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2023-03-01 26:03

第321回 オーウェン・マホニー氏(株式会社ネクソン代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社ネクソンのオーウェン・マホニー社長にお越し頂きました。

サンフランシスコ出身で、大学で日本語を学んだことがきっかけで来日。
日米の商習慣の違いに戸惑いながらも、業績を伸ばし続けるお姿から、経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ネクソン代表取締役社長、
オーウェン・マホニー氏様でいらっしゃいます。
今日は外国の方ということで、ちょっと私、相当緊張しまして、
ミスがかなり目立ってまして、噛み噛みで全部いくんじゃないかと思いますが、
実際の皆さんはちょっと噛んでいるのも笑って、うまくやり過ごしていただけると嬉しいなと思っております。
株式会社経歴の方をご紹介させていただきます。
カリフォルニア州、サンフランシスコ生まれでいらっしゃいます。
カリフォルニア大学バークレコンテ、アジア研究専攻の学士御職。
その後、クラリス、日本法人、ポインキャスト、エレクトロニックアーツなどにお勤めになった後、
株式会社ネクソンの代表取締役社長に御就任なさっていらっしゃいます。
ネクソン様は、2011年に当初一部に上場している上場企業様でいらっしゃいまして、
今現在はプライム市場の上場企業でいらっしゃいます。
マホーニ社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
まず最初のご質問ですが、ご出身はサンフランシスコとのことで、
日本とアメリカ、学校のあれが違いますが、小学校、中学校、日本でいう小学校、中学校時代は
どんな少年だったかお思いでございますでしょうか。
興味のあることと興味が全然なかったことがありましたので、それを差別して、
私がその時にいろいろ、例えば、歴史とか、いわゆる英語の小説とかを読んだりすることはほとんど興味がなくて、
コンピューターにすごく興味がありまして、できるだけ多くコンピューターを教わることができましたら
それをやりたかったんですが、ですから、数学とかフィギュースとかそんなことは私が大好きだったんですので、
ですからその関連のある部分に成績は良かったんですけれども、
その小説とか、そのリトラチュアとか歴史はあまり、成績はあまり良くなかったんですけれども。
ありがとうございます。
じゃあ、もう小さい頃からコンピューター、いわゆるパソコンとかはよく触っていらっしゃいますか?
パソコンはよく触っていらっしゃいます。
特に13歳くらいから、私の父親は、いわゆるApple2、これはMacintosh端末の7年前くらいに、
私の父親はApple2を買ってオフィスに放っておきました。
その時に最初のいわゆるスプレッドシットプログラムがありますけれども、
それはVisiCalcというスプレッドシットがあったんです。
それはExcelのずっと前の話だったんですが、冒頭のスプレッドシットでそれを試してみて、
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使うことは私がすごく嬉しくて、できるだけ彼のオフィスに行って、
VisiCalcを勉強するようにやりましたので、非常に楽しかった。
VisiCalcは特にスプレッドシットに興味があったということではなくて、
コンピューターだったからこそ、使いたかったということを今でも思い出します。
なるほど。今のお仕事に当時の少年時代はつながっていらっしゃる感じですね。
つながっていますね。
ありがとうございます。
高校時代はどんなことをして過ごしたかという思いでございますでしょうか。
そうですね。その時に私が、もともとサンフランス高校出身なんですけれども、
TAFTという高校がコネティキット州、いわゆるボーディングスクールに住んでいるスクールなんですけれども、
14歳から18歳までそれがあって、14歳に入った時に、
14歳だったら本物の子供ですけれども、卒業して18歳に卒業する時にまた大人になって、
だから違いとかいろいろあったんですが、非常にいい思い出があって、
でもその時に思い出すのは、私の一番親しい友達は韓国系のアメリカ人で、
両親は韓国から来て、彼がそのスクールにいて、最初にアジアについての話をできたその時に、
彼が韓国語だったんですけれども、韓国、日本、中国に興味を生み出して、
非常にアジア、特に日本の歴史はすごく面白いと思いましたんですけれども、
その時代は80年代だったんですが、80年代に、私がもともとサンフランスことシリコンベリーの出身だったので、
その時にみんな思っていたのは、日本のコンピューターの会社、あるいは技術会社は、
車の会社と同じく、アメリカの市場に入って普及するとみんな思っていたんですので、
だんだん興味が深くなって非常に面白いだと思います。
でも高校生の時に初めて日本に興味になりました。
じゃあ高校時代に日本に興味を持って、だんだん日本に近づいていくみたいな感じになってますね。
ありがとうございます。
その後、大学はカリフォルニア大学のバークレー校にお勧めになっているんですが、
こちらの大学を選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか。
特に、父親はスタンフォード大学に卒業したんですが、スタンフォードか有志バークレーに行きたかったんですが、
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その時代にはバークレーはコンピューターサイエンスとアジア関係も深い、強かったと私が判断しましたので、
有志バークレーの方がはるかに安いですので、自分のお金で入って授業料は安かったですので、有志バークレーの方がはるかに楽だったんです。
そうですか。スタンフォードも有志バークレーも授業料高いイメージなんですか。
リスナーの皆さんにご説明しますと、私の息子もアメリカの大学に行っているのでよく分かるんですが、
日本だと東大・京大の方が安いんですけど、世界は頭のいい大学であればほど授業料が高い。
有志バークレーもスタンフォードも私からすると量高そうなイメージなんですか。そんなことはないんですか。
いや、全然ない。有志バークレーはUCですから、University of Californiaだから、カリフォルニア出身だったらその時代は年間1200ドルだった。
だから私が高校生の時にバイトでコンピューターの会社で勤めたんですけれども、
集まったお金だけでチューシングを払うことができますので楽で、ですから有志バークレーの方がはるかに安かった。
頭の良さからするとどちらもと思いますが、そうですか。
有志バークレーで何か過ごした思い出なんてございますでしょうか。
有志バークレーはすごく大きなUniversityですので、私その時代はちょっと大きすぎるという思い出があって、
でも積極的に面白いことを探せば探すほど面白い教育を得ることができるということがあったんですので、
私が結局幸いで非常に良い教育を掴まることができたという思い出がありますけれども、
いろいろ物処がいろいろありますが、私の専門は非常に変な専門ですけれども、
アジア関係、アジアの勉強ですから日本の経済とか日本語、韓国の歴史とかを勉強しましたんですが、
だんだん深く勉強したければ、深く教育を掴まることができるということは非常に、教育として非常に良いと思いましたんですけれども、
ある他の私の友達は、この環境は大きすぎるだからあまり興味のある分野は少なかったんですので、
大きすぎて先輩みたいとかは少ないという印象があったんですけれども、
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私としては何をやりたいか、何を勉強したいかということは幸いで分かったんですので、教育として非常に良いと思いました。
なるほど。ありがとうございます。日本語は大学時代に学ばれたんですか?
そうです。初めて日本語を、なぜ日本語を勉強したかと言いますと、日本の歴史はすごく面白いと思いました。
日本の歴史、全然わからない段階から日本の歴史は、これは面白いですね。
でもあまり把握できない、なぜこの人はこれをやったかということは把握できなかったので、文化をちょっと勉強しよう。
文化を勉強すればするほど、言語が少しでも分かりになりましたら、文化が分かることができる。
例えば敬語とか、そのコンセプトはアメリカには全然ないですので、日本語を勉強しようと思ったんですけれども、
最初に日本語を勉強した時に、今でも感じるかもしれないですけど、聞くかもしれないですけど、
私はあまり言語に能力がないですので、スペイン語とかフランス語もラテン語も子供の時に勉強しましたんですけれども、
あまり言語に興味がなかったんですけれども、日本の歴史を、日本の文化を把握したかったから、
じゃあ日本語を勉強しようと思った。
1年間勉強しましたんですけれども、他の成績が悪くなって日本語だけに集中したんですが、
1年後にほとんど日本語ができなかったので、じゃあもう1年を勉強しましょうと思って、
疲れて、文法とかが少し喋ることができなかったんですので、
じゃあ日本に行かないと喋ることができないかもしれないと思いましたので、だんだん深くなりました。
日本に行こうと決めになったのは大学時代ですか?
大学時代だった。
もうアメリカじゃなくて日本に住んじゃえみたいな感じでいらっしゃったんですか?
そうですね、最初に、日本に来た前に、
ブアムにあるレゾート、Pacific Islands Laboratoryのレゾートで働きました。
ウィンドサーフィングとかスクーバーダイビングとか色々やりました。ゲストと一緒にやったんですが、
その時にベースのレベル、あまり高い水準じゃないんですけれども、
少しだけ喋ることができになったんですが、
それは6ヶ月間で、その後4ヶ月に日本に来ました。
初めて日本に来ましたんですけれども、
私の予想よりはるかに面白い国だと思いますので、
必ず戻りたいということが思いましたので、
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卒業してその後にまた日本に来ました。
なるほど、ありがとうございます。
日本に行くのを決めになったことを、
ご両親とかお仲間、お友達にお伝えになった時は、皆さんどんな反応でいらっしゃいましたですか?
そうですね、私がもともとサンプラスコ出身ですけれども、
外国に住んだことがある友達がかなりいましたんですけれども、
彼らがほとんどヨーロッパが多かったんですね、その時代に。
日本に行ったことがある人が少なかった、私の友達のうちに。
でも幸いで私の両親がその興味がありましたら、
日本はすごく面白い国であって、
あと応援は技術、特にコンピューターに興味が深いですので、
80年代の時に東芝さんとかソニーさんとかはすごく強かったですので、
その興味があったら支援しますと、スタンスがあったんです。
じゃあもうご両親も日本で頑張ってこいぐらいの気持ちがあった?
その気持ちがあった、はい。
ちょっと日本とですね、アメリカのご家族とちょっと関係性が、
違いがこの辺がリスナーメンさんわかると思います。
割とアメリカはチャレンジするのを応援するって感じですね。
そうですね、あとはその時代は、それは87年、88年ぐらいだったんですので、
日本は話題になっていたんですね。
特にスイドコンベリーの場所に、ソニーさんとかの、
それはモディター・アキオ社長の時代だったんですので、
彼がその時代のスティーブ・ジョブズと同じような性分がありましたので、
私の周りの人たちがみんな興味があって、
その応援が興味がありましたら、じゃあそれを支援しますと、
スタンスがあった、特に両親ですね。
この辺が多分日本の方々とアメリカの方々、ちょっと差違い。
日本だと私なんか社長になる場合には、母が、
あんたは能力ないからやめときなさいって言ったぐらい反対してますので、
これぐらいの差があるので、私もやっぱりアメリカみたいになるべきだなと。
確かに全然ノリ良くなかったものの、私の両親が、
じゃあ頑張ってくださいと言うのがあったんですね。
ありがとうございます。すみません、余計なことを話しましたが。
最初のお仕事は、クラリス日本ホテルで、
最初のお仕事はクラリス日本法人でいらっしゃいますか?
そうですね。
ここはどんな会社さんでいらっしゃったんですか?
クラリスって、Apple社の100%公開社で、
これは日本の法人、クラリスの日本の法人でした。
ですから、なぜクラリスを設立したかと言いますと、
Appleはその時代にMacintoshのハードウェアとソフトウェア、
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全然違う業界ですと前提で、
ソフトウェアの集中できる会社を設立してやるんですけれども、
それは100%公開社だったんですので、
Apple Japanとよく関連で、オフィスが違うんだったんですが、
ソフトウェアに集中しました。
ですからその時代の、ちょっと遠いですから、昔話ですから、
クラリスワークスとかファイルメーカーとか、
その時代のソフトウェアを売りました。
ちょうどその時代は、Apple社はほとんどマーケットシェアはほとんどゼロだった。
状態から89年から91年から92年までは、
急に階段と同じく20%になりました。
その時にNECのシェアは60%だったんですが、
AppleのMacintoshはだいぶ上がった、その時代に。
ですからソフトウェアビジネスも、
AppleのMacintosh上のソフトウェアのビジネスも、
急に大きくなった時代だったんです。
非常にキャリアのスタートとして、非常に良い時代だったんです。
ですので、非常に楽しかった。
ちょうど学生時代に興味を持ったコンピューターと、
アジア、日本と、テッドでクラリスでお過ごしになると、
こんな感じでアジアは非常に楽しかった。
非常に良かった。
若い時に東京に住むのは楽しいし、
ソフトウェア業界で楽しめるし、
日本のコンピューター業界で勤めることは非常に楽しい時代だった。
なるほど。
その後もずっと日本を離れることなくお住みになっていらっしゃるんですか?
その後、はい。
クラリスは、95年までクラリスで勤めていて、
また他のマキン・トッシュ業界の会社に変更しました。
ラジエスという会社なんですけれども、
その時にアメリカに引っ越しして、カリフォルニアに戻りました。
何年間に。
11年までアメリカに住みました。
なるほど。
3分コンサルティング。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
30代の方でいらっしゃいます。
今回ご相談したのは副業からの独立についてです。
私は学生時代、映像サークルに所属していました。
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それを知る友人から企業紹介の動画を作ってほしいという依頼があり、
それがきっかけで副業で動画制作を始め、
月10万から15万くらい報道を1年間安定して稼いでいます。
動画制作の仕事の幅を広げて収入をアップさせたいのですが、
会社員の仕事の合間で作業をしているため、時間的に限界を感じています。
会社員を辞めて独立することも考えていますが、
去年結婚したばかりで安定した給与がなくなる不安が大きい。
そこで新退社員にお聞きしたいことが3点あります。
独立するタイミングはどのように決めるのが良いでしょうか。
独立するにあたって今のうちにやっておいた方が良いことはありますでしょうか。
会社員と独立した後では何が違うのでしょうか。
以上質問が多くなってしまいましたが、お答えいただけますと幸いです。
これはなかなか難しいご質問ですね。
まず独立するタイミングですが、分かりません。
私自身は前の会社が倒産しかかっていたときに、
辞めたいと言ったらウイズウイズというものを持っていけみたいな感じで赤字なんでと言って
外に出てそのまま独立の道に歩んでいったので、
たまたまですね、流れですね。
ですので何とも言い難い。
皆さん方、周りの方々を見ていると、
すごい人は独立することをまず決めて何をやるか決めていませんって人結構います。
それで上場しちゃった人もいるし、
もちろん上手くいっていない人もいるし、それぞれです。
一方で何か新しい事業が上手く見つかっちゃって、
これをやるには今しかないと思って独立した方もいらっしゃいました。
ですので、これだけは申し訳ございません。
その人のタイミングがないか分かりません。
中には奥さん妊娠しているのに独立だけ決めて家に帰って報告したら
すげー怒られて大変だったって人もいますし、
夫婦喧嘩して貯金全部使わせてくれって言って、
大喧嘩した後奥さんが通帳と判子を全部社長になられる方の
リビングの机のように置いておいて勝手に使えっていう風に置いておいた方もいらっしゃって、
今じゃあ年賞何百億の社長さんでいらっしゃいますけれども、いらっしゃいます。
分かりません。
なので、悩んでみてください。
自分がここだと思ったら独立するしかないんじゃないかなと思います。
独立に当たって今のうちにやっておいた方がいいことというのは、
やっぱり動画制作で生きていくならば、ライバルたちどうしてるかですね。
まず営業力が必要になります。
動画制作、ライバルたちはどれくらいの値段でやっててどのくらいの営業をやっているのか、
どのくらいの売上目標を立てているのか、
こういうことをですね、ライバルたちの動きなんかをちょっとウォッチすることは大変大切ですね。
あと動画制作って今後も需要あるかどうか、
需要なくなったときはどんな仕事をしていくのかとか、
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こういうことをやらなきゃいけませんので、やっぱり戦略をちゃんと考えた方がいいし、
環境を考えなきゃいけない。
企業は環境適応業ですので、環境がどうなっているかっていうのは一番影響されるわけですね。
その環境に適応していかないとある意味生き残れないので、
環境とかライバルとかを徹底的に調べることと、
自分はどうなっていきたいとか、戦略を練ること、
この辺はですね、ぜひやっとかないとまずいと思いますね。
会社員と独立するときとは何が違うのかというと、それはもう責任ですよ。
やっぱりね、サラリーマンはね、楽な部分はありますね。
私自身、当初一部上場給与で常務までやりましたけども、
やっぱり責任というのは、
ありはありますけども、経営人ですから多少はありますけども、
やっぱり社長に比べたら気が楽ですよ。社長の気が重い。
もしこの動画制作で部下なんかを作っていったりしたら、
その人の給与をある意味、ちゃんと払わなきゃいけないし、
ある意味、失業させないようにしなきゃいけない。
そう考えていくと社長って責任が重いですね。
だから自己責任が重いんですよ。
まあ、税制面ではですね、個人事業主でしょうから、
うまくやれば所得税はかなり5パーとか少ない金額になれるんじゃないかなと思います。
し、その辺がですね、メリットは大きい。
一方で、自己責任は大きいので、営業できなくなったりしたら、
もしその動画制作を受けられなかったら、
全部自己責任で家族も養わなきゃいけない。
そういう状況で、社長の責任が大きい。
だから、全部自己責任で家族も養わなきゃいけない。
そういうことで言うと、まあ責任は重いので、
社長をやるっていうのは大変なご苦労なんだろうなと私自身は思います。
で、私自身社長やってて、なんでこんなめんどくさいことやっちゃったんだなと
いうことをですね、悩みながらやっているというのは正直なところです。
まあ、とはいえ、中間会食の辛さもありまして、
ある意味、社長と部下たちの間を取り持つというか、
通訳をどっちの方向でもやらなきゃいけないので、
そうするとだんだん嫌になりますね。ストレスがすごい。
社長業はね、その分がストレスない。
自分の決定が全てなんで、違う意味のストレスがあるんです。
だから一方で自分が決めれるので、その辺の楽さはあります。
だから、人間関係のストレスはかなり少なくなります。
それでもありますよ。営業していたらありますから。
それよりもお金とかですね、会社潰れるとか、
部下たちを幸せにする方向性に環境整備しなきゃとか言うと、
頭痛くなってきますね。ストレスのマックスです。
だからちょっとストレスの種類が違うと思った方がいいんじゃないでしょうか。
だからどっちがいいっていうことは、もしかしたらないのかもしれません。
良さ悪さかもしれないですね。
そういう意味で、かなり違うと思っていただいたらいいんじゃないかなと思います。
24:01
この辺はもっと具体的に、具体的になかなかしゃべりにくいので、
具体的にお聞きになりたかったら、最近ですとオンラインとかで、
無料で経営相談を受けたまってますので、何でもご相談ください。
皆さん方も、私にこういう話を聞きたいということがあれば、
でもラジオで流れるのはちょっとという場合には、
無料で経営相談を受け取ってますので、何なりとおっしゃっていただけばと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいてます。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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