恵島良太郎氏の経歴紹介と幼少期
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社BODY TUNING JAPAN代表取締役 恵島良太郎様でらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
1976年、宮崎県生まれ、大学卒業後、システム開発会社・コンサルティング会社を経て、
2004年に株式会社RIを設立、複面調査サービスを主力場として成長されました。
その後、マレーシア進出のため、クララグンプに移住、外食事業等をなさっていらっしゃいます。
その後、株式会社RI代表取締役を退任し、マレーシアを中心としたグローバル事業に向かわれていらっしゃいます。
そして、スタートアップスクエアを設立。
小と育児と目指すスタートアップ企業への投資とコンサルティングを開始し、M&A等をやっていらっしゃいます。
連続起業家という形で複数の場を立ち上げられていらっしゃいます。
江島社長様でいらっしゃいます。
ちなみに私の後輩にあたる江島社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。江島です。
まず最初のご質問でした。
ご出身、宮崎のどちらでいらっしゃるんですか?
宮崎県の宮古の城市ですね。ほぼ鹿児島と隣接している南の方に。
なるほど。
宮古の城で小学校時代もお過ごしになられた?
そうですね。小学校途中から宮崎で、その前が沖縄だったんですよね。
小学校2年生、3年生くらいから宮崎なのでほぼ。
小学校時代はどんなお子様でいらっしゃったんですか?
小学校時代は、図書館にこもるのも好きだったし、外で遊ぶのも好きだったしみたいな感じで、
あんまり一貫性のない、すごいスポーツやってたわけでもないし、すごい勉強してたわけでもないしみたいな。
ただちょっと3人兄弟の真ん中だったんで、兄貴と弟がいて。
兄貴と弟がやたらと運動神経のいい人たちで、そこの間に挟まれちゃったので、ちょっと運動は苦手意識を持ってましたね。
やりたくないなと思ってましたね。
なるほど。そうすると今みたいにいろんな授業が興味を持たれるんで、そのご性格そのまま出てるらしちゃう感じですね。
確かに。
小学校の時、そうですね。
なんか勉強は好きだった気がしますね。
特になんか数学系のものは、小学校4年生の時に6年生くらいの教科書を見て、なんか独学で勉強してたりとかして、
まあまあそういったことありましたね。
なるほど。じゃあ小学校時代から頭のいい少年ってそんな感じらしいですか。
頭が良かった記憶はあんまりないですけど、友達は多くて、
今マレーシアで焼き鳥屋さんを経営してるんですけど、うち店舗。
今から焼き鳥屋さんを展開するんですけど、そこの私がお金出して社長をやってる友達は小学校3年生の時から同級生ですね。
今だけだから、地元に帰ると小学校の時の友達、今だけ飲んでるっていう。
なるほど。なんとなく私と一緒のベンチャーリン君がご出身で、ベンチャーリン君の仲間をすごく大切にしてる姿が江島社長らしいので、なんとなくお姿がよくわかる感じでございます。ありがとうございます。
中学・高校時代の経験
中学時代はどんな子として過ごしたなんて思いでございますでしょうか。
中学はバスケ部に入っていて、荒れてる中学だったのでほとんど練習することなく。
先輩たちがいなくなって、それから私がキャプテンになって、チーム立て直して、強いチームになってて。
バスケを1年生の時は先輩たちに邪魔されて、スポーツも何もできない。
2年生になって、自分たちの代になってから急に走り込みから始めて、強いチームを作って。
そのまま3年生になったら引退してからやることなく、勉強でもしなきゃいけないなと思って勉強した記憶がありますね。
なるほどね。当時からリーダーシップを発揮する少年でいらっしゃったんですか。
そうですね。キャプテンやってましたし。中学校、小学校って4月、5月、6月生まれてやっぱり強いじゃないですか。
2月、3月とかに比べると体もでかいし。私5月生まれなので、そういったところもあったし。
リーダーシップ、今考えると、もうちょっと正しいリーダーシップを発揮していれば、もっと強いチームになったなと考えることは未だにありますね。
未だにちゃんと反省をなさっていらっしゃる感じですね。
そうですね。この時のチームマネジメントが、すごくその後の人間関係だったりとか、自分の会社を経営するにあたってもすごく土台になってるかなっていう記憶がありますね。
