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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社 unerry代表取締役CEO 内山英俊氏様で
いらっしゃいます。まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
ミシガン大学院でコンピューターサイエンスを学ぶ傍ら、研究所でAIエンジニアとして
募金、その後、外資系コンサルティング会社にて事業戦略、企業再生などを取り掛けられました。
その後、事業側に加えて2015年にunerryを創業。そして、2022年7月には東証グローブ市場に上場されている
上庁企業の社長様でいらっしゃいます。内山社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは、最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
生まれは愛知県名古屋市で、育ったのは、千田半島のすごい田舎なんですけれども
大武市っていう、多分聞いたことないと思いますが、多くの方は千田半島の田舎で生まれ育っていました。
なるほど、半田とかあっちの方でいらっしゃいますね。
そうですね、半田と名古屋市の大田区のところ。
はい、そうですね。私、半田新木に通ってましたんで。
ああ、そうですか。
メロンとかの地域ですね。
まさにまさに。
小学校時代はどんな職業でいらっしゃいましたでしょうか。
そうですね、僕はコンサルティング会社に行っているとか、三島大学に行っているとかって言われると、すごく勉強ができた小学生かなって思われるんじゃないかなと思うんですけれども、全くそんなこともなく、あまりこう、ろくに勉強をもせず、学校の成績がいいわけでもないのですが、毎日ずっと外で遊んで、たまに骨折してみたいな、そんな山でずっと遊んでたっていう感じの小学生でしたね。
だから、ガキ大将とかそんな感じですか。
いや、それでもないんですけど、ずっと山で遊んでましたので、はい、いつも怪我してたっていう、友達と仲良くずっとわきあい遊んでたっていうタイプでした。
中学校も地元でいらっしゃいましたか。
そうですね、本当にみんなが行く公立の中学校に一緒に行ったっていう感じです。
中学時代の思い出なんてございますでしょうか。
中学、小学校から中学校に入った時に、勉強みたいなところっていうのは、結構きちんとやらなきゃなと思いまして、結構頑張って勉強したのは覚えてるんですよね。
学級委員やったりとか、生徒会やったりとか、そういうふうに結構変わった、小学校と中学校で全然違うなと思いまして、それは一番違いですかね。
お隣とかがその変化に驚かれませんでしたか。
そうですね、特に愛知県とかだと東京とは違って受験するみたいな感じじゃないんですよね、雰囲気として。
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特に僕の時代は受験するなんていう人は学校で一人いるかいないかみたいなそんなレベルだったんですよ。
みんな同じように公立に行くんですけれど、うちの親とか受験みたいなことしてほしかったみたいなんですが、僕は嫌だって言って中学に入ったら成績よくなったんで、それはかなり驚いてました。
なるほど、でもお喜びになったんですか、ご両親は。
そうですね、結構プレッシャーの強い親でして、できればできるようになるほどどんどんプレッシャーが強くなるっていう感じでしたね。
それで逆に勉強もよくできるようになってらっしゃるという、そんな感じですか。
結果うまく口に叩かれたんだろうなっていうような気がします。
ありがとうございます。高校はどちらにお勧めでしょうか。
これは愛知県の、これも公立なんですけど名古屋一律の高校に行きまして、これは本当にすごく良い高校で、自由活発みたいなところがすごく興奮で、
新学校みたいなものであったんですけれども、勉強というよりは自由活発で、全部自分で考えて、自分で判断してこうね、みたいなそんな高校でして、
たぶん人生の最良の時代って高校生だったんじゃないかなと思います。
なるほど、じゃあ名古屋の方も電車で通われてたんですか。
そうですね、1時間半くらいかけて通ってました、家からは。
高校時代はどんなことして過ごしたなと思うでございますか。
高校時代はもう、ご多分に漏れず、いわゆる青春っていう感じですよね、やっぱり。
復活と恋愛とみたいな、その2つぐらいしかしてないという感じですね。
すごく男女のバランスでいうと、女性の方が多い高校だったんですよ。
なので、幸福もすごく、復活強いみたいな、そんな感じではなくて、
いろんなものがニュートラルな高校で、すごくそれが僕には居心地が良かったかなと思います。
なるほど、部活は何をなさっていたんですか。
僕水泳やってまして、小学校の子がずっと水泳やってて、中学の時は球道って言うの、弓ですね。
やってたんですけども、高校になってまた水泳部で。
その水泳部の仲間とかは、やっぱりもう30年ぐらい、30年近く経ちますけど、
