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2021-06-02 18:14

第230回 川合大無氏(リビン・テクノロジーズ株式会社代表取締役社長)【前編】

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今回は、リビン・テクノロジーズ株式会社の川合大無氏にお越しいただきました。
不動産とWEBテクノロジーを融合したプロダクトの開発・運営を展開し、不動産売却領域では日本最大級にまで成長させた社長様です。

川合氏は、大学の就職活動時に「社長になり、世の中にインパクトがあることをしよう!」と決意されました。ニチモウ株式会社、バリューコマース株式会社、株式会社サイバーエージェントを経て、2004年株式会社シースタイルを設立し、代表取締役に就任。2018年リビン・テクノロジーズに社名変更をし、2019年6月には東証マザーズ上場を果たされました。
差別化のしづらいネット広告業界の中、世の中にインパクトを与えるニッチトップ戦略へとたどり着いたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。




00:05
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、リビン・テクノロジー株式会社代表取締役社長 川合大無様でいらっしゃいます。
まずは経営機能をご紹介させていただきます。
東京農業大学卒業後、日毛株式会社、バリューコマース株式会社、株式会社サーバーエージェントを得て、
2004年、株式会社シースタイルを設立、代表取締役に御就任されていらっしゃいます。
2006年にはバーティカルメディア事業をスタートし、大阪、福岡、名古屋、
宇和橋、九山、埼玉、横浜の拠点を拡大。
2018年6月にリビン・テクノロジーズに社名変更。
2019年6月には東証マナーズに上場している上場寄与の社長様でいらっしゃいます。
川合社長様、よろしくお願い申し上げます。
はい、よろしくお願いします。
最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
僕は千葉県の野田市になります。
醤油の野田でございますね。
そうですね。父親が醤油のメーカーに勤めていて、その関係で千葉県の野田市に住んでいます。
なるほど。野田時代の小学校時代なんていうのは思い出とかございますでしょうか。
そうですね。ほぼ毎日外で遊んでいましたかね。草野球とかやってたりとかしていましたね。毎日。
ガキ大将とかそんな感じでいらっしゃったんですか。
ガキ大将ではないですけど、とにかく毎日外で遊んで、理想的な子供です。遊び具合に関しては。
中学校時代の思い出なんてございますでしょうか。
中学校はずっと小学校から続けていた剣道をやってまして、剣道やって頑張って強くなりたいなみたいなのをやってました。
なるほど。高校も千葉県でいらっしゃいますか。
高校は東京の高校に行っているんですけど、中3の時に実家ごと千葉県の野田市から葛飾区に引っ越してきまして、中学校が中3から転校しているんですよ。
高校が東京のになったという感じですね。
高校時代の思い出は何かございますでしょうか。
高校も剣道をやっていたりとか、あとは学校の勉強をあまりやらなかったんですけど、学校の勉強をやらないのに予備校だけ通っていたという感じですかね。
03:21
大学は東京能大を選ばれていらっしゃるんですか。
何か農業系をやりたいとか、そういうご希望でいらっしゃったんでしょうか。
そういうわけでは、結構から言うとそこしか分からなかったというわけなんですけど、
父親とか農学部だったりとか、影響があるのかなと思ったりするんですけど、あまり関係ないかもしれないですね。
大学時代の思い出とかございますでしょうか。
大学は本当に本当に勉強をやらなくて、全くやらなくて、母親としてあまり学校も行かないでいました。
なんですけど、卒業旅行みたいなので、インドに行ったんですよね、2ヶ月ぐらい。
そこでどこでも生きていけるんだなみたいな、ちょっと自信がつきましたね、2ヶ月ぐらい。
わけのわかんない世界に生かされて、そこで2ヶ月ぐらい、インド一周したんですけどね。
死なないんだっていう自信がつきましたね。
その頃から経営者になろう、社長になろうなんてことは思っていらっしゃったんでしょうか。
そうですね。大学、当時就職活動のときに社長になろうっていうふうに決めたんですよ。
就職活動しているときに、いろんな会社の説明会とか、いろんな業者に聞いたんですけど、
いまいちですね、それぞれの会社で働くイメージが湧かなくて、
