1. 社長に聞く!in WizBiz
  2. 第440回 田村佳都子氏(ayus-l..
2025-06-25 17:01

第440回 田村佳都子氏(ayus-lino代表)【前編】

spotify apple_podcasts youtube

今回は、ayus-linoの田村佳都子氏にお越しいただきました。

 

2010年にアーユルヴェーダセラピストとしてキャリアをスタートし、2017年にはayus-linoを起業。

スタッフを雇用し、サロンも増やすなど順調に業績を伸ばし、結婚・出産を経験後も、経営を続けられるお姿から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz経営塾

https://www.youtube.com/@wizbiz8087

 

■WizBiz社長塾

https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ

サマリー

このエピソードでは、ayus-linoの代表である田村佳都子氏の経歴とアイルベイダーに対する情熱が語られています。彼女は阪神大震災の影響を受けて成長し、医療機器の販売を経て起業するまでの道のりを振り返ります。田村氏は自身のキャリアの変遷や、統合医療への関心について話します。医療機器業界での経験を通じて、西洋医療の陰と陽を見つめ直し、社会への貢献を考えるようになります。

田村佳都子の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、
ayus-lino代表の田村佳都様でいらしています。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
CSKにご入社。その後、アイルベイダーカレッジにて
セラピストを目指されます。
そしてその後、株式会社日口リーディングにご入社。
アイルベイダーセラピストを取ってキャリアをスタート。
その後、医療機器販売をする会社に転職。
その間も、アイルベイダーの知識等を深めていらっしゃいます。
その後、医療機器会社を退社し、
ayus-linoを起業していらっしゃいます。
今現在は、表参道等で2店舗展開をしていらっしゃいます。
そして結婚、ご出産し、現在も
アイルベイダーのプライベートサロン2店舗を経営する
女性美人ママ社長様でいらっしゃいます。
阪神大震災の影響
田村社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、ご出身は神戸でしたっけ?
はい。高校野球で有名な阪神甲子園なんですけれども。
甲子園らへんご出身ということですね。
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか?
運動が好きだったり、勉強が好きだったり、
とにかく目立つことが好きな子でした。
活発な女の子でしょうか。
例えば、どんな子として遊んでいたという思いでございますか?
どんな子として遊んでいたか、あまり覚えていないんですけど、
中学校受験したんですけれども、阪神大震災の日に
深夜2時ぐらいまで勉強していまして、
2時間後に地震が起きて、みたいな、そんな感じが
結構深い思い出ですかね。
終わるまでとことん勉強するみたいな、
小学生の頃からそんなところはあった気がします。
もともと根性のあらゆる方と、そんな感じでいらっしゃいましたか。
興味のあるところに向かっているときは、
やりきるまで頑張れる子でした。
なるほど。ありがとうございました。
今、阪神大震災の話がありますが、
ちょうど阪神大震災のど真ん中の地域のお住みだったと思うんですけど、
阪神大震災でご苦労なさった思い出なんでございますでしょうか。
水が1ヶ月止まったりとか、電気早かったんですけれども、
水が1ヶ月止まって、1週間に1回しかお風呂入れなくて、
大阪まで入りに行くとか、水道管から破裂した水を汲みに行って
トイレを流すとか、この地震が起きると、こんなにいろんな生活が不便になるんだなっていうのとともに、
あの時働いてなかったので、今思い起こすと働いてた人たちは大変だろうなっていう、
なんかそういうのはすごい思い出として残っています。
さらに地震の時に人間死ぬ時死ぬんだなって思ったのが、結構深く印象に小学生なんですけど残ってまして、
そういうのもあるからか、人生一回きりだしと思って、
いろんなことにチャレンジするきっかけというか、
