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2018-04-04 21:26

第65回 吉田直人氏(株式会社イオレ代表取締役社長)【前編】

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今回は、PC/スマートフォン向け各種サービスの運営をする、株式会社イオレ代表取締役社長吉田直人様にお越しいただきました。

吉田社長は、1995年に咽頭がんの発覚、1997年に倒産そして自己破産という経験をされています。これらの苦難を乗り越えて、2001年に株式会社イオレを創業、2017年12月に東証マザーズに上場を果たしました。これらの経験を踏まえて今経営者の皆さんに伝えたいことは、「明けない夜はない」という言葉。大なり小なり、迷い悩みながら進んでいる経営者の皆様の大きな勇気となります。ぜひ、インタビューをお聞きください!


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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社イオレ代表取締役社長 吉田直人様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
北海道は函館市生まれ、立教大学を卒業後、広告代理店入社。
2年後に広告代理店編集プロダクションを創業。
その後、有料職業紹介業を創業。
ゲームの会社を創業。
その後、癌を発症されましたが、ゲームのほうは大ヒット。
その後、ゲームの会社を倒産され、自己搬産され、
その後、現在のザッパラさんを創業し、株式会社イオレを創業され、
そして、マザーズに上場されている、大変素晴らしい活躍もされていますし、
いろんな経験もされている、私の尊敬する社長様の一人でございます。
吉田社長、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは、ご経歴等をご質問していきたいのですが、
函館ご出身ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
特に、そんなにスポーツができるわけでも、勉強ができるわけでも、絵が得意なわけでもない、
普通の子だったですね。
そうですか、上場もされているので、すごく…
いえいえ、本当に普通の子ですね。
そうですか、そうですか。
高校も函館でいらっしゃいますか?
はい、函館でいらっしゃる高校です。
なるほど、じゃあ頭は大変良かったということですか?
どうなんでしょうね、でも入ったら、気がついたら後ろから2番目とかですね、
非常に学校の成績は良くなく、劣等生と言った方がいいような、そんなような高校時代でしたけど。
でも函館でいらっしゃると言うことは、中学時代は結構勉強ができたんじゃないですか?
いや、やっぱり普通なんですよね、特にそんなにすごいあったわけでもなくて、
中学時代の真ん中ぐらいの成績みたいな感じで。
函館でいらっしゃるを選んだ理由というのは何かあられたんですか?
特にないと言いますか、うちの中学校から結構行くメンバーが多かったんですよ。
ですので、僕もとりあえず受けようという、非常に何かすごくモチベーション高くいったわけではないんですが、
受けたら受かっちゃったという、そんな感じですかね。
なるほど、すごく活躍されているんですが、ちょっと違うのかなと思うと割と普通だということなんですが、
その後大学は立教大学にお勧めになっていらっしゃいますが、
立教大学を選ばれた理由というのは何かあられたんですか?
これもですね、特にどうしても立教に行きたかったというわけではないんですね。
ですので、流れで何校か受けた中の一つが立教だったということなんですけれども、
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結構若い頃は、僕は本当に普通の子だったんですよ。
じゃあ企業とかを目指されたいというのは、いつぐらいから目指されたんですか?
ただ企業に関して言っちゃいますと、実は私の実家が商売をやっていましたので、
子供の頃から家を継ぐんだよ、みたいなことを祖母とか祖父に言われてまして、
まあ親にも言われていたんですが、
いつかは箱立ての実家の商売を継ぐんだろうなというのが漠然とそのイメージはあったので、
だから普通だったんでしょうね。
なるほど。
何かそこに戻るんだろうというのがどこかあったと思うんですね。
なるほど。立教大学時代はどんなふうに大学時代を過ごされましたか?
そこが激変したのが大学時代で、うちの父の家族が、
大学に入ってから傾くんですね。
それまでは正直言いまして、地方のちょっと裕福な、
あまり努力をしない子供みたいな感じだったんですが、
大学に入って、実は仕送りとかが来なくなっちゃうんですよ。
そうなるとしょうがないんで、授業料も少なくなって、
日々の生活費もアルバイトしないといけなくなりまして、
そこから気がついたら大学1年生の夏過ぎから、
アルバイトをしているのか大学生なのかよくわからないような、
そんなような状況に陥っちゃうんですよね。
じゃあ結構バイト生活ばっかりという感じですか?