なるほど。ありがとうございます。高校も宮崎でいらっしゃるんですか。
高校は越境してまして、宮崎市に行ったんですね。それは学力特大生といって、30人ぐらいしかいないんだけど、5人ぐらい東大に向かわせるみたいな私立の高校があって、そこに中学2年生の秋ぐらいにスカウトが来てたのかな。
中学3年生だったっけな。
中学3年生なわけないか。中学2年生の秋ぐらいにスカウトが来て、それで決まっていて。
で、越境して私立の高校に行って、そこが全寮制で、学費も食事代も、いってみれば修学旅行の旅費も全部学校持ちで、その代わり何かもう借り切れば決められていて、私、大学入るまで科目って自分で決めれるってあんまり認識がなくて、選択科目ですね。
もう先生に決められるんですよ。うむも言わさず。
特大生の代わりにそういうことをやらなきゃいけないところがあって、決めない友達も、自分で決めてた友達もいたんですけどね。
自分そんなに大学受験に対する情報量が少なかったのかな。
先生に言われたまま受けたみたいな感じで。
国立大学、4校ぐらい受けなきゃいけないんですかね。私立も先生たちから決められたところを3つ受けるっていうのがノルマの高校でしたね。
なるほど。じゃあ頭のよろしかったってことですかね。
どうですかね。そこでやっぱり気づいたのが、本当に頭の人たちがいるんですよ、世の中って。
自分の同じ部屋で一緒に過ごしてた友達が柔道の県チャンピオンなんですよ。
全寮生の部屋に入っていて、彼は高校の時の柔道のチャンピオンで。
なんだけどストレートで東大受かってるんですね、李さんが同じ部屋なんですよ。
もう一人の彼は、どこだったっけな、九州大学かな。これもストレートで受かってるっていう。
その人たちとずっと一緒にいるんで、なんで自分は頭が良くなくて、努力のしがいもないなみたいな。
片側は最初自分入った時、確か上から2位だったのかな、トップ2だったんですね。
確実に東大の五人枠に入れられてて。周りも成績全部知ってるんで、江島トップ2で。
バスケ部キャプテンみたいな、キラキラしたところから入ってみたら、本当の天才たちを見てショックを受けて。
今度はもともと30番目ぐらいで入ってた人たちもいるわけじゃないですか。
彼らがとてつもなく努力するんですよ。
えって、ずっと起きてないの勉強してるこの人たちみたいな。
っていうところがあって、高校の時に結構正しい挫折っていうのかな、過度な挫折っていうんですかね、を受けてしまって。
だから、努力もしたくないし、もともと頭が良かったわけでもないみたいなショックにバスケずっとやってたんですけど。
そこは成績が偏差値70を切っちゃうと、部活続けちゃいけないんですよ。
だから東大の彼は偏差値ずっと70キープだから柔道やれたんですね。
11年生の夏に1回切っちゃって、それから部活が停止になって。
私、越境で行ってるから、部活の仲間も結構関係値薄かったんですよ。
なんだけど、まあまあ上手くて。
特別クラスってとこに入ってたから、うとまれてるんですよね。
バスケは上手いんだけど、ほぼみんなと一緒に過ごす時間がないんで。
部活の後の帰り道とか、めっちゃ早く帰らないとお風呂に入れないんで。
ってことをやってたら、1、2ヶ月ぐらい部活行けなくなって戻ってきたら、部活のその場所にもポジションがないし、みんなもどんどん上手くなっちゃってたし。
今度は勉強もできないし、部活もできないみたいな人間になっちゃって。
それから転げ落ちるようにですよ。
もう全寮生なので、親もいないじゃないですか。
予備校に行くっていう嘘ついて、予備校に行っているふりをしながらアルバイトして。
どんどんどんどん大人の友達が増えていって。
工事一緒に遊んでた人たちも22、23ぐらいだったんですね。
その人たちから、今日イベントがあるから来いよとか、今日寮に帰らなくて打ち止まればいいじゃんみたいな。
車の迎えが来るようになって、それから全く勉強もせず、部活もせず。
何をやってるんだろう、自分で毎回思いながらですね。
自分の思い描いていた高校生活から大学受験までみたいなところもだいぶギャップを残しながら、最後の最後まで奮起せずに。
江島最後は、最後の1年間頑張って大和田とか行っちゃうタイプみたいなことをずっと言われたんですけど、なかなか来なくてですね。
自分の中でも空回りですよね。
なるほど。高校時代はあんまり楽しくないって感じでいらっしゃるんですか?
