改めて、倉地さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
倉地さん、もともとはタイル加工業をされていたと伺いましたけれども、
ヒカリホールディングスさんの歴史について教えていただけますか。
はい。ヒカリホールディングスの前身ですけれども、
倉地タイル商会というのを1969年に父親が営んでいたんですね。
その倉地タイル商会が株式会社ヒカリ工芸というものに法人なりしまして、
その2代目が私、倉地武が代表取締役になったわけです。
そこから父親が私が35歳の時に亡くなりまして、
私がちょうど35歳で代表引き継いで、
そこからどうやったらタイル加工業を発展させられるだろうかというところから
ホールディングスを作ろうというところに進んでいきました。
創業はだいぶ前になるんですか。
はい。1969年、私が生まれた年に父親が倉地タイル商会、
要は特立されたって聞いております。
私も69年までなんで、もう56年ぐらいの歴史になるということですね。
はい、そうです。
そして早くから35歳から社長になられたということで、
その時のプレッシャーはなかなか大きかったのではないでしょうか。
そうですね。父親が亡くなって、まだ売上が1億4、5千万ぐらいだったんですけども、
当時2億ぐらい借金がありまして、それを返済することからスタートしていったんですね。
そうだったんですね。
その時、どんなお気持ちでなさっていたんですか。
よくわからなかったんですけど、とにかく借りたお金を返す、借金を返すということに必死になってました。
そうだったんですね。
でも、倉地さん自身はやれると思いながら取り組んでいらっしゃったんですかね。
はい、そうです。
そうなんですね。
当時ですね、ちょっとまだ私も学というか経営のことがあまりわからなかったんですけども、
お金を銀行に返済すると、その分が税金となって、結果お金ってどんどんどんなに稼いでもなくなっていくんですよね。
で、じゃあどうしたらお金を返さなくていいものが、なんていうんですかね、お金を借りられるんだろうかとか、そんなことを考えていた時に、
まあ、上々して、イクイティで会社に入れてもらえると、そこって、
お金を返さなくていいものが、何ていうんですかね、お金を借りられるんだろうかとか、そんなことを考えていた時に、
まあ、上々して、イクイティで会社に入れてもらえると、そこって、返さなくていいというふうに学んで知ったんですよ。
そこで、じゃあ上々したほうがいいんじゃないのっていうところで、その時から上々を目指しました。
そういった背景があったんですね。
はい。その時にですね、たまたま友人、銀行に勤めてた友人が、私の父親の仏壇に手を合わせに来たんですけども、
その時の質問で、蔵さん何がしたいのって言われて、僕で上々したいんだよねって言った時からスタートしまして、
そこで彼が言ったのが、売上10億、経営通貨5000万が名称の当時セントレックスでしたっけ、
セントレックスに上がる条件じゃないのっていうところで、初めてそこで10億経営通貨5000万を目指していったっていうところですね。
名古屋証券取引所ですね。
そうです。はい。
新海さん、倉津さんとの出会いって何年前だったんですか。
2012年ぐらい。
そうです。
10年以上のお付き合いになりますね。
その共通の友人を紹介されて、その当時、私と彼ですね、銀行での、倉津さん何がしたいのって言った友人から紹介されたんです。
あ、そうだったんですね。
その時のお互いの印象をお伺いしたいんですけれども、まず、倉津さんから見て、新海さんはどのような感じでした。
やたら熱い方だなと。
あの、もう当時から、俺が中小企業を救うんだってぐらいのことを言ってみてたんで。
で、その時に僕もどうしても上がりたいっていう風にお願いしたんですね。
だから、その時にお酒が入ってたのもあって、もう絶対に俺が上がらせると、上場させるって言い切ってくれてました。
あ、そうですか。
まあね、お互い今の状況で、お互いの中小企業を救うんだって言って、
まあね、お互いまだ40代ですからね、まだまだ本当に熱いって時だったというところもありますしね。
あ、そういった熱さも感じられてたんですね。
はい、そうでした。もうとにかく熱い方でしたね。
そうだったんですね。一方、新海さんから見て、倉津さんの印象いかがでした。
はい。あの、最初ね、本当に今お酒が入ってってお話ありましたけど、
鹿津貝?
