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2025-09-03 17:53

第450回 岩田美生氏(株式会社Colorfraise代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社Colorfraiseの岩田美生氏にお越し頂きました。

 

13年間結婚式場に勤めるも、大手のパッケージに当てはまらないニーズを解決するため独立。

法人設立と同時に新型コロナ襲来で仕事をなくし、再起をかけるお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

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サマリー

株式会社Colorfraiseの代表取締役、岩田美生氏は自身の経歴や小学生時代の思い出、演劇に対する思いを話します。また、オリエンタルランドでのアルバイト経験や俳優を目指した時期についても触れ、人生の選択について考えます。岩田氏はディズニーやオリエンタルランドでの経験を通じて、人を大切にする接客の重要性を語ります。さらに、ベストブライダルに転職した経緯やウェディングプランナーとしての役割についても言及します。

岩田氏の経歴紹介
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社Colorfraise代表取締役 岩田美生氏でいらっしゃいます。
まずは経歴をご紹介させていただきます。株式会社はオリエンタルランド巡礼社員として入社、
その後、ホテルミラコストの開業準備室で正社員になり、ホテル開業プロジェクトでお勧めになりました。
その後、株式会社ベストバイアルに転職、結婚式場のお勤めになっていらっしゃいます。
その後、2018年に個人事業に据えて独立、結婚式のプロデュースや結婚式場の業務改善などをやっていらっしゃいます。
女性社長様でいらっしゃいます。本日はよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は横浜ということで、横浜でどんな小学校時代を過ごしたかと思えますか?
出身というか生まれが横浜なんですが、小さい頃にすぐ千葉に引っ越しているので、千葉出身が正しいかもしれないです。
千葉ではどんな小学生時代を過ごしたかと思えますか?
小学生の時は絵を描くのが好きで、何か自分がゼロから作り上げることに心奪われる子供でして、
父とか母に女の子なんだからアグラは描かないでとか、女の子なんだからって言葉にやたら敏感で、
なんで女はアグラを描いちゃいけないんだ、みたいに心の中で思っていて、
父にいろんなことを怒られたりしても、納得いかないことに対しては心の中で、
いつか言い沸かしてやるぞって思っていました。そんな子供でした。
では不良症状ではなくて、いい子だったけども実はクソって思っていたのか。
そうですね。たぶんいい子だったとは思います。
なるほど。物作りみたいなのが好きっていうのはどんなものを作っていたんですか?
主に絵を描いたり、歌を歌ったり、何か自己表現をするっていうのにいつも心を奪われていたり、
あと暗記力がものすごい高くて、一回読んだ絵本とかを全部空で言えたりしました。
今は全然無理ですけど。
じゃあ天才症状だったってことですね。
いや全然天才とかじゃないと思うんですけど。
ありがとうございます。中学も千葉でいらっしゃいますか?
そうですね。中学も千葉です。
中学時代はどんなことをして過ごしたか?
中学時代は絵を描いたり、自己表現っていうのはずっと変わらずやっていて、
中学の時に芝居に興味を持って演劇部に入って演劇をやっていましたね。
なるほど。演劇部ではどんなことをして過ごしたかって思い出はございますでしょうか?
自分がやりたい役になれなかった時とかに、自分はこっそりしてるつもりなんですけど、
周りにはすごい私の気持ちが漏れてたみたいで、これやりたいんだよね。
じゃあ次回ね、みたいに言われたり、そんなこともありましたかね。
割と主役側をやってらっしゃったんですか?
いや、その時もありましたけど、そうじゃない時もありましたね。
でもなんか主役がすごくいいというよりは、何か自分の中に引っかかる役がいつもあって、
私はこれがやりたいっていうのははっきりしていました。
なるほど。ありがとうございます。高校も千葉でいらっしゃいますか?
高校も千葉です。
高校時代はどんなことをして過ごしたかって思いでございますか?
高校は中学校を卒業して高校に行くときに、母に演劇が有名な高校が遠くの地方のほうにあって、そこに行きたいって言ったんですよ。
そしたら母が泣きながら、そんな河原小敷みたいなことやめてちょうだいって言われて、
じゃあ大学に入ったら、ちゃんともう一つ好きだった絵の学校に入って、絵で就職をしたりするから、
その約束で高校だけは公立ではなく私立の、千葉の中では大会で優勝したり、
お芝居で優勝したりするような演劇部が有名な高校に行かせてくれって言って、
そこに入って劇団というか演劇部で3年間必死にやってましたね。
なるほど。高校時代の思い出なんてございますか?
