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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、三条社長様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介いたします。
株式会社Jライフサポート代表取締役、神戸生れでいらっしゃいます。
負債140億を背負った会社を自らの力で再生し、完全復活させた経験に基づき、悩める中小企業経営者に真の会社再生法を伝授。
何があっても大丈夫をモットーに経営者の人生の再生を最優先した経営者とともに戦う真の会社と家族を守る経営アドバイザー、経営コンサルタントでいらっしゃいます。
それでは始めたいと思います。
最初のご質問なんですが、兵庫県の神戸市ご出身ということでよろしかったでしょうか。
小学校・中学校時代はどんな幼少期を過ごされましたでしょうか。
普通だったと思うんですけど、小学校の時は非常によくテストの答案用紙が真っ白に見えてしまうほどアガリ症でした。
そうでらっしゃるんですか。
今はこんなズズしい顔をしていますけれども、全然ダメで、ビビリの子供でした。
そうですか。今はだってセミナー講師とかいっぱいやられていらっしゃいますよね。
人生わからないものですね。
高校時代はどんな感じでいらっしゃったのですか。
高校時代は、大学受験に向けて勉強しなければいけないなと思いつつも、心の底から大学受験に向き合おうとせずに、
受験勉強の本を読むふりをして、結構商売の本を読んでいましたね。
そうですか。高校時代からですか。
そうなんです。
それはやっぱりお父様の影響ということですか。
もうそれもあるし、友達が大変な息子がいまして、よく交流をしていまして、中口社長ともしゃべる機会がありまして。
そうですか。中口さんの息子さんと同級生。
そうですね。よく商売の話もしていまして、その頃ちょうど中口社長が本を出された時期だと思うんですよ。
その本を読んで感動して、中口さんのお父さんに会ったときにサインをしてもらったんですね。
サインをしてもらって、そこに挑戦という文字が書いていまして、その時に一言言われたのが、何でもいいから日本一になりなさいと言われたんですよ。
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それはずっと頭の中に残っていまして、親父も商売していたんですけれども、何でもいいから日本一になりたいなというのを高校ぐらいの時にふつふつと思っていましたね。
じゃあ今の起業家、コンサルタントでいらっしゃる原型は高校の時に作られたみたいな感じですか。
あの時は将来商売したいなと受験勉強の本をしまって、そういう本を読んでいましたね。
素晴らしいですね。大学は立教大学を選ばれていらっしゃるんですが、立教大学を選ばれた理由は何かありますか。
いや、希望高下の原因ですけれども、商売の息子が非常に多いと聞いていたのと、親父も一度は東京を見てこいと言われたので、東京はどんなものかなと思って、東京の大学を受けて立教に行ったということなんです。
立教大学でも大変頭がひんので、三条社長さんの今の様子が思い浮かぶんですが、その後大学ではどんなことをした時は覚えていますか。
大学の時は大学生の楽しみはほとんどなくて、大学に入る前は親父は大学に入ったらいろんな経験をしなさい、いろんなところに行け、世界中を見てこいと非常に夢のあることを言っていただいたんですけれども、
大学に入った瞬間に親父の会社の社員になりました。別に社員にしてくれと言った覚えは一度もないんですけれども、仕送りが給料不利口になっていました。
ちょうどゴーデンウィーク前に、今みたいに携帯もないですから固定電話がかかってきまして、僕はゴーデンウィーク遊びに行こうと計画が立っていたんですけれども、
お前いつ帰ってくるんだと。何でいつ帰ると。何の用事があるのかと。お前給料もらってるだろうと。働けと。
と言われまして、泣く泣く帰りまして、そういうふうにちょっとした休みですね、大学生のときは必ず帰って朝7時ぐらいから夜の1時、2時ぐらいまで仕事をしていました。
だから全然面白くない。2年生のちょっと過ぎたぐらいに、俺だけ遊んでるような雰囲気に言われたので、じゃあもう俺大学通おうかと、神戸からと。
