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社長に聞く!in WizBiz
WizBizの新谷です。先週の続きをお聞きください。
その側の大変有名企業でありますが、日立造船という素晴らしい企業で、ご就職をまずは、これは新卒で入られたということでよろしいですか?
そうですね。
何か日立造船を選んだ理由というのはあらゆるものですか?
関西はですね、だいたいもうメーカーというと、今もうちょっと難しくなっちゃっているけれども、
やっぱり今のパナソニックですね、松下三洋シャープ、これ五三家であったんですね。
で、だったんですけど、先輩で松下とか言っている人がたくさんいたんですけど、先輩に会うとですね、
こう名刺をもらうとですね、回転機事業部とか書いてある。打ちこえって言うからね。何やってるの?回転機事業部って何ですか?
回転機事業って言ったらくるくる回るものなんだよ。何ですか?扇風機だろ?洗濯機だろ?
あとドライヤーみたいな。それを何してるんですか?
全国の松下ショップというか、ナショナルショップというのがあったじゃないですか。今無くなりましたけど。
ああいうところをずっとね、ちゃんと説明に行ったりとか。
それでずっとやってるんですか?
うん、そう。
って言うから、あんまりやりたくないなと。
一つね、要するに扇を売ってですね、ドライヤーって今でこそ安くなったけど、もうちょっと昔は高かったと思うんですけど、
でも1万2万3万とかね、洗濯機だって何万円のものをね、そんなの売ってるの嫌だと。
だからやっぱり、孫正石さんじゃないけど、1兆2兆までいかなかったけど、船1隻1億ドルだったんですね。
で、完成で今230円くらい、4人だったんで、やっぱり1隻230億と。
で、海外のプラントとかやるとですね、それが2億ドルとか。
やっぱりこういう大きなね、ビジネスのところが私いいと思ったんで、やっぱりそういう家電系はやめて、
大阪にあるような住居を頂戴って言ったら日立動産になったんで、そこにお世話になったということですかね。
お入りになられてるんで西森社長、やっぱり頭もよろしかったんだと思いますが、
その日立動産を4年くらいで辞めてらっしゃるんですね。
そうなんですよ。
で、私が83年にですね、社会人になってるんですけども、
85年の9月にですね、プラザ合意って言ってですね、要するに5カ国のですね、先進国5カ国ですね、今G7とか8とかやってますけど、
5カ国の財務大臣がニューヨークのプラザホテルに集まって、国費会談をやって、
要するにアメリカのドルがですね、強すぎるんで、もっとですね、要するに弱くしなきゃいけないと。
やはり円高にしなきゃいけないという会議をしたんですね。
で、それでだいたい230円か40円くらいのレンジで動いてた為替がですね、
まあ週末130何円だったんですけど、週明けに来たらですね、いきなり10円円高になったんですよ。
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で、そこからあるよあるよという間にですね、なんか160円になったんですね、年末ぐらいには。
で、大造船という会社は外科打点で売り上げが立ったんですね。
それも要するに延べ払いって言って、売りかけ金なんですよ。
それがだいたい5000億円くらいあって、当時私それの管理をやってたんですけども、5000億ね、
要するに入ってくるとですね、230円で売ったのが200円とか180円で入ってくるわけじゃないですか。
30円とか50円とか損するわけですよね。
それがもうなんか半期で5000億とか。
で、船っていうのは1億ドルで受注するじゃないですか。
で、今日受注してですね、明日引き渡しできないんですよ。
引き渡しするのは3年後とかそうなるんですね。
だから240円の前提で受注した船がですね、要するに売り上げるときには180円で上がる。
ということは1億ドルですから50億売り上げが少ないんですよ。
だいたい1割ぐらいしか営業利益ないんで、そうすると全部赤字なんですよ。
船が浸水式でドーンと入るとですね、あ、30億損したと。
また今日行くと30億損したと。
で、入ってくるお金も全部損してると。
すべて損なんですよ、毎日。
それで社員が1万7000人いたんですけども、
1千億円ぐらい赤字になっちゃってて話にならないっていうので、
タイリストだと銀行さんが乗り込んできてね、
3羽銀行さんがメインだったんですけど、
役員クラスが乗り込んできて、タイリストだと。
毎日のように経営会議だとか役員会やってて、
今日タイリストの最終決定が出るという日に財務長が言ってですね、
お前らちょっと4人残っておけと。
明日から銀行で全部説明しに行かないといけないから残っておけって言われて、
残ってて、で降りてきたんですよ、夜の8時ぐらいに。
会議終わって。
で、後ろどうなりましたって言ったらですね、
まあとりあえずいいけどちょっと飲みに行こうって言われて、
まあしょうがないなと。
なんか飲まないと話せないような気分だったんですよね。
で、こういつも行ってるあの居酒屋さんに行ってね、
で、第一声が4,000人になったからって言われてますね。
だから1万7,000人の社員がいました。
で、4,000人になったからって言われたんで、
普通だとですね、4,000人リストラすると思うじゃないですか。
4,000人リストラですか、でも結構大変ですね、どこの工場を閉めるんですかって言ったら、
バカヤロー4,000人になるんだよって言われて、
