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2022-10-12 30:54

第301回 榮章博氏(株式会社ランドネット代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社ランドネットの榮 章博社長にお越し頂きました。

不動産テック事業を展開し、東証スタンダード市場に上場をされた社長様です。

独自のシステムをご自身で築き、創業から順風満帆な経営をされていた榮氏。しかし、事業が成長するにつれ「人と仕事をすることの難しさ」という壁に突き当たり、社員の大量離職による内部崩壊の危機を迎えます。そこから、ある取り組みをされたことで、翌年には年率30%の業績向上をされたのだとか!経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
https://keiei-note.com/

■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社ランドネット代表取締役))広さまでいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
中央大学法学部卒業後、株式会社代表ルーツに購入し、その1999年に株式会社ランドネットを設立し、2021年には東商スタンダード市場に上場されている上場企業の社長さまでいらっしゃいます。
株式会社長のパーマ、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
大阪ですね。新大阪ってあると思うんですが、あの新大阪ができる前、あの辺に住んでおりました。
もっと具体的に言うと、地下鉄の水道通路線の新大阪駅があるんですが、そこの敷地の下あたりに家がありました。
じゃあ、まだ新大阪駅が開発される前。
あの辺はキャベツ畑で蝶々が非常に多かったのを覚えております。
小学校時代はどんな仕込みだったのかお思いでございますか。
小学校の時はですね、体が弱かったですね。
いわゆる通知法ってあると思うんですが、5段階評価でですね、結構成績良かったんですよ。ほとんどオール5だったんですが、ですが体育と音楽だけは2だったんですね。
それが非常に劣等感で、逆がりができなかったんですよね。恥ずかしいんですけど。
小学校6年生の時に、多分5キロぐらいのマラソンみたいな大会がありまして、それで学年で5位ぐらいに入ったんですよ。
そのおかげで、これはできるんだと。要するに長い距離を走るのは私はできるんだと気づいて、運動に対する劣等感。
足の速くてかっこいいじゃないですか。女の子にもモテますし、私はそういうタイプじゃなかったので、非常に羨ましくて眺めているだけだったんですが、それがまず一つですね。
あとは、小学校3年生になるまでですね、成績がほとんど鈍欠にいたんですけども、小学校3年生の時に先生に出会いまして、女性の先生なんですけども、色々指導していただいて、
どん兵衛からトップクラスまで上がったのかな。クラスの中ですが大したことないんですけど、その2つの成功体験かな、は非常に中学につながっていると思います。
じゃあ小学校時代から聡明でいらっしゃった。
いえいえ。ただ、どうでしょう、プラモデルは大好きだったし、本を読むのも大好きでした。結構何でもかんでも興味を持っては生きてたみたいです。
なるほど。ありがとうございます。
中学校時代はどんな聡明でいらっしゃいましたか。
中学はですね、さっき言ったマラソン大会に出て、これはできるんだと思ってですね、中1の時にタウンソフトテニス部に入ったんですけど、いつの間にか辞めておりました。
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あとは中学の時はどうかな、あまり何もパッとしなかったのかな。
一番最後の最後に進学するということで、北野高校っていう高校が結構大阪の方が有名なんですけども、そこに入りたかったんですが、内心症が10段階評価だし9だったものですから、どうなのって言われましてですね。
結局どうしても入りたいということで、他の私立を受かっておいて北野高校に挑戦してうまく入れたっていうのが中学の成果と言えば成果かもしれないですね。
中学時代も努力家というか勉強は一生懸命だったんですか。
どうでしょう、勉強もっとしていればよかったんじゃないですかね。
内心急だった時に、なんで私内心急なのかって先生に聞きましたらですね、坂井お前夏休みの宿題何も出してないでしょって言われまして、そういう生徒です。
先生にこれから出したらダメですかって言われたら、できるわけねえだろって怒られたことを覚えてます。
じゃあ私と一緒じゃない、私も高校時代夏休みの宿題出さなくては怒られたタイプですから。
社長様って皆さんそんな感じかもしれませんが。
かもしれません。
じゃあ高校は北野高校に。
高校は北野高校になんとか進めて、高校はみんな周りが本当に優秀なやつばっかりでですね。
私は水泳部に入りまして、初めて中学の時にはテニス部に入ったんですが、いつの間にか辞めていたんですが、高校に入って水泳部に入って、中3の卒業の時は身長158cmだったんですが、高校2年生の終わりには178cmになったんですよね。
20cm伸びたんですよ。
水泳部に入って一番最初は小さかったんですけども、実は一番背が高い方になりまして、真っ黒に日焼けしていて、水泳が楽しくて楽しくて、勉強するよりも楽しかった感じですね。
私も水泳部出身なんで、高校の時水泳部なんで分かるんですが、種目は何?
