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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、クラウドファンディングで1億円以上を集められた
glafit株式会社代表取締役の鳴海社長様でいらっしゃいます。
まずは、ご経歴をご紹介させていただきます。
1980年、和歌山市に生まれ、15歳の時から商売を始められる。
2003年、カーショップRMガレージを個人創業。
2007年、自動車輸出業、ファイントレーディングジャパンを個人創業し、
中国都市の法人化。
その後、中国などで生産完了、現地法人化を設立し、業務を拡大されました。
2012年には、glafitというメーカーブランドを立ち上げ、
2015年には、和歌山電力の立ち上げに協力し、取締役の就任。
2017年5月には、glafitブランドで初めての乗り物、glafitバイクを発表されていらっしゃいます。
若くて、そして力強い、私も仲のいい鳴海社長様です。
本日はよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
では、最初のご質問なんですが、ご出身は和歌山ということで、
小学校、中学、高中はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
小中は、ずっとバスケットをやっていまして、一番バスケットに時間を費やしていたと思います。
結構お上手だったんですか?
一応、小中、どちらも和歌山県選抜でした。
運動神経もよろしいですね。社長様らしい社長様って感じですね。
社長様って感じですが、高校時代も和歌山でいらっしゃいますか?
そうです。高校も地元の和歌山で。
高校時代はどんなことをされていらっしゃったんですか?
高校は、まさに高1、15の時からですね、商売をひたすらやっていましたので、
勉強措置の受けで、商売をしていました。
何でこの商売をやろうと思われたんですか?
これは、商売をしたっていうのは、今遡ってあれ商売だったんだなって思ってるだけで、
当時はですね、進学した高校がバイトが禁止でして、
うちの両親が何せあまり物を買わない人間で、買い与えてももらえなかったので、
仕方なくバイトをせずにお金を増やして好きな物を買うために、
気がついたら商売に急いでたというような状況です。
なるほど。高校は商売は別に禁止ではなかったということですね。
多分高速に商売禁止とは書いてないからだと記憶してます。
どんな商売をされていらっしゃったんですか?
最初、高校時代に服に興味を持って、多分年頃というか学生期、
大体誰もが通ると思うんですけども、女性も当然ですけど男性も。
興味を持った服を買いたくて、
実際、自分の興味のある服を逆に高く買ってくれる人に
転売して、その再起で儲けるっていう服の転売ビジネスをしてました。
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服は和歌山で買われてたんですか?
和歌山で買うこともありますし、東京に来て買うこともあります。
東京はどの辺で買われてたんですか?
その時の結局その流行りの服、自分たちが興味あった服っていうのが、
ノーウェア系、裏腹系と言われる、その名の通り裏腹ファッションで、
まさに裏腹に行って買ってました。
いわゆる原宿の裏側という裏腹ですね。
このリスナーの皆さん結構年齢層高い方もいらっしゃるので、
裏腹って言ってわかんない方いらっしゃるかもしれない。
そうなんですか。
やっぱりなるみ社長若いんでそうかもしれません。
原宿までわざわざ買いに行って、和歌山に戻って、
売るのはどうやって売ってたんですか?
最初はもちろん周りの人に売ってたんですけども、
それだと限界があるじゃないですか。
次にマーケットとして選んだのは、
当時まだインターネットが普及していない時代なので、
雑誌が全て情報の媒体だったんですけど、
その雑誌で、クワントっていう個人売は仲介雑誌があったんですけど、
そこに載せて全国から欲しい人を募りました。
なるほど。それ何年ぐらいのお話ですか?
今から23年前ぐらいですね。
1998年とか97年とか。
そうですね。
ちょうどインターネットが始まるか始まらないぐらいですね。
まだ始まってないぐらい。
その当時はヤフオクなんてない?
まだないです。
メルカリなんて当然ない?
当然ないですね。
なるほど。
ヤフオクもメルカリの前身をやられていた。
どのくらい一番稼いだ時は月に稼いでいらっしゃいますか?
