1. 社長に聞く!in WizBiz
  2. 第92回 西堀敬氏(株式会社日..
2018-10-10 19:37

第92回 西堀敬氏(株式会社日本ビジネスイノベーション代表取締役)【前編】

spotify apple_podcasts youtube

今回は、ベンチャー企業の事業継続支援会社を展開する、株式会社日本ビジネスイノベーション代表取締役の西堀社長にお越しいただきました。

滋賀県に生まれ、大阪市立大学商学部卒業後、日立造船入社、和光証券(現・みずほ証券)を経て、ウェザーニュースにて上場準備に携わられました。米国・イーコマース会社COO兼CFOとして日本業務を立ち上げた後、2011年日本ビジネスイノベーションを設立、代表取締役に就任され、現在は複数の上場企業の社外取締役を務められています。
幅広い活躍を通して得られた広い視野や、成功経営者としてのあり方の詰まったインタビューは、大変参考になります。ぜひお聞きください!



00:05
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社日本ビジネスイノベーション代表取締役の西堀社長さまでいらっしゃいます。
まずは経歴表をご紹介させていただきます。
滋賀県生まれで大阪市立大学小学部卒業、その後日立造船入社。
その後、和工商権に移られて国際企画部、スイス現地法人、国際金融部の国際業務を従事されました。
その後、ウェザーニュースに移られ、国際業務の経験の後、財務部長として上場準備に携わられました。
その後、アメリカのeコマース会社のCEO、IRコンサルト会社取締役、新規上場企業情報サイト東京IPO編集長などを経て、
この日本ビジネスイノベーションの代表取締役にお付き合いになられていらっしゃる社長さまでいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、お出身は滋賀都のことで、小学校・中学校時代はどんな幼少期を過ごしになられましたか?
滋賀県の引っ込の駅からもう少し山手に行ったところ、古塔山山といっていろいろお寺があって、最近は観光地になっているんですけれども、
大見商人の発祥地なんですよ。
同じ町内だと西武の津泉さん、初代ですから郭二郎さんですよね。議長もやってた。
津泉郭二郎さんの出身地。
隣の町だと伊藤中部さんとかマルベリーの藤野さんとか、隣の町だとアコールの塚本さんとか、
そういう日本経済の戦後のすごい会社を作った人がいっぱい出ているんですけれども、
一応そういうところで生まれたんですけど、あまりそういう感じは学校の頃は学ぶこともなく、
そういう土地だということもあまり知らずに育ちました。
全く田んぼしかないところだったので、小学校、中学校とのどかな田園風景のところで走り回ると、そんな形で育ちましたね。
なるほど。学期代償とかそういう感じで。
全く逆で小学校のときは4月1日までなんですよ。4月1日っていうのは学年で一番最後じゃないですか、最後って一番遅いんですね。
そうすると小学校低学年の頃って自分だけできない子なんですよ。
みんなできることができないということで、コンプレックスもあったしできないし、
それでずっと小学校1年生、2年生、3年生、4年生と。
5年生ぐらいになってきてやっと並になったということで、コンプレックスの塊で小学校の低学年から中学年ぐらいまで来たので、気泡穴子でしたね。
03:02
今の西森社長から全然想像がつかなくていいですか。
いじめられる子ども多かったんですよ。
いじめられる子ども多かったんですよ。
多かったんですけども、ある転換点があったんですね。
小学校6年生ぐらいのときにガキ代償がいて、みんなの前でいじめてたんですよね。
殴った方は殴れって言ったんですよね。
そこでそいつが殴ったんで、殴られたから俺も殴ってもいいよなって思ったんですよね。
これまで100発ぐらい殴られてるんで、1回で100発ぐらい殴ってやろうと思って、
殴るようになってボコボコにやっちゃって、そいつのランドセルフを川にぶん投げて、
家までそいつ連れて行って、これまで100発殴られたんで、今日100発殴りましたって言って、
本当かみたいなことを親父が言うんですよね。
いや本当ですって言ったら、その日の夜に両親とその子どもが家まで阿山に行きました。
そこからガキ代償は僕の小部になったんです。
ということはやっぱりガキ代償が…
中学校に行ったらケンカが起こるといつも呼ばれて、俺が2人殴って押さえるみたいなね。
そういう係で。
