今回は、プライム・ストラテジー株式会社の吉政忠志氏にお越し頂きました。
転職を重ね30歳で年収2000万円超えを達成するも、7回目を転職でよいオファーが来なくなり、会社を設立。15期連続の増収増益を実現。
その後、プライム・ストラテジーの創業者が病気で退任したことをきっかけに、代表を引き継いだ経緯から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
■経営者インタビューメディア「経営ノート」
■WizBiz経営塾
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■WizBiz社長塾
Summary
このエピソードでは、吉政忠志氏が最初の創業から現在に至るまでの経験を振り返り、IT業界での挑戦やマーケティングサブスクの取り組みについて詳しく語ります。彼の会社は初のマーケティングフルアウトソーシング会社となり、顧客との長期的な関係構築の秘訣に触れています。第459回のポッドキャストでは、プライム・ストラテジー株式会社の代表取締役である吉政忠志氏が、PDCAサイクルを通じたビジネスの成長や上場企業の社長としての経緯について紹介します。また、社内での新しい取り組みや成功例が語られ、企業の再生に向けたチャレンジが強調されています。プライム・ストラテジー株式会社の事業内容やウェブサーバー草薙の特性についても説明されます。さらに、人生や仕事における成功の秘訣として、選択肢を持つことの重要性が語られます。インタビューを通じて、経営の重要な要素として性格や情熱の大切さが強調されています。
00:05
社長に聞く、in WizBiz
WizBizの新谷です。先週の続きをお聞きください。
最初の創業と技術者たち
最初の創業会社はどんな会社でいらっしゃったんですか。
その会社はですね、今でも存続している会社なんですけども、スマートフォンのアプリケーションを作る会社でした。
当時は最新な感じですね。アプリということは当時だと最新じゃないですか。
最新ですね。すごい技術者がたくさんいたので、一緒に組んでくれた人が本当に有名な技術者だったんです。
その方が連れてくる技術者もすごい技術者で、ついにお客様も一緒に来ちゃったので、創業した瞬間に大手企業の売り上げが立っちゃったみたいな。
案件ごと持ってきちゃったという感じだったんですよね。その会社を4年くらいやりまして、技術者の腕は非常に良かったので、
会社はもう非常に順風満帆に進みまして、技術者の方々の給与も全員2倍以上になったと思います。
ただもうゲームが作りたいですっていう風に技術者の人たちが何か思い始めまして、もう会社の軌道に乗ったし、
私ゲームやりたくなくて、私あくまでエンターバイズできたいのでっていうので、私の株を技術者の方に、もともとの金額で全部売りました。
相当安く売られたってことですか。
そうですね。安く売りました。その時の技術のトップの方もあるという株を持っておきながら、私が持っている持ち分を他の社員に売ってみたいな感じで。
全社員、全株主みたいな。若かったですよね。それでうまくいくと思ったんですよね、当時はね。
みんな経営者目線で意見を言ったら、会社がいい方向に向かうはずだっていう。
経営者と社員って役割が全然別なので、同じ目線にすることはちょっと私の腕では無理でした。
そうじゃないですか。
うまく回ったんですけども、結局会社のベクトルと違うことは嫌いですって言われて。
そのまま抜けられるんだったら、私が抜けるからって話になったわけじゃないですか。
それは経営者としてはうまくいったかっていうと、ガバナンスが効かなかったというか、意思をまとめられなかったっていうか、自分じゃ役不足だったかと。
そういうことだと思うんですね。
なるほど。
でもそれからもう20年くらい経って、まだその歌詞残ってるってことは立ち上がっていかなかったなとは思うんですけどね。
いや、素晴らしいですね。まだ生き残ってらっしゃるというのは。
はい。残った人たちが優秀だったんだと思います。
サラリーマンとしての経験
