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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社スピードコーチング創始者のクリス岡崎さんまでいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
年収100万円以下のクリスチャンボランテを20年以上続けていらっしゃいましたが、
身近に起きた若者の自殺の理由が、周りの大人よりになりたくないだったことをきっかけに、
子供がこれを身近なかっこいい大人とする役割という使命に目覚め、
40代半ばで世界ナンバーワンコーチ、通称トニーこそアンソニー・ロビンスと出会い、
コーチングの明るい未来を知られる方をインスパイアする可能性を実感。
彼に弟子入りし、60回以上彼のセミナーに参加。
同時にユニークなコーチングスクールを日本に開講。
3年後には著書を出版し、多方面が高い評価を得ていらっしゃいます。
クリス岡崎様をお迎えをしています。
今現在も数多くの本を出し、セミナーもやり、研修もやりというのがクリス岡崎さんです。
私も大変仲良い方でいらっしゃいます。
クリス岡崎様、本日よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身はどちらになられるんですか。
僕は東京生まれなんですね。
東京生まれですか。そうですか。
小学校、中学校時代はどんな幼少期を過ごしましたか。
僕は体が弱くてすごい病気がちだったんですよ。
だからどちらかというと家から出ない、本ばっかり読んでいる子でした。
今のクリスさんとは全然違う感じですね。
そうですかね。実を言うと僕ね、今も本の虫で毎日何冊か読むのは本当に。
月間でどれくらい読むんですか。
月間でどれくらい読むんですか。
だから多いときは1日10冊くらい読むんですよ。
300冊になっちゃうんですけど。
そうですね。2、300冊くらい読んでいる子が多いです。
多いですね。
普通に仕事をしているときは1日2、3冊くらいで。
本を読んでまとめてそれをセミナーにするとかですね。
たくさんの本から、ある意味1冊1行みたいなところからまとめたものを提供するみたいなところがあるかと思いますのでね。
本読むの大好きです。
クリスさんは情報の方法になっていらっしゃるというのは初めて知りました。
高校も東京の方の高校ですか。
そうです。
高校の時代はどんなことをして過ごしたのか覚えていますか。
僕ね、先ほど言いましたように体が弱くて喘息持ちで毎週母が病院に連れて行くみたいなところがあったんですけれども、
高校の時に喘息気味で、喘息に泳ぐのがいい、水泳がいいというのを聞いて水泳部に入りまして、
めちゃめちゃ泳いで、めちゃめちゃ泳いで、結構体は強くなったんですけどもね。
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その頃流行り始めた、僕の時代ですと、岡林信康さんとか吉田拓郎さんとかそういうフォークバンドが、
フォーク時代が幕開けで、僕もギターを始めて、結局それから数年後にはロックバンドを始めて、
音楽ばっかりをやるというふうに変わりました。
なるほど。私も水泳部出身で。
そうなんですか。
水泳は結構強い高校でいらっしゃったんですか?
全然、ただ本当に水に入っているのが、呼吸器を強くするみたいなところでも、
とにかく今でも水大好きなんですけどもね。
泳ぐのも大好き、水も大好き、海も大好き、音楽大好き、そんな高校時代でした。
なるほど。その後は大学には?
それから僕はクリスチャン系の勉強をして、そして段々と宣教師、牧師さんの道を歩んでいくんですね。
もうちょっと不思議なんですけども。
何でその宣教師、牧師さんの道に行こうというのを生まれているんですか?
