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2021-01-27 19:57

第212回 小山義一氏(株式会社グローバルウェイ代表取締役社長)【前編】

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働く人のためのプラットフォーム「キャリコネ」や、法人向けクラウドサービスのコンサルティング・導入支援サービスを展開する、株式会社グローバルウェイ。
今回は、東証マザーズ上場である同社から任命を受け、2020年11月に代表取締役社長にご就任されたばかりの、小山義一社長にお越しいただきました。

小山氏は、大学卒業後NTTソフトウェア(現NTTテクノクロス株式会社)にご入社され、エンジニアとして活動されます。
そして、外資系コンサルティング会社である、プライスウォーターハウスクーパースへ、自ら手を上げ出向されました。そこでの「プロジェクトは弱肉強食」という教えに衝撃を受け、コンサルタントとしての内面が形成され、NTTソフトウェアに帰任後は、コンサルティング事業の立ち上げに従事されました。
その後、2012年に株式会社グローバルウェイに入社し、ビジネスアプリケーション事業の拡大に貢献されました。その後、デロイトトーマツコンサルティング合同会社を経て、株式会社グローバルウェイに帰任し、代表取締役へとご就任されます。向上心を持ちチャレンジをし続ける事で、上場企業の社長として求められた小山氏のエピソードから、経営のヒントが得られますので、ぜひ経営者インタビューをお聞きください。




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社グローバルウェイ代表取締役社長の小山義一様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
NTTソフトウェア、現在のNTTテクノロクロス株式会社へご入社後、
外製コンサルティング会社プライスウォーターハウスクーパースへ出向を経て、
NTTソフトウェアに記任し、コンサルティング上の立ち上げに従事。
2011年に株式会社グローバルウェイに入社。
その後、2018年にデラロイト東松コンサルティング合同会社に入社し、
製業業を中心とした様々な企業のデジタルトランスフォーメーションを推進。
2020年11月に株式会社グローバルウェイに記任し、代表取締役に御就任されていらっしゃいます。
そして、2016年4月に当初まずず上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
小山社長様、よろしくお願い申し上げます。
どうもよろしくお願いいたします。
最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
東京ですね。東京の世田谷区の出身です。
いいところのお坊ちゃんという感じですか?
いやいや、そんなにないです。
世田谷区と申しましても、私が生まれた時はまだまだそんなに地価が上がっている感じではなかったですので、
そんなにいいところのお坊ちゃんかって、まるでない感じです。
小学校時代の思い出とかそういうのはございますか?
小学校はですね、東京の世田谷で生まれたんですけれども、
親がいい学習環境ということで、今の多摩プラザというか、
あの辺に引っ越しをさせていただいて、そこで小学校に通っていたんですけれども、
すごい自然が豊かな地域でして、野山公園が山ほどありまして、
東京にいながらそういう環境でひたすら野山を相手に遊びほうけていたっていうのが
私の小学校時代かなというふうに思います。
なんかガキ大将とかそんな感じで?
ガキ大将とかいうよりは、仲間5人、6人くらいで木登りしていたりとか、
虫捕りしていたりだとか、本当に昆虫採取とか大好きでして、
その時からちょっと収集力があったんですけれども、
何かがあそこで見たぞって言われると、わざわざその日のうちに出かけていって、
夜まで帰ってこないみたいな、そんな子供だったなというふうに思いますし、
どちらかというと当時は学校の勉強とかいうよりは、
野山で起こっていることの方に興味があって、
割と学校のことは二の次、三の次みたいな、そんな小学生時代を過ごしておりました。
中学時代も多摩プラザに行ってらっしゃるんですか?
中学時代もそうですね、そこからデリト先生の違う町に少し移ったんですけれども、
そんな虫をかけていた私ですけれども、小学校4年生、5年生くらいの時に、
非常におっかない先生にめぐり合いまして、そこで勉強しろというふうにすごく言われまして、
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そこである程度勉強に目覚めまして、中学受験という形で受験をすることになり、
私学の方に勤めていくことになりましたので、そこからデリト先生の町から電車で中学に通っておりました。
割と勉強もできたということでらっしゃるんですか?