先ほどの話と絡むんですけども、私は高校から部活を始めたので、当然遅いわけですよ。
100、200は全然敵わないので、思い出してですね、400、800、1500の選手になったんですよ。
ここは誰もやりたがらないんで、苦しいだけなんで、そこの試合に毎回毎回出れてですね、それが非常に楽しかったですね。
泳げば泳ぐほど、何本も何本も泳ぐんですけど、ザニコン目とかムシコン目とか言うんですが、3200mのコン目、6400mのコン目、800mを4本ですよね。
1600mを4本ですよね。大好きでした。
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キック800mとか言われた時に、104本って言われた時に嫌になっちゃう、そういう感じですね。
はい、そうです。
ずっと泳いでる、短距離選手は?
はい、ずっと泳いでますね。5月から泳ぎだして、ずっと泳いでます。真っ黒毛ですね。楽しかったですね。
大変、坂井社長と私、共通点ありましたね。
嬉しいです。
思い出してきました。ありがとうございます。
その後、中央大学の邦学部を選ばれて、
そうですね。
中央大学の邦学部を選んだ理由は何かございましたでしょうか?
これもいろいろ考えたんですけども、私、自分の頭の中は理系だと思ってたんですね。
記憶力が全然ほとんどないんですよ。覚えようという気がなかったので。
例えば、数学の試験とかあると、余白に最初公式を自分で作るんですよ。覚えてるわけじゃなくて。
公式を計算して作って、その公式を改めて投げるようなアホなことをやったもんですから、理系だなと思ったんですが、この理系の人間が文系を選ぶとどうなるのかな。
経済とか政治とかありましたけども、法律というのはすぐに役に立つというのがまず一つと、文系の中では一番いいのかなと思った。
その前にですね、浪人時代がありまして、高校は水泳部が楽しくてですね、その時の他人の先生に、
坂井、お前は学校に何しに来てるんだ?部活なのか?勉強なのか?っていうのを部活ですと答えたんですけど、
非常な新学校、北の高校は新学校だったもんですから、教題とか反対とかいっぱいありますんで、
その中で私はそういうことをしていまして、なおかつ浪人1浪目、2浪目ですよね。
どんな浪人生だったかというと、一番特徴的なのはですね、1浪目の夏ですね、
高校を卒業した後、夏天皇山とか言うじゃないですか、頑張らなきゃいけないと思ったんですが、
風と共に去りぬっていうですね、ゴーウィザーウィンドウですかね、
あの本を新潮文句で多分5冊ぐらいあったと思うんですけど、
3日間ぐらいでほとんど寒徹して泣きまくって読みまして、フラフになったもんですから、
ここの水泳部の時の走りになった淀川をですね、1時間ぐらい暑い中走ったんですよね。
帰ってきたら風邪ひきまして、1週間ぐらい寝込んだんですかね。
それで2週間ぐらいパーになりまして、そんな浪人生活を2年間送っておりました。
自分で言うのはあれですけど、高3の時の学力のまま、2浪目を迎えたのかなと思っております。
でも柴梁太郎の本はそこで全部読みましたし、あとは早川SF文庫、
あの辺もその辺で全部読みましたし、本当に本ばっかり読んでいまして、
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もう一つこれも付け加えないといけないんですが、高校3年生ぐらいの時ですかね、
漫画本は全部読んでおりまして、少年漫画は全部読んでいたんですが、
実は少女漫画も全部読んでおりまして、
お金がないもんですからどうしたかというと、
私の家の大きな暗黒屋の梅田、大阪、あの辺のアサヒ屋書店とかキノクニ屋書店の本屋のところに行きまして、
立読みでほとんど読んでおりました。
すごいですね。
勉強すればいいのにですね、どっか逃げてるんでしょうけども、
でも一生懸命読んで、この辺は実は後でむちゃくちゃ生きてきます。
特にその風と共に去るのは最高だったです。今も大好きです。
ロバート・エイ・ハイラインかな、早くSF文庫、
無慈悲な夜の女王かな、すげー感動しましたけど、
ああいう本を読んで感動したことが後で結構全部生きてきます。
で、大学に入りました。
漫画はどんな系も読んでたんですか?
