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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、リックソフト株式会社代表取締役大抜広志様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
明治大学大学院卒業後、日本電機株式会社に購入した。
2005年1月にリックソフト有限会社設立代表取締役まで御就任。
そして、2019年には東証マザーズに上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
社長様、本日はよろしくお願いします。
大抜きです。どうぞよろしくお願いいたします。
まず最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
出身は茨城になります。茨城の龍ヶ崎というところで、名前がかっこいい町で2番目になっている町です。
龍ヶ崎だと、新興住宅地使わない?
はい、もう根っからの龍ヶ崎に住んでいた地元民であります。
小学校時代の何か思い出とかございますか?
小学校時代ですか、田舎の中の田舎の小学校だったので、クラスは1クラスか2クラスしかなくてですね、
私たちの台だけ確か2クラスになって、それ以外はもう1クラスで、
田舎でやることなく、小学校の時はすごく面白いことといったら、道端に落ちているテレビを、
その頃からちょっと理系の子供だったので、何でも中身を覗きたいと思っていたんですね。
なので、道端に転がっていたテレビを拾ってきたり、中どうなっているんだみたいなものを、
一人でコツコツ分解されたものをさらに分解して、その辺りで楽しんでいるような小学生でしたね。
いろんなもの分解されたんですか?
分解しましたね。親からは破壊者と言われて、目覚まし時計のボリュームが小さいので、
ちょっと大きいスピーカーをつけてみたり、小学校6年生の時ですかね、
クリスマスツリーに昔はピカピカ光る、ライトアップする電飾があったんですけど、
ちょっと仲間がうちに勉強で集まった時に、これ100ボルトコンセントにつながって電飾が数十個つながっているんですけど、
これ1個にしてみたらどうなると思うとか言って、分からないよねとか言って、
実際1個にして100ボルト電源にピッとつなげたら、予想通り一瞬でパーンと破裂してですね、
勉強どころじゃなくて、親に見つからないように飛び散った電球を、かけらを拾うような感じになって、
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そういう、友達が集まってもそんなことばっかりやっているような少年でした。
小学校の時から研究メッセージが勧められたんですね。
そうですね。何か興味があると、それを考えたり行動せざるを得ない、そんなような少年でした。
中学校ではどんな個性に出られたんですか。
中学校は、少し運動系に入っていましたけど、あまり自分運動が得意じゃないというのを分かって、
読書とかそっちの方に時間を使うような形になってきましたね。
その読書は今でも実は続いていて、はい。
中学時代の思い出の本とかありますか。
中学時代は、早川ノベルズとか、好きな人たちが集まるとあれいいよねということで、
すごくガンダムとかもアニメじゃなくて小説になっていたり、
古い名作と言われるようなものを数十年ぶりに会話する時があってですね、今でも。
あの頃は何なんですかね、中学生だったからだったのかもしれないですけど、
非常に小説にハマっていた、読書とかにハマっていて、
いまだに覚えている、いまだにすごく思い出すと熱く語ってしまうような、
そんなような時代を過ごしていました。
なるほど、ありがとうございます。
高校は茨城県内ですか。
高校はそうです、茨城の県立藤城高校というところ。
高校時代の思い出とかそういうのがございますか。
高校時代はですね、家から実は高校までがすごく遠くてですね、
今では考えられないくらい距離を自転車で通学していたんですけど、
1時間くらい自転車に乗っていまして、めちゃくちゃ体が鍛えられてですね、
それで結構陸上が速くなって、時々選手に選ばれるようなとか、
そんなのを覚えています。
往復2時間?
往復2時間ですね。
それはちょっと普通じゃないですか。
普通じゃないですよね、はい。
だから電車とかでは行きづらい?
そうなんですよ、最初に言ったようにうちの自転車は、
すごく田舎の方にあったんで、交通機関があまりないんですね。
もうなくて、小学校は今廃校になってしまって、
加速化が進んでいた地域だったんで、そこから高校に行くとなると、
自分の行きたい高校に行くとなると、距離は離れていて、
受験だったんで、それ覚悟で受験したんですけど、
実際3年間通うと、予想以上に遠かったですね。
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ありがとうございます。
大学は明治大学に行かれてらっしゃるということですか?