できたというか、非常に頑張らされましたね。
その先生ももちろんですけど、私の父親とか母親も割と大学受験とかそういうことをくぐり抜けてきた人だったので、
やっぱり中学受験とかそういうことに対しては、非常にやれというふうに言われて、
当時は自分の将来はこうで、それのために今私学に入っておかなきゃなんて気持ちは一切ない子供でしたけれども、
とにかくいろんな人がやれやれ言うのでしょうがないようにやってみましたというので、
受かった。ある程度のところには受かったという感じなんですけれども。
ただ、受かったときに自分があまりやる気はなかったんですけれども、
初めて人の気持ちとして何か親の気持ちみたいなのが自分の肩に乗っかってたんだなということは、
受かって初めてそこは理解をしましたので、そういう意味では貴重な経験だったと思いますし、
結果が出たことに対してはすごくよかったかなというふうに思いますね。
中学高校は一貫校?
そうです。中高一貫の高校に進みました。
中学高校時代の何か思い出とか何かございますでしょうか。
中高一貫だったんですけど、中学校のときは本当にまた遊びほうけてまして、
3年間一貫校でしたので、特に勉強頑張るとか言われもなく、本当によく遊んでました。
私は後にも好きなことで書いてますけれども、当時釣りに目覚めまして、
父親が釣りが趣味だったというのもあって、1年に何回か連れて行ってもらってたんですけれども、
それも中学校ぐらいになってから友達同士で近場に行けるようになってきて、
同じ趣味を持つお友達と一緒に釣りをしていくことに結構明け暮れてた時間というのがありまして、
そういうのも含めて中学校時代は本当によく遊んでましたね。
高校になってからは、もともと私は野球が好きでして、父親ともよく野球をやってたんですけれども、
それを回って一回はちょっと野球をやってみたいなというのがあって、
高校のときは野球部に所属をしまして、そちらで部活動をやってくれて、そんなような中高時代を過ごしました。
なるほど。ありがとうございます。大学は都内の大学というのは?
はい。大学は都内の大学に進みまして、私は数学とか物理とか科学のその辺が得意だったので、
都内の大学、慶応大学の方に進学をしまして過ごしております。
理系でらっしゃいましたか?
そうですね。理系だったんですけれども、理工学部の中でも物理とか科学とかいろんな学科がある中で、
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割と現代社会に適応できるような学問がやりたいなという思いが結構ありまして、
当時慶応大学の中でいうと管理工学科といいますか、いわゆる経営工学みたいな領域の学科に進んでおります。
やっぱり慶応の理系ということは相当頭のよろしかったということですか?
いや、結果的に入っていますので、そんな私が言うのはあれでしたけれども、
そんなに賢くはなかったかなというふうには思いますね。
ただ、昔から自分の現在地とそれに対して何をしたらゴールにたどり着けるかということをしっかり考えるということはできた気がします。
だから、例えば受験勉強にしても、何かすごく最初から何か頭が良くて、
何かほぼみんなが羨むような成績を常に収めているというよりは、
最初は全然駄目なんだけれども、そこに対して自分の目標値を設定して、
それに対してどう乗り越えていけばいいかみたいなところを必死に最初に何か考えて、
それを自分のステップにちゃんと変化させていくというところに関してはすごく長けていたのかなというふうに思いますね。
なるほど。ありがとうございます。大学時代の思い出とかはございますか?
大学時代はですね、またこれは遊び方言で申して、4年間くらいあって、
まずは一つはサークル活動には非常に打ち込んでおりました。
高校の時に野球部に入っておりましたので、その延長もあって野球サークルに入りまして、
本当に4年間ずっとある一箇所のサークルに所属しましてずっとやっておりました。
あとは乗馬とかヨットとか、今まで自分がやったことないことに結構興味がありまして、
馬に乗るようなサークルに何回か行っていたりとか、
あとはヨットもシーズン的に夏はそういうサークルに参加させていただいたりだとか、
そんなようなことをやったことないことを結構やって経験を積んでいたみたいなところがありますね。
なるほど。ありがとうございます。卒業後、NTTソフトウェアでらっしゃいますか?