バイト生活ですね。もう大学生の時期は、
どんなバイトをしていいのかわからず、
家庭教師のバイトをやってみたり、塾の先生をやってみたり、
普通に飲食店で働いてみたり、さまざまなバイトをするんですけど、
一番ホテルのですね、赤坂にある非常に有名な
新潟のホテルの客室がっかりを、夜勤なんですけど、
やりだすんですね。
なるほど。じゃあ結構ご苦労も大学時代はされたという感じですか?
全く想定していなかったですからね。
ある種平々凡凡と暮らしていた地方のお坊ちゃんみたいな子が
東京に出てきて、普通にへらへらと三原サークルに入って、
楽しい大学生活を謳歌する予定だったものが、
急に現場に入って、
楽しい大学生活を謳歌する予定だったものが、
急に激変しちゃいまして、急に苦学生になっちゃうという、
そんなような状況だったので、
本当に人生はよくわからないですよね。
なるほど。その後、高校下り店に就職されていらっしゃるんですが、
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ご卒業後、高校下り店を選ばれた理由というのは何か?
大学時代に、なかなかアルバイトだけの生活をしていますと、
当然、同級生や他の大学のお友達なんかは、
キラキラと楽しく大学生活を送っているわけですね。
それを見ると非常に羨ましいなと思う反面、
自分でいろんなことができなかったんです。
大学3年生ぐらいの時ですかね、
当時世の中は非常に大学生ブームになりまして、
大学生を使ったマーケティングの仕事というのが
至る所で非常に花盛りになるわけですね。
その時に僕もまたまたそういうような環境に
身を置くことができまして、
僕らはちょうど友達がバンドでデビューしたんですよ。
それでレコード会社さんのお手伝いといいますか、
プロモーションのお手伝いですね。
自分の友達にもありましたので、
彼らが売れてほしいというのもありましたので、
そういうお手伝いをして、
それがイベントの仕事が非常に多かったんですね。
それが非常に楽しくて、非常に商売につながったものですから、
そのままの流れで、僕はイベントのお仕事ができるような、
そんなような会社に就職したいなというふうに思ったわけですね。
で、就職活動の結果、そうなっていくんですけど。
なるほど。
広告代典は2年ぐらいでお辞めになっていらっしゃるようなんですけども、
結構勉強になったものなんですか?
えっとですね、これまた、
当時イベントをやりたいんだよということで、
新卒の会社説明会とかOB訪問のときに、
いろんな方にお聞きしたところ、
イベントをやるんだったらSPだね。
っていう、電通とかのSPに行けばイベントできるよ。
それは今でオリンピックとかワールドカップみたいなものは、
昔代理店のSP部門だったと思うんですよね。
それで何気なく先輩がそんなことをおっしゃってまして、
僕はずっとSPっていうセールスプロモーションという言葉だけが
頭の片隅に残っちゃってて、キーワードとして。
で、就職活動をしてですね、大手は実はほとんど落とされちゃうんですね。
なめきだったんだと思うんですけど。
で、結果的に拾っていただいたのが、
SP専門の会社だったんです。
それで、クランさんも非常に一流のクランさんばっかりで、
期待に胸を膨らませて入るわけなんですけど、
今その会社もないんで時効だと思うんですが、
入ったところ、全然僕の考えているSPとは違ったんですね。
メーカーさんのプレミアムグッズというんですか、
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おまけを作ったりとか、そんなようなスーパーマーケットで
イベントをやったりとかですね。
同じイベントでも運営の差でして、
それで非常に悩んでしまいまして、
正確に言うと1年で辞めるんですけど、
そんなようなことになってしまいました。
なるほど。で、辞めてすぐ創業でらっしゃいますか。
創業というよりもフリーで仕事を始めた感じですかね。
1年で会社に辞めてから、そこから自分でフリーで仕事を始めることになります。
それで大体1年ちょっとぐらいですかね、
経ってから会社にするわけなんですけど。
ある意味、たった1年しか就職しないで事業を起こすというんですか、
フリーだったとしても、個人事業の人だったとしても
何か事業をやるということに、
何か怖さとかそういうのはなかったんですか。
今の大学生とか、今の若い子たちの企業って非常に理念、理想が高く、
いろんなことを考えてやられるんですけど、
いろんなことを考えてやられる人も多かったですが、
ちょうどその頃ってバブルの頃だったんですよ。
ですので、実は僕は若い頃の正直言いまして企業に関しては、
非常に今と違って志とか理念、理想とかというのはなくて、
アルバイトの延長線上だったんですよね。
普通にアルバイトをして生活をする、
もしくは次にどこか何かをするまでの間みたいな感じの感覚で
仕事を始めても、世の中はものすごいいっぱい仕事があって、
どんどんどんどん至るところからいろんな仕事がふって湧いて出るような、
そのような時代だったので、時代背景も良かったと思うんですが、
僕らみたいにあまり志がなくても、普通に商売になっちゃったんですね。
ですので、怖さとかというのは全く無縁の世界で、
いただく仕事を一生懸命こなすみたいな、
それの連続というか、そんな日々がずっと続いていった、そんな感じですかね。
なるほど。広告代理店の事業は何年くらいやられたんですか?