その後、吉本創成株式会社でらっしゃいました。
違います。そこで社長向いてねえなと思ったんです。
技術者のマインドをつかめなくて、どうやってIT会社の社長をやっていくんだみたいな話になるわけですよ。
そうですね。それでも大いに反省をし、もうやるべきことやってダメだったんだから、普通にサラリーマンとして真っ当に生きていこうみたいな感じで。
じゃあサラリーマンにお戻りになったんですか。
その後にですね、サラリーマンに戻りました。
今いた会社に持ったわけじゃなくて、別の会社に戻りました。
どんな、やっぱりIT系の。
IT系ですね。
はい。IT系の外資系だったりとか、あとベンチャーって言っても650人くらいいたので、そういうところの執行役員やってたりとかしてました。
それまでの経歴っていうのは結構短期間で売上を2倍とかにしてきた成績が結構あって、割と目指す会社だったんで、ニュースにもそういうのは残ってるんですよね。
面接すると吉島さんなんかのんびり働きたいって言ってるけども、すごい成績持ちじゃないですか。
うちでもぜひ2倍にしてくださいみたいな。
そういう要件で雇われてたので、最初から短期で2倍とかを目指すようなことをやってましたが、
今を振り返ると、1年間で2倍伸ばした売上っていうのは、1年間で崩壊する可能性を持つというのは私はよく思ってます。
組織って簡単なものじゃないので、ゆっくりやればいいもんじゃないんですけども、強い組織を作ろうと思った時に時間をかけていく必要があるっていうのは絶対事実で、
短期間でやると社員に負担がかかるんですよね。
そうするとすごく働いて、バーナーと商工を燃え尽きちゃったりとかする人間もいますし、年代によっては子供ができたりとか、結婚したりとかして仕事以外に時間を費やしたりっていう人もいるので、
そう考えると当時は残業やり手放題の時代だったので、すごく鬼のように働いてもらって目標を達成するっていうのはちょっと違うんじゃないかなって今思ってます。
かといって株主の皆さんもしかして聞いていただくと2倍とか言ってくれよと思うかもしれませんけども、
会社の組織が健全に、きれいごと言うと社員と共になんですけども、
社員が想像するよりもちょっと上くらいの成長率でいくのがいいんじゃないかなと個人的には思ってます。
なるほどありがとうございます。その後も何社か言ってから吉政総製株式会社ですか?
吉政創成株式会社の設立
そうですね。その後何社かっていう、その何社目かって話をしますけども、
その後も実は契約いただいたりとかして年収がどんどんどんどん上がってきました。
そもそもニュースメディアのインタビューに出てますけども、30歳の時に年収2000万円を超えてたんですよね。
その後もどんどんどんどん上がっていって、自分が働けばお金は手に入るもんだっていうくらいの感覚ですごい天狗になってまして、
転職すれば契約金ももらえるしみたいな、調子に乗ってたわけですよ。
7回転職した時に、インセンティブとベースの比率が今まであったら7ベースで3インセンティブだったところが逆転しまして、
7インセンティブで3ベースになったんですね。
その頃は子供が私立学校に行ってまして、結構な金額生活費買ったわけですよ。
そこでベースが下がってしまうと、インセンティブってもらいますけどもまとめて後でもらえるじゃないですか。
そうするとその間はずっと借金をしなきゃいけないなみたいな、もしくは貯金切り口みたいな感じになってしまって、これもう無理だみたいな話で。
しかもハイインセンティブの契約ってだいたいうまくいかないですよね。
最初の半年とか1年は達成しても、その後で結局達成できずに居場所がなくなっているケースが非常に多いので、
こうやって世の中の外資系の先輩たちが聞いてくる道に気がついたら自分も乗ってたなという感じになりまして、
7回目の転職してるあたりから周りから吉島さんはもう消えるねみたいなことを言われてました。
多くの外資系の先輩たちが外資系頃と言われるようにどんどん転職していきながら、
転職回数が多すぎていいところが見つからずに、結局別業界に転職していく人って当時の外資系の王道だったんですよね。