はい、そうです。
明治大学を選ばれた理由は?
明治大学はですね、実は明治大学に入ったのはたまたまでして、
もともと、私が最初に言ったように、電気がやりたかったんですけど、
工学部電気工学科というのを、いろいろな大学を受験していたんですけど、
たまたま受験のスケジュールの都合で、
明治大学だけ情報科学科というのが、受けやすい日程だったんで、
正直何をやるかわからなかったんですけど、
それを受験させていただいて、
実は友達と話をしていると、友達も実は明治大学に向かっていたので、
じゃあ明治大学に行こうか、一緒にみたいな形で、
そいつは理系じゃなくて文系だったんですけど、
仲良くて一緒に勉強していたというのもあって、
それで、もともと狙っていたバリバリ理系の電気の方から、
それを受験させていただいて、
それを受験させていただいて、
それで、もともと狙っていたバリバリ理系の電気の方から、
情報科学科というのはコンピューターのところだったんですけど、
今考えると、そこをたまたま進学したのが、
今につながっている、
自分の中で大きなターニングポイントだったかなと思っています。
じゃあ、コンピューターがそういうのに接するようになったのは明治大学?
コンピューター自体は中学から好きだったんですけど、
高校に入ってそれほど好きではなかったんですね。
なので、少しコンピューターから離れていたんです。
中学の時に一回、その前言った小説の仲間と読んでいた仲間たちと、
その頃ベーシックとかが流行っていて、
その辺りを一緒にやるメンバーが同じ人間だったんですよ。
なので、中学の頃はベーシックとかでプログラムを組んだり、
ゲームで遊んだりしていたんですけど、
高校の時離れて、また大学になって、
今度は本格的にしっかりとしたところでコンピューターを学ぶ、
あとコンピューターとかソフトウェアですかね、
情報科学科で、英語で言うとコンピューターサイエンスだったので、
そちらをしっかり学ぶという経験ができて、
そこでコンピューターの歴史って浅いけど面白いというのが分かって、
すごくのびり込んでいった時代ですね、大学は。
大学にまで出られてから、コンピューターソフトウェアのほうにのびり込んだからですかね。
そうですね、大学の3年生から、私たち実は1期生だったので、
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ゼミ室が使い放題で、週3ゼミ室に泊まり込んで、
ずっと好きなことをやっていましたね。
その頃まだインターネットがなくてですね、
ちょうどインターネットの前身のジュネットっていう、
なんなんだろう正式名称は、ジャパン・ユニバーシティになっちゃって、
大学だけをつなぐインターネットの前身みたいなところがあったんですね。
そこで海外の大学のほうから流れてくる新しいソフトウェアを、
日本の中でも使えるようにするっていうので、
その頃からやはり日本語の問題があって、
海外のものを持ってくると普通に動かなくてですね、
それを誰かがパッチュ、修正版を当てたものを、
どっかの大学の人がまたネットの中に流すんで、
それを当てて、動く時もあれば動かない時もあるとか言って、
そういうのを毎日やりながら過ごしていて、
その時は、なぜこんなにパワーというか、
やる気があったんだろうってわからないくらい、
本当に止まりがけでそういうことを、
誰のためというわけでもなくやってましたね。
1900年代ぐらいですか?
1900年代ですね。
私が卒業して入社は95年だから、
1995年か94年ぐらいからインターネット元年とか?
そうです。
そこができる前なんで、
私がNECに入社した時あたりが多分インターネット元年ですよね。
インターネット元年ですよね、1995年とかが出て。
その後日本電気株に対してNECさんにご入社された。
こちらを選ばれた理由は何かある?
もともと電気系が、あとコンピューター系が好きだったので、
日本のメーカーにどこかには就職したい、
もしくは日本IBMって思ってたんですけど、
いろいろ企業研究をしていく中で、
実はNECだけが当時中途採用をやってなかったんですよ。
なので今では普通に中途採用を当たり前にやってると思うんですけど、
新卒のタイミングを逃すとNECに入れないかもしれないみたいな、
変なプレミア感みたいなのを自分で感じ取ってしまって、
NECがいいなっていうのと、
やはり当時はNECの家庭用コンピューターが日本中で広まっていた時期だったので、
それを作っている会社に就職したいと、
その2本がNECを選んだ理由になりますね。
NECの中ではどんな仕事を?