新幹線通学をすることにしまして、ところがお金かかりますでしょ。給料がすぐなくなる。これは嫌だと思いまして、始めは2週間に1回、だんだん1ヶ月に1回、最後には半年に1回しか大学に行かなくなりまして、ほとんど神戸で仕事をしていました。
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卒業はできたんでしょうか。
できたんですね。立教っていいところですね。卒業ルームがないんですよ。
いえいえ、頭もよかったんでたぶん卒業できたんだと思いますが、大学時代は普通の高卒の社員さんとあまり変わらない感じらっしゃいますか。
みなさん大学卒業するときに卒業旅行に行くじゃないですか。全然行けずにですね、1人寂しく神戸で仕事をしてましたね。
なるほど。お仕事は不動産事業でいらっしゃったようなんですが、不動産賃貸業とか。
不動産賃貸業と飲食事業をやってました。
なるほど。三条社長はどんな役割をされたんですか。
初め入ったときは全てやらされまして、飲食だったらレジから調理補助、ウェイター、在庫管理、店の運営、それから事務所では総務とか経営理、資金繰りも最終的にいろいろやらされたり、借り入れも大学のときにさせられてまして、とんでもない親父だと思ってますね。
なるほど。逆にその経験が今に生きてらっしゃるのかなという気がしますが、卒業後はそのまま社員のままという感じでいらっしゃいますか。
そこで僕は就職したいという風に親父にお願いしたんですよね。そしたら何を考えてんだと。お前なんか誰が雇ってくれると。誰も雇ってくれないと。こっちに居とけと言われたんですけど。
いや、俺は大学卒業してこんな会社に居たくないと。365日休みでなしにですね、親父に管理のもとですね、朝から晩まで働く、こういう人生なんてやってられないと思いまして、就職させてくれと言ったら大喧嘩になりましてですね。あとえらい目になりましたね。
喧嘩されてどうなったんですか。
いや、母親が泣いてですね、お父さんに謝りなさいとそうさせてもらったのに、ちゃんとお父さんの言う通り帰ってきて仕事しなさいと言われまして、泣く泣く社員継続ということになりました。
じゃあそのまま継続性をされて、順調に事業が伸ばされて、それは多分三島社長様のおかげだと思うんですが、地域ナンバーワン企業になったということですか。
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はい。テナント事業をどんどん増やしていってですね、飲食というのはもうだんだんダメになるなと思ったので、そこでテナントビルという中でレジアビルを中心にですね、昔は結構店をするのに保証金結構かかったり、内装代、一つの店をするのに結構お金かかったと思うんですけどね、
それをリースでしようということで、リース店舗ビルを事業化してですね、そういうビルをどんどん建てまして、結構テナントの数が増えて、そこの地域でシェアが高くなったということですね。
それは当時で言うと多分先駆け的な感じですよね、リースでやるというのは。
そうですね、たまたま飲食業をやっていたときに、古い社員をですね、店を持たしてですね、内装をして、会社を作って、社長にして、全部運営を任して、家賃プラスアルファをもらっていたというようなことをずっとやっていたので、その延長線上でそういうことを考えたんですね。
なるほど、その後阪神淡路大震災が起こって、おそらくその後バブル崩壊という流れになってくると思うんですが、阪神淡路大震災のときは会社にいらっしゃったんですか、どちらにいらっしゃったんですか。
家にいましたね、朝5時半ぐらいですからね。
朝早かったですね、ご自宅はどうだったんですか、被害が。
マンションだったんですけど、底層に住んでいたんですけれども、本当にすごい下からの揺れみたいな感じが、商売上いろいろややこしい方とのトラブルもありましたので、トラックが突っ込んできたのかなというふうにはじめは錯覚しましたね。
マンションはご無事だったんですか。
大丈夫でした。
持っていらっしゃったリース物件というか。
貸しビルの方は一つは完全に潰れてしまいましたね。
あとは全部半壊以上、満遍潰れていますというような状況になりました。
どのくらい損害は出たんですか。
トータルでいくと40億以上は軽く損しているかなと思うんですね。
テナントさんの改修工事も自社で資金を出して一斉にやりましたし、家賃ももらわない、完全に復活するまでもらわないというようなことをしましたので、結構横断振る舞いをしたツケが後で回ってきたんですけど、それで非常に痛い目になりましたね。