残れる人は本当に一握りでみたいな感じだったんですね。
まさにそうなってしまって、でも子どもたちは何の悪いこともしなくて、受験勉強で私立に行ったのに、
お父さんが、お父さんが調子に乗って転職しすぎたせいでこんなことになっちゃいました。
これはまずいということで、じゃあどうせハイインセンティブだったら会社を起こそうというふうに思って、
吉島創生という会社を作ったんです。
これはもう完全に自分が成功するためじゃなくて、子どもの学費を大学まで払うための会社です。
その子どもも予約したのが、この10月で最後の学費を収めるので、吉島創生も無事な役割達成したという話なんですけども、
その時にニュースのインタビュー、新聞とか雑誌のインタビュー記事にも書いてますけども、
初年度で年収2400万だったと思いますけども、年収じゃなくて年収ですね。
年収2400万を達成しましたというのは出来たんですけども、
それは才能があるとか運がいいとかって思われるかもしれませんけども、
これ実は必然性がありまして、当時副業全面的な禁止の会社は多かったんですけども、
29歳の時から実は会社に対してずっと副業をしてました。
これ良くないことだと思いますけども、
その副業を今まで土曜日と日曜日しかやらなかったことを平日に展開すれば、
当時の顧問料金と副業の金額の売り上げが5倍になるんじゃないかっていう、
単純に昔からもうその時点で11年間ですか、やってた副業を本業に変えただけなんですかね。
そうしましたらコネクションを使わずに新規は結構取りまして、そうなんです。
会社講師的には皆さん会いに来ないですけども、
応援してますとか言うんですけども、会ってくれないですよね。
どうせ仕事くださいって言われるんでしょう。
なので会っていただいた人はほんの一握りで、
あとは結構新規で飛び込みであったりとかっていうのも結構多かったです。
ただおかげさまであっという間に店員の従事者が2ヶ月、3ヶ月埋まりまして、
そういった当然最低利用金額じゃなくてオプションとかもいっぱい付けていただいたので、
そういう金額をいただくようになりましたみたいな感じです。
吉政創成株式会社は何の業種に挑んだんでしょうか。
これはですね、お客さんをITに絞りまして、
国内初のマーケティングフルアウトソーシング会社になります。
今サブスクっていう言葉が流行ってますけども、
当時で言うと初めてのマーケティングサブスクの会社だったと思います。
それもあって日経産業新聞にハンページ分解の特集もらったことあるんですよ。
中高年の星とかって書かれてですね。
確かに中高年ってリストラになった時代だったので、次どうしましょうとなった時に、
今話してる話も含めて新聞に出まして、
そのサブスクの話をちょっとしますけども、
月は固定でサブスクは続かないんですよ。
マーケティングの当時のお仕事って、
例えばイベント企画して、イベント開催して、
レポート書いておしまいって、
大体3ヶ月単位くらいで契約することが多いんですけどね。
でも続いて1年とかそんなもんですよ。
マーケティングの会社って。
私の吉政創成のお客様の平均契約年数が8年なんですよね。
創立して私代表したのは15年までやったんですけどね。
平均8年ですごい長いと思ってます。
その秘訣っていうのはチケット制定をとりまして、
月額20万円の費用で3ヶ月更新ですと。
この20万円の中には1枚5万円のチケットが4枚入ってますと。
そのうち1枚は定例会議で正規してくださいと。
残り3枚はアウトプット用に私どもがコンテンツを作ります。
なんていうサービスでした。
コンテンツを作りますよっていう話っていうのは、
ビジネス成長の秘訣
結構お客様でコンテンツ作るのはなかなか難しくて、
外注すると1コンテンツ10万とか15万とか、
場合によっては20万かかるところを5万円でやりますよと。
なんで安くできるかっていうと、
3ヶ月更新で営業コストがほぼかかんないんですね。
そのほうのコストがグッと下がってっていうことで、
しかもこれ3ヶ月間で4枚ですから、
合計すると12枚のチケットがあるんです。