僕は全く宗教の関係ない。
全く宗教の関係ない。
どころか、ロックバンドをやっている時には宗教とか日常からエネルギッシュなロックと宗教っぽいのって逆かな?みたいな感じだったんですけども。
その頃ですね、実はロックオペラというのが流行り始めまして、
これも世代じゃないと分からないかなと思うんですけども、
ジーザス・クライストスーパースターというロックオペラがありまして、
これがまた映画になりまして、そこら辺を見ているうちに、
なんか不思議な、ジーザスかっこいいやつじゃないかと。
ロッカーじゃないかみたいなね、そんな感じのイメージがですね。
革命家ジーザスとかですね、伝統の破壊者ジーザスとかですね、
ヒッピー時代とかですね、なんか精神的な革命的なジョージ・ハリスがインドに行ったとかですね、
そんな時代なんですよ。
なので精神的なものに目を向けるロックとジーザス・クライストスーパースター。
そんな時にですね、アメリカ人のめちゃロッカーだった人が宣教師になって日本にいた方がいて、
その方とはすごい親しくなって、結局その人は僕のギターの先生なんですよ。
ロックのギターの先生がめちゃいいクリスチャンで、そこからクリスチャンになろうと。
ちょっと不思議な。
初めて聞く話ばかりなんで、ちょっと今驚いてますけども、
そこから経歴書にもあられました、クリスタンボランティアを続けるという。
そうなんです。
ボックス師さんになろう、宣教師になろう。
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宣教師になって世界中を飛び回って、インド行ったり、ロシアに行ったり、中国に行ったりしたいと思ってたんですけどもね。
そんなところで本当にクリスチャンの勉強と、ちょっと片破りだったと思います。
賛美歌はエレキギターでバーって弾きたいタイプというわけが分からない。
聞きたいことがあまりにも増えてしまった。まとまりがつかないくらいなんですが。
別に働くというよりは宣教師が本業みたいな感じですか。
そうですね。
なるほど。それを20年も続けられちゃったんですか。
そうなんです。僕は子たくさんで、結婚も早かったんですけどもね。
20歳で結婚して、それから毎年子供がどんどん生まれていって。
だから本当に子育てが生活の中心。
自分の子供を育てる、そしてクリスチャンの勉強をする、それをお伝えするみたいなことを20年くらい、本当にボランティアです。
ご両親とかご反対とかご親族が反対とかなかったんですか。
そうですね。ぶっちゃけ言うと両親は全く反対していなかったので、家を飛び出してそういうことをやっていました。
なるほど。そこから今のスピードコーチングさんにつながるアンソニー・ロビンスに出会うというところがあるんですが、これは何かきっかけがあったんですか。
本当に実はすごいきっかけがあって、幸せだったんですよ。本当に家族で幸せで、ある意味愛のある家族なんですよね。
クリスチャンなんでね。ただしクリスチャンでもルールが厳しいというよりは、本当に生き生き生きるという生き方だったんですけれども。
周りにもクリスチャンもいろいろいたんですけれども、そんな中でいろんな子たち、若い子たちにお話をしたり町に出て若い子たちと話をしたりとか、
そんなクリスチャン活動をしている中で親しくなった子はいるんですけれども、すごく親しくていろいろ手品を教えたりとかね、
聖書を教えたりとか、いろんなことを一緒に遊んだりとか、勉強したりとか、いろいろ法師活動的なことをやりながらいたんですけれども、
ある時、彼が自殺しちゃったんですね。で、なんで自殺しちゃったのかってね、すごくその時に人生で今までで一番、
クリスチャンの先教師だったりとかするので、生きること死ぬこと考えるんですけれども、こんな身近な人が死んじゃったの初めてですごく考えて、
それからそこから、彼はティーンエイジャーだったので、そこからティーンエイジャーに先教師するというかお話をする、または聖書のことを教えるということを集中してするようになって、
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それから2年ぐらいしてまた親しい子が自殺しちゃって、その時に息子の親友だったんですけれども、後で息子に聞いたんですけれども、
彼が死ぬ前に言ってたことっていうのがあって、それはもう大人になりたくないと。大人になりたくないと。
で、彼はね、まあ本当にそれで本当に人生終わっちゃったんですけれども、周りの大人を見ると本当に死人みたいだと。
もういつも嫌だ嫌だと、仕事が嫌だ仕事が嫌で、毎日嫌な仕事をして、それでこうもうイライラして怒って、
これ将来こうなるんだったら何のために生きてるかわかんないって言って、自殺しちゃったんだっていう話を聞いて、
そういう時、僕なんか周りの世界がガラガラと幸せに生きていったのに、ミッションもありポリシーもあり家族もいて、
でもそんなに身近な子が大人になるのが嫌だ、そんな生き方嫌だって言って死んじゃったっていうところでガーンと衝撃を受けて、
その時に、いやもう俺の身近で、僕の身近で大人になるのが嫌で死ぬ子がいないようにかっこいい大人がいてほしいなと。
仕事を嫌だ嫌だって言ってるんじゃなくて、いや俺仕事大好きなんだよって、いや俺ね、やっぱ仕事って面白いよってね、
いやあ仕事大変だ、でもビールがうまいとかですね、本当に大変かもしれないけども、そこにやりがいがあるよ、生きがいがあるよっていうような大人が増えて、
大人になってほしいと、そこから僕がらっと変わっちゃって、それで何ができるか、子供やティーンエイジャーの自殺をなくするために、
いじめをなくするために何ができるかということで、いろいろこう活動を始めました。
なるほど、最初の活動はどんな活動だったんですか?