最初は広告代理店と申しますか、実は私は一番最初は編集の仕事を始めたんですね。
講談社さんとか、収益者さんとか、大手の出版社さんが多かったんですが、
そちらの様々な雑誌に対して、当時の若者がこんなことを考えている、
あんなことが面白いですよね、みたいな、要するに自分の目線で捉えられる、
そんな企画を提案させていただいて、それでページを編集の方と一緒に作っていくわけなんですけれども、
すごい個人編プロといいますか、企画屋さんとはまたちょっと違うんですかね、
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みたいな形の仕事をどんどんどんどん拡大していくわけです。
なるほど。それは何年くらい?2年くらいですか?
結構やってましたね。3,4年くらいやってたんじゃないですかね。
一番最初に弊社に入った社員もライターさんですからね。
そのとき出会ったライターさんが弊社の第一号社員という形に。
今のじゃないですけどね、当時の会社のですね。
その後、1991年にシオンコーポレーションさんというグループが、
職業紹介所というんでしょうかね。
職業紹介というよりも、受け負いとかの派遣業に近いんですが、
今その会社はですね、知り合いの会社と合併しまして、
一打のマザースに上場しましてですね、
今はくおどプロダクツさんの100%婚外社として、株式会社セレブリックとして、
まだ実は存続しているような次第なんですね。
その会社を編集プロダクションといいますか、そういうのをやりながら、
もう一個作ろうみたいな、そんな感じの雰囲気だったんですかね。
やはり当時、人材派遣といいますか、そういう職業紹介といいますか、
受け負いの事業といいますか、
非常に正社員のところから人材が流動化していくような、
そんなような状況のときでしたので、数多くのいろんな会社が出てきたんですね。
その中で、僕らもですね、新たなチャレンジという形で、
全く業種業態関係ないんですけれども、
やはりこの会社の中で、
新たなチャレンジという形で、全く業種業態関係ないんですけれども、
変な足ですけれども、身を身真似でやったところ、うまくいってしまうんですね。
いってしまうといいますか、いくんですね。
いわゆる編集プロダクションといいますか、会社もやりながら派遣の会社もやるという。
新規事業の一環として立ち上げるわけなんですけれども。
もう一個、ゲームの会社も同じ年ですか。
それからちょっと経ってからですかね。
作られていらっしゃって、これもいわゆる創業になる。
ゲームに関しては、もっと無茶な立ち上げだったような気がします。
ただ、ゲームに関しては半年間ぐらい悩むんですよ。
編集プロダクションという形でスタートしまして、そこから広告代理店のようになり、
神沢家の会社をつくり、事業としては順調に成長していくわけなんですけれども、
先ほど言ったとおり、最初はもともと理念も理想もない形で、流れの中で私は起業してしまったので、
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自分が一体本当に何が一番やりたいのかなというのを、
その年になってはたと立ち止まっちゃうわけなんですね。
半年間ぐらいすごく考えまして、考えて考えて出た結論が、
結局ゲームが好きだと、ゲームをつくろうということで、
当初の目的としては、任天堂さんがやっているスーパーファミコン向けのゲームがつくれるような会社をつくりたいと、
そんな急に無謀なことを考えて会社をつくるわけなんですね。
普通の社長さんたちは、三つの系一遍にやるみたいなものを経験していらっしゃるということですよね。
そうですね、たまたまうまくなかなか新規事業が立ち上がらないというふうにお聞きはするんですけど、
実際今の自分の立場でいうとそうだなと思いますが、
当時は多分勢いだけで会社をやっていましたし、
やっぱりうちの元の社員もみんな優秀だったんだと思うんですね。
若くてチャレンジをしたいというような、非常にアグレッシブなメンバーも揃っていたのかもしれません。
なるほど、そうですか。
本日の3分コンサルティングは、これはA社様ですかね、AとかBとか書いていらっしゃいませんが、
A社様とさせていただければと思います。
こんにちは。私は新卒採用を務める人材系の会社を経営しています。
10年前に学生時代の友人3名と起業し、創業時は会社を起業にすることを精一杯で、