これで今で言うとPDCAを回したんです。
定例会議で企画して、自分たちでやって、
またチケットを使って報告をし、
次のカウンターの継続プランを出してっていうのを
3ヶ月後でぐるぐる回したんですね。
PDCAを3ヶ月後でぐるぐる回したらすごい成長しますよ、ビジネス。
お客様からすると新卒の給料が当時20万円くらいなので、
社会保険でも入れると新卒に払う金額よりも安い金額で、
名前を入れたマーケッターのプロフェッショナルが
どんどんPDCAを回してくれますみたいな話で、
すごく格安でしたね。
それもあってお客様がどんどん増えて、
本当に有名な日本のIT業界代表するお客様から
お仕事をいただきまして、
今ではアシスタントの数が15名ですかね、増えまして、
企業経営の変遷
本当に順風満帆にいきました。
その中の一社がプライムストラテジーって会社だったんですよね。
ありがとうございます。
お話聞いてるだけで、うちの会社もネットの企業なので、
それはいいなって思いながら聞いてたんで、
リスナーの皆さんもそんな感じかもしれませんけども。
その後、プライムストラテジーの創業者の方が退任されるのをきっかけに
代表を引き継いだと、こういうお話をお聞きしてるんですが、
どういった経緯でそんなことが起こったんでしょうか。
もともと遡ることが12年前ですかね、
プライムストラテジーの社長とお会いすることになりまして、
そのご縁というのも、ちょっと余談になっちゃうんですけどね。
私は業界団体を運営してまして、
業界団体のイベントにマイクロソフトさんをお呼びしたんです。
マイクロソフトの人がメインで話しますっていうイベントのほうに、
マイクロソフトさんのほうが、
ごめんなさい、いけなくなりました。
すごい人を紹介しますけど、
その人に話してもらってくださいみたいな感じで、
出てきたのがプライムストラテジーの中村さんだったんです。
中村さんが上手なプレゼンテーションで、
非常に沸かしていただいてありがたかったんですけども、
その話を聞いてて、私、中村さんと組んだら、
プライムストラテジー組んだら、
すごい成功するんじゃないかっていうイメージがきまして、
登壇が終わった後すぐ、
吉島創設して支援させてくださいという申し出をしまして、
当時、一番のメイン製品の草上というものが起こる前、
ワードプレスの製作会社としてやったときの
プライムストラテジーの支援を始めました。
お聞きしたところ、上場社員ですと。
上場社員でしたら、
インテグレーションだけでは厳しいので、
サービス作りましょうっていう話で、
いろいろ考えた結果を出したのが、
世界最高速クラスというか、
ウェブサーバーを260倍高速化するOSみたいなのを
作ったらいいんじゃないですかねっていう話をして、
本当に作っちゃったのが中村さんなんですけど、
できちゃったわけですよ。
当時はクラウド環境が良くなかったので、
通常環境の1000何倍みたいな感じの、
超高速ウェブサーバーOSみたいなのができまして、
これが大ヒットしたのと、
主要なクラウドにはほぼすべて標準でインストールできるようになり、
毎年1万台ずつ普及しみたいな感じですね。
気がついて今年10周年で10万台に達成しましたみたいな感じです。
一言言っちゃうとすごい大変だったんですよね。
もっといろんなことがあったんですけども、
その中村さんが上場のタイミングで体病にかかってしまって、
病気によって退院しなきゃいけなかったと。
その時に私にもお話があったんですけども、
公認として、私は当時はパイソン試験とかPHP試験とか、
吉間装束とかいろんな会社を兼任してたので、
上場する瞬間って専業じゃないと社長になれないんですよ。
申し訳ないけどみたいな感じで、
やめて全部置いてきてくれないって言われたんですけども、
それはさすがにできませんって。
当時は経産省からの認可も資格になってたので、
お断りをしまして、
結局別の方が社長を引き継ぎました。
技術で優秀な方だったので、
やっぱり技術の方に専念されていたりするっていう話になって、
上場した後なので兼業でも大丈夫ということで、