未だにやっぱり一括もあるぐらい、親友ができたのもその時代でしたね。
なるほど、私と一緒ですね。私も高校水泳部でした。
同じです。
種目は何をなさっていたんですか。
自由型、クロールですね。
短距離ですか。
短距離、50メートル、100メートルだけでした。
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なるほど、本物の短距離ですね。
本物の短距離です。
結構早かったんですか。
いやー、それほどでもないですけど、愛知県の大会で入賞するっていう、それぐらいの感じではありました。
愛知県の大会で入賞するってことは、インターハイですか。
入賞ですね。インターハイとかそこまでいかないですけど、上位、何位に入るぐらいの感じではありました。
大学はその後すぐにアメリカですか、それとも日本ですか。
僕はそのまま愛知県なので、野川大学に一旦入学をしたんですけれども、
それは大学はきちんと4年間行って、その後に西川大学に行かせてもらったっていう流れです。
なるほど、名古屋大学、国立大学だと思うんですけども、何か名古屋大学を選んだりっていうのは何かございましたか。
そうですね、やっぱりこういう場でこういうことを言うのもどうかなって思うんですけれども、全然行きたくなくてですね。
愛知県出身なので、やっぱり愛知県以外の世界を見たことがなくて、
特に名古屋っていうのはすごく都市としてもちょうどいい規模感なので、いろんなものがそこで閉じていく世界なんですよね。
なので愛知県以外の姿を見てみたいと思って、正直別の大学行きたかったんですけれども、
それがうまくいかずに名古屋大学に行ったっていうのが本当のところではあります。
多分、普通、行きたくなくて受かるっていうのはちょっと頭がひいたじゃないですかね。
名古屋大学ですもんね。
勉強は高校時代に相当できていましたか。
いや、中学校の時は勉強したんですけれども、高校に入って、先ほど言ったような自由活発の高校に行ってですね、
それも高校で勉強したんですけれども、
下から2番目ぐらいだったんですよ。
400人中399番、そんなレベルの学力だったので、
高校時代は勉強っていうことでいうと、かなり最低クラスって感じでした。
よくそれで名古屋大学に置き換わられた。
そうなんです。何とかするっていう力だけはありまして、自分の、自分の勉強によって、
そうなんです。何とかするっていう力だけはありまして、人生の大事な局面に何か頑張って何とかするっていうのだけはできることと、
今から考えるんですけど、その頃はやっぱりあって、
で、高2ぐらいの時に全国模試ってあるじゃないですか。
受けたら偏差値が50切ってまして、
これはやばいなって思って何か勉強したっていうのを覚えています。
でも勉強すればちゃんとスッといくところが、地頭はよろしい感じですね。
地頭なのかあれですけども、頑張るっていう力だけがあって、そうだと思います。
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ありがとうございます。名古屋大学時代はどんなことして過ごしたのか覚えてございますでしょうか。
そうですね。先ほど言ったような感じで、正直そこに行きたいと思って行ったわけではないんですけれども、
やっぱり大学としてはすごく立派な大学でしたし、先生陣や同級生の方も素晴らしい方々がいらっしゃったんですけれども、
私自身はほとんど大学っていうものには行った記憶がなく、特に1年生、2年生においてはですね、
ずっと一人で物事を考える時間なんていうか、
今でいうとずっと部屋にこもっている系の人に近い感じだったんじゃないかなって思いますね。
毎日家で過ごして、夜海見に行って、大学院に行かず、そんな時代を過ごしてたような記憶があります。
なんか部活とかサークルとか入らないなんて。
もう一切入ってないです。そんなキラキラしたこと一切やってないですね、大学時代は。
大学行かないと卒業できないと思うんですけど、卒業はちゃんとできてるって感じですか?
そうなんです。なんとかするって力だけありまして、テストが近くなるとそれを頑張るとか、
授業は取らなくても教科書でなんとか頑張れるっていう力だけはあって、卒業はそんなに問題なくできました。
なるほど。だからその辺がちょっと普通の方たちとイコリしてきましたね。
名古屋大学からすぐにミシンガン大学院ですか?
そうですね、一瞬名古屋のそのまま大学院に一瞬行ったんですけれども、
今でもすぐ、ほんと数ヶ月でミシンガンの方に行っちゃいました。
名古屋大学院に行こうと思った理由は何かございましたか?
もうミシンガン大学院に行くっていうのは学部時代に決まってまして、
ただ、僕一番最初にミシンガンに行かせていただいた1年目っていうのは、
当時の文部省ですね、今でいうと文科省の推薦で行かせていただいたんですが、
そこに日本の所属している大学が必要であるっていうのがあって、
それでも一旦は大学院に行って、そこからそのステータスでミシンガンに行ったっていうのが理由というか理由ですね。
なるほど、ミシンガンの大学院に行こうと思った理由というのは何かございましたか?