そうするとバスケットやってたんですけど、バスケット部のコモンっていう先生から
いつもそれやってると、お前が悪いって言って気をつけてやってパシッと殴られると。
平手でね。なんで俺が悪いんだみたいな感じなんですけど。
中学生部になるとそうなっちゃって、楽しかったですね。中学校の時は一番。
なるほど。じゃあやっぱり今の西森社長と一緒で、中学時代はガキ代償でやっちゃったってことですね。
そうなんですよね。
なるほど。勉強もできたもんなんですか?
勉強は普通じゃないですかね。
というかあまり田舎ですから、要するに進学とかなんとかってよくわからない。
中学校3年生ぐらいになると、担任が進学指導で親と一緒に面接するじゃないですか。
親に対して、息子さん将来どうされるんですかと。
中学校つきは高校じゃないですか。
要するに高校は行かせたいなと。
いやそうじゃなくて、もっとずっと先です。
大学行って就職するっていう時に、要するに滋賀県から離れて、親元から離れて、
大阪とか東京とか出ていくのか、もう滋賀県で地元に残って後取りというか、家を守っていくのかどうするのか。
親父困っちゃって、そんなことまで考えてないわけですよね。
ちょっと考えておきますわみたいな感じで。
で、帰ってどうするどうするというか、選択肢としてはあるじゃないですか。
普通科に行っておけば、その先まだ考えないと。
だからよくわからないから普通科に行っておけというので、高校は普通科に行ったと。
06:01
なるほど。滋賀の高校に帰れたんですか。
そうです。地元の公立高校ですよね。一番近いところっていう。
高校時代はどんなことして過ごされたんですか。
高校時代はですね、あんまり楽しい思い出はなかったというか、そこでもやっぱり同じようなことがあって、
ちょっとバスケット部に入ってたりしたんですけど、高校3年生の時にですね、学園祭とか体育祭があるじゃないですか。
体育祭の前日にいろいろ準備があるんで、高校のものすごく近くに、一番近いやつのところに5,6人、7,8人で泊まってたんですね。
みんなもう降参だからバイクの免許も持ってるんで、夜中に買い物に行くわけですよ。
当然、タバコは吸うわ、お酒は飲むわって。
タバコ切れたから買いに行こうよって言ったらですね、警察に捕まっちゃって、5人捕まったんですね。
結局警察署にですね、朝まで所長室の隣のソファーで座らされていて、
朝、どこどこの高校だって言っても信じてくれないんですよ。
一応、とりあえず新学校だったんですね。
お前らはそこの高校生じゃないと、あそこはそんなことしないと。
でも学生証も何も持ってないんで、免許証も持ってましたけど、
所長が来てね、さっき校長に電話したら、確かにうちの学生だと分かったと。
酒は大変だねと。
僕は高校生なんで、先輩なんですよ。
高校の頃はね、酒とかタバコとか当たり前だったんだよなと。
今はね、困った時代になったわと。
俺だって仕事だから、しょうもないからと。
で、他人の先生がいらっしゃって、親呼んで引き取りですよね。
でも自宅待機というか、謹慎処分ですね。
で、学校はそれで偉いことじゃないと。
体育祭なのに職員会議朝から晩までやってて、体育祭どころじゃないわけですよ。
で、なんかこの情報というか、これが盛れたらまずいとか言ってね。
担任の先生がね、回ってくるんですよね、職員会議終わって。
で、まあうちの親じゃないから、いやもうだめだから私立に転校するしかないなと。
でも高校3年生の9月ですからね。
困ったね、どこの福祉市立があるのかね、みたいな話をしてたんですよ。
先生が回ってきてね、いや、退役にはなりませんと。
そういうことをね、要するになったら私が困りますからって言って。
まあ普通困りますよね。
で、私も困るんですけど、まあ私をクビにするのと一緒ですから。
でも私をクビにしたらもっと困るのは校長だし、
滋賀県の教育委員会の委員長だと。
09:00
何言ってたのかよくわかんない。
で、後からわかったんですけども、上田先生って言ったんですけども、
上田先生のお兄さんは上田哲さんって言って、社会党の委員長だったんですよ。
もうそんなのね、一競争で全部抑えにくいって言ってたよね。
で、なんかこう職員会議とかやってるんだけど、最後は担任に報じられたらどうするんだって。
兄から何も聞いてませんかって。
いや聞いてないけど、滋賀県の教育委員会の委員長から電話があったと。
穏便に済ませると。
ということで一応一週間お休みいただいて、
普通にまた学校生活に戻りました。
今のお話で言うと大変が、運がいいというふうに捉えるべきなのか、