中村さんの方から、吉間さんちょっと申し訳ないけどやっぱりやってくれないみたいな話をいただきまして、
私、上場直前の2期は取締役もしてたので、
経営関係もちょっと把握してることがあって、
去年の9月から復帰することになりました。
なのでよくこのラジオを聴かれている皆さんは、
どうやってその社長になったんですか?みたいなことを聞かれると思うんですけども、
すごく不思議な巡り合わせな感じでなりました。
振り返ってみると、
くつなぎ誕生のところから関わってたりとか、
あと私自身は中村さんという方の成長がすごく早かったので、
このまま世界に行くって言ってたんですよ。
なので一緒に仕事をしたかったので、自分も成長しなきゃいけないと。
そうでないとうちが嫌いちゃうと思ったので、
自分もどんどん強くなって大きくなるために色々やってきたので、
自分のレベルが上がっていった結果、上場企業の社長を引き継げるレベル、
まだ成果出てませんけどね。
何か引き継ぐにあたって、上場企業の社長を引き継ぎにあたって、
高圧だったとか、ご苦労とかそういうのはございませんでした。
それはですね、上場企業の社長になるっていうのは、
株主総会で選任されて、はいなりましたっていう話では実はなくてですね、
その手前に取締役会議で株主総会に出す議案があったりとか、
その手前に取締役会議に頭出しって、今こういうことを検討しますみたいなのがあるので、
結構長い時間かけて代表取締役になります。
成功への道のり
元々の質問は何でしたっけ?
高圧だとか、ご苦労とか、上場企業の社長の選挙でございます。
その時に、私がそもそも苦手とされてたような、
経理関係とか財務関係みたいな話がありまして、
私結構ビジネスファンなので、経理とか経営関係の話とかですね、
結構お問い合いとかもあったんですね。
自分自身では、ハーバードビジネスレビューとかっていう、
そういうのは4台とかしてるんですけども、
実践的なことは結構かけてたんですよ。
それもありまして、中村健吾氏に、毎週2、3時間ずつくらいレクチャーを受けてました。
創業者の中村健吾氏が、公認会計士でもあって野村証券出身なので、
もうその辺りの、議員者としても日本で超一流なんですけども、
元々そういう知見もあったっていうこともあって、
そのレクチャーを毎週毎週ずっとやってましたね。
それが苦労だったっていうよりも、それがあったおかげで今がありますみたいな感じです。
なので業務的には困っていることはあまりなくて、順調に回ってますし、
投資家向けの説明会とか、カムイ総会でのプレゼンテーションも結構、
事前質問も多くいただき、しかも事前質問で、
お褒めの言葉から入るような、これはパンみたいな方がいらっしゃるような感じだと思うんです。
普通、株主総会の質問で株価が上がらないんですけど、
後はしてくださいみたいなこと言われるんですけども、
吉島社長になったことで、会社活気が続いて本当に素晴らしいと思います。
お褒めが入ってから質問が来て大変嬉しいんですけどね。
そういった点は上手くいってます。
ただ、もともとはちょっと苦労した点でいうと、もともとは上場の直前に私いなかったので、
別の取締役の方々が経営を支えて運営されてきたので、
当然彼らには彼の自負があります。
同じことをやり続けると業績は変わらない、もしくは打線によって落ちてくると私は思ってるんですね。
なので、新しいことをやらなきゃいけない。
一方で上場させた自負があって自信もありますって人たちに、
いきなりポンと代表取締役で戻ってきましたって。
何か言っても、そう簡単に聞いてくれないですよ。
まずは小さな成功例からみたいな話をやってました。
これは吉松創生のベースとなっているような、来週やったら副業でいろんな会社の再生をしてきたんですよね。
その時にも言えることで、業績が悪化している時にみんな変えなきゃいけないと思っていても、
一番大事だと思っていることを変えようとしないんですよね。
この一番大事だと思っていることが変わらないから業績が悪化してるんです。
大事じゃないところが悪化してても、業績そんなに変わらないんです。