もしかしたら明日死ぬかもしれないしと思ったらやってもいいんじゃないみたいなことを思うような子になりました。
CSKでの経験
【佐藤】なるほど、ありがとうございます。中学時代はどんな子として過ごしたのか、お思いでございますか。
【森】中学時代は一転小学校と反対で、女子校に入ってしまってですね、女子ばっかりの中の群れるっていうのがとても苦手で、
ほとんど発言をしない、周りにそうだねーって合わすような子になってしまって、
それが結構、独立したての頃も自己主張するのがちょっと苦手というような感じで引きずったような記憶があります。
【佐藤】なるほど。じゃあ大人姫の女子に変わったというか。
【森】変わりましたね。
【佐藤】高校時代はどんなふうに過ごしたのか、お思いでございますか。
【森】高校、中学高校一貫校だったんですけれども、ずっと身体操部やってまして、今もアイルウェーダーやってるのがそこにつながるんですけれども、
やっぱりこう体のラインが綺麗であることとか、心で思ったことを身体操って踊りで表現する競技だったので、
心と体っていうのが人間2つ持っているんだな、みたいなことを高校の時から意識して、
アイルウェーダーに出会った頃、まだ日本ってヨガとかが流行ってなくて、
オシャレマダムがヨガやりだしたぐらいで、アイルウェーダーはもっと宗教みたいにマニアックな世界だったんですけれども、
結構身体操をやってた時代から、心で感じたことを体で表現する、みたいなことをやっていたので、
そのつながりがあるものを勉強したいなっていうところの、なんて言うでしょう、きっかけになったような、
6年間ずっと身体操部やってたんですけど、運動部で部活ばっかり頑張る子でした。
なるほど。運動神経もよろしいと思うので、身体操は上手だったんじゃないですか。
いや、いつもギリギリレギュラー、スレスレみたいな子だったので、一応レギュラーには入れるんですけど、スレスレだったので、
入れないかった時の他の子のメンバーの悔しさとか、レギュラーにこだわって入るための努力とか、
そういうのも部活で学べて良かったかな、みたいに思います。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらの方にお住まいになりましたでしょうか。
大学も中高、大一貫校だったので、あんまり受験勉強することなく、そのまま大学に入りまして、
中、高、大、ずっと自転車通学だったので、大学卒業してから東京に来たんですけど、人の多さで、いまだに自転車通勤圏内に住んでしまうという子になりました。
大学は女子大になられますか。
はい、女子大です。
大学時代はどんなことをして過ごしたと思いますでしょうか。
大学時代はスキューバーダイビングにはまってまして、1回の旅行がやっぱり20万とかするんですよね。学生でやっぱりその20万30万稼ぐって結構厳しかったので、バイトに明け暮れて、
どんと旅行に海に行って、みたいな、そんな感じの子でした。
割と大学時代は青春を謳歌した感じでいらっしゃいますでしょうか。
はい、すごい、その頃からちょっと大人しい子がまた元気な子に戻っていったような気がします。
なるほど、ありがとうございます。
最初の就職先はCSKでよろしかったですか。
はい。
CSKでITエンジニアを選ばれたのでしょうか。
はい。
選ばれた理由というのは何かございましたか。
大学の専攻がちょうどその頃時代がWindows XPが出てきたり、iMacすごいかわいいパソコンができてきた時代で、
なんかこうどんどんタッチパネルとかで駅のチップ買うような感じにもなってきてて、
なんかすごく時代の変わり目を感じまして、なんか大学の専攻でその情報というものが社会を変えるなという気がしたのでそちらに進んだんですね。
で、せっかくその4年間、情報メディア学科っていうところでITについて学んでいたので、
そこを使って就職をしたいなというふうに思って、エンジニアの道を選びました。
社会がどうやってITによって変わっていくのかっていうのにすごい興味があった感じです。
はい。
なるほど。CSKでの思い出なんてございませんでしょうか。
CSKの思い出はとにかく、なんかこう思ったよりデジタルってアナログなんだなっていう、こう人間がシステムを作るっていうところがすごく大変で、
気づけば毎日12時とかまで、ほぼ毎日終電で帰ってたかなみたいなタフな女の子だったので結構皆さんについて行ってたんですけれども、
すごい深夜まで残業してた記憶です。
なるほど。じゃあ結構あの、今風に言うとブラックな気ができた感じですか。