もちろんキョウジンの星とか、明日の女王を読みますし、
あとはゼロゼロナインですね、漫画の方ですね。
アニメではなくて漫画の方は結構深いんですよ。
公害の問題も出てきますし、いろんな深さがあって、
その辺全部のきなみ読んでおりました。
じゃあ少年ジャンプ、チャンピオン、
少年マガジン、ジャンプ、チャンピオン、サンデー、全部ですよね。
あとはマーガレット、別冊マーガレット、リボンかな。
それを全部読んでおりました。
たぶんマーガレット、リボンを知っている男性社長はかなり少ないし、
私は知ってますけど。
ポーの一族とかですね、テラエとかですね、この辺も最高だったですね。
テラエなんて懐かしいですね。
大好きですね。
すみません、私が興奮してツイートで聞いてしまいました。
中央大学法学部に入られて、中央大学の法学部ではどんな風な大学時代を過ごしたかなと思っています。
これが大学1年生から3年生まではバイトばかりしておりました。
2年間の御任にしまして、その鬱屈した部分もあったんでしょうし、
あと世間知らずなのかなと思っていたので、
いろんなバイトをしながら、いろんな社会を覗きたいなと思っておりました。
変わっているのは、1年生、2年生、それだって3年生になった時にですね、
なぜかモダンダンスを誘われまして、
創月ホールで3月に舞台があったんですけども、
2月か3月に向けて1年間、最初は週1回、週2回、週3回、
最後は週4、5回行ってたのかな。
ずっとダンスの練習をしておりました。
創月ホールで打ち上げがあって、確かマイケル・ジャクソンのスリラーかな、
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あと佐野本春のサムデイをバックに踊った覚えがありますけど、
これも非常に貴重な経験ですね。
ただ分かったことは、私はここには絶対向かないというのは分かりました。
中央大学法学部というと、弁護士などの放送界でありますから、非常に多いんですが、
そちらの道は目指されていますか。
大学4年生から司法試験をやろうということで、
今も仲の良い友達が3人、高校の友達がいまして、
そのうちの1人が人蔵橋に現役でありました。
もう1人が早稲田に現役でありました。
もう1人は私よりも成績が低かったんですけども、高校の時はですね。
一浪して京大に入ったやつがいます。
その中で私、中央大学に二浪して中大なんで、
すごい劣等感がありましたので、悔しかったのでもう1回と思いまして、
司法試験の勉強を大学4年生から始めました。
司法試験の世界は、昔はもうちょっと今よりも難しかったんですけども、
1回目の卓越は落ちまして、2回目の卓越が受かって論文が落ちて、
もう1回卓越が受かってまた論文が落ちて、
この辺りで論文の勉強、全然立ち打ちができないなというのが分かりまして、
うつうつする中で卓越が落ちたんですよ、その後。
で、司法試験は諦めようと思ったんですけども、
ただここで、いわゆる卓越に受かるぐらいに県民、県は思いっきり勉強したもんですから、
頭に条文全部入りましたんで、
これはその後の仕事にむちゃくちゃ生きております。
なるほど。大学卒業後も司法試験を2,3年はやられたんですか?
働かないで27歳かな。
27歳の多分8月ぐらいまでしたんじゃないですかね。
卓越が落ちたことが分かった段階でももう辞めるって決めたんです。
じゃあ5年ぐらいですかね、4,5年ですかね。
そうですね、4,5年ですね。
卓越受かるのも本当はすごいことなんですけども、
そう簡単に卓越受かるからすごいことでした。
で、その後、弁護士諦め、弁護士、裁判官等々を諦めて、
大共流通に入られたくなりました。
何か大共流通を選んだ理由ってことですか?