突然ストーンと起こっていくことはないんですけど、
なのでこのコアなところを変えていくのはすごい大変なんですね。
それはプライムスターティスにも同じことを感じていました。
その時にまず小さな成功例が必要なんです。
それが成功したらこれを拡大すれば、もっと成果が出ますねって証明できるんですね。
なのでプライムスターティスがやっている業務と違うところで小さな業務を作り、
成功例を作り、この例の応用例でいくことによって業績を改善しますっていうことを
ようやく今期底を打ったのだと。
長年プライムスターティスにだけ会ったわけじゃないので、
ちょうど一昨日、先一昨日1周年記念です。
去年の9月26日のカムイ総会から着任なので毎日なんですけどね。
ようやく底を打ったなという感じで、
ウェブから自然と入社規模の人がお問い合わせが入るようになり、
プライム・ストラテジーの事業内容
お客様からのお問い合わせもウェブからお問い合わせが入るようになる。
これ簡単なことに見えますけども、
うちが何もしなくても申し込まれることって結構多いことで、
全体的に底を打った感を出す一つの証明になるかなと思うんですけどね。
結構大変でした。でも楽しかったです。
なるほど。ありがとう。
ありがとうございました。
そうしましたらですね、プライムストラテジー株式会社さんの事業内容をぜひ宣伝がけらご説明いただきたいんですが、
どんな事業をなさっていらっしゃいますでしょうか。
私どもはですね、草薙という名前のウェブサーバー、
特にワードプレスの実行環境、OSという理解でもいいかもしれません。
これを無償で公開し、サポートでビジネスを成り立っている会社でございます。
ワードプレスの国内のシェアが、CMSというカテゴリのソフトウェアで言うと83%持ってまして、
世界でもそれと大体同じくらいのシェアを持っております。
これはですね、ワードプレスに限らずどのウェブサーバーでもコンテンツが増えれば増えるほど遅くなるんですね。
その時にクラウドのスペックを上げても早くならないので、
OSをワードプレス用にチューニングした私どもの草薙を使うことで解決できるんです。
それがありまして、毎年1万台の新規のお客様をいただいているというところに来ました。
こちらのほうが世界中の主要クラウド26クラウドで採用されておりまして、
おかげさまで海外での累計稼働台数が3万台までなりまして、
いよいよ今年から海外に向けて展開という形になりました。
海外の市場は非常に広いです。海外はインテグレーターの数が少ないので、
私どものような高機能なOSっていうのが非常に評価されるはずなんですね。
なので今後の活動にお期待というところでございます。
成功の秘訣
ありがとうございます。そうしましたら、全く違うご質問もさせていただければと存じます。
事前に好きなもの、好きなことを聞きまして、これは私大変注目なんですが、
初期、靴、カバン集め、釣り、ロードバイクはですね、
日本中南東京総派ということでですね、私も靴好きでしてですね、靴はどんな系が、
カバンも好きなんですが、靴はどんな系を普段よくお買いになられるんでしょうか。
靴はですね、ベルルッティが大好きでして、
若い時はスコッチグレインっていう、私実はロシア系の血が入ってまして、
ちょっと日本の方とは足の形が違うんですよ。
そういうこともありまして、靴型にフィットすることはすごく大事で、
日本のお店でよく売っている靴だと本当に合わないんですよ。
スコッチグレインがたまたまあったので、もう相当長い間、
しかもスコッチグレインとオーバーホールができるので、全部バラしてまた直してくれるじゃないですか。
なので、一番長い間で15年とかするくらい履いたりするのもあると思います。
革靴って何足も持っていると結構持つじゃないですか。
なのでだいたい5足6足ローテーションでやってたんですけどね。
そこから始まりまして、ベルルッティの非常にソフトな革、だけど水にめちゃめちゃ弱いので、
あそこの履き心地に非常に感銘を受けまして、
美しいので、まだ1回も履いてなくて飾っているだけの靴とかもあります。