今はだいぶ、働き方改革でだいぶ改善されてみんな帰っていると伺っていまして、残っていれば普通に会社員できてたかなって思う次第です。
なるほど。ありがとうございます。
その後、株式会社の日打ちリーディングを入社しなかったんですが、その間にアイルベイダーのカレッジにもお勧めになっていて、アイルベイダーの方になんとなく進もうなんて思ったきっかけなんてのは何かございましたでしょうか。
キャリアの変遷
友達がモルジブに旅行に誘ってくれて、人生の楽園モルジブに行ったんですけれども、そこで結構自分の人生、仕事がそんなに楽しくなくてですね、当時。
このまま60までここで働いているイメージがしないなというふうに思いまして、
もう一回自分が人生をやり直すとしたら何がしたいかなっていうのを楽園で考えたときに、やっぱりどんだけ疲れても人が楽になるような、楽にして人の役に立てるような仕事がしたいなっていうのと、
中高やっぱり身体操やってたので、体の勉強もう一度やってみたいなというふうなものもありまして、勉強して楽しくなかったら会社に続けていればいいけれども、楽しかったら何かそういう道に行ってもいいかなっていう、もうデジタルの社会が動いている裏の仕組みみたいなのがうすうすこんなもんかみたいな
プログラムを書くのがすごい楽しい子だったわけではないので、こんな感じで動いてるんだなっていうのがわかってしまったときに、次は何か本当に自分がしたい、人と向き合ったり、人が笑顔になるようなことっていうのを仕事にしたいなと思って、転職に至りました。
【佐藤】なるほど。株主会社樋口リーディングでの思い出なんてございますでしょうか。
【森】せっかく自分で独立したんだから、会社員の友達、当時残ってたときよりは、いい暮らしだったりとか、またみんなに会えるような自分でありたいなっていうのが結構今モチベーションになっているので、そういう大きい会社に入って動機がいっぱいだったっていうのはすごい良かったな。
新人研修6ヶ月くらいやってくれる会社だったので、すごいそういうところで仲良くなれたのは在山となって、今も残っています。
【佐藤】なるほど。ありがとうございます。その後、樋口リーディングさんを退職して、大きい販売の会社に転職なさっているということなんですが、これは何か転職のきっかけというのは現れたんでしょうか。
【佐藤】とにかく樋口リーディングも、ITがすごい残業が激しくて辞めたのに、そこでもまたすごい働きすぎてしまって、それ以上に働いたんじゃないかっていうぐらい働いてたんで、とにかく辞めるっていうのだけ決めてちょっと辞めて、自分の人生に向き合おうみたいな感じにしてたんですけど、
そんな時に町内洗浄の機械、日本で売っている会社が2社あって、ドイツの機械売っているところの社長さんが、私の働きすぎが面白いな、君と言ってくれまして、本当にお声掛けで、君がもし興味があるのであれば、
医療サイドでアイルウェーダーを勉強している先生とのつながりもあるし、統合医療という西洋医療ではないジャンルの学会とかに参加して、そういう勉強させてあげることもできるから来ないかっていうのがきっかけで、
医療機器だったりとか医療業界に興味があったわけではないんですけれども、その統合医療とか、もっとアイルウェーダーがリラクゼーション業界というジャンル以外、本当に病気の人も含めて、現地のインドとかスリランカみたいな形に近い提供ができるような道があるのかなっていうのを模索したくて、
それで一度、医療業界の社長のところに出資入りさせてもらいました。
【佐藤】その医療機器を販売する会社での思い出なんてございますでしょうか。
【佐藤】産婦人科さんをちょっと、いろいろ全国巡ったりして、いろんな先生たちとかとお話しする機会もあったんですけれども、
アポとって、病院に行って、教授に会おうとしたら、教授にアポをすっぽふかされることなんて感じれるという、白い巨頭ってすごいなという、西洋医学のちょっと闇をはっきり目の当たりにしたのと、
その中でもすごい、私のお客様とかでもお医者様いたりとかしてて、一生懸命働かれてるお医者さんの先生もいらっしゃるんですよね。
だから、一概に医療がだめとか西洋医療がとかではなくて、もうちょっと広い視野で、一生懸命働いてる人とか、社会が良くなっていくことっていうことにフォーカスを当てて、世の中を見れるようになるといいなっていう。
本当に、闇も満たして光も満たしている感じです。うまく言えません。すみません。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
17:01

コメント

スクロール