まずはですね、身近なところで僕の近しいところにいるティーンエイジャーだったりとか、
そういう子たちとやっぱり大人になる生きがいということを話し始め、また僕がそういうことあったのね、周りの大人にも話してましたので、
大人がもっと子供たちから見て、大人かっけえなと、いやああいう大人になりたいなと、
いやうちの親父頑固だけど、最近頑固親父いるかどうかわかりませんけども、でもね一本心当店だよねということを、
いや映画やドラマだけじゃなくて、日常でも見せてくれる大人がいたらいいなと。
やっぱり日常でね、なんでしょう、偉そうなこと言っても小市民的なところみんなあるじゃないですか。
でもそこ子供たちにはちょっと見張っても、いや男たるもの、大人たるもの、まあそれほどじゃないんですけどもね、
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やっぱりこうなんでしょう、志を貫いたりとか、やりたいことのために歯をくいしばってでも頑張るのって意外と、
その後でやりがいあるよ的なところを見せてくれると嬉しいなと。ちょっと青春入ってますよね。
そうですね、森田健作のドラマを見て育った世代ですしね、ちょっとそういう青春な感じを大人が生きられるように。
ということで大人向けのそういったことをやっているうちに、なんとあるときアンソニー・ロビンスっていう人がいるんだということを聞いて、
もう脳電衝撃で、もう今すぐアメリカに行ってこの人に会って弟子入りしたいと思ったんです。
なるほど、そのアンソニー・ロビンスと出会う前は、じゃあもう研修みたいなことなり、セミナーみたいなことはもうやってらっしゃったと思ってよろしいですかね。
どうなんでしょう、子供向けとかティーンエイジャー向けにはちょっとグループでお話をするとか、大人の人とは一緒にお話をするみたいなことはありましたけども、
人前で話をしてというそういう研修とかっていうのは、参加することだって自分が話す側じゃなかったです。
なるほど、じゃあアンソニー・ロビンスの出会いからはそっち側に行ったみたいな。
そうなんですよ、アンソニー・ロビンスに出会ったときに、これが本当に日本に伝わっていったら、
本当にティーンエイジャーの自殺なくなり、大人が仕事が楽しいとか仕事が誇りになる、
なんて言うんでしょうかね、趣味の延長とかだけじゃないんですけど、やっぱりやりがいがある、生きがいがある生き方をしているっていう風になれたらいいなと。
なるほど、アンソニー・ロビンスと出会って、60回以上彼の説明を受けましたね。
今回の株式会社スピードコーチングさんを独立したみたいな、開講したみたいな感じですね。
そうです、本当に。
実はその前に別のことを、ほとんどボランティアなんですけどもね、やってたことあるんですけども、
起業しているっていうよりも、僕がクリスチャンとしてのアドバイザーとして、
どこかの会社とかに何かお話しさせていただいたりとか、たくさんの人じゃないですけどもね、
そんなところでやってたところがあるんですけども、アンソニーであって、
これ不可能が実現する可能性があると、誰でも何でも簡単だというわけじゃないですけども、
それで3つの夢っていうのをですね、3つの不可能な夢を持てみたいな感じがあって、
本当にそんなね、冷めた気持ちではできないような、すごい情熱を持ってやらなきゃできないようなことをやれと、
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言われて選んだものの一つが、アンソニーのようなセミナーをたくさん日本でも伝えられる人になりたいなと。
そこでコーチングの学校だったりとか始めるようになりました。
なるほど。当時の不可能な3つの夢なんて覚えていらっしゃいましたか?