やっぱり部活に頑張っていたことと、あと中学のときは普通の成績でそんな目立つ子でもなく、
頭も別によくなかったので、本当真ん中らへんっていう感じだったんです。
それが高校のときに偏差値を、このお芝居の有名な高校に入りたいからって言って、
偏差値を結構下げて入ったんです、高校に。
そしたら自分は高校の中で何もしなくても一番の成績になれて、
そうすると周りの見え方というか、先生が私に対する態度とか、
周りの友達の私に対する態度とかが全然違って、
中学校のときとはまるで違うという感じが分かって、
成績がいいだけでこんなに違うんだっていうのが印象に残ってますかね。
なるほど。じゃあ成績は本当にトップクラスで。
その高校ではですね。
なるほど。ありがとうございます。
演劇をやっていらっしゃったということは、役者を目指そうなんて思った時期もあられたんでしょうか?
そうですね。そして途中までは役者を目指したいなと思ってやってました。
結構、社会人になってからも役者を目指されたものですか?
そうですね。社会人になってからも友達と劇団に入って、地元劇団なんですけど、
毎年公演したりとか、お客様も結構ついてきてみたいにやってましたね。
なるほど。ありがとうございます。大学は短大に?
そうですね。短大。美術系の短大に行ってます。
美術系の短大にお住みがあったのは、やっぱりお母様とのお約束?
そうです。約束したから絶対に遊びなきゃと思って行きました。
なるほど。演劇のほうが続けたかったのにって感じで。
そうです。でも絵も別に好きだったので、絵でもいいかなと思ってそういうふうにしました。
なるほど。その美術系の短大での思い出なんて、その時代の思い出なんて。
そうですね。この時は音楽もやっていて、バンドもやっていたので、
歌を歌って、一緒にバンドをやっていた人がちょっと有名な人だったので、
そのおかげでCDが1枚出ました。
すごいですね、それは。
私は何もしていないんですけど。
学生レベルですよね。
そうですね。
ポジションって言わないかもしれませんが、ギターとか何をやっていましたか?
ボーカルをしていて、これも歌が上手いからボーカルなんではなくて、
そのバンドを立ち上げた方が、
ミヨちゃん、今はヘタウマが流行っているから、ヘタウマで大丈夫だからヘタウマで行こうって言われて、
ヘタウマでも大丈夫って言われて、その言葉を信じて、上手じゃなかったけどボーカルをやっていました。
そうなってくると、今度は劇と歌手というと、
芸能界とかそっちに行こうなんてことは思われなかったんでしょうか?
あんまり思わなかったですね。
ただお芝居でも、例えばただ一言で芝居って言っても全然種類が違うと思うので、
昔からミュージカルみたいなものはあんまり好きじゃなくて、
どちらかというとアングラ芝居みたいな役者と観客の距離がものすごく近くて、
役者の唾が飛んでくるとか、役者の汗が飛んでくるとか、
そういうライブ感のあるものにドキドキしました。
考えると明るい芸能界とか華やかな世界というよりは、
知る人ぞ知る劇団の役者みたいな方がグッとくるというか、そんな感じがしましたね。
なるほど。ありがとうございます。
俳優を目指した時期
その後、俳優の道を模索しながら短大時代からロアイトしていたオリエンタルランドで
アルバイトをなさってらっしゃいました。
その辺はお母様とかバイト生活は特に問題はなかったんでしょうか?
全然途中、電車の定期券内だったんですよ。
なので、しかもあそこだったら安心よねみたいな感じもあったので、
全然反対もされずに楽しく毎日アルバイト生活していました。
なるほど。オリエンタルランドでのバイトと俳優業と、
どっちのほうをお持ち置いたみたいな思い出がありますか?
それが短大時代からは少しそれてしまうんですけど、
短大時代にアルバイトをしていて、やっぱりでもお芝居がやりたいなって思って、
親に頼み込んだんですよ。絵で就職するっていうのをやめて、
芝居の学校にもう一回行きたいから、でももう親に迷惑はかけないから、
全部そのお金は自分でやると。だから許してくれと言って、
親に許してもらって、だったらもう学校に行くためには
お金を300万ぐらい貯めなきゃだめだなって思って、
ディズニーランドでアルバイトをそのまま平日専業って形にして、
短大卒業のときは就職活動はせずに単体は卒業して、
その他にもいろんなアルバイトを週7日毎日働いてました。
月、木、金、日がオリエンタルランド、ディズニーで、
火、水、土が無印良品というところでも働いてたんですけど、
そんな感じで働いてましたね。
じゃあやっぱり俳優のほうが本業的な。
目指してとりあえずアルバイト生活でお金を貯めようと思ってやっていたら、
だんだん色々様子が変わってきて、今の人生になるというか。
俳優業はどの辺で諦めたんでしょうか。
諦めたというか、お金も結構貯まってきたんです。
なんですけど、ディズニーの仕事がとても楽しかったんです。
あとは私が、ディズニーランドもアルバイトも、
最初はきっかけが、友達がアルバイトの面接に行きたいから、
心配だから一緒に来てって言われて、
ディズニーと接客
じゃあ一緒に行くんだったら私も受けるよみたいな感じで受けたのがきっかけだったので、