悪いことも捉えるべきなのかっていうのは難しいところですね。
どうでしょうね、運がいいんでしょうね。
そういう先生が担任だったっていうのはね。
でもずっと運だけで来てるんで、そろそろ運が尽きるんじゃないかと思って。
社長が運大変大切だと思いますが、
その後大阪市立大学に進学されていらっしゃいまして、大変頭いい大学でいらっしゃいますけども、
何か選ばれた理由とか何かあられたんですか。
選ばれた理由は、私の年からちょうど共通一致というのが始まったんですね。
共通一致というのが始まって、今センター入試してるんですかね。
それになって、要するにそこの試験で5教科7科目で全部マーケットで1000点。
そうすると自分で大体点数つけると、
予備校の案例でやってもらうとこれくらいって言うんじゃないですか。
共通一致でこの点数だったらここ、ここってあるじゃないですか。
そうすると、要するにどんだけ二次試験で間違っても絶対落ちないところというと、
この辺だったというのが一つと、
要するにここが日本で一番事業料安かったんですよ。
大阪市立大学というのは貧乏人の大学でね。
私が入学したとき、私は市役の人間だったんで14万4千だったんですよ、1年間。
私が入学したときに卒業した、幼年先輩ですよね。
その人が大阪市民だったんですけど、1万2千だったんですね。
大阪市民はとりあえず半分なんですよ。
14万4千なんだけど7万2千なんですね。
親御所得が低いとですね、それ免除。
だからクラス、小学部って160人くらいいたんですけど、大阪市民が大体半分以上いますよね。
その半分以上いるやつの半分がタダできてる。
これ一番払ってんじゃんみたいな感じで。
安い中でももう払ってないやつもいるっていうね。
今はそんなことないですよね。
今はもう全然そんなことなくて、
大阪市も橋本さんが市長になってからはそういうのはダメだと。
12:02
市民の大学だけども国立と同じだけ取る高い大学になってですね、多分普通になったと思います。
大学ではどんなことをして過ごされたんですか?
大学はですね、もう大体その、何て言うんですかね、段階の世代の人たちはね、
私よりもだから一回りくらい上の人は全教頭とかで結局ヘルマット被って機動隊と社会やってましたよね。
だけどそれはまあ大体この私の時代だとだんだんもうなくなってたんですね。
でも唯一それがですね、要するにまだ起こってたのはこの大学だったんです。
大学に行くとですね、機動隊のバスが2台いつもいるんです。
中に20人ずつ乗っててね、40人待機してると。
それで教養学部っていうところがあるんですけど、そこの裏になんか寮があるんですけど、
寮に入っている、入学しても入るやつ誰もいないんですよ。
その寮っていうのが学生運動をやってる人たちのアジトで、全国の大学から来てるんですね。
で、なんか1週間に2,3回ですね、ヘルメット被ってこんな顔を隠してですね、
角を持ってわーっと来るわけですよ、教室にいきなり授業やってると。
で、なんか先生もまあじゃあここでおしまいみたいで。
で、帰ろうかなと思ったら門の内側にですね、30人ぐらいの学生がいて、
で、向こう側に機動隊がいると。
対峙してても出られない状態ですよね、軟禁状態です。
で、これがまあ時々起こる大学だったんで、この大学ダメだと。
ということで大学に行くのをやめようと思って。
大学っていうかまあやめるって言ってもね、大学やめなきゃいけないんで、
まあそんなもうなんか楽しくもないし、まともにはね授業も受けられないんでしょうがないっていうので、
まあ私学生のときにiSECっていう学生の団体に入ってたんですけども、
まあそこのまあいろんな大学が入ってるんで、
まあ私立の大学にね、関西学院大学とか湖南大学とか行くとですね、
まあね、大学もきれいだし、女性も多いし、
だからまあ結局、だってクラス全員男ですからね。
単なる分系なんで40人全員男ですからね。
もうこんなところにでもしょうがないなと思って、
まああんまり行かなくなって、
その大学さんにですね、まあ遊びに行ってたというのが4年間ですよね。
だからちょっと楽しそうな大学生活ですね。
そうでしょ、だからそのiSECっていうのはまあいろんな大学にあって、
学園祭でね、なんかみたいなところを作るじゃないですか。
そっちに行ってたのも全然楽しいんですよね。
もうその大学なんかもうね、男ばっかりなんですよね。
もう本当になんか、大学のすぐ近くのね、
なんかアパート買えてね、3畳1間みたいなね、
みんなもう、なんていうんですかね、こう貧乏人ですから。