そうですね。当時はまだ私も多分遅い方だと思うんですけれども、
大学2年、3年くらいで初めてパソコンに出会いまして、
これは面白いものだなというふうに漠然と思っていたんですけれども、
ただその中では学校の授業の中で出会いましたので、
割と課題をこなすために何か黒い画面を見てあまり面白くないことをやっていたんですけれども、
一人暮らしの友達の家とかに行くと、当時みんなパソコンを買ったよなんて言って、
電話線とつないでインターネットを見るみたいな機会が徐々に増えてくるにしたがって、
これはすごいなというのが正直ありまして、
パソコンということに対しては非常に興味を持ちました。
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もともと高校くらいからですけれども、宇宙とかそういうのが結構好きでして、
自分が40,50とかという世代を越えていくときには、
きっと宇宙関連のビジネスというのが盛り上がっていくんじゃないかな、
人が宇宙に行くなんていうことが当たり前になっていくんじゃないかなというのもあって、
そういう中で自分がそういう授業に携わりたいなみたいなことを思っていたときに、
当時の自分の情報ソースなんてSF映画とかいうのしかないですから、
そうするとみなさんパソコンとかカサカサとかやっていたりするのを見ると、
やっぱりこれはできないと、そういう時代にやっぱり乗り遅れるなというのがあって、
パソコンを使ったシステムみたいなところに軸足を置く企業に入りたいなという思いが、
大学3年生、4年生くらいから始まりました。
そのときに選んだのが、あまり巨大な組織に入るというよりは、
割と1000人、1500人規模の会社で、しっかり実務と経験を
しっかり積ませてくれるような会社に行きたいなという思いが結構強くて、
当時はITバブル全盛期でしたので、2000年問題とかがあって、
ITのリソースを非常に積極的に採用している時代だったので、
非常にいろんな選択肢に恵まれていたんですけれども、
そういう1500人、1000人という規模の会社を選んで、
そこに入社を決意したというのが、最初のNTTソフトウェアを入社したきっかけですね。
NTTソフトウェアのときに、プライスウォーターハウスに出向というふうに聞いているんですが、
これ出向って、やっぱりご要求じゃないと出向させてもらえないんじゃないかというイメージですか。
当時、NTTテクノクロスという会社が、SAPというソフトウェアの導入をしていまして、
その導入の支援をしていたというのが、プライスウォーターハウスという会社だったんですね。
そこで会社の役員様同士が、いろいろと知り合いがあって、
人事コーリングのたびに、全社で2、3名、公募で応募をして、
そういったところで人が行って、コンサルティングのスキル、技術みたいなことを身につけて、
自社に戻ってきて役に立ってもらうみたいなことを制度、企画したいみたいなのがあって、
全社公募で2、3名というのが上がったんですけれども、
当時のコンサルティング会社って、今のコンサルティング会社とはだいぶイメージが違いますから、
あんまり一般の人が入るようなイメージが当時はあんまりなかったんですよね。
あんまり公募が出ずに、たまたま手を挙げたのが3人ぐらいしかいなかったということもありまして、
それで出向が決まりました。もうすぐに決まりましたね。
何年ぐらい出向してたんですか?
出向期間2年だったんですけれども、プロジェクトの切れ目とかいろいろありまして、
結果的にプライスウォーターハウスクーパスさんには4年間ぐらいのお世話になってましたね。
なので、私の最初の2年ぐらいはNTTの会社でシステムをやっていたんですけれども、
そこから先4年間は外資系のコンサルティング会社でコンサルティングをやっていましたので、
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そこの時点では完全に私のキャリアは逆転していまして、
SEとかエンジニアというよりはどちらかと言ってもコンサルタントとして、
何か自分の内面が形成されていったみたいなのもありますし、
やっぱりNTT系のSI会社から外資系のコンサルティング会社に行くって相当なカルチャーの違いがありまして、
非常にNTT系で言えば安定したと言いますか、非常にしっかりした人たちが多いですね。
コンサルティング会社に行くとちょっと変わった人たちが多いので、非常に刺激も強かったですし、
入社して一番最初のプロジェクトに入った時の当時のプロジェクトマネージャーの方から一番最初に言われたことが、
プロジェクトは弱肉強食だからというふうなことを言われまして、
いやここまで違うものかというふうに思いまして、それが結構私の中では刺激的な言葉として今でも結構残っている。
私の人生を変えた一言の何個かあげろと言われたら必ず一個にはなるんじゃないかなと思いますけれども、
そういった中で、やっぱりそういうNTT系の会社みたいなところだと、割とその年功序列とかヒエラルキーとかもそういうのがあって徐々にステップアップしていくみたいな活動ですけれども、
外資系のコンサルティング会社では裁量とお客様から認められたりだとか、いろんなことによってどんどん薬食とかポストが上がっていくみたいな文化を経験しましたので、
それは一つ本当に大きな経験だったかなというふうに思います。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは副業と企業の境目というテーマだそうです。なかなか難しいですね。