なんでかなって考えていたら、やりたいことがないからかということに気がつきまして、
何やりたいのかなっていうのをずっと考えたんですね。
それこそ就職マニュアルみたいなのを見て、自己分析しようみたいなのが書いてあったんで、
生まれたときから、そのときの当時に至るまで何を考えて生きてきたのかとか考えていたらですね、
世の中にインパクトあるようなことをやりたいなっていうのが思いついて、
そんなのができる職業って、でっかい会社の社長になるか、政治家になるかしかないなと思ったんですよ、職種として。
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政治家になったら、お金儲けとかしたら怒られそうなんで、社長になろうっていうふうに学生のときに決めました。
ありがとうございます。卒業後、一番最初は日毛株式会社さんでいらっしゃいますか。
こちらを選ばれた理由って何かありますでしょうか。
就職活動のときに、社長になるための、就業じゃないんですけど、ビジネスを覚えられそうな業種っていうのかな、職種に就こうかなと思ったんですよ。
日毛っていう会社は専門商社なんですけど、商社とかってなんとなくビジネスの勉強できそうな感じがするじゃないですか。
それなので日毛っていう商社に入りました。
日毛さんでの思い出とか何かございますでしょうか。
日毛は新卒入ってから2年ちょっとぐらい勤めてたんですけど、僕総合職っていうので入ってるんですね。
なんですけど、いわゆるほとんど営業事務みたいなのをずっとやってまして、営業みたいな仕事ではなくて、本当に事務をずっとやってたんですよ。
僕が配属されたチームの事務をやっていたおばちゃんみたいな人が隣のチームに移ることになっちゃって、
営業事務をやる人いないからっていうので、新しく入ってきた僕がやることになりまして、ずっと請求書を作ったりとか、
あと在庫の管理だったりとか、あとはトラックの手配だったりとか、そういうのをずっとやってましたね。
日毛のときは農業資材チームっていうチームにいまして、チームの名前がカみたいな感じなんですけど、
そこで肥料をですね、肥料といっても大肥なんですけど、主に取り扱う部分にいて、今考えるとすごいのやってたなって感じですけど、
そこの営業事務やってました、ずっと。
おかげで事務はほぼ完璧にできましたね。
なるほど、ありがとうございます。
その後、バリューコマースさんにお移りになってました。これは何か理由がられたんですか?
そうですね、僕は社長になる前に5年で3社行って、社長になろうっていう風に決めてたんですね。
それなんで、一応も2年ぐらいで、やめないと5年で3社いけないんで、それで辞めてバリューコマースに行ったっていう感じなんですけど、
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バリューコマースはアピゲート広告の会社ですね。
ちょうど2000年ぐらいだったんですけど、まだインターネット広告とかをやってる会社さんとかあんまりなくて、
当時インターネットバブルが最中かちょっと終わったぐらいな感じのタイミングだったんですけど、
次行くんだったらITの会社に行こうと思って、たまたま滑り込めたのがバリューコマースなんですけど、
紹介してくれた会社の人に、この会社は1週間後あるかどうかわかんないけど、行ってみるかみたいな感じで紹介されて、
それぐらいののを見てみるのも悪くないかなと思って入社しました。
バリューコマースでの思い出とか、こんなことやったとかありますでしょうか。
バリューコマースはですね、僕は社長になるためにトップセールスマンを一回取らなきゃいけないと思ってたんで、
そこでトップセールスマンになるためにかなり努力がそこそこしました。
ほぼ初めて営業やったんですけど、テレアコ営業をやってトップセールスマンに最終的にはなれたというのがあります。
一番は社長になれる自信がそこでついたんですけど、テレアコの営業っていうのにちょっと感動したんですよね。
僕は社長とかになろうと思ったら人力とかないとなれないのかなと思ってたんですけど、それまで。
テレアコの営業をやって、全然知らない会社に勝手に電話して、何人かに1人ポイントが取れて、
何人かに1人は実際に何か買ってくれるとかやってくれるみたいなっていうのを初めて知って、
というかやってみて、これはすごい。人力なくても商売いくらでも作れんじゃんっていうのに気が付いて、
そこでこれ僕独立できるわっていうふうなすごい思いました。
お聞きになっている方が起業したい方は、テレアコを経験した方がいいじゃないっていうふうにアドバイスですかね。
アドバイスっていうかそうですね、人力いらないですね。
なるほど、ありがとうございます。その後サイバーエージェントに移りになっているんですが、