で、そこで朝までね、タバコ吸いながらマージャンするとかね、
もうそれぐらいしか楽しみないんですよ。
で、そんなのやったってもうしょうがないんで、
ちょっとやっぱり別の大学の空気を吸ってましたね。
15:02
西尾社長の西尾先生の姿からは全然想像できないわけじゃないですか、
高校、大学時代のちょっと驚いたわけですよね。
高校、大学時代のちょっと驚いておりますけども、
大変遊び人だったということだと思います。
本日の3分コンサルティングは、
B社様研修会社社員50名だそうです。
こんにちは。いつもためになる配信をありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
今回質問させていただきますのは副業についてです。
副業元年と言われることし、弊社でも時代の流れに乗り、
これまで禁止していた副業を認める方向で考えております。
しかし私自身、現在の事業を集中して行ってきたため、
もし社員に副業解禁と言ってもどのようなことをすればいいのかと質問された際、
よい回答ができるのだろうかと考え上げております。
転売ビジネスやアフィリエイトなど、元出のかからないものもあれば、
不動産やFXなど、投資がちなものが様々あるようです。
私からしてみれば、このようなものを社員に勧めていいのかと疑問にも思います。
ウイルス様では、以前より副業を認めているとのことですが、
社員に副業のアドバイスを求めた場合、どのような回答をされますか、
よろしければ参考にさせていただければ幸いです。
弊社も副業をやれと言ってから5年ぐらいですか、副業をやれという方針はなぜかというと、
私も社長様、経営者様向けにいろいろな情報を提供している会社でございますので、
社長の気持ちがわからないと、いい情報提供文章も書けないということで、
社長業をやって失敗しろと、そうすると社長の気持ちがわかると、
こういうことを言って副業を推奨する、やるべきだということで言っております。
幸い、何人かの人たちが社長業をやっていますが、
ちょっと横に座れますが、不思議なことに、
男性はあまりやらないで、女性の方が社長をやるというのが多くて、
社員やりながら社長をやるというのは不思議だな、
この辺が女性の方が勇気がいいというか、優秀だという感じはしていますが、
男性の方もぜひ頑張って何かやってほしいなと思っております。
さて、今のご質問について、元に戻りまして、何をやればいいのかという話ですが、
私としては、これをやれ、あれをやれというのは、
ちょっと間違っているな、社長業ですので、全て自己責任ですから、
自分で探し出してきてやるというのがいいんじゃないでしょうか。
ですから、社員50名の皆さん方に、自分たちは探せと、
いろんなセミナーに行ったり、いろんなネットで情報を得たり、
またはいろんな人と会いに行って、いろんな話を聞いて、
じゃあ俺はこれをやってみよう、みたいな方がよろしいんじゃないでしょうか。
そうでないと、社長に言われたからやりました、みたいな感じで、
また自己責任ではなく、社長業をやることになります。
そうしたら副業の意味はないんじゃないでしょうか。
そういう意味で、自分から自らどんどん探していくということが重要なんじゃないかと思います。
ですので、社長は見守ると。
18:01
ただし、私どもでもやっているんですが、こんな事業をやりますよという、
副業申請書みたいなのがあります。
それを出させることは重要なんじゃないかと思います。
また、社員たちからどうやったらうまく副業の方がいくでしょうか、
というふうなご相談があったら、私、必ず受けるようにしています。
もちろん無償で受けるようにしております。
いろんなアドバイスをしています。
先日も中期計画の作り方についてのアドバイスなどをさせていただいております。
そういう意味で、社長様自らがいろんなアドバイスをしたり、
社長が分からなかったら、こんなセミナーに行ってみたらとか、
こんな勉強会に行ったら分かるんじゃないの、
もしくはこんなコンサルタントに会いに行ったらということで、
誰かを紹介してあげたりなんかもいいんじゃないかなと思います。
是非、副業を皆さん認めていただいて、
いろんな方々が起業いただいたらいいんじゃないかなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。
また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週お楽しみに。
19:37

コメント

スクロール