高校時代の挫折と大学生活
高校時代は楽しみすぎちゃって。
本当に周りから見てて楽しすぎるだろうみたいな。楽しみすぎちゃって。
同級生の中で同じように外れる仲間がいるんですよ、そのクラスの中で。
そいつらだいたいイケてるんですよね。話も面白いし、悪いことをいろいろ知ってるしみたいな。
その仲間と大人たちと遊ぶみたいな。
なるほど。
そんな感じでしたよね。そんな感じで過ごして、大学受験どうしようかなと思ってて、今でも夢見ますよね。
勉強してねえな俺と思って。やべえ、明日のテストどうなるんだみたいな。
先生や親御さんはどうおっしゃってらっしゃったんですか?
親はそんなに公務員で、そんなに大学に行くんだろうなぐらいしか思ってなかったみたいで、
この大学行きなさいって言われたことはないですし、親は何も言わずにタバコだったりとかお酒だったりとかバイクとかだったりとかで、
警察とかに捕まると親が迎えに来てごめんなさいみたいな感じのときにコミュニケーション取るぐらいで、そんなに怒ることもなく。
学校の先生たちは私立なんで、結局成績が良ければいいんですよね。
一人一人の生徒って別に見ないんですよ。そのクラスの段階で、今年の学年で東大何人とかってもうそのスコアが決まってて、
結局外れる人っているんで、この外れる人とって別に彼らって相手しないほうが楽じゃないですか。
ほぼほぼ無視されてましたね。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらにお勧めだったんですか?
大学は八王子にある創価大学というところがありまして、
そこに正直な言い方で言うと、大学どこでも良かったんですよね。東京だったらどこでも良いと思ってて。
できれば国立行きたかったので、国立大学の教育学部を受けて、そこ受かるだろうなと思ったらそこ滑っちゃって。
あれ?と思って。そこが吉祥寺かどうかだったのかな。吉祥寺に住むんだなと思ったら、あれ?八王子になっちゃったぞみたいな。
これ八王子って東京だったっけ?とか思いながらですね。
まあまあ失意のまま創価大学に進んだみたいな感じですね。
なるほど。ありがとう。大学時代はどんなことを過ごしたなって思いでございますか?
大学時代の起業家精神と営業経験
大学は一発奮起して弁護士になろうかなみたいなことを考えてて、最初の1年間は結局会計士を目指したのかな。会計士を目指して最初の1年間ちょっとやってたんですけど、
何て言うんですかね。楽しくなかったんですよね。勉強で楽しくないなと思って。
大学2年生ぐらいから勉強するタイプでもないなってまた思っちゃって。
もともといい成績を持って高校に行ってるんで、いつでも勉強すればできるんだろうなと思ったんで、会計士か弁護士かどっちか取ろうみたいな。
弁護士のほうがちょっとなんとなく周りにいる人たちが暗そうだったんで、会計士ちょっと明るい人たちが多いから会計士みたいな感じ。
それも途中で飽きてしまって、それから高校の時の先輩たちと遊ぶようになって、またどんどん大人な人たちと遊ぶ時間が増えていって、
大学2年生からはリゾートバイト、夏は海、冬は雪山みたいなことを繰り返していて、
大学3年生の夏から本格的にイベントサークルみたいな感じに属してて。
イベントサークルって何ですかね、結構ビジネスをやりたい学生が集まってた場所だったんですよね、側面は。
遊びたい、なんだけど遊ぶためのお金をクラブとか貸し切って、そこでパーケン売って稼ぐっていうよりかは、そこに協賛金とかをつけるんですよね。
若者向けのファッションだったりとか、シーブリーズとか当時だと、あとミュージシャンだったりとかを呼んで、そこでお金をつけて。
協賛金集める営業だったりとか、協賛金集めるためのパワポを作ったりとかして、企業周りをしながら、一見ただ本当に遊んでそうな感じなんですけど、
自分は法人営業とか結構好きで、それをやりつつ、結局夏に海の家を開いて、海の家を開いて、それからカトリシンゴとか来てたんですよね。
あと誰だっけな。タレントさんとかも結構来てて。ガイったれ呼んで。海の家なんですけど、ステージを外に、ビーチに作ったりとかして、それで音出して、朝までみんなが踊ってるみたいな感じでやっていて、そのときの一緒にやってた人が、言っちゃいけないんだろうな。
今、一部上場企業の役員報酬2本で1億円以上公表するじゃないですか。あれでベスト5だったかな。5位でしたね。去年かな。
方が隣の大学でイケてる先輩だったんで、その人と自分ともう一人、これも結構有名な人で、関東で一番大きいバクラのオーナーになってるのかな。
その3人で海の家をやって。彼ら2人ともだいたい5個上か6個上ぐらいだったので、そのときに海の家をやって閉めてみたら、意外と儲かってなくてですね。儲かってないどころか、誰もお金の管理をしてなくて。