法律というものが分かりまして、
法律って非常に論理だなと分かりまして、
非常に面白いなと思いまして、
法律を使える仕事と思いましたら、不動産か金融。
そういう使用資金の勉強をして、
使用資金崩れっていう言葉があったんですけども、
金融機関、普通の都市銀行とかがですね、
受け入れてくれるわけもなくてですね、
いわゆる消費者金融さんとかですね、
15:00
そういうところは私も受かったんですけども、
そこに行くのかなっていう思いまして、
不動産で大共住宅流通という会社を受けまして、
そこを受かったもんですから、その時に実は、
今も実は一緒に仕事している、
中央大学の法学部の先輩なんですけども、
その方が私の面接をしてくれまして、
その後は私その人の部下になって、
もうちょっと話したら、その人の下で、
今の亀井さんと出会って結婚してるんですけども、
っていうような形で大共に入りました。
なるほど。大共流通というのは思い出なんてございますでしょうか。
その人から言われたのがですね、
これから、今その時は大共の新宿支店になったんですね。
その新宿支店を、
大共住宅流通事業本部という事業本部制にして、
その事業本部を大共住宅流通という会社にして、
それを上場させるという、
そのプロジェクトを始めるんで、
境へ入らないかっていう話だったんですよ。
そんな面白い話ないじゃないですかね。
で、すぐにその大共住宅流通に入るという風に決めまして、
そこで、だから今の当社のですね、
免許、宅建の免許を取るとか、会社を作るとか、
組織を作るとか、上場するとか、
そういうのは全部そこで学んだんですよね。
はい。これは本当ラッキーな経験ですよね。
なるほど。
大共流通後、ランドネットさんを創業なさっているわけですが、
これは創業の経緯ってどんな経緯でらっしゃるんですか。
大共住宅流通に入りまして、
今言ったような上場までのプログラムがあったんですけども、
その前にですね、Windows 95、
1995年がやってくるんですね。
そこでそれまで、Windows 95入る前、
Windows 3.1とか3.2の時代で、
システムの開発をしていたんですけども、
そのシステムの開発のお手伝いをしていたんですが、
Windows 95が入って、
ExcelとかAccessとかを見まして、
ちょっと話が前後するんですけども、
それを見た時に、
大共住宅流通で3.1、3.2の時代に
システムの開発のお手伝いをしていたんですけども、
いわゆる業務フローを作って、システム部に作ってもらって、
それをまたマニュアル化してみんなに教えるということをやっていたんですけども、
Windows 95を見て、AccessとExcelを見た段階で、
これもしかしたら私が携わってきたシステムは、
ここで全部できるんじゃないのかな、
というふうに、大共住宅流通にいる頃に思い出しまして、
いろいろWindowsを使いながらやっていたんですが、
どう思ったかというとですね、
大企業と小企業の一番大きな差は、
情報に対するアクセスというか、
情報を処理する能力だと思っていたんですね。
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当然その頃のホストコンピューターはむちゃくちゃ金がかかったものですから、
それがもしかしたらこのデスクトップのパソコン1台で、
俺が全部作れるんじゃないのかなと思ったので、
それが思ったので、1回それをやってみたい。
ダメだったらすぐどこかの会社に入ればいいや、
これは亀井さんとの約束なんですけども、
あとはおふくろがその頃大病をしまして、
集中治療室に入って、
そのおふくろを東京に引き取れないかと思ったんですけども、
全然そういうような余裕があるような状況じゃなかったので、
なんでもう少しお金を稼げないかっていう、
この2つですかね。
アクセスが出てなかったら私独立してないですし、
おふくろのあの大病がなんかで独立は多分してないと思うんですよね。
で、この2つの経緯で、
コア、ゴアと今流行りのですね、
俺は上場するんだと。
できるはずだと思って上場したわけではなくてですね、
ダメだったらすぐに逃げようと思いながらも、
ただアイデアはあったので、
そのアイデアは使いたいというところで会社を立ち上げました。
ランドネットさんは最初はシステム系とかそんな感じですか?