そんな買い物ではないですからね。
ありがとうございます。私も靴好きなんでちょっとお聞きしたいなと思ってしまいましたが、
座右のメモをお聞きしてまして、これも素晴らしくて松田寺さんのお言葉とのことですが、
思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるからという言葉を選ばれたんですが、
こちらを選ばれた理由を教えいただけませんでしょうか。
これはもう人生長丁場になってきてますよね。
平均年、人生100年時代って言ってますけども、30年後は人生120年時代って言ってるかもしれないです。
家も進化しますし、変な話ですけどね、
佐藤さんの奈美英さんって皆さんご存知の方がいらっしゃると思うんですね。
すごく少々頑張っていらっしゃってて、もうおじいちゃんみたいな感じですけども、
私、奈美英さんの歳を軽く超えてるんですよね。
奈美英さんが今54歳で、私56歳で、ただ当時の54歳はあのイメージだったんですよ。
それから時間が相当経ちまして、今の56歳こんな感じです。
これから経つとまたもっともっともっと若くいれると思うんですね。
そう考えた時に、長く働いていた方が人生の選択肢も増えて、しかも人生の針が出てくるっていうか、
もし私はこの後一気に吹き込むというのは、社会が必要とされなくなった時だと思っていまして、
そうならないためにも健全にやりたい仕事を働くってことはすごく大事だと思うんですね。
働いてて、いらなくなりましたってふうに言われてしまうようなこととか、
あと、どのポジションで70歳とか80歳を迎えかによってどこまで働いてくるかも違ってくるかもしれません。
職人さんみたいだったらすごく長くするかもしれませんけども、そうじゃなくて、
例えばサーリーマンとしてやってくるって言ったらちょっとやっぱり限界が来るかもしれないですよね。
できれば起業してってオーナーの方が長く続きやすいかなと思います。
オーナーで起業してる人の方が若い人多いですよね。すごく若く見える人多いです。
そのポジションとして選ばれる、そこに行く過程の中でいろんなチャンスを得ていくってことを考えたときに、
一番大事なことって私、性格だと思ってまして。
能力が高くてもなんで私は成功したいんだろうと思っている方は、性格っていうか人格かもしれません。
仕事しにくいとか成功しやすい方向性、選ばない性格みたいな感じで、
成功されないのに優秀な方って、きれいに二択で選んじゃいけない方向をズバリきれいに当ててくる感じなんですよね。
見てると。そうやって私よりもっと成功してる人は、吉橋さんがそうだよっていうかもしれません。
私よりもっといい選択肢を判断できる人は、もっと成功してると思いますしね。
当時20代とかでよく仕事をしてた、今日本を代表するような会社の社長になった人たちがいるわけですよ。
当時は同じ真っさらなところで会社を起こそうとか言ってて、成功した人すごいじゃないですかね。
そういう人たちみたいな私はまだまだあったと思うんですけども、
いい選択肢もできるような人格性格考え方っていうのはすごく大事で、
これは普段思っていることから全部起因すると思ってます。
成功されたからよく言われてますけど、愚中ばっかり言ってなんかろくなことないし、そういう思考になっていくよねって話なんです。
かといってポジティブなことばっかり言ってても行動は伴っていけないので、
先ほど言ったマザテレースの教訓なんですかね、言葉を全部実践して、
自分がこういうイメージで成功したいと思っているということをやっていくと成功に近づくと思うから、
これを私は財務面にしています。
なるほど。ありがとうございます。
性格、人格ですね。ちょっと私も良い性格に、良い人格に、ちょっと努力をしなきゃいけませんが。
ありがとうございます。
最後のご質問なんですが、この番組経営者向け、全国全世界の社長様向け、
もしくはこれから起業する方向けの番組でございまして、
もしよろしければ社長の成功の秘訣を教えいただけたらなと存じます。
はい、わかりました。これは私のことと一緒に仕事をしている人とか、