そうですね。月にというか、物さえ手に入ればってところなんですけど、
当時ファッションバブルで、そのジャンルのカテゴリーの服が、
バカみたいに定価の何倍もの値段がついた時代なんですね。
2万円のものが6万円とかが平均ついたり、
キムタクがドラマで着たものなら5倍ぐらいの値段がついたんですね。
そういうので、要は手に入れるのが難しかったんですよ。
だから学生は時間があるじゃないですか。
授業をサボって並んだりして、限定品を手に入れたりとか、
東京とかは青春ジュラシキップを使って行ったりとか、
そういうのを試行錯誤でやってました。
結構稼がれたんじゃないですか。
そうですね。途中からは自分が欲しいものは絶対みんなも欲しいので、
同じものを2,3個買って、1つは着る用、残りを売るという形で何倍も増やしていきました。
すごいですね。その後はどんな商売をやられたんですか。
大学に進学してからの関心は、服はそのまま普通にずっと好きなんですけど、
次の新しい関心事が出てきて、
それが当時Windowsが95から98ぐらいに切り替わるぐらい、
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ちょうどインターネット時代の到来ですよね。
そのタイミングでパソコンに興味を持ちまして、
ただまだ当時パソコンはすごい高価なものでした。
ノートパソコンは当然まだそんなに普及ないですし、
デスクトップでも20万ぐらいした時代なんですけど、
それを先輩に、自分で部品を組み合わせれば、
安くて高性能のものが手に入れられるということを聞いて、
パソコン作りにチャレンジするんですけど、
それが結局服の時と同じで、
それを転売して、お金を増やして、
より良いパーツを手に入れて、良いパソコンを組み立てる。
それを自分が使うということなんですけども、
自分のパソコンを手に入れるのか、
そのパソコンを作って売ることがメインなのかよく分からないぐらい、
どんどんパソコンを組んで年間100台以上売ってましたね。
100台以上というと、やっぱり2000万とかぐらい感じてますか?
そうですよ。当時一番売れたモデルがだいたい1台、
メーカー制で20万ぐらいしてた時代に、
10万キル、5万から10万の間っていうのが最も売れるボリュームゾーンだったんですよね。
それぐらいのものをパッケージを組んで売るようにしてました。
ある意味年収500万か1000万かみたいな感じの話なんで、
ちょっと普通な大学生じゃないですよね。
そうですね。
すごいですね。大学は和歌山ですか?
実家から大阪の大学に通ってました。
なるほど。大学の選び方とかそういうのは何かあられたんですか?
学生時代あまりにも勉強しなかったので、すごい成績が悪くて、
特に一番悪かったのが、小中学校ってバスケットはしてましたけど、
一応文部両立じゃないですけど、勉強もそれなりにしてたんですけど、
中学の途中ぐらいから徐々に勉強も程々になってきた段階で、
高校入ったら全くしなくなったじゃないですか。
それで一番影響を受けたのが、僕らの時代って英語が中学からスタートなんですね。
ということは、算数とか理科とか社会って小学校1年生からやってますけど、
国語とか、途中から始まった英語が最も多数化になってて、
一番英語が苦手で、いつもオール2状態だったんです。
なので大学は英語の大学に行きました。
逆ですね。
今想像できないことが。
でも英語の大学に行くってことは、英語を最後高校3年の時に勉強するってことですよね。
そうなんですね。外大に行ったんですけど、英語が苦手なので、
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僕はその苦手な英語を勉強せずに、受験科目に英語がない大学を探したんですけど、
なかったんですよ。
つまり英語抜きで受験が突破できないことが分かって、
英語を勉強せざるを得なくなって、高3の時に勉強を始めたんですね。
そしたら、たまたまテレビで外国語大学の存在を知って、
あまりにもテレビで見た外大が楽しそうに見えたんですよ。
それで行こうかなと。
で、受かっちゃうわけですか?