ランドネットは最初から不動産会社なんですけども、
10月1日、前の大規模住宅流通をやめて、
上半期をしっかり数字を上げて、
下半期に多分9月1日かな、
8月末か9月末にやめたのかな。
やめて1ヶ月間はシステムの開発をしておりました。
自分一人で自分がこれから使うシステムの開発をしておりました。
アクセスを使って、アクセスだけですね。
11月ぐらいから営業活動を始めて、
数字が上がりだしまして、
そんな流れです。
一人でシステムを作りながら、
売買契約書を作りながら、
銃説の仕組みを作りながら、
そういうソフトを開発しながら、
一人で電話営業をしてチラシを巻きに行って、
契約をしておりました。
お話を聞きすると珍しいタイプですね。
システム側も営業側も、
全部一人でこなす社長さんって、
かなり少ないんじゃないかな。
少ないと思います。
特に不動産業界では、
多分私オンリーじゃないですかね。
営業の強い不動産系の社長さんは、
数を高愛しているんですが、
システム系をできるようになっている方は、
堺社長様だってそう思うんですが、
システムを強くなった理由は何かございましたでしょうか。
一番最初、どこかでお話しした、
もともと理系の人間が、
文系をやった方が面白いんじゃないかと思って、
3年目かな、卓越に受かった年ですね。
記憶っていうのは、
今日勉強したことを、
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翌日そのまま復習すればいいんだ。
それを翌々日にまたもう一回復習すればいいんだ。
復習するペースが上がっていきますんで、
っていうのが分かったんですよ。
それが分かって、
なんとか県民意見は分かったんですけども、
でもその努力をする中で、
これってAならB、BならC、
結構論的指向をやればいいんだっていうのは、
それも分かりまして、
それがシステムをいじってみると、
理系の頭もあるんでしょうけども、
機械もプラモデルも技術も大好きだったもんですから、
システムをいじってみると、
本当その通りなんですよ。
どうしたかというとですね、
ちょっと話前後しますけど、
会社を立ち上げて、
一人でソフトを開発して仕事を始めたんですが、
人を雇って、
3人、4人雇って、
そのノートPCに、
もうちょっとノートPCをくっつけるかできるか、
サーバー代わりにして、
他のノートPCをPC代わりにして使うんですけども、
4台か5台以上つなごうとすると、
動かないんですよ。
動かないんです。
結局はサーバー買ってきて、
WindowsサーバーとSQLサーバーと、
それがあってアクセスをつなぐと、
全部広がるんですけども、
どうしたかというとですね、
一番最初の苦労したのは、
まずDELLで10万円のサーバーを買いまして、
Windows2000かそのくらいのサーバー、
SQLサーバーを買ってきて、
マニュアル本とソフトがありますけども、
マニュアル本通りにやっていくんですけど、
動かないんですよ。
どうするか、初期化します。
またやっていって、
昨日は10までいった、
今日は12までいった。
また動かないんです。
また初期化するんです。
これをずっと1ヶ月間やりましたら、
朝会社に9時に来て、
夜、何時かな?
12時。
気づいたら12時くらいになっているんですけど、
それでWindows2000サーバーとSQLサーバーが理解して、
アクセスがつながって、
つながったときはすげえ嬉しかったんですけど、
それをしながら、
数字も一生懸命追い求めているような、
本当に二足のわらじで、
楽しくて楽しくてしょうがないです。
どう楽しいかというと、
簡単に言うと、
自分が単に数字を上げるだけじゃなくて、
みんなが数字を上げられる仕組みを作りながら、
自分の効率を上げることをやりながら、
それを全部作る人と使う人が私1人なんで、
こんな効率的な開発はないんですよね。
ワクワクしながら、
仕事をして静寂の開発をしていたような感じです。
なるほど。
普通に今の坂井社長様のお話だと、
ご苦労のように聞こえるんですが、
実際は楽しいですか?
