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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社ジーニー代表取締役社長の工藤智昭様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
神奈川県出身、バセル大学大学院卒業後、リクルートの方にご入社されています。
大学時代から企業式ネットベンチャー企業を経営されていらっしゃいました。
リクルート入社後、事業開発にしてインターネット広告事業推奨を行い、国内最大のエリアアドネットワーク広告地区を手掛けられました。
2010年、日本初の世界的テクノロジー企業を作りたいという思いのもと、株式会社ジーニーを設立。
同社代表取締役社長にご就任されていらっしゃいます。
2017年12月には当初、マザズに上場された上場企業の社長様でいらっしゃいます。
工藤様、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。ジーニーの工藤です。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、神奈川県ご出身ということで、小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられたという思いがありますでしょうか。
そうですね。小学校の頃は2つ思い出がありまして、
1つは小学校時代、結構体が弱くて、年に1、2回とか入院していました。
肺炎になって2週間病院にいたりとか、そんなのもよくあったりとか、
あとは全息を持っていたので、全息が起きた時は朝まで寝れないとか、そういうことが多かったですね。
入院している時に結構暇なんですよね。何もやることなくてですね。
ただ全息とかでですね、起きている時も朝4時ぐらいでずっと暇でですね、ただただ寝れないという状況なんですけど、
その時にですね、よく空想とかをしていました。空想していてですね、その時に思ったことがあるんですけども、
そういった病院とかのベッドでですね、何も起きないような日々を過ごすよりも、すごい体が弱かったのでですね、
毎日ですね、良いことも悪いこともあるような、一生懸命ですね、こう生きるような人生を生きようというのをですね、
心に決めたのがですね、小学校の頃の1個の思い出ですね。
もう1個はですね、おばあちゃん家がですね、農業をやってて、家の近くにですね、結構畑があってですね、
先週もお野菜とかをですね、家まで届けてくれたりするんですけど、してもらってたりするんですけども、
大学行くまで、高校くらいまではですね、農業の方をですね、手伝ってましたね、暇な時とかに。
で、正月の時とかですね、アルバイトの人をたくさんに来てもらってですね、
七草っていうのを詰めて何万パックっていうのを出荷してたりしたんですけども、
たくさんの人がですね、1個の目標に向かって協働して働いて、
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で、それを商品として送り出したりとかしたりとかですね、
あとは、七草を洗ったりするプロセスとかですね、箱詰めのプロセスとかをどんどん改善していくことで、
どんどんどんどんですね、収益性が上がったりとかですね、そういったのを見ていってですね、
経営することってすごい面白いことだし、
働いている人もね、アルバイトの人とか近所のおばあちゃんとかも多かったんですけども、
幸せそうで素晴らしいことなんだなっていうのをですね、思ったのがですね、
小学校の頃の今でも覚えているエピソードですね。
小学校時代の農業経験と言いますかが、今の経営者を目指されるというかに、
一番最初の入り口になったみたいなお話でいらっしゃいますでしょうか。
はい、そうですね。
ありがとうございます。中学時代はどんな少年でいらっしゃったんですか。
中学時代はですね、あんまり良くなくてですね、
学校に行くフリして、学校行かないみたいなことを頻繁に繰り返してしまってですね、
友達と遊んでましたね。
なんか多分、自分の情熱をぶつけられる分がなくてですね、
ただただ、自転車で家の近くから横浜とかですね、
本町とかみたいな友達と行って、そこで遊んで、
学校行ってきたフリして帰るみたいなことをしてました。
不良とかそういう感じではないんですか。
ギリギリ違います。
なるほど。ありがとうございます。
高校は神奈川県内の高校でいらっしゃいますでしょうか。
そうですね。神奈川県の高齢高校というところでですね、
一応その区の中での一番いいと言われるところだったんですけども、
遊んでた後にですね、いろいろトラブってですね、
めっちゃ親に怒られてですね、
ちゃんとした高校に行けってものすごく怒られて、
そこからものすごい勉強してですね、
なんとか行けることになりました。
一番いい公立の高校に入られるということは、
相当やっぱり頭の面積でいらっしゃると思うんですけども、
高校時代の何か思い出というのは何かございますでしょうか。
高校時代もダメでですね、
いつも友達と遊んでてですね、
学校終わるか、学校もたまに行かなかったりしましたし、
あとはですね、学校終わった後にですね、
僕は不良ではないんですけど、
不良の友達とかもいてですね、
バイクで湘南とかによく夜中に行って、
すごい勢いで走ったりとか、
すごいスピードで走ったりして、
すごい気持ちよかったなっていうのが思い出ですね。
なるほど、その後早稲田大学にご入学ということですが、
早稲田大学で選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか。
そうですね、なんとなくいいイメージがあったのと、
慶応がやっぱりそのすごい育ちがいい方から
行かれる学校だってイメージがあったので、
なんとなくそっちのいいイメージがあったからという感じですね。
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やっぱり早稲田に入られて、それも理系でらっしゃいますよね。
はい。
そういうことは、やっぱり学校の成績も
よろしかったんじゃないかと思うんですか。
大学の頃ですか。
高校の頃ですね。
高校もですね、2年目まではちょっとダメだったんですけど、