NECの中ではですね、
NECでいろいろ大きく通信とかコンピューターとかあるんですけど、
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私はシステム開発というところで法人向けのシステム開発をやる、
大きな舞台の中ではそこの舞台になってまして、
その中でもメーカーがNECでない製品を仕入れてお客様にソリューションとして提供するみたいな、
昔はマルチベンダーとか言ってた走りだったんですけど、
なので社内からは裏切りものとかですね、
社内に同じものがあるのになぜ他社製品を使うんだとか言われながらも、
いやいや、これ他社製品負けないものの良いものを作ってよみたいなことを社内では議論しながら、
社内にある良いものと社外にある良いものを混ぜ合わせてお客様に最も良いものを提供するんだみたいな言い方で、
それを選定する技術部のところにいました。
そこでずっといらっしゃったんですか?
そうですね、そこにいて様々な経験はさせてもらいましたね。
そのまま2005年にビッグソーという面会社を設立するということなんですが、
これはいわゆる独立と思っている製品ですか?
独立、はいそうです。ただその前にNECはだいぶ前に辞めてまして、
実は3年半くらいで辞めてまして、
フリーランスというか個人事業主を7年くらいやって、
その後に有限会社化して会社を作りました。
じゃあNECさんを3年半くらいで辞めた時が実質の独立ということですね。
そうですね。
だから独立するきっかけとは何ですか?
きっかけはですね、NECの仕事も楽しかったんですけど、
やはりソフトウェアを大学で学んで、
あの時の3日泊まり込んでやっていたような、
あの時ほど会社の仕事にのみ込めなかったというのがあって、
やはりソフトウェアを作るとか、
使えるソフトウェアを外から見つけてきて、
誰かに使ってもらうとか、
そういったことをやりたいなと思っていて、
そこがきっかけでNECを辞めましたね。
アメリカはフリーランスでそういうプログラミングマシンのソフトウェアを一緒に売り取ったという感じですか?
そうですね。最初は本当に辞めたきっかけはある。
当時もベンチャー企業ってあって、
そこのベンチャー企業の社長さんに誘われて、
一緒にこの業界のこの分野を取りに行こうよということで、
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時代的にちょっと早すぎたので、その事業は成功しなかったんですけど、
ベンチャーでプログラミングを中心に2年くらいですかね、やってまして、
そこのベンチャーがうまくいかないというのが分かったので、
ベンチャーだったので働き方がひどかったんですね。
本当に15、6時間プログラミングしているような、
昔のベンチャーってそんな感じだったので、
そんな生活をしていた時に、私も既に家族を持っていたので、
それが一回ダメになったと分かったら、もうちょっと真面目な仕事をしようということで、
実は近場で安定的な金融系の職場があるというのを探して、
そこに入り込めるような、個人事業主で入り込めるような経路を探して、
そこに面談しに行って、計画通りそこに入ったという形ですね。
じゃあ、フリーランスとして、個人事業主として金融系の会社に売り込んだ。
売り込んだそうですね。
当時からネットを探せば、ここの人たちはこういうところで集められて、
こういう経路で入ってきているという、IPM系だったんですけど、
それもNECに入ったので分かったこともあるんですけど、
こういうIT業界って、こういう流れでこういう構造で、
こんな人の集め方しながら業界に成り立っているというのが分かったので、
逆算すると、ここに行けば多分ここに行けるだろうと思っていたら、
それが千葉県の柏市の、そこで10年間ぐらい仕事することになったんですけど、
金融系の会社さんで。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、じいさま家具メーカーでそうです。
しんたんさん、こんにちは。
在宅勤務へ対応するために最近業務ツールをいくつか導入しました。
その際、ウィズディさんで開催された
サイボーズ青の差の効率化の内容を大変参考にさせていただきました。
ありがとうございます。こちらこそありがとうございます。
まずは何かとデータ管理へ移行し、日報や業務報告、社員同士のやり取りなども
全社公開をしていくようにしました。