家にも帰らず泊まり込みで仕事をしてきました。
今は30名ほどの社員を掛かるような状況も見据えています。
残業時間の決済など、指摘が入ることを恐れ始め、
労働時間をかけることで成果を出せばいいという考え方を社員にも求めるわけにはいかなくなっています。
そこで決まった時間の中で成果を出すための運営を主導に迷っています。
成果を出すための運営は、がむしゃらに仕事がいいという考えから抜け出され、
自分に問題があるのはわかっておりますが、新大社長の会社では、
社員に仕事のスピード、復興目標を上げるための指導をどのように行っていますか、
よろしくお願いいたしますということでいらっしゃいます。
労働基準法は大変厳しいですし、上場目指されたのは絶対、
労基所さんに踏み込まれるようなことがあったら上場を延びてしまいますので、
先に行ってしまいますので、まずは労働基準法を守ることは絶対だと思います。
ということにはご理解いただきたいなと思います。
未上場であっても、上場であってもそれは変わらないですね。
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さらにスピードという話ですが、やっぱりまず成果主義にされたらどうでしょうか。
私の会社なんか、私がはっきり言っているのは、
使えない奴は24時間365日働け、使える奴は年1日働いただけれども、
年報分全部お金払うと、こういうふうに言っています。
ですので、うちの社員はそんなことを言っていますと、
すごい時は、私が会社の近くで6時から職人に行って、
8時ぐらいに終わって、8時20分ぐらいに会社に戻ったら真っ暗で、
鍵を自分で開けて、ちょっと忘れ物をしたので、
自分でゴソゴソとやって帰ったことがあります。
会社に長くいても損するという感覚をみんなが持っていることで、
みんなが帰るようになっていくわけですね。
成果を出せばいいんじゃないかと。
副業をやっているメンバーなんかは、
6時ぴったしには次の副業に行きます。
うちは副業OKという会社ですが、
これも3分殺されてもお話しますが、副業推奨ですね。
社長の気持ちになるために副業をやりなさいという会社ですが、
そうなってくると、皆さん早く帰るようになると。
こんな感じですね。
さらに私どもは上場するんだったら、
普通の会社のスピードの10倍のスピードで行かなきゃいけないというのは
はっきり言っていて、日本にも10倍のスピードでできたかどうかを
毎日毎日書くということをさせています。
みたいな形でですね、
成果主義にするとともに、
とにかく早く帰っていいと、
そんなに仕事をしなくていいんだと、
成果を出せばいいんだというような主義にしたほうがいいんじゃないでしょうかね。
昔、中間管理職の社員が私に部下が寝坊したりとかすることに対して、
よく休んだりすることに対して、問題だみたいな発言をしたことに対して、
私がその部下に言ったことは、
成果を出していれば来なくてもいいんじゃね。
そんなことを言いましたら、やっぱり考え方が合わなかったんでしょう。
その中間管理職は辞めてきましたけれども、
私が言ったことがあまり理解できなかったみたいですが、
その規律を持つべきだとか、
そういう考え方も確かにあるとは思うんですけれども、
成果を出していれば、何でもやっていいわけではないですが、
ある一定のルールの中でやっていれば、
特に問題はないというふうに、
した方が時間数というのは減っていくんじゃないかなというふうに思います。
逆に言えば、成果が出なかったら、
やっぱりそれはそれで給与で反映をしていくべきだろうと、
こういうふうに思います。
そういう意味合いで、
ルールというのはきちっと守られつつ、
成果主義で、かつスピードが重要なんだ、
スピードが一番問題なんだという意思づけということが、
一番重要なんじゃないかなというふうに私自身は思っております。
本日の3分コンサルエンスはここまで。
また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
21:02
本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週。お楽しみに。
21:26

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