いや、簡単に受かんないですよ。
進路指導というか先生に言ったら、基本無理だと。
そもそも模試で、模擬試験でもう判定不可、F判定、合格率が20%に満たないという状況で、
だから辞めたほうがいいって言われたんで、行くことにしました。
ちょっと大変、流石なるみ社長らしくての答えですね。
でかく受かっちゃうわけですよね。
無理だと言われると、ちょっとつい行きたくなって、無理と言われれば言われるほど。
で、しかも受けてもいいけど滑り止め受けなさいって言われたんで、
それを聞くと分かりました。滑り止め受けませんと。
で、一本勝負で浪人してもいいっていう。
それが多分一番自分の中で気持ちいい。
浪人したらさらにもう一個上目指そうと思って、もう一本滑り止めっていうのは無し。
で、実はね、6回受けました。
6回?
6年で受けました?
学部とか学科とか日程を変えて、同じ大学を6回受けました。
1年間で?
はい。
6学部みたいな感じ?
そうですね。日程も前期とか後期とか。
で、6校中何校受かったんですか?
6回目に受かりました。
すごいですね。
3月の後期日程です。
なるほど。でも受かるってことはやっぱり頭がいいからなんでしょうね。
その1年は全ての時間を英語の勉強だけに費やしてました。朝から晩まで。授業とかも無視して。
いや、なるみ社長らしいお話ですごいなと思うんですけど。
でも外語大に入ったらやっぱりまた商売始めちゃうって感じなんですか?
そうですね。結局、先ほど言ったパソコンの興味があって、やっぱりずっとそっちに関心が入っててですね。
勉強の方はですね、そんな状態で入ったんですけどギリギリで入って、成績順にクラスが振り分けられてるんですけど、一番下のクラスだって。
4年間ずっとだから、ずっと下のまま。上に上がることもできるんですけど、上がらず低空飛行をして、なんとかギリギリ卒業っていう。
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なるほど。卒業した後はお勤めには習えていらっしゃらないんですよね。
そうですね。中1からの将来の夢があって、教職になることが夢というか目標になってたので、
大学で教員免許を取りまして、教育実習をして無事教員になる寸前までいきました。
そのまま社長になりたいっていう感じじゃなく、本当は先生になられたんですか?
そうですね。高校が私立で、実は普通にコネというか、基本OPを優先的に取る方針なので、頑張って入れたんです。
やっぱり先生辞めた社長になろうみたいなきっかけは何ですか?
実習もそうですし、講師とか塾とかもいろんなところで教えることをしてたんですけど、だんだん勉強を教えることが本当に自分のしたいことかどうかわからなくなってきて、
楽しいんですけど、本当にこれが自分がずっとしたいことかがちょっとわからなくなって、
それよりは今やってる商売の方がもっと楽しいなって思い始めてたので、
一旦先送りにしようと思って、教員はまだ先でもいいんじゃないかというところです。
なるほど。一番最初はカーショップ、RMガレージが一番最初の御所ですか?
それはパソコンのビジネスをして、それでたまったお金で車を買ったんですよね。
今度車を買ってから、今度車の方に行くんですよね。
買いたいものがあるとその分野の商売をやっちゃうみたいな感じになりましたね。
そうなんですよね。
服もパソコンも車も。
そういうことです。
なるほど。それで車の御商売の方に行かれたと。
なるほど。何か事業を始められた時の目標とか何かはあったんですか?
目標とかないですね。全く。
それはこの御商売は車の部品とかの御商売になるんですか?
