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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社デジタリフト代表取締役 百本正博様でいらっしゃいます。
まずは経歴の方をご紹介させていただきます。
1995年大学卒業後、株式会社代行にご入社、数々の広告等を開けられ、
2012年には株式会社デジタリフト・旧株式会社電子広告社を設立、代表取締役にご就任されていらっしゃいます。
そして、2021年9月には東京証券投資市場、東証のグロース市場、旧マザーズ市場に上場を果たしている、上場企業の社長様でいらっしゃいます。
百本社長様、よろしくお願いいたします。
初めまして、よろしくお願いいたします。百本でございます。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか?
東京都です。杉並区の出身です。
わりとお坊ちゃんの地域ですか?
全然そんなことないですね。厳しい親に育てられました。
小学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか?
小学生時代は、ボーイスカウトに入っていたり、少年野球をやっていたりということで、活動的な少年だったのだろうということと、
あとはですね、教会、カトリック教会の二兆学校みたいなものにずっと行っていました。
隣人愛みたいなところがある純粋な少年だったのではないかと勝手に言うように思っているのですが、
小学校なんかではハンディキャップのあるような子のお世話係に他人の先生から任命されたりだとか、そんなこともありました。
大体、学校終わって家に帰ってくるとすぐ野球しに行って、日が暮れるまで遊んで家に帰ってくるというような少年だったと思います。
わりと活発でみんなの人気者みたいな感じですか?
そうですね。そういうところもありましたし、あと、クラスの中で男女がそれぞれ誰を好きかみたいな統計をとって、
マッチングするみたいなことをやったりして遊んでいた時期もありましたが、あまり人がしないようなこともやっていたところもあったかなと思います。
なんかちょっと増えた?
そうですね。数ヶ月後に先生に怒られてそれはなしになったのですが。
中学校の時代はどんな仕事をやっていましたか?
中学校は引き続き、スポーツという意味でいうと野球をずっとやって、部活をずっとやっていました。
あとは、当時はアイドル全盛時代、70年生まれなので私が、アイドルの曲を聴いたりだとか、洋楽も結構全盛時代だったので、いろいろと音楽を聴くというようなことをやっていたかと思います。
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今はもうないですけど、いわゆるレンタルレコードですか。それでカセットテープに録音して聴くというようなことをやっていましたがね。
私と多分世代が近いかもしれないですね。
そうですね。
アイドルはどなたが好きですか?
これは言っちゃっても大丈夫なんですかね。
王道的に言うと小泉京子とかってなると思うんですけども、これアイドルなのかっていう話を結構言われるんですが、僕は薬師丸博くんが好きで、
いや、聖羅服と機関装ですね。
そうですね。でもあれで完全に抜かれて、薬師丸博くんフリークでした。
なるほど。完全に私と一緒ですね。私も薬師丸博くんが好きで、小学校の時は友達と一緒に原田智予と薬師丸博くんが映画大学を日本大学で。
同時場やりましたね。僕も行きました。新宿ミラノザ。
毎回毎回見に行って。
多分世界的に僕らは渋谷に。
僕は大体新宿でしたけどね。
相当親近感ですね。
ありがとうございます。高校は東京の高校で。
普通の都立高校に行ってました。部活動は僕は小中と野球をやってたんですが、校庭の狭い学校で野球部がなかったんですね。
クラブ活動はきちっとはせずに、放課後アルバイトをしたり、友達とみんなで遊びに行ったり、ようなことをやっている高校生時代でしたかね。
で、勉強をほとんどしなかったという時代でしたね。
都立の高校はどちら?
都立の荻窪高校というのがあって、今は三部生の高校院になっていて、普通科はなくなっちゃったみたいなんですけども、当時は普通科に行ってましたね。
大学はどちらなんですか?
大学は日本大学小学部に入って卒業しています。
だから日大の小学部を選んだ理由がございましたか?
そうですね。父が自家が商売をやっていたというのもございまして、自分としては自分の適性も含めて、経営学部だとか小学部だとか、そういったところが適性としてはあるだろうということが一つと、
あとは実際社会に出て、何て言うんでしょうね、OBが多いとか、そういうことも重要だよねというようなことを大人からいろいろ聞かされていたというのもあって、
日本大学小学部に入学ということになりましたね。
じゃあ当時から社長を狙っていましたか?