鹿津貝です。愛知県鹿津貝市の。
愛知県鹿津貝市の駅の近くのおいしい居酒屋さんでですね、ご紹介を受けてお話をさせてもらったんですけれども、
まだまだ当時はですね、タイル加工業でそれほど大きくなくというか、事業しておられましたので、
まあ時間をかければもちろんやれますよっていうことでしたけれども、
何も分からないですっていうことで、非常に素直な経営者の方だなと思ってですね。
しかし、いろいろなお話を先ほど来聞いていただいて分かる通り、
ご苦労も大変されてこられたなということをですね、感じながら、
まさにですね、そういった会社さん、強い思いを持っておられる、
そういう経営者の方だなっていうことを感じましたので、
ぜひそこは上場をしてもらうということをですね、その場で決めて、
そして言ってみればお酒を組み交わしたという感じですからね。
そうだったんですね。じゃあ、クラスはもうそこで上場するなら、
コスモスさんにお願いしようと思ったということなんですか。
はい。もう他に選択肢は全くなかったので、
もうこの熱い新海先生にお願いするというところです。
もうすがっていこうというふうに信じてついてきました。
そうだったんですね。新海さんもそういったクラスの情熱を本当に感じたんですね。
そうですね。もうとにかく上場したいんだという、この思いがですね、
本当にあればですね、あとはいろんなハードルがありますけれども、
上場したいんだったらこのハードルをね、本当に全てというか、
やるべきことをやって上場しましょうということをお伝えできますし、
本当に何度も厳しい局面がありましたけど、それでもそういった局面を乗り越えてですね、
ちゃんと上場していただきましたから、そこは私の当初を信じていた通りという、
そういう印象です。
やっぱりあれですね、上場って一丁目一番ちはやっぱり経営者の思い、
発言思いですかね、ですね。やっぱり正しく上場会社になっていくということが一番大事ですね。
そこがやっぱりちょっとこうなんて言うんでしょうね、
横島な思いで上場をしようって思っている方がいらっしゃったとしたら、
それはまあほぼ100%達成できませんね。
やっぱりね、活動にそれは出ます。横島な思いが活動に出て、
なんかうまく上場できるんじゃないかとか思うんですね。
厳しい状況に置かれると。
だけど、やっぱり本当に正面から誠実にがっぷり4つで上場していくんだと思っておられる経営者の皆さんは、
本当にいろんな課題にですね、正面からぶつかっていただいて、
そして一個ずつ一個ずつクリアしていく、こういうスタイルをですね、
私ももちろん求めてますし、それをしっかりやっていただいたなっていう印象ですね。
やっぱり進化さんそういった見極めはもうね、たくさんの方がやっているので、
もう分かりますよね。
そこでクラスターはもう本物だと思ったということですか。
そうですね。もうとにかく進化先生が言われることを全部クリアしようと思ってました。
で、土地で諦めることも一つも考えずに、言われたことを一個一個潰していく、
ピースを埋めていくことをやろうというふうに考えて進めました。
はい。では改めて、まず東京プロマーケットに上場しようと思われたのはなぜなんですか。
やっぱり最終目標がございまして、私、プライム市場、東証のプライム市場が最終目標というふうに決めてまして、
やっぱりその東証の金をならして順番にステップアップしていけば、
私たち小さな、本当に小規模の会社でも上がっていけれるというふうに思ってましたので、
だから東証の東京プロマーケットだっていうふうに、もう自分で勝手に決めつけてやってました。
もうゴールをプライムだって決めていてっていうことだったんですね。
はい、そうです。
素晴らしい。それ新海さん最初からもうお話聞いてました?
そうですね。私と倉井社長の共通の友人がですね、倉井社長を上場したいんだという思いに合わせてですね、
実は最近こういった東京証券取り所にですね、プロマーケットという市場があって、
一般の市場に上場するにはここをステップとした方がいいんだということをですね、事前にお話ししてもらってましたので、
私は当日まさに居酒屋でですね、お話を聞いた時にはですね、もうすでにこのプロマーケットに上場してから、
そして次の市場にですね、ステップアップしていくんだという思いもですね、聞きながらプロマーケットへの挑戦が始まったという、そんなことでしたね。
はい。倉井さん、東京プロマーケットの魅力はどんなところにありますか?