僕は当時、日本で言うと情報工学科、アメリカで言うとコンピューターサイエンスなんですけれども、
それはご縁あって情報工学科に入ったんですが、専門が、
やりたいなと思ったのがデータベースとかデータを扱う仕事をやりたいなというふうに思っていまして、
ミシンガン大学では実は世の中に一般的によく使われているデータベースっていうものの基礎ができた学校なんですよ。
すごくいい先生が集まっていまして、
その中でも僕が大学時代、本を読んでた先生がたまたまそこの先生で、
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この人のところに行こうって決めていったっていうのが選んだ理由です。
なるほど、ミシンガン大学院時代の思い出なんてございますでしょうか。
もうあの僕の人生の基礎はほとんどそこでできてるんじゃないかなって思うんですけれども、
やっぱり愛知県の名古屋市ですごくいい町ですけど、
大学院の時代の思い出は、
僕の場合だと学力があってとか言ったわけではなくて、
英語が喋れたわけでもないし、
すごくですね、
コンピューターですごくスキルがあって言ったわけでもないんですよ。
たまたまやっぱりもう、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
コンピューターですごくスキルがあって言ったわけでもないんですよ。
たまたまやっぱり文部省、今でいう文科省さんの推薦をいただいて
行ったに過ぎないわけですね。
で、行ったら行った瞬間に本当にいろんな人たちがいて、
例えば本当に覚えてるのは今で言うと、
Googleの創業者のラリーペイジさんとかがいらっしゃるわけです。
当時はそんな有名でもなんでもなくて、
そういうクラスの人たちがいっぱいいるんですよね。
北京大学の主席だった人が隣に座っているとか、
そういうクラスの人たちの中で、
僕が一人突然日本からポコッとやってくる、
大した能力のない人間がやってくるっていう、
この格差に最初ものすごくショックを受けたし、
人間として恥ずかしいなって思ったんですよね。
それが本当に一番最初のショックだし、
今こういう仕事をやっている原動力だったし、
一番最初の起点になった出来事だと思います。
ラリーペイジ、当時は普通にお友達と喋ってる感じですか?
お友達ではないんですけれども、喋ったことはありますし、
当時の電話番号の登録はありました。
多分リスナーの皆さんが今、
はーって感じの声が漏れてるんじゃないかなと思います。
でももう20何年も前、5年もぐらい前の話なんです。
なるほど。何年ぐらいアメリカにはいらっしゃったんですか?
僕は2年ちょっとですね、大学院だけなので。
なるほど。経歴のほうには学ばれながら研究業で、
AIのエンジニアとしても勤務してるんですか?
はい。
これは大学院に行きながら、アメリカの企業にも勤めてたって、
そんな感じですか?
これは日本の大学と違っていて、アメリカの研究所、
大学の付属の研究所で働いてたんですね。
通常、日本だとあんまりそういう仕組みはないんですが、
アメリカだと研究室というものがないんですね。
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先生のために研究するというのはなくて、
何か先生が研究テーマを持っていたら、
学生をアルバイトに雇うんですよ。
その上のステータスとして、半分社員みたいな、
リサーチアシスタントって言うんですけれども、
ドクターに行くような学生の子たちは、
先生がスポンサーして、授業料も出して、
お給料もらいながら、学費ももらって、
研究室で働くんですね。
その仕事を1年半くらいやらせてもらってました。
なるほど。そこで学ばれたことが、
今のお仕事にもつながっていらっしゃるんですか。
そうですね。本当に日本の研究室とか、
エンジニアさんの考え方や動き方と、
アメリカのエンジニアさん及び研究室の動き方、
働き方って全然行動原理が違って、
僕はそっちの方が向いてたなって結論を思うんですね。
今日自分が作ったものが、
本当に明日世の中を変えていくかもしれないとか、
それが本当に社会にどんどん波及していくっていうことが、
手に取るように分かるんですよ。
実際、Googleのラリーページさんが、
僕はGoogleっていうサービスがうまくいくとは、
全然最初思わなくて、
ウェブページに窓1個しかないわけじゃないですか。
それがすごいだろうって最初言われたんですけど、
全然すごいと思わなくて、
でもそれが世の中をどんどん変えていったっていうことを
目の当たりにしていくんですよね。
それのGoogleさんだけじゃなくて、
本当にたくさんのものが、
あの当時、いわゆるITバブル、ドットコンバブル、
前世紀だったので、
そんなサービスが山のようにボコボコ立ち上がっていったり、
授業を取っていた先生が取って、
うん、この授業なくなりました。
なんで?って言ったら、マイクロソフトに行きました。
そんなことが日常茶飯事なんですよ。
学生の処理人級もどんどん上がっていって、
そういうダイナミズムの中で生きていた2年ちょっとは、