楽しかったです。
お酒飲むのも好きだったですし、
飲みながらでもありますし、
仕事は今も実はそんな感じの仕事をしています。
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全然仕事が苦だと思ったことはないです。
なるほど。
それをうちの社員にもみんなにも、
理解してほしいなと思って、
いつも動いております。
なるほど。
ちょっとリサーナルさんが補足説明だけ先させていただければと思いますが、
サーバーって今クラウドなんで、
サーバーって買ってくるって感覚が、
お若い経営者の方はないかもしれません。
昔、本当にこういうボックスって言うんですね。
ハードのサーバーを買ってきて、
繋げてという話を坂井社長さんもあったりします。
お若い方はお分かりにならないかもしれません。
念のため補足必要です。
でも今でもサーバー売ってます、もちろん。
そうですね、売ってますね。
ただクラウドしか知らない人も、
お若い方は多いんじゃないかと思います。
念のためでございます。
もちろんベテランの経営者の皆さん方、
懐かしいなとおっしゃってらっしゃるかもしれません。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
大社様、アプリ開発とかメディアのウェブ制作をやってらっしゃる会社さんです。
当社はアプリ開発、メディアウェブ制作、
ITスクールを展開しているベンチャー企業です。
時間外労働の上限規制や働き方改革により、
長時間労働の削減は企業の規模を問わず必須事項となったため、
弊社でも対策の実施を進めていかねばならないと考えています。
しかし変化の著しいIT業界で、
柔軟な働き方とコンサルティングに則った労務管理を両立させることの難しさにとても苦労しています。
残業申請など軽快化しているところか、
休日に会社に来て仕事をしているなど、サービス出勤、サービス残業が多く、
中時点も長時間労働とは何時間以上と聞かれてしまい返答に困っています。
会社としてはありがたい思いもありますが、
心のどこかで休日出勤や残業は当たり前だという風潮が現時代においてもまだまだあるのだろうと思います。
まずは就業ルールなどをあらためて見直すこと、
また、当の従業員の意思を高めることだと思いますが、
業務が非効率になることは避けなければならない。
残業時間の削減と長時間労働を防ぐ取組についてご教示いただければと思います。
これはどの企業さんも悩みますね。
どうしてもやらなきゃいけないこと。
ですので社長様自らが率先推翻でやるしかない。
それも社長と管理職、例えば役員の皆さんや部長さんや課長さん、係長さん、こういう方々に
絶対徹底しろということをしつこく言い付ける。
何なら管理職、もしくは役員に、もしその部下たちが守れなかったらあなたたちのペナルティだと、
給与にまで響くと、これぐらい言ってやっと治るかなぐらいな感じです。
27:00
そういう意味では、まず就業ルール、就業規則の見直しと、社長が毎日同様に言い続ける。
そしてある意味監視役を一人作り、管理部長とか総務部長とか、こういう人たちを監視役として夜中残っていったら、
パトロールしていって夜中残っていったら、申請は?とか、なぜ残っているの?
誰が担当ですか?責任者は誰?みたいな感じで追求する係を作るぐらいやって、
役員の皆さん、部長さん、課長さんあたりにペナルティも課す、みたいなことをやって、
どうだろう、言い続けて1年後か2年後治るんだろうか、こんなような感じですね。
とはいえ、もうかなり大きな会社さんになっていらっしゃるので、上場を目指せると思いますので、
上場を目指せるということは、残業の見払いはありませんよ、という閣役書なんかを出さなきゃいけなくなりますので、
それも全社員じゃなく、全社員プラスライフは過去に2年とか3年以内に辞めた人も全員取れ、みたいな機種がきますので、
そう考えると、どうしても今すぐやらなきゃいけないですね。
そして1年かけても2年かけても、いわゆる90出勤がある意味ゼロぐらい、残業もかなり少ないぐらい、みたいな感じ、
サービス出勤、サービス残業はなしぐらいの感じのところを実現したいとまずいな、というような感じですね。
そういう意味で大変厳しい取り組みだと思いますが、
まずは社長様自らが絶対にサービス出勤、サービス残業をゼロにするぐらいのことを宣言をし、
社長自らがずっと365日言い続けるぐらいのことをすべきだと思います。
その上で仕組みをちゃんと作り、そして部課長、役員のペナルティなどを作り、そして監視役を作り、パトロールなどを強化すると。
こんなような感じでしょうかね。大変これは難しい話ですので、もしこの長時間労働とかの悩みがありましたら、
どんな企業さんでも、御社様以外の企業様でもご相談に乗りたいと思います。
何なりとおっしゃってください。今はオンライン等々で時間をかけるご相談がありますので、何なりとおっしゃっていただければと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
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経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
ウェブサイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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