当時はですね、本音を言うと、東昌の鐘を鳴らすっていうだけの話だったんですね。
で、上がってみたらその頂上から見た景色が見えてくるんだろうかっていうところで、ただ闇雲に進んでったっていうのが本音です。
ただ、上がってみてよかったなっていうところですね。やっぱり魅力っていうところはやっぱり取引先さんだったりとか、やっぱり銀行さんの見方が変わってきて、
調達金額も変わりました。
そうなんですね。最初からスタンダードやグロースではなくて、東京プロマーケットにした理由っていうのはありました?
私どもですね、目指した頃ってまだ4億ぐらいしかできてなくて、ちょっと希望感的にも多分苦労するんじゃないかというところで、
やっぱりステップアップ、要は一段階上がってプライベートカンパニーからパブリックカンパニー、そこからまた市場を変えていこうというふうに考えました。
新海さんご相談を受けたときには、もう最初から東京プロマーケットをお勧めされたんですか?
そうですね。もうそういうふうに情報も言ってましたし、やはり希望感からしますとね、やはりここから一般市場に行くとすると、
どういった成長が必要で、そしてどういったことが起きるのか、これは一般投資家の方々にも投資をしていただかなければなりませんし、
証券会社さんとの対応ですとか、上場において起きること、こんなこともお話ししながら、まずは現時点で最も効果が高い、
要するに上場をまずするんだというところが効率的に得られる方法というのは、まずはプロマーケットですよねと。
ここはもうその方向に向いておられたので、我々がまず背中を押してですね、プロマーケットを目指していただいたということでしたね。
倉知さん、まずその上場を目指すと決めたときには、社内ではどんな反応でした?
まあ冷ややかでしたね。私だけが熱かったですね。やるんだと、俺たちは行くんだと、みんな見てろよみたいな、そんな感覚でしたね。
最初はええ?っていう感じがあったわけですね。
はい、そうですね。誰も信じてくれなかったと思います。
その中でどうやって上場に向けて体制構築していかれたんですか?
社内の中で冷ややかな目で見るのはあったんですけども、決して反対する人はいなかったんですね、最初は。
うん、なんかこう、また社長がろくなこと言ってないよねっていう、また何をやるんだろうかっていう程度だったと思います。
ですから、スーツを着た人が4,5人ワーッと来て、会社の中でガチャガチャガチャっとこう、なんかこうやり始めたみたいな。
で、毎日毎日なんかそんなことばっかりやってるみたいな、そんな程度だったと思います。
あ、そうだったんですね。
一番反対した人は税理士さんだったという。
あ、そうですね。地元の税理士さんが言われました。
なんで反対されたんですかね。
わかりませんけども、父親の代からお付き合いさせていただいてた税理士さんなので、もう何十年と付き合ってて、そこの大先生っていう父親の同級生ぐらいの方からちょっと呼び出されて、
タケル君、詐欺にあってるぞって言われて。
で、まあ先生にもお世話になってると思うんですから、いや先生って、あのお言葉は本当にありがとうございますと。
それでも私は行きたいんですって言って、やりましたね。行きました。
騙される覚悟ね。
そうなんですね。新海さんやっぱり地域に行くとそういった考えの方っていらっしゃるんですかね。
そうですね。やっぱりもちろんご年齢も悪いかもしれませんし、やはり上場って大変難しいことですから。
そういうことを当時の規模を考えましたらね、普通ではできないんですよ。
しかし、それはご意図なんですけども、知識というか、市場環境というか、こういったことに対するアップデートがですね、できてない専門家の方や、できてない経営者の方や、
金融機関の方がいらっしゃるのは事実でして、まだまだこのプロマーケットに対する誤解というかですね、思い違いをしておられる方も本当にまだまだ多いですし、
当時10年前はですね、本当にまだこの市場ができて間もない頃でしたから、そんな売上4億の会社が上場できるわけないだろうっていうそういう印象ですよね。
我々はもちろん一定の成長も見込んで、そして2年で上場するんだということをですね、お伝えしながらですね、お話を進めて言っておりましたけれども、
普通の方から見たら、当時、特に当時はですね、信じられないというか、まさに騙されているぞと、そういう状況だったのではないかなというふうに想像しています。
そういった中で、岐阜県田嶋で上場しました。で、その時にですね、どういったステークホルダーの方に一番効果があったのかなというのをお聞きしたいんですけど、例えばその取引先ですとか、採用金融機関などあるんですけれども、それぞれ伺っていきたいんですが、どうでした?