私のことを知っている方は意外に思われるかもしれませんけれども、私は結構用心深いです。
いっぱい入職しているからというその教訓にもあるんですけれども、
成功の秘訣としましては、二の矢、三の矢を常に持っておくことということで、選択肢を失わないことが大事です。
選択肢、これを自重しなかったらもうだめだというのは、この時点でもう負けているんですよね。
それで勝てばいいですけども、長丁場まで勝ち続けるわけがないんです。
負けた時に終わっちゃいますみたいな話なので、これがだめでもこれがある、これがだめでもこれがあるという、
二の矢、三の矢を常に持っていくことが大事なので、瞑想したりとか妄想なのかもしれませんけども、
いろんなことを想定することがすごく多いです。時間的にはこれが非常に多いです。
なんでロードバイクの趣味かというと、ロードバイクで心を無にしながらとか、
企画を考えながらずっと走っているんですよね。それで今度のこの展開でこうなったらこうしようとかっていう、
その選択肢をたくさんポケットに持っていっているんです。なので、いざそうなった時にすぐ出せるから、
速いよね。吉村さんが映っていて、すっごい速いよね。一気に出るよねなんていう話は、
もう全部用意しているからです。この手を何本持つことを長年ずっと、
20年、30年やっているので、すっごい手がいっぱいになります。
なので、昔、消えていくと思われてから会社を成功した時とか、しぶといよねってよく言われました。
しぶといんですよ。子供がいるので負けるわけにはいかないので。
今は株主の皆様の大事な資金を預かっていますし、
このプライマースターティングの会社の戦略をかけている人たちもいるんですね。
なので、思いつきとか、こうやってうまくいくから、自分のやり方ではなくて、
客観的に見て用意する必要があるという話です。あとちょっと上々級の方になりますけども、
冷静に見て客観的に見て成功するか、成功するってわけではなくて、
例えば情熱だったりとか、物事を動かすしかって結構大事なんですね。
そのあたりを大切に生きていきたいと思います。
ありがとうございます。二乃屋、三乃屋、情熱ですね。
リスナーへのメッセージ
ちょっと私も吉政社長様のように、ちゃんと二乃屋、三乃屋用意していきたいなと。
情熱も持ちたいなと思っております。
リスナーの皆様も本日はお忙しい中お聞きいただきまして、誠にありがとうございました。
ぜひ皆さんの参考にしていただければと存じます。
吉政社長様、本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
本日の社長に行くインウィズビズは、プライムストラテディ株式会社の吉政社長様、
女女企業の社長様で、いや素晴らしいですね。創業者と変わらないですね。
だからこそ、何でしょうね、本当に素晴らしい社長で、ちょっと私も本当にすごく尊敬してしまいました。
おっしゃってることが本当にまとえてるって私は大変する話ですが、
田寺さんの言葉もそうですね、性格、人格が大切だとおっしゃる通りですね。
ですし、二乃屋さんの用意すると、情熱も必要なんだと、こういうことなんだと思いますので、
そういう意味ではちょっとですね、大変素晴らしい社長様のインタビューでして、私が一番本当に勉強になったなと思います。
ちょっと私も性格、人格、なかなか直らないところがございますが、
直しながら、情熱を持ってWith部株式会社経営していきたいなと思っている次第でございます。
皆さんもぜひ、情熱を持って経営していきましょう。
本日の社長に聞くinwithではここまで。また来週。
経営ノートの紹介
本日も社長に聞くinwithをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもwithwithが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くinwithではここまで。また来週。
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