じのイメージだったんですよね。
そうですね。だからブライダルネットを運営、Yahooの参加でしていた頃から、
Yahooのサービスを作り上げて、自分でシステムやアルゴリズムを活用しながらも、
人の手による意思決定の支援、サポート、こういった事業を組み合わせたものを事業化しようと。
それを具現化したのがIBJであります。
本日の3分コンサルティングはMS様でいらっしゃいます。
新谷さん、はじめまして。MSと申します。経営者ではございませんが、今回登校させていただきました。
15:03
総務部長さんですね。弊社も昨年よりテレワークを導入活用しておりますが、従業員のモチベーション管理に課題を感じております。
ここ最近、メンタルヘルス不調の兆候が見られる社員が増えており、ついに1名テレワークキーの求職者が出てしまいました。
テレワーク化のコミュニケーションを見直しの必要性を感じている最中でしたので、動揺しております。
また、今後連鎖的に求職者が増えてしまうのではないかと危惧しております。
ウィズビー様もテレワークを本格的に導入していると伺っております。
企業としてどう対応すべきか、またどういった対策を構築していくべきか、新谷さんのご意見をお聞かせいただければと存じます。
また、これまでにテレワークキーの求職や離職等の問題はありましたでしょうか。
テレワーク時のコミュニケーションマネジメントで工夫されていらっしゃることなどをお聞かせいただけますと幸いです。何とぞよろしくお願いいたします。
まず、テレワークで求職者を出したことはございません。
逆にテレワークでみんな元気になってきて休まなくなりましたね。
うちの健康管理といって、突然今日調子悪いので休みますみたいなのを毎月毎月記録とってまして、
出勤率が80%以下になったら私と健康メンバーみたいな制度を投入しています。
これは80%以下になると辞める確率が高いというのがあるんだというのをある方から教えていただいて、
ベテランの経営者の方から教えていただいて投入しています。
それがここ最近このテレワークが始まって、コロナが始まって、テレワークが始まって、
順番逆ですけどテレワークが始まってコロナが始まったわけですが、それによってほぼ100%ずっとみんな仕事をしているんですね。
いたに通勤とかそういうのがおいやかというのを示す事例なんですね。
ちなみにテレワークをやりたくないといった社員たちもいっぱいいたんですが、そのメンバーたちも少しはやっているんですが少なめなんです。
で、出勤しているんです。元気ですね。
なんで元気なんだろうな、出勤しているのにこの人たちは。
だから向き不向きなんだと思うんですね。
出勤した方がいい人と出勤しない人がいい人と両方あるんだと思います。
なのでそういう意味ではテレワーク、柔軟に対応されるのをまずは一つとしてやった方がいいんじゃないかなと思います。
一方でどうしてもその求職者が出るならば出勤させてみたらどうでしょうか。
やっぱり私どもですね、在宅勤務も認めてますけどもそういう制度もございますが、レベルが低い社員は出勤させなきゃいけないということになってます。
なんでかって指導が必要だったんですね。
指導もやっぱり細かく側で部長なり課長なりが指導しないと荒な方向性にいきます。
逆にそのコミュニケーションが低いとモチベーションが下がってきてやめていくみたいなことがあるので、
コミュニケーションを密にするためにはやっぱり出勤させるしかない。
かつ中間管理職も出勤しなきゃいけないということはあるんだなと思います。
結局コミュニケーション量みたいな問題なんじゃないかなと思います。
一方でコミュニケーション量という部分ではオンラインズームなどで会議などをやっていると、
18:03
昔はリアルでしたらやっていなかったのをズームでやっていくと、
前社員の顔が見えてあるときなんか3ヶ月ぶりに会社に来た人間が私に対してですね、
新社員さん3ヶ月ぶりですみたいな感じで言われましてですね、
でも毎日会っているのでそういう感じがしませんねって言われました。
これ一人じゃなくて何人もそう言ったんです。
ですので逆に毎日毎日私どもは昼例と言って、
昼例と言って朝礼の代わりを昼にやっているんですけども、
それをグーグルみとかをオンラインでつないでやってますと、
全員の顔を見ますし私の声は聞こえますし、
私毎日喋るようにしてますので、
そういう意味ではモチベーションがなかなか下がりにくくなるみたいなことを行います。
かつ会議でもこんな感じでオンラインなどでやってますので、
私自身は在宅で2週間に1回ぐらい会社に来ませんので、
私自身がオンラインで出て、
みんなの顔を見ながら誰さんどうなのとか質問したりやってきますので、
そういうふうにモチベーションはある程度保たれているということになるんじゃないかなと思います。
つまり結果的にそれはマネジメントの仕組み、
システムをきちっと構築することが重要だということを示しますので、
そういう意味で全社に毎日どこかかしら顔が見える朝礼なり、
昼礼なり、夕礼なりするとか、
もしくは日報を毎日出させて様子を感じるようにするとか、
または会議とかも社長自らが率先してオンラインでやって、
もしくは総務部長さんが率先してやってみたいなことをやっていくことが顔が見れて、
逆にモチベーションが下がらず、
DRよりもむしろ接触頻度が高くなっていいみたいなことが起こるんじゃないかなと思っています。
そんな感じで、ぜひテレワーク、在宅勤務などの仕組みを作っていただくのはいいんじゃないかと思います。
ぜひちょっと頑張っていただければと思います。
ちょっと難しい内容ですので、本社のような形に合わせたいと思います。
もしどうしてもご相談があるということであれば、
無料で、それもオンラインできたら全国どこでもご相談のれますので、
長いとご相談いただければと思っていますので、よろしくお願いいたします。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長にインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
21:05
皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に行くインウィズビズはここまで。また来週。