大学でその後車に興味を持って車をやっているうちに、車にどんどんお金がかかっていくようになって、
そのお金を稼ぐためにちょうどインターネットが出てきて、
ヤフーが登場し、ヤフーオークションが出てきたので、
そのインターネットを使って今度は車のいろんな不要になった車の部品だったり、
車そのものも例えば壊れて動かないようなものを、
インターネットを使ってリサイクル的に、
もう自分の中では、というか世の中的には当時ゴミのような扱いされていた車を流通させたら意外にお金になって、
それで味を占めて、そのうち自分でも車を5台以上、多い時は8台とか自分で所有して、
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日替わりでいろんな車に乗ったりするようになって、
車もたくさんあるし、そのままそれを販売したら車屋さんにできるような環境になっちゃったので。
お聞きするとすごい簡単そうにお話されるので、リサイクルの皆さんも驚かれていらっしゃると思うんですが、
ちょっと聞いてよろしいのかどうか分からないので、もしお話になりたかったらお断りいただいていいんですが、
ご老舗は心配になさらなかったんですか、そんな風にやってらっしゃると。
大変心配しまして、もう国交断絶状態になりましたね。
そうですか。和歌山まででもお近くでやられていた感じですかね。
そうですね、ずっと僕実家から出たことなくて、いまだにずっと実家暮らし。
実家暮らしだけど国交断絶なんですか。
もうその両親が一番嫌いな仕事が商売。最もやって欲しくない仕事が商売。
その中でももし業種を言うなら一番やって欲しくないのが車屋。
なるほど。
嫌いしてました。
社長らしいんだ。あまりにも面白くて、私が一番笑ってしまって本当に申し訳ないんですけども。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、ビー社さんはウェブ製作会社、創業6年目、スタッフ11名の会社様です。
新谷さん、はじめまして。こんにちは。
私はウェブ製作会社を運営しております。
昨年より業績低迷に転じてしまっております。
そこで、コスト削減を徹底的に見直しに踏み切り、私たちは仕事で実行いたしました。
削減できる部分はほぼやり尽くしたと言っても良い状態です。素晴らしいですね。
しかし資金繰りがどうしても厳しい人件費の削減方法を検討せずられない状況です。
弊社はウェブレックス財務を基本にしており、毎月の残業代は特に派生していない状態です。
現在考えている人件費の削減方法は以下の4つになります。
ボーナスカット、手当の配置、給与の一時カット、給与のベースダウン。
これは短期的に経費削減をして効果を出せないとても有効な手段であると思いますが、
人件費削減をすることで会社の体力まで落としてしまい、
今後収益が伸びない、無償業績悪化という状況になってしまってはもともともありません。
会社にとって大きな損失もあり、人件費の削減をどのようにして、
社員の理解を得ながら順調立てと行えばよいか、ご教示いただけますと幸いです。
何とぞよろしくお願いいたします。
大変難しい問題なので、できますれば細かくご指導したいので一度お越しいただきたいのですけれども、
おっしゃっていることはもう正しいんじゃないでしょうか。
何よりも社員たちにきちんと理解をさせなきゃいけないので、
まずはどんな状況だというのはすまびややかに全部説明した方がいいんじゃないでしょうか。
弊社も昔不正が起こったときに、もしかすると会社が厳しいというときに、
実は社員たちに緊急の朝礼を開いて会議を開いてみんなに説明をし、
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もし不安なやつは辞めても構わないということをご説明しました。
かつもしあれだったら社員たちに会社に出資してくれないかというのを言ったのが随分前ですが言いました。
中にはそうしましたら、出資もするけど辞めもするという社員が出てきて、
いやいや大丈夫だけどって言ったら、いやいやそれはさせてくれというふうにやってくれた社員までいました。
そういう意味ではきちんと社員たちにまず納得をさせるということが一番難しいし、
一番やらなきゃいけないことだと思います。
そのともに、ここをうまく突破すると将来こんなふうなビジョンがあってこんなふうになるはずなんだと。
だからみんなで頑張ろう的なことを示さなきゃいけません。
そういう意味で僕が出資した、うちの会社はウィズビザ出資した社員たちは上場するかもしれないということで、
一生懸命働いてもくれましたし、応援もいまだに辞めた社員でも応援をしてくださっています。
今現在私も上場準備して一生懸命上場できないかというのをやっていますが、
辞めても応援してくれる社員がいるというのは大変ありがたいなと思っています。
最近も辞めた社員から連絡があったりしますので、
そういうことで11名の社員の方々にきちんと理解をしてもらい、
そしてある意味助けてもらうし、ある意味頑張ってもらうと。
もちろん生活がありますので、そういう部分で難しいという方には残念ながらかもしれませんが、
他の会社に移っていただくと、こういうことをしないといけないんじゃないかなと思っております。
何よりもビジョンを立て、将来はこんなふうになって、
こういうふうになったら成功するからということをちゃんと示し、
そして実現していくことが重要なんじゃないかなと思います。
大変難しいお話ですので、冒頭もお話しましたが、
一応ご相談に来られてはどうかなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週。お楽しみに。