社長を狙っていたというよりは、やはり父の価値観というのを幼少からすり込まれて、すり込まれてというか近くにいてずっと見ていましたので、
やはりそういった形で経営をしていくというのが普通ではないという感覚があまりなかったということですかね。
その経営していくことというのが日常に隣にあったので、身近には自分の中にあったのかなと思いますね。
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ゆくゆくはそういうこともしたいなと思いましたし、父を超えていくみたいなことというのは目標としてはおぼろげですけれども、当時は思っていましたね。
なるほど。ありがとうございます。大学時代はどんなことをして過ごしたかと思われますか?
大学時代は日本大学小学部の中に体育会というのがまたあって、
その中にアメフト部というのがあったんですね。
いわゆる日本大学全体とはまた違うアメフト部というのがございまして、
他の大学でいうと同好会、純体育会みたいな扱いになるかと思うんですが、
そのアメフト部に入って4年間、あ、すみません、実は5年間なんですけれども、やっておりました。
なるほど。じゃあ結構アメフトに夢中になった感じですか?
そうですね。アメフト部の練習は週5回ではありましたし、
当然ウエイトトレーニングですとかそういったものも必要にはなりますので、
アメフト付けの毎日ではありましたかね。ただシーズンオフが当然ありますので、
その時期にアルバイトをしたりということで過ごしておりましたかね。
なるほど。ありがとうございます。その後、新卒で大工さんにご入社ということでよろしかったでしょうか?
はい。
大工さんを選ばれた理由は何かございますか?
そうですね。いわゆる当時の総合広告代理というのは何社か受けさせていただいているんですけれども、
比較的若手でも責任ある仕事というと平たいのかもしれませんが、
おもとに立って仕事ができやすい環境があるというのは何でしょうね、
大学生がいろんな会社をOB訪問している中での情報処理なので、
実際どうなのかという制度を置いておいて、その時点で私が思っていたことでいうと、
大工という会社は比較的キャリアが浅くても任せてもらえる環境というのを感じておりましたので、
大工に進むということになりましたね。
なるほど。大工での思い出なんてどんなことがございますでしょうか。
とにかく当時厳しかったですね。1995年入社なんですけれども、
当然ながら今とはまた社員の育て方というのも変わっておりましたし、非常に厳しい部分がありましたかね。
あとは当時言うと比較的人気業種でもあったので、
新入社員に花柱の強い人材が非常に多かったというのもあって、
まず非常に叩かれるというか、できないじゃん君たちというようなお話の時期があって、
それで実施がれて全てを受け入れるような状況になってから一気にインストールをしてくるというようなところがありましたので、
その際にいろいろと厳しい指摘をいただいたことだとか、というのはよく覚えてますかね。
あとは、そうですね、やはり労働量がありましたね。
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当時ぐらいだと本当に24時まで働くみたいなことが?
そうですね、どこまで言っていいのか、あれですけれども、芝公園にオフィスがありまして、
会社の通用口、ビルの裏側から出ると東京タワーが正面に見えるという立地だったんですけれども、
基本的には消えていました。
途中で休憩を取っていたかもしれないですけど、私が。
基本的には消えていましたね。
なるほど、そういたしました。では、ここの話は次に行きまして。
その後、2010年にデジタルイズボーさんを採用されていらっしゃいますが、これに何かきっかけがあったんですか。
きっかけはですね、私は代行は2005年で一度退職をしているんですね。
その後はインターネットの広告代理店のサポートをさせていただいたりだとか、
あとは全く別の事業をやっていたりという時期がありました。
その中でですね、もともと自分としてアーティストの仕事をしていたんですけれども、
その中でですね、もともと自分としてアドという領域に対する自分の適性というのを感じていたのと、
私が代行にいた時代でいうと2005年に退職しているんですが、
まだインターネットでできること、マーケティングでできることが今よりも随分選択肢が少なかったという時代なんですけれども、
それがどんどん、私が他の仕事をやっている間にどんどん進化をしていって、
これはですね、お客様のいろんな課題をきっちり解決するものになってきたなというのが一つありました。
あとはどうしてもテック部分が成長していない時点でインターネット側に求められていたものというのは、
どちらかというとメニューを実際に提案して、大プレゼントというよりはメニューを提案してそれを実行していくみたいな機能が求められたと思うんですけれども、
デジタルの機能が増えていくこの過程において、やはり総合で培ったブランドをやっていく能力だとか、