はい。アンソニーのセミナーも何百人も来てるんですけども、パッと手を挙げてね、
何かね、このセミナー初めての人いるかい?ってね。
じゃあもう何回も来てる人いるかい?アンソニーが聞くんですけど。
はい。一番前の方にいたインド人の人が手を挙げてですね、
アンソニー、僕はここにね、一年前に来ましたと。
そして一年発起して、本を出して、そして僕の国のナショナルベストセラーになったんです。
え、ナショナルベストセラーなんて、どうかどう手をつけていいかもわからないと。
そういうことで、本を出してベストセラー作家になりたいなと。
そしてそれが伝わることが、そういうことを通してメッセージを伝えたいなと思ったので、
一つが、本を出してベストセラーになる。作家になる。
もう一つがですね、アンソニーのようにたくさんの人たちに
このライフコーチングっていうのを伝えて、
日本にたくさんの人がコーチングとかライフコーチングとか
そういうライフチェンジコーチングを知ることができるようになる。
これがもう一つですね。
もう一つはですね、億万長者になろうと思ったんですね。
そうなんですね。億万長者って言ってもね。
じゃあ見たことないような1億円的なものを目にする、手にするようなことをしたら、
やっぱり僕みたいにビジネス経験もないし、
そんな男が1年復帰してアンソニーに学んだら、
1億円できたよって言ったら、これエビデンスになるんじゃないかなと。
だからコーチングいいよって言っても、ふーんってね、どこが?って。
コーチングで人生変わるよとか言っても、
いやそうなの、もともとそういう人じゃないって言われちゃうかもしれないけども、
全然ビジネスやったことない人が、1年中1億円ぐらいになったって言ったら、
コーチング本当にすごいのかなと思っていただけるかなと思って。
やっぱりコーチングすごいって言っても、エビデンス見せないと、
いくら僕がすごいって言っても、僕がすごくなきゃしょうがないなと思って。
もともと牧師さんなんで、お金たくさん持ったらどうしようかっていうようなところじゃなかったんですけども、
エビデンスとしてやってみたいという。それがこの3つで。
経営者を応援する。社長の孤独力、番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、一所八行の残業代を減らしたいでございます。
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残業を減らしたいというのは、結構いろんな業種で聞きますが、
この働き方改革でもやっぱりまだ問題になっている企業さんも数多いんじゃないでしょうか。
本の中では、抜本的な改革をというふうに書いてあります。
一番は資金制度をみなして固定残業制度、みなして残業制度に変えてあるどうかという話と、
あと残業を禁止するというのと、あと副業を受けにしたらどうかと、こういうことを言っています。
うちの会社では副業推奨でございまして、
それぞれ社長をやっている、裏というか副業で社長をやっているのが結構いらっしゃいます。
そうすると社員は18時ぴったりして、うわーっとスピードで帰っていったりする。
そういう方がございます。
そういう意味では残業は非常に少ない会社なんじゃないかなと思います。
また夜19時ぐらいになると、この前なんか19時半ぐらいに私が食事会終わって戻ってくるから、
会社が開いていなくて鍵を自分で急いで財布から出し、鍵を開けたという経験がありますが、
結構早くみんな帰っていくと。
それは一つはみなして残業制度にしている部分もあるし、一つは残業を禁止にしているというのもありまして、
そういうことになっています。
そういう意味で残業をまずもともとやっちゃいけないという企業文化というか組織風土にしていくということも大変重要なんじゃないかなと思います。
もう一つは残業をすることで給料が上がるとか会社が良くなるということはないということで、
そんなことをしなくても給与がちゃんと上げ続けられるということができてくれば、
残業も減ってくるのではないかとこういうふうに思います。
そういう意味ではこの次のテーマである給与システムとか人事評価制度とかそういうところまで踏み込んで改革をした方がいいので、
かなり抜本的に改革をした方が残業は減るのではないかなと思っています。
そういう意味で企業文化、組織風土、人事評価制度というのを見直していくことが大変大切なんじゃないかなというふうに思っております。
全業材を減らしたい。社長の孤独力番外編でございました。
本日もどうもありがとうございました。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆さんの会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
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ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。