特にディズニーが好きとかではなかったんですけど、
ただ入ってみてウォルトディズニーの考え方とか、
人材を宝だと思っているところだったりとか、
そういうところに感銘を受けまして、
どんどんハマっていったというのが分かりやすかったかもしれないです。
なるほど。
オリエンタルランドでもバイト時代の思い出になっていないのがございますか。
バイト時代。ありすぎて、そうですね。
上司が私が何か間違ったことをしたときに、
その前のアルバイトとかだと、自分は立ちながら叱られたりするんですけど、
まずここに座ろうかって言ってくれて、
なぜそうしたのかみたいな理由を聞いてくれて、
もう若い私は全然怒られている感じがしなくて、
すごくそういうところでも人を大切にしているんだなというのを感じたみたいなところがありますかね。
思い出としては思い出深いかもしれないです。
ベストブライダルへの転職
なるほど。ありがとうございます。
その後、ホテルミラコスタの開業準備士の正社員にバッティキされていらっしゃいますけれども、
これはオリエンタルランドでのアルバイトが非常に活躍なさっていて、
バッティキなさったとそういう意味で、
いろんな事情があって、細かいところはちょっとあんまり言えないんですけど、
いろんな事情があって、ちょうど私ができることがそこにあったって感じですかね。
なるほど。ホテルミラコスタというのは思い出なんでございますか。
そうですね。本当はホテルミラコスタというのは、
ここで話したい話がいっぱいあるんですけど、ちょっといろいろと言えないこともあるので、
働いていてすごく思い出深いのは、オープンしたときに自分が思っていた建物ができあがって、
これって掃除が大変じゃないかと思って、
オープンしたときに自分が思っていた建物ができあがって、
これって掃除が大変じゃないかなとか、
オペレーションは大丈夫かなとか心配していたことが、
実際にホテルができあがったら景色とかが美しすぎて、
私は何を気にしていたんだと。こんなに美しい景色をお客さまに見てもらえるんだと。
ニスニス掃除が大変とかということで、言わなくてよかったな、みたいなことは思いました。
ありがとうございます。その後、ベッドブライダルへの転職をなさきさんさん、
ベッドブライダルの皆さん方に念のため、リーサーの皆さんの中にご説明をします。
ベッドブライダルの皆さん方にご説明をします。
ベッドブライダルの皆さん方にご説明をします。
ベッドブライダルの皆さん方にご説明をします。
いわゆるハウスウェディングという業界で上場している企業さんであり、
そのテイクアウトギミニングがベッドブライダルか、こんな感じで上場している企業の2社のうちの1社、
ベッドブライダルさんへの転職なんですが、
これは転職のきっかけとか何かございましたでしょうか。
ホテルの、私フロントだったんです。
ミラコスタでは。毎日チェックイン、チェックアウトをしているんですけど、
ディズニーランドでのアルバイトのときって、
自分が直接何かをしたことで人が笑顔になったりとか、
幸せに私がしているんだって感覚がちょっとあったんですよね。
それがすごく楽しかったんですけど、
ホテルでチェックイン、チェックアウトで関わるのもいいんですけど、
私がチェックイン、チェックアウトをどれだけ早く急いでやったからって、
その目の前の方がそれで幸せになるわけじゃないじゃないですか。
なので少しだけ物足りなさを感じたというか、
もっと直接自分の手で人を幸せにしたいという思いがムクムク出てきてしまって、
でも自分の手で人を幸せにできる仕事で、
なおかつディズニーランドをやってホテルをやって、
接客業としては有名どころというか、そこをずっと体験してきた私が、
さらにもっと接客業としての高みに上るにはどんな仕事がいいんだろう
というのを考えながらのホテルの時間だったんです。
直接人を幸せにできる仕事であり、
接客業としてももっと高いところに上れる仕事というこの条件で考えたときに、
たまたま自分が結婚することになって、結婚式場に見学に行ったんです。
そしたらウェディングプランナーという人を見て、これだって思って、
自分の結婚式と同時かその前ぐらいにベストバイダルにサッと転職しちゃいました。
なるほど、じゃあご自身の結婚式もベストバイダルでやったんですか?
実は、社長ごめんなさい、違うところでやりました。
そうですか、大変する話でした。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週映えます。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズウィズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、お話ししていただけるようにしております。
ウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで、新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。
17:53

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