そういったものを求められていくであろうという風というか、そういうものを感じまして、
お役に立てるんじゃないかなということで、2012年に当時の名前でいう電子広告社を創業しております。
ありがとうございます。ちょっと坂本さん、2005年に退職して、その時は個人事業ですか、それとも普通に起業されていましたか。
はい、起業しているんですが、私は在取ではなくて取締役という形で、数名で共同で起業というのをしていますね。
なるほど。何年間で一緒にやろうみたいな感じになったんですか。
そうですね。
それも企業のきっかけといいますか、そういうのがあられたんですか。
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それでお話をしますと、さっき学生時代のお話でもちょっと触れましたように、
自分の育った環境という中で、やはり経営というものは近かったということが一つと、
私は結局大学卒業してサラリーマンになったわけですが、
そのサラリーマンになった報告も、自分としては就職活動を頑張って、
それの結果が出て大工という会社に入れるみたいな話で知事に報告をするわけなんですが、
かなり厳しい彼の価値観の中でコメントをいただきまして、
もう絶対どこかでゲフンと言わせてやろうということは思っていましたので、
それもずっと頭の片隅にありながら、とはいえその希望があるので、
会社をすぐ辞めますというのはまた違うなと思いましたので、
大工に入って僕を育てるために会社がかけてくれたお金だとか手間だとかってやっぱりあると思っていましたので、
それを誰がどう見ても返し切った状態になるまでは頑張ろうというのがありました。
それを返せたのではないかと勝手に思い始めたのが2004年ですとか、そういった時期。
その頃にちょうどご縁なんでしょうね、お話があって、そちらの方に決断をしたというかたちですかね。
なるほど。ありがとうございます。
本日の3分コンサルティングはT様です。
はじめまして、Tと申します。
私は新卒以来13年勤めた会社を退社し、父が開業したお店を3年前に引き継ぎました。
今も昔も変わらず家族系の小さなスポーツ用品店です。
父は店舗販売のみを行っていましたが、現在はネットとリアル店舗の両輪で営業しております。
いずれはネット販売をメインに行っていきたいと考えています。
そこで今回ご相談させていただきたいのは、先代から長く付き合う顧問税理士との契約を円満に解消する方法を知りたいです。
顧問契約を解消した理由は大きく4つあります。
他の税理士順調と比較しても料金が非常に高額、その割に経営に関するアドバイスも特になく、集計と結果報告しかしてくれない。
顧問税理士のネットに関する知識は乏しいというよりも皆無。
顧問の先生と父は今も良い関係性だが、私とは年齢が離れ過ぎていることもあってコミュニケーションが非常に取りづらい。
これらのことから顧問契約の解消を望んでいます。
しかし先代からの長い付き合いもありますし、いきなり契約解除を申し上げるのも難しく、円満に関係を解消するために何か良い方法はないのでしょうか。
ご助言のほど何卒よろしくお願いいたします。
これ大変難しい問題ですが、税理士の先生も弁護士の先生もああいう資料の皆さん方、社長の先生もよく契約切られることはあるというふうに皆さん方結構思っていらっしゃいます。
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ですのでストレートにおっしゃるのが一番いいんじゃないでしょうか。
一番いい方法はお父様に相談してお父様から言っていただくのが一番角が立たないですね。
でもお父様が嫌だ自分で言えともし言ったならばストレートにこれを機にもっと若い人やりたいというふうにはっきりというのが一番いいんじゃないでしょうか。
どっちにしろ顧問契約を切るのを円満には難しいと思います。
向こうにもわだかまりはありますし、こちらも言いづらいと思います。
ですのでこういうのはストレートに言ってしょうがないよねという形で切っていくしかないんだと思います。
ですからストレートに言うしかないというのが私のアドバイスになります。
もちろん良好な環境を築くためにはお父様に協力いただくのは一番いいので、ご自身で言ったとしてもお父様にその後良い環境をうまく築いてくれというお願いはすべきなんだと思います。
何度も申しますが、税理士弁護士は契約切られるのを慣れていらっしゃいますので、安心してストレートにおっしゃっていただいたらいいんじゃないかと思います。
もしどうしてもちょっとまだ心配だということでありましたら、何なりとご相談のみますので何なりとおっしゃっていただければと思います。
無料の軽相談も受け付けていますのでよろしくお願いいたします。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くイン・ウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズではここまで。また来週。