みんな一番年下だからエジマやってるんだろうみたいな感じで、私一番年上のあなたたちがやってるんでしょうと思ってましたみたいな感じで、あれって給与誰も払ってねえじゃんみたいになって。
それから最後の1ヶ月弱ぐらいですかか、必死でお金を作らなきゃいけなくて、毎日アコムに行って、お酒も仕入れできなくなっちゃったんで、毎日アコムに行って、アコムの上限金額が20万ぐらいだったのかな。
20万借りて20万返すとまた20万借りれるじゃないですか。あそこの枠があると自分の現金持ってるかと思っててずっと。
それで利息めっちゃ払ってるみたいなことをやって、結局2、300万ぐらいの赤字を背負ったままクローズして、一応みんな100万ずつ払おうかなみたいになって。
私は飛び込みの営業が当時、NTTのフリーダイヤルっていうのがあって、そのNTTのフリーダイヤルを1件獲得すると1万5000ぐらいもらえてたんですよ。
それで飛び込みの営業を、ひどい話なんですけど、そこで働かせてた自分の後輩とかに5人ぐらいチームを作って、今度この仕事を始めようみたいな。
彼らの給与はまだ未払いですよ、松島欲払いだからさみたいな感じで。
そこで一緒に働いて、その人たちに1件取ると5000とか渡して1万円抜くれるじゃないですか。
その抜いた1万円で彼らの海の家の給与を払うっていうですね。
やってみると本当にふざけた格好で、当時髪の毛もアフロで、スーツは着てるんですけど、革靴持ってなくてビーサーみたいなので、そんな格好でピアスしてて。
それで飛び込みの営業をやって、NTTの一応商材なんで、会議室とかNTTの場所を使うんですよ。
優秀なエリートっぽい人たちがロープレを手伝ってくれたりとか、トークの話をしてくれたりとかお金の回収だったりとか、いろいろやってくれるんですけど、
結論、私が成績ナンバーワンだったんですね。
最初そのNTTの人たちもすごい偉そうで、いろいろ言うんですけど、圧倒的な差をつけてるんで、普通の人たちの5倍ぐらい自分は案件取ってきたんで。
そうすると、江島さんに聞こうみたいになって、NTTの人たちはアフロの俺から講習を受けるっていう。
その時に、なるほど営業はできるんだなって思って。
飛び込みの営業なんてすごいコツがあって、一切休まないんですよ。
できないやつって断られたりすると落ち込むんですよね。
落ち込んでる暇ないからみたいな。
決めた目標でとりあえずお店に入れみたいな。
それやっていくと、うちのチームが西東京ナンバーワンになって、次ちょっと東東京もお願いしますみたいになって。
それでだいぶお金を貯めて、それから大学3年生が終わって、大学4年生の時にそろそろ就職活動をするか、このお金を持って自分で何か創業するかみたいなところがあって、
大学4年生は結局そんな自分で会社を作るほどの度胸もなく、
できるだけ会社作れるようなポジションで仕事がしたいなと思って、当時の4年生にしてはなかなかよく考えたと思うんですけど、
まず2年間システムエンジニアをやろうと。
当時98年ですよ。99年問題とかってのがあって、文系でもいいからとりあえず誰でもエンジニアになれるみたいな時間帯があって、
これはチャンスだなと思って、今からインターネットが来るに決まってるだろうみたいな。
私の学歴から言って銀行とか行っても絶対出世ではできないし、一発逆転するんだったらインターネットビジネスしかねえぞみたいな。
でもインターネットのビジネスを作ってる人たちで完全に分かれてて、エンジニアなのかエンジニア出身なのか資金調達できる人なのかみたいな。
自分がエンジニアからスタートしたほうが絶対潰したきっかけかなと思ったんですね。
技術があるんで。
どう考えたとしてもエンジニアとしての給与っていうのは今から普通の会社なんかより絶対上がってくるだろうなと思ったので、
新卒の間だったら自分ぐらいストレス耐性の低い人間でも2年間ぐらいは頑張れるんじゃないのかなって思う。
この人生最後のチャンスかもしれないみたいな。
営業はできることも分かってたんで。
最悪これ滑ったらまた営業畑の仕事やればまあまあ成績出せるんじゃないかなと思ってて。
それでエンジニアの道を選んで、当時35人ぐらいしかいない会社に15人の採用という、だいぶぶっ飛んでたベンチャー企業なんですけど、
そこに入って2年半のエンジニアとしての就業を行うみたいな。
そんなことをして過ごしました。
番組紹介とエンディング
なるほど。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズウィズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。