全ての日報を社員同士のやり取り、全社公開するんですかね。
そうすることで、情報の管理や共有もしやすく、
生産性向上や社員同士のコミュニケーションにもつながるだろうと考えていました。
しかし、管理者の年齢も高く、何とか頑張っていますが、きちんとツールを使いこなせるのは事務のみです。
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社員から逆に使いづらい、こんなたくさんのメールは見ている暇もないし、
重要なものまでも生まれてしまうとブーイング喝采で、
勝手に従来の方や相方に戻ってしまう社員も出てきた始末です。
アナログな社員が多い企業でも、ITから推進するお勧めの方法はありますか。
実際の作業効率が落ちているようであれば、元に戻す方が良いのでしょうか。
アドバイスをいただけると幸いです。
私の考え方なので、正しいかどうかは別として、
G様自身が、いわゆるパソコン前で全部やり取りするということにしていらっしゃいますでしょうか。
一番最初に導入の時は、会議も全部Zoomとかでやるし、
口頭で報告にしたら、メールで報告しなさいというふうにします。絶対です。
メールで報告しなかったら、それを人事評価にし、
報告がないということで、どんどん役職を下げていったり、
給料を下げていったりします。
まずはG様がそれぐらいの覚悟を持ってやらなきゃダメですね。
そしてG様が一番やらなきゃいけない。
社長様自らがIT化を一番やらなきゃいけない。
社長自らが全部メールで返信するぐらい。
そんな感じでやってみたらどうでしょうか。
プラス、もし管理者がこんな仕事にならないとなったら、
すごい厳しいこと言いますよ。
クビにしてください。
解雇ができなかったとしても、そういうふうに追い込んでいただくことが重要だと思います。
何でかというと、そうしないと生き残れない。
もしどうしてもそれが嫌だというのだったら、
他の会社に移っていただくしかないです。
だって会社として、相乗方向性、IT化を推進して、
何とか生き残って成長していこうとしているわけですから、
それができないなんてありえないですね。
ですので、管理ツールを使いこなせない人は、
やめていただくという方針を固めることが一番最初だと思います。
もちろん管理職の方に一生懸命説得はするけど、
それでも使いこなせなかったら、
少しずつゆっくりと他の会社に移っていただくことも
視野に入れながら動かしていくことが重要なんじゃないでしょうか。
そのITツールだけは、嫌でも大でも何にしても、
とにかく使う。これしかありません。
ちなみにうちの会社も、この前半年前かな一年前かな、
G Suiteに変えて、ブーブー私文句言ってました。
ブーブー文句言ってますが、絶対に入れた以上は絶対に使いこなすので、
私が使いこなしてます。もちろん。
絶対こうした足で使いこなしてます。
使いこなせないなんてありえないですね。
文句言いますよ。私ですから。社長ですから。
でも私パソコンの前でずっとやってますし、
私自身も2週間1回ぐらいしか会社に来てませんし、
今日ちょっと珍しい会社に来てますが、
Zoomで全部会議やってますし、資料などもメール等で全部やり取りでやってます。
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そういう意味で、とにかく社長自らがまず使いこなすのが第一。
第二に使いこなせない社員は辞めてもらうという覚悟を決める。
そして全体のルールであったりとか、何でしょうね、
マニュアルであったりとか、もしくは社内規定、社内規則的なものも
全部そのIT側に合わせて全部変える。
そしてそれを使わねばならないようにする。
何なら倫理だろうが、何だろうが、発注システムだろうが、何だろうが、
全部そうするということですね。
おそらくですね、家具メーカーさんですので発注システム等々とかですね、
ECサイトとかやってらっしゃるんで、もうその部門は多分やってらっしゃるんだと思います。
ですのでそこに合わせて組んだという方針を固め、
きちっとその方向性で動かせるということが重要なんじゃないかと思います。
ぜひそれぐらいの覚悟を持ってやっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただき、
KAノートのサイトをご覧になっていただければと思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。