3年、最後の1年もちゃんとすごい勉強してですね、
なんとか良くなった感じですね。
特に数学とか理系のものに関してはものすごく良かったですね。
最終的には良くなりました。
中学の時も高校の時もなんか爆発力があるというか
集中力があるというか、そんなようなお子様で
いらっしゃったという感じでいらっしゃいますね。
そうですね。
国語とかを全然勉強しなかったりとかしたんですけども、
自分の中で取捨選択を勝手にしてしまってですね、
良い教科とできる教科とできない教科が
すごいあるような学生でした。
なるほど。
大学時代の思い出というのは何かございますか。
大学はですね、初期の頃は1年目とか2年目の頃はですね、
マージャンをよくやってましたね。
早稲田大学ね、やっぱりマージャンやってる人多いんですけども、
駅でですね、待ち合わせするんですけども、
授業行こうぜって言ってですね、
授業にたどり着く前にですね、学校にたどり着く前に
残暑がいくつもあってですね、
とりあえず打ってから行くかみたいな話になるんですけども、
そうするとですね、夜まで打っちゃうみたいなですね、
マージャンをですね。
そんなことはありました。
ですけど、マージャンでですね、勝負強さとかですね、
勝負することに関してはすごいあの、
哲学みたいなですね、作り上げるぐらいまでやり込みました。
じゃあ、マージャンが経営の方にも生きてるのはあられますか。
そうですね、はい。
まあ、勝負するって基本的にはちゃんと毎日守りじゃないですけど、
ちゃんとやった上で、たまに勝負に出るのがいいみたいな、
勝負して毎日勝負してるイメージあるんですけども、
多分、そういうのは本当の勝負士じゃないとかですね。
あとはですね、コンピューターサイエンスのですね、学科に入ったので、
そこだけはものすごい勉強をですね、頑張って、
コンピューターの勉強の時だけは必ず出てですね、
成績もすごい良かったですね、はい。
じゃあ、今の授業にもその大学の授業が生きてる分が
あられるわけですか。
そうですね、コンピューターがどう動いているかとかいうのはですね、
大学の頃に勉強して、自分でプログラミング言語とか作ったりとか、
授業でしたりとかしておりましたので、はい、とても生きてますね。
あとは大学院まで行ったんですけども、
大学院に行った時の研究所がですね、
早稲田でですね、検索エンジンを作ってました。
で、早稲田大学のホームページを全部集めてきて、
ユーザーが何かですね、キーワードを入れるとそのホームページを返すみたいな、
いわゆるGoogleみたいなものを作ってたんですけども、
研究室でですね、そこでGoogleの論文とかを見てですね、
研究がそのままビジネスに生きるし、
それが世の中を変えていくことになるんだっていうのをですね、
研究所でですね、知りました。
で、一方でですね、その検索エンジンにせよですね、
最先端の研究って誰がしてるんだっていうのは結構調べてたんですけども、
日本人でもですね、結構最先端の研究してる人が多くてですね、
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そういったGoogleとかが生まれるか生まれないかの違いってですね、
そのテクノロジーの問題じゃなくてですね、
ビジネスサイドの問題にすごいあるんじゃないかなと思って、
テクノロジーの会社を作りたいなと思ったのがですね、研究室の時ですね。
なるほど。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力番外編は後継者がいない、来ても継がない。
役員の誰かを示すが、M&Aで売却するしかないということでございます。
後継がいないのは皆さん方この時代は悩み多いんじゃないでしょうかね。
今回もこの収録、2020年の6月に収録をさせていただいていますので、
そうなるとですね、コロナの件でちょうどもう70歳だから、
過ごす人もいないから諦めたって言って辞めていってる企業さんが多く出てきてて、
問題になってる時代なんじゃないかなというふうな感じがしますね。
そういう意味でいきますと非常に厳しい課題でございます。
どうしようもなかったら排除しかないんですが、一つはM&Aで売っ払うことですね。
もう一つは役員の中から後継者を選ぶこと。
そして第三者から、第三の案は外から持ってくるという、
この3つしかないんじゃないかなというふうに思います。
役員の中から後継者を選べられたら本当は嬉しいですね。
逆に言えばそのためには、誰が通るかわからないので、
役員方を社長になれるように教育を事前にしておくことも重要なんじゃないかなと思います。
それが一番本当はスムーズでいいんじゃないかなと思います。
なかなかお子さんが最近つがないってケースが多いんじゃないかなと思います。
社長に聞くイメージウィズビズを収録してても、やっぱり社長様の息子さん多くいらっしゃいます。
でも上場企業の社長さんになられちゃったっていう方もいらっしゃいました。
いっぱいいらっしゃいます。
そうするとその会社どうなってるんだろうという話になってきます。
そういう感じでもいうことを考えていくと、
他人に譲る、場合によっては第三者、できれば会社の中にいる役員さんとか部長さんとか、
そういうケースがいいんじゃないかなというふうに私自身は正しい準備期間は必要だなと、
教育期間は必要だなと、そういうことも考えて、
どうなったかというふうに指名して事業処刑していくということも重要じゃないかなと思います。
どうしようもない場合は、やっぱり今の上でうっぱらうということも、
それはそれで幸せでございますので、いいのではないかなというふうに思っています。
本日は社長のことを記録、番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くイメージウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
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この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆さんの会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くイメージウィズビズはここまで。また来週。