本当に日本に行った時って、
研究室で自分で何かやったものが、
論文で先生のものにお役に立てるかもしれないっていう、
考え方と全然違っていって、僕には合っていたんですよ。
なるほど、ありがとうございます。
3分コンサルティング
みずみずが社長の悩みを解決
本日の3分コンサルティングは、
N社様システム自宅開発事業だそうです。
弊社は社員たちがエンジニアとして高い能力を発揮し、
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作られるよう、自らアップデートしていっている
集団を目指しています。
そのため、社員たちがフラットな関係性をお互いに精査、
琢磨し合えるよう、部下を持たないプレーニングマネージャーの
育成を図っています。
また、マネジメント方針としては、
自らに課せられたスピードを果たそうと、
常に成果への執着心を修道してまいりました。
しかし、技術による成果を求めすぎた成果、
クライアントへの対応が雑だったり、
自己中心的な話し方をするマネーが多く育ってしまいました。
そこで伝える力を身につけるため、
研修情報の収集を行っているのですが、
いずれも部下を持つ管理者向けのものばかりで、
必要感を得られず、なかなか提供できていません。
部下なし管理者に対する
コミュニケーション力が感じていらっしゃらない、
どのような取り組みを求められるでしょうか。
ヒントをいただくご相談いたしました。
よろしくお願いいたします。
これは別にマネージャー権威かどうかの関係なく、
コミュニケーション能力の問題だと思うんですね。
結局のところ、営業だろうが、システム開発だろうが、
お客様を動かさなければ、お金にはならない。
そういう意味で、
ちゃんとコミュニケーションを立てているかどうか、
もっと人を動かすことができているのかどうか、
という研修をなさったらいいんじゃないかと思います。
これを社長様がやってもいいじゃないですか。
そういう研修をやっている会社があると思います。
何なら一年生向け、二年生向け、三年目、
三年目ぐらいでもいいんじゃないでしょうか。
コミュニケーションの問題ですから。
かつ、人を動かすのが全ての社員たちの仕事なんで、
経営理念とかにもそういうことが入ってくるといいですね。
やっぱり仕事っていうのは、
部下だろうが上司だろうが、
お客様だろうが、
取引先だろうが、
関係なく人を動かしてこと、
お金になっていく仕事になっていくということになります。
人を動かすというのは、
コミュニケーションがうまくないと聞こえない。
感じ性がしっかりしてないと、
相手の心をつかめないわけですね。
心をつかむとお金になっていく。
そういうもんじゃないでしょうか。
人を動かせるとお金になっていく。
人を動かせるとお金になっていく。
そういうもんだと思うんです。
そういう意味では、伝える力と言えば、
人を動かす力と捉えて、
どんな相手でもチーム組んでやる場合があるわけですから、
人を動かさないといけないわけですね。
それがクラフトの関係でも関係なく動かさないといけない。
部下でも上司でも関係なく動かさないといけない。
そういう意味合いで、
人を動かすという力をつけようという方針にし、
そしてその中でコミュニケーション能力や、
感じ性を養う研修などを、
いろんなのをやったり、
社長さんがやったりすれば、
いいんじゃないかなと思います。
またそれも毎週とか毎月とかいうぐらい、
やっていった方がいいんじゃないでしょうか。
この能力は、どんな立場になっても、
社会で生きていく上、
大変大切な能力になりますので、
25名の従業員になりらっしゃる人ですが、
全員身につけていただくべきだと、
私は思いますので、
人を動かす力を持って、
研修等を探してみてはいかがかなと思います。
ちょっと難しい話になりましたので、
もしよろしければ、
無料の軽相談がありますので、
何なりとおっしゃってください。
本日の3分コンサルティングはここまで。
21:00
また来週。
本日も社長に聞くインウィズウィズを
お聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を
続けております。
これまでにたくさんの
生光社長、生光経営者のインタビューを
お届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズウィズが運営する
ウェブサイト、経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで
新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントが
きっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で
経営ノートスペース社長インタビューと
入力いただき、経営ノートのサイトを
ご覧になっていただければ
というふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。
また来週。