え、1万3,000人ですかと。
それできないでしょとか言ったら、
いやそれをやらなきゃいけないし、
まあ一応やるっていうプランも一応決まったと。
で、明日の朝ね、
社長室のやつが全部説明くるから、
明日の朝からね、銀行30何個付きあるけど、
まだ全部説明ってこない。
説明ってこれ説明できないですよみたいな話で。
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で、まあしょうがないんで、
まあそんな話になって、
それがまあプラザ合意1年後ぐらいですかね。
で、そこから1年間も経たなかったんですけど、
これはもうね、まだ26ぐらいだったんで、
この会社だめだという話。
もう同じ財務部とかいてもね、
要するに女性とかはですね、
全部リストラ。
まあリストラといっても実質はですね、
当時は連結決算はしてないんで、
1万7千人のうちの要するに、
1万人ぐらいは実際工場を閉めたりするんで、
リストラなんですけど、
あと3千人ぐらいは子会社を作って、
そちらに一応転席して、
まあ派遣みたいな形ですかね、
に切り替えるんですけど、
そういう形で子会社をいくつか作って、
7千人ぐらいの会社だったんですけど、
しかし造船の名刺を持てる人は4千人になってしまったんですね。
それでまあこの会社もうだめだねと。
5年ぐらい毎年多分500億ずつ発火口が出るので、
もう諦めようと思って、
転職活動を始めたんですけども、
だいたいもう円高になったら、
メーカー全部だめじゃないですか、日本は。
それでもうだからどうしたらいいのかなと思って、
日経新聞の求人のデータを見たら、
証券会社が一斉に求人してたんで、
まあちょっとじゃあ証券会社に行こうということで、
転職して証券会社に移ったと。
和光証券、今の水保証券だと思うんですけども、
この後バブルですよね。
そうなんです。これはびっくりしましたね。
日立造船にいるときにね、
もう給料もカットされてましたよね。
給料は小給どころか1割カット。
ボーナスもまあ1ヶ月ぐらいでないと。
そんな状況だったんですけど、
和光証券に3月1日に入社したんですね。
そしたらもう6月の1日か2日かわからないですけど、
証券会社って6月1日、12月1日に商用なんですよ。
3、4、5で3ヶ月しかいない。
そんなのにですね、仕事なんかしないですよね、わからないから。
でもなんか100万円って結構くれるんですよ、ボーナス。
隣にいた女の子に言ったら、
どうなってんの、この証券会はっていうのはですね、
もうバブルの端っこで。
もうなんかこんなに世の中違うのかと思いましたね。
当時の証券会社にいらっしゃった方、新卒の方はみんな
3ヶ月ぐらいしか働いてないのに100万ボーナスで。
新卒じゃなかったけど、一応私4年目だったんで、
4年目扱いだったんで、そんな感じでしたね。
だから周りを聞いてるとそういう方がいっぱいいらっしゃって、
中東でも新卒でも結構そうな。
だからみんなやっぱりそういう不協業種と円高で厳しくなってる。
まあ北朝鮮だけじゃなくて、メーカーから転職してきてる人も多かったんで、
なんか前の会社と全然違うよねみたいな感じで
中東で集まって飲んでてですね。
日本苦しいのにね、なんか株高がおかしいなみたいな。
でもその時私は、
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これはユダヤの陰謀とかよく言うじゃないですか。
これよくわかったんですけども、
円高になったと。
北朝鮮も1000億の赤字になったんですけれども、
実は500億しか赤字に出なかったんです。
っていうのは株を持ってましたよね。
要するに持ち合いの株があって、
持ち合いの株を要するに同日売買で売って買ってするとですね、
それで利益が計上できたということなんですけど、
売り切りをした人もいるんですね。
金が必要なんで。
株がどんどん下がってたんで、円高になって。
そこを要するに外人買いがドーンと入ったんです。
ドーンと入った後に、
また今度円安に戻ってきたんで、
外人はやっぱりそこでずいぶん儲けたわけですよね。
だから要するに円高にしておいて、
国境にしておいて、持ち合いの株を放出させて、
それを外人が買って、その後円安にしてですね、
儲けるというね、ユダヤの陰謀だと。
もう証券会社に行って思いましたね。
なるほど、そうでらっしゃいますね。
スイスとかに赴任されてらっしゃるんですね。
そうですね。
当時はもう本当に外国人の日本株買いがすごかったんで、
スイスにも証券会社に行って、
銀行と証券会社で多分30から40ぐらい会社出てましたね。
証券会社だけでも十何社出てましたね。
やっぱりスイスって言うとプライベートバンクってのがあるんですけども、
結局世界の富裕層のお金がスイスに集まってきてますから、
それを受けているプライベートバンクがグローバルに運用すると。
その時に日本株が上手かったんで、
その時に日本株が上手かったんで、
その時に日本株が上手かったんで、
その時に日本株が上手かったんで、
日本株に投資する投資家がいたんで、
日本株に投資する投資家がいたんで、
日本株に対して日本株を投資したりと。
あるいは日本の企業がスイスでマランドサイトとか、
日本の企業がスイスでマランドサイトとか、
展開者さんを出していくので、それを販売したりという仕事でしたね。
その後、ウェーダーニュースに移られるときは、
その後、ウェーダーニュースに移られるときは、
バブルの崩壊はどうですか?