サイバーエージェントを選んだ理由は何かございましたでしょうか。
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サイバーエージェントもですね、パリコマスももう2年半ぐらいいたんで、
もう辞めなきゃ、辞めなきゃいけないっていうのは、5年で3社行くっていう意味ではもう辞めるタイミングだったんで、
もう辞めなきゃっていうので、もうその時向かったところにただ行ったみたいな感じではあるんですよね。
サイバーエージェントをそこそこ入社しにくかったみたいなんですけど、全然そんなのも知らなくて、
受かったら入り回すみたいな感じで、ダメだと思って面接に行ってたんですけど、
それが良かったのか受かってたまたま滑り込めたっていう感じになってます。
サイバーエージェントではどんな経験をなさったんでしょうか。
サイバーエージェントはですね、ネット広告代理店の営業をやっていたんですね。
パリコマスは自社のアクリエイト広告っていう商品、ほぼ大数の商品が売るっていうような仕事だったんですけど、
サイバーエージェントはあらゆるネット広告をですね、代理店として提案できるっていうのがありまして、
ネット広告全般だったりとか、自社商品じゃなくて他社さんから広告商品を仕入れて、
代理店販売するみたいなビジネスのやり方っていうのは、非常に起業する上で勉強になったというか、なりましたね。
サイバーエージェント自体はやっぱり昔、今はちょっと離れてだいぶ経ってるんで分からないんですけど、
優秀な人が死ぬほど努力する会社だったんで、そういう文化の会社があるっていうふうに増えたのはすごい良かったですからね。
ありがとうございます。
本日の3分コンサルティングは東京のメーカーさんですね、製造業者さんです。年賞3億。
初めまして、東京でメーカーを営んでおります。本日は持ち株上等について相談をいたします。
私は現在71歳になるのですが、会社の役員に持ち株を上等し経験を質ごうとしますが、息子と孫が反対するという問題が生じそうで困っています。
息子や孫には目をかけていましたが、彼らに使わせる会社が由来でしまうと考えて、後継者には選べませんでした。
まだ意思を表明していないのですが、どのようにすれば穏便にことがするのか、お知恵を貸していただけないでしょうか、という相談でございます。
これなかなか難しいですね。説得するしかないんでしょうね、息子さんやお孫さんに。
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なぜそうなのかということなんだと思うんですね。説得すればなんとかなるのならいいんでしょうけど、ならないケースが、
例えばですが、息子さんお孫さんに株はお渡しをする。で、後継者に別の方は社長としては言っていただく。これがもう一つの方法ですね。
ただし、株を全部渡してしまうと息子さんお孫さんが社長を介入する権利が出てきますので、パーセンテージを例えば抑えてしまう。
例えば息子さんお孫さんで合わせて33.3パー以下とかにお渡しし、残りのパーセンテージの株はその次の役員、社長になられる方に渡す。
そうすると、口出しは多少できたとしても、結果的にはその社長様のいう方向性になると。こんな感じですね。
悪くても50.1パーセントをその社長になられる方に持たせ、残りの49.9パーセントを息子さんとお孫さんにお待たせる、みたいなことが説中案でしょうか。
ただこれもちょっとリスクがあるんでですね、株の比率は低くしておいた方が次の社長さんやりやすいんじゃないかなと思います。
そういう意味でこの辺はやっぱり息子さんお孫さん皆さん方を説得する、何とか説得するというのを時間をかけてでも半年1年かけてでも説得をするということが大変大切なんじゃないかなと思います。
じゃないと事業承継がうまくいかないということになりますので、ぜひそうはいっても説得をするということが大切だと思っていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くinWizBizをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべて適当化いたしまして、私どもWizBizが運営するウェブサイト、KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただきKAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くinWizではここまで。また来週。
18:14

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