当時は完全にあわじたいしんさんとテナントさんのために家賃もらわないとか、すごいことをやられたということですか。
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シェアが高かったので、うちが厳しくすると他社がもっと厳しくするので、一番ゆるい形でしようと思ってやったんです。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはゆうさまですね。30代システム開発、創業2014年でスタッフ10名だそうです。素晴らしいですね、3年間で。
弊社はウェブ、スマホアプリの開発を主とした会社です。メンバーの多くが20代、30代と小さなカンパニーです。
それにスタッフ同士はとても仲良く、私に対しても良い意味で遠慮がなく、自分たちの意見やアイデアを積極的に提案してきます。いいことですね。
社内コミュニケーションが円滑に取れており、意見、アイデアを発信しやすい現環境は良いことでありますが、最近のスタッフたちの仕事の動きに悩んでいます。
日中休み休み仕事をして残業しているケースが散見されます。みなさんの企業を超えてくる社員もいませんので、残業代謝は発生していません。
社員のように日中の勤務転換というか、もう公有的に仕事をされる必要のない時勤務時間だという気持ちはわかなくはないのですが、
以前には感じられた時間内に全力で作業を終わらせるという意思が最近では低く、社内風景は乱れていると強く感じています。
新たな規定制度で締め付けなく、社員、スタッフたちの良いところを残し、もう少し緊張感を持たせて、それぞれが定時内に全力で定期作業を終わらせる風土を作るには一体何が有効なんでしょうか。
ぜひ教えていただきたいです。というご相談なんですが、私はそんなに問題があるようには、この会社様の場合は見えないのですが、
もしやるとすれば、まず目標設定なんじゃないでしょうか。
そうすると目標設定さえ達成して、まず一つは目標設定で、目標を達成していればいいということになりますが、
弊社なんかで普通、私の考え方ですが、労働基準の方はきちんと守りますが、使えない社員は24時間365日働き、優秀な社員は年1日だけ働いても年報を出すと。
つまり成果、目標達成が全てで、そうじゃないところは好きにすればいいというのが私の考え方ですから、逆に仕事できない人ほど遅くまで残っていて、仕事できる人ほど早く帰っていくという組織風土にしております。
かつ、うちの場合は副業も認めてまして、副業規定があり、副業申請をしていただくと副業ができるので、メンバーの中には18時が就業時間ですが、
18時になると急いで帰っていって、自分の別の仕事をやりに行くみたいなメンバーもあります。
よって結果的に時間内で早めに終わらせ、早め早めに休みを取ろうというような形になっております。
まずは多分おそらくそうなってくると目標設定なのかなというふうに思います。
そして目標設定をしていれば時間は自由に使えるというふうな組織風土、いい組織風土を御社は持っていらっしゃいますので、それを生かしつつ、
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とにかく目標達成、多分ウェブですので、何個ウェブサイトを作るか、アプリを作るのか、逆に集客力の目標があってそのウェブサイトを作るのか、
アプリ使われるアプリ、ダウンロード数が伸びるアプリを目標設定してどう作るかみたいなことが目標になるんじゃないかと思いますので、
そういうところで制度を目標設定と場合によっては賃金規定、人事評価制度なども揃えていくと、
今の組織風土を残しつつ、作業時間を早くするみたいなこともできてくるんじゃないかと思います。
また私も上場準備していますが、うちの社員たちにはスピード10倍じゃないと上場できないという話も常日頃していまして、
日本にも必ずスピード10倍ができたか、できなかったかというのを書かせるようにしています。
そういうことも含めて社員たちが早め早めに買えられるようになってきているというのがありますので、そんな細かいことももしかしたらいいのかもしれません。
本件もぜひ何かございましたらご相談のらさせていただければと思います。
本日の3分コンサルエンスはここまで。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
働いてお楽しみに。