その時に私はスイスから帰ってきて、
翌年、ちょうど1年ぐらい経ったら、
今度またロンドンに行ってくると言われたんですけども、
帰ってきた時にね、私がやってた仕事というのは、
帰ってきた時にね、私がやってた仕事というのは、
結局、昔、飛ばしというのがあったじゃないですか。
結局、飛ばしの処理をやってたんです、1年間ずっと。
もういろんな会社に評価層の塊みたいになってて、
もういろんな会社に評価層の塊みたいになってて、
その企業はダメだなと。これもう持たないなと思ったんですね。
それでロンドンに行ったらですね、
行ってもいいんですけど、またそれの延長線上をやらなきゃいけなくて、
どこかでやっぱりうまくいかなくなったら、
証券会も危ないっていうので、早くやめたほうがいいと。
ロンドンにディレイが出たというか、
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内全を出た翌日に事業を出して、やめました。
なんかちょっとロンドン行くのはもったいない気もちょっとしてしまうんですけども。
いや、確かに海外駐在員というのはですね、
国内にいるよりもリッチな暮らしはできますけど、
それと自分の人生の将来を考えたときに、
向こうで会社がおかしくなったら困るじゃないですか。
向こうで会社がおかしくなったら困るじゃないですか。
向こうで会社がおかしくなったら困るじゃないですか。
だからそれはあらかじめ予感はしてましたから、
だからそれはあらかじめ予感はしてましたから、
もうその後ね、ヤマイチさんとかサンヨウさんとかだし、
大手といえどもね、みんな資本提携でどっかに助けてもらうという風になりましたよね。
ワコンもそうですね。
逃げるが勝ちみたいな感じですね。
選ばれたのはウェザーニュール。
今では大変有名な企業で。当時はベンチャー企業で。
でもそうですね、400人はいましたからね。
でもでもそうですね、400人はいましたからね。
もうベンチャーとは言えなかったですね。
国内400、海外300くらいいたので。
ベンチャーはベンチャーですけども、
中堅クラスの会社ですよね。
選ばれた理由は?
選ばれた理由って、
これからそういう時代が来るんだろうなって、
お電気がビジネスになるんだろうなっていうのと、
私イブラリスっていうところに住んでるんですけど、
ウェザーニュールは幕張にあったんですね。
ほとんどの人は東京に向けて通勤するじゃないですか。
幕張って千葉の方なんで、電車空いてるんですよね。
だからみんなこっちにホームの反対側にいると、
もうホームあふれんばかりの人がいると。
こっちスカスカで座れると。ざまあみろと。
みたいな感じでですね。
そんなに満員電車乗って疲れていかなくても、
楽勝で行ける方向がいいだろうということと、
これからのビジネスだということで。
それもちょっとご縁があって、
社長に会ったらすぐ来いって言われたので。
でもそれは安易な道を選んだなというのはすぐ分かりましたけどね。
そうですか。その安易っていうのはどういう?
96年当時ですね、そんなに携帯電話っていうのはやっとできてたんですけど、
ドクモさんとか英雄さんとか。あんまり持ってる人いなかったですよ。
パソコンも証券会社いたんですけどね。
蚊に一台とかね。自宅もパソコンもなかったし。
やっぱりウェザーニュースに入ったらですね、
全部マックだったんですけども、
みんなマックのパソコン当日から用意されてて、携帯電話も用意されてて、
これはすごい会社だなと。
行った時から会社から携帯を与えられるなんてね、
これいいなと思ってたんですけど、
すぐにですね、なんでみんな携帯持ってるのかよく分かったんですけども、
入社したのが何曜日だか知らないけど、最初の土曜日、日曜日かな。
朝7時に社長から電話がかかってきたんですね。
日向くん今どこって言うんですよね。寝てるに決まってんだろうと思ってね。
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いや寝てますとは言えないんで、いやちょっと今起きて会社に行こうと思ったところです。
分かった。10時に会社に行くから頼むねって言われてですね、
その時分かったのは、要するに土曜日も日曜日もちゃんと会社に来いってことだなと。
でもその面接の時に言われたんですよ。
ウェザー寝ばスリープだからと。
うちの会社は24時間、365日ビジネスだからと。
それちゃんと分かってるって言われたんですよね。
それは今もね、いろんな災害が多いんですけども、
土曜であろうが深夜であろうが台風が来たらですね、気象予報士はね、
市役所とか地方自治体は契約してますから、
それはもう仕事しなきゃいけないじゃないですか。当たり前だと。
それはもう現場の話だと思ったらですね、
現場の話だけじゃなかったっていうのがすぐ分かったですね。
もうそこからもう土曜も中央もずっと会社行ってました。
今で言うちょっとブラックという感じで。
だから新田社長はね、東京都内のそういうITの会社に行くとですね、
ウェザーニュースにいましたって言ったら
あのブラックカンパニーにいたんですかって、
おっしゃる社長さんがこれまで2桁やっていらっしゃいました。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
K様、35歳男性、創業3年目だそうです。
毎週拝聴してます。こんにちは。
こんにちは。
弊社は創業3年目のウェブマーケティング会社です。
行政校長に伴い、2ヶ月ほど前に初めて社員募集をかけまして、
現在中途採用で新しい仲間2名目、総勢5人のカンパニーとなりました。
素晴らしいですね。
しかしまさに今、社員教育の面で問題が発生しております。
これまで創業メンバーのみで業務を行ってきましたので、
人材育成の仕組みを全く持って作ってきておりませんでした。
そのため、私も含め、メンバー全員、日々手探りで指導をしており、
一時的に作業効率と業績が悪くなっています。
新社員さんがウィズ株式会社を創業されたときに得目のあった
教育事例や現在採用する社員教育制度がありましたら、
ぜひ教えていただきたいです。
何卒よろしくお願いします。
創業3年目ですので、よくわかりますし、
おそらくやっぱり2名増えますと指導の時間が増えますので、
業績が下がったり、作業効率が落ちたり、
生産性が落ちてしまったりすることは、よくあることではないでしょうか。
社員を去っ取ったらすぐに売上げになるなんてことはありえないですね。
そういう意味で、私どももウィズビブも創業当時はそういうのは苦労しました。
ですので、一番最初に手がかったのは経営理念を作って、
それを浸透させるというのに大変苦労しました。
そのことにより、うちの会社には合わない社員が辞めていったり、
またはうちの会社に合っている人間が入ってきたりというのが起こっております。
さらに人事評価制度をきちんと作り、そして就業規則も作りということで、
やはりこの3点が一番重要なんだと思います。
それができた後に教育プログラムということになりますが、
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教育プログラムは営業マン、基礎講座とか、
決算書の勉強会とか、いろいろな研修が入ってきました。
しかしながら、それを勉強したから優秀になるかというのはちょっと簡単ではないですね。
通常やはり勉強した、勉強になったといって、以上。
これが普通じゃないでしょうか。
それを日々の仕事に生かしていくというと、やはりOJTが一番重要なんじゃないかと思います。
私どもでは朝礼は毎日やっており、朝礼のときに経理年なんかを読んで、
そして社員が読んで、そして私がコメントをしていくみたいなことをしていますし、
会議も毎週あり、私が指導を、それぞれメンバー向けに指導をするみたいなことをしています。
ある部署は部長が指導をし、部長代理が指導をし、そして私も指導をすると。
こんな体制をとっています。
日々の活動の中でメンバーが少しずつ教育され育っていくというのが教育プログラムというものでございますので、
もちろん研修制度も用意した方がいいですが、
研修制度とともに日々のOJTというのが大変一番重要なんじゃないかなと思います。
そういう意味で、創業メンバー3名の方々で2人をどうやって教育するのか、
何年後にはどうなってもらうのかみたいなことを考えて教育プログラムを作られるのはいいんじゃないかなと思います。
かつお2人の方々にぜひ目標なんかを持たせたり、
自分はこう成長したいなんていうことを考えさせたりということも重要なんじゃないかと思います。
私もライフプランというのを年1回作らせ、
そしてライフプランについて私がいちいち面談をし、
お1人お1人面談をし、
そして社員の人生の幸せを応援するみたいなことまでやっております。
そんなことになると意欲的になってきて、
自分はもっとこうなりたいとなって思ってくると、
日々の活動ももっと精算してあげよう、
もっと達成させようというふうになってくるんじゃないでしょうか。
そんなことを細かくいろんなことを入れながら、
教育プログラムを組んでいっていただくのがいいんじゃないかなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。また来週お楽しみに。