ご相談者はA様。サラリーマンで背取り個人輸出ビジネスをやってらっしゃるようですね。
月収書いてありますがいいでしょう。ここは読みません。
新退社は始めましたよ。私は普段はサラリーマンですが、趣味のオタク活動の延長戦でアニメグッズの背取り個人輸出ビジネスなどをしております。
最初はオタク活動の多身でもならば月1万から2万円の収入を得ていました。
コロナの影響で在宅勤務時間が増え、今年に入り月15万から30万円の利益を得ることができています。
すごいですね。素晴らしいですね。以前は収入が少なかったこともあり沈黙はしておりませんでしたが、
ここ数ヶ月それなりの利益が出ておることもあり、納税や届けの必要があると感じます。
その通りです。これで届けないとまずいですからね。
また、もっと相関的に活動する時間を増やすことができれば、さらに利益を上げられるのではないか、
好きなものに囲まれて成長を立てていきたいと考えるようになりました。
しかし、会社では副業が禁止されているので、脱サラとして副業を本業にすることを考えていますが、不安もあります。
副業としてこじまり継ぐべきか、もしくは脱サラして企業のどちらが良いのか、判断する期限や境目はあるのでしょうか。
どうか不思議な質問でありますが、どうかお知恵を授けていただければと思い投稿しました。よろしくお願いいたします。
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まず税収、月15万から30万ということは年間2、300万になりますので、年間100万とか200万を超え始めたら必ず確定申告をやってください。
やらないとまずいです。一方で確定申告をやったからすぐ会社にバレるかというとバレないと思いますが、
1年するとバレますので、もう支給で考えなきゃいけませんね、独立するかどうかはね。
どうバスるのかは会社次第なんで、その会社さん、お勤めになっている会社さんがどういう基準なのかがわからないので、何とも言いようがないので、
判断難しいですね。これは私もなかなか判断しづらいと思います。その相手の会社さんのことがわからないので。
一方で企業と副業とこじまりとどっちが良いのかというと、これも難しい話ですね。
10年後、20年後をまず考えていただきたいと思います。10年後も20年後も輸出ビジネス、背取りのビジネスがやれていけるのかどうか。
10年やれているのはやってもいいんじゃないでしょうか。でも2、3年で終わるんだったらやめたほうがいいですね。
副業でちょろちょろで隠してやっとくのほうがいいですね。一方で10年続くのはやってもいいと思います。
10年で儲かったお金を今度は10年後また違う事業に投資していって違う事業をやっていけばいいので、
そう考えるともう起業しちゃってもいいんじゃないかな。脱サラして起業しちゃってもいいんじゃないかな。
個人事業主登録でもいいですし、会社作ってもいい、株式会社作ってもいいですが、やってもいいんじゃないかなと思います。
だからやっぱり将来性があるかどうかですね。アニメグッズですとか将来性ありそうなんですけれども、
それがずっと続けられるかどうかの読み次第ですね。またその読みが当たるかどうかわかりません。
当たらなかったときは必死こいて違う事業に行ってまた設けられるようにするということが必要になってくるんじゃないかと思います。
そんなことを考えながら起業するかどうか、副業でいくのかどうかというのを悩まれるのが必要なんじゃないかと思います。
あと最後は勇気ですね。私は社長をやりたくありませんでした。
でも縁でたまたまこのウィズウィズというのはやらざるを得ない環境が整ってやる運命だったのでやりました。
ですのでそういう意味で言うと勇気は私あまりないのでアドバイスできることはございませんが、
そこら辺はですね、いいややってみてしまえっていうこともあります。
それでやってみてしまえでやってみて、場合によってはすごい人は会社設立してから何やろうか考えて独立して、
で上場まで持って行った方もいらっしゃいますので、基準とかはないですね。好みです。
社長としてやっていきたいかどうかみたいなものです。個人要素としてやっていきたいかどうかみたいなものです。
やるかやらないかは本当に社長様、ご相談者様のご趣味に近いんじゃないでしょうかね。
生き方に近いんじゃないでしょうか。ですのでどうもその辺は判断の基準はないと思ってください。
ですのでやりたければやる、やりたくなければやらないに近いんじゃないかなというのは私の考え方です。
全くアドバイスになっておりませんが、ぜひその辺悩んでいただかて、何ならのご一緒に悩みますので、
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オンラインなりズームなりで何なら飲みながらでも悩んでいただいてもいいんじゃないかと思いますので、
私も一緒に飲みながら悩みますので悩んでいただけたらいいんじゃないかなというふうに思います。
最後のアドバイスは勇気、これがですね社長には必要